人生の踏ん張りどころって、ありましたか?

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Tamago

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はじめまして。32歳、女性です。
今年は離婚に失業など本当に様々なことがありました。友人と話していたところ、「そこは人生の踏ん張りどころだよ。」と言われ、実際にそういうことは物事が過ぎ去った、うんと後でわかるものだと思いますが、確かに納得できる部分がありました。そこで皆さんの「人生の踏ん張りどころ」の話を聞かせてください。どんなことがあったのか、そしてどう踏ん張った(乗り越えたのか)聞かせてください。よろしくお願いします。

ユーザーID:4931391243

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  • 今思えば

    私も30代で離婚しました。
    元夫は自分のDVを隠すために、私が家事育児をしない、浮気疑惑があるなど嘘の話を義母や義妹に吹き込みそれを彼女らは信じました。

    周囲からは会って申し開きすべきだと言われましたが、何を言っても彼女らには息子や兄の悪口にしか聞こえないだろう、本当のことはいずれ解る。悪いことはしていないのだから理解をお願いすることはないと反論しませんでした。

    この仕打ちで仕事も投げ出したくなるほど疲れましたが、娘の将来のため踏みとどまりました。人の門出をお手伝いする仕事なのですが、精一杯笑顔で務めました。

    今や娘も働き出し、頼もしくなりました。
    娘の母校の先生から、お母さんはかっこいい人。と話していたと聞き、あの時色々と見失わなくて良かったと思いました。

    …トピ主さんもこれから必ずいいことがあります。体にだけは気をつけて新しい人生、いい時も思い通りにいかない時も笑顔になれることを見つけて明るく進んでいってください。

    ユーザーID:7961581012

  • たくさんありました

    アラフィフですが、今年は大変でした。

    主人が小さな会社を経営しています。事務員が二人いたのですが一昨年事務員の1人が会社のお金を横領していたことが発覚し退職。もう1人ベテラン事務員さんがいたのですが、自己都合で昨年末退職しました。(ひきとめたけど無理でした)

    まず私がベテラン事務員から仕事を引き継いだのですが、彼女は人にものを教えるのが得意なタイプではなく、引き継ぐのも非常に苦労しました。さらに新しい事務員を雇い、1から仕事を教え…彼女も飲み込みが良いタイプではなく、また性格的にもちょっと頑固な所もあり私も毎日色々な感情を飲み込みながら我慢して働いてきました。

    あれから一年弱…やっと仕事が落ち着いて来ました。我ながら踏ん張って乗り越えたな〜という思いです。

    仕事が大変…というのはまだありがちなこてなのかもしれません。いままでの人生でも、普通は経験しないような辛いことたくさんありました。4年前には大病もしたし、結婚しても4年子どもができず調べたら男性不妊で高度不妊治療したり、姑が強烈な人で苦労もたくさんしました。それ以外にも一般的には経験しないんだろうなという思いをたくさんしてきました。私は、前世でよほど悪いことをしたのかもしれません。

    トピ主さんは離婚も失業も自分の環境が大きく変わるので、辛いと思いますが、頑張っていただきたいです。私はネガティブ思考なので起きた出来事をとりあえずその時は必死でなんとか乗り越えようとするだけで、後から振り返ってもあまりその出来事を肯定的には捉えられないのですが。まあ、50年近く生きてきて結構頑張ったなとは思います。トピ主さんもなんとか乗り越えられるといいですね。

    ユーザーID:9570025323

  • 毎年「踏ん張り時」

    私(62・男)はもう退職しましたけれど中学生時代から病気で退職した48歳まで「毎年 踏ん張り続け」でした。

    学生時代は希望の職業に就くために工業高校・電子工学科に進学。
    希望通り 電気通信技術者として48さいまで従事させていただきました。

    転勤族でしたから31年間で24回転勤、業務命令でとった国家資格・免許は20種。踏ん張らないわけにはいかない。

    昼夜二交代制勤務で公休日は「非番」でしたから気分が休まるときが少ない。希望して就職しましたから、国民のために頑張る という職業柄方針。

    電気通信設備の災害復旧、交通事故、火災による通信回線復旧・・・

    職務とは言え、好きな職業なだけに自分では楽しく勤務できましたが、それで疲労に気が付くのに遅れ、総合病院でかかったことがない診療科はなかった。男でも「産婦人科の頭痛外来」にも通院。

    職場の産業医から、

    「もう 休養してください・・・」それで病気解雇になった。

    それ以降も在職中の勤務には戻ることはできませんが、現在も在職中に使った技術書、数学書・物理学書を読むのが趣味なんです。

    そんなに数学が楽しいか と聞かれれば 一生勉強したい。高校時代に理解できなかったことが先日、47年たってやっと理解できた。

    「そーだったのか あのとき 先生が説明されたことは このような意味だったのか・・・」

    ユーザーID:5902168530

  • 看護師になった時

    私は海外に住んでおり、34歳で看護師免許を取り働き始めました。 日本で看護師としての経験はなく、一からの勉強でした。 学校の勉強や実習はとても大変でしたが、働き始めてからの方がその何倍も辛かったです。

    慣れない看護師としての仕事と責任、外国で働くという経験、重圧と孤独感に押しつぶされそうでした。仕事に行くのが恐怖にさえ感じられました。もう無理、辞めたいと何度思ったことか。 

    しかし、ここで辞めたら今までの努力が無駄になる、あと少し、あと少しがんばってみようと繰り返し、1年が過ぎた頃から次第に楽になっていきました。

    今では看護師になってから16年が経ちました。その間、いろいろなことを経験し学び、沢山の出会いがあり、人間的にも成長できたと思っています。 何より、経済的にも安定した職業に就くことができたことは恵まれたことだと思います。 

    この仕事を始めた時は本当につらく苦しかったけど、諦めないでよかった、踏ん張ってよかったと心から思います。  

    ユーザーID:0180589613

  • 両親の介護

    50年プラスαの人生の中で、一番踏ん張った時だと思っています。

    私はひとりで両親の世話や介護をしたので、特に認知に問題を抱えていた母の時はたいへんでした。

    認知症の母の介護は10年に渡りました。症状が悪化してからの在宅は3年くらいでしたが、最後の一年はホームと病院でしたので、ほどよい距離を保つことができました。

    どう乗り越えたのか?医療関係者など自分の周りの方々を、味方につけるようにしました。なんとか母をベストな形で看取ることができるようにがんばりました。

    周りの兄弟や友人、知人、親戚などの協力も大きかったです。一人で認知症患者のお世話をしていると、追い込まれてしまって何が起こるかわかりません。最悪警察沙汰にもなりえます。今思い起こすと、恐怖すら感じます。徘徊していて事故にあうとか介護殺人とか・・。

    母の介護の最中に、私は生まれて初めて覚悟を決めました。「何があっても無事に母を送る」と。

    お蔭さまでなんとか母を見送り、平穏な日々が戻ってきました。私にとっての踏ん張りどころでした。

    ユーザーID:7945135821

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