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発言小町

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父が見ていた笑点

むつき
2018年6月24日 20:31

私が子供の頃、日曜の夕方になると、父は笑点を見ながら晩酌をしました。
この時間帯が唯一、父のくつろぎタイムでした。
瓶のラベルを覚えています。かなり安いウイスキーです。
それを水のように薄めて、ちびちび飲んでいました。
おつまみは柿の種かイカさきです。
私を含め小さな子供が5人、周りをうろうろしていたので「こぼすな、こぼすな」が父の口癖でした。
笑点が終わると、父はよくラーメンを作りました。
ネギを切って焼きのりを一枚乗せて出来上がり。
子供が順番に「ひとくち、ちょうだい」と父の膝に乗ります。
そんな光景が心に残っています。
当時、母は心の病にかかっていたため、休日の食卓がどんなだったか思い出せません。

私は今、あの頃の父の年齢をはるかに越えました。
主人は休日出勤なので一人の夕食です。
手の込んだものを五皿作り、ワインを開けます。
スーパーで買えるワインですが、素敵なグラスに注ぎます。
テーブルには背の低い花を飾ります。
優雅だな、ぜいたくだなと思います。
テレビを独占して、あの頃「何が面白いんだろ?」と思っていた笑点を楽しみます。
一人「ワハハ」」と笑って手を叩いてみたり。

五人兄弟姉妹の一番上の私は「子供が多いと悲惨」と子供ながらに、よくため息をついたものです。
それが原因ではないですが、私自身子供には恵まれませんでした。

笑点終わったら、今日はなんだか涙が出ました。
いつもインスタントの塩ラーメンでした。
汁をすすった後、どんぶりに沈んだ白ゴマを父が箸ですくってつまみにしていたこと。
なんでそんなこと思い出したのかわかりません。
みんな笑っていた気がします。
母も布団から出てきて笑っていた気がします。

ユーザーID:3342295269  


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タイトル 投稿者 更新時間
すごい。
ばんび
2018年6月24日 22:30

なんだか、一瞬で引き込まれた。
なんでかわかんないけど、涙出ました。
昭和の、なんでもない家族の、日曜の夕方の原風景見る気持ち。

主さん、文才ありますね。
光景が、手に取るようにわかります。

今、私は時々日曜の夕方に実家に行き、もうすっかり小さくなった父と笑点を見ることがあります。
決してタイムスリップはしないんですよ。
そこには、年老いた父と私。

でも、このトピには昭和が息づいていて、すごくなごんだ。
素敵です。ありがとうございました。

ユーザーID:1729774948
いつか私も貴女のように
海賊の妻
2018年6月24日 23:23

私の夫は何を見なくても笑点を見ます。
若い時から腎臓を患い結婚生活イコール闘病生活でした。透析になって27年。合併症との戦いで身も心もボロボロです。機嫌が悪いと何日も口をききません。
家の中に職人さんを入れるのはよほどの時に限り仕方なくお願いします。夫の不機嫌を見られたくないからです。
そんな夫が見るのは笑点です。ずーっと口も利かず不機嫌な夫の口元に笑いの形が浮かぶのを台所からそっと見てホッとする日曜日です。
夫の脳は白い点と黒い点が宇宙のように広がっています。白いのは脳梗塞の跡、黒いのは出血の跡だそうです。幸い生命にかかわるところを外していますが、言語がやや出にくく言っている事が聞き取れない時が有ります。そしてマヒが有りイタイイタイと言います。
梗塞と出血が沢山ある場合の治療は難しいそうです。よくここまで生きたと思います。
夫に何かあれば、私も一人で笑点を見る事が有るでしょう。気難しい夫の口元に浮かんだかすかな笑いをきっと思い出すでしょう。
食べたい物も飲みたい物も自由に口にできない人生を働きながら戦いながら家族の為に生きた夫の唯一の楽しみが笑点でした。
きっと貴女のように涙ぐんで見る日が来るかもしれません。
夫もラーメンが好きです。半分くらいしか食べられませんが塩ラーメンが好きです。

ユーザーID:9267089850
泣けてきました携帯からの書き込み
ぽこん
2018年6月24日 23:39

私は今年 両親を亡くしました
普段は明るく振る舞っていますが 一人になると泣けてきます
色んなことが思い出されます

このトピを見て 泣けてきました

生きているといろんな事があるけど 生きていきましょうね

ユーザーID:8836371785
無題携帯からの書き込み
こんぶだし
2018年6月25日 4:54

悲しく、寂しくも、なんだか心に響く、温かい話ですね。

ユーザーID:6779941563
遠い記憶
マチカ
2018年6月25日 6:52

いいですね。昭和の匂い。
お父さんは怖くて話しができなかった。今のわたしよりずっと若かったのに。
毎日油まみれで帰ってきてちゃぶ台でご飯食べて寝るだけ。遊んでもらった記憶も無い。
でも小学校の運動会でなぜか親子リレーに出て運動神経ゼロの私は足が遅い上すっころんで当然ビリ。次の母ですこーし持ち直す。ラストのお父ちゃん靴を放り投げ裸足でどりゃーーっと走って5人ゴボウ抜きで優勝。
唯一の鮮やかな記憶。かっこよかったよお父ちゃん。
足早かったんだね。

ユーザーID:9490256348
いい思い出ですね。
ぷ〜にゃんぱん
2018年6月25日 8:31

うらやましいです。幸せですね。
私にはそういう思いで全くないです。
子供嫌いな父だったので父との思い出が一切ない。私自身も父親が嫌いですから父と何かした思い出すらないです。

でも日曜日の5時半から始まる笑点は
兄妹3人必ず見てましたね。夕食でしたから、早く出来るように母の手伝いをしてテレビの前にスタンバイ。
食事をしながら笑点見て笑ってました。その後のサザエさんで空気がどよ〜ん。
日曜日が終わると悟ってました(笑)

ただテレビに夢中になると、おかずがアッと言う間に無くなっていた事がよくありました。犯人は兄、兄が余分に食べていた事がよくありました。

笑点の思い出はそのぐらいかな。

トピ主さん、大変失礼ですがお父様はご健在でしょうか?
もしも他界なさってましたら、もしかしてお父様が遊びに来たのでは?と思いました。「ご健在でしたら申し訳ございません。」

お父様が「今日は日曜日か!笑点だ」と見に来たのかも。一緒に晩酌していたのかもね。
たまに思い出してあげるのもいい事だそうですよ。

ユーザーID:7563846041
素敵な時間携帯からの書き込み
2018年6月25日 12:53

大好きなご家族との素敵な時間だったのですね。
私もどこか懐かしいような気持ちになりました。
確実にその時間があったこと、これからも辛い時にふと思い出して癒されてください。

ユーザーID:2285709533
懐かしいです。
neko
2018年6月25日 13:02

『子供が順番に「ひとくち、ちょうだい」と父の膝に乗ります』

私もそんな子供の一人でした。
父もインスタントの塩ラーメンかチキンラーメン。
おわんを持ってねだったのをよく覚えています。

父が独身でまだ父の実家に居た頃には
同じように父の甥っ子たちが父にねだったそうです。

その父も亡くなって、この6月で10年でした。

ユーザーID:6217204138
しんみり
ZZZ
2018年6月25日 15:28

何というか… 映画を見ている気持ちになりますね。
小津監督作品みたいな。

情景の描写、沁み入りました。

ユーザーID:8195299779
分かります。。。
monogana
2018年6月25日 19:38

娘が結婚して子供にも恵まれ忙しい毎日を過ごしていますが、実家に帰ってくると、 ああぁ 守られているっていう安心感があるぅ とよく言います。
子供のころの家ってそういうものなのですよね。

私も父を思い出し物悲しくなる時が良くあります。。
ザ.昭和の男! でどういう風に愛情を示せばいいのかわからない不器用男でしたが、愛情は人一倍だったと思います。

ユーザーID:5306569124
切ない。携帯からの書き込み
源田たまらん
2018年6月25日 21:16

でも素敵なお話だと思います。
少し泣けてしまいました。

ユーザーID:4240528785
何とも言えない
こひつじ
2018年6月25日 23:44

心がジンワリしました。
確かにトピ主は、兄妹が多く大変だったのでしょうね。でも、兄妹の人数分、楽しみも分け合えていたのでしょうね。食卓は少し寂しくても、お父様は子供達を笑顔にしていたのですね。
世の中何が幸せかわかりませんね。

ユーザーID:0171289262
しょせん幸せなんて、自己申告
manaminion
2018年6月26日 15:13

・・・と綾小路きみまろさんが、ライブで言っていました。
もちろんきみまろさんなので、笑って言っていました。

でも、深い言葉だと思います。


インスタントラーメンと、騒々しさと、笑い声。

家族はしっかりと、お父さまの強さと優しさに守られていたのですね。

ユーザーID:3033266916
なんだか
ペンギンうさぎ
2018年6月26日 16:20

トピ主さんの愛おしい家族の風景の一コマを見せてもらいました。

年をとるってこういう事なんですよね。昔の何でもない風景を懐かしがってもう一度思い出したいから、心の引き出しからそっと出して眺めてみる。

私にもそんな大事にしたい家族団らんの思い出の一コマがあります。もう40年以上昔の話ですが、思い出すたびにその時の部屋の温度や自分の気持ちもはっきり蘇ってきます。

私はトピ主が羨ましいですよ。5人も兄弟がいたら思い出話一つでもどんなに楽しく盛り上がるだろうと思って。お父さんの笑点と塩ラーメンの話。末っ子は覚えていないにしても2番目、3番目の子はどう記憶しているのか。兄弟でそんな思い出話をすることはありませんか。

ユーザーID:7200521635
良い文章ですね。
SHO-CHAN
2018年6月26日 16:34

良い文章ですね。
むつきさんのお人柄、お父上の人柄が、想像できます。

涙の訳は、家族の何かの意味が、涙腺に触れたのではないでしょうか?
小生も、50を過ぎ、亡き父が好きだった、日本酒にハマってます。
家族の魂は永遠かもしれません、、。

ユーザーID:2137509853
我が家も同じ
悩める妻
2018年6月26日 17:05

私の父も、日曜日の笑点が大好きでした。

日曜日も仕事をしていた父ですが、笑点が始まる5時20分には、母に頼んでビールを用意してもらい、ビールを飲みながら、見ていました。

その父が逝ってから、もうすぐ20年近くたちます。

ユーザーID:8892078878
私も何故かずっと見てます
50女
2018年6月26日 21:47

週末の、ヘソみたいな感じが

私は父ではなく夫に見せられてます。

また、明日の月曜を、頑張らなくては
いけないなぁと、お父様もきっと
休日から明日へと気持ちの切り替えし
だったのかな…

お母さまもきっと
月曜日から
週末に皆と過ごせる
日々を楽しみにされていたのでしょうね

私たちも、
明日の月曜日が重くなる時もあろうかと思いますが

頑張りましょうね

ユーザーID:8818956209
子供が順番に「ひとくち、ちょうだい」と父の膝に乗ります
こうまさん
2018年6月27日 19:44

私の父は昭和10年生まれの九州男児。
頑固な鹿児島の男でした。
仕事一筋、趣味もない父で、日曜日に焼酎を飲むことだけを楽しみにしているような人でした。
父も笑点を見ながら晩酌してました。
末っ子の私はよく父の膝にのり、一口頂戴、といって、食卓に父だけ優遇された一品をもらっていました。
今の父親像を考えると、想像もできないような昭和の頑固な父、分からず屋の父でしたが、父なりの不器用な愛情をふと思い出します。
あのころは笑点の時間が遅い時間に感じましたが、いま思えばかなり夕方ですね(笑)

ユーザーID:1937118105
泣きました。携帯からの書き込み
さやか
2018年6月28日 0:55

なんて素敵なお父様!
なんて素敵なトピ主さん!
そしてきっと、なんて素敵なお母様!
こういうトピはコメントも素晴らしいですよね。
切ないけど、優しい気持ちになれました。
トピ主さん、ありがとうございます

ユーザーID:2672136928
素敵なトピ
masa
2018年6月28日 14:19

むつきさんのお父様は優しい方だったのでしょうね。
病気のお母様とお子様達を大切にしておられた様子が伺えます。
思わず泣いちゃいました。

私の父は所謂DVで母に対して暴力を振るっていました。
小学校低学年の頃、二階の寝室で兄弟達が布団に入って寝ていると一階で父が母に怒鳴って暴力して、それが聞こえて泣きながら寝入っていたのを覚えています。
子供である私達にも短気で横暴でした。

多分今から思えば父は複雑な家庭環境で育っていたので、それが人格形成に影響していたのでしょう。
でも母や子供達は被害者でした。

以外にも健康に気を付けていた父は早くに病死して、後に母に父のいい所ってあったの?と聞くと、たった一つ「早く逝ってくれた事」とブラックジョークになりました。

むつきさんのトピを読んで、私の父はむつきさんのお父様とは正反対ですが、一つだけ似たシーンが。
昔の食卓は父親が一番で特別なメニューでした。
父だけたまに牛ステーキで、子供達は美味しそうで(かなり美味しかった)一切れずつ貰いました。
膝には決して乗りませんでしたが。

もう私は父の亡くなった年を遥かに超えてしまいましたが、たま〜に夢に出てきたりします。
夢の中の父は何故かいつも穏やかです。
覚えている昔の父の顔は鬼のように怒った顔なんですが、不思議です。
今でも「お父さんどうしてそんなにいつも横暴だったの?優しくしてくれれば良かったのに」と問いかけます。

むつきさんの話はノスタルジーな記憶を引き出してくれました。
素敵なトピを有難うございました。

ユーザーID:5756796667
 
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