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10代の頃に手に入らなかったものに執着する

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生活・身近な話題

なー

トピを開いてくださりありがとうございます。
20代女性です。

タイトルはSNSで以前見たものです。初めて見た時は自分のことだとドキッとしました。

実家は貧乏で、5人家族でしたが、狭い2DKのアパートに住んでおり、自分の部屋はありませんでした。電気、ガスが何度も止まったこともあり、大人になったら自分の好きな家に住み、不自由なく住みたいという気持ちが強く、高校を出て働きました。

18歳で卒業後、社会に出て働き始めて20歳前半で結婚し、家も買え、電気、ガスが止まることない、不自由の無い生活が出来ていると思います。

タイトルに戻りますが、私は10代の頃に得られなかった自分のスペースや自由さに異常に執着していると思います。皆様も10代の頃に得られなかったものがあれば、お教え頂きたいと思います。

ユーザーID:2847397900

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  • 安らぎのある家 かなぁ

    興味深いトピックです。便乗させてください。

    …我が家は、産まれたときから父の権力が強く、
    すぐに暴言や暴力が出るために
    ずっと居心地の悪い家で暮らしてきました。

    母は父に逆らえず、上に兄弟もいましたが父と折り合いが悪く、
    取っ組み合いのケンカをしょっちゅう大声でしており、

    今の時代だったら、何度も警察や児相が
    家にやってきていたかもしれません。

    そんな家で育ってきた私は、いつもビクビク父の顔色を伺い、
    物心が付いてからの夢は、
    「こんなにビクビクしなくても住む、平和な日々を送りたい」
    という、ただそれだけでした。

    社会人になって一人暮らしをした時は、本当に嬉しかった。

    誰の顔色をも伺わず、安心して暮らせる我が家が、
    こんなにありがたいなんて…と。

    現在は、子どものいるいい大人ですが、
    家の中。とくに寝室は自分だけの神聖な空間だと思い、
    誰も部屋に入れたくありません。

    これも、こだわりなんですかね。。

    ユーザーID:1926887900

  • わかりますとも

    私も貧乏出身。過疎地町内で一番安い賃貸住宅出身。駅遠く、車も無し。子供時代の夏休みイベントはラジオ体操とプール通いくらい。
    家族で車で買い物なんてシンプルなことにも憧れていましたし、3、4着の服を年中着回す毎日は嫌でした。ズボンや靴は穴が空いてももちろん履きつづけましたよ。私の執着は10代ももちろん、小学生低学年からたくさんありました。大人になったら絶対脱出するぞ、といつも思っていました。

    そして時は流れ、現在は畳もコタツもいらないソファー暮らし。もちろん冷暖房完備。大きなウォークインクローゼットに洋服、靴、バッグがいっぱい。化粧品も常にストックがある状態(無いと心配)。車はスポーツカー。日本脱出し海外在住。夏休みは毎年2週間ほどとって旅行。資格職。

    これ貧乏からの反動です。お金持ちでは有りませんが中流でもとても幸せです。

    ユーザーID:5052515904

  • 食べ物

    母が働いていたのと戦争末期に生まれ、物が無い時代に育ったためか、食べ物がもの凄く適当でした。

    それで毎日学校の給食を食べるのが楽しみでした。
    おかわりしたくて早食いするようになり
    今でも食べる速度がもの凄く速くて他人にびっくりされます。
    シチューとか煮物とか、手の込んだ暖かい料理に飢えてました。
    母が出すのは、総菜屋のコロッケとか、レトルトのハンバーグとか
    刺身の盛り合わせを人数分に取り分けた物
    水の分量が明らかにおかしいなカレーとか。
    挙げるときりないですが、まともな料理が出てきた試しがないです。
    冷蔵庫には賞味期限切れのものがたくさん入っていて、家族全員食中毒になったりといったトラブルも多々ありました。
    そういうのは食べ物だけじゃ無くて、生活全般がめちゃくちゃでしたけどね。
    でも悪い人じゃないんですよ。愛情深いひとだったと思います。ただ生まれ育ったバックグラウンドが・・ってことなんだと。そのせいか、晩年に病院の調理場でパートをし出してからは、調理師さんや栄養士さんの仕事ぶりを間近で毎日見たためか、かなり改善してましたね。もう遅い・・って思ったけど。

    それで中学生くらいからたまに料理本を見て自分で作るようになり
    母もそれを食べておいしいと喜んでいました。
    ケーキを焼いたときは、すごい!!って感心してました。
    大人になってからも、食事はほぼ自炊で、子供が出来てからも手作りの料理がほとんどで、その結果子供はかなり舌の感覚の鋭い子になりました。身体も丈夫です。虫歯もないし。


    他人からは、どうしてそこまで食べ物に固執するのかわからないとあきれられたこともありますが、食べ物をきちんとしていないと気が済まないんですよね。

    ユーザーID:4681093798

  • 今 ドキッとしました

    私が10代の頃、ほとんど服を買ってもらえませんでした。従妹や近所のお金持ちの娘さんからのおさがりばかり。
    私立の結構お金持ちの集まる高校・大学にいったので周りの友達がおしゃれで圧倒されました。
    特に中学から上がってきた人たちは私が聞いたこともないようなブランドの服を原宿あたりで買っていたみたいです。
    更に、帰国子女が結構いたのでクラスによっては友達同士で英語で話しているのを見てもう、自分とは違う星から来た人たちだと思って羨ましかったのを覚えています。

    その結果、大学卒は業後給料のほとんどを着るものに費やしていた時期があり、今でも服は大好きです。
    また、英語コンプレックスもあって留学したり、現地で働いたりした後英語関係の仕事につきました。

    そう、思い返せば10代の時に手に入らなかったものに執着してきた人生でした。(当方、50代です)
    トピ主さんのおっしゃる通りですね。

    でも、トピ主さんも自分も今現在は「ほとかったもの」を手に入れているのところが人生の面白さでしょうか。
    手に入れるまでの努力は大事ですわ。
    トピ主さんも「手に入れたもの」を大事にして今後もお幸せに過ごされることを願っております。

    ユーザーID:4320700369

  • 食べ物

    昭和51年生まれ中1で平成になりました。
    子ども時代は貧乏で、満足に食べられませんでした。
    夜中に腹ペコで寝られないのは辛すぎました。
    だからか、働きだしたら3人前食べるようになりました。
    いくら食べても食欲が満たされることがありませんでした。気持ちが常に腹ペコで、お腹はいっぱいでも気持ちはまだ食べたい。
    吐きそうでも食べていました。吐きはしませんでしたが。
    デブになり妊婦に間違われました。
    今は胃腸が悪く普通の量です。だから昔の私に戻りました。痩せました。
    あとは、子ども時代、喘息治療のお金がなく、息苦しいのを一か月耐えたことがよくありました。
    当時は喘息は息苦しいのを一か月我慢する病だと思っていました。歩いたら息が止まりそうなのに学校に行って6時間目まできちんと授業受けていましたっけ。
    寝たらやばいから、寝ずに泣いていましたら、よくせきがうるさい、泣き言うるさいと親に怒鳴られました。
    いまだに親は私の発作うるさかったとしみじみ言うときがあります。
    社会人になり数秒で息苦しいのがなおる吸入器を体験し、壮大な感動をしました。
    一か月耐えるのがよくあった、それが喘息なのに、数秒で息が吸える。
    悲しい気持ちとうれしい気持ちが入り交じり複雑になったのは一生忘れません。
    病院からの帰り道でしたが。

    ユーザーID:0343797046

  • 貧乏でした。

    事情があり、10才まで祖父のとこに居て部屋は1部屋、祖父、祖母、私の3人で1部屋で暮らしてたんです。
    一応、実家だから、親戚もよく来るし、落ち着かなかったなぁって。

    今、1人暮らし、まぁ私にとっては広いほうです。

    今の私は20代30代に働いて無駄使いしたこと、もっと貯金すればと、本当に反省と後悔ですよ。

    ユーザーID:7462515233

  • 借地

    実家は商売をしており、お友達の家に比べても大きな家だったと思います。
    かれこれ50年前の小学4年の時に一部建て替えたときにはピアノやクーラーも買って
    その時代からすればどちらかと言えば「裕福」な家庭だったように思います。

    でも、実は実家の土地は借地でした。
    母は、意味も分からない私たち子どもに「この土地が自分のものでさえあれば」
    みたいなことをずっと言っていました。
    地主さんがとても厳しい人で、いつでも「いやなら出て行ってもらう」と借地人が追い出されたりすることがよくあったのだそうです。

    なので、私はとにかく「地べた」に対する執着が強いです。
    結婚して社宅に入った時、初めてアパート暮らしをしましたが地面のない生活が苦痛で苦痛で・・・

    その後、夫の父親名義の土地に家を建てましたが(家は私たちで住宅ローンを組んだ)
    いくら親とは言っても他人の土地、なので、子供のころの借地暮らしと、ほとんど意識的には変わらず
    いずれ「相続」で夫の父親の名義から夫のものになるのが待ち遠しく感じました。
    その当時、義父は75歳くらいでしたので、申し訳ないけれど10年そこそこで自分たちのものになるだろうと思っていました。
    結局、義父は去年100歳で亡くなり、やっと、夫名義の土地になりました。
    もちろん、あくまでも夫のもので私のものではありませんが
    やっと、自分がここに堂々と住めるという、安心感が生まれました。

    正直言って、とても不便な土地で住み替えを考えていますが
    中古でも一戸建てを買うには資金が足りません。
    でも、やはりマンションでは地面がないのが不安でたまりません。

    このまま、土地に執着して年老いてなお一層不便になる生活に執着しなくても、と自分にあきれています。

    でも、50年来染みついた執着がなかなか切れません。
    憧れの地べたを手に入れてやっと一年ですし・・・

    ユーザーID:1710840766

  • 50代になっても

    執着・・・わかります!!

    家も貧乏で借金だらけ、子供のころは辛い思いをたくさんしました。
    父はお酒に飲まれる人で酒癖が悪く収入も安定せず私がバイトして買った自転車や時計を質屋に入れられ戻って来なかったり(泣)
    遠い高校も歩いて通った日もありました。

    借家もきちんと家賃を払わないから追い出されたこともあったな〜。
    6人家族で小さなアパートでプライベートなんて無かった。
    高校の頃が一番貧乏でバイト代もそれほどないので工面出来ずみんなと就学旅行に行くことができなかったのが一番悲しい思い出です。
    おしゃれも全くできないしお腹もいつも空いてました。

    早く働いてこの状況から逃げたいと思ってました。
    妹が高校に入学した時は(私は働き出していた)制服も教科書も買えず兄の友人に頼んで借用書を書いてお金を借り購入し無事分割返済しました。

    誰にも邪魔されず自分の部屋のベッドで撮りだめしてるバラエティ番組や映画を見るのが楽しいです。

    やはり反動と執着だと思いますが今すごくおしゃれをしています。
    高いものではありませんが服やアクセサリー、バッグは結構買ってしまいますね。
    学生の頃いつも同じ服でバカにされたことがあるのでよけいです。

    そしてランチや居酒屋で美味しいものを食べることが本当に幸せです!
    苦労して育った妹と「贅沢かもしれないけどおしゃれとこのランチ巡りはやめれない。やっぱり反動!」と話します。

    50代になって思うことは子供は一人なんですが私のような苦労はさせたくなかったけど少し甘やかしたかなと心配したりします。
    でもきっとあの貧乏には耐えれなかったと思うよ・・・。

    今一番大切なのは健康!!
    ここ数年体調が悪かったのでこれ以上の財産はないかもと日々実感しています。

    やっと抜け出した貧乏、健康で元気に頑張りましょうね。

    ユーザーID:5325937031

  • トピ主です

    皆さまコメントありがとうございます。
    一つ一つ読ませて貰いました。

    電気、ガスが止まるはもちろん、食べるものも困った時期がありました。おかずは少なく、白米だけは確保できたのでチャーハン、オムライスなどは食べることができ、今でもお米は大好きです。

    親から殴られる事もあり、気が休まらない日々もありました。ただ、ご飯は食べる事が出来たし、プールに連れて行ってもらえたりと親に愛されてなかった訳では無いかな、と今は思います。

    大学進学も考えましたが、金銭面で親には頼れず、奨学金も結局は借金と思ってしまい、工業高校を出て専門職に就きましたが、大学に進めなかったコンプレックスはきっと一生付きまとうと思います。

    今の夫と出会い、家を購入したときは感動しました。気の合う相手と気の休まる家に住めること、手放さないように頑張ります。

    駄文でごめんなさい。昔を思い出していたら気持ちが溢れてしまいました。

    読んでくださりありがとうございます。

    ユーザーID:2847397900

  • お米と生理用品

    私も実家は貧乏でした。
    こういうことはあまり話せないので
    トピを立ててくださって感謝です。

    私のこだわりは、お米と生理用品です。
    生理用品を買うのも苦労だったので
    社会人になってからは、
    その時の反動からか
    高めのナプキンを買ってました。

    普通のサラリーマンと結婚しましたが、
    実家は標準米だったので
    おかずはスーパーで安い食材にしても
    お米はコシヒカリにこだわりました。
    今は、いろいろな銘柄を食べています。

    現在は、家も建て中流の生活ですが
    心のどこかで、お嬢さん育ちの人と話すと
    育ちの悪さが知れるのでは?と不安になりますが
    今の生活に感謝して楽しく生きようと思っています。

    ユーザーID:2441183598

  • 私も言わせてください

    非常に貧乏性な子供時代を過ごしました。

    特に服は高校卒業するまで制服と学校のジャージと運動靴が1つしかなく、
    私服を買ってもらえませんでした。
    学生時代、皆が買い食いしていても、私は一度もしたことありません。
    水道の水を飲んでいました。
    食べ物も1つ以上食べるのは禁止だったのですごく痩せていました。
    (アーモンド1粒、いちご1粒、のり1枚など)
    私だけではなく家族全員が母の意向でそうでした。
    母の口癖は「1つで充分、我慢しなさい」だったので、今でもその言葉を聞くと
    すごく腹が立ちます。一つで充分とは思えないし、何に関しても我慢なんて今更したくないです。
    父は単身赴任でほぼ家にいませんでした。

    好きなものを選ぶことは許されず、とにかくその場で一番安いものを選ぶという育てられ方をしたので、
    成長してから友人や彼氏にそのことを指摘されて自分の育ちに驚きました。
    大学時代の彼氏は裕福に育った人で、しょっちゅう私にもっと好きなだけ食べてもいいんだよとか
    値段じゃなくて、自分の欲しいものを食べたらどう?と言われ続けて少しずつ自分も変化してきました。
    老年期に差し掛かった今も、服や靴やバッグに執着があります。
    充分あってももっと欲しい。たくさん欲しいです。
    10代のオシャレしたい年頃にどこへ行くのも制服とジャージで過ごして、
    可愛い文房具も買ってもらえず、運動会や何かの景品や賞品でもらえる無地の鉛筆のみ。
    だから可愛い文房具も見つけたら買ってしまいます。そんなにいらないのに。

    45才すぎて、いろんな事が楽になりました。
    ようやく自分の思い通りに生きる事ができています。
    トピ主さんも今お幸せで何よりです。

    ユーザーID:9961777683

  • 抑圧されてるとね

    ささいなことでもある話ですよ。
    家でテレビを禁止されているので、他所のうちにいくとテレビから離れないとか(私のはとこ)、子供の頃駄菓子や露天商の食べ物を禁止されていたので自分で稼ぐようになったら食べたくもないのに屋台のたこ焼きやら駄菓子やらを買ってしまうとか(私の友達)。
    家でお菓子を禁止してるから友達の家でお菓子が出るとほかの子の分までむさぼり食べてしまうとか、家ではゲーム禁止だから友達の家でひたすらゲームをやらせてもらうとか。
    親は良かれとおもってるんだろうけど、子供にも付き合いもあるしアレルギーとか事情があるのでなければ何事も程々が大切なんだよね。
    トピ主さんみたいに反面教師に出来たり努力出来た人はいいけど、道を誤っちゃう人もいるもんね。

    ユーザーID:4638196231

  • 不動産に執着です

    実家がボロな借家暮らし。
    父が酒飲みで気難しく、母は本も新聞も読まない教養のない
    見栄っ張りで、お金と時間にだらしのない人でした。

    年中派手な夫婦喧嘩をしていて、親子であることが恥ずかしく
    家にいるのが嫌で嫌で仕方がなく、高校卒業と同時に上京しました。

    精一杯働き節約をして24歳で建売住宅を買い、銀行から
    「これまで住宅ローンを組んだ人の中で一番若い」と言われました。

    その家も母のくだらない借金の返済のため無くしてしまいましたが、
    その経験からサラ金であっても交渉次第で元金のみの返済でもOKしてもらえることや
    銀行との付き合い方を学びました。
    この時、親とは疎遠に。

    運良く時代はバブル、その後も家の売買を繰り返して資金を作り、
    自分で考えた間取りの家も新築することが出来ました。

    縁談は結構ありましたが、相手方に迷惑をかけるため親が生きてる間は
    結婚しないと決め、二人とも亡くなってから結婚しました。

    主人は再婚でしたが子供もおらず、山も含めた広大な土地持ちで、
    豪邸ではありませんが満足のゆく家に住んでいます。

    気さくで人望もあり酒もタバコも飲まず働き者で穏やかな結婚生活です。

    私自身、物欲はありませんが素敵な土地家屋は未だに気になって見てしまいます。

    自分の真っ暗だった10代にリベンジを果たしましたが、
    今でも当時のことを知っている人たちには会いたくありません。
    同窓会なども出たことはありません。

    ユーザーID:6230601322

  • フライドチキン。

    実家の時はフライドチキンをバーレルで食べる事は無かったのですが、
    結婚してからは何もかも自由、
    休みはフライドチキンを憧れのバーレルで沢山購入して食べきれない程に購入して喜んでます。

    ユーザーID:9028117388

  • ゲームとマンガ

    大学に合格し、一人暮らしをするまでお小遣い月千円ではゲームはおろかマンガさえも満足に買えませんでした。

    一人暮らしを始めて定額の生活費が親から振り込まれるのですが、生活費を極限まで削ってゲームとマンガにつぎ込みました。
    親は文句をいいましたが、決められた生活費をやりくりして貯金までしていたので深くは突っ込めなかったみたいですね。

    同じく親に抑圧され、一人暮らしで爆発した夫と出会いましたよ。
    価値観、ほぼ一緒。
    お金のかけかたもまったく一緒。
    子供の頃にはできなかったケーキのホール食いやらアイスの業務用パック食い、マンガやゲームの大人買いなど、2人でいろんな冒険もしました。

    一人でするには気が引ける事も、夫婦二人で全力にバカができるのは幸せなことだと思います。

    ユーザーID:3711606866

  • 10代の男の子

    こんにちは。今40代で夫・子供もいます。
    私は中学〜大学まで女子校で過ごしました。中学・高校は男の子と話したことはほんの数回。大学に入っても親が厳しく、男性とお付き合いしたりしませんでした。
    そのせいか、今でも高校生〜20代前半の男の子が苦手?です。パートしてますが、その位の男の子と一緒に作業すると、意識してしまって汗が出てきます(苦笑)。20代半ば〜30代以降の男性は大丈夫なのに。
    男性と接していない年代そっくりそのまま苦手です。これも一種の執着ですよね。イヤですねぇ。ちなみに若い子が好きとかは、全くありません。

    ユーザーID:2198037015

  • わかります

    お風呂は2日に1日だけ。シャワーつかうと怒られる。お風呂の日以外は入らないか冬でも水で頭洗ってた。
    部屋は私のもの以外ばかり置いてあった。早く家でたかったな。結局30才でやっと一人暮らしできました。
    毎日お風呂やシャワーで身体を洗うことができる今を絶対に失いたくない。
    あと、自分のものではないものが増えることがすごく嫌。主人が実家から大量の荷物を使わないのに持ってきた時は
    離婚を考えた。主人が亡くなったら全てなんの躊躇なく捨てます。
    子供の頃の環境って大事だな、としみじみ思います。

    ユーザーID:4254590762

  • 居心地の良い空間

    複雑な家庭環境で、割と広い家に住んでいたにもかかわらず
    私の専用部屋はありませんでした。
    いつも周りの大人たちの顔色を見てビクビク・・・
    毎日毎日、身を縮めて生活していました。

    あれから時は流れ、私も立派なおばさんに。
    気がつけば戸建ての庭付きテラス付きの居心地のいい空間に
    暮らしています。
    欲しいものはほぼ何でも手に入る環境ですが、元々物欲は
    そんなになくブランド品にもお酒にも全く興味なしです。

    ただたったひとつ・・住環境にだけはお金を惜しみません。
    気になる箇所はすぐにリフォームします。
    外壁のサイディングを貼り替えたり、テラスのタイルを貼り
    替えたり、庭をイメチェンしたり、先月はトイレをリフォーム
    しました。
    四季折々の好きな植物を植え、毎日ゆったり眺めながら
    好きなBGMの中で紅茶を飲む時間に、とても癒されています。

    グルメでもなくお洒落にもそんなに興味はないのですが、
    住環境にだけ、やたら執着するのは子供の頃のトラウマから
    来てるものだと言う自覚はあります。

    誰にも邪魔にされず、居心地の良い空間に身をおける今の
    環境に、心から感謝して暮らしています。

    ユーザーID:4462205441

  • 物質的なものではないけれど

    母は専業主婦だったにも関わらず、掃除や片付けが出来ない人でした。
    汚い家がコンプレックスで友達を呼べなかった。
    掃除が行き届いた友達の家が羨ましいかった。
    そのせいか結婚して自分の家を持ってからは、極端なまでに清潔にしています。

    ユーザーID:3028038923

  • 電話で話せる

    1、電話
    うちに電話が入ったのは小学5年生の時
    当時市内でも3分10円とか高かったです

    高校生になって友人と話していると
    父が「話すなら会って話せ!」と厳しく制限されました。
    高校ともなると家が近所のわけないんですが・・・
    時は流れ、自分だけの携帯が持て
    たのがうれしくて、もちろんキャリアフリーです!
    ただ、年を取るとあまり話す相手も、話すこともなくなり
    もっぱらメールやLINEです。

    2、パンツ
    下着の、です。
    子供が複数いると母親は細かいことを気にしている暇はなく
    下着ならゴムが切れていても誰にみられることはないんだからと
    いうかんがえだったようですが、
    ゴムの切れたパンツが嫌で嫌で・・・


    今は下着だけはまとめて数十枚買い、少し伸びたら捨てています
    洋服はほぼ買いませんので(季節に一枚とか)
    新しい下着に執着?変ですね(笑)

    3、テレビ
    家に一台しかないテレビ、見たい番組がほぼ見られず
    夢中になってても野球が始まると問答無用で変えられてしまうチャンネル。
    時間制限もあり、学校では友人の話にもついていけず、悔しい思いをしていました

    今は子供たちも独立して姑、主人、私の三人暮らし
    夕食後は各自の部屋で各自大型テレビを楽しんでいます
    紅白歌合戦も各自です。
    私は観たい番組を見逃すのが嫌でレコーダーを3台駆使して録画していますが
    録画した番組がどんどんたまっていってる状態で
    たくさん見られるように1.5倍速で観ていますが、なんだか間違っているような気がするときがあります
    でもやめられません   とほほ

    ユーザーID:7553271409

  • たぶん、服

    私は服かもしれませんね…。

    私の家庭は、小さい頃は余裕がありませんでした。
    父親が学生のうちに結婚し、子供が三人、家も買ったからです。

    私には女の年上のいとこが9人もいて、服はいつもお下がりでした。
    一番上のいとこは10歳くらい年上なので、服のデザインもレトロ…。

    中学まで母が私の髪を切っていたし、学校の子とおでかけするのにオシャレな服がありませんでした。

    当然、容姿にコンプレックスを抱きます。

    自分はずっとずっと可愛くないと思ってきましたし、人目が気になる10代でした。

    しかし、その反動か、勤め始めてからは本当に服をたくさん買うようになり、
    研究を重ね、いまではオシャレ、センスいいと言われるまでになりました。

    投資は本当にたくさんしましたが…。

    今でもそれは変わりませんし、服装が決まってないととても不安になります。

    また、周囲で適当なファッションをしている人を見ると、非常に気になります。

    ユーズドは買いません。


    後は、質素であまりお菓子も買ってもらえなかったのですが、当時おいしそうだなぁと思っていたのが、

    缶入りのレモンスカッシュ。(黒地に白の水玉の缶のやつ)

    今も売っていますよね…。買えばいいのですが、買わないでじっと見ています。

    不味かったら夢が壊れそうで。飲んだことはないです。


    また、「チーズビット」というお菓子。

    小さい頃一回食べて、こんなおいしいものがあるのかと思いました。(ポテチはよく食べましたがチーズビットはなぜか入手困難だった?)

    今、チーズビット売っていますよね。買えばいいのですが、憧れの目でじっと見ています。

    たまに買って「おいしい…」とかみしめて食べます。

    ユーザーID:0434377427

  • ボーイッシュでかわいい服!

    やっぱり、欠乏感で後々まで執着してしまうことってありますね。

    実家は別にお金がないわけじゃなかったけど、
    (むしろその地域では裕福な方だった)
    母が異様にコスパを気にする人で、
    私がカジュアルな服を欲しがっても
    「そんなものは10年経ったら着られない」と買ってもらえませんでした。
    パーカーとかチェックのシャツすら断られた覚えがあります。

    中学生のころの写真はなんか地味なOLみたいな服を着ていて、
    買い物に行くと社会人と間違えられることもありました。
    そもそも中高生と25歳が同じ服とか着ないだろ…。

    大学時代は家を離れましたが、ぎりぎりのお金しかなくて、
    あんまりおしゃれはできず。それでも、
    バイトをしてブランドもののかっこいい服を何着か買いました。
    いまだにとってあります。

    すごく好きなブランドは「ボーイッシュでかわいい服」のやつで、
    40歳を過ぎるとさすがに外では着ませんが、
    今でもサイトをみたり、たまに小物を買ったりしてうっとりしています。

    ユーザーID:1704079037

  • 要領悪いのに家事も仕事も完璧にこなしたい

    子供の頃戦後の貧しいトタン板の小屋に住んでいた反動か、裕福でもないのに
    両親は庭付きの広い戸建てに住みましたが、私には庭の草抜きや部屋の掃除が負担で
    ストレスでした。経費が余分にかかることも子供心に不安でした。
    両親は家計も家事も雑で苦ではないらしいのですが、貯金は常にゼロ。
    にもかかわらず再び借金をして60代で立派過ぎる戸建てを新築し、
    70歳になっても貯金ゼロでした。
    その適当さと部屋数の多い戸建てが私には重圧で
    独立後は狭くて安い賃貸の1LDKに夫婦で住み続け、掃除が楽ですし余分な経費もかからない
    念願の生活スタイルに大満足しています。

    ユーザーID:1241238103

  • 衣類と料理と掃除と家族愛

    私の実家も貧乏でした。
    父の実家からの援助で一戸建ての家はありましたが、洋服は親戚のお下がりばかりで、数が少ないので、友達にいつも同じ服を着ていると馬鹿にされたことがありました。

    母親は料理が下手で、平日はスーパーで買ってきたお新香とお刺身、お惣菜、休日や夏休み等はカップラーメンばかり。

    また母は掃除も苦手だったので、いつも家が汚く、友達を呼べませんでした。

    それから、両親は私に無関心でした。
    高校生になる頃には、両親が私に一言も話し掛けない日がよくありました。

    今私は40代ですが、自分はもちろん、子供達にも十分過ぎる枚数の洋服(鞄や靴も)を揃えてしまいます。
    (有難いことに、今は貧乏ではなく、少し裕福な生活が出来ています。)

    私はフルタイムで働いていますが、忙しくてもなるべく毎食料理をするようにしています。
    私が高校生の時に母はお弁当を作らなかったので、私は毎日娘のお弁当を作っています。

    家に誰かが来る時は、ピカピカに掃除します。

    後は、子供達に「可愛い」「大好き」と毎日言っています。
    ハグや頭を撫でたりも、小学生まではほぼ毎日していました。

    夫や子供達の私への愛情で、随分癒されました。
    今はとても幸せですが、それでも、
    自分には「私が当時嫌だったことは、子供達にしたくない」という、ちょっと神経質な位の拘りというか執着があると自覚しています。

    ユーザーID:2736837321

  • 執着...なのかも

    10代の終わり頃まで巨デブでした。
    背は高かったんですが(それで余計)可愛いもの、素敵な物を着たり履いたりできませんでした。

    20歳前後で短期ダイエットで40kg程落とし、モデル体型になった後は、着たい服はどれも似合うので”ショッピングの女王”化しました。

    30代でアメリカに来てからは、服も満足できる長さだし、足のサイズもこちらでの標準になったので、買いまくってます。さらにこちらにはアウトレット系のお店も多く、カジュアルブランドはかなり安く買えるし、オークションサイトも充実しているので、毎日のように何か買ってます。

    ものすごい数の洋服持ってます。1000枚以上?靴も100足以上、バッグも同じく。アクセ類も100個単位であります。

    単純に、好きだし、元々収集癖はあったので気にしてませんでしたが、小さい頃出来なかったゆえの執着なのかもしれませんね。

    でも別に困ってないし、いいんですけど。

    ユーザーID:0915614319

  • 私も洋服

    とてもタイムリーなトピでした。
    私も洋服です。こんなに買っても着られないのに、どうして次々と買ってしまうのか自問自答したら、やっぱり幼少期にさかのぼるなあとつくづく感じていたところです。
    mimiさんのレスにはホロリと涙がこぼれました。

    私も幼少期から働いて自分で買えるようになるまで、まともに服を買ってもらったことはありません。いつも親戚や母の知り合い経由のお下がり。

    更にトラウマ的な出来事が一つあり、物心つき始めた3歳か4歳頃かな…チューリップの形のポケットがついたワンピースを母が作ってくれていました。とても可愛くてワクワク待っていたのですが、中断してしまい。それでもずーっと待って、ある時、あのチューリップのポケットのワンピースはまだ?と聞いたところ、子供にそんな辛辣な言い方しなくてもというキツい言い方で、こんな大きくなって(まだ5歳とかでしたが)あんなの着たらおかしいわ!と怒られました。とても悲しくて、洋服に関しては何も言わない子になったと思います。

    小学校のプールの時間ではお下がりの水着が小さくてキツくて恥ずかしかったです。靴もつま先が痛かった。
    中高生になると、友達と遊ぶのに着ていく洋服がなくて学校以外では遊べませんでした。
    お弁当箱もいつのもの?というアルマイトかアルミかの古い傷だらけで恥ずかしくて、隠して誰かに見られる前に早く終わらせたいので半分も食べず、いつも痩せてました。

    働き始めてやっと自分で洋服が買えるようになったら、今度は買ってくる洋服全てに母の検閲です。気に入らないものは返品してこいと言い続けるので思う通りにするしかありませんでした。通販も家に帰ったら既に開封されていて同様です。

    こんな母ですが、父からの暴力を私が盾になって守っていたんです。結婚までは家をどうしても出られませんでした。

    ユーザーID:2091071462

  • 私も洋服 つづき

    長くなってすみません。

    私は結婚で30になって家を出ました。もう20年前のことです。
    今は両親との関係も悪くはないと思います。いろいろなこともやっと許せるようになりつつあります。
    それでも、洋服や他の可愛いものに関する執着は残っています。ほんとうに、育てられ方や環境って人の中に生き続けるんですね!

    ただ、どなたかも書いておられますが、私も足りなかったものではなく十分与えてもらった、今も与えてもらっていることにフォーカスしたいと思っています。
    母もあれが当時の母の精一杯だった…。

    大変な子供時代を過ごしましたから、自分の子供を持つ勇気は持てず、夫と猫との生活です。特に余裕がある方ではありませんが、生活するには全て十分足りています。足るを知ると豊かになるといいますが、ほんとうだなあと思うことが多いです。

    たくさん辛い思いをして泣きましたが、生み育ててくれた両親と与えてもらった経験には感謝の気持ちが歳と共に出てくるようになりました。今、十分幸せに暮らせていますから、夫と猫にも感謝ですね笑

    ユーザーID:2091071462

  • 子供がアホになるかもしれない・・

    子供のかかる経費は無駄 
    なので母がコントロールできる範囲は限界でよい。という家で育ちました

    父は旅行や自然や交際費は必要という考えでしたが私が10歳になる前に死去。そこからますます酷くなり、服がないから短大も制服のある所に進学しました。高校、短大時代は服がないからプライベートでは遊べませんでした。クール系が流行った時代に子供服ドピンクのワンピ数枚あっただけ(まだ着れると・・ワンピ欲しがった癖にと激怒)
    幼少期から近所の子のお下がり。その子が男の子で男の子としか思えない写真しかない
    ブラでさえ「そんなささやかな胸で自意識過剰」と放置。周囲のアドバイスも無視。心配した友人の母が「うちの子お下がり」と私の分まで用意してくれた・・今の時代なら虐待ですよ
    おこずかいも月2千円。バイト禁止。学用品や眼鏡購入費を含み交際費が残らない

    社会人になって20代はブラを買いまくりました。一時は1か月分ぐらいありました・・40代後半の今も使わなかったブラが大量にしまわれていますね・・捨てられないのは何故かこのトピでわかったような気がします

    子供を産んだら幼少期から、「子供がこれ欲しい」と言った服を買ってしまいます・・・・

    おもちゃもほいほい買ってしまいます。

    友人に「おもちゃ王国だ・・」と言われた我が家・・子供はきっとアホになるでしょう・・

    ユーザーID:2961327447

  • 大人になるっていい

    40代半ばです。何となく自覚してるものの、トピでやっぱりと思いました。

    母親は教育にはお金を出すけどそれ以外は無駄、くだらないという人でした。
    姉がいるので服はおさがり多めでしたが、新しい服欲しかったです。母の手作りの服とか小学生中盤で嫌だったし。それも姉妹お揃いなので成長しても同じ服を着せられる!母もおしゃれに興味がないので服をねだると嫌な顔をされる。
    当時はネットも無いしどこで買ってるのかおしゃれな子が羨ましかったですね。

    中学に行ってたまに出かける時にまた同じ服って友達に言われて恥ずかしかった。母親に買ってとお願いしても気にするなとか喧嘩になり、バトルに疲れていった。

    子供にお金を持たせるとろくな事ないって考えで、お小遣いも最低限。父親も母親の言う事を鵜呑み。友達との付き合いもあるし、そんなにしょっちゅうじゃないし、私は真面目だからそんな事しなくても踏みはずさなかった。洋服と交際費の制限はかなり私の恨みになってます。

    大学入ったらバイトして自分で稼げるので爆発しました。特におしゃれ。母とバトルせずに使えるのは大きかったです。
    今もおしゃれは好きで、自分で好きにできるのは幸せです。
    予定に合わせて洋服を前持って準備するのも中学生の頃のトラウマかなと思います。

    その事もあり、いま小学生、中学生2人の子供の交際費や洋服は出してます。私のような思いをさせたくないから。

    でも今マンション住まいで、子供1人1部屋にできないのです。上の子が受験生なので子供部屋を1人部屋にして、下の子はクローゼットのある部屋(親も使う部屋)に机を置いてますが、自分も個室が欲しいといいます…これも執着になるかな、とよぎります。できる範囲で工夫して行こうと思います。

    ユーザーID:7063878884

  • 自分だけを愛してくれる存在

    このタイトルだとかなり引かれるかな?とは、思うんですが、家庭内が荒れていたので自分の家族への執着はすごいと思います。絶対に壊したくないし、子どもたちが毎日楽しく過ごしてくれることに全てをかけています。「子どもと離れて自分の時間を持つことも大切」とよく言われますが子どもといることが全くストレスではありません。友人と出かけるくらいなら家族といたいです。
    そろそろ、思春期に子どもが入ってきたので胸が引き裂かれる思いで子離れを頑張っています。普段、何食わぬ顔でいますし、「18になったら自立しなよー」なんて言っていますが、本音で言えばいつまでも今の家族で過ごしたいです。
    あとは、学歴コンプレックス。塾はもちろん行かせてもらえなかったし、高校以降学費も出してもらえなかった。大学は学費が払えずに中退しました。社会人になってから大学に入りなおしました。

    ユーザーID:9327275113

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