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頭の上にもう一人の自分がいる?客観的とは? 携帯からの書き込み

はてなこ
2019年1月11日 15:57

先日ふと友人との会話で気になったことがあり、みなさんの場合はどうか聞いてみたいことがあります。

みなさんは何か行動をするとき、というか寝てるとき以外つねに、もう一人の自分が頭上にいて、自分の行動を冷静に観察している、見ている、という感覚(あくまでイメージ)を持っていますか?調べてみたらどうやらディソシエイト?というらしいです。

友人は持っているそうですが、私はそのような感覚を持ち合わせていません。
私の場合は行動や発言するときはあの人はこう思うかな、私がこう動いたらこのあとの流れはどうかな、あの人には引かれるかなということを何となく想像して動きます。しかしつねに自分を上から観察する感覚があるかと言われるとないのです。
また、自分を客観的に見るというとき、私の場合は後から反省するという場合がほとんどなのです。現在進行形で自分を客観的にみるということが少ない気がします。
今までそれが普通だと思っていたのですが、家族に話すと驚かれてしまいました…。
家族も頭の上にもう一人の自分がいる感覚があるそうで、それがないのは驚きだそうです。
そんなこんなでもしかして私はおかしいのではと思い始め(日常でも失言や失態をするのはこれが原因なのでは?と。ちなみに発達障害ではありません。)、みなさんの場合はどうかを知りたくなったのです。

ユーザーID:6367660151  


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タイトル 投稿者 更新時間
冷静な私・・・
脳内ふたこ
2019年1月11日 17:02

どうすればいいかわからない時もありますが、もうひとりの私は居ます。
3才ぐらいの時からいました。
いろんな事故から守ってくれたのはもうひとりの自分でした。
海に近い場所に住んでいたこと、身体が動く私は大人のスリッパをはいてどんどん海に歩いて行ったのですが
もうそれ以上は入ってはいけないよとどこかで言われたです、
それで引き返しました、
なんでもないことですが初対面の人を見てもうひとりの私がこの人たちは兄弟だよと教えてくれたり
また人付き合いにおいては付き合っていい人悪い人を教えてくれるです。
これと言って生きる資格とか持ち合わせてない私が大きく外れることもなく
これまで生活していけたのはもうひとりの自分が励ましてくれたり指示してくれたおかげかもしれません。

ユーザーID:3817596761
ときに自分の客観性が怖い
アマゾネス
2019年1月11日 17:14

子どもの頃からそうでした。

泣いたり喚いたりすぐ熱くなる人を冷ややかに見ていました。

我が子にもそうです。
むやみにわが子の味方をして何でも周りのせいにする親を、冷たい眼で見ていました。

子からしたら、冷徹な親に感じていたかもしれません。

仕事は出来る方と思います。
結構若い頃から高収入です。
子の進路指導も上手くいきました。

でもトピ主さまのような人間臭い人、素敵だと思います。

ユーザーID:0133341966
それはあくまでイメージ
アシュラ
2019年1月11日 17:26

私もそうですよ。頭の上、というか柱の陰からそっと自分を見る・・
そんな感じですかね。あくまでイメージですよ。
頭の上という言う人もいれば、背中側、方向はどうでもよくて
自分を見つめる自分がいる感覚。

これは大なり小なり持っていると思います。
これがない人は確かに失言が多いと思うし、
頭に浮かんだことを反芻せず、パッと口に出す傾向が強いと思います。

「そんなことここで言わなくてもいいのに・・」とつい聞いていて
そう思う人は結構いますね。

”もう一人の自分がいる”というのは、冷静に物事を判断し、
何を話すか?どう行動するか?を考えるための余裕を擬人化したものだと私は思います。

高度に会話術が出来る人はこういうことや、それに近いことを言いますけど、
あくまでイメージであって、実はそういうこと(頭の上にもう一人の自分がいる)を言いたいわけじゃないんです。

ユーザーID:3218759582
改めて考えると両方かな。
由穂
2019年1月11日 18:18

今まで意識して捉えたことはありませんでしたが、
言われてみると私は両方かなと思いました。

トピ主さんのような思考回路で行動言動したりする時は、
私の場合は感情的になっていることが多い気がします。
理性よりも自分だけの感情論でつい動いてしまう為、
後になってから反省や後悔することが多いです。
深い信頼できる関係の人に対して起こり易いかも、
ただ私が気を許して甘えているだけなんでしょうね。

逆に所謂ディソシエイトと呼ばれる、
自分を一歩置いて客観的な感覚で動く際には、
上記に比べると思い直すことが少ない傾向にあります。
こちらは上辺だけの付き合いの人間関係で多いです。
仕事や生活上で必要なだけの状況かな。

本当は親しい関係にも常にディソシエイトならば、
という想いはあるのですがなかなか難しいです。
夫は誰に対してもこの思考回路で動いているので、
冷静でとても穏やかな人格なんだろうなと尊敬しています。
勿論、私だけには素も見せて人間味ありますけどね。笑

ユーザーID:3855594403
え〜
hahaha
2019年1月11日 20:28

私もトピ主さんと一緒ですよ。

現在進行形ではなく、後で反省する方です。

常に自分を客観視できるなら、失敗も後悔もないんでしょうかね?

他の人のレスがとても気になります。

ユーザーID:9064178987
そんな用語なんて単なる、最新の専門的表現に過ぎない。
コーラル
2019年1月12日 5:09

トピ主さんも、
きっと、周りの人と同じ感覚だと思いますよ。
トピ主さんも、
充分「遠慮がち」な人と思う、
協調性のある普通の人たちは、
充分「ディソシなんとか」の人と思います。

思うに、
その「ディソなんとか」が出来てるっていう人たちは、
みんな立派ですか?ほ〜!そんなに客観的に自身を見ているの!?
てなもので。

その周辺では、
揉め事ひとつ起きてないはずですよね。
みんな、
頭の上に自分がいる連中ばっかだから(笑)。

ネット見たら専門用語や難しい漢字がでてきて、
偉くなった気がしたり、心配したり、

そんな最近の用語、
一般人には必要ない。

実社会にはない言葉です。

多分、
単に昔からある「物事を俯瞰的にみる」とか、
そういうことですよ。

頭の上に自分がいるって、
幽体離脱かって感じ。

普通に社会性が有り、
普通に人と仲よくしている人は、
無意識に充分それが出来ていると思う。

「普通がわからない」って思い始めると
病気を疑ったほうがいいのかも知れないけど。

普通の生活している我々は、
心配しなくて宜しいことです!!

ユーザーID:7907301801
それ、タレントさんが言っていました
ぽにょ
2019年1月12日 10:25

私自身はトピ主さんタイプですが、
タレントさんがTVで正にそのような事を言っているのを聞いた事あります。
へーと思いましたが、でもそのタレントさんの言動を見ていると説明が回りくどく長かったり、わりと空気読んでない系の人だったので
あまりその「外から冷静に見ている自分」が活かしきれていないないんじゃないかな?という感じがしました。

所詮は外から見ている自分を感じているのも自分の主観ですしね。
気にしなくていいのではと思います。

ユーザーID:6983954754
私も頭の上に自分はいません
リタイヤ世代
2019年1月12日 15:37

>もう一人の自分が頭上にいて、自分の行動を冷静に観察している、見ている、という感覚

 ご家族も同じ様な感覚をおもちなら、一定数はおられるのですね。頭の上の自分は観察するだけで、何もしないのでしょうか。
 私には”自分が頭上”のイメージはありません。

>私の場合は行動や発言するときはあの人はこう思うかな、・・・ことを何となく想像して動きます。

 私もこれに近いです。内なる自分かな。行動や発言しようとする前に、現在進行形で相手の反応や反論を先に(予想?)してくれます。それによって行動や発言を修正する事もしばしばです。

>そんなこんなでもしかして私はおかしいのではと思い始め(日常でも失言や失態をするのはこれが原因なのでは?と。

 心理学の事は良く分かりませんが、おかしいとは思いません。少なくとも私の頭の上にも自分はいませんから。これでは証明にはならないですね(笑)。
 
 人間の脳の働きは研究途上でまだ良くわかっていないらしいです。さらに、自分自身の感覚を相手に言葉で伝えるのは、人により表現が異なり、難しいですね。同じ感覚が人によって違う表現になったりすると思います。

 少なくとも「日常でも失言や失態」はもう少し慎重に行動や発言すれば良いだけだと思いますよ。

ユーザーID:9303252744
残念ながら
あんぱん
2019年1月12日 17:13

残念ながらその感覚は持っていません。

でも、意識してその感覚になることはあります。
主様のおっしゃるように頭の上からもうひとりの自分が、、という感じでもいいですが、私の場合、RPGゲームもするので、そのゲーム内で自分を動かしている感覚で見つめる努力をすることがあります。

このイメージって努力しないとできないと思っていたのですが
意識せずとも、元から出来ている人もいらっしゃるのですね。びっくりです。

どうして努力してやってみようとしたかというと、瞑想と通じる部分があるからです。ヴィッツパサナー瞑想(だったかな)という、自分の細かな動作にラベリングしていく瞑想というものがありまして、それを日常にカジュアルに取り入れるやり方として、自分の動きを客観的に見ていくというものがあります。
「今パソコン打ってる、コーヒーカップに手を伸ばした」みたいな感じで心の中で実況中継するのです。
それには客観的に自分を見る必要があったために、たまに意識してやっていました。

こういうことを意識せずとも出来ている方々がいると知り、びっくりしました!

ユーザーID:7044946401
私もトピ主さんと同じ携帯からの書き込み
2019年1月12日 20:50

頭の上にもうひとりの私は、私は、いないですねぇ
ディソシエイトも簡単に検索しましたが、ちょっと面白そうですね。
私も、そういう感覚の方のお話を聞いてみたいです。

リフレーミングは割りと使っていると思います。
小町覗くのも、自分の発想のリフレーミングの為ですね。
他人に投げ掛ける言葉のためでもありますが。

ユーザーID:0436325306
うまく行かないと見切るとき携帯からの書き込み
2019年1月13日 17:06

あと、思うんですが、客観視していたら、手詰まりで退却以外の道がない、という判断もあるはずと思うんですが、ディソシエイトできる方たちは、どういう判断をしているのでしょう。

例えば、車を運転していて、子供が飛び出してきて、ブレーキ踏んでも間に合わず子供を跳ねる、ブレーキ踏みつつもハンドルを切って右に子供を避けたら対向車線のトラックに巻き込まれて自分が死ぬ、左に切って街路樹に突っ込めば死者はでないかも知れないが車大破で自分や街路樹付近の大人は怪我しそう、というとき。

他人ごととして見ると、街路樹に一か八か突っ込むんじゃないかと思いますが、結果、怪我人少なければいいけど、重傷者が出たとき「自分がトラックに突っ込んで死ねば良かった」と反省や後悔はするのでしょうか。
それとも、あのときは致し方なかった、結果重いものだけど、最善だったと割りきることができるのでしょうか。

自分は、常に自分を客観視していても、必ず後悔はいくつかあると思うんです。
ただ、後悔する頻度が減るぐらいでは。

ユーザーID:0436325306
ユングが超自我とか言うあれ?
ぽー
2019年1月13日 19:12

>私がこう動いたらこのあとの流れはどうかな、

これを思っているという事は「いつも後から反省することしかしていない」ではないのでは?

幼児の頃は自分の行動を他人から見たらどう見えるかを考えられないけど、大人になるとそうではない、というのが「自分を鳥観図的に眺めている」ということなのではないでしょうか。だったら、トピ主さんも含めてほとんどの人がやっていると思いますが。

ユーザーID:9856003760
何となくだけど…
匿名
2019年1月13日 19:47

結局は『理性と本能』という話なんじゃないのかな?

それが人によってどっちが強くなるかに差が出るというようなことではないか?

何かをする前に考えること(想像・予想)もあるし、あとで省みる(顧みる)こともある。
でも、何かをする最中に異なる2つの考えが頭に浮かぶなんて
多かれ少なかれあるんじゃないのかな?

典型的なのは本能といっても生理的欲求のようなものが多いだろう。
ダイエットや健康に気を遣うとかで、夜遅くに何か甘いものを食べるとか…
『今食べちゃダメだ』という理性に対して本能が『今日だけ特別でいいじゃない』
というような葛藤があるが、欲求を満たすために本能的な言い分を選択肢てしまう…

寝ちゃいけないのに、眠くて『5分だけなら寝ても良い』とか
勝手に本能的欲求を満たす理論を選択してしまうとか…

そういったレベルであるなら、誰にでもあって本能と理性のどちらが勝つか。
葛藤と言う表現をするならば、誰にも存在すると思います。

当然、感情が優先される場面となると本能的な面が強くなるのも間違いないでしょう。
何らかのホルモンなどの分泌物によって理性が抑えられてしまうでしょうから。

そういった話を抜きにしても、何だかんだと自分を見つめる瞬間ってありそうですが。

メイクをするときしか鏡越しで自分を見ませんか?
街中の大きなガラス面とかに自分が写った姿とかを何となく確認しませんか?

誰かと話をしていたら、相手の表情とか目を見て何を思っているかとか
感じ取ろうとかしませんか?

そうやって無意識に他人からどう見られているか、どう感じられているかを
多かれ少なかれ誰もが読み取っているんじゃないでしょうか?

ユーザーID:9516620079
違うんじゃない
ss
2019年1月14日 16:57

トピの質問とは外れるけど。
突っ込みます。

>頭の上にもう一人の自分がいる?客観的とは?
「自分がいる」なら自分が二人なんだから「客観」にはならないでしょ。

「 当事者ではなく、第三者の立場から観察し、考えること。また、その考え。」
なんだから。

ユーザーID:8140642160
わたしは
ポチ
2019年1月14日 21:42

ある方、かな。たぶん、とても幼い頃から。

幽体離脱というものではなく、自分の感情の動きを、何となく見ている自分がいるような感じ?
私はどちらかというと、感情的な人間なのですが、頭の隅で、あっ、私今感情的になっているわ、と思っている自分がいるというような。
あまり上手に表現できませんが…。

若い頃(十代、二十代)の友人たちには、そういった意味で、同じような感覚の友人とそうでない友人というのは、何となくわかりました。
というか、わかったような気がしていました。

若い頃ですから、恋愛話も良くしました。
もし、自分が男なら、自分を選ぶかどうか?という話をしたら、私と同じタイプの女性は選ばない。違うタイプの女性は、もちろん選ぶ。でした。

家族間の人間関係で苦労をした人は、自分があまり好きじゃない、とても大事に育てられた人は、自分大好き。
それと似ているんじゃないでしょうか?

大人になってからの友人関係で、それを感じたことはありません。
幼いときからそういう感覚を持っているというのは、あまり幸せなことではないように思います。

ユーザーID:8282971118
います
ダブルス
2019年1月14日 22:14

私のは上の斜め後ろですが

いない人もいるんですね

冷静に観察していて、言っちゃダメだとわかっているのに
喋っている方は気づいてないというか、無視というか

言動を制御できるところまでいってないので
「あーあ、言っちゃった・・・」って感じですかね

だから、見えてるだけというか
観察者なんだと思いますけど

ユーザーID:2741690131
あなたの場合も出来てる感じがしますが
60代半ば
2019年1月15日 13:22

友人が頭の上からだとするとあなたの場合は
横から見ている感じでしょうか?

書かれてる事はそういう事だと思いましたが。

俯瞰的に見る、大局的に多角的に考えるという事でしょ。

上から見ても横から見ても斜めに見てもいいんじゃない。

ユーザーID:7208437880
子どもの頃からずっとです
ももぞう
2019年1月15日 16:47

誰にもある感覚だと思っていました。
幼児の時の自我を持った瞬間を覚えています。その時からずっと感じています。だから抑制が効くのだと思いますけれど。

ユーザーID:9229914789
普段は感じないけど特別な時に意識する
人それぞれ
2019年1月16日 10:04

普段はトピ主さんと同じです。
自分は体で感じている自分一人だけで、頭の上にはいません。

客観的な自分を意識するのは感情が高ぶってる時や危機的状況にある時などです。

泣きたくないのに涙がこぼれてる時、あら私泣いてる私ってこういうことで泣くのね体が興奮してるわ熱いし喉詰まるしクールダウンしないといけないわ…と冷静に考えてる自分が頭の後ろあたりにいるようです。

激怒している時も、ぶるぶる震える自分の体を冷静に観察している自分がいます。
今血圧急上昇したのがわかったわ私怒るとこうなるのねなるほど…みたいな。

そういう時は自分が「体」と「意識」の両方の存在で、普段はぴったり重なりあって一つになって活動しているけれど、二つが一致しないこともあるんだな、と実感します。

ユーザーID:9540071266
ちょっと違いますが・・・
掃除しなきゃ
2019年1月16日 17:52

イメージとして自分の頭上や後ろにもう一人の自分がいる感覚はないです。
自分を客観視する時は、画面がひとつ後ろに移動する感覚です。映画のトリックにあるような、映像を引いていって、今まで見ていた映像は実はテレビの中のものだった、という状況みたいになります。
同じことだと思いますが、常にではなく、意識してそうなる感じです。

ほとんどの人も主観客観が入れ替わるのが普通かと思っていたので、トピ主さんのご家族のように大抵の人が常に自分を客観視して行動しているというのは驚きでした。

ユーザーID:1815295378
 
現在位置は
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