父が見ていた笑点

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むつき

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  • ラーメンの思い出

    笑点の話ではなくて 申し訳ないが、
    トピ文読んで ふと 父のことを思い出したので。。


    トピ文のインスタントラーメンのエピソードを
    読んで 私も 子供の頃を思い出した。
    父が私のために作るラーメン。

    その頃、インスタントラーメンが
    普及し始めた頃だった。
    たしか エースコックのワンタンメンだったと想う。

    袋には、ゆで時間3分と書いてあるが、
    そんなものは 無視。
    永く茹でると 味がしみ込んで美味しくなると
    確信していたらしい。

    おかげで 麺は フニャフニャ。
    さぞや食感が悪かっただろうと想うが、
    それでも 美味しいと想って食べていたのだろう。

    そんな父も3年前に 他界。
    翌年 母も亡くなった。

    そして 私も そろそろ 老境か。。

    近々、 娘夫婦に 子供が生まれる予定だ。

    世代交代は 確実に 進んでいる。

    これでいいのだ。

    ユーザーID:9306412153

  • 笑点なつかし版

    小町のサイトの右側に見覚えがあるタイトルがあってびっくりしました。
    ずっと気が付きませんでした。賞を頂きありがとうございます。
    皆さん、温かいコメントをどうもありがとうございます。

    私はBSで笑点なつかし版も見ています。
    5代目円楽さん、歌丸さんの生き生きした姿。粋なやり取り。
    それを見ている父。父の横には母がいます。
    私にはそこまで見えます。感じます。

    昔の笑点は、私にとってただ懐かしいだけの再放送ではありません。
    画面下に「これは〇年〇月〇日に放送されたもの」と出るので、
    番組が終わった後、決まって昔のスケジュール帳(一行日記のようなもの)を開きます。
    私は20年近く日本を離れていたので、
    「さてこの日、私はいったいどこで何を?」と、笑点と私をリンクさせるのです。
    あるときはアルプスの山小屋、あるときは教会でコーラス、あるときは部屋のペンキ塗り、そしてあるときは同僚を招いて巻き寿司パーティ・・・。
    若くてエネルギッシュで前向きですごく健康な私がそこにいます。
    うきうき気分で一時帰国していた時もあります。
    あれから色々なことがありました。

    見逃した笑点を今、こうしてゆっくりと味わうことができるのはとってもありがたいです。
    笑えるって幸せですね。
    「笑点、ありがとう」と思います。

    ユーザーID:3342295269

  • 生涯で一度でも

    こういう文章が書きたいなあ。
    と思います。

    トピ主さんはきっとプロでもないから、
    何のてらいもないし、
    けれど、
    とてもあたたかい文章。
    読む側の小さい頃の、
    それぞれの思い出が蘇るような。
    小さい頃は、
    そこが幸でも不幸でも、
    そこにいるしかなかった家庭の中にいた記憶。

    私はふんわりとしみじみとした思いで読み進めて、

    最後の一行で、
    落涙しました。

    ユーザーID:3423931892

  • ごま

    私も受賞を見てこちらに来ました。

    最後の5行を読んで、「ああ、きっとあのブランドの塩ラーメンだな」と、勝手に思っています。
    あの白ごま、どうしてもお丼に沈んでしまうんですよね。
    子供の頃、よく食べてました。

    トピを読んであの味が口いっぱいに広がりました。それから私も泣きました。

    何で泣いたのかは判りません。判らなくても良いような気もします。

    ユーザーID:5975660748

  • 涙がぽろりと

    すてきなトピをありがとうございます。
    涙がぽろりとこぼれました。

    おととし母を亡くし、続けて父が病に倒れました。
    悪性脳腫瘍で、病室のベッドに横たわる父とはもう会話もできません。

    トピ主さんと同じように、わたしも子供のころ、父の膝に乗って、晩酌のおつまみをもらうのが楽しみでした。母が台所からやってきて、「あ。またお父さんのおつまみをもらいよる」と笑いながら言うのも、好きでした。

    いま、二人がいなくなってがらんとした実家に行くと胸がつんつんと痛みます。またお父さんとお母さんと食卓を囲みたいなあ。お父さんのおつまみをちょっといただきたいなあ、と心から思います。

    幸せって、大げさなことではなく、ほんのささいなことなのですね。
    ささいなこと過ぎて、失くしてからでないと気が付かないものなのですね。
    トピ主さんのお話を読んで、涙がぽろりとこぼれるのも、きっとそんなささやかな幸福感を思い出したのに、その瞬間を二度と取り戻せない寂しさを、改めて確認できたから。

    現在、主人と絶賛喧嘩中だったのですが、主人と息子と囲む食卓の幸せをかみしめて、しっかり仲直りしようと思います。

    すてきなトピを本当にありがとう。

    ユーザーID:2124834631

  • 泣けちゃったよ

    私の父は幼いころに亡くなったのであまり覚えていませんが、病に伏していた父親の布団に潜り込んで、母親の帰りを待っていたな、とかすかな記憶だけです。

    女系家族の中で長年暮らしてきて、ご年配の男性の匂いになぜかなつかしさを感じたのは、きっと父親の匂いを覚えていたのでしょう。
    父は若くはなかったから。

    でも今ではオットの年寄臭はきらいですけどね。笑

    なんだか涙がポロポロこぼれてきます。
    いいトピをありがとうございました。

    ユーザーID:8526656519

  • 母との思い出

    受賞トピとの事でこちらに来ました。

    母が骨折しリハビリ病院に入院していた時、日曜日の5時半は病院中が「笑点」でした。
    それぞれの病室はもちろん、みんなが集うデイルームのテレビも。
    一日のリハビリを終え、6時からの夕食を前に、皆さん食い入るように見ては声をあげて笑っていました。
    麻痺があり思うように体が動かせなくても、その表情で楽しんでおられるのが良くわかりました。

    看護師さんも理学療法士さんも介護士さんも、この時間はみんなテレビにくぎ付けよと笑顔で仰っていたのを思い出しました。

    あれから4年、そしてその母が亡くなって間もなく2年。
    笑点を見ていると、毎週末は見舞いに行き、車いすの母の隣で一緒に笑いながら見ていた事を思い出します。

    先に亡くなった父は、歌丸師匠と同じ病気でした。
    やはり肺炎で入退院を繰り返していました。

    子供の頃から笑点は見ていましたが、私にとっての思い出は年老いた両親、特に母との思い出が蘇ります。

    ユーザーID:9134659415

  • 泣けてきました。

    主様、ステキなトピをありがとうございます。
    ずっとずっと昔…昭和の良き時代が蘇ってきました。
    50代後半の女性ですが、煮物が上手だった母は2年前に旅立ち、父は認知症で入院中です。面会に行っても私の事もわからず、ただただ徘徊をしている毎日。
    そんな父は巨人が大好きで、野球のシーズンになるとチャンネル権のある父のおかげで好きな番組を見る事が出来ずに、「早く野球が終わればいい」と思ったものです。
    笑点も毎週見ていました。三波伸介さんや、歌丸さん、円楽さんなどがレギュラーで出演してました。もう戻ることはできないあの頃ですが、皆様の…そして私の心に深く深く刻まれているのでしょうね。

    ユーザーID:8017906328

  • 幸せな思い出です。

    夕方、NHK教育の人形劇三国志を観た後、
    風呂上がりの父親が母が作るハムきゅうりやチーズちくわをアテに笑点を見ながら晩酌を始めるのが日曜夕方の日課でした。
    ビールの匂いも覚えています。
    たまにおつまみをもらえるのが楽しみでした。
    笑点の音楽とともにこの安っぽいおつまみが余計にノスタルジー←?を誘います。


    ボロボロの官舎住まいでしたが両親に護られて、幸せな思い出が詰まっています。

    歌丸師匠がお亡くなりになりました…。
    幼いながらも歌丸師匠の気品の高さに格を感じていました。
    その頃は先代円楽師匠も回答者だったなあ。

    父ももう70半ば。幸い元気で今でも笑点に合わせて晩酌を始める光景は変わっていません。
    実家帰省時、いまはビールをいただいています。

    ユーザーID:5485241988

  • 歌丸師匠が逝かれてしまいましたね

    ネットニュースで訃報を知りました。しばらく脱力して、頭の中で考え方がまとまらず、残業を切り上げて帰りました。
    笑点の1つの時代が終わったような気がしました。

    歌丸師匠は、晩年の父とよく似ています。低栄養で激やせした父の姿に歌丸師匠の姿を重ね、何とか元気でずっと頑張ってほしいと思っていました。
    人間はいつかは死ぬものだとはわかっていましたが、正直、芸能関係の方で、歌丸師匠が亡くなったことが、とても寂しく思えました。
    福耳が特徴的な歌丸師匠。父も福耳でした。だから、まだ父が生きているような気がして、いつも見ていました。

    無事にあの世に逝かれて落ち着いたら、向こうの世界でも、高座に上がって、たくさんの人たちを笑わせているのではないでしょうか。

    沢山の人たちに愛された笑点がずっとこれからも続いてほしい、と心から思いました。

    人の死は生きている人に思い出を残していきます。あと何回か収録されているであろう、「もう笑点」から見て、その姿を偲びたいです。

    ユーザーID:8859780561

  • 6月24日のmasaさんのレスまで読んでいます。

    ちょうど1週間前にトピを書きました。
    少しほろ酔いでしたが、私の場合、その方が本音が書けます。
    書き終えたときに、
    「もしこのトピにレスが付いたなら、一週間後、その方に最大限心を込めてレスを書こう」と決めました。
    そして今日です。
    私なりのお礼の仕方ですが、どうぞ受け取ってください。
    今日、レスをくださった方々と一緒にいる感覚で笑点を見ました。
    日本酒で乾杯しました。(見えない皆さんと笑点の方々と)
    冷ややっこと、枝豆、鶏団子とキャベツを蒸したものが今日のつまみです。
    「いないないばあ、アランドロン」の小遊三さんが好きです。
    ひとり盛り上がって見ました。
    でも、いつのまにか過去へスリップしてしまいます。
    子供の頃、私は「もうホントにホントにホントにつくづく嫌」と思っていました。
    (わがままな子供では決してありませんでした)
    何がどう嫌だったのか、何がつらかったのかは省略します。
    でも、ずっと後になって(それは今なのですが)、思いがけないときに
    「あれ?なんだかいい感じ。嘘みたい」と浮かび上がる昔の場面があるのです。
    「幸せだったことに気づく」というのとはちょっと違います。
    「いろいろなことがあって今があって、受容みたいな感覚が生まれた。だから過去を味わおう。笑っている一瞬、一瞬を思い出せた自分が嬉しい、それはやっぱり幸せ」
    となりました。
    ずいぶんと大人になったということですね。
    20通のレスはどれも私の心に響きました。
    私の気持ちを前向きに後押ししてくださるものばかりでした。
    ご自身の体験を打ち明けてくださってありがとうございます。
    酔いは完全覚めているのですが、文章にすると嘘くさいのでこうしました。
    『笑点+アルコール→過去へスリップ+皆さんのレス→癒し』
    どうもありがとうございました。

    ユーザーID:3342295269

  • トピ主さんと同じ

    私は年子の弟が三人いる長女。

    子供の頃、父は安いウィスキーの水割りを飲みながら、いつも観ていた番組は野球のナイターでした。
    父は一番下の双子の弟に「おまえたちバッテリー組んで野球やれや」と言っていたのを思い出します。

    最近、重苦しい質問や相談のトピばかり拝見していたので、何だかとても心が洗わた素敵なトピでした。

    ありがとうございます!

    ユーザーID:2052888485

  • 私も笑点

    たまたま先日、動画サイトで10年前の笑点がヒットしました。
    それは私が実家に帰った時、何年ぶりかで家族揃って見た笑点でした。

    「この笑点を見た時は、父がまだ生きていたんだ」
    そう思ったら、涙が出ました。

    ユーザーID:5641405138

  • 私も最近

    なぜか、両親のことをよく思い出しています。
    母は私が26歳の誕生月に、父は29歳の秋の朝に、
    それぞれ亡くなり、なるべく思い出さないように生きてきたのですが、
    齢50歳ともなるからでしょうか、
    このところ、とてもよく、思い出します。

    先日、大阪北部を襲った地震で、
    震源地に近かった他県の我が家もかなり揺れ、
    高いところに置いてあるもので落ちていないものはなく、
    たくさんのガラス食器が粉々に割れてしまいました。
    その中に、私が小学一年生の時、
    無理にねだって開いてもらった私のお誕生日会のために、
    母が買ってくれた5つおそろいのガラスのコップがありました。
    他のものもたくさん割れたのに、
    このコップが割れてしまったことだけがとても悲しく、
    どうしてもっと、
    安定した場所にしまっておかなかったんだろうと後悔しました。

    急に母に会いたくなったけど、
    もう、会えないので、こころの中で、
    あの時、無理を言ってお誕生日会を開いてくれてありがとう、
    と言いました。

    それから、誕生日会など無理に開いてもらうものじゃない、と、
    たしなめた父のことも思い出しました。
    産んでくれた人のことは誰でも最優先で思い出すから、
    父親は損だ、なんて言ってた昭和ひとけた生まれの頑固親父ですが。
    いやいや、私の名前の由来、
    父親のこだわりということでこれは本当によく思い出しています。

    バラ色の思い出ではなくて、
    セピア色またはモノクロの。

    いいトピをありがとうございます。

    ユーザーID:8009090011

  • 私も泣きました

    私の父は私が3歳のときに亡くなりましたので、父についての記憶がほとんどありません。
    覚えているのは、おそらく夕食時に具合が悪くて寝ている私に、晩酌している父が振り返って
    何か話しかける、というシーンなのですが、これもグラス片手に上機嫌で振り返る父の写真を見て
    私がつくりあげた記憶なのかもしれません。
    父が亡くなってから母は実家の援助で自宅をアパートに改築し、パートから契約社員、正社員と
    働き続け、私と兄を育ててくれました。父方の祖母とずっと同居していましたから
    いろいろ苦労はあったと思いますが、写真を見るとなかなかのイケメンだった父のことが
    ずっと好きだったんだろうなぁと思います。「さっさと死んじゃって無責任」
    と冗談半分に言うこともありましたが。
    私も父が亡くなった年齢をはるかに上回りました。最近土曜日の夜『出川哲郎の充電がなんとか…』
    という番組が始まると「え?もう土曜日?昨日見たような気がするのに」と言ってしまいます。
    そして昔ドリフの『8時だヨ!全員集合』を見ながら母が同じことを言っていたのを思い出します。
    私の夫も数年前に私と3人の子どもたちを残して亡くなりました。
    最近は子どもたちも塾やバイトで帰りが遅く、一緒に夕食を食べる機会があまりありません。
    先に寝入ってしまった私のそばで3人がテレビを見ながら笑う声で目が覚めることがあります。
    追い立てられるような毎日ですが「これがしあわせ」なのだと思います。

    ユーザーID:3245174250

  • わかります

    私も時々、日曜日の夕方の父の様子を思い出します。

    薄暗くなった部屋で日本酒をちびりちびり飲みながら大相撲中継を見ている父。
    時々、うれしそうに手をたたいたり、悔しそうに声を上げたり。
    いつも、無口で感情を出さない父が感情を出すのが珍しく、私は不思議な気持ちで見てました。

    父が唯一作ってくれた料理は、味噌おにぎり。
    ただ、白飯のおにぎりに味噌をつけただけの素朴なおにぎりです。(昭和ひとケタ生まれ)
    先日、懐かしくなってこっそり試してみましたが、何だか違う。
    あたりまえだけど、ただの白飯と味噌味。
    愛情エッセンスが入ってたからおいしかったんでしょうねー。

    ユーザーID:4302294785

  • そういえば、実家の親も

    よく笑点を見ていました。
    父が野球を見たがるので、別のチャンネルになったままのことが多かったです。
    野球が行われないシーズンは、笑点を見ていたような記憶があります。
    それが終わってから、サザエさんとか見たり。
    小さい頃の私には、笑点の面白さが分かりませんでした。

    50歳を過ぎ、1年位前から笑点を見るようになりました。面白いと思いました。

    あれは、一定の年齢を行った人間が見て楽しむものではないか、と思っています。

    半年前、父を送る前に、病室で昔話をたくさんしました。父が日曜日になると、お昼に作ってくれや焼きそばや焼き飯のことも話しました。
    父は全部覚えていました。
    昔話をたくさんして、そして父を送ることができました。

    晩ご飯は、何を食べていたか、よく思い出せません。
    でも、普通のごはんだったような気がします。インスタントラーメンは、当時は高かったので、食べたことはなかったです。

    ユーザーID:8859780561

  • 素敵なトピ

    むつきさんのお父様は優しい方だったのでしょうね。
    病気のお母様とお子様達を大切にしておられた様子が伺えます。
    思わず泣いちゃいました。

    私の父は所謂DVで母に対して暴力を振るっていました。
    小学校低学年の頃、二階の寝室で兄弟達が布団に入って寝ていると一階で父が母に怒鳴って暴力して、それが聞こえて泣きながら寝入っていたのを覚えています。
    子供である私達にも短気で横暴でした。

    多分今から思えば父は複雑な家庭環境で育っていたので、それが人格形成に影響していたのでしょう。
    でも母や子供達は被害者でした。

    以外にも健康に気を付けていた父は早くに病死して、後に母に父のいい所ってあったの?と聞くと、たった一つ「早く逝ってくれた事」とブラックジョークになりました。

    むつきさんのトピを読んで、私の父はむつきさんのお父様とは正反対ですが、一つだけ似たシーンが。
    昔の食卓は父親が一番で特別なメニューでした。
    父だけたまに牛ステーキで、子供達は美味しそうで(かなり美味しかった)一切れずつ貰いました。
    膝には決して乗りませんでしたが。

    もう私は父の亡くなった年を遥かに超えてしまいましたが、たま〜に夢に出てきたりします。
    夢の中の父は何故かいつも穏やかです。
    覚えている昔の父の顔は鬼のように怒った顔なんですが、不思議です。
    今でも「お父さんどうしてそんなにいつも横暴だったの?優しくしてくれれば良かったのに」と問いかけます。

    むつきさんの話はノスタルジーな記憶を引き出してくれました。
    素敵なトピを有難うございました。

    ユーザーID:5756796667

  • 泣きました。

    なんて素敵なお父様!
    なんて素敵なトピ主さん!
    そしてきっと、なんて素敵なお母様!
    こういうトピはコメントも素晴らしいですよね。
    切ないけど、優しい気持ちになれました。
    トピ主さん、ありがとうございます

    ユーザーID:2672136928

  • 子供が順番に「ひとくち、ちょうだい」と父の膝に乗ります

    私の父は昭和10年生まれの九州男児。
    頑固な鹿児島の男でした。
    仕事一筋、趣味もない父で、日曜日に焼酎を飲むことだけを楽しみにしているような人でした。
    父も笑点を見ながら晩酌してました。
    末っ子の私はよく父の膝にのり、一口頂戴、といって、食卓に父だけ優遇された一品をもらっていました。
    今の父親像を考えると、想像もできないような昭和の頑固な父、分からず屋の父でしたが、父なりの不器用な愛情をふと思い出します。
    あのころは笑点の時間が遅い時間に感じましたが、いま思えばかなり夕方ですね(笑)

    ユーザーID:1937118105

  • 私も何故かずっと見てます

    週末の、ヘソみたいな感じが

    私は父ではなく夫に見せられてます。

    また、明日の月曜を、頑張らなくては
    いけないなぁと、お父様もきっと
    休日から明日へと気持ちの切り替えし
    だったのかな…

    お母さまもきっと
    月曜日から
    週末に皆と過ごせる
    日々を楽しみにされていたのでしょうね

    私たちも、
    明日の月曜日が重くなる時もあろうかと思いますが

    頑張りましょうね

    ユーザーID:8818956209

  • 我が家も同じ

    私の父も、日曜日の笑点が大好きでした。

    日曜日も仕事をしていた父ですが、笑点が始まる5時20分には、母に頼んでビールを用意してもらい、ビールを飲みながら、見ていました。

    その父が逝ってから、もうすぐ20年近くたちます。

    ユーザーID:8892078878

  • 良い文章ですね。

    良い文章ですね。
    むつきさんのお人柄、お父上の人柄が、想像できます。

    涙の訳は、家族の何かの意味が、涙腺に触れたのではないでしょうか?
    小生も、50を過ぎ、亡き父が好きだった、日本酒にハマってます。
    家族の魂は永遠かもしれません、、。

    ユーザーID:2137509853

  • なんだか

    トピ主さんの愛おしい家族の風景の一コマを見せてもらいました。

    年をとるってこういう事なんですよね。昔の何でもない風景を懐かしがってもう一度思い出したいから、心の引き出しからそっと出して眺めてみる。

    私にもそんな大事にしたい家族団らんの思い出の一コマがあります。もう40年以上昔の話ですが、思い出すたびにその時の部屋の温度や自分の気持ちもはっきり蘇ってきます。

    私はトピ主が羨ましいですよ。5人も兄弟がいたら思い出話一つでもどんなに楽しく盛り上がるだろうと思って。お父さんの笑点と塩ラーメンの話。末っ子は覚えていないにしても2番目、3番目の子はどう記憶しているのか。兄弟でそんな思い出話をすることはありませんか。

    ユーザーID:7200521635

  • しょせん幸せなんて、自己申告

    ・・・と綾小路きみまろさんが、ライブで言っていました。
    もちろんきみまろさんなので、笑って言っていました。

    でも、深い言葉だと思います。


    インスタントラーメンと、騒々しさと、笑い声。

    家族はしっかりと、お父さまの強さと優しさに守られていたのですね。

    ユーザーID:3033266916

  • 何とも言えない

    心がジンワリしました。
    確かにトピ主は、兄妹が多く大変だったのでしょうね。でも、兄妹の人数分、楽しみも分け合えていたのでしょうね。食卓は少し寂しくても、お父様は子供達を笑顔にしていたのですね。
    世の中何が幸せかわかりませんね。

    ユーザーID:0171289262

  • 切ない。

    でも素敵なお話だと思います。
    少し泣けてしまいました。

    ユーザーID:4240528785

  • 分かります。。。

    娘が結婚して子供にも恵まれ忙しい毎日を過ごしていますが、実家に帰ってくると、 ああぁ 守られているっていう安心感があるぅ とよく言います。
    子供のころの家ってそういうものなのですよね。

    私も父を思い出し物悲しくなる時が良くあります。。
    ザ.昭和の男! でどういう風に愛情を示せばいいのかわからない不器用男でしたが、愛情は人一倍だったと思います。

    ユーザーID:5306569124

  • しんみり

    何というか… 映画を見ている気持ちになりますね。
    小津監督作品みたいな。

    情景の描写、沁み入りました。

    ユーザーID:8195299779

  • 懐かしいです。

    『子供が順番に「ひとくち、ちょうだい」と父の膝に乗ります』

    私もそんな子供の一人でした。
    父もインスタントの塩ラーメンかチキンラーメン。
    おわんを持ってねだったのをよく覚えています。

    父が独身でまだ父の実家に居た頃には
    同じように父の甥っ子たちが父にねだったそうです。

    その父も亡くなって、この6月で10年でした。

    ユーザーID:6217204138

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