貧乏に関する思い出(駄)

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貧乏代表

男性発

おそらく周りと比べると貧乏な家庭に生まれた。

まず、色鉛筆の色が何本かない。

クレヨンも揃っていない。

学芸会のとき浴衣を隣の子に借りた。

集合写真の時、先生にいっちょらを着て来なさいと
言われたが、いつもの服で行ったら
親に読ませなさいと手紙を渡された。

ランドセルが買えない。

冷蔵庫に食べ物が入っている事がない。

お小遣いをもらえない。

ユーザーID:6609630017

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  • なんか人はね

    一生のうちのどこかで1度は貧乏を体験するらしいよ…って話を昔の私は他人事のように聞いてたけど結婚して10年後に成程ね〜って思う事がありました。主人の仕事が無くなってしまい二人目の子供も産まれたばかりで生活が一気にドン底になった事。その事で毎日夫婦喧嘩は絶えないし他にも色々あって夫婦別居にもなってしまいました。なのでその時は成程ね〜なんて実際に言える余裕は全然無かったけど本当に毎日お金が無くて食費が捻出出来ない所か毎月の住宅ローンや光熱費等、公共料金的なものの請求が普通に払えない時も多々あってそれで体調悪くなって歯も痛くなって、それでも病院にも行けなかったです。それで家の中にある物を売りまくってそれでも足りずに色々バイトしたりして金作するのが本当に大変で親に借金したり生きてたく無いと思う事もありました。そして教育費を工面するのが1番大変でした。今は何とか子供も二人成人して毎日、贅沢はして無いですが何とか生活してます。そして相変わらず今もシンママとほぼ変わらない家庭環境で何かと苦労はありますが唯一の救いは長生きしたいと思えることに出逢えたこと。お金が無いと生きていくのも辛くなってしまうけど生きてないと経験出来ない事がある事に改めて気付かされました。なので私はお金が無くても頑張って生きます!

    ユーザーID:8526830466

  • トピ主です。

    レスありがとうございます。

    >一生のうちのどこかで1度

    そうなんですか、私の場合一度どころじゃない気がします。

    思いだしたのですが、お腹が空いてハミガキコを食べた事があります。

    あと、なまのインスタントをバリバリと食べました。

    家は、タレントのたけしさんよりも貧乏だと思います。

    ユーザーID:6609630017

  • はい。あるあるかと。

    意外にある話ですよ。

    うちは、スーパーでパンの耳をもらい、卵と砂糖を隣からもらい、パンの耳と卵をからめたフレンチ風の(?)やつを食べてしのぎました。

    鰹節、海苔を食べました。
    ああそう。醤油ご飯の思い出もありますね。

    家に無いものを、隣近所にヘルプを出してしのいだパターンです。

    あ、そうだ。卒業式の洋服もお下がり。
    近所に譲ってもらいました。

    ペコペコ頭を下げてね。

    …不幸だと思った事はありません。

    困ったら、ヘルプ出しました。

    意外に助けてくれたもんです。

    イジメにあっても相手クラスを一人でやっつけにいきました(相手クラスの先生に洗いざらい喋る→先生激オコ。相手クラスションボリ)。

    何てことないです。

    高校に上がってからは、全てお付き合いしてきた男性が尽くしてくれました。

    それから妙な味をしめて高級志向気味ですが、貧乏がどうのというより、周りと比べない、おめでたい自分の性格を尊敬してます(苦笑)

    ユーザーID:5890377460

  • トピ主です。

    あと、思い出したのですが

    お金が払えなくてテレビが回収されたとか聞きました。

    家庭科の教材の裁縫セットが他の子と違い全て揃っていなかった。

    ユーザーID:6609630017

  • 小学生〜中学生まで

    ・健康診断の視力検査で眼鏡が合っていないと結果が出るとめちゃくちゃ怒られる(買い直す金がない)

    ・定期を1ヶ月分ずつ購入(半年分の方が安いが一気に買う金がない)

    ・道具が必要な部活をやりたいと言ったら「誰が払うと思ってる」とめちゃくちゃ怒られる 等

    自分で稼げるようになった時は嬉しかったです。

    ユーザーID:0452965500

  • はい、同じです。

    トピレスに答えるなら、親がビデオを質屋に入れました。

    家庭科の裁縫セットもお下がりで、毛糸も買えず、家にあったこたつ毛布をほどいて手芸品を作り、飾られ、ボロ過ぎて笑い者になりました。

    「オーマイガー!」と思いました。その場からサッと消えて、無かったことにしました。

    まだまだ色々ありますよ。貧乏エピソード。

    貧乏の中にもキラキラした少女時代だったと認識してますよ〜

    ユーザーID:5890377460

  • 貧乏じゃなかったはずだけど

    貧乏じゃなかったはずだけど、親がケチだったせいでけっこう辛い子ども時代でした。

    ・服を用意してもらえないので、小学校のころは冬でも半袖で通学
    ・体操服ももちろん半袖のみ  冬は特に体育の時間が寒くて嫌だった
    ・手袋などの防寒具は小遣いで自分で買えるようになるまでなかった
    ・バイトは、貧乏な家の子がすることだからと禁止(ウチは金持ちとのこと)
    ・中学生の頃は昼ごはんを用意してもらえない日があり、弁当時間に何もない(弁当も昼食用のお金もなくて)のが恥ずかしくて教室から出て廊下をぶらぶら歩いて時間を潰していた
    ・希望の大学はお金がないからと受験すら不可、家から通える国立しか受けさせてもらえなかった(奨学金をもらえないくらいには世帯収入はあったのに)
    ・小学生のころはお腹が空いたら1人でしばしばパンのミミを食べていた
    ・勝手に家にあるものを食べると怒られた
    ・中学で英語の授業が始まっても辞書をらかってもらえず苦労した
    ・勉強部屋は与えられたものの冷暖房がなくて、真冬は室温が2〜3度で勉強するのが辛かった  出来るだけたくさん着て毛布をかぶっても、手がかじかんでうまく文字を書けなかった
    ・大学生になって私服で通学だったが、服を十分かってもらえず、やはり冬は寒かった(バイトは禁止なので服を買うほどお金を持ってなかった)

    子供の頃の思い出は
    お腹が空いていて寒いことが印象に残ってます。

    ユーザーID:8576434249

  • 懐かしい思い出

    25で玉の輿に出会い
    結婚しました


    父親が急に亡くなり
    母親が大黒柱に

    当時は
    女性が外で働くとは
    なんたるかを植えつけられて
    育ったので、もうね

    同級生から、貧乏人と呼ばれ
    たり

    朝ご飯のメニューを訊かれて
    男子に「やっぱり貧乏人メニューだな」と

    いいのいいの
    言わせておけば

    ってね

    もやし炒めも
    バカにされましたよ♪

    謎だけど

    今やっと


    息子も理解できる年齢になったので
    恥ずかしがらず


    貧乏だった話をしたり


    あれこれ私なりに考えて
    必要な時にはケチケチせず

    ちょいかっこつける
    程度に用意などしてあげれるので

    貧乏時代生かして

    ますよ。


    ちなみに

    母親の実家は
    住込み


    お手伝いさんが昔からいて
    今も高齢だけどあちらで
    お手伝いさんしてます。

    ユーザーID:5673118375

  • ありました

    着るものはほとんど、近所の年上の知り合い達のお下がりだった。
    六畳二間のアパートに家族6人住んでた。
    家に風呂が無かったので、銭湯が休みの時は台所の流し台で洗髪した。
    ただ今アラフォー女の、18歳までの生活です。これ、笑える話なのかな、自信ないですが、これ以上書くと笑えない話になりそうで。
    笑い飛ばして頂ければ幸いです。

    ユーザーID:9776059800

  • はいはーい

    ・ある日、電話が受信だけでこちらからかけられない設定になった。

    ・一万円のCDプレーヤーを買うのに12回払いにしていた。

    ・彫刻刀や裁縫セットは一番安いセット

    ・味噌汁の味噌が薄すぎて給食で初めて味噌汁を食べた時違う食べ物かと思った

    ・遠出をしたことがない

    ・車はもちろんない

    ・定期をうちも一カ月ずつ、バイト代で払わされてました。→未だにまとめて買ったほうが安くても躊躇します(笑)

    ・大学進学、仕送りはもちろん授業料も払ってもらえないのでバイトと学費免除制度を使う

    ・大学生になると親からお金をせびられる

    まぁ、こんな感じですかねー私は貧乏男子と結婚してしまったので今も貧乏継続中です。

    ユーザーID:1641151568

  • 貧しかったけど良い時代だった

    50代です。
    小学生のころ父が事業に失敗した途端に家族全員が転げ落ちました。

    今でも思い出すのが「玉ねぎ」なんですが
    多分、冷蔵庫にそれしか入ってなかったんでしょうね。
    フライパンで炒めてソースをかけて食べ続けたのを鮮明に覚えてます。

    ただあの時代は周りの友達もそこまで裕福じゃなかった気がします。
    だからトピ主さんの言うような鉛筆が足りないのも普通だったから
    他人のことが気にならなかったんでしょうね。
    そして他の方も書いているようにキラキラした思い出になっています。
    子供だったのもあるし友達もたくさんいたから。

    人間はお金が無いことより
    友達がいないことが一番つらいのかもしれませんね。

    ユーザーID:2207126609

  • 衝撃的だったのは

    小学生の時の家庭訪問で、
    先生が家に上がってくれなかった事でしょうか。

    とても古い、木造の小さな公営住宅だったので、
    今思えば、先生も人間だし仕方ないな、と思いますが、
    子ども心にはショックでした(笑)

    あと、これは衝撃的でもないのですが、
    自転車が買えなかったから自転車に乗れなかったとか
    (大人になってから練習して乗れるようになりました)
    実家を出るまで一人で寝た事が無いとか
    (一人一組の布団を敷くスペースが無かった)
    隙間の多い家だったので蜂が壁と箪笥の間に巣を作ったとか、
    両親がいつも生活費で揉めていたとか
    (これはむしろ、貧乏あるあるのような気もしますが)
    そんなところでしょうか。


    でも、その時に培われたであろうハングリー精神が
    今の自分や今の生活に活きていると思ったら、
    悪い経験でも無かったかな、とも思います。
    スタートが底辺なら、あとは上昇するだけですし、
    高いところまでは行けなくても、
    そこそこの高さで満足できますからね。

    もっとも、二度と経験したいとは思いませんし、
    今の自分に耐えられるとは思えませんが…。

    ユーザーID:0472683538

  • トピ主です。

    みなさん、レスありがとうございます。

    子ジカさんへ

    >健康診断の視力検査で眼鏡が合っていないと結果が出るとめちゃくちゃ怒られる

    私の場合、健康診断では視力も良かったですが、何よりも歯が虫歯になったことがなく
    いつも、表彰されていました。

    単純にお菓子やジュースを買ってもらえなかっただけなんですけど。


    あやなさんへ

    あやなさんには負けました。

    >家にあったこたつ毛布をほどいて手芸品

    そこまでは流石になかったです。

    ポジティブでたくましくて、うらやましいです。

    女性は貧乏だと強くなり、男性は貧乏だと弱くなるのかな。

    ユーザーID:6609630017

  • 何もない事が普通でした

    朝ごはんで、お味噌汁と漬物のみ。
    賢い猫は漬物ナシ。
    が!めざしが一人添えられていました。
    手を伸ばすと右手で”ぺし”して、くれませんでしたが
    なんか羨ましかったですね。

    一家で猫まんまの”ほのぼの”した風景です。

    ユーザーID:4258341329

  • トピ主です。

    みなさん、たくさんのレスありがとうございます。

    こんな言葉がありますよね。

    足るを知る。

    でも、貧乏に慣れすぎるよりは、向上心を持って
    上を目指すべきかもしれません。

    小さい頃、住んでいた借家はトタンで出来ていました。

    4畳半で6人で暮らしで

    台風が来ると父親が木で補強していました。

    ここまでくると、マンガの世界ですよね。

    それでは、みなさんありがとうございました。

    ユーザーID:6609630017

  • 服は貰い物のお下がり

    物心がついた時には4畳と2畳(台所)の部屋の長屋(住人は色々問題があるような所)に住んでいました。

    父親が友人の借金の保証人になって踏み倒されたのでちょっと貧乏でしたね。

    母親が幼児の私を連れて踏み倒した友人を探し当てて返済を迫っていたそうです。
    結局はない袖は振れず、母親も内職や仕事を掛け持ちして返済しきりました。
    服は姉がお下がりで貰ったもののお下がりで、さすがに制服は姉は買ってもらっていましたが、私は制服もコートも鞄もお下がりでした。
    もちろん学習机なんてありませんでしたよ。
    クリスマスどころか誕生日プレゼントももらったことはありません。

    おかげで姉妹揃ってしまり屋に育ちました。

    夫の家は姑曰く義父の浪費で貧乏生活(しかも給料を明細からごまかして少なく渡していた)だったそうで、産着がなく手ぬぐいや粗品のタオルで赤ちゃんの服にしていたそうです。

    結婚当初は道端(犬の散歩コースより奥まった場所)の「食べられる野草」をごちそうになりました。
    苦かったです。

    ユーザーID:6118461674

  • 貧乏なんて怖くない

    私はごく平均的な家庭に生まれ育ったので、トピ主のような幼い頃の貧乏体験はありません。
    でも、雇われに不向きだった私は早くして独立開業しました。
    25歳〜35歳の10年間は貧乏なんて言葉では表現しきれないほどでしたよ。
    一番酷かったのが住居、賃貸の安アパートすら借りることが出来ませんでした。
    物品販売だったので倉庫だけはかなりの大きさのものを借りていましたので、大家には内緒(というか、窮状を鑑みて黙認)で倉庫の一角をベニヤ板で仕切って3畳ほどのスペースを作り、そこで生活していました。
    調理はプロパンのコンロで青空、よくある山小屋仕様のもの。
    お風呂、これが一番辛かったですが近隣に銭湯がなくて車で30分ほど走ると温泉ランドはあるのですが、料金高いので月に2回が限界。
    後は、鍋にお湯を沸かして洗うのが精一杯。
    たまに、売り上げが多かった月は電気の投げ込み式のヒーターをタダで拾ってきた浴槽に突っ込んでお湯を沸かして1回ざぶんと漬かってフゥーとため息をついたら出るという瞬間入浴を週一で、温泉ランドはお休み、これも青空なので冬は無理。
    究極は、その隠し部屋、窓がありません。
    なので目覚ましをセットし忘れると昼過ぎまで寝過ごしても気付かない、真っ暗な静寂の空間!? 賃貸暮らしの人だと羨ましい??
    食べ物は知り合いがスーパーの店員さんだったので廃棄する惣菜や弁当、ゾンビ野菜や果物を恵んで貰ってしのいでいました、これで餓死せずにすんでありがたかったです。
    事業はその後急拡大し、今はきれいなお家で暮らしていますが、ふと思うのはあの頃の苦労があったから、今大変なことがあっても「どん底まで行っても暗室暮らしでゴミ箱漁りはないか」と何だか安心。

    ユーザーID:8144268731

  • トピ主です。

    みなさん、たくさんのレスありがとうございました。

    家が貧乏だった原因はおそらく、酒が原因じゃないかと。

    子供が4人もいるのに毎日酒屋が配達に来ていたのを覚えています。

    誰かの保証人とかじゃなく、家計の大半を酒が占めていたのでは

    と思います。

    酒、ギャンブル、女性に狂う人とは、結婚しないほうがよいかも。

    みなさん、ありがとうございました。

    ユーザーID:6609630017

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