子どものころはわりと自由に遊んでました。
昭和40年ごろの話です。
一軒家が立ち並ぶ、といっても、おのおのの家は平屋で小さくて、塀もなくて、子どもは私道も他人の家の庭も、我が物顔でうろうろしていた時代です。
蛙を見つけて、追いかけて、いつの間にか、ひとさまのお庭にいることもしばしば。
大きな栗の木がある家では、近くに「実を取るのはいいけど、とげでケガしないように気をつけてね」と張り紙があったりしました。
道端にミョウガが生えていて、採り放題だったりもしました。
入って良いところも、いけないところも、子どもたちはおかまいなし。
異年齢の集団で、6年生を頭に、5年生が2人、4年生が2人、3年生が2人、2年生が1人、1年生が2人といった構成でした。
10人もぞろぞろ動いていれば、いくら子どもでも目立ちます。
(本人たちは意識してませんでしたが)
「探険だあ!」とリーダーが雄叫びを上げると、お墓の門を乗り越えて入っていきます。
墓石を叩きながら「この家は○○んち」と裏などを読みながら進んでいました。
「こらあ! 悪ガキども! 何、罰あたりなことしとるんじゃー!」
庭仕事用の箒を逆さまに持った老人が、こちらにめがけて走ってきます。
子どもたちは蜘蛛の子を散らしたように逃げます。
足を引きずっているので(後で聞いたのですが傷痍軍人だったそうです)、素早い子どもに付いてこられません。
捕まったら酷い目に遭うと思って、必死で逃げました。
いや、逃がしてやるつもりだから、遠くから威嚇の声を上げてたんだなと、恥ずかしながら57歳にもなって気がつきました。子どもたちが逃げられるように、決して追いつけない遠くから叱ってくれてたんだと。
いろんな人に助けられたなと思います。
懐かしく思い出される、叱ってくれた大人。
お心あたりはありませんか?
思い出を語りましょう。
ユーザーID:5036956861