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「マティスの描いたようなケシの花」という表現

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趣味・教育・教養

ダイヤモンドダスト

20年ほど前にトルコのトプカプ宮殿を訪れた折に、宮殿のお庭にケシの花が咲いているのを目にしました。

その時、同じツアーに参加した年配の女性が「こんな言い方はあまり好きではないのだけれど、あのケシの花はマティスの描いたケシに似ています」とおっしゃいました。

どうして彼女は「お庭のケシの花がマティスの描いたの花に似ていることを「この言い方は好きではない」と言ったのでしょうか。

私は短歌をやりますが、たとえばわが家のリビングに入ってくる光を「フェルメールの描いたような光」と歌に詠むことは、あまりいい表現ではないのでしょうか。

上記のご婦人によると、この「フェルメールの描いた光のような‥」という表現は好ましくないということになりますよね。

皆さまのご意見を聞かせてください。

ユーザーID:7885002864

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  • いくつかの可能性がある

    ひとつは、絵画は人間が今あるものを写し取ったものであり、基本的には自然が生んだもの(庭が自然の生んだものと言えるかどうかはとりあえずおいておいて)に劣るという考え方を出発点にする場合です。この場合、マティスの絵を評価しているのだが、庭の美しさの比喩として絵画を持ち出すのは適切ではないということになります。私としてはこちらがメインシナリオですね。
    もうひとつは、この方が庭のことを評価しておらず、かつマティスの画風を好ましくないと思っている場合です。せっかくの旅行でありみんなが楽しんでいるのに、余計なことを言うようだけれど・・・というようなことを思っておられるわけですね。
    その女性は、そのお庭を気に入っておられたのでしょうか、それとも大したことがないと思われていた可能性はないでしょうか。

    ユーザーID:3967008385

  • レスします

    >「こんな言い方はあまり好きではないのだけれど、あのケシの花はマティスの描いたケシに似ています」とおっしゃいました。

    「マティスの描いたケシ」を知っているという自慢ですね。「こんな言い方はあまり好きではないのだけれど」は「自慢じゃないが」と言い換えることができます。

    >わが家のリビングに入ってくる光を「フェルメールの描いたような光」と歌に詠む

    リビングに入ってくる光を言葉で表現できないので、フェルメールの絵を借り物として使っているに過ぎません。言葉での表現を放棄した表現と言えるのではないでしょうか?

    ユーザーID:2838341745

  • 私が思ったのは

    有名画家のある画の中の花を引き合いに出しても、そこにいる何人の方が想像できましたか?

    そのご婦人には、ありありと頭に描ける「マテイスのケシの花」かもしれませんが。

    >こんな言い方はあまり好きではないのだけれど

    とは「こんな独特な言い方は(この場では)あまりよくないだろうけれど」という意味だと思いますよ。

    例えば対象物が「ゴッホの描いたひまわりの花に似ている」だったら「こんな言い方は、、」のセリフはなかったでしょう。何故ならゴッホのひまわりは有名で、一般的に頭に思い浮かべることができるからです。

    ユーザーID:9194135311

  • 好きか嫌いかだから如何様にも

    「良い言い方じゃない」
    じゃなくて、
    「好きな言い方じゃない」
    つったんでしょ?
    そんなもん、マチス自体好きな人と嫌いな人がいるんだから、個人の嗜好の範疇でしょ。
    いい悪いを言ってんじゃないから気にすることないじゃんぷー。

    ユーザーID:2633394433

  • 海外に行って

    「この空の色は○○の絵の空と一緒だな」とか思うことってよくあるので、自分で思うこと自体はおかしいと思わないけど、絵を見てない人には分からないことですから、ご存知みたいな感じで人に言うのはちょっとはばかられるのかなと思いました。

    ユーザーID:3386161957

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  • 『本物』と絵の関係

    花は、本物で、マティスの絵は、花を見て絵の具で描いた人工物ですよね。
    人工物の方が本物のようで、まるで本物の花の方が、それを後から真似たような
    言い方になっているからかなと思いました。

    本当は、花は、何百年か何千年か前から存在してて、
    マティスが絵に描こうが描くまいが、花には何も関係ないのですから。

    実物と絵の存在の捉え方が逆になってしまっている、と言ったらいいのでしょうか。
    だから、こういう言い方は好きじゃないとおっしゃったのでしょう。

    短歌で「フェルメールのような光」と読むことは、違う話ではないでしょうか。
    短歌は言葉だけですから。状況を誰かの絵で説明しただけと受け取れます。
    「ねこのひげのような植物」などというのと同じで、表現としては別に問題ないと思います。

    ただ、フェルメールを出すことで、絵に詳しくない人には、
    意味がわからないとか、ペダンチック(衒学的)だと思われる可能性はなくはないです。
    これは前述の、マティスに関する発言にも当てはまります。
    私は上記のように解釈しましたが。

    ユーザーID:7607309119

  • 意味が分からないから

    「マティスの描いたようなケシの花」ってマチスは想像できるけれど彼が描いたようなけしの花って想像できないです。多分想像できたとしても、現実の花の方がもっともっと綺麗で感情豊かであるので、その人はこの花を見てまるでマチスが描いた薄っぺらなけしの花のようだとこの現実のけしの花を貶してるように見受けられます。

    「フェルメールの描いた光のような‥」という表現もとっても曖昧です。たぶん横の窓から入ってきた太陽の直射日光?又は柔らかい非直射日光?それのどのような影響の映像? それに、フェルメールの絵画がピンと来ない人にはまるで意味が分かりません。この世界はマチスもフェルメールも知らなくても絵画や短歌は作れるのです。

    そういう表現は文学などに良くありますね。でも、そんな文化の知識がある人にとっても何故それが自分の心に響いたのか詳しく説明しないと誤解を招くことにもなりかねません。

    このお友達のご婦人の態度は知ったかぶりを懸念されたくないという気持ちからきてると思いますが、私だったらその時「どんな意味ですか?もっと詳しく教えてください」と突っ込みます。

    意味が分からなかったらはっきり質問するという態度は非常に大切です。無知を恥じなく質問することは「勉強101」のコースの始めの大切なルールです。

    ユーザーID:3844048694

  • もっと新鮮な表現をしたいという気持ち

    美しさを称えるのに「絵のような」は使い古された表現ですよね。
    ちょっと言葉を足して「〇〇の絵のような」でも、そのご婦人にとってはひねりが足りないと感じられるのでしょう。

    「教養ある人なら、もっと含蓄のある表現を思いつくはず。感性の豊かな人なら、斬新な表現をするはず。こんな陳腐な表現しか思いつかない自分が悔しい」
    といったところでしょうか。

    ユーザーID:0307765046

  • ドギツイ色の花だと言いたいのかな

    >あのケシの花はマティスの描いたケシに似ています

    似てるも何も、けしの花がモデルなのだから、似てて当然というか、ケシの花がケシの花に見えない画家って何だ、とか思いますけど、マティスって、とにかくビビッドで輪郭もはっきりしているのが特徴ですよね。
    鮮やかで原始的、力強いと言えますが、それをドギツイ、毒々しいと感じる人も中にはいます。(実は私もあまり好きではありません)

    トピのご婦人はそのケシの花を毒々しいと感じられたのかもしれません。

    マティスをあまりお好きじゃないから、「こんないい方(貶すような言い方)は好きじゃない」と仰ったのでは。


    ところで、

    >たとえばわが家のリビングに入ってくる光を「フェルメールの描いたような光」と歌に詠むことは、あまりいい表現ではないのでしょうか。

    短歌を嗜んではいませんが、あまりいい表現とは思えません。
    というのも、短歌も絵画もどちらも「独自の表現を模索する」ものだと思うからです。

    リビングの光を見て「フェルメールみたいね」と雑談するのは構いませんが、短歌で「フェルメールの光」と言ってしまうのは、他人の表現を借りてきただけで作者自身がその光を表現することを怠っているように感じます。

    勿論、短歌には本歌取りという技法(遊び?)もありますが、それだって「自分なら本歌(の状況)をこう表現する」という自負がなければただのパロディです。

    ユーザーID:4520510644

  • 作り物の方が「正しい」表現法になる文法だから。

     マティスの描いた絵を見て「本物の花みたい」なら、文法的におかしく無いのです。
     その方は、文法的に正しいか正しく無いか、そういうのを気にする人なんでしょう。

     真似て描いた(書いた)物に本物を例えるのは、失礼でも有りますし。
    この場合は、気にしすぎな気もしますが。

     まあ、でも有りますよね。
    「絵に描いたような青空」とか。
    その方が、感動するくらいキレイな花だったけど、その表現しか出来なかったのでしょう。
    自分の語彙の少なさに軽蔑されないように、予防線を張った可能性も有ります。

     基本、「どっちが先に有ったか」を気にする人だと思います。

     トピ主さんも、似顔絵描いてもらって「絵にそっくり」って言われたら、ビックリするでしょ?そっくりなのは「絵」の方なんですから。

    ユーザーID:6433391696

  • 共通認識に対する意識

    私は絵が好きなのでマティスもフェルメールもイメージが湧きますが、そうではない方も一定数(というよりかなりの割合)でおられると思います。
    色、音、風景等にも同じようなことが言えますね。

    例えば色の和名で「鴇色」或いは「路考茶」のような色と言われてピンとくる人、想像もできない人、双方いて当たり前です。
    ツアーでご一緒だったご婦人は、マティスの名前を出すといかにも気取った教養人のように思われるのが恐らくおいやだったのでしょう。

    今どきフェルメールなんて常識だと思っておられるのならそれは違うでしょう。でもその雰囲気をわかってくれる人に対して使うのは全く問題ないと思います。ただ、全ての人にわかってもらおう、わからない人を軽んじるというのでしたらそれには賛成しかねます。

    ユーザーID:8321819964

  • 三十代既婚男性です

    私ならですが、見た風景を何かに例える際に

    「誰々の描いた何々のようだ」

    という表現で例えるのは最終手段にします。
    なぜならこの例えだとその画家やその絵を知らない人には伝わりませんよね。
    ですので、誰が聞いてもわかるような表現と例えで感想を述べることに注力します。
    それが出来ないことは私にとっては敗北(大げさですが)と同じなので

    「(自分の表現能力のなさを露呈するようで)こんな言い方はあまり好きではない〜」

    と言うかもしれません。

    ユーザーID:8078003127

  • 相手のことを考えた

    話を聞いた人が「マティスの描いたケシ」を
    想像できないと伝えられないから。
    「マティスの描いたケシ」という表現が
    詩的でちょっと恥ずかしいから。
    ではないかと思います。

    例えば映画に出てきた脇役を表現するときに
    「北斗の拳のザコキャラのような」
    と言われたら想像できますか?
    いきなりアニメの登場人物ってオタクかしらこの人?
    なんて思ったりしませんか?
    そうしたことを懸念して
    「こんな言い方はあまり好きではない」と言ったのではないでしょうか。

    短歌の表現はよくわかりませんが
    フェルメールの光を理解できない人には
    理解されなくていいと思っている歌なんだなと
    思ってしまうかもしれません。

    ユーザーID:1181249691

  • おばさんっぽい

    20年前、20代だった者です。
    それより更に若い時から、思っていました。
    この手の言い回し大好きな中高年女性って、確実にいるなぁ、と。

    ・「レンガ」でなく「煉瓦」
    ・腕は「うで」より「かいな」
    ・西洋絵画に絡めた例え好き
    ・「ミモザの頃」「聖なる夜」など、昭和文学少女っぽい季節表現

    その方は
    「おばさんっぽい表現だと百も承知だけど、これ以外の表現が見つからない」
    と言うニュアンスだったのでは。

    ユーザーID:3822640655

  • 人の感性を限定するから

    自然物は自然物であって素晴らしいのだから、人工物に例えるのは良くないが、という事です。
    ただし、マティスは自然物に敬意を表して対象を自分なりに表現しているから、それに近く自分には見える、という感想ではないか。

    それより、トピ主は、今まで人と感想を言い合った事がなかったのか?
    感想を、例えで語るのは、どちらにも注意が必要、というのは、会話の根本的なセオリーですが。

    ユーザーID:9460537673

  • 単純に

    マティスと言えばフォービスム、野獣派って荒々しい言葉が好きではないのでは。
    そうでなければフォービスムそのものの塗り方とかが好きでないとか。

    私はマティスもフォービズムも好きですけど。

    ユーザーID:4014194965

  • マティスとフェルメールじゃ全然違う…

    どういう意図でフェルメールを例えに出されたのかわかりませんが
    マティスとフェルメールじゃ作風が全然ちがうじゃん。
    トピ主さんがご自宅の彩光がフェルメールのよう、と感じられたなら
    それでいいのかもしれませんが
    おそらくそのご婦人は「マティスのケシ」があまり好きじゃないんじゃないかな。
    もしくは「芸術的素養をひけらかすようで恥ずかしい」とかなのかも。

    ちなみに私は明るくてやさしい印象派とかアールヌーボーとかが好きなので
    「ルノワールのような午後」や「ミュッシャみたいな美女」は褒め言葉です。

    ユーザーID:4608632335

  • 端的だからじゃないですか

    個人的には〜のような、という表現が特別悪いとは思いませんが、ご婦人の仰ることもわかるような気がします。

    誰々のような、という表現は、聞き手の前提知識と感受性、その誰々の芸術性や社会的な評価に頼るものですよね。

    だから、書き手の表現としてはあまり工夫がない。もっと言えば端的で、独自性がないかと。

    ご婦人が言いたかったのがそういうことじゃなかったらすみません。

    ユーザーID:4458342546

  • 芸術家への敬意。

    良く分かるけど、
    わかりやすいけど、
    あんまり大きな声では言えんわな。

    ユーザーID:0835796727

  • 安っぽく感じたのかな

    何かを表現するのに、自分なりの言葉ではなく他人の作品を引き合いに出したので、どこか安っぽい表現に思ってそのようにおっしゃったのではないでしょうか。

    ユーザーID:8545198374

  • 庭のケシのほうが本物だから

    極端な例を挙げれば景勝地を訪ねて「すばらしい、写真でみたのと同じだ」というようなものではないでしょうか。
    言いたくなる気持ちはわかりますが、苦笑いする人もいるかもしれません。
    短歌は実物を前にしているわけではなく言葉から情景を思い浮かべてもらうわけですから、
    上記のような理由からだと(他の理由ではわかりませんが)好ましくないことはないと思います。

    ユーザーID:0405298083

  • マティース

    >「こんな言い方はあまり好きではないのだけれど、あのケシの花はマティスの描いたケシに似ています」とおっしゃいました。

    Henri Matisseのケシの花を知っている自慢だったら、名前もマティースと伸ばしてくれたらよかったのに(笑)。

    ユーザーID:2838341745

  • アンリ・マティス「ケシの花」を知ってる自慢

    「あのケシの花はマティスの描いたケシに似ています」というのは、
    アンリ・マティス「ケシの花」の絵を知っているということ。
    世の中には知らない人のほうが多いわけで、
    「(あまり一般的ではない)〇〇の絵に似ています」という言い方は
    「私には画の知識がありますのよ、オホホホホ」という自慢に聞こえてしまうかもしれない表現。
    そういう表現を「イヤミな知識自慢」と感じるであろう世間に対して、
    「(世間様はイヤミな知識自慢と言うだろうし、私も)こんな言い方は
    あまり好きではないのだけれど、」と言い訳をしたのかも?

    フェルメールの絵は有名で、光の感じも印象にある人が多いので、
    「フェルメールの描いたような光」という表現だと
    イヤミな知識自慢という印象は、マティスのケシの花よりかは少しだけ薄いと思います。

    ユーザーID:8294465221

  • [たぬきうどん]さんに同意です

    「例えるなら・・」の表現がいかにも「自分の世界観を表す」な感じで、
    その女性は、
    ご自分ながら嫌だったのでしょう。

    でもその表現を使いたいという、
    ベットリとした「言わずにはいられない」気持ちが、
    やっぱりいかにもな中高年。
    言わずにはいられないのよ、ダサいと思われると知っていても。

    ホント、
    聖なる夜とか、ミモザの頃、腹心の友、若かりし頃、望郷、愛おしいものたち、
    そういう表現は、気持ち悪くて好きじゃない。

    ユーザーID:7911439661

  • 相手の想像力を狭めるから

    「マティスの描いたケシ」と言うことによって、皆マティスの絵の花を連想してしまい、他の見方(想像)が出来なくなってしまうから。

    ほかの上手い表現方法、例えが出来なくて「マティスのような」と言ったけれど、本物はそれとは違う。でもうまく言葉で表せないもどかしさからその言葉に至った。
    と、私は受け取りました。

    でも全く想像もしないようなレスをされている方もいて、そのことにビックリしました。
    画家を例えに出すと「自慢」「教養のひけらかし」と受け取る人もいるのですね。

    ユーザーID:4551445988

  • 主観と客観

    なぜ、そのご婦人がそのような言い方をしたのかは分かりませんが、「こんな言い方は良くないのでしょうけれど、」と言ったのではなく「自分は好きでないけれど」と言ったのですよね。

    それなら、そのご婦人の好みの問題であって、「(客観的事実として、そのような表現は、)あまりいい表現ではない」ということではないと思いますけれど。

    ユーザーID:1141181499

  • わからないけど

    実際はトルコの宮殿のお庭に咲いているお花で、光も空気感も違うはずなのに、つまり「マティスのケシ」ではないのにそう表現してしまうことが、なんとなく安直でベタな感じがしたのかなと思いました。マティスの絵ってとても特徴的ですから、そのまま引用するのはなんとなく工夫がない…ような感じというか。本当のところはもちろんその方に聞かなければ分かりませんけど。

    「フェルメールの光」もそのまま使ったらやっぱりベタかなあ。「フェルメール」を使わないでフェルメールをイメージさせられると「やるな」って感じると思います。
    生意気言ってすみません。

    ユーザーID:8324971861

  • トピ主です。

    レスをくださった皆さま、たいへん遅いご返事をお許しください。

    皆さまのレスを読んで、自分がいかに「ものを知らないか」ということを思っていました。

    ほんとうにたくさんの方から、多様性のある回答をいただき、勉強になりました。

    アートによって自分を表現するのに、いくつかの方法があります。音楽によって、ダンスによって、ポエム(詩)によって、絵画によって・・。

    私は絵を鑑賞するのは好きですが、絵を描くことはできません。私にとって短歌は自己表現のひとつの形なのです。

    小春日の師走の午後にリビングに入ってくる光を「フェルメールの描いたような光だ」と感じて歌ってみたくなりました。静けさに満ちてすべてを包み込む慈しみ深い光・・。

    その時、遠い昔に旅したトルコでのケシの花のシーンを思い起こしました。

    トピを挙げてから、ずっと考えていました。フェルメールの光の例えは短歌に詠まないことにしました。


    皆さまの新しいお年のご多幸を祈りつつ・・。

    ユーザーID:7885002864

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