コミュニケーション能力について

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近年、学校や社会でコミュニケーション能力を説かれるようになりました。
私自身も痛感しており、もっともなことだとは思っています。

しかし現代社会は、どんどん人と接しないような仕組みになりつつあります。
とある病院では機械でお会計を済ませ、「お大事に」の一言すらありません。
会社を見ても伝達や連絡はすべてメールになっていたり、コンプライアンスを気にして会話がない部署もあります。
言われているコミュニケーション能力は、対ヒトの事だと思われます。
今や、対面しなくても仕事が成立するケースがよく見られます。

私の例だと、ある外構工事をネットで検索して依頼しました。
数百万の見積もりでしたがメールでやり取りした後、そのまま着工しました。
すべてメールで打ち合わせができ、一度も担当者や現場の人と顔を合わせず完了してしまいました。

コミュニケーション能力は、あくまでも能力だと思っています。
運動音痴がどんなに訓練しても、良くはならないのと一緒です。
私は学生時代運動部に所属しチームワークを培えると思ってましたが、寧ろ個人主義になってしまいました。

要するに性格がそのまま、コミュニケーション能力に直結していると考えます。
コミュニケーション能力が大事と言ってしまうと、強迫観念に悩まされる人が出てしまいます。
コミュニケーションはとれた方がいい、位でいいと思います。

能力には個人差があるので多様性を認める価値観の主張にしませんか?
そして能力が無くても、機械が助けてくれる時代にもなりました。
外国語の出来ない私が翻訳機で、まさかのコミュニケーションが取れた時は本当に嬉しかったです。
私はコミュニケーション能力に踊らされなくていい、と主張したいです。

ユーザーID:5903005201

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  • そうね

    人と接触する機会が減るので 余計に人は人のぬくもりや声を聞きたいと思う場合もあるのではないでしょうか?

    少し前に観たテレビで若い夫婦が自宅でも隣に並べたパソコンで違うゲームをしながら
    スマホでご飯どうする?などといった会話をメールかラインでしてたのを見て仰天しました
    どうして隣に座ってるのに会話しないの?と疑問を持ちました

    トピ主さんは そのような夫婦は理想ですか?
    私には無理です
    声を出して会話しない、目を合わせない、相手と感情を共有しない事は相手と一緒にいる意味がないと思ってしまいますし寂しいのです

    コミュニケーション能力というより どんな方法でもコミュニケーションするから人は楽しいと思えるし、悲しみや苦しみを共有できたり乗り越える事ができると思います

    コミュニケーション能力に踊らされる必要はないですが
    耳に障害がある方は手話でコミュニケーションするように
    病院へ行った時に 少なくとも自分の症状を一方的に伝えるだけでなく
    医師からの質問により細かく答えたほうが治療もスムーズにいくと思いますが
    医師と目を合わせられないとか、質問に答えないなどは治療が難しいのではないでしょうか
    同じ日本人同士でも機械を頼って機械でコミュニケーションしたいですか?

    例えば発達障害で目を合わせない、自分の気持ちを言えない場合はその補助になるものは必要だとは思いますからそれをまず表示して、会話の介助的なものがあるのは良いと思いますよ

    ただ発達障害ではない方々は余程病んでる時でなければ人とのコミュニケーションは苦痛ではないと思いますよ

    ユーザーID:4056759900

  • 何かこだわりでもあるのですか?

    コミュニケーション能力は重要だと思います。

    発言小町でのトピやレスも、コミュニケーション能力がなければ、他人が理解できない文章になります。学校や職場でのおしゃべりも業務連絡もメールもコミュニケーションです。

    なので、
    >コミュニケーション能力が大事と言ってしまうと、強迫観念に悩まされる人が出てしまいます。
    と聞くと「そうなのですか?」と思ってしまいます。

    「コミュニケーション能力が大事」という言葉を大袈裟に受け取る人なら強迫観念に悩まされるかもしれません。

    「手洗い・うがいが大切」「バランスの良い食事が大切」といったものでも、こだわりすぎると、毎日100回以上手洗いしたり、食事の栄養分を必死に調べる人がいたりします。

    私は友人とおしゃべりはできるし、仕事上の打ち合わせもできますが、営業マンにはなりたくありません。

    「コミュニケーションができれば営業もできる」と言われても、まったく知らない人とうまくコミュニケーションを取って商品を売り込むことは性格的に無理です。

    また、社内の人の誰でも彼にでも気軽に話しかけられる性格でもありません。

    ところが、そんな私に社内の業務改革の仕事がきました。業務改革のために社内のいろんな人に改革の目的や方法を説明・説得する仕事を与えられました。

    仕方なく、改革の負の側面に反発する人達と話を重ねて、改革への理解をお願いしていると、いつの間にか、自分が話したくなかった人も(ある程度は)説得できるようになりました。

    会社で言われているのは「コミュニケーション能力」だけでなく「経営者視点を持て」や「お客様の気持ちになって」「英語は話せないと」などなどたくさんあります。

    それを全部「達成」しないといけないのなら、病気になります。

    点数で合否が決まる試験ではないので「○○が大事」=「○○できる方が望ましい」と翻訳すべきです。

    ユーザーID:2230369996

  • コミュニケーションとは対面とか会話って意味ではない

    対面でのやり取りだとか挨拶、会話をすることが
    コミュニケーションではなく、

    いくら機械を介していても、例えば「Aさん(A側、といってもいい)の
    意図がBさん(B側)へ伝わり問題なく済めばそれは
    コミュニケーションの成立」と言えるのです。

    会社でIT部門などは隣の席の人に問い合わせ一つするにしても、
    メールでやり取り・・なんてことはインターネット黎明期には
    よく聞きました。問い合わせに対して同僚が的確に答えを出し。
    聞いた人がそれを実行し完成させた・・
    これはこれで「コミュニケーション成立」なわけです。

    上司が部下に業務命令を出した(口頭でも社内メールでも)としましょう。
    部下はその指令を聞き(見て)、業務を完璧にこなした・・
    これがコミュニケーションであって、対面がどうとか、機械だから、
    という話ではないのです。

    どうもこの手の「コミュニケーション(意思疎通)」ネタに関しては、
    「カンバセーション(会話)」と混同している人が多いですね。

    「コミュニケーション」とは伝えたか?伝わったか?、出来たのか?
    出来なかったか?の問題であって、「伝え方」の問題じゃないんですよね。
    「ただ単に対面で話をすること」は「コミュニケーション」ではない、
    ということです。「コミュニケーション」は「方法」ではなく「目的」だ
    ってことです。

    ユーザーID:7046702289

  • なんとなく言いたいことはわかります

    恐らくコミュニケーション能力だけならず、日本は「〜能力」が大事となると書籍もテレビも一斉に同じようなことを言いだし、全員みんながみんな同じ価値観で右向け右というのが気になるのでしょう?違うかな。

    多様性に本当に欠けているコミュニティだなと思いますよ。45まで長年帰国子女、外資勤務、海外駐在、駐在妻をやってるおばさんから見ると。
    仰られるように、元々の能力って千差万別ですし、全員が同じスキルを持っていたら、それこそ会社や組織なんて成り立ちませんよね。
    人それぞれの得意分野があるから、お互いの多様性を寛容に認め合い、チームワークが成り立つのだと思います。

    コミュニケーション能力は確かにあった方が、社会や集団の中では便利だし、有利な面もあると思いますが、トピ主さんの仰れるようにそれ「だけ」に固執し、踊らされる必要はどこにもないと思います。

    今の時代、ネットにせよ、航空ネットワークにせよ、世界は近く、狭いです。価値観も、それぞれ、多様です。

    ユーザーID:0516839229

  • いいんじゃないですか?

    多様性として認めるにしても
    コミュニケーションがとれる人や、
    苦手でも頑張って克服しようとしている人達を評価するのは自由ですよね。

    コミュニケーションがとれない人を減点はしないが、それ以外の人達を加点する。
    その加点について文句言わなければ良いと思います。

    ユーザーID:8021967205

  • 目線の高さ、案件の難しさの問題

    何歳の方かわかりませんが、あまり難しい場面に遭遇したことがない方のようですね。

    おっしゃるとおりです。最初から利害が一致していたり、簡単な案件ではコミュニケーションは不要です。でも、

    >利害関係の複雑な交渉をする
    >多数の人間のマネジメトをする

    などなど、コミュニケーションが必要となる場面というのは、

    「複数の人間の利害が対立、もしくは一致しない場面」

    です。

    これは、メールやスマホが発達する前から変わりません。


    >数百万の見積もりでしたがメールでやり取りした後、そのまま着工しました
    >翻訳機で、まさかのコミュニケーションが取れた

    アナタが挙げてくれた例、前者は交渉しなくても利害が一致している例、後者は他言語の相手と難しい話をしていない例、ですね。

    日本人は世界で見てもウェットな人間関係が好きなので、コミュニケーションが過剰に重視されてきたのは事実ですが、「阿吽の呼吸」「忖度」のようにコミュニケーションレスで進める文化もまたあります。

    >コミュニケーション能力に踊らされなくていい、と主張したい

    コミュニケーションは難しいので、逃げたい気もちはわからないでもないです。
    「忖度」してもらえるとラクだし、気持ちいいですね、きっと。

    でも、社会は人で構成されています。そして、人の価値観(=向いている方向)は原則バラバラです。

    >コミュニケーションはとれた方がいい、位

    皆がこの程度の認識だと、認識の齟齬による争いが多発するでしょうね。

    世の中全員がラクをして何も起こらないようにするには、AIが人間を超える日(シンギュラリティ)が来ないとダメでしょうし、そうなると、人間をAIが支配するようになって、とんでもないフラストレーションが溜まるようになるでしょう。

    ユーザーID:7722129868

  • コンバースさん、横ですがありがとうございました

    主さんの文章を三度読み「いやそれは違うだろう」と書きたかったんですが言葉にならずモヤモヤしてました。

    「メールでの工事発注」「翻訳機」の2件です。

    コンバースさんの文章がとてもわかりやすかったです。勉強になりました。

    ユーザーID:2363564237

  • トピ主です

    コメントありがとうございました。
    ダラダラと長く書いてしまいましたが、言いたかったことはシンプルです。
    コミュニケーションが大事なのは昔から分かっていることなので、
    わざわざ能力として主張する必要はないのでは?ということです。
    それと私の主張は別に人と接しなくていいとは言っておらず、
    寧ろどんどん合理化され人と接しない社会に、危惧ではないですが戸惑いを持つ方です。
    平成の象徴としては東京証券取引所がシステム化され、何百の人がいなくなりました。
    これは会話のない夫婦が理想か?、といった話しではなく、社会が合理化され始めてますよという事です。

    >「複数の人間の利害が対立、もしくは一致しない場面」

    繰り返しますが、コミュニケーション不要論ではありません。
    しかし高い議論(裁判とか国会)などは、能力と言っていいと思います。
    志の高い方は言われなくても、自己研鑽されていることでしょう。

    ユーザーID:5903005201

  • 「コミュ力が大事」を肯定した方が、言いたいことは伝わりやすい

    >コミュニケーション能力が大事と言ってしまうと、強迫観念に悩まされる人が出てしまいます。
    だから、そう言う人のためにも
    >コミュニケーションはとれた方がいい
    と言う表現をしましょう、というのは、発信側の表現、即ちコミュニケーション能力の向上を求めていることになります。

    >私はコミュニケーション能力に踊らされなくていい
    受け手も踊らされることのない受け取り方をした方がいい、ということで、これも、受け手のコミュニケーション能力の向上をも説いていらっしゃいます。

    トピ主様の主張は、どちらかと言うと、コミュニケーション能力は大事、と言う主張の方がしっくり来るように思います。
    ・強迫観念に悩まされる人
    のために発信側はマイルドな発信を心がけ、また強迫観念を持ちやすい受信側は、いたずらに不安にならずにマイルドな受信を心がける。そうすれば、彼らも楽に生きられる、より多様性のある社会が成立するのではないでしょうか、と言う主張なので、「コミュ力が大事」を否定するのではなく肯定した方が、言いたいことは伝わりやすいのではないかな、と思いました。

    >コミュニケーションはとれた方がいい、位でいい
    となると、それを発信側にも適用してしまいますから、強迫観念を持ちやすい人にとっては苦しくなる「大事」という煽り的表現を変更する必要はない、ということになってしまうことになり、ご自身の主張に矛盾が出てしまいます。

    私は、受け手が苦しむことのないような表現を発信側が考えていくことには賛成ですし、受け手が煽られないように受けるようにすることもまた、とても大事なことだと思います。そのために、今後もコミュニケーションというものに対して多くの人に考え続けていってほしいと思います。

    当人の、無理のない範囲でね。

    ユーザーID:0319022946

  • そうですね

    トピ主さんの言うように機械に頼れるものは頼ったらいいし、それで足りない人は喋らざるを得ない、それだけの話ですよね。

    >コミュニケーション能力が大事と言ってしまうと、強迫観念に悩まされる人が出てしまいます。

    そうですね。口下手な人、喋るたびに誤解を招く人には強迫観念に等しいと思います。
    性格に起因するというのもその通りだと思います。
    詭弁を弄んでる楽しんでる人もいるみたいなので、本当に意地悪い性格の人が
    詭弁で絡んで来ると口下手はますます貝のようになります。
    相談援助を仕事にする人はコミュニケ―ション力がある人たちだと思いますが、
    大事なのは、喋るのが上手なのではなく、
    相手の立場に立てるかどうかです。それが性格なのでしょうね。
    中には口が達者で性格の悪いカウンセラーもいますから、そういうのに当たると
    相談者も余計にストレスを抱えてしまいます。
    コミュ力は発信する側が喋れることではなく、受け手のストレスをいかに軽減しながらシンプルに伝えられるかだと思います。
    その逆が多いですね。

    ユーザーID:3058517214

  • 現代だからこそ必要

    2度目です。

    トピ主はじめ、勘違いしている人が大勢います。

    >社会が合理化され始めてますよという事
    >わざわざ能力として主張する必要はないのでは?


    勘違いです。
    「合理化」され、「人との接点が少なくなっている」からこそ重要。

    昔は、モノを買うのは全てお店だったので、「イヤでもちょっとは会話した」。
    今は、ネットでポチって、宅配ボックスに入れてもらえば、誰とも会話しない。

    だから、

    ■ネット上で匿名になっていると、非常に攻撃的になる
    ■公共の場で邪魔になっていても、自分のスマホをいじることしかせず、他人への配慮は全くしない(本人は配慮しているつもり)

    というような人が多数輩出されることになる。


    何度も言いますが「コミュニケーションは難しい、面倒くさい」

    しかし、「価値観、嗜好等が異なる人間が複数集まると、そのすり合わせをしない限りトラブルが起こる可能性が相当高くなる」のです。


    現実はトピ主のアタマの中で考えた理屈どおりにはなりません。


    もうひとつ間違えているのは、

    >運動音痴がどんなに訓練しても、良くはならない


    そりゃ、オリンピックで金メダルが取れるようにはならないでしょう。
    でも、努力すれば相当程度苦手な種目も改善される。
    自分でも気づかなかった特性で、伸びる意外な種目もある。

    こういう経験(他人を含む)すらないのでしょうか。
    コミュニケーション能力も訓練すれば伸びます。


    >要するに性格がそのまま、コミュニケーション能力に直結していると考えます

    そうです。大人になると「本人が能力を向上させようと必死にならない限り変わらない」。必死でやれば「変わる」。

    大多数の大人は「やらない屁理屈を探し、変わる必要性から目を背けている」だけです。

    ユーザーID:7722129868

  • トピ主です

    >受け手が苦しむことのないような表現を発信側が考えていくこと〜

    まさにそうですね。
    掲示板の炎上もそうですが、意図せずそうなってしまうこともあるようですから。
    影響力のある人ほど弱者や世間を知っていてほしいと思います。
    頭の良い人ほど勉強だけでなく、様々な立場の人の気持ちが汲める教育も必要だと思います。
    名門校ほど別学に拘りますが、私は敢えて共学化を希望します。
    討論させるにしても、異性の生の意見が聞けないからです。

    ユーザーID:5903005201

  • 本当ですか?

    >今や、対面しなくても仕事が成立するケースがよく見られます。

    対面しなくてもメールや電話でのやりとりは必ず発生しますよね?コミュニケーションは対面に限ったことではありません。メールや電話だってコミュニケーション力は必要です。

    >とある病院では機械でお会計を済ませ、「お大事に」の一言すらありません。

    でもその病院で医師や看護師とは会話しましたよね?自分の病状を伝えて医師と治療方針を決めることだって立派なコミュニケーションです。

    それと仕事に限った話だけではないと思います。小町を見て入ればわかりますが、「恋愛したいけど異性とどう話していいかわからない」「友達がなかなかできない」という悩みはたくさんあります。
    これだって突き詰めればコミュニケーションの悩みです。

    何が言いたいかというと、生きている限り対ヒトとのコミュニケーションはなくならないし必要なものだと思います。

    ユーザーID:6168638389

  • レス読みました

    >コミュニケーションが大事なのは昔から分かっていることなので、
    >わざわざ能力として主張する必要はないのでは?ということです。

    昔から大事だと分かっていることは他にもたくさんあります。

    何十年も前の学生時代から「これからは英語能力や英会話能力が必要だ」と言われていました。

    パソコンが普及してからはコンピュータの知識が必要とか、メールを使う能力やエクセルやワードを使う能力が必須と言われています。

    他にも食事は大切。歯磨きは大切。お酒に飲まれないように。などなど。

    生きていく上で、大切なモノ、大事なモノはたくさんあります。

    そういった「○○が大切」「○○が大事」という言葉を過剰に受け取ってしまえば、とっても生きづらくなります。

    かといって、こういった「標語」みたいなものをすべてなくし、まったく言わないようにしたほうがよいでしょうか?。

    社会には様々な「○○が大事」という「標語」があふれているのに、トピ主さんがわざわざ「コミュニケーション能力」だけを取り上げて「主張する必要がない」と書くのには何か理由があるのだろうな。と思います。

    だから前のレスに「何かこだわりでもあるのですか?」というタイトルをつけました。

    ちなみに私は体力もなく、運動神経ゼロだったので、「体力作りのためにみんな運動しよう」という標語が大嫌いでした。(あんな「標語」や「運動のススメ」は止めて欲しいと思っていました)

    >能力には個人差があるので多様性を認める価値観の主張にしませんか?
    多様性を認めるために「標語」をなくしても意味がないでしょう。

    たくさんある「標語」のどれを自分が重要視するかを、自分で自由に決められるようにすることが多様性を認めることではありませんか?。

    ユーザーID:2230369996

  • 中身が違う

    世の中にはコミュ力が必要なものと不要なものの2つに分けられる。
    注文したり、決済したりは昔は必要なものに入っていたが今は不要なものに分類されるようになった。
    そのかわり、必要なものの中には、今までになかったものが含まれるようになった、コミュ力を持って対峙しなければならないものがでてきた。
    そんな感じじゃないでしょうか。

    ユーザーID:0347533898

  • 重要だけど避けたいコミュニケーション

    機械化が進む今は、昔に比べると格段コミュニケーション能力が落ちてしまっていますね。

    人間関係で悩みを持つのは今も昔も同じでも、
    今は、特別にコミュニケーションに障害を持っていなくとも、
    実際出会う確率が低くとも非常識な人に会う不安が大きいような、
    また些細な所で価値観の違う人に寛容になれず衝突する人が多いような感じがします。
    これもどんな人にも対処できるようなコミュニケーション能力が落ちたからではないかと思います。
    要は自身のコミュニケーション能力を高めねば寛容性も生まれず、価値観の違う相手は受け入れられない、多様性も受け入れられないのではないかと。
    しかしAI化が進めばますます低下する一方でしょうね。

    人との繋がりではコミュニケーションは重要でも、商業的な社会ではコミュニケーション能力は軽視。
    乖離する願望と要求。どうしたものかと思います。

    ユーザーID:2311861884

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