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「できない」のと「しない」のでは大違い(駄)

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生活・身近な話題

しゃん

最近つくづく思うのです。
なにかが「できない」状況と「できるけどしない」状況とでは大違いだと。

例えば
〇 お金がないから安売りのジーンズしか着られない
〇 お金はあるけど、ジーンズが好きだからジーンズばかり着る
って、他人から見れば一見同じように見えるけど、当事者の心境には
天と地ほどの隔たりがあるのではないかと。

なんか生活するにおいて、我ながらこういう事が多いです。
贅沢はたまにするから贅沢であって、贅沢を毎日やってたら
却ってつまんないかも・・・と思います。

これって私だけの感覚なのかな?
皆さんはどう思われますか?

ユーザーID:3129702651

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  • それは

    まったく一緒だと思っています。事実、「していない」からです。しない、できない、にかかわらず、自分で選択してしていないのだと思います。「できない」って、結局、言い訳ではないでしょうか。
    本当は自分がしていないだけなのに、自分の責任を認めたくないから、「できない」という言葉を使っているのだと思います。

    そう考えると、自分のしたいことをするのが大事なことだと思うようになりますし、自分の行動にもっと責任が持てるようになると感じています。

    ユーザーID:8044887939

  • その通りだと思います

    ジーンズの例はどうかとは思いますけど、
    例えば仕事で「時間掛かって億劫な作業だけどそれをすることで
    品質もお客さんに満足してもらえる」ものを作るか?

    「時間掛かって億劫だし効率も悪いからそれなりの品を作る」では、
    大きな違いがありますね。

    もちろん企業なら採算度外視ってことはあり得ませんけど、
    採算内でどれだけのことが出来るか?ってことはやっているわけで、
    それを最初に掲げてやるか?やらないか?の差でしょうね。

    私が以前勤めていた会社、傾きました。
    価格破壊でとにかく安く売るってことで大きくなりましたけど、
    安く売るために必要な仕様を”あえて”落としたんですよね。

    これって一見正しいように見えますけど、実は全然違います。
    余計な機能はそぎ落として本質だけに特化したものを安く売るのは
    理解出来るし、そういう手法はあって良いものです。

    しかし本来その商品に必要な機能を落とす、あるいは機能を下げてまでも
    安く売るっていうのは駄目だと思うんです。
    だってお客さんは「その機能を求めて」買ってくださるわけで、
    それ以外は落とせても、本質は落としてはならないはず、なんです。

    私は自分が退職後に前職が「適当」に仕事してた結果、傾いたので
    これが当てはまると思いました。

    ユーザーID:5923034307

  • 何が言いたいのかははっきりしないけど

    >なにかが「できない」状況と「できるけどしない」状況とでは大違い

    理由がなんであれ、「したいけどできない」と「したくないからしない」とでは、そりゃあ違うでしょうね。本人の気持ちが。
    一方、どちらにしても事実としてしていないのだから同じ、という見方もあると思います。

    >贅沢はたまにするから贅沢であって、贅沢を毎日やってたら
    >却ってつまんないかも・・・と思います。

    贅沢はたまにするから贅沢であって、毎日やってたらそれは日常です。つまんないとかも思わないのでは。
    かつて白米は贅沢だったのですが、トピ主さんは今毎日食べてそれをつまらないと思いますか?

    ユーザーID:9259683685

  • う〜ん

    >〇 お金がないから安売りのジーンズしか着られない
    >〇 お金はあるけど、ジーンズが好きだからジーンズばかり着る
    って、他人から見れば一見同じように見えるけど

    安物のペッラペラのジーンズとブランドものなら見た感じで判りますよ。

    >贅沢はたまにするから贅沢であって、贅沢を毎日やってたら
    却ってつまんないかも・・・と思います。

    例えば誕生日に特別な事をするとかのを
    毎日やっていたら感動したりありがたみがなくなるなって思います。

    >なにかが「できない」状況と「できるけどしない」状況

    他人からは一見しただけでは判りません。

    仕事などはやらせてみたらできない人なのかは判りますけど。

    できるけどしないってただの言い訳にしか聞こえません。

    ユーザーID:8160526833

  • 贅沢とは

    1万円のジーンズがあったとして
    高校生の時であれば、買えないことはないけど高すぎて買わなかったでしょう。
    今は高校生の時と比べれば10倍以上のお金がありますから
    そのジーンズに1万円の価値を認めれば買いますし、特別贅沢だとは思いません。

    贅沢とは年収や貯蓄、普段の支出、重視する価値などによって変わります。
    年収300円の人が思う贅沢は年収1000万円の人には日常かもしれませんので
    トピの例はイメージがしにくいです。

    私の場合
    掃除能力がないわけではないけれど掃除が好きではないのであまりきれいな部屋ではありません。
    やる気が出れば一気に片付けてきれいにできるけれど普段はしない、のと
    掃除能力がなくて常に汚い部屋である人がいる場合に
    他人から見れば掃除をしていない事実は一緒ですから特にきれい好きの人からすれば私の部屋も呆れられるでしょう。
    こういう意味では一緒です。

    ですが、好きでやっている(ジーンズばかり着る)のと
    仕方なくやっている(安物しか着れない)の差は確かにあると思います。

    とはいえトピ主さんの結論、贅沢はたまにするのがいいに持っていけません。

    ユーザーID:2750313653

  • びっくりを押しましたが(駄)

    違いはない、と思うからではなく、
    私にとってはあまりにもそれは当たり前で、
    つくづく思ったり自分だけの感覚かなどと考えたりするのに驚いたからです。

    ユーザーID:5496968718

  • 大差はないと思います

    トピ様の例で言うと、お金のない人がジーンズ以外を着たい人なら違いが大きいでしょう。でもお金がないからジーンズしか買えないが、ジーンズが好きだからそれでいいって人もいます。それだと「できない」のと「しない」ので大差ないです。お金がないから買えないけれど、お金があっても買わなかっただろうなと思うのなら、ほとんど差はないのです。

    ピアノコンサートは1年に1度しか行けませんが、TVでたくさんコンサートを観ることもできます。1回をすごく楽しんで見れるし、お金があっても1回しか行かない人と心境が違うとも思いません。

    ユーザーID:6574772649

  • 私はわかるなあ

    私は、トピ主さんの言いたいこと分かりますよ。同意もします。

    ある必要なものを買う時に、高級なものは良質なのは分かっているけれど、
    自分が求めていることに対して、+アルファでしかない。

    それを、いらないわと思って切り捨てる(あるいはその魅力にお金を出す)という選択ができるのは、余裕があってこそ。
    選択すること自体にも、満足を得られるし。
    本当は、あちらが欲しいけど、これしか買えないから我慢することは、時として、すごくみじめな気持ちになったりもする。

    同じもの買うんでも、自分の心持ちが違うんですよねー。
    その商品に対しても、自分に余裕があるときには十分満足していたのに、それしか買う余裕がなくなったとたん、アラを感じてしまったり…。

    余裕(お金も気持ちも)って大切だなって思います。

    ユーザーID:4867096052

  • 恥ずかしながら。

     子どもの頃に、練習はしたのですが。
    自転車に乗れませんでした。基本、交通の便のいいところに住んでいたので影響は少なかったのですが。

     結婚・出産し。何かと不便を感じ始めました。子どもが2歳過ぎぐらいでしたか。自転車講習会があったので申し込み、なんとか乗れるようになりましたが。そのまままた乗らない生活。翌年の夏に。主人が夏休みを取った時。また練習して乗れるようになりました。子どもの幼稚園の送り迎えや、体調崩して病院に連れていく時、重宝しました。

     今は、運動兼ねて、なるべく歩くようにしています。乗れるけれど敢えて乗らないのと。乗れないから乗らないのでは、気持ちの持ちようが違いますかね。

     そういう意味で。”できない”のと”しない”のでは大違いというのは、大いに共感できます。

    ユーザーID:6967697290

  • けるんさんに賛成

    > 〇 お金がないから安売りのジーンズしか着られない
    > 〇 お金はあるけど、ジーンズが好きだからジーンズばかり着る

    でも,

    〇 お金があろうがあるまいが,ジーンズが好きだからジーンズばかり着る

    なら,他人から見たら違っていても(“安物と高級品の違いは見る人が見ればわかる”とか),当事者の心境はお金があってもなくても同じ・・・かな?

    これで思い出しました.若い頃,「選び取り直す」という言い方を聞いて感銘を受けたことがあります.

    人はだれも,いろいろな条件を背負って生きている.お金がないとか,美人じゃないとか・・・.そんな条件を,運命に(?)押し付けられたものとして嘆くのじゃなく,自分で選び取ったものと考える(あらためて,自分で選び取る).自分は清貧の生活を選び取った,私は外見の美しさに惑わされない生き方を選び取った・・・.

    単なる負け惜しみとは言い切れない,生きる知恵があるように思います.

    「贅沢」に関しては,別の話?.

    ユーザーID:5352934153

  • わかります。

    賛成します。
    うちの息子は小学生なのですが、
    甘いものとかクリーム類を食べないので、
    誕生日ケーキやクリスマスケーキを欲しません。
    私も、甘いものは好きではないので、
    誕生日にもクリスマスにも、ケーキを買いません。
    我が家では、ケーキは贅沢品かつ不用品という位置付けです。

    先日、クリスマスにケーキが買ってもらえない子供達、という、
    子供の貧困のテーマを取り上げた記事を見て、
    ケーキは嗜好品の類で、別に必要ない食べ物なのに、
    食べられないことがなんでかわいそうだろう、、、と思っていました。

    でも、自分はケーキを買おうと思ったら買えるのだから、
    ケーキを食べたくても買えない気持ちというのは、
    多分理解できないんだろうなと思います。

    ユーザーID:2475946715

  • 慣習

    あまりに当たり前の事だと思い、びっくりを押しました。
    トピ主さんは、「ハレとケ」の慣習をご存知ないですか?
    日本に古来から伝わる伝統的な考え方です。
    ハレ、は祭・祝いの時などを非日常と考え、特別なものを着て特別なものを食べます。
    ケ、は日常。普段の生活です。
    近代化によって、年がら年中贅沢できるようななったかもしれませんが、生活には節度やけじめが必要、ということです。
    昔は歳時記を見て献立も決めたようですよ。
    ハレの料理、ケの料理があるんです。
    その方が、理にかなってると思いますけどね。

    ユーザーID:8610563901

  • 主体性

    主体性をもって選択できるという事と、
    主体性をもてない状況でやらざるを得ない事は、
    人生、全く違うと思います。

    トピ主さんの贅沢の例は、ちょっと違うように感じますが。

    ユーザーID:3991020616

  • レスします

    トピ主さんの考えは、普遍的なものかと思います。

    「これって私だけの感覚なのかな?」

    ほぼ全ての歴史書、宗教書(バイブル、コーラン、経典等)に、むやみな贅沢や欲の戒めが書いてあります。
    むやみな贅沢を律し、無知を律していくべし、ということです。

    ユーザーID:3039899163

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