こんにちは.いつも私の暇な疑問にお付き合いくださり,ありがとうございます.
さて,今回は(笑),『マディソン郡の橋』.映画が少し前にTV放送され,前から気になっていたことを思い出しました.皆様のお考えをお聞かせください.
臨終が近づいた夫(リチャード)がフランチェスカに「フランチェスカ,おまえにも自分の夢があったことはわかっている.わたしがそれを与えられなかったのが残念だ」という場面があります.映画では夫は続けて「愛している」というのですが,それに対し,フランチェスカは夫の手を握りしめ,頬を寄せてキスしますが,言葉では答えません.小説でも,感動したとは回想しているけど,どう答えたか,あるいは,答えなかったかは明示されていなません.
さて,映画のこの場面,フランチェスカも「私も愛している」と返事しそうな流れなのに,そう言わなかったのは,
1) 言わなくても分かっている.ずっと夫のそばに留まったのだから・・・.
2) 夫を大切には思っているが,ロバート(あの写真家)を愛したようには愛してはいないので,「愛している」とは言えなかった.
3) その他(たとえば,映画や小説に描かれていないときに「愛している」と伝えていたに違いない,など)
のいずれでしょうか.また,臨終の夫はどちらの意味に受け取ったでしょうか.皆さんの受け取り方をお聞かせください.
なお,この場面は,映画では,開始後2時間あたり,小説(松村潔訳,文春, 1993)ではp.190付近にあります.
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