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あきらめた夢、ありますか?

編集部
2019年2月4日 10:46

発言小町ユーザーのみなさん、こんにちは。「読売中高生新聞」編集室です。

大人の本音を10代に伝える読売中高生新聞の連載「オトナの本音アワー」。中高生が抱える素朴な疑問や悩みについて、この掲示板で小町ユーザーのみなさんから意見を頂き、紙面で10代向けに紹介していきます。親や教師からはなかなか聞けない、オトナの本音を教えてください。

今回のテーマは「あきらめた夢、ありますか?」
世の大人たちはよく「あきらめなければ夢はかなう」と口にします。ですが、実際は、子どもに人気の職業ランキングの上位に挙がることの多いプロスポーツ選手や芸能人として活躍する人は一握り。職業に限らず、子どもの頃に抱いた夢が全てかなうという人はあまりいないのが現実です。そこで、夢をあきらめた瞬間や理由、その後についてお聞きしたいと思います。「歌手になりたい夢をあきらめたけれど、家族と穏やかな毎日を送れていることが幸せ」など、夢がかなわなかったからこそ手に入れられたものに関するエピソードもお教え下さい!

※投稿の際は、ご意見とともに、お住まいの地方、年代、性別を記載してください。
※ご意見の一部は、読売中高生新聞(http://www.yomiuri.co.jp/teen/)で転載させていただくことがあります。

ユーザーID:0170120908  


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タイトル 投稿者 更新時間
近視による職業選択を考えてなかった。
視力を悪くして
2019年2月8日 3:58

中学1年後半までは裸眼視力が両目とも1.2はあったんですが、
ベッドの中で本を読むという悪癖により、あっという間に近視になりました。

本当に残念でなりません。航空関連の仕事に就いてみたいと思ったのは
そのあとの事で、すでに視力が悪くなっているためパイロットは無理でした。

視力は良いに越したことはありませんね。

ユーザーID:7417346455
多分、運
まぁい
2019年2月9日 8:23

幼稚園の時、幼稚園の先生になりたいと思っていました。
小学生から中学生の時は、漫画家か声優。
高校生は特に何もないけれど、英語圏に留学をしていて、国際的な学科のある短大を志望。
短大の頃はキャビンアテンダント。

キャビンアテンダントは学校に通いましたが散りました。
結果、当時の彼氏と国際結婚して英語圏に住んでいます。
国際的、という意味では叶ってます。
その後修士をとり、幼稚園の先生を含め、先生になりました。
なので、結果オーライという感じです。

それなりに努力家ではありますが、ここまで来られたのは
環境と旦那の助けが大きいので、自分1人だったらと考えると
海外で成功はないと思っています。

キャビンアテンダントは諦めたけど、だから若くして旦那と結婚。
その後は理解のある旦那でラッキー、あとはガムシャラにです。
結果的幼稚園の頃の夢と、国際的に働くという意味では夢かなってます。
でもそれって、運が大きいと思っています。
なぜなら、頑張ったところで旦那と出会ってなければ叶ってないからです。

アメリカ、30代半ば、女です。

ユーザーID:7600802951
母の一言に
ままこ
2019年2月9日 10:18

初めまして。『あきらめた夢、ありますか?』の言葉に反応してしまいました。
あるんです。生きて半世紀以上が過ぎた今でも後悔しています。
すっごい田舎に住んでいた私は、まったくの世間知らずでした。ましてやインターネットなどない時代。私は町の本屋さんに行って情報を収集しました。高校卒業したらイラストレーション関係の専門学校に行きたかったのです。
小学生の時にイラストレーターと言う仕事をしている人達がいる、と何かで知ってからずっとやりたかった職業でした。(能力は別にして)中、高校と、美術クラブに6年間。でも私が目指したいのは美大ではなかったのです。イラストレーションを学べる所。
でも、「イラストで仕事なんて何千人に一人が出来るかどうかだよ…それに専門学校は就職に不利だよ」と母の一言。株式会社を経営している母を情報ツウだと思っていた私はその言葉をマルっと信じてしまいました。今思えば素直すぎましたね。
就職しやすそうな栄養関係の短大に進み、まったく関係の無い事務員として就職しました。短大は東京、東京は母が思うより多分、色々な人も職もありました。私は憧れの専門学校卒の知人も出来ました。羨ましかった。勉強したかったなぁー!今でも勉強したい。出来るものならば…。
なので、今は子供の夢を応援してます。声の仕事に携わりたいと。学校では、「現実的な夢を持て」と言われて悔し泣きしてました。頂点に立てれば立ちたいけどそうじゃないんだって。その仕事に携わって行きたいんだって。同じだなーと、自分の時と。気持ちがすごくよくわかるから、私は力になりますよ。努力は本人次第ですけど。半世紀も後悔するのはしんどいですからね。昔と違って今は転職も、勉強のし直しも容易になっています。これを利用しない手はないと、母は思います。

ユーザーID:1366563946
あります
yo
2019年2月11日 9:49

50代です。
私も田舎でそだち、当然ですが、まだインターネットはなく情報は本屋さんに行って得ていた時代です。地方のそこそこ大きいホテルを経営していたので東京からくるお客さんや撮影で何日も俳優さんや関係者が泊まったこともありました。
そんなような環境で過ごしたので他の友達よりはいろんな影響は受けたかもしれません。

私は英語が好きでできれば外国人と結婚したかったです。なりたい職業は客室乗務員でした。
中学生の時に英語が喋れるようになりたい、と母親にいった時にそれは無理だ、と一言いわれ、スチュアーデス(当時の言い方ですが)になりたいといった時も背が低いから無理だ、と一言。
本当に悔しかった。

私は子供には人は自分の努力次第でなんにでもなれるんだよと、言っています。

厳しい家だったので外国人との結婚はゆるざれず、結局日本人と結婚し、違う職業につきましたが、英語は好きで勉強してましたので日常会話は問題なく話せてます。

母親は子供が決意表明をした時にむやみに否定するものではないと思いました。

ユーザーID:7890861686
バレーボール選手携帯からの書き込み
レイカ
2019年2月13日 16:06

小学校の時、日本女子バレーボールをテレビで見ていて、大林素子選手に凄く憧れを抱いていました。
中学校に入りバレーボールの部活に入りましたが部員は小学校からしていた経験者で練習について行けず、冬には手があかぎれでスパイク、サーブが出来ず、断念しました。
今ではテレビで応援していますが、今思うことは見るほうが楽しいなと満足しています。

ユーザーID:1054925430
護衛艦への夢
イプシロン
2019年2月16日 18:49

両親ともに自衛官、幼い頃から、自衛隊のイベントのみならず、若い隊員の方々にかわいがっていただいたり、航空機やいろんな艦船の本や写真、ラッパ君が代の音に囲まれて育ちました。

自然と自分も将来は自衛官になるものだと思い、ゆくゆくは護衛艦に乗り、やがては艦長に、と夢は膨らみ、小学校の頃は、宿題の一つ、漢字の自由練習200字に艦船の名前、搭載されている機材、あらゆる漢字を書いては、一人で楽しんでいました。
しかし女性は陸地勤務、裏方の仕事ばかり、海上勤務など女性が採用されるはずがない! と、知らされたときのショック。

女性だから、ダメだという理不尽さに納得がいかず、憤慨した小学生時代でした。
おかげで、その思いが芯となり、理系の大学を卒業し、技術の専門職として、企業に入社。男女雇用機会均等法前の職場で、「女性だからねえ」と絡みついてくる理不尽さにもがきつつも、無我夢中で働き、そして理解を深めるために勉強し、天職とも思える職にめぐりあい、素晴らしい方々と仕事をすることができ、豊かな人生を歩ませていただきました。今は、少しでも社会に恩返し、小さなお子さんと新米ママさんへささやかながら、支援ボランティアを行っています。

なお、現在では、女性の艦長、航空機パイロットも活躍されていらっしゃいます。

ユーザーID:0975941585
いろいろあります
姫みこ
2019年2月16日 19:30

宇宙飛行士
宇宙が大好きで、本気で憧れてました。
が、募集要項みてあきらめました。

紙すき職人
高校時代、バイトをしていたら接触皮膚炎を発症。
あまりにツラくて、水を使う職業は断念しました。

今は某企業で社内SEをしています。
忙しくて時には大変な面はありますが、上司や同僚から日々感謝され、やりがいもあり。今は天職だと思って勤しんでおります。

引退したら開発したいモノがあり、そのための勉強したり、情報収集するのが休日の楽しみです。

ユーザーID:8308151662
パティシエになりたかったです
MIOLI
2019年2月17日 3:14

本当なら、大学進学せずに、製菓専門学校に行って、パティシエになりたかった。
しかし、その時の私はまだ高校生。しかも親(父親)の趣味で入れられた、お嬢ちゃん系女子大付属に中受で入った身の上、世間知らずでした。
父親からはDV受けていたし。

今だったら、さっさと児童相談所に駆け込んで保護申し立てただろうな。あざとか沢山あったし。言葉の暴力も酷かったし。
そこでアルバイトして専門学校に行って、夢をかなえていたと思います。

大学卒業しても、最初はぜんぜん就職活動に身が入らずに、流通関係に就職。その後、転職して公務員になりました。卒業時に、花嫁道具として取ったはずの資格を使って仕事をし、それから30年余り・・・今に至ります。

自分が嫌だと思ったことは、どうしても積極的に勉強したいという気になれないのが欠点だと思っています。その場その場でベストを尽くすような才能がもしあったなら、今の人生も変わっていたとは思いますが、私は「嫌なものは嫌で何が悪い」という性格ゆえ、やっぱり損していると思います。

ただ、環境適応力が悪いから、パティシエになったとしても成功したかな?
周囲の環境にたまに恵まれると、寝食惜しんで勉強するので、周りがびっくりするような成果を上げることがありますが。

ちなみに今はどちらでもない、です。いい人もいれば、悪い人もいる。ただ、自宅からは遠いし、職場周辺は砂地の上、大気汚染が酷い地域で、ぜんそく薬とマスクが欠かせません。

ユーザーID:8194854270
アメリカ大陸徒歩横断旅行
八尾の狐
2019年2月21日 2:18

アメリカ在住六十代女性です。この国に住んでもう何十年にもなりますがどこの地方へ行っても景色の美しさには飽きが来ません。

さて三十代の頃徒歩でアメリカ大陸横断をしようと思い立ち、一年かけて計画を立てて勤め先の了承も得、お金も貯めていよいよ実行すると言うことになった時家族や友人に「お願いだからやめてくれ」と泣きつかれました。いつもは人の言うことに左右される私ではないのですが、この時ばかりは心配する気持ちも無理はないと気がついたので断念しました。

でもその代わり車で横断旅行を果たしました。一ヶ月かけて好きなところに好きなだけ滞在し、見たいものを見、食べたいものを食べて一ヶ月なんてあっという間に過ぎてしまいました。護衛のためにジャーマン・シェパードを連れて行ったのですが、行く先々で犬を連れていると色んな人が声をかけてくれます。一生に一度しかなかった嬉しい旅でした。

ここまで書いて気がついたのですが、引退した今、もう一度横断旅行ができない理由なんてないですよね。六十代ではありますがまだ身体は健康だし。やってみようかな。

ユーザーID:8027868449
 


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