親の死がいつか来るのが怖いです。

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私は今、社会人一年目の者です。実は今年の一月に母方のおばあちゃんを亡くしました。
母方のおじいちゃんは、母が今の私くらいの年齢の時に亡くなったそうです。
このことを思うと、母の死はもしかしたらものすごく近いのではないかと怖くて怖くて涙が止まらなくなることが増えました。
人に死が訪れることは、自然の摂理。そんなことは頭では分かっているつもりです。でも、本当に怖くて怖くて仕方がないんです。母は自分の体調が少し悪くても言わずに我慢をして、その結果手術に至ったこともあります。とにかく、家族には心配かけぬようにと、素敵な母なんです。
社会人のくせに、上手く表現ができずわかりにくいかと思いますが、もし、この怖さを乗り越えられる方法がありましたら、教えていただきたいです。

ユーザーID:2344132252

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  • くるものはくる

    こればかりは運命です。くるべき日は当然来るのです。

    私も若い頃は想像できないというか恐怖でした。
    アラフィフになろうとする今、そう思えた時代の私はあんな年齢でも親に守られた幸せな娘だったんだなあとかいい年して甘えた奴だったんだなあという二つの思いがうかびます。

    母は亡くなる数ヶ月前まで元気で私の産後の手伝いをしてくれたほどでした。しかし子供の1ヶ月検診がすんで落ち着いたからと帰宅したその翌月にに体調を崩して病院へ行くと病に冒されておりそのまま入院となり入退院を繰り返して亡くなりました。
    病気とわかったときは信じられない思いでした。あんなにも元気だったのに・・・と。
    肝臓の病気で肝臓は症状がでにくい病気でこういうことがよくあるそうです。

    日に日に弱っていく母をみてもう支えるなんてとてもできず会うたびに涙がぼろぼろ、おたおたするしかない日々でした。
    家族みんながそんな状態でした。
    亡くなったあとも呆然として思い出しては泣くだけの日々。どうやって立ち直るのかと思いました。そのぐらい親友のような母でした。
    人に親の話をされるだけでもこらえられずにその場で泣き出す始末でした。

    しかしあれから10年以上がたちました。気がつけば冷静に親の話をできる自分となりました。そして不思議なことにかつては、思い出といえば母といた幼い時代の自分をなつかしんでばかりばかりいたのに、気がつけば今は楽しい思い出として最初に浮かぶのは幼い我が子と遊んだ日となっていることに最近気がついて驚きました。
    母との思い出以上に我が子との思い出の時間が自分にとっては大きな存在となっていたんだなあと。
    それでもきっと母はそんな自分をさびしく思うのではなく「当たり前よ。○ちゃんが幸せな家族もってくれたのがお母さんの一番の幸せ」と言ってくれると思います。

    大人になればわかるものです。

    ユーザーID:9173759487

  • レスします

    親の死って死ぬのは自分じゃなくて親なんだなあと思ったらあんまり怖くなくなりました。
    というと冷血漢みたいですけど、そうではなくて、
    実子といえど死に行く人を差し置いて怖がったり泣き叫んだりは、違うかなと。
    万が一のことがあっても、取り乱したりせず、
    どっしり構えてサポートできたらなと思います。
    親が安心できるように精一杯生きましょう。

    逆に親を残して自分が死ぬなんてことのほうが、おそろしいです。。
    何があるかわからないのが人生だけど、
    親よりは一日でも長生きできるように頑張りたいな。

    ユーザーID:8875178209

  • こまめに確認

    無性に心配になりとまらない、という状態ってありますよね。

    対策は
    心配を打ち消すほどの安心、だと思います。

    人間ドックにきちんといってもらう。
    毎日まめに連絡をとる。
    週に一度は電話で声をきく。

    今日、こんなふうに元気だ、だから今日は大丈夫。といちいち確認することで
    不安を打ち消すのがいいと思います。

    大丈夫、もっと気になることが出てくるとふと不安を忘れることもあるはずです。
    今は他のことがそれほど深刻でないというある意味、幸せな状況なんだと思いますよ。

    ユーザーID:7670351379

  • みんな一緒

    身近な人の死は誰だって考えたくないし、考えてしまったら怖くなりますよ。

    怖いのはみんな一緒です。

    けどね、死なない人間はいません。
    死は誰にでもいつかは必ず訪れるもの。
    もちろん、自分にもいつかその日がやって来ます。

    何でもない時から必要以上に恐れたりせず、今という時を大切に生きましょうね。

    ユーザーID:1161150145

  • もったいない

    理屈ではわかっているようですが感情がそれを認めない状態なんですね。
    そうだなあ、起きてもいないことをあれこれ悩むなってことに尽きるかな。

    そんな事言ってたら人間、生きていけませんよホント。
    物事なるようになるんだし、あなたの力でできることなんてたかが知れている。
    お母さんを大事にし、我慢強いお母さんなら健康状態に気を配り、少しでも調子が悪そうなら一緒に病院にいくとかそのくらいだよね。
    それだって世の中何が起こるかわからないんです。あなたのほうが先に逝く可能性だってゼロではない。
    これは万人に言えること。

    そうやって怖い怖いって思っている一分一秒がもったいないということだよ。
    いつかくるその日に(何十年後かわかりませんが)今を振り返った時きっとあなたは後悔するんじゃないかな。
    怖がっているならその分楽しんでおけばよかったって。

    これは性格もあるんであまりにもその考えから抜け出せないならカウンセリングも必要かも。
    プロに話を聞いてもらうことで心がほぐれるかもしれません。
    お母さんの人生は永遠じゃないけどあなたの人生だって永遠ではない。今この瞬間をどう過ごすか。大事にして下さい。

    ユーザーID:4389798856

  • 乗り越える方法はないです

    いくつになっても怖いものは怖いです。
    数年前に父が亡くなってから、残った母もいつかその日が来ると思うと、年々怖さは増します。

    人は日々死に向かっています。

    そんなことばかりを考えてもしかたがないので、出来れば生きている毎日を穏やかに暮らすことが1番なんだろうな・・と思います。
    それが難しいのですが。。

    まだお若い主さんにできることは、元気で毎日を笑って過ごす。
    母親は、我が子が幸せそうならそれでいいのです。
    でも、辛い時は泣いて甘えてください。
    そしてまた笑顔に戻って。

    ユーザーID:8277207666

  • 同じでしたよ。

    な様のお母さん世代より、もう少し年上の者です。
    遠い遠い昔、私もな様と同じように思っていました。
    親の死がすごく怖く、悲しく
    その場にいたくなくて、親より先に死にたいと
    思っていました。
    でも・・・
    いつのころか、両親より先には絶対死ねない。
    親に逆縁の悲しみを味あわせたくないと
    思うようになりました。
    それがいつからだったかは、忘れてしまいました。

    そして、父を送り母を送り
    その時は、いえ今でも両親を思うと涙がでます。

    でも、親はそして私も永遠の命ではないので
    逆縁をせずにすんだことは、
    良かったと思っています。

    今のな様の怖さを乗り越えるためのアドバイスには
    なっていませんが、
    同じ思いをしてきた私の経験談でした。

    ユーザーID:6730816370

  • 私も怖いよ

    もう半世紀以上生きている人間の私ですら親の死を考えると
    怖いのですから、若いトピ主なら尚更だと思います。
    これって親の年齢関係ないんですよね。

    で、最近、私が一番恐れているのは
    「自分一人だけ残されること」なんだって気が付きました。
    親の死により「取り残されてしまった自分の未来」が
    どうなるのか分からなことに恐怖を感じているんです。

    その恐怖を乗り越えられる方法があれば私も知りたいです。
    が、私は対処法として、
    「夫がいるじゃん、子供もいるじゃん、だから大丈夫」と
    念仏のように毎日心の中で唱えてますよ(笑)
    なのでトピ主もこれから、自分を支えてくれる「母親以外」の
    存在を持つことで、少し心が落ち着くのでは?と思います。

    これはトピ主の求めている答えではないと思いますが、
    何か少しでも慰めになれたなら幸いです。

    ユーザーID:8460438387

  • 宗教的な問題だと思います。

    お寺さんでもいいですし。
    神社でもいいですし。
    キリスト教でも、イスラム教でもいいんですが。

    「人の死」がどういう風に扱われているか調べてみてはどうでしょう?

    私は去年の12月に母を、今年の3月に父を亡くしました。

    92歳と93歳でした。
    最後の10年は、もう、生きててもらいたいのは私だけ。
    社会的には引退しているし、介護されている状態で、人から世話を受けるばかり。
    本人たちはそれでも何か他人の役に立てることはないかと考えていましたが、福祉方面にはそもそもうといので。
    「高齢者向けの健康体操を作ろう」(そういうことに詳しい方がすでに作ってます)とか「自分の排便の記録を送れば、健康食品会社が『データが取れた』と喜ぶに違いない」(んなわけないです)とか、どこかネジが飛んでるような発想ばかりしていました。

    人が死ぬといろんなことを考えます。

    もっと話せば良かったとか。
    もっといろいろ教わりたかったとか。
    ちゃんと見送ってあげられたかとか。

    実は12年前に夫が肺ガンで亡くなりました。61歳でした。
    「レントゲンに影がある」と聞いてから、亡くなるまで4カ月でした。
    当時は何の準備も覚悟もしていなくて、今でも夫に(もっと感謝の言葉を伝えれば良かった)とか(最期はもっと安らかに過ごせたはずだ)とかいろいろ後悔します。

    母と父のときは、反省を踏まえて行動したので、2人ともきちんと死に目に会えたし、そのときに言おうと思っていたことや、最期に着せたい着物の用意や、お棺に入れたい物の用意が滞りなく行えて満足です。

    怖いのもわかりますが、誰にでも来ることです。
    そのとき、どう見送ってあげるかを考えたほうが有意義だと思いますよ。
    怖がっていたって来るときは来ますから。

    ユーザーID:7425350108

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