バブルの思い出

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生活・身近な話題

なお

もうすぐ平成が終わります。皆様のバブルの良き思い出を教えてください。私は、平成元年が21歳でした。臨時ボーナスもあり、社内旅行はディズニーランド、飲み会は全部社内費で経費でおとしていました。ショッキングピンクの金具つきスーツも持っていたし、髪型はロングのソバージュ、カラオケは小室ファミリー、紅い口紅をガッツリ塗っていました。令和元年、51歳です。あ〜夢のような時代だった…

ユーザーID:2049084533

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  • カラオケはステージで

    バブル当時のカラオケは、今のようなボックスではなく主にステージでしたね。
    カラオケパブ、カラオケバー等で歌っていました。

    ステージが一つあり、ボックス席が沢山あって、お酒を飲みながらテーブルで歌いたい曲の番号を紙に書いてボーイさんに渡し、順番がきたらステージで歌うのです。

    他のお客さんたちも声援をおくってくれたり、合いの手や掛け声をかけてくれるので、めちゃくちゃ盛り上がりました。
    友人の十八番は中森明菜。
    私の十八番はアン・ルイス。
    男はチャゲアス、ハマショー、米米、サザン。

    なのでいまだにあの狭っ苦しいボックスはどうにも苦手です。

    ユーザーID:8560828254

  • かなりな利率でしたよね

    当時の花形企業の一つ、証券会社に勤めていました
    初年度の冬のボーナスの額に親が驚き、さらに3月には年度末賞与も出てました
    トサカ前髪にソバージュ、カチッとした肩パッド入りスーツがお約束で週末は踊りまくってました

    定期の利率もよく銀行に勤める友達からの勧誘で定期預金したら今じゃ考えられないほど増えて戻って来ました

    飲みに行っても上司や男性諸君が支払い、女性は手出しが無かった

    結婚式もバブリー
    ゴンドラスモークやワインピラミッド
    イケイケでしたよね
    終わる気がしなかった華やかな時間でしたね
    懐かしいです

    今は超堅実に地味に暮らしています

    ユーザーID:7209307069

  • 同年代です

    “会社見学、説明会”に大学からの申し込みで行っただけですぐに採用通知が来ました(笑)

    見学説明会の後は、フレンチレストランで昼食会とか。
    「この後お時間のある学生さんは是非、お昼、ご一緒に〜」みたいな感じでした。

    今井美樹さんのようなソバージュロング。
    他社の営業マンは、タクシーで営業に来ていたなぁ〜。
    帰りはよくタクシー、呼んであげたな〜。

    社内旅行は海外でした。
    インドアの私には苦痛でしかありませんでした。

    飲み会では上司がメニューを見ながら「ストップというまで、上から順に持って来て。」とワインやシャンパンを希望者の分だけ注文していました。
    私は下戸でしたので、ひたすら美味しいものを食べていました。

    同じく、今、アラフィフ。
    バブリーがなんとなくしみついています。
    好きなブランドはエルメスとシャネルとヴァンクリとティファニー、フォクシー(ベタすぎて自分で書いていて笑えてきます)。
    政治家や芸能人でもないのに、高級国産ミニバンを求める気持ちがさっぱり解らない、やっぱりドイツ車じゃないと。
    世代が下のお知り合いの方々が、いくら子供とスポ少に行く時とか便利〜とか話していても、ドイツ車の大きいのでは駄目なの?と思ってしまいます(絶対に口にしないけれど)。

    マヌカンさんなんて今のお嬢さん方は知らないだろうな〜(笑)

    ユーザーID:2689473675

  • 文化を吸収した時代

    私は当時から同じ職種のパートをやってきましたが、時給がたいへんよかったです。今は当時の半分に近いくらい。

    絵画や陶芸が好きだったこともあり、展示会に出かけては気に入った作品を買っていました。東京へは頻繁に出かけ、美術展や映画を鑑賞し、おしゃれなカフェやレストランでお食事。ショッピングを楽しみました。

    あの頃の熱気は何だったのでしょうか。平成がこんな終わり方(非正規の増加、格差拡大、所得の減少など)をするとは思いも及びませんでした。

    私はちょうど30歳で平成を迎えました。昭和を30年、平成を30年生きたことになります。令和も30年くらい元気で生きられればいいなと思っています。よい時代になるよう共に祈りましょう。

    ユーザーID:0431540627

  • 学資保険が優良だった

    バブル期にかけた学資保険はとても増えたんですね。

    素人でも資産運用がたやすい時代でした。

    バブルなんて長くは続かないと予見して、しっかり計画立てていた人と、ただ踊らされて貯蓄もせず長期ローンを組んだりして楽観しいた人は、その後運命分かれたと思います。

    増える額も失う額も、大きい時代でしたね。

    バブル崩壊後は、リストラで解雇された同世代も多かったですね。
    明暗を審査された厳しい時代でもありました。

    ユーザーID:4170710168

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  • バブル

    郵便局の定額貯金の金利が8%だったのを覚えてます。
    たまたまその日に預けに行ったらそうだったんです。

    後は公務員より証券会社の方が人気がありました。

    ユーザーID:3957730423

  • スーパーカーの高騰

    ローン会社がイケイケで、20歳でも審査はゆるゆる、就職先が決まり
    思い切って跳ね馬マークのスーパーカーを、まだ値段が上がる前に購入。
    (今の国産大型ミニバンの中級グレード価格だった頃)
    あれよあれよと値段が跳ねあがり、お金持ちの社長さんが投機目的で電話をかけてきました。
    最高値で現行ニッサンGT-Rが4台買える程でした。
    あまりの高額と脅迫めいた電話がかかってくるようになり、買ったことを後悔しましたね。
    まだ携帯電話を持っていなかったので、しつこい固定電話への連絡に、親が車を手放せと怒っていたのを思い出します。

    あのころは、家の電話が鳴ると恐怖を覚えました。嫌な時代でした。

    ユーザーID:9771867465

  • 通常どおり

    「バブル景気」を検索して調べてみましたが、当時の私の周囲では本当にそのようなことがあったのかと不思議です。

    私(62・男)の親戚に證券会社社員が数名いますけれど、当時、ニュースで報道されていた(證券会社に入社して5年以下の若い社員のボーナス)が、私が入社して20年後の金額より多く、

    「本当に あんなにボーナス 多かったの?」

    と聞いたことがありましたけれど、

    「あんなの ごく一部の正社員だけよ ニュースではごく一部のとびぬけた話題を強調して報道しているだけで 私達正社員でも その半額以下だったわ」

    なんて返事てした。

    当時の私の周囲、職場でも「バブル景気」の感じはまったくなかった。ニュースだけの世界に見えた。
    東京証券取引所の平均株価がどんどん上昇していき、当時の私たちの職場では休憩時間中に見るニュースを見て、

    「これは いかん そのうち崖から落ちるように 大暴落するぞ 俺は株式を持っていないから直接には関係ないけど 日本経済大混乱してしまうぞ」

    とハラハラした。それよりもあの当時は「雲仙普賢岳」の噴火が続き、それが心配だった。

    ユーザーID:0900259664

  • アウトドア派

    バブルの頃は20代半ば〜後半だったので、主さんよりは少し年上です。

    アウトドア派でした。
    夫婦で車一台ずつ、バイク一台ずつ。
    20万以上するマウンテンバイクを一台ずつ。
    日曜の昼過ぎからスキーに行って、2〜3時間で帰宅。
    ついでに8万円ほどするキャンプセット。
    キャンプはもちろん、設備の整ったオートキャンプ。

    結婚式は、天皇陛下ご用達の某ホテル。

    あれから数十年。
    当時の夫とは離婚し、
    今の夫と再婚。田舎でのんびり暮らしています。

    当時と変わらないのは
    田舎なので、生活必需品として車が一台ずつあることですかね(笑)
    もうすぐ定年なので、穏やかな余生を送ろうと思っています。

    ユーザーID:7308078366

  • 予備校生でした

    国立理系コースにいたのですが、講師が今の大学生は理系を専攻しても証券会社とか行ってしまう、給与が違うからと言ってました。
    予備校教師もスター的な存在で、高年俸でした。
    東大出て予備校教師になりたいという生徒も多くいました。
    昔も書き込んだのですが、私は親から、予備校代やら夏期講習代だの受け取って、実際は特待生免除になっていたのですが貯めてました。
    大学で1人暮らしを始める時、銀行のお姉さんにお金持ちですねと言われました。

    ユーザーID:2409710657

  • お懐かしい

    不動産会社勤務でした。
    入社して3日後に社員旅行、2ヶ月後にボーナス支給、
    暮れには会社から高級海産物やらフルーツやらのお歳暮が自宅に届きました。
    飲みに行ってお金出した事ありません。
    月に一度、ホテルで納会、半年に一度海外旅行。
    ボーナスは手渡しだったんですが、上の人達のそれは普通の給料袋が横に立つ人
    (分厚い札束なので四角いから)、A4の書類封筒でもらう人…。
    あれは一体いくら入ってたんだろう?。
    毎日毎日4、5千万入ってる普通の紙袋持って帰ってくる営業マン。
    袋がないとかで黒いゴミ袋に入ってたのも見た事あったかなー。

    今その頃の写真みると恥ずかしい。

    ユーザーID:1468427903

  • 体感した感じだと

    バブル期と言われている時代、不動産業に従事していました。
    世間で、言うよりも現場の体感は、ちょっと違います。

    昭和61年
    東京都心部でのオフィスビル用地が、足りなくなったために
    個人住宅が、買いあさられた事が、発端?という感じです。
    都心3区(中央、千代田、港)が、とくに高く売買されました。

    翌年、都心部の土地を売った人が、周辺部(世田谷、品川、目黒など)で、売ったお金をもとに買いあさり始めました。
    いわゆる玉突き現象のようでした。

    都内の土地を売った人は、川崎や横浜などに土地を求めました。
    当時、ドラマで人気のあった田園都市線などは、高騰しまくりました。
    川崎よりは、横浜の方が、人気ありましたが、イメージの問題?
    車のナンバーが横浜だからだとか・・・

    都心と周辺の地価高騰は、昭和63年のはじめ頃には、落ち着き初めていたというか・・・
    実際には、国土法が、施行されたので売買価格の上限が決められて多高騰が止まったという感じです。

    実需では、なく転売のために買う人(業者)が、移転登記もしないまま次々と転売されていきました。
    また、B勘といって契約金額にプラスした分を領収書無で、要求する業者も数多くいました。

    平成になっても続いていた?という感じは、都心部で不動産業をしていた私には、実感はありませんでした。
    ですが、都内や神奈川が、あれだけ上がったのだから、うちの辺りも・・・といったような相関的なものではなかったのかなと思います。

    ユーザーID:9001372571

  • 中学生でした。

    世の中がバブル絶頂の頃にはまだ中学生。
    しかし世間が浮かれており、華やかだったのは感じていました。
    肩パットのしっかり入った派手なスーツの女性たちを見ると、大人になったらああやって通勤するんだと思っていました。
    先生や親たちからは、お前たちが大人になる頃には就職なんていくらでもあるし、本当によい時代に生まれたなんて言われたことも。
    そしてお年玉という形で恩恵を受け、冬休みだけで10万円稼ぎました。
    しかし高校生になった頃にはバブルは崩壊。
    世の中は暗転し進学を諦める同級生も。
    程なくして訪れた超氷河期で就職活動は困難を極め、「女だから」「自宅通勤じゃないから」「短大だから」との理由で、会社案内すら貰えないこともありました。
    今じゃ考えられないですね。
    何とか就職して結婚、早くも40代となりました。
    元気なうちに頑張って働いておきます。

    ユーザーID:4626093485

  • 笑った人は一握り

    結局、いい思いをした人はおすそ分けにあずかっていた程度の人でしょうね。

    当時、独立して商売を始めた人、家を購入した人、金融商品の高値を掴んだ人と、いろんな人を見てきましたが、その後はみな地獄を見てます。

    バブルの代償は未だ社会に大きな影を落としており、その精算がいつ終わるのか、先が見えないです。

    ユーザーID:7279610075

  • あこがれのバブル

    バブル絶頂期は貧乏学生でした。

    テレビでジュリアナとか見て、「私もあと数年後には・・・」と夢見ていました。

    私が就活をする頃は、若干採用を控えるといった陰りが出ていました。
    友人も希望する企業で採用がなかったといってましたし。
    まだ「バブル崩壊」という言葉がなかった時期です。
    そうとも知らず、当時イケイケの業界に就職する気満々でしたが、
    諸事情あって、地元の零細企業で働くことに。

    で、不況の時代へ。幸か不幸か何とか不況を乗り越えて来れました。

    バブルの恩恵といえば、貧乏学生の時に貯めて作った定額貯金が、
    10年後に満期になったぐらいです。
    10万円が14万円になって帰ってきました。今ではありえませんね。

    ユーザーID:4481443180

  • バブルメイク

    トピ主さまと同じ年です。
    バブルといえば当事流行った口紅を思いだします。
    クリスチャンディオールの475。
    海外旅行のお土産にもリクエスト。またはリクエストされたり。
    なぜ、あんな青みがかったピンクがよかったのか今は謎です。

    ユーザーID:2137871542

  • 株とゴルフ会員権の購入

    私は、平成元年時28才で結婚5年の子供が1人居ました。

    資産家でもない、大企業勤めでもない、普通のサラリーマン家庭で投資の知識も無いド素人が、
    株を買い、ゴルフ会員権を買いました。

    株は暴落後かなり損をして売りました。←金利が下がり家を建てる頭金にする為に売った。
    ゴルフ会員権は未だに売れずに(抽選償還?とかで勝手に売れない)ゴルフもしないのに持ってます。
    どちらも見栄っ張りの夫が手を出したのですが、夫がバカだったのか、世の中がバカだったのか…。

    私自身は今で言うワンオペ育児と家事に必死で、バブルを肌で感じた記憶は有りません。

    ユーザーID:4846352430

  • 踊り狂っていた

    ような印象ですね。
    まだ20代前半の小娘で、単なる事務員だったけどボーナスが破格でした。
    銀行の金利は確か3%だったかな。
    あの頃はやっていたディスコでは、毎週水曜日に女性のみタダで入れて、好きなだけ飲み食いできました。
    とにかく景気が良くて、みんな踊り狂っていたような印象があります。
    女性は結婚したら寿退社して、専業主婦になるのが当たり前でしたし、仕事で正社員になれなくて苦しむ、なんて事はなかったですね。
    私は学校の勉強もできなかったし、資格なんか何もなかったけど、大企業に就職できましたし。
    いい時代だったとは思うけど、何かが間違ってて何かが狂っていたような気もします。
    今があの頃よりもいい、とは思いませんが。
    まあたくさんいい思いもしたし、いい思い出ですよ。
    経験できてよかったです。
    今の時代しか知らない若い人には信じられないような時代かもしれませんね。
    第一次高度経済成長期は、更に夢のような事があったようですよ。
    私の父の現役時代ですが。
    夜飲み屋さんに行くのは全て会社の経費、母もしょっちゅう父の会社持ちで飲み食いさせてもらい、タクシー券は使いたい放題、だったそうです。
    昔の日本は庶民が豊な生活できていたんですね。
    ちなみに私は50代半ばです。

    ユーザーID:6883686475

  • 皆さまのお話うらやましい

    とぴ主さんより少し上の世代ですがバブルを現実には体験しておりません。

    ちょうど日本がバブルで潤っている時、海外をてんてんとしておりました。

    ネットもなかった時代だったので日本からたまに送られてくる○Jとかのフアション雑誌で日本の様子がわかる程度でした。
    独特の髪型やパットの入った大き目の服とかは知ってました。
    驚いたのは女子大生たちが当たり前のようにブラントのバッグを持ち、化粧もすごかったこと。
    レミニッセンス、アルファーキュービック、アニエスべー、バナナリパブリックなど未だにご縁がありません。
    なぜか帰国子女も大流行で雑誌で特集が組まれていました。


    一方海外の貧乏な学生だった私はほとんどジーンズ、仕事をしてからもブラウスにスカートなんて感じ。
    あー、でもそれはそれで楽しく過ごしておりました。
    マハラジャとは言わないまでも住んでいた国ではイケテルと言われていたディスコで踊ったりもしていましたから。

    それでも、日本に帰ってからはぜぇーったいワンレン、ブランド路線を突っ走ろうとゆめに見ておりましたが、、、、
    帰国後すぐにバブルは見事に崩壊。
    せっかく伸ばしていた前髪立ててストレートのヘアもなんだか浮きはじめ。

    個人的にはバブルって何だったんでしょうかというのが実感。

    ユーザーID:5899106958

  • もうすぐ令和

    バブルって平成の象徴のひとつだったかもしれません。バブル時代を20代の若き日として過ごした私は(私達は)この偶然を当たり前に思ってはいけませんね。幸せな平成の若き日々でした。こんな世代はもう無いかも…です。

    ユーザーID:2049084533

  • 金利が高かった

    ピーク時のゆうちょの定額貯金は、7.3%位でした。
    私が預けた時は、6.3%でしたが、今思えば夢のような利率でした。
    利率が3%のものから解約しましたが、その後どんどん利率が下がり、今に至ります。
    解約してしまったことを後悔しています。

    給料も右肩上がりに上がっていました。
    1割増なんていうのもザラでした。
    今は減っています。手取りが変わらない上に、介護保険料が上がっているから。
    仕事があるだけ幸せだと思うようにしています。

    ユーザーID:7631816142

  • 恩恵ナシ。でも後からじわじわと。

    バブル期は子育てに明け暮れてました。
    公務員の夫にバブルの恩恵はなく、バブルインカムを貫くつもりが保育園に入れずに専業主婦になり、節約節約の毎日。
    バブルに浮かれる若者たちはまったく異世界の住人でした。

    その代わりバブルはじけても打撃なし。
    リーマンショックも他人事。
    ずーっと変わらず慎ましい生活続けてます。

    でも今頃になってからじわじわと恩恵が。
    バブル期に契約した個人年金が夫婦共々結構な収入になるのです。

    解約せずに続けておいて良かった。

    ユーザーID:8059794711

  • 懐かしい

    アラフィフ主婦です。

    バブルの頃は社会人になりたてでした。
    当時はバブル景気が普通だと思っていました。

    その当時の彼はBMWの7シリーズに乗っていて
    友人の彼たちもベンツとかジャガーとか高級車に乗っていました。
    デートの費用は男性が出すのが当然でワリカンなんてなくて、
    お財布を開くことなんてなかった。

    髪型はロングソバージュに前髪をヘアーアイロンで立てて
    崩れないようにミストやスプレーで固めてました。
    腰にスカーフなんて巻いたりして今、考えるとすごいファッションですね。

    友人とお寿司屋さんのカウンターで食べていると、
    隣に座った知らないおじさんが私たちの代金も支払ってくれたこともあったり、
    後で連絡先を聞かれるなんてこともありませんでした。

    本当にスゴイ時代だったんですね。

    ユーザーID:3923755992

  • 個人年金保険

    バブルの頃は結婚していたし子どももいたので、独身者のような華やかな思いはしたことはありません。
    バブルの恩恵に預かっていない、とずっと思っていましたが、65歳で個人年金保険を受給することになり、今では考えられない好条件の商品に加入していたことを知りました。
    3%複利なので毎年どんどん年金額が上がっていきます。保証期間も長くて、もし早く死んだとしても遺族がそのあと受給でき損はありません。
    私も恩恵にあずかっていたんだ、と最近思いました。

    ユーザーID:6751379399

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