あきらめた夢、ありますか?

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編集部

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発言小町ユーザーのみなさん、こんにちは。「読売中高生新聞」編集室です。

大人の本音を10代に伝える読売中高生新聞の連載「オトナの本音アワー」。中高生が抱える素朴な疑問や悩みについて、この掲示板で小町ユーザーのみなさんから意見を頂き、紙面で10代向けに紹介していきます。親や教師からはなかなか聞けない、オトナの本音を教えてください。

今回のテーマは「あきらめた夢、ありますか?」
世の大人たちはよく「あきらめなければ夢はかなう」と口にします。ですが、実際は、子どもに人気の職業ランキングの上位に挙がることの多いプロスポーツ選手や芸能人として活躍する人は一握り。職業に限らず、子どもの頃に抱いた夢が全てかなうという人はあまりいないのが現実です。そこで、夢をあきらめた瞬間や理由、その後についてお聞きしたいと思います。「歌手になりたい夢をあきらめたけれど、家族と穏やかな毎日を送れていることが幸せ」など、夢がかなわなかったからこそ手に入れられたものに関するエピソードもお教え下さい!

※投稿の際は、ご意見とともに、お住まいの地方、年代、性別を記載してください。
※ご意見の一部は、読売中高生新聞(http://www.yomiuri.co.jp/teen/)で転載させていただくことがあります。

ユーザーID:0170120908

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  • 近視による職業選択を考えてなかった。

    中学1年後半までは裸眼視力が両目とも1.2はあったんですが、
    ベッドの中で本を読むという悪癖により、あっという間に近視になりました。

    本当に残念でなりません。航空関連の仕事に就いてみたいと思ったのは
    そのあとの事で、すでに視力が悪くなっているためパイロットは無理でした。

    視力は良いに越したことはありませんね。

    ユーザーID:7417346455

  • 多分、運

    幼稚園の時、幼稚園の先生になりたいと思っていました。
    小学生から中学生の時は、漫画家か声優。
    高校生は特に何もないけれど、英語圏に留学をしていて、国際的な学科のある短大を志望。
    短大の頃はキャビンアテンダント。

    キャビンアテンダントは学校に通いましたが散りました。
    結果、当時の彼氏と国際結婚して英語圏に住んでいます。
    国際的、という意味では叶ってます。
    その後修士をとり、幼稚園の先生を含め、先生になりました。
    なので、結果オーライという感じです。

    それなりに努力家ではありますが、ここまで来られたのは
    環境と旦那の助けが大きいので、自分1人だったらと考えると
    海外で成功はないと思っています。

    キャビンアテンダントは諦めたけど、だから若くして旦那と結婚。
    その後は理解のある旦那でラッキー、あとはガムシャラにです。
    結果的幼稚園の頃の夢と、国際的に働くという意味では夢かなってます。
    でもそれって、運が大きいと思っています。
    なぜなら、頑張ったところで旦那と出会ってなければ叶ってないからです。

    アメリカ、30代半ば、女です。

    ユーザーID:7600802951

  • 母の一言に

    初めまして。『あきらめた夢、ありますか?』の言葉に反応してしまいました。
    あるんです。生きて半世紀以上が過ぎた今でも後悔しています。
    すっごい田舎に住んでいた私は、まったくの世間知らずでした。ましてやインターネットなどない時代。私は町の本屋さんに行って情報を収集しました。高校卒業したらイラストレーション関係の専門学校に行きたかったのです。
    小学生の時にイラストレーターと言う仕事をしている人達がいる、と何かで知ってからずっとやりたかった職業でした。(能力は別にして)中、高校と、美術クラブに6年間。でも私が目指したいのは美大ではなかったのです。イラストレーションを学べる所。
    でも、「イラストで仕事なんて何千人に一人が出来るかどうかだよ…それに専門学校は就職に不利だよ」と母の一言。株式会社を経営している母を情報ツウだと思っていた私はその言葉をマルっと信じてしまいました。今思えば素直すぎましたね。
    就職しやすそうな栄養関係の短大に進み、まったく関係の無い事務員として就職しました。短大は東京、東京は母が思うより多分、色々な人も職もありました。私は憧れの専門学校卒の知人も出来ました。羨ましかった。勉強したかったなぁー!今でも勉強したい。出来るものならば…。
    なので、今は子供の夢を応援してます。声の仕事に携わりたいと。学校では、「現実的な夢を持て」と言われて悔し泣きしてました。頂点に立てれば立ちたいけどそうじゃないんだって。その仕事に携わって行きたいんだって。同じだなーと、自分の時と。気持ちがすごくよくわかるから、私は力になりますよ。努力は本人次第ですけど。半世紀も後悔するのはしんどいですからね。昔と違って今は転職も、勉強のし直しも容易になっています。これを利用しない手はないと、母は思います。

    ユーザーID:1366563946

  • あります

    50代です。
    私も田舎でそだち、当然ですが、まだインターネットはなく情報は本屋さんに行って得ていた時代です。地方のそこそこ大きいホテルを経営していたので東京からくるお客さんや撮影で何日も俳優さんや関係者が泊まったこともありました。
    そんなような環境で過ごしたので他の友達よりはいろんな影響は受けたかもしれません。

    私は英語が好きでできれば外国人と結婚したかったです。なりたい職業は客室乗務員でした。
    中学生の時に英語が喋れるようになりたい、と母親にいった時にそれは無理だ、と一言いわれ、スチュアーデス(当時の言い方ですが)になりたいといった時も背が低いから無理だ、と一言。
    本当に悔しかった。

    私は子供には人は自分の努力次第でなんにでもなれるんだよと、言っています。

    厳しい家だったので外国人との結婚はゆるざれず、結局日本人と結婚し、違う職業につきましたが、英語は好きで勉強してましたので日常会話は問題なく話せてます。

    母親は子供が決意表明をした時にむやみに否定するものではないと思いました。

    ユーザーID:7890861686

  • バレーボール選手

    小学校の時、日本女子バレーボールをテレビで見ていて、大林素子選手に凄く憧れを抱いていました。
    中学校に入りバレーボールの部活に入りましたが部員は小学校からしていた経験者で練習について行けず、冬には手があかぎれでスパイク、サーブが出来ず、断念しました。
    今ではテレビで応援していますが、今思うことは見るほうが楽しいなと満足しています。

    ユーザーID:1054925430

  • 護衛艦への夢

    両親ともに自衛官、幼い頃から、自衛隊のイベントのみならず、若い隊員の方々にかわいがっていただいたり、航空機やいろんな艦船の本や写真、ラッパ君が代の音に囲まれて育ちました。

    自然と自分も将来は自衛官になるものだと思い、ゆくゆくは護衛艦に乗り、やがては艦長に、と夢は膨らみ、小学校の頃は、宿題の一つ、漢字の自由練習200字に艦船の名前、搭載されている機材、あらゆる漢字を書いては、一人で楽しんでいました。
    しかし女性は陸地勤務、裏方の仕事ばかり、海上勤務など女性が採用されるはずがない! と、知らされたときのショック。

    女性だから、ダメだという理不尽さに納得がいかず、憤慨した小学生時代でした。
    おかげで、その思いが芯となり、理系の大学を卒業し、技術の専門職として、企業に入社。男女雇用機会均等法前の職場で、「女性だからねえ」と絡みついてくる理不尽さにもがきつつも、無我夢中で働き、そして理解を深めるために勉強し、天職とも思える職にめぐりあい、素晴らしい方々と仕事をすることができ、豊かな人生を歩ませていただきました。今は、少しでも社会に恩返し、小さなお子さんと新米ママさんへささやかながら、支援ボランティアを行っています。

    なお、現在では、女性の艦長、航空機パイロットも活躍されていらっしゃいます。

    ユーザーID:0975941585

  • いろいろあります

    宇宙飛行士
    宇宙が大好きで、本気で憧れてました。
    が、募集要項みてあきらめました。

    紙すき職人
    高校時代、バイトをしていたら接触皮膚炎を発症。
    あまりにツラくて、水を使う職業は断念しました。

    今は某企業で社内SEをしています。
    忙しくて時には大変な面はありますが、上司や同僚から日々感謝され、やりがいもあり。今は天職だと思って勤しんでおります。

    引退したら開発したいモノがあり、そのための勉強したり、情報収集するのが休日の楽しみです。

    ユーザーID:8308151662

  • パティシエになりたかったです

    本当なら、大学進学せずに、製菓専門学校に行って、パティシエになりたかった。
    しかし、その時の私はまだ高校生。しかも親(父親)の趣味で入れられた、お嬢ちゃん系女子大付属に中受で入った身の上、世間知らずでした。
    父親からはDV受けていたし。

    今だったら、さっさと児童相談所に駆け込んで保護申し立てただろうな。あざとか沢山あったし。言葉の暴力も酷かったし。
    そこでアルバイトして専門学校に行って、夢をかなえていたと思います。

    大学卒業しても、最初はぜんぜん就職活動に身が入らずに、流通関係に就職。その後、転職して公務員になりました。卒業時に、花嫁道具として取ったはずの資格を使って仕事をし、それから30年余り・・・今に至ります。

    自分が嫌だと思ったことは、どうしても積極的に勉強したいという気になれないのが欠点だと思っています。その場その場でベストを尽くすような才能がもしあったなら、今の人生も変わっていたとは思いますが、私は「嫌なものは嫌で何が悪い」という性格ゆえ、やっぱり損していると思います。

    ただ、環境適応力が悪いから、パティシエになったとしても成功したかな?
    周囲の環境にたまに恵まれると、寝食惜しんで勉強するので、周りがびっくりするような成果を上げることがありますが。

    ちなみに今はどちらでもない、です。いい人もいれば、悪い人もいる。ただ、自宅からは遠いし、職場周辺は砂地の上、大気汚染が酷い地域で、ぜんそく薬とマスクが欠かせません。

    ユーザーID:8194854270

  • アメリカ大陸徒歩横断旅行

    アメリカ在住六十代女性です。この国に住んでもう何十年にもなりますがどこの地方へ行っても景色の美しさには飽きが来ません。

    さて三十代の頃徒歩でアメリカ大陸横断をしようと思い立ち、一年かけて計画を立てて勤め先の了承も得、お金も貯めていよいよ実行すると言うことになった時家族や友人に「お願いだからやめてくれ」と泣きつかれました。いつもは人の言うことに左右される私ではないのですが、この時ばかりは心配する気持ちも無理はないと気がついたので断念しました。

    でもその代わり車で横断旅行を果たしました。一ヶ月かけて好きなところに好きなだけ滞在し、見たいものを見、食べたいものを食べて一ヶ月なんてあっという間に過ぎてしまいました。護衛のためにジャーマン・シェパードを連れて行ったのですが、行く先々で犬を連れていると色んな人が声をかけてくれます。一生に一度しかなかった嬉しい旅でした。

    ここまで書いて気がついたのですが、引退した今、もう一度横断旅行ができない理由なんてないですよね。六十代ではありますがまだ身体は健康だし。やってみようかな。

    ユーザーID:8027868449

  • 仕事諦めました

    仕事諦めました。少々DV気味で亭主関白な昭和の親父の典型の父と黙って耐えていた母。「誰に養って貰ってる」と言われて育った私。何を言われても耐えて我慢するしかなかった母を見て、「誰かに養って貰う立場にはなりたくない。」と決意した中学時代
    雇用機会均等法前の女性は職場の花の時代。国立大学卒業の女子学生の就職は難しかった。やっと見つけた職場では総合職のはずがやはり男性優位。セクハラ・パワハラは当たり前。なんとか自分の場所を見つけ、結婚出産。「総合職は産休を取ることを想定してない。」って直属の上司に言われたなぁ。
    その頃はマタハラなんて言葉あったんだろうか?
    寝る間もなくて大変だったけど、その時が充実していた気がする。このままマミートラックで「子供が中学生くらいになったら、仕事に軸足を置いて」とか思っていた頃に夫のまさかの海外転勤。迷ったけど子供らから父親を取り上げてワンオペ育児のもと結局退職。
    現地で資格を取って帰国するも40超えた既婚中年子持ち女性に再就職は超難関。やっと見つけた仕事も家庭の事情で再度退職
    今は女性にも門戸が開かれていて、羨ましい気がする反面、結局全ての制度が「女性が家事・育児を負う」ためにある気がする。
    イクメンが増えたのかも知れないけど、結局お手伝いの域を出てない気もする。
    女性が活躍する時代って言っても、「女性が大変になっただけで、これじゃあ女性が結婚出産ためらうよな」って思う。
    「諦めるって事は明らかにして受け入れるって事」って禅宗の僧侶の言葉にあったけど、そうかも知れないと思う今日この頃
    50代 アメリカ在住 女性

    ユーザーID:3898332584

  • 国連か国際機関勤務の夢

    40代半ばの女性です。

    うちの家族は少し複雑で、母子家庭から母の再婚、同父の兄の家出やら異父弟(母の再婚後に生まれた子)の病気やらで、私は放置ではないにせよ割と構われない子供時代でした。
    構われない(干渉されない)のをいいことに、本を読んだり地球儀を見たりしながらよその国のことばかり空想し、、、大学に進学してもまだ空想を続けました。そして行き着いた先、空想から生まれた夢は「国際機関で働いてみたい」。

    資金調達の為に数年働いたのちに留学。帰国後は国連ではありませんが国際機関に潜り込みました。
    長年の夢でしたから一生懸命働き、一つの帰結として婚約相手と破局しました。一つ処に居られない仕事の人とは結婚できないと(笑。
    それでも止められなかったし、自分の人生をかけたいと思った仕事でした。

    しかし。
    仕事を通じて使命感に燃えた本当に優秀な人達(日本人も外国人も)と接する機会が増え、自分の限界も見えてきました。
    人から見たら、私の夢は(一応)叶ったように見えるかもしれません。でも、自分としては、夢の途中でギブアップしたという気持ち、最後まで頑張りきれなかったという気持ちも残っています。
    それでもある日急に、もういいかな、という心境に至りました。国際機関7年目くらいでした。
    子供の頃からの夢に区切りがついた、終わったんだな、と思えた瞬間でした。

    しばらく放心しましたけれど、仕事を通じて知りあった人と国際結婚して家庭を持って数年、最近は新しい夢が生まれました。
    子供の教育に携わることです。
    外国で教員免許を取るのも楽ではありませんが、自分の思う大切なことを伝えたいので頑張ってます。
    この夢はどこまでいけるんだろう、と思っています。

    夫の仕事で転々として、今はヨーロッパ在です。

    ユーザーID:3499843992

  • 鮒釣り師

    子供の頃、田舎というより過疎の村で育った私は、3〜4歳の頃から両親の農作業に
    くっついて行き、灌漑用水の上に組んだ櫓から鮒や鯉・ナマズなどを漠然と眺めていました。

    ある日のこと、ふとこのお魚さんを捕まえてみたくなり父に話すと、
    「網でも無理だから、釣るか?」と言われ”うん”と答えると、父は家に帰った後
    何かもじょもじょ探し物をしたと思ったら、釣り道具でした。

    錆てはいるものの使えそうだと言われ、釣りのイロハを学びました。
    餌は家の横にある堆肥の中のミミズです。

    少年”恋文”(似合わない名前だな〜)はメキメキ頭角を現し、1年後には
    30cmを超えるものまで釣り上げる腕前になったのです。
    5歳にして自分で竿を作り、その後仕掛けを工夫し、波の状況に合わせた”浮き”まで
    作るようになり、一生この人生が続き”釣り師”になりたいと思っていましたね。

    夢破れたのは小学4年生の冬でした。

    父が”農業や〜めた”となり、過疎から横浜へお引越しです。

    抗えない親の”わがまま”で、純朴な少年は輝かしいであろう未来を封印するという暴挙を、
    黙って受け入れるしかなかったのです。

    大好きな両親の大きな決断はせめられませんが、心の中では”せめておら一人でも
    ここにいたい”と叫んでいました・・・泣きました・・毎晩泣きはらしました・泣きながら眠りました。

    う〜む!自分で書いていても、気の毒としか・・・。

    ユーザーID:5739756352

  • あきらめた夢、ありますよ。

    埼玉県 50代 女性

    「役者」になりたかったんです。

    女優じゃなくて。
    演じる人になりたかったのです。
    高校のときから10年、演劇やってました。

    短大を出てから小劇場活動をしていたのですが、あるとき、プロとやる機会があり、あまりの差に絶望して、ふっつりと止めました。
    素人と舞台に立つくらいだから、プロと言っても端っこのほうなんですが。
    それでも、いろんな意味ですごかった。
    意識が違うんです。

    その後は自分に合った仕事を探して、アルバイトを転々として、ようやく「宣伝販売」に巡り合いました。
    お客さまに振り向いてもらうのは得意ですとも。
    たくさんのお客さまを呼び止められたときは、スーパーアイドル気分です。

    残念ながら、結婚出産を機に専業主婦になってしまいましたが。
    慢性的な人手不足業界なので、いつでも戻れる……はず……です。
    いや、さすがに50代後半は無茶かなーと思いつつ。
    定年は65歳なんですが、キャリアが途絶したままでは、ね。

    で、でも。
    宣伝販売への復帰は、諦めていませんからっ。

    小説家になりたいとか、経営者になりたいとか、レクリエーション介護士になりたいとか、宅建士の資格をとりたいとか、整理収納アドバイザーになりたいとか、諦めていませんからっ。

    どれか、もしくは、全部。
    叶う予定です。

    ユーザーID:0759508369

  • 私はプロテニス選手、夫はロックのプロデューサー

    幼い時からテニスをしていて9才のときに左足を事故
    で悪くしてからリハビリしてスポーツは続けましが
    高校でスポーツを止めました後にロックにはまり結局
    は親の家業を継ぎグラフィックデザイナーと美術家に
    成りました。

    夫はロックの音響スタジオマンになろうかと思って
    いたけど16才になりパイロットになるためにカレッジ
    に通い免許を取得して商業パイロットになり今も
    飛んでいます。

    50代アメリカ在住夫婦

    ユーザーID:5809162230

  • 3月22日号の「読売中高生新聞」で紹介させていただきました

    ロゴ

    本当にたくさんのレスをお寄せいただき、ありがとうございました!
    みなさまのご意見の一部を、読売中高生新聞の3月22日号で掲載させていただきました。

    「あきらめた夢、ありますか?」のテーマを巡り、親から将来の夢を否定された経験をつづった投稿や、性別で夢を阻まれた経験を持つ投稿を頂きました。多くの方が、一度は夢やぶれても新たな夢を見つけて前進していました。中高生にとっては、もし夢が叶わなかった時にどうすべきか考えるきっかけになったと思います。 貴重なご経験やご意見をお寄せくださり、改めて感謝申し上げます。


    読売中高生新聞編集室では現在、「修業が足りないと感じる時」「人の目って気になる?」について、ご意見を募集しております。

    今後ともご協力いただければ幸いです。引き続きよろしくお願いいたします。

    編集部(トピ主)

    ユーザーID:4981534104

  • 共に支え合えるパートナーと結婚すること

    中部地方在住、40代アラフィフ、女性です。

    元々独身主義ではなかったのですが…
    20代は大学院にも進み、研究に専念していたら彼氏を作りそこね
    30代は専門的な仕事を頑張るうちに、周りの男性は「同志」になってしまい
    40代でキャリアチェンジしてこれまた頑張っていたら、職場の意識低い系に
    「女のくせに博士持ってて生意気」と陰口を言われ。

    せめてプライベートだけでもと優しい雰囲気を漂わせていたら
    一方的に甘えてくる勘違い男が寄ってきて嫌気がさし
    40代半ばで一生一人だなと思うようになりました。

    一方的に甘えて負担ばかりかける男性はごめんです。
    共に支え合い、高め合えるパートナーと結婚したかったですが
    そういう人には巡り合えないか、既婚者でした。

    ユーザーID:5362014796

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