教養とは、なんだと思いますか?

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のんき

学ぶ

「教養を身に着けるには?」のタイトルの話がネットにときどきあります。

そのレスとして、「本を読む」、「音楽や絵画を鑑賞する」等が付いていると思います。

実は、私は、いつも疑問に思う事があります。

例えば、紫式部より、現代の私の方が、様々な知識があり、音楽や絵画にも詳しいはずです。

でも、私は、自分が、紫式部より教養があるとは、到底思えません。

中国古典に関する知識は、紫式部の方がはるかに、質量ともにあるのでしょうが、そのような事ではなく、紫式部の方が、私より教養があると思います。

そんなことを考えていると、ふと、教養とは何だろうか、そう思ってしまいます。

私と同じような事を考えた事のあるかた、いらっしゃいますでしょうか。

ユーザーID:9766160280

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  • それは

    生活に直結しない無駄ともいえる知識だと思います。

    ユーザーID:1097179636

  • 思うに

    私は親にクラシックの音楽を聞かされたり、美術館に連れて行ってもらったり、舞台を観に連れて行ってもらったりしました。
    行った学校がカトリックだったこともあり外国映画を見て、よく使われてる聖書のモチーフがわかります。
    クリスマスになぜくるみ割り人形が使われるかがわかります。
    舞台を観に行ってその場で流れるクラシックが何の曲か分かります。
    バレエのタイトルからどういうストーリーかがわかります。
    旦那にはわからないことが多いです。
    こういうのが親が身につけてくれた教養だなと思う時があります。

    教養とは学校で習わない知識かなと思います。
    教養がある人とは、周囲の知識を自分で学んだ人なのではないでしょうか
    そういう意味で紫式部はあの時代にあれだけの知識を身につけているのですから
    私たちは足元にも及ばない教養を持っていらっしゃったのではないでしょうか

    ユーザーID:1645331489

  • 一言では難しいですが

    私にとって教養とは、目に映るもの、遭遇する出来事などをどのように捉え解釈するか、対応するかが現れたものだと思います。

    それらにはものや事柄の背景を理解する知識、経験や教育が関わると思います。

    この本を読めば教養が身につく、といったインスタントなものではなく、もちろんそれらも一助にはなるでしょうが、年月を経て得た知識、経験、教育が単独ではなくネットワークのように結びついて、ものの見方や行動に現れると思います。

    だからか、教養あると思う人は人間的にも見習いたい人が多いと感じます。
    対極にあると思うのは損得や噂だけで物事を捉える行為です。

    ユーザーID:1183501569

  • 考えたことはあります

    それで、私たちはつい量や質的なものを気にしてしまいますが、むしろ、それを入れる器の容量や形状のことを教養というのではないかなあと考えているところです。


    しかし1000年も前の人に思いをはせることができるなんて、人類はなんて素晴らしい発明をしたのでしょうね。
    そしてそれを引き継いできた、引き継いでいこうとしている人たちは、なんて素敵なんでしょうね。
    教養をテーマにしたトピで、教養を求める人をみると、いつもそんなことを思います。

    ユーザーID:3087033229

  • 「教養」と訳される語

    「教養」と訳される外国語には,
     ドイツ語の bildung 自己形成,人間的完成
     英語の liberal (arts) 自由人の学問
    の二つがあるという話を聞いたことがあります.

    私も「教養」とは何かと考えることがよくありますが,そんな時,この二つの言葉の意味を考えると,考えやすいような気がします.

    ユーザーID:9147939500

  • 多分、わかる人には

    わかるけれども、そうでない人には、存在もしていないもの。すごみのある気品をともなうもの。

     単なる知識のある人ということじゃなく、それを元にして生き方が普遍性を帯びてきている人のことを言うのじゃないでしょうか?
     でも、何もない所からは生じないか、極めて稀。
     だから、家庭の雰囲気というのが大事なんだと思う。

    常に知を求めてそれを尊ぶ気風がある家でありたいです。

    ユーザーID:6523940281

  • 教養とは

    「生きる力」だと思います。

    ユーザーID:7756776493

  • かつて

    かつての恩師が、
    「自分が分からない事に直面した時に、それを調べて理解しようとする姿勢」
    が、教養であると言っていました。

    つまり、知的探求を止めない・諦めない心持ちや行動に出る人が「教養がある人」に該当するのかなと思います。

    そういう行動に出ていれば必然的にあらゆる面での知識は豊富になるでしょうし、膨大な情報から他の人とは違う見方や結論を出す事もできるようになるのだと思います。

    ユーザーID:3346146122

  • 物事を多角的に見る素地

    自分の周りで教養の豊かな人、というと義姉を思い浮かべます。
    頭がいい、という枠には収まりきらない、知識の広さを尊敬しています。
     仕事はコンピュータのエンジニアなので、パソコンの設定などはちゃっちゃとやってくれます。
     色々なお客さんがいるようで、仕事を通して株や債券の知識もあり、証券会社勤めのウチの父とも対等に話をしています。
     アニメや漫画にも詳しくて、兄と義姉とはオタク仲間からのなれそめです。
     なぜか昔の洋画や俳優さんも知っていて、ウチの母とも話に花を咲かせています。
     最近は生命科学やゲノムやウイルスに興味があるらしく、バッグには難しそうな本が入っています。

     兄はあわてんぼうというか、思い込んだら突っ走るところがあるのですが、最近も会社の人に言われて、怪しい健康法にはまりかけていたのを、「それはおかしい。この症状はこういう原因なのだから、○○を食べたからって細胞レベルでどんな効果があるのか眉唾だ」と理路整然と論破してました。

     古典を読めることも立派なことですが、人生の色んな場面で正しく対応できる素地を持っているのが、本当に教養のある人なんじゃないかと思うんです。

    ユーザーID:7712775240

  • リベラルアーツ

    自分が自由になる手段のこと。
    私の今の理解では「主体性」だと感じます。

    ユーザーID:5897826782

  • 私の中では知識の組み合わせ

    本を読む、音楽を聴く、舞台を見に行く、こういったことが教養を深めると一般に言われている通りで、私の中では知識を蓄え、それを組み合わせて考えることだと思います。

    学校の勉強だって教養ですよ。それらがないと、何かを乗せてもぐらぐらしますから、基礎的な知識は必ず必要です。

    知識をただ蓄えただけでは役に立たないこともありますが、それらをどう組み合わせ、どう判断し、どう味わうか。このあたりがポイントのような気もします。
    同じ知識を持っていても、考え方、物事の判断などは人によって異なりますものね。

    何にせよ、知識なくしての教養はありえません。ですからまずは興味を持てる分野の知識を集めてはどうかと思います。
    私は教養はムダだとは絶対に思いません。人生が豊かになりますから。

    ユーザーID:4112623734

  • 面白い

    私は教養とは、引き出しの多さだと思っています。引き出しの数が少ない人は、ピンチの時にヒステリーになり、パニックになり、周囲にわめき散らすだけ。自分と異質の人を排除し、下の者の心が分からない、支えてる人達の想いが分からない。他人の気遣いが分からない。懐の深さ、人間力、そういったもの。
    トラブルが起きた時に、スマートな対処法が分からない。
    底の浅い人間はすぐ分かります。
    教養のない人間は、上に立つべきではない。

    バックグラウンドというのかな。そういう背景を理解しようとするのが、教養。

    読書などを通して学ぶ事が多いから、知的な人が多い。

    ユーザーID:2148300983

  • 読書量

    >>紫式部より、現代の私の方が、様々な知識があり、音楽や絵画にも詳しいはずです。

    ええー!そんなわけないでしょう!
    あの時代の貴族は5歳くらいからガリガリ勉強して本を何百冊も暗記してるんですよ。主さん暗記してますか?
    もしくは、あ、あれ知りたい!と思った時に本棚からさっと適切な本を抜き出せます?

    教養とは?
    小難しく考える必要はありません。教養は質の良い知識、ただそれだけです。
    つまり本です。本を読むだけです。

    小説や実用書は後回しで学術書を。学術書とは、注と参考文献が載っている本のことです。

    音楽やオペラなどの芸術系も、芸術論を読んでから。
    古典も同じ。いきなり源氏物語を読むのではなく、源氏物語の研究書を読んでから。 
    まあ太宰とかドストエフスキーとかくらいはそのまま読んでもいいかな。

    学生さんなら1日8時間くらい読むのを9年くらい続けると博士号が取れるくらいの教養がみにつきます。


    もう一度言います。ただ読んでください。
    教養とは学術書を読んで身につく知識のことです。


    教養学部の教員より

    ユーザーID:6130567445

  • 読書は大切

    教養の基礎は、かたよりのない豊富な知識と思います。
    先人たちの考えや行動、遠くに住む人たちの習慣などを知っていると、自分の眼や耳で体験できるものだけが世界だと思う、偏狭な考えから自由になります。

    世界中どこでも普通に行われていることを、日本独自と勘違いして、「日本はスゴイ、クール」だなどと言って、冷たい目で見られることも少なくなります。

    知識や情報を効率良く入手する手段の一つが読書です。
    IT企業でシステム開発を仕事としてる人が文化人類学に興味を持っても、パプアニューギニアやユカタン半島の奥地には、簡単には行けません。
    室町時代の庶民の生活を知りたくても、頼れるのは書物だけです。

    いわゆる学術書(文庫本も含む)は、著者の思想というフィルターやバイアスがかかっているとはいえ、系統的に記述され、参考文献リストを通じて興味を広げやすく便利です。

    読書と並べて、トピ主さんがあげている音楽や美術ですが、これは実物に直に触れるのに限ります。
    どこにお住まいか知らないが、日本は恵まれた位置にあります。
    どう聴いたらよいか、どう見たらよいか、予備知識があったほうが良いという意見もあるが、活字から学ぶのは至難な業です。
    ヨーロッパの子供たちも、絵画の見方など、美術館で実物を前にして学んでいます。
    というのより、芸術論のなかには、著者の極めて限られた体験で書かれ、偏った見方に導くものがあります。
    実物に数多く触れることで、予備知識は自然と身についてきます。

    教養に読書は大切です。
    しかし、活字に紛らわされて、目の前の事象を素直に認識する力を失わないように。

    ユーザーID:0706119872

  • 歳取ると

    教養って
    誰にでも上手く話すことができ
    尚且つ面白いネタの引き出しの多さ、
    だと感じます。

    ユーザーID:7065288850

  • こういう問いが生じたときは 思考実験かな?

    > 中国古典に関する知識は、紫式部の方がはるかに、質量ともにあるのでしょうが、そのような事ではなく、紫式部の方が、私より教養があると思います。

    そんなことを考えていると、ふと、教養とは何だろうか、そう思ってしまいます。



    小生は古典文学に疎い者ですが、敢えて書いてみます。

    こういう場合にみんながよくする思考実験があります。すなわち、もし現在に紫式部が現れるとどのような言動をするか? を考える(想像する)というものです。

    自動車に出会った場合、牛車ならぬこれに対してどうするのか?
    スマートフォンを手にしたとき、笏ならぬこれにどう対応するのか?
    色々 いっぱいある。

    で 

    それらに対して彼女は我々にどのような質問をするのか? 
    その問い内容や様子に彼女の好奇心がどのように反映されるか? 

    も 

    彼女の作品やそれの研究者の解説からの憶測に過ぎないかもしれないとはいえ、思考実験をしてみるとトピ主の問いに対する回答の糸口が見えてくるかもしれません。

    余談ですが、シンセサイザのハシリ時代、もしモーツァルトが現在に現れシンセに出会ったらどのような曲を作曲するか? などが取り沙汰されたことがあります。それからのアナロジとして上記を書きました。

    ユーザーID:5852831189

  • ありがとうございました

    オスカー・ワイルドが、

    ・現代の基準を受け入れることで、現代の道徳が成り立っているが、教養ある人にとって、現代の基準を受け入れることは、むしろ不道徳である。

    主旨の事を書いていました。

    未来の基準は手に入れていませんし、過去の基準は、過去の人に取っての”現代の基準”に過ぎません。

    とすると、現代の基準と過去の基準を共に考え得る人が、すなわち、教養のある人、といえるでしょうか。

    民俗学者の折口信夫が書いた

    ・過去から現在を照らし出すものとして、私は、起源を設定する

    主旨の文章を学芸誌で読んだことがありますが、それを想起しました。


    あいら様の書かれた

    >バックグラウンドというのかな。そういう背景を理解しようとするのが、教養。

    が、感じが近い気がします。

    また、端的には、砂肝様の書かれた

    >生きる力」だと思います。

    であるようにも思います。


    問いかけをさせて頂いたおかげで、自分なりに整理が進んだように思います。

    レス頂いた皆様へお礼申し上げます。

    ありがとうございました。

    ユーザーID:9766160280

  • pax様、お返事ありがとうございます

    pax様

    お返事ありがとうございます。

    >余談ですが、シンセサイザのハシリ時代、もしモーツァルトが現在に現れシンセに出会ったらどのような曲を作曲するか? などが取り沙汰されたことがあります。

    とても面白いお話ですね。

    知りませんでした。


    発展途上国に、首都等の限られた地域とは言え、世界でも最先端の都市が出現するのを見ると、文明(知識)とは、何だろうかと考えてしまいます。


    モーツァルトは、ピアノソナタ、バイオリンソナタ、交響曲、弦楽四重奏曲、オペラ、どれもがモーツァルトであるように、シンセサイザを使っても、モーツァルトと分かる作品を作るのでしょうね。

    楽しいなぁ〜。

    ユーザーID:9766160280

  • 答えになってなかったらすみません

     紫式部と現代のあなたの違いは、紫式部は無から有を生み出す作家であり、あなたや私達は出来ている物で知識を得たことではないでしょうか。
     そして、無から有を生む人は、興味の範囲が広い、もしくは一つを追求型だと思います。
     浅く広くでも知識がある人は興味の範囲が広い、物知りで教養があるように見えるようです。
     私は三人兄弟ですが、なぜか全員学校で物知り、なんでそんなこと知ってるの?と言われます。私達には普通です。本当に下らない雑学とかですが、周りは知りません。そう言ってくる人達は、例えば自分の街の大きい道路が何号線かとか、街の大きな建物の名前とかも知らないのです。つまり興味がないのです。そうすると、そこまでの行き方の説明をしても勿論判りません。
     そして、そういう子たちは私の統計でボキャブラリーが少ないです。本読まないです。
     つまり、教養とは、というより教養の発端は何にでも興味を持ち調べることではないでしょうか?そして、それは生活に根源があると思います。
     

    ユーザーID:8096741293

  • 知識のストック(蓄積)と組み合わせ(解釈)。

    人文科学、社会科学といわれる分野での教養の本質とは、知識のストック(蓄積)を増やすことと、その蓄えられた知識の組み合わせ(解釈)を工夫することではないかと考えております。

    例えば歴史とは暗記とよく言われますけど実はそうではなく(暗記は単なる手段)、過去の事象について因果関係(なぜ、どうして○○が発生したのか)を探究する学問です。

    蛇足。
    自然科学の場合は、一瞬のひらめき(発想)が勝負を決めるのかなと漠然と考えてます。例えばリンゴの実の落下を見て万有引力を発想したり、浴槽の湯が溢れるのを見て体積を発想したりするとか。

    ユーザーID:7140267190

  • 優れた「検索」機能を持つ事

    最近はネットで簡単に「検索」出来ますが
    自分の知りたい事を導く為には情報の取捨選択が重要ですね
    会話の中で言葉の中にどの様な知識が隠れているかを
    瞬時に読み取りる力、自分の中に「検索」能力を持つ事で
    相手(又は本や劇や映像)と共感する事が教養の高さだと思います。

    平安時代だと「歌」を作成してその中に時事の事、漢文や史実を
    調合しながら組み込んで自分の中の知識(情報量)の深さを
    分かる人には分かる様に即席(勿論 下調べは万全)に語る技です。

    皆さんが本を推奨されるのは、本(漫画)を作成するのには
    作家や編集者が膨大な資料を解析してそのエッセンスを
    一冊の本に盛り込んでいるので、情報の蓄積された物を
    吸収し易く構成されているからです。
    勿論 一回では情報を吸収せずに未消化な部分も残ります
    何度も読むうちに自分の頭の消化酵素(知識と検索能力)が増え
    本の中身の栄養が身に付く様になって来るのです。

    人との会話でもお互いの本意はすれ違う事は多いですが
    お互いの知識(情報量)が多いと共感力も高まります
    深く思考し深く人間力(共感力)を持つ事が教養の基本と考えます

    ユーザーID:0061790133

  • 専門知識の理解や創造を深める為の土壌みたいなもの

    教養とは地球上の母なる大地(土壌)だと思います。

    大地が肥沃ならば専門知識をより理解を深め様々な生物が育ち水を蓄え供給して浄化もしてくれます。

    現代では、大学での学士課程の教養学部は特定の学問の枠にとどまらずさまざまな学問分野のエッセンスから、自身の専門分野に関連した幅広い視野を身につける学部になっています。

    私はものを作る専門職ですが今の仕事をする上で人文科学・社会科学・自然科学以外の専門知識や経験が私の教養には累積され日々更新されています。

    もしも紫式部女史が現代に生まれていたのならば?彼女は現代の作家としての必要な様々な分野の教養を身に付けて日記や作品を作ったと私は思います。

    その時代の知識や常識から芸術など質の高い文化に対する幅広い造詣が品位や人格および物事に対する理解力や創造力に結びついていてこそ教養なんだと思います。

    私もブログやSNSはやめて紙の日記に変えようか?と思います。

    ユーザーID:6888500368

  • 自分なりに考えましたが

    教養とは
    物事を多角的に考えるための知の量かなと思います。

    音楽や絵画、歴史や小説に詳しいというのは教養を積むための手段であって、それ自体が教養ではないのではないかと思っています。そういうことに詳しい人は、雑学が身についている、というのでは。

    いろいろなことを知ったり経験したりしたことによって、それを心の栄養として蓄え、そこから発展して何かを考えられたり、自分の側からだけでなく、多方面から客観的にものを考えられるような人が、教養のある人なのではないでしょうか。

    だから、人を思いやれなかったり、自分だけが得をするようなことする人は、自分の側からだけしかものを考えられない結果、そのような行動をするのだと思いますので、教養がないと感じます。

    ユーザーID:4939289844

  • 音楽や美術は

    クラシック音楽のコンサートに出かけたり、気に入った画家の絵を自宅に飾ってる人は、音楽や美術の鑑賞は日常生活の一部、娯楽と考えているのではないですか。
    少なくと「教養」として、改まって考えるつもりはないようです。

    オペラ劇場で、まわりの席の会話を聞いても、登場人物への共感だったり、その日の舞台が満足できたかどうかなど、およそ「芸術論」と縁遠い話題に終始してます。

    歌舞伎だと、翌月の公演を買ったか買うかなどが話題で、自分達が世界文化遺産を鑑賞しているという、高尚な意識はないみたいです。
    映画やTVのなかった江戸時代には、歌舞伎も文楽も庶民の娯楽で、テーマも今で言えば週刊誌のゴシップ記事みたいなもんだったから、当然と言えば当然ですが。

    ユーザーID:0706119872

  • 古典も面白いですね

    >映画やTVのなかった江戸時代には、歌舞伎も文楽も庶民の娯楽で、テーマも今で言えば週刊誌のゴシップ記事みたいなもんだったから、当然と言えば当然ですが。

    源氏物語は、当時の貴族世界のゴシップが作品の中にふんだんに取り入れられていて、ドキュメンタリー作品の趣があると聞いたことがあります。

    平家物語の畠山重忠は、今の私達も引きつける魅力がある人物のような気がして、好きです。

    (鵯越の逆落としで、愛馬を背負って谷を下りたという話は、とても面白く読みました。)

    ユーザーID:9766160280

  • 知識と教養は違う

    知識蓄積だけなら、よっぽどスマフォとかコンピュータとかのほうが人間を凌駕しています。それもとっくの昔に。

    教養と知識は異なることをまず理解することがトピ主さんには必要なのでしょう。
    そのうえで、あらためて、「で、教養って?」という思考を深めることができるんです。

    なので、とりあえず「教養とは何か」に関する本を読みましょう(笑)。
    図書館とかで司書さんに相談すると、良い本を紹介してもらえると思います。


    ちょうど文化芸術の秋です!
    トピ主さんに素敵な思考タイムができますように。

    ユーザーID:9768149810

  • アウトプットできる人

    持っている知識を、適切なタイミングでアウトプットできる人だと思います。

    ユーザーID:5736753361

  • 知識をベースに溢れる発想力では?

    クイズにバンバン正解する人を見ても、すごいと思うけど翌日には忘れます。

    でも、不朽の名作の原作者は折に触れ思い出します。
    そういうことかなと個人的には思ってます。

    あと、先にレスなさった方も仰ってますが、知識だけなら検索や字引で内容が読めるけど。

    教養ある人とか、教養を他人に与えられる人って・・・開拓者みたいに新しい角度の発見結果を教えてくれるじゃありませんか。

    紫式部は、宮仕えしながら貴公子や姫君たちの恋愛模様を綴ったわけですが。
    そもそも、高貴な方々の奔放愛を物語として、高貴な方々に仕える人が発表するという発想が凄いんじゃないですかね?

    私が当時、紫式部の同僚だったら「あなた、そんなこと書いてやばくない?」と、いかにも凡人な心配したと思うので(笑)

    ユーザーID:1091032567

  • 考えてみました

    知識はあっても、とても教養があるとは言えない人はいますよね。
    ひけらかしたり悪用したり、人を見下す材料にしたり、どう見ても嫌な奴で教養があるとは言いたくないです。

    教養とは知識を元に仁徳を兼ね備える事だと思いたい。
    知識が無くても仁徳を持った人はいるけど、それは教養があるとは言えないんだと思う。
    知識と仁徳、この二つを掘り下げる探究心こそ教養を身につけるという事なのかな?

    ユーザーID:7678068334

  • 引用

    逆説的ですが、もしその人に教養があったら、人の言葉の引用ばっかり、って事はないと思うんですよね。
    太宰治も紫式部も、高名な教養人だと思いますが、引用で有名になった訳ではないですからね。
    やっぱり、知識を活用して自分のものにしてアウトプットできないと、人には響かないと思うのだけれど。
    感性が光ってないと、知識があっても表現が伴わないかもしれませんしね。

    ユーザーID:0062198841

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