死生観の変化

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koo

子供

私は今までそれなりに努力してきて、ある程度納得できる人生を歩んできましたが、最終的に死んでそれらも無に帰するわけだし、自分の人生に特に意味はないと思っていました。

でも子供が生まれてからは、子供が無事に育って大人になって幸せになってくれれば、それ以降死んだとしても自分の役目を終えたと思って満足して死ねる気がしています。

それは自分が死んだとしても子供にバトンを渡してそれが受け継がれていく気がするからです。

みなさんは子供が生まれてから死生観に変化ありましたか?

ユーザーID:0058941560

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  • 捉え方

    子供を作ろうとするのは生物の本能です。
    従って、逆説的に言えば、子供が作らないと不安な気がする、自分の人生が無意味な気がする、というのも本能です。

    子供を持ったから、満足感があるように感じるのも本能です。
    よって、死生観が変わった訳ではなく、普通に本能に従えば、そういう自明の順序なんです。

    ユーザーID:8913637072

  • 死生観というか

    子供のころからずっと生き物を飼ってきたせいか、「生きる」こと自体に意味みたいなものがあるとは考えていませんでした。人間も動物だからねって感じで。なのでまあ、いつ死んでもその時はその時と思って生きてきたのです。

    でも子供が生まれてからは、この子ががちゃんと育って一人前になるまでは死ぬわけにはいかんと思うようになりました。子供が独り立ちして、自分の家族をもってやっていけそうだとなるまでまだあともう少し、生に執着しないとです。

    「自分の役目を終えたと思って満足して死ね」るよう、頑張ります!

    ユーザーID:8749160675

  • 子に迷惑かけないようにしなきゃと思うようになった

    「ピンピンコロリで子どもに迷惑かけないような死に方をしなきゃ」
    とか急に考え出すようになった。
    満足とかそういうのないない、ひたすら「認知症で迷惑かけないかなあ、お金足りるかなあ」ってそんなことばっかり。

    ユーザーID:6518942968

  • はいもちろんです

    人生噛み締めて
    生きていってくれて

    家に産まれてきて
    くれて

    幸せな気持ちになってくれる
    だけで私は充分です。

    こちらこそ

    産まれてきてくれて
    ありがとうって思う気持ちは
    今でも変わらずなので

    笑顔の素敵な息子です
    絶やさないように努力して

    幸せな家庭を築いてくれれば
    思い残すことはないと

    そこまで
    思ってます。

    ユーザーID:5582177366

  • 少し理解できます

    自分が長生きしたいなという気持ちは
    子供ができても変化なし。

    でも、命のバトンっていうのかな。
    トピ主さんがいってるようなのはわかりますね。
    生物として、子孫を残すっていう意味ですよね。

    人間は、ほかの生物とちがって
    たくさんのものを生み出す知恵があるから
    生き甲斐とか、人生の醍醐味を追うもの。
    だけど、ほかの生物はただうまれて
    たべて、外敵から身をまもりながら
    子孫をのこして死ぬ。

    そういう意味では
    自分もサイクルのなかで生きてるなとおもう。

    ユーザーID:6838219029

  • 子が生まれてよりも

    これは職業柄なのかもしれませんが、お客様が結婚してお子さんができて・・・・と命のリレーに寄り添っておりますのでね・・・・。

    私は若い頃より「長くは生きたくない」と思ていましたし、自分の子が生まれていろいろあり、現在の夫と結婚しても「生」とか「死」は案外とどうでもよかったかな。

    でも、現在のFPと言う仕事を本格的にしてからは、継がれる命のリレーをどうしても見届けたくて「100歳まで仕事する」になっている。

    新しく生まれてくる命が愛しくて愛しくて、この子たちの幸せを見続けていたいと50代にしてようやく思えるようになったな。

    娘には「自分の孫はどうなのよ」」とやっかまれますけど(笑

    自分の子を産んでもそこまで思わなかったのは事実だー!
    娘よスマン!私は沢山の子と孫を得てしまっているのだよ!
    ママは100歳まで仕事するどー!(爆笑

    死生観は仕事の達成度に準じて「生きるぞ!」に変化しました。

    ユーザーID:7695990543

  • 変りましたよ

    輪廻転生じゃないですけど、もし、死後にいつか生まれ変われるものなら、文武両道で性格も優しい息子の孫になって生まれてきたいですね。

    きっと、とっても優しいおじいちゃんだと思うし、孫として生まれた私を可愛がってくれること間違いないからです。

    本人にも伝えています。笑

    こういう未来のミライの楽しみがあります。

    ユーザーID:3463501207

  • 多少は変化した

    ひとり娘に子供が生まれました。
    私は祖母になり、若くして亡くなった夫のDNAを孫に引き継がせることも出来ました。
    本当に子供がいて良かったとしみじみ思います。
    動物の本能かもしれませんが、命のバトンを渡せたので、自分の役目も終わったなあと思います。
    あ、長生きはするつもりですよ(笑)

    ユーザーID:0388773044

  • 自分が受け取ったバトンを渡す

    あなたの「自分が死んだとしても子供にバトンを渡してそれが受け継がれていく気がする」という思いは大切なものです。

    あなただけがそう思うのではなく、あなたの親もまた子であるあなたに対してそう思っていたに違いありません。あなたが、自分の親のその思いを受け取ることが出来た時、あなたの子もまた親であるあなたの思いを受け取ることが出来るのではないかと察します。

    ところで、あなたの思いで気になることがあります。それは「自分が死んだとしても子供にバトンを渡してそれが受け継がれていく気がする」との思いの前提条件は、あなたが子より先に命を終えることが前提になっています。もし逆になったら、あなたの思いは吹き飛んでしまいます。子供が無事に育って大人になって幸せになることを見届けることが出来ない状況になった時、あなたは何を頼みにして生きていくのでしょうか。それが気になります。

    自分の思いだけでは、どうにもならないのが死生観です。あなたの命も子供の命も、自分の思い通りにはならないことが、一般的です。子供が物心ついた頃に反抗期を迎えて、親と対立するかもしれません。その時、かつてあなたが親と対立したことが甦ってくるかもしれません。

    大切なことは、あなたのバトンを、あなたが死んでから子供に渡すことではありません。生きている今、バトンを渡すことです。そのためには、あなたが自分の親から渡されたバトンが何だったのかを問うて受けることです。

    なぜなら子供が親のバトンを受け取れるとは限らないからです。そもそもあなたが自分の親から受け取ったバトンは何だったのでしょう?それを子供に伝えることが出来た時、子供があなたからバトンを受け取ることが出来るのではないでしょうか。

    ユーザーID:2022165475

  • 私もそうです

    何か大きなことを成し遂げて大成するとかはどうでもよくなって
    子供が健康に元気に大きくなって、きちんとご飯が食べられるぐらい
    お金を稼いで生きていけるように育て上げることのほうが
    大事になりました。

    自立して独立できるようになったら
    もう私の人生は終わりで良いです

    ユーザーID:3238729539

  • 死生観

    100年程前の平均寿命って、40歳くらいだったらしいですよ。
    とすると、子供産んで育ててたら、もう自分の死を意識してた訳ですよね。
    明治・大正時代に書かれた本など読めば、人間の本来の死生観がわかるかもしれませんよ。

    ユーザーID:6086432478

  • 子供を産んだからより

    80代の親を見ていて変わりました。元気なんだけど枯れ木のようになっていき病院通いも送り迎え付き添いが必要になり死が勝つか病が勝つかみたいになり。
    子供が巣立ったら早く死ぬのが幸福と思うようになりました。
    そして楽しいってことは若いこと。若いってことだけで楽しいんだと思うようになりました。

    ユーザーID:1111104644

  • ほとんど変化なし

    結婚する前は、少しでも早くあの世へ行きたいと思っていたけど、子供ができてからは「一応成人するまでは居た方がいいのかな」と。夫が早々にあの世へ行ったので余計に…。
    でも、成人まであと片手くらいですから、もうその後はいつ終了してもいいと思ってます。向こうで主人が待ってますしね。

    「バトン」云々は、私は正直思いません。
    それを言い出したら、じゃあ子供いない人は意味がないのか?って感じがするし。
    親も子も、各自の人生を生きるために生まれて、たまたま一緒に生活してるだけなので、子供には一切干渉しません。
    親の責務として、成人まで必要な住居と生活物資と食事を供給するだけです。
    自分の人生は、自分で切り拓くことだけ教えます。
    自分の遺伝子が…とか、正直どうでもいい。

    なので、変化といえば、親の責務が生じてしまった、という変化だけです。

    ユーザーID:2094759832

  • 分かります

    私には子供が3人いますが、初めて我が子をこの手で抱いたときに、
    これで自分がこの世に生まれた役目が果たせたと思いました。
    妻も同じだったようです。

    ただ、その時点では親としてどうあるべきかなどという考えはありませんでした。

    その後、戦争に赴いた兵士の話や名著「楢山節考」を読んで、家族のためには自らの命さえ投げ出せる愛のあること、つまり自己犠牲の愛の存在を知り、自分も子供のためならどんな犠牲も惜しくはないと思うようになりました。

    そして決定的だったのは我が母の死です。
    母は何でも家族優先の昔ながらの良妻賢母タイプでしたが、自ら介護が必要となったときには子供に迷惑はかけられないと率先して施設に入所し、週1回の見舞いも遠慮するほどでした。
    その母の死には感謝で涙が止まりませんでした。

    我が子も成人し、もう親としてすることは少なくなりましたが、この親子の愛のあり方だけは最後にキチンと子供たちに伝えたい。
    それは見苦しくないよう自分の最期を迎えることだと思います。

    ユーザーID:4839078032

  • 死んで無になるって???

    >最終的に死んでそれらも無に帰するわけだし、自分の人生に特に意味はないと思っていました。

    未婚子無しですが、そもそも「何かを遺そう」と思って生きたことがありません。
    功績なり名なりを後世に残そうと思って生きてる人ってそんなにいるんでしょうか。


    自分が生きてるのは、自分が楽しく幸せに人生を全うするためであって、今際の際に悔いを残さないためだとしか思ってません。
    生きてる間の頑張りは、生きてる間に満足感や達成感などで精算されると思ってます。

    意味のある人生=「自分にとって」意味のある人生です。
    誰かにとって意味のある人生を送ったとしても、自分が「無駄な人生だった」と思ったまま逝くのなら、結局無意味になりますから。

    ユーザーID:6801265530

  • 意味はあります。

    子供が生まれる前は「意味のない」人生だったのに、子供が生まれたら人生のバトンを渡せたと、引継ぎが出来たってことですか。

    それ、子供のいない人(特に努力しても授かれない人)にとっては辛い発言ですね。
    勿論、あなたの思考は健全ですし悪意は何にもない、でもなんだか嫌な気持ちにもなりました。

    そもそも生まれた事、生きている事には必ず意味があると思います。
    だからどんな状況の人にも存在の意味はある、子供がいてもいなくてもです。

    ちなみに私には子供がいます、子供が生まれた事で芽生えた多くの気持ちは人生感を大きく変えました。
    でも私はなるべくその気持ちを気持ちの中だけで大事にしています、自分から発信する事で傷つく人がいると思うから。

    ユーザーID:5122848277

  • いろんな人がいるという前提で、

    トピ主さんはご自身が、お子さんがいることで変わった面があるとのことであり、
    自分と同様に、お子さんができたことで考え方が変わった面がある人はいるのかと
    聞いてみたかっただけだと思います。

    なので、お子さんがいない方々の人生や存在意義を否定してるわけではありませんので
    お子さんがいない方々(最初から子を持つ気がなかった人、ほしいけど出来なかった人、人によって違うと思います)
    傷つけるような気もちはないはずだと思いました。

    もちろん、こういう話題には立ち場が違うかたへの配慮は必要だと思うけど
    主様は誰かを傷つけるような書き方ではないと思います。

    ユーザーID:7106531324

  • 本当は意味はないのでしょう

    お子さんがいる方の人生も
    お子さんがいない方の人生も
    両方ともに
    意味って、ほんとは無いのかもしれません。

    でも、人間はほかの動物に比べて
    きょくたんに知恵がつきすぎてしまってるので
    人生や生きることに意味を見出さないと
    生きていかれへんのかも。

    だから、どんな立場の人間であろうと、
    人生の主役であるご本人が
    「私の人生なんて意味ないやん」と思ってしまえばそれまでです。


    たまたまトピ主さんにとって
    いみを見出すきっかけが、子を持つことだったって事でしょうね。

    ユーザーID:9177643756

  • トピ主です

    みなさんの色んな角度からの書き込み、はっと気づかされるような
    事もあり、すごくためになります。

    私は無宗教で、生命は分子の集まりが一つの塊を作って動いているものだと思っています。死んだら、灰になり、またバラバラの分子に戻っていく。

    もし散り散りになった私の分子の一部が新しい分子の塊をつくり生命をつくるのであれば、もしかしたらそれは仏教でいう輪廻転生なのかもしれませんね。

    そういう生命の流れに属していると大局的には悲観的な意味ではなく、自分の人生の意味は特にないと考えるようになりました。

    ただ頭でわかっていてもどこかで自分にとって満足できる意味を見つけたかったのかもしれません。

    だから子供が生まれて、そのかけがえのなさからこの子を幸せにすることが私にとって最大の生きる意味なんだと見つける事ができてすごく嬉しかったんだと思います。

    別に意味なんか求めなくても楽しく人生を全うできる方、別の事で意味を見出せる方もいらっしゃると思います。

    それもまた尊重されるべき生き方です。

    ユーザーID:0058941560

  • ごく若いころと比べて

    十代の最後のほうは、人間には死を選ぶ権利があると思い込んで、恥の人生を送るなら、死んだほうがましと、ギンギンに考えていましたが、子供を産んでからは、死んでたまるか、生き残って子供を守らねばと思っていました。
    今は死ぬ気はゼロです。むしろ、健康に留意して、健康寿命で長生きして、人生を楽しもうと思っています。子供とも長い間お友達で、仲良く年取っていきたいと考えています。

    考えてみると、死を選ぶ権利などないと思います。
    寿命に従って、定められた命で、これは仏教の教えですが、天の命ずるまま生きながらえるしかないと思います。
    人間は太陽が運航する限り、生き続けなければならない、そう十代のころに教えた人がいましたが、それも生物としてのサイクルを持つ人間として、然りだと思います。
    子供が生まれること自体、第二世代を生み出したのですが、ファミリーツリーが続く限り、見守る義務があると思います。
    命の限り、生物としてのサイクルは続くでしょう。

    ユーザーID:2469955797

  • 輝き

    頑張って生きてきて、死んだら焼かれて
    煙突から自分の分子が空中に放たれて大気に触れていくなんて素晴らしいです。
    その時、最期に輝くんじゃないんですかね。
    哀しいけれど素晴らしい。
    生きるって素晴らしいです。

    ユーザーID:7337070401

  • 子供と自分は別物です

    いそじオバサン様と同じです。

    私も、30歳くらいで死のうと思っていました。(もちろん自死ですよ)。
    その後は余生のつもりで生きていたら夫に出会い、夫が子供を欲しがったので40歳で一人産みました。

    子供が18歳になるまでは責任があるので死ねないなぁとは思っていますが、その後は私の自由だと思っています。

    結婚するまでは飛行機の操縦を趣味にしていて、エアロバティック(アクロバット飛行)をやり始めたところだったのですが、妊娠した後はやっていません。やっぱり責任感からです。

    子供は私の遺伝子は受け継いではいるけれど、生命を受け継ぐとかいう感覚は無いですね。
    子供は子供で一人の人間だし、私は無神論者なので、生まれ変わりも信じていません。
    自分が死んだらそれで終わりですよ。

    子供が自分の生きる意味?っていうのも感じません。
    自分は自分が楽しいことをして、意味なんてなくてもどうでもいいです。

    ユーザーID:5523101345

  • そうねぇ

    子供が生まれてから死生感が変わりました。でも「命のバトン」「子孫を残す本能」という考えはありません。

    感覚的にイメージしてもらえると思うんですけど、
    やりがいのある仕事で出世して、趣味も充実してて友達も多い方がいたとしますよね。でもその人が独身だったら、年老いて死ぬときに「何のために生きてたんだろう」と孤独を感じやすいと思います。

    その反対で、秀でた物を持っておらず、生き甲斐のない平凡未満な人がいたとします。でも結婚して子供がいたら、死ぬときにいい人生だったと安らかな気持ちで死と向き合いやすいと思うんです。家族仲がそこそこであっても。

    キラキラした生活をしている独身の女友達たちも、満たされない大きな何かに苦しんでいるんですよね。それを満たしてくれるのって、結婚と子供なんです。
    彼女たちは自分のDNAが残せない不安に追いたてられているわけではなく、家庭とかホームとか居場所とか人生の伴侶とか無償の愛とか、そういう言葉で表せる存在を求めてるんじゃないかなと思います。

    人って家族を人生の最重要な物として捉えていると思います。

    ユーザーID:9881944856

  • うちの母ですか?

    ごめんなさいね、とても良いトピだと思うのですが。
    私の母と全く同じ事言っているので。

    〉だから子供が生まれて、そのかけがえのなさからこの子を幸せにすることが私にとって最大の生きる意味なんだと見つける事ができてすごく嬉しかったんだと思います。

    これなんか正にそう。
    ある程度の年齢までは嬉しかったですよ。
    だって、お母さんの生きる意味死ぬ意味、私が生まれて変わって、幸せにしたい、って言ってくれて。
    でも、うちの母は逆に言うと子供以外生きる意味というか、楽しみがないんです。
    語ってしまう程、母としての自分が大好き、母としての自分しか存在意義がない。
    だから、子供の存在に精神的に強く依存しているのです。
    ある時期からそれが本当に重くて重くて。
    他所のお母さんが、
    子供?成人したら別人生!私は趣味の手芸のためにいきるわーって言ってるのが羨ましくて。
    いい加減、子供以外の生きがい見つけてよ!
    私はいつまでも子供のままじゃないの!と苦しくなりました。
    このタイプの母親と24時間いる子供の声、ほんと聞いてほしい。
    私は大反対を押し切って、海外まで逃げました。
    未だにあなたの存在が私の生死感を〜とか語ってますが、一切聞きたくない。
    そして、私は母の様になりたくないので、選択子なしです。

    まあ、あなたからしたら、そのかけがえのない最大の喜びとやらを経験しない、可哀想な女性なのかもしれませんが。
    レスのいそじオバサン様や在米55歳様の様なお母様の方が、実は親子仲良し程良い距離だと思っています。

    ユーザーID:2800885814

  • 「生」と「死」ではちょっと違う

    死生観の「生」に関しては、子どもを産んでも変わらず、都市伝説さんの考え方にほぼ同意です。
    他人から見てどんな人生に見えても、自分にとって意味のある「生」であればそれで満足。なので、孤独死でも全然かまいません(死後のことなので自分には関係ないから)。

    ただ「死」に関しては、子どもを産んでからちょっと考え方が変わったかもしれません。
    若い頃は「死」というか、自分という意識がなくなることがとても恐怖でしたが、子どもを産んでから自我への執着心が薄れました。単に年とっただけなのかもしれませんが…。

    子どもに何かを引き継いだとか役目を終えたっていうより、生物学的に自分の遺伝子が残っていくことに幾ばくかの満足感を覚えます。

    ユーザーID:5768029973

  • 生きたという現実

    現代に、歴史的線の点になれたかな、と。底辺ではありますが。それで充分。後は、知らない。自分の来世で精一杯。意外に残された人に悲しみを与えるものかなあ、と。人の死って。自分では、現代小市民の役割は果たせるかな、と。子供はいないので、自分の冥利に尽きる程度かな。自分の役割から離れれる、ほっとした老後が理想です。幸せな人が増えたらいいなあ。純粋なお婆ちゃんになりたい。

    ユーザーID:3407479186

  • 死生観

    シンママです。
    死生観というより、責任感が変わりましたね。
    自分が死んだら、小さな子供に死に顔を見せる事になるし、その後の良い教育も受けさせてあげられないかもしれないから。
    そういう意味で、死ねない、と思いました。
    今、娘は良い大学に入ったし、大学卒業くらいまでの蓄えもあるし、そういう意味では、まあ一つの責任を果たしたという安堵感はあります。
    が、そこからまた自分の人生への責任感や死生観は変わると思います。
    人生って、そんなもんで、ああ、これで全部わかった、なんてもんは、どこまでいっても無いと思ってます。
    死ぬまでいつも学び、謙虚に一生懸命生きる事です。

    ユーザーID:6278086627

  • 妊娠や出産は私の死生観に影響せず。

    私の場合、「死生観は『死』を考えることから始まる」がベースです。

    隣家に住んでいた伯父の死(脳内出血)、級友の事故死(交通事故)、級友
    の死(白血病)、祖父の死(心臓麻痺)など、身近な人の死を複数、幼、小、
    中、高までに経験したので、私の死生観の基礎は高校生までにほぼ出来上がり
    ました。

    元気だった人が冷たくなり、触れても反応せず、語りかけても返事せず。
    「人は何のために生きるか」ではなく、「人は死んだらどうなる?」、さらに
    「私は死んだらどうなる?」と、実感の持てない「死」というテーマに
    幼いなりに向き合いました。

    当時の自分は「生きていることが前提」で、「人はなぜ生きるのか」や
    処世として「どう生きるか」よりも、「死をどう捉えるか」が課題でした。
    その際の相談相手が哲学や東西の宗教に深い知識を持っていた父で、私の
    疑問にも安易な答えは示さず、私なりの死生観を構築するための素材を
    提供してくれました。


    さて、トピ主さんの問いかけは、

    >みなさんは子供が生まれてから死生観に変化ありましたか?

    ですが、子を産むことは自分の生死に直接関係がないので(厳密にはその
    過程で自分を危険に晒す瞬間がありますが)、基本的に変化はなく、何の影響
    も及ぼしていないというのが答です。

    敢えて言うと、私という個体の内部に私でない別の生命体が存在するようになり、
    私の意思とは関係なく動く、私からさまざまなもの(栄養、遺伝子、免疫など)
    を奪い取っていくという不可思議感、違和感がありました。
    こいつ(胎児)は私ではなく私の分身でもない、さっさと私の身体から出てゆけ
    という気持ちの方が強かったです。

    実際に産み落とした後は、「これで私は私(本来あるべき姿)に戻った」という
    終わった感で一杯。
    それを満足感とか達成感と表現する方が多いようなので、私、少数派かな(笑)。

    ユーザーID:5206281826

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