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「マティスの描いたようなケシの花」という表現

ダイヤモンドダスト
2018年12月16日 19:33

20年ほど前にトルコのトプカプ宮殿を訪れた折に、宮殿のお庭にケシの花が咲いているのを目にしました。

その時、同じツアーに参加した年配の女性が「こんな言い方はあまり好きではないのだけれど、あのケシの花はマティスの描いたケシに似ています」とおっしゃいました。

どうして彼女は「お庭のケシの花がマティスの描いたの花に似ていることを「この言い方は好きではない」と言ったのでしょうか。

私は短歌をやりますが、たとえばわが家のリビングに入ってくる光を「フェルメールの描いたような光」と歌に詠むことは、あまりいい表現ではないのでしょうか。

上記のご婦人によると、この「フェルメールの描いた光のような‥」という表現は好ましくないということになりますよね。

皆さまのご意見を聞かせてください。

ユーザーID:7885002864  


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タイトル 投稿者 更新時間
いくつかの可能性がある
まよいねこ
2018年12月16日 22:10

ひとつは、絵画は人間が今あるものを写し取ったものであり、基本的には自然が生んだもの(庭が自然の生んだものと言えるかどうかはとりあえずおいておいて)に劣るという考え方を出発点にする場合です。この場合、マティスの絵を評価しているのだが、庭の美しさの比喩として絵画を持ち出すのは適切ではないということになります。私としてはこちらがメインシナリオですね。
もうひとつは、この方が庭のことを評価しておらず、かつマティスの画風を好ましくないと思っている場合です。せっかくの旅行でありみんなが楽しんでいるのに、余計なことを言うようだけれど・・・というようなことを思っておられるわけですね。
その女性は、そのお庭を気に入っておられたのでしょうか、それとも大したことがないと思われていた可能性はないでしょうか。

ユーザーID:3967008385
レスします
alien
2018年12月16日 22:16

>「こんな言い方はあまり好きではないのだけれど、あのケシの花はマティスの描いたケシに似ています」とおっしゃいました。

「マティスの描いたケシ」を知っているという自慢ですね。「こんな言い方はあまり好きではないのだけれど」は「自慢じゃないが」と言い換えることができます。

>わが家のリビングに入ってくる光を「フェルメールの描いたような光」と歌に詠む

リビングに入ってくる光を言葉で表現できないので、フェルメールの絵を借り物として使っているに過ぎません。言葉での表現を放棄した表現と言えるのではないでしょうか?

ユーザーID:2838341745
私が思ったのは
chika
2018年12月16日 22:21

有名画家のある画の中の花を引き合いに出しても、そこにいる何人の方が想像できましたか?

そのご婦人には、ありありと頭に描ける「マテイスのケシの花」かもしれませんが。

>こんな言い方はあまり好きではないのだけれど

とは「こんな独特な言い方は(この場では)あまりよくないだろうけれど」という意味だと思いますよ。

例えば対象物が「ゴッホの描いたひまわりの花に似ている」だったら「こんな言い方は、、」のセリフはなかったでしょう。何故ならゴッホのひまわりは有名で、一般的に頭に思い浮かべることができるからです。

ユーザーID:9194135311
好きか嫌いかだから如何様にも
ゾロリ
2018年12月16日 22:23

「良い言い方じゃない」
じゃなくて、
「好きな言い方じゃない」
つったんでしょ?
そんなもん、マチス自体好きな人と嫌いな人がいるんだから、個人の嗜好の範疇でしょ。
いい悪いを言ってんじゃないから気にすることないじゃんぷー。

ユーザーID:2633394433
海外に行って
かな
2018年12月16日 23:42

「この空の色は○○の絵の空と一緒だな」とか思うことってよくあるので、自分で思うこと自体はおかしいと思わないけど、絵を見てない人には分からないことですから、ご存知みたいな感じで人に言うのはちょっとはばかられるのかなと思いました。

ユーザーID:3386161957
『本物』と絵の関係
しまねこ
2018年12月17日 5:39

花は、本物で、マティスの絵は、花を見て絵の具で描いた人工物ですよね。
人工物の方が本物のようで、まるで本物の花の方が、それを後から真似たような
言い方になっているからかなと思いました。

本当は、花は、何百年か何千年か前から存在してて、
マティスが絵に描こうが描くまいが、花には何も関係ないのですから。

実物と絵の存在の捉え方が逆になってしまっている、と言ったらいいのでしょうか。
だから、こういう言い方は好きじゃないとおっしゃったのでしょう。

短歌で「フェルメールのような光」と読むことは、違う話ではないでしょうか。
短歌は言葉だけですから。状況を誰かの絵で説明しただけと受け取れます。
「ねこのひげのような植物」などというのと同じで、表現としては別に問題ないと思います。

ただ、フェルメールを出すことで、絵に詳しくない人には、
意味がわからないとか、ペダンチック(衒学的)だと思われる可能性はなくはないです。
これは前述の、マティスに関する発言にも当てはまります。
私は上記のように解釈しましたが。

ユーザーID:7607309119
意味が分からないから
アート好き
2018年12月17日 8:57

「マティスの描いたようなケシの花」ってマチスは想像できるけれど彼が描いたようなけしの花って想像できないです。多分想像できたとしても、現実の花の方がもっともっと綺麗で感情豊かであるので、その人はこの花を見てまるでマチスが描いた薄っぺらなけしの花のようだとこの現実のけしの花を貶してるように見受けられます。

「フェルメールの描いた光のような‥」という表現もとっても曖昧です。たぶん横の窓から入ってきた太陽の直射日光?又は柔らかい非直射日光?それのどのような影響の映像? それに、フェルメールの絵画がピンと来ない人にはまるで意味が分かりません。この世界はマチスもフェルメールも知らなくても絵画や短歌は作れるのです。

そういう表現は文学などに良くありますね。でも、そんな文化の知識がある人にとっても何故それが自分の心に響いたのか詳しく説明しないと誤解を招くことにもなりかねません。

このお友達のご婦人の態度は知ったかぶりを懸念されたくないという気持ちからきてると思いますが、私だったらその時「どんな意味ですか?もっと詳しく教えてください」と突っ込みます。

意味が分からなかったらはっきり質問するという態度は非常に大切です。無知を恥じなく質問することは「勉強101」のコースの始めの大切なルールです。

ユーザーID:3844048694
もっと新鮮な表現をしたいという気持ち
ダーティマリー
2018年12月17日 9:16

美しさを称えるのに「絵のような」は使い古された表現ですよね。
ちょっと言葉を足して「〇〇の絵のような」でも、そのご婦人にとってはひねりが足りないと感じられるのでしょう。

「教養ある人なら、もっと含蓄のある表現を思いつくはず。感性の豊かな人なら、斬新な表現をするはず。こんな陳腐な表現しか思いつかない自分が悔しい」
といったところでしょうか。

ユーザーID:0307765046
ドギツイ色の花だと言いたいのかな
都市伝説
2018年12月17日 9:22

>あのケシの花はマティスの描いたケシに似ています

似てるも何も、けしの花がモデルなのだから、似てて当然というか、ケシの花がケシの花に見えない画家って何だ、とか思いますけど、マティスって、とにかくビビッドで輪郭もはっきりしているのが特徴ですよね。
鮮やかで原始的、力強いと言えますが、それをドギツイ、毒々しいと感じる人も中にはいます。(実は私もあまり好きではありません)

トピのご婦人はそのケシの花を毒々しいと感じられたのかもしれません。

マティスをあまりお好きじゃないから、「こんないい方(貶すような言い方)は好きじゃない」と仰ったのでは。


ところで、

>たとえばわが家のリビングに入ってくる光を「フェルメールの描いたような光」と歌に詠むことは、あまりいい表現ではないのでしょうか。

短歌を嗜んではいませんが、あまりいい表現とは思えません。
というのも、短歌も絵画もどちらも「独自の表現を模索する」ものだと思うからです。

リビングの光を見て「フェルメールみたいね」と雑談するのは構いませんが、短歌で「フェルメールの光」と言ってしまうのは、他人の表現を借りてきただけで作者自身がその光を表現することを怠っているように感じます。

勿論、短歌には本歌取りという技法(遊び?)もありますが、それだって「自分なら本歌(の状況)をこう表現する」という自負がなければただのパロディです。

ユーザーID:4520510644
作り物の方が「正しい」表現法になる文法だから。携帯からの書き込み
阿頼耶識
2018年12月17日 9:43

 マティスの描いた絵を見て「本物の花みたい」なら、文法的におかしく無いのです。
 その方は、文法的に正しいか正しく無いか、そういうのを気にする人なんでしょう。

 真似て描いた(書いた)物に本物を例えるのは、失礼でも有りますし。
この場合は、気にしすぎな気もしますが。

 まあ、でも有りますよね。
「絵に描いたような青空」とか。
その方が、感動するくらいキレイな花だったけど、その表現しか出来なかったのでしょう。
自分の語彙の少なさに軽蔑されないように、予防線を張った可能性も有ります。

 基本、「どっちが先に有ったか」を気にする人だと思います。

 トピ主さんも、似顔絵描いてもらって「絵にそっくり」って言われたら、ビックリするでしょ?そっくりなのは「絵」の方なんですから。

ユーザーID:6433391696
共通認識に対する意識
雪模様
2018年12月17日 9:51

私は絵が好きなのでマティスもフェルメールもイメージが湧きますが、そうではない方も一定数(というよりかなりの割合)でおられると思います。
色、音、風景等にも同じようなことが言えますね。

例えば色の和名で「鴇色」或いは「路考茶」のような色と言われてピンとくる人、想像もできない人、双方いて当たり前です。
ツアーでご一緒だったご婦人は、マティスの名前を出すといかにも気取った教養人のように思われるのが恐らくおいやだったのでしょう。

今どきフェルメールなんて常識だと思っておられるのならそれは違うでしょう。でもその雰囲気をわかってくれる人に対して使うのは全く問題ないと思います。ただ、全ての人にわかってもらおう、わからない人を軽んじるというのでしたらそれには賛成しかねます。

ユーザーID:8321819964
三十代既婚男性です
するたな
2018年12月17日 10:26

私ならですが、見た風景を何かに例える際に

「誰々の描いた何々のようだ」

という表現で例えるのは最終手段にします。
なぜならこの例えだとその画家やその絵を知らない人には伝わりませんよね。
ですので、誰が聞いてもわかるような表現と例えで感想を述べることに注力します。
それが出来ないことは私にとっては敗北(大げさですが)と同じなので

「(自分の表現能力のなさを露呈するようで)こんな言い方はあまり好きではない〜」

と言うかもしれません。

ユーザーID:8078003127
相手のことを考えた
甘草
2018年12月17日 11:19

話を聞いた人が「マティスの描いたケシ」を
想像できないと伝えられないから。
「マティスの描いたケシ」という表現が
詩的でちょっと恥ずかしいから。
ではないかと思います。

例えば映画に出てきた脇役を表現するときに
「北斗の拳のザコキャラのような」
と言われたら想像できますか?
いきなりアニメの登場人物ってオタクかしらこの人?
なんて思ったりしませんか?
そうしたことを懸念して
「こんな言い方はあまり好きではない」と言ったのではないでしょうか。

短歌の表現はよくわかりませんが
フェルメールの光を理解できない人には
理解されなくていいと思っている歌なんだなと
思ってしまうかもしれません。

ユーザーID:1181249691
おばさんっぽい
たぬきうどん
2018年12月17日 11:26

20年前、20代だった者です。
それより更に若い時から、思っていました。
この手の言い回し大好きな中高年女性って、確実にいるなぁ、と。

・「レンガ」でなく「煉瓦」
・腕は「うで」より「かいな」
・西洋絵画に絡めた例え好き
・「ミモザの頃」「聖なる夜」など、昭和文学少女っぽい季節表現

その方は
「おばさんっぽい表現だと百も承知だけど、これ以外の表現が見つからない」
と言うニュアンスだったのでは。

ユーザーID:3822640655
人の感性を限定するから
なみ
2018年12月17日 11:31

自然物は自然物であって素晴らしいのだから、人工物に例えるのは良くないが、という事です。
ただし、マティスは自然物に敬意を表して対象を自分なりに表現しているから、それに近く自分には見える、という感想ではないか。

それより、トピ主は、今まで人と感想を言い合った事がなかったのか?
感想を、例えで語るのは、どちらにも注意が必要、というのは、会話の根本的なセオリーですが。

ユーザーID:9460537673
単純に
らら0号
2018年12月17日 11:46

マティスと言えばフォービスム、野獣派って荒々しい言葉が好きではないのでは。
そうでなければフォービスムそのものの塗り方とかが好きでないとか。

私はマティスもフォービズムも好きですけど。

ユーザーID:4014194965
マティスとフェルメールじゃ全然違う…
アラフォーですよ。
2018年12月17日 13:09

どういう意図でフェルメールを例えに出されたのかわかりませんが
マティスとフェルメールじゃ作風が全然ちがうじゃん。
トピ主さんがご自宅の彩光がフェルメールのよう、と感じられたなら
それでいいのかもしれませんが
おそらくそのご婦人は「マティスのケシ」があまり好きじゃないんじゃないかな。
もしくは「芸術的素養をひけらかすようで恥ずかしい」とかなのかも。

ちなみに私は明るくてやさしい印象派とかアールヌーボーとかが好きなので
「ルノワールのような午後」や「ミュッシャみたいな美女」は褒め言葉です。

ユーザーID:4608632335
端的だからじゃないですか携帯からの書き込み
プチこまち
2018年12月17日 13:27

個人的には〜のような、という表現が特別悪いとは思いませんが、ご婦人の仰ることもわかるような気がします。

誰々のような、という表現は、聞き手の前提知識と感受性、その誰々の芸術性や社会的な評価に頼るものですよね。

だから、書き手の表現としてはあまり工夫がない。もっと言えば端的で、独自性がないかと。

ご婦人が言いたかったのがそういうことじゃなかったらすみません。

ユーザーID:4458342546
芸術家への敬意。
ソースカツ丼
2018年12月17日 13:53

良く分かるけど、
わかりやすいけど、
あんまり大きな声では言えんわな。

ユーザーID:0835796727
安っぽく感じたのかな携帯からの書き込み
おいも
2018年12月17日 21:09

何かを表現するのに、自分なりの言葉ではなく他人の作品を引き合いに出したので、どこか安っぽい表現に思ってそのようにおっしゃったのではないでしょうか。

ユーザーID:8545198374
 
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