伊勢湾台風

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生活・身近な話題

知行in

台風24号は大変な台風でした。
被害に遭われたみなさま、心よりお見舞い申し上げます。

昨日はテレビにかじりついて台風情報を見ていました。
「昭和34年の伊勢湾台風に匹敵する高潮の恐れがあります」
何度も何度も、そう警告していました。
わが家は関東で大きな被害はありませんでしたが、夜中の強風が恐ろしく、よく眠れませんでした。

伊勢湾台風は私の生まれる前のことです。
その名を初めて知ったのは、1976年の山口百恵さん主演のドラマ「赤い運命」でした。
被害が大きかったのは、インフラが充分でない時代だったからだと思ってましたが、現代の天気予報でもその名が出て警告されるということは、やはりものすごい台風だったんですね。

友達のお母さんは、木曽三川の輪中の出身。
伊勢湾台風に遭った世代のため、卒業アルバムに載っている同級生の数がとても少ないとおっしゃっていました。
60年近く経っても、人間は自然の力には勝てないんだなと思いました。

ユーザーID:2581229504

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  • 未だに比較対象にされる。

     相当スゴい台風だったのでしょう。
    これが未だに語られる、という事は、翻ってみると、これよりスゴい台風が来ていない、という(有り難い)事でも有ります。

     大潮と台風が重なると、高潮になって被害も拡大します。

     昭和17年、私の住んでいる県は「周防灘台風」にみまわれました。
    父はまだ2歳になっていなかったそうです。
    曾祖父母と伯母にあたる人が亡くなりました。
    父や祖父母が亡くなっていたら、私は今ここにはいなかったでしょう。
    耳にタコが出来るくらい苦労話を聞かされてるので(笑)

     当時は製塩業で潤っていた地域で、河口付近に家が有ったのに、よく生き残ったと思います。(何故かは聞いていますが、信じて貰えないと思います。)

     こういう時こそ、郷土史など調べてみると良いと思います。
    来た道は行く道を教えてくれる事が有りますしね。
     人間は、本当に小さい存在ですね。

    ユーザーID:8802538108

  • 忘れられない手記

    当時私は幼稚園生で、直接の被害を受けたわけでもありませんが、「伊勢湾台風」という名前はリアルタイムの記憶でかすかに残っています。

    後年、当時を振り返った特集記事の中で、ある被害男性の手記を目にする機会がありました。
    濁流に自宅が流される瞬間を目撃するという悲惨な経験をなさった方です。
    しかも、そのご自宅の窓には逃げ遅れた奥さまの姿があったのです。

    私は必死に呼びかけましたが、妻は決してこちらを見ようとはしませんでした。
    私と目があったら最後、妻を助けるため私が濁流に飛び込むだろう、と妻にはわかっていたのです。

    という趣旨の一節が、今でも忘れられません。
    この上なくつらく悲しい現実の中にゆるぎないご夫婦の愛情があふれていて、強く心に残っています。

    また次の台風が発生しているようです。
    新しい悲劇が起こらないことを祈るばかりです。

    ユーザーID:6898317507

  • すごかったです

    私(61・男)は伊勢湾台風来襲当時、2歳9か月 名古屋市北部在住です。当時の様子は今でも覚えています。

    あの猛烈な台風 まず大きさが今回の24号に比べてさらに巨大 つまり暴風の範囲が広かった。

    あのレベルの台風が同じ進路を通過したら、どんなに報道で注意喚起しても避難で人命は助かっても物的損害は巨大でしょう。当時の我家はテレビ・ラジオもなかった。まだ一般家庭でテレビがある家庭が少なかった。

    現在の伊勢湾周辺地域は当時より整備されていますが、あの台風はものすごく巨大だった。

    「伊勢湾台風」という名前が付いていますが、被害は全国に及んだ。

    私が小学生時代、毎年2回 伊勢湾台風の記録映像 を学校で視聴し、避難訓練は毎月行われた。

    ユーザーID:5874416918

  • 赤い運命!

    私も伊勢湾台風の名を聞くたびに「赤い運命」を思い出します。

    確か、台風によって二人の女の子の身元が入れ替わってしまうんですよね。

    山口百恵さんと、秋野暢子さんでしたよね。


    当時私は小学生、伊勢湾台風は生まれる前の出来事でしたが、毎回ドラマの冒頭で伊勢湾台風の様子が白黒で流されたのでよく覚えています。

    当時は台風が来ると雨戸を板で打ち付けたり、対策が大変でしたね。

    三千人以上の死者を出した伊勢湾台風と同じ規模の台風だと思うと、インフラの整備や防災対策が進んできているんだなと実感します。


    それでも、今年は災害の多い年なので気を緩めずに防災に努めたいと思います。

    ユーザーID:7641455001

  • 母が今でも言ってる

    70代の母が伊勢湾台風経験者で、未だに話をします。

    伊勢湾台風の6年前、13号台風というのがあって、その台風も高潮被害が酷く、家が流されたそうです。
    でも、その台風があったから、堤防が出来て、伊勢湾台風から逃れたそうです。

    母は当時子供で、きれいな松林の砂浜が埋め立てられるのがとても寂しかったそうですが、その堤防のおかげで助かったのです。
    堤防の上に、船が見えたと言ってます。(堤防の高さまで、潮位があがっていた)
    それを見て逃げたのだそうです。


    当時はTVも裕福な家庭にしかなったようで、情報も少なかったのでしょうね。
    今は、台風情報も精度があがって、情報もあちこちから頻繁に入る。
    インフラも当時とは違いますが、情報量も当時とは雲泥の差があるのでしょう。
    少なくとも、人的被害を減らすことには、成功してると思います。

    ユーザーID:1321856668

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  • 母が伊勢湾台風の経験者です

    最近続いてやってきた台風は、いずれも凄い威力でしたね。怖かったです。

    伊勢湾台風といえば、私の母が高校生の頃に被災しました。
    たしか今で言う強さが925ヘクトパスカルの大型台風だったそうで、それは凄かったようです。

    海から数百メートルの場所に住んでいたので、台風が近づくとともに海水が流れ込んできて、あっという間に1階が水没したそうです。そこで2階部分に家族全員上がり、固唾を飲んで水位を見守っていたようです。
    でも、その間も水が自宅周囲を渦巻く様にもの凄い威力で流れていたため、ご近所の家は流されていくし、近くの重油タンクが流され、自宅が重油まみれになって、生きた心地がしなかったと聞きました。

    幸い、母の実家はたまたま流されずに済んだのですが、やはり同級生の中には、自宅を失った子、本人や親が亡くなってしまったなど、とても大変な思いをした人が沢山いたそうです。
    その後も母はその被災した家に住み続けたのですが、後片付けはそれはもう大変だったそうです。様々な出費もかさんだので、その後の母の進路にも影響が出て、希望通りの進学は出来なかったと聞いています。

    今も母が言うのは、高潮は自身が経験した感じでは、津波とたいして変わらないということ。もうこれで死んでしまうのかなという恐怖は今も体が覚えていると言っています。なので、海や河口に近い場所に住んでいる人は高潮を甘く見ないで欲しいと言っていました。

    ここ近年の異常気象を思うと、これからは非常に強い台風というのが頻繁に来るようになるのではと思っています。

    私達に出来る事と言えば、命を守る為に何が出来るのか?だけでしょうか。人間って無力ですね。

    ユーザーID:3894454942

  • お友達のお母さんと同世代です

    私も木曽三川の近くで生まれ育ちました。

    伊勢湾台風の時は生後1歳で伊勢湾台風の記憶は全くありません。

    大人になってから気づいたのが同級生の少なさです。
    小学生の時のクラスは、たった1クラスしかありませんでした。
    他の学年は少なくとも2クラスです。

    自宅は道路より1mの盛り土の上に建っていて
    床下も他所の家より高くなっていました(約60cm)が
    床上70cmほどの水害被害でした。
    近所の他の家は1階天井近くまで水が来たと思います。

    お陰様で私の家族は避難ができて無事でしたが
    母や祖母は当時の悲惨な様子を時々話してくれました。

    だから、私は台風が来る数日前から準備万端整えています。

    ユーザーID:3907131255

  • 一か月水が引かなかったらしい。

    港区と熱田区の境でも、1か月水が引かなかった、と聞いた。

    ここまで水が来た、ラインが各所に引いてあるのは記憶がある。
    東南海地震と合わせて、記憶に残る自然災害ですね。

    ユーザーID:8958963326

  • 風化しない

    私が生まれる数年前のものすごい台風、という認識
    地元では「東京五輪」「伊勢湾台風」の時
    生まれていたかどうかが何というか年代の線引きの
    ようなものがあります
    井上靖氏の小説にも主人公が伊勢湾台風に遭遇した場面があり
    いかにすごかったか伝わってきました
    あんなのが来たら家なんて壊れるだろし
    どうしようもないだろうな、と思ってしまいます

    ユーザーID:7977059501

  • 80歳の母が経験してます

    当時、同志社女子大の学生だった母は京都の下宿先で遭遇し、それ以来 台風恐怖症になったそうです。私が子供の頃から台風の度に当時の怖さを話しますね。
    川の氾濫を生で見たらそうなるかも、と近年感じます。(昔は今一つピンとこなかったのですが・・・・)

    ユーザーID:1160522509

  • 両親とも経験してます

    たま〜に、あのときは大変だったって聞いてました。
    母の実家は三重県の揖斐川沿い。母自体は結婚して別の所に住んでいましたが、商売をやっていた実家が、二階の屋根まで水につかったって言ってます。あと、輪中は全部家が流されて、今のナガシマスパーランドになっちゃった、とも。

    父も取引先とかが被害にあってしばらくは仕事にならなかった、あっちこっちにお見舞いに行ったとのこと。

    もうお亡くなりになったけど、名古屋市の南部にお住まいだったきんさんぎんさんも伊勢湾台風の後の家は1メートルくらいかさ上げして建てたっておっしゃっていましたね。

    今回の24号、高台ですが海が見える我が家も翌朝窓やベランダの手すりに塩がついてキラキラしてました。グリーンカーテンのゴーヤの葉がしおれてきています。塩害ですね。

    ユーザーID:2845476025

  • 成果

    >60年近く経っても、人間は自然の力には勝てないんだなと思いました。
    今回は、そのような被害は出てないでしょ。

    人類の英知の、苦労の成果だよね。

    ユーザーID:4300844853

  • 姉の修学旅行

    兵庫県在住です。
    その昔、小学校の修学旅行は秋のお伊勢参りと決まっていました。

    ところが、今年69才になる姉の小学6年の修学旅行。
    伊勢湾台風で地元が立ち直っていないという事で、修学旅行は中学に入ってからの春に行われました。

    その後私の地元の修学旅行は6年生になってすぐの春になりました。
    クラス替えして間もないあまり馴染みの学友との旅行に違和感を覚えたものです。

    伊勢湾台風は修学旅行の歴史も変えてしまいました。

    ユーザーID:9746307639

  • 学生時代に聞いた話

    愛知出身で、地元の大学に通っていました。

    その大学は、大学祭が6月にあるのですが、
    「なんで秋じゃなくて6月なんですか、雨がよく降るのに」と聞いたら、
    先輩が訳知り顔に「その昔伊勢湾台風と大学祭がかぶって大変なことになったからだよ」と。
    なんでも、食堂の屋根が飛んだということです。

    上の話は全部本当かは分かりませんが、
    当時十代だった私の母、また名古屋にいたときに通っていた美容院の店長さん(母と同年代)は、
    二人とも「人生で一番怖かった経験」と言っています。

    ユーザーID:3553943202

  • 今回の台風とは少し違います

    私の両親が結婚一年目で床上浸水(一階の天井近くまできたそうです)を経験しました。名古屋港から4キロほど入った地帯です。満潮と重なったのは今回の台風と同じですが、伊勢湾台風の時は同じ紀伊半島でも三重県側に近いところに上陸したので名古屋付近へ影響はすざまじかったものと思われます。それと両親がよく言っていたのは、台風の前一週間ほどから雨が降りづづいていたそうで被害が大きかったのはその影響もあったのではないかと思います。

    その後の堤防対策や家屋の構造の変化等により現在は防災力は高まっているのは事実だと思いますが、人的被害が小さくなってきたのは、より正確な情報が十分に伝達されるようになり人々がより正しい知識を身につけるようになったことがが大きいのではと思います。その当時の人々はどういうコースでどのくらいの威力のものなのか正確には事前にイメージできていなかったでしょう。昭和34年ではテレビの普及率はまだ30%もなかったですし。

    今回の台風が伊勢湾の時と全く同じコースを通っていたならば、浸水被害等の物的損害ははやはりかなり出ただろうと思います。

    ユーザーID:9348780363

  • 社会事情も違う

    伊勢湾台風直撃された地域に住んでます。

    当時私は母のお腹の中だったので当然覚えてませんが、母や祖母から話を聞く機会はあったし、母の実家の柱には浸水線が残ってました。
    人の頭を越える高さでした。

    母や祖母に聞くと、昔の台風の被害は今より凄まじかったがそれは台風の規模のせいばかりではなく社会事情も違ったからだと。

    昭和30年代の初めは、まだ戦後建てられた脆い作りの家が多かった。
    今のように基礎工事もしなかったから浸水に弱かったし、石でトタン屋根を抑えた家もあったし、窓ガラスの強度も違った。
    平屋建ての家も多かった、と。

    もちろん堤防や防波堤の強度も違うし、治水が十分ではなかったのです。

    ユーザーID:6081196149

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