• ホーム
  • 健康
  • 「自分と違う考えや意見を認める」が難しい。

「自分と違う考えや意見を認める」が難しい。

レス34
(トピ主0
お気に入り70

心や体の悩み

ふふり

人の考えや意見、加えて体験が、自分のものと似ている部分があれば、すり合わせや共感や協力はできます。
しかし情けないことに、私はアラフィフという歳の割に経験や知識、想像力か乏しいためか、自分と違うものの見方や意見や体験談を聞くと『貴方はそうなのね』とさっぱり受け止めることが難しいです。

心に「批判、非難」「自分の考えを主張」「相手はホントには○○だ、という疑い」などが浮かびます。気をつけて、人はみな違う、を心に留めておくようにしていますので、トラブルはおきません。
人と関わるのは昔は大嫌いで得意ではなかったけど、ここ数年は嫌いではなくなってきました。

ですがやはり、人はみな違って全て受け入れなくていいと分かっても、「貴方はそうなのね、その上でどうしようか」と折り合いをつけるのが難しい。どこかで相手をコントロールしたくなってしまい疲れます。近い人、今日限りの知らない人でも同じです。頭にくるって感じです…
極端ですが、期間限定の関わりの人でも 意見が別れて分かりあえないと、 無かったことにしようとしても、残像か残り嫌な気分になります。近い人はもっとです。いつも嫌な気持ちの中にいます。人は違うから仕方ない…と、流せません。愚痴を言うのも聞いてくれる人に私と同じ想いをさせるので、言わなようにしています。

どのようにすれば、距離をおいて相手を認められるのでしょうか。すっきりしたいです。

ユーザーID:5744496147

これポチに投票しよう!

ランキング
  • 0
  • 0
  • 0
  • 0
  • 0
  • 面白い
  • びっくり
  • 涙ぽろり
  • エール

このトピをシェアする

Twitterでシェア facebookでシェア LINEでシェア はてなブログでシェア

レス

レス数34

レスする
  • 訓練

    あまり相手に興味を持ちすぎないことかな。
    少しドライになる。
    限度問題なんですけどね。

    過去に人づきあいが苦手な時期があり、それを克服されたとのこと、それはご立派でした。
    でもその後遺症でどうも構えちゃってるというか、感情を入れ込みすぎちゃってるところがあるのかなって思いました。

    日本は単一民族で「常識」が似ている。更に和を尊ぶのでなんでも丸くおさめがちゆえ「違う考え」を投げつけられることに慣れていないというのもあるでしょう。
    日本人は建設的な議論がどうしても喧嘩になってしまいがちというのもそれだと思う。

    当方、米住みで、こちらは考えられないくらい違う感覚をもった人たちが寄り集まって生きている。違う意見に出会っても相手への「尊重」と同時に自分の意見をしっかり伝え、折り合いつかなければ「そこに執着しない」「諦める」思考は必須。

    慣れていなくても、モヤモヤしたら「わかりあえて当たり前の世界なんてない、狭い世界で悩んでちゃ駄目だ」とかって少しご自分を客観視して、深呼吸してみて下さい。
    そして他人は他人だし「どうでもいいわ」ってそのくらい思っていいんじゃない。
    1人になった時にそう声に出してみるのも効果的かも。
    来米当時、私自身、よくやってました。

    そういうことを重ねていくうちに、次第に上手に切り替えられる日がくる気がします。
    頑張って下さい。

    ユーザーID:7511498969

  • 掲示板が最適

    それこそ小町のような掲示板やFAQサイトが最適ではありませんか。

    自分と同じとは限らない、様々な考えがレスとして挙げられるわけですから、
    気になる、興味のあるトピのレスを1件1件読んでみるといい。
    匿名で、どこの誰が書いたのかさえ分からないレスだから、
    自分と違う考えでも、コントロールしようもない。

    多少ストレスを感じることがあるかもしれないけど、
    数をこなし、慣れてくれば、寛容になれると思います。

    ユーザーID:3726828068

  • 同じくアラフィフです

    思考が偏って凝り固まりがちな年齢ですよね、、

    私が心がけているのは、何につけても自分が正しいと
    思わないこと。

    こちらの小町もそういう意味では本当にいろんな意見が
    あるのだと、とても勉強になります。

    自分の親しい人や尊敬、信頼出来る身近な人の考え方も、
    元々その人に対して疑うことがないので、
    この人がそう思うなら、私とは違うけどそんなおかしな
    ことでもないのだろう→この考え方はアリなのだろうと。

    あとは小説、心理学、自己啓発本なども
    いろんな視点からものごとを捉えているので参考になります。

    最近はまだ大学生の娘でも「いや、そうだよね?」と
    目から鱗の意見もあったり、子どもから学ぶことも多いです。
    テレビで拝見する若い方の意見だって一理あったり。
    筋が通っていたり。

    「これはアリ」だという前提で聞いたり話したりすると
    すーっと心に入ってきたりするような気もします。

    これだから年寄りは、と言われないよう頑張りたいですね。

    ユーザーID:9822627557

  • 私も同じでした。

    そもそも、なぜ人をコントロールしたくなるのでしょうか。

    自分を認めてほしいから?
    自分が人よりも優れている、正しいと思うから?
    その理由次第かなと思います。
    価値観の違いを認められず人をコントロールしたくなるなら、それより前に、何かそのような考えを引き起こす原因があるはずです。
    育ってきた環境などが影響を及ぼすことも多いと思います。
    もちろん、生まれつきの性質もありますが、それにしても、なにか後天的な理由もありそうです。

    その核の部分がわからずご自身で消化できないまま、行動だけを修正しても、どんどん歪になるだけのような気がします。

    ユーザーID:1168786771

  • 楽しむ

    本をたくさん読んでいますか?
    歳をとってからは、特に長編が好きです。
    ドストエフスキーとかトルストイ。
    長編ドラマも良い。


    壮大な人間ドラマを読むと、小さい枠に生きている自分の殻が壊れる。

    自分を客観視し、他人も客観視できます。

    人間って面白いなあと楽しめます。

    ユーモアが生まれるので会話が抜群にうまくなります。

    落語もずいぶん取り入れました。
    ご参考までに。

    ユーザーID:6515421462

  • ポジティブな孤立、ネガティブな孤立

    >さっぱり受け止めることが難しいです。
    ポジティブな孤立を経験された方には、寛容な方が多いと思います。

    例えば、若い頃に成績優秀者を経験された方だと、周囲が自分に追いつけない場合があるのは当たり前で、あまり気にならないと思います。「わからないのか、そうか、仕方ないね。」で終わるでしょう。

    成績に限らず、運動や芸術、様々な面で、一度でも圧倒的優位に立った経験を持つ人は、「人が自分とは違う」と言う状況をポジティブに受け止めることが比較的容易なのではないかと思います。よく、自信のある方が相手を受け入れやすい、という言い方をされますが、それも、このような背景があるのではないかな、と思います。

    一方で、いつもその他大勢の中にいた人の場合、周囲の大多数が自分と同じ、と言う経験がほとんどで、孤立というと仲間外れ、目立ちたがりなど、ネガティブな孤立を経験する機会の方が多いと思います。つまり「人が自分とは違う」というのは良くないことだと感じやすい。そのため、孤立を恐れる傾向があるように思います。

    トピ主様は、もしかしたら後者の方だったのかな、とは思います。そのため、自分が相手と違うはずがない、と思わないと不安になるのかもしれませんね。頭に来るというのは怒りの感情で、怒りの感情とは基本的に防衛反応ですから。

    ご自身の生育過程を見直してみるのも、一つの方法かもしれません。

    ユーザーID:2787765135

  • 正解はない、そして聞く耳を持つ

    10人居れば10通りの考えがあっていいと悟る事しかないです。
    私たちは生まれてからずっと「みんなと同じじゃないとダメ」と
    刷り込まれてきた部分があると思います。
    特に昭和生まれは個性はあまり認められなかった世代です。
    人と違う事をしたり考えたりしてると批難されました。

    だから意見が合わないと気持ちがスッキリしないんです。
    違う意見を聞くと、自分の人間性を全否定された気分になる。
    でも人生観や価値観に於いて、正解はないんだと思います。
    別々の人格、別々の生育環境を経て、今の自分がある。みんな。

    ただ大人になると協調性が求められますから、表立って誰かの意見を
    真っ向から否定しない風潮は理解出来ますよね。
    ちょっと違うな・・と思っても、そ〜だよね〜と(特に女性)
    人間関係を円滑にする処世術と言いましょうか。

    それが遠慮がない相手だと、つい自分の意見を主張したくなり
    否定されると論破したくなっちゃうんですよね。
    みんなそういう気持ちは多かれ少なかれ持ってるものでは?
    どれだけ大人対応出来るか・・の違いだけじゃないでしょうか。

    根底に「正解はない」と言う気持ちをいつも持ってると楽ですよ。
    自分が100%正しい訳でも相手が100%正しい訳でもない。
    心を柔らかくして「聞く耳を持つ事」です。
    自分は聞く耳持たないけど相手には持って欲しいと言うのは
    ただの我侭ですから。

    ユーザーID:8203888642

  • 諦めましょう

    >どこかで相手をコントロールしたくなってしまい
    それは何をやっても不可能なんです。相手をコントロールする事を諦めましょう。
    そう言う気持ちになってしまうのもわかります、でも「コントロールしたい」と思ったところで出来ないんです。
    出来ない事をやろうとすれば、そりゃいつまで経っても出来ないからイラつきますよね。ですから「相手をこうしてやろう!」って頭に浮かんだ瞬間に「でもそれはムーリー」って唱えるんです。

    あと私が心掛けている事は、目の前の物事に100%集中しないって事ですね。
    目の前の相手に100%集中しちゃったら、もしそこで怒りや憎しみの負の感情が沸き起こったら100%その感情になってしまいます。そうなると負の感情から引き戻すのにも大きなエネルギーが必要になると思うのです。
    だいたい8割程度の集中で、残り2割は自分を監視したり、起きている物事を客観的に面白がるようにしています。
    心の中でニヤニヤしつつ「そう言う考え方もあるんだねー」って余裕を持ったほうがラクに生きられるんじゃないでしょうか。

    それから、基本的に自分自身の考えを確立しつつ、心のどこかで「自分も間違ってるんじゃないか」って疑念を持ち続けるようにしています。それも8:2ぐらいの割合でしょうか。「もしかしたら自分が間違ってるかも」と思えば、相手が自分と違っていても心の中の2割は相手を許せる気持ちになるような気がするんですよ。

    明らかに自分の考えと異なる意見まで認める必要はないと思います。
    単純に「私はそうは思わない」でいいと思いますよ。それでも相手がこちらを説得しようとしてきたら断固拒否すればいいだけです。

    ユーザーID:0268474447

  • 不幸だからよ。

    トピ主さんが今「不幸だから」だと思いますよ。

    どなたかの意見にもありましたが、
    人より秀でているものがあると、
    人を余裕で認められると思います。

    実は私もそうで、
    以前はいい暮らしが出来ていたので、
    人を余裕で認めていました。
    でも今は、真逆の暮らし。

    人を批判することしかできません。

    不幸な人は、
    不幸です。

    ユーザーID:4195415998

  • 家族のパターン

    生育歴の中で両親(もしくは同居の祖父母など)に自分の意見を「あなたはそうなんだね」と対応してもらった事が無いのではないでしょうか?両親の正義に従うことが最良の対応だとされていたとか。
    もしくは家族の中にコントロールしてくる人がいたか。
    子どもは無意識に『自分の家族は普通』と思って生きているので、家族に違和感を抱かないんですよね。
    そうしてその内、自分の他人への対応パターンも自分の家族そっくりになっている。

    ユーザーID:9048302811

  • 読書はしてますか

    とにかく色んな本を読むことです。
    本の中には色々な人生が描かれてます。
    その人の想いに寄り添うことが出来ますよ。
    私は全く違う人生経験を本の中から学びました。
    特にドストエフスキーは大好きな作家の一人です。
    不幸な人生、不幸な生い立ち、時代に翻弄される人生。
    自分と違う人の立場に立って考えると、少しは許せる気持ちも
    沸いてきますよ。お試しあれ。

    ユーザーID:0373077376

  • 元も子もないけれど

    トピ主の今の状態を維持するのが良いのではないでしょうか。
    完成などするはずもありません。そのように心がけて、時に失敗して、がっかりしたり、再び進もうとする。
    そういうことで良いのだと思います。

    ユーザーID:9606837099

  • 理屈で対処すればスッキリする

    ここでご紹介する方法が絶対ではありませんので、予めお断りして置きます。飽く迄も、一つの方法です。
    人間の思考方法、手段を「感情的思考」と「理性的思考」に分けます。

    感情的とは、喜怒哀楽恨み妬み系の思考で誰でもが持っていますし、その範囲や強弱は個々人で異なります。主観的思考と読み替えることも出来ます。


    理性的思考とは、人間の歴史の中から求められた常識、理論、論理による学問的思考です。主に事実の追求視点を大切にします。客観的思考と読み替えることが可能で、第三者の評価に耐えます。

    人間関係から、この思考場面を考えて見ると、感情的思考は、個人や身近な関係に属する(限る)と考えることが出来ます。俗に、十人十色と言うのは、このことを指しています。

    理性的思考は、数学の公式のような物で、政治的な主張を除けば、多くの理解を得ることが可能と思います。5W1Hで確認する事が出来ます。

    感情的思考は、多くの人達との議論の場で使用することは相応しくありません。職場や公的な場で使用する思考は、「理性的思考」に頼ることがベストです。

    感情的思考は、独りの時だけ、猫と一緒にいる時にだけ使用する事が可能です。職場の同僚や友人との間では、理性的思考に頼ることが無難です。家族や夫婦不親子の間でも、感情的思考が許されると考えない事をお勧めします。

    序に言えば、感情的思考は、自らを疲弊させるだけでなく、周囲をも巻き込んで混乱させます。
    トピ主さんが自分の考えと言われている事が「感情的な事か」「理性的な事か」を今一度確認為さったらと思います。感情的な言動は、相手と異なることが多いので、違いは当たり前です。

    理性的な議論であれば、互いを認めるのに苦痛はないと思います。

    ユーザーID:9486923071

  • 『なぜ?』 を問う

    『なぜ』 自分と違うものを受け入れる事が出来ないのかを自分に問うてみてください。

    自分と同じで無い、経験や意見に遭遇した時に、批判・非難・自己主張・疑念が貴女の中に起きるのは「なぜ?」を自分の心に聞いてみるのです。

    トピ主さんは、身長・体重・顔の作り・髪形などに違いがあるのは許せますか?
    洋服や食の好みが違うのはどうですか? 音楽・絵画・スポーツなどの趣味の違いは?

    視覚的に一番最初に分かる、容姿に関わる部分は許せるのでは無いですか?
    ここからは私の勝手な推測ですが、トピ主さんは幼い頃にいつもグループの中心にいて、ふふりが良いというものは周りのみんなが良いといい、ふふりと同じ体験をする(あるいは虚偽の申告をしていた)仲間だけといたのでは無いでしょうか。

    とりあえず、自分の過去から、「なぜそう思うのか?」を問うてみてください。

    ユーザーID:5037768898

  • 確かにそうですが

    趣味の集まりだとその趣味が好きな人が集まるので楽しく過ごせますよね。

    友達や会社、身内とか、何かで集まった人たちの会話の中では自分と全く違う意見だともやもやが残ります。でも世の中のルールや常識、その考えだと人に迷惑がかかる等からかけ離れてない限りは受け止めてます。

    たぶんトピ主様は昔人とかかわるのが大嫌いだった、と仰ってるので若い時期にしておくべき経験が不足してるのではないでしょうか?若い時に人間関係で悩んだり衝突したりという人と関わることが少ないことが原因かな、、、と思います。

    人は人を尊重して接することができれば気が楽になると思いますよ。

    ユーザーID:2968815234

  • 認めなくてよろし。

    だってそれがあなたのいいところ!

    ユーザーID:8017588676

  • 他人との境界線

    口では「人はみな違う」と言えても、納得出来ていないのでしょう。
    他人との境界線が曖昧なのだと思います。

    他人は育った環境も価値観も、根本的な文化も違うものです。
    相手が外国人なら想像しやすいです。
    同じアジア系で身体的特徴が似ていても、言葉以上に考え方や論理の組み方など違います。
    同じ映画を観ても、クスッと笑えるポイントがズレるんです。

    同じ年頃の子ども達を並べて見ても、食べ方や遊び方、絵の書き方、いろいろです。
    頭ごなしに統一なんて出来ません。
    少しずつ年をとって周りを見る目が育つと目立たないように足並みを揃えようとしがち。
    せっかくの個性がもったいない。

    他人を丸ごと受け入れられるようになると生き方が段違いに楽になりますよ。
    逆に言えば、主さんが主さんのままで受け入れて貰えるということです。
    違いを尊重し、楽しんだり面白がることです。

    自分の中で対話をすることはありませんか?
    狭い独断で済ませるのではなく、反対意見や冷静なものの見方は大人になっても学んで身に付けられますよ。
    相手を認める最善策は、自分自身の劣等感やコンプレックスを認めること。

    ユーザーID:6597245140

  • すっきりなんて、絶対と言っていいほど出来ない

    と悟るのが一番ですよ。

    何かしら引っかかる、モヤモヤする、イライラする、人の関係ってそういうもんさと思ってます。

    つまり、トピ主さんは真面目なんです。同調圧力にのまれているのかも。

    私はいい加減だし、中途半端だし、人目もさほど気にしないし、人は違って当たり前からスタートするし、
    疲れたら距離を縮める努力もしません。
    こんないい加減でも、何とかなってますよ。
    その分、仕事では相手を尊重する事に集中します。

    人の関係以外の何かに集中するのはどうですか?
    何かに没頭すると、その間は残像も現れないと思います。

    ユーザーID:4274084231

  • 色即是空 空即是色

    「事実はひとつなれど真実は多面体」が私の理論です。
    物事は表と裏があり、側面もあります。

    自分の意見と人の意見が違えば
    「この人はこういうものの見方をするんだ」と考えます。
    自分と視点や価値観の違う人の話を聞くのは新鮮だし勉強になりますよ。

    何もかも自分だけの世界ってつまんなくないですか?
    推理小説だって、犯人側と探偵側から書くのでは表現が違いますよ。

    ユーザーID:3429152658

  • 他人を認める事は自分を認める事と思っています。

    タイトル通り、他人を認める事は自分を認める事だと思っています。
    あの人の考えもこちらに迷惑がかからなければOKで良くないですか?

    私は出汁を一から取るけれど、相手は出汁の素。
    出汁の素は許せない!なぜ一からやらないの?

    上記の様にことごとく批判してくる同僚がいます。

    私はずっとあぁそうなんだね。と、言っていますが納得してはくれません。

    物事は常に多面的です。六角形でも八角形でもあります。
    〇〇以外は間違っている!と言うから争いになるんですよ。こちらは批判すらしてないのに、相手から『貴方は間違ってる!』と来る。

    こんな私も間違ってはいないし、そんな貴方も間違ってはいないというスタンスが一番良いと思います。

    ユーザーID:9443149089

  • 同じです

    全く同じで驚いています。
    私も50代です。
    若い頃から、友達はすぐできるんですが、どーしても「自分と違うな、この人」って思ってしまうと、それを上手く消化できないんですよね。割り切ることが出来ず…子育て時代は、ママ友付き合い、しんどかったです。子供が巣立って趣味などで、また、お友達と活動することが増えてきて、やっぱり同じ様な状態で、この年になってもまだ…となんだか情けないです。

    これはもう、仕方ないのかなと思ってます。ザワザワした心も、美味しい物を食べて、お風呂に入って、2〜3回寝れば、消えていきます。そういう風に流していくしかないかな。

    あと、同じ感性の人っていますよね。そういう人とのお付き合いは、大切にしています。

    逆に、感覚の違う人には、あまりこちらからは接近しないで、すこーし距離を置いてます。最初の違和感「あれ?この人私と違うな」と感じたら、用心して付き合ってます。たいがい、あとから嫌いになるような出来事が生じるんですよね。前もって心の準備しておくと、トラブル発生したときも、「あ、やっぱり」と思った方が冷静でいられます。

    あと、イライラしてしまうのは、何も言えずに我慢してるからだと思うんです。遠慮せず、「私は〜と思う」と、自分の正直な気持ちを口にするのが良いみたい。言うだけ言うと、なんかでスッキリして、相手を許せる余裕が生まれてきます。

    ユーザーID:3870933408

  • 聖人君子でなければ当たり前だと思う。

    違う意見は、自分がこれまで数十年間つちかってきた価値観の一部を否定します。だからすんなり受け入れられないのは当然です。よく、欧米人は激論を交わした後も人間関係に後腐れがないと聞くけれど本当かしらと疑っています。

    大切なことは、その不快感を表に出さないこと。自分に利害がなければ相手を否定せず、自説を出さずに共感的な態度をとること。そこは大人の対人スキルではないでしょうか。

    ユーザーID:5583913069

  • 理解はする

     アラ古稀の私の処世訓です。

     「同意はできないが、理解はする」

     人それぞれ生まれも育ちも違うし、属するグループの文化、習慣も違う。価値感が違ってあたりまえ。

     それでは集団生活する上で何かと支障が出るので、人間はルール(法律等)という仕組みをあみだした。これを共通の価値感とみなし、同意を強制することで全体の利益を守る。

    >どのようにすれば、距離をおいて相手を認められるのでしょうか。

     まず相手の価値感(言動?)を理解してルールに照らしましょう。ルールに反している時のみ、相手の価値感は「共通の価値感に反し」同意できず、ゆえに認められません。それ以外なら「自分の価値感には反し」同意は出来なくとも、認めざるをえません。 過言すれば「認めない」との選択は存在しません。

     注意を要するのは、常識やマナーで、これを自分の主張の根拠にする人もいます。これらは特定個人もしくはグループの価値感で、ルールではありません。ゆえに、自分の価値感と異なれば、認める事を強制されません。

    ユーザーID:6686602941

  • 私もそうでした

    50代女性です。
    私も以前はトピ主さんと同じようなことで悩んでいました。
    でも最近は軽減されたように思います。

    どうしてそうなったかと言うと、自分自身を受け入れることが
    できるようになったからだと思います。

    自分のダメダメなところも「仕方ないよ」って認めてあげたり。
    大したことなくても「自分、良くやった!!」って褒めてあげたり。

    トピ主さんはご自分に厳しいから、他人にも厳しくなってしまう
    のかも知れませんね。

    ご自分を大切にして、好きになってあげるところから
    始められてはいかがでしょうか?

    ユーザーID:6055563790

  • 白黒つけない

    人をコントロールしたくなるってことは、
    自分が正しいと思ってるからですよね。
    ずいぶん傲慢なんですね。
    世の中に定められたルールに関わること以外は、正解なんてないと思いますよ。
    あの人は間違ってる、こうするべきなのに、
    と正しいか正しくないかに縛られてるから、
    いつも嫌な気持ちなのでしょう。

    日々の生活の中で起きる出来事や、人の言動を別の角度から見て、言葉で表現してみるクセをつけるといいですよ。
    少しは頭が柔らかくなるのでは。

    お気に入りの映画を見るのもいいですね。
    嫌な残像は強制退去しちゃいましょう!

    ユーザーID:3872480211

  • こういう方もいるのですねえ。

    こういう方もいるんだなーと思いました。
    「人と関わるのは昔は大嫌いだった」と書いています。人と関わることが嫌いな人は、「他人はどうでもいい、私のことはほっておいてくれ」なのかと思ってました。

    傍から見たら、自分から話しかけてこないし、会話も積極的にしないくせに「私と同じじゃない!」って黒い思いを抱かれるなんて、訳わかりません・・・。

    もしかして「もっと私を認めて!!」と心が叫んでいるのですかね? 

    それなら自分から積極的にアピールしたり、会話したりすればいいと思うんですけど、トピ主さんはそれができない。元々の正確なのか、育った環境なのか・・・。

    私はおしゃべりが大好きで、他人は他人とほぼ完全に割り切っている人間なので、トピ主さんとは正反対かもしれません(この境地に至るまでに、散々悩みました)。

    普通は、相手ともっと話します。楽しい会話もケンカもコミュニケーションです。その上で「自分と相手はここは分かり会えた。でもここは違う」と思う。イライラしたり怒ったりもしますが、そういう経験を重ねて、「自分は自分、ひとはひと」と納得していきます。トピ主さんは、そういう経験が少なすぎるんじゃないでしょうか。

    「相手をコントロールしたい」というよりは、「もっと自分をわかってほしい」という欲求が歪んで出ているのかもしれないと思いました。自分と同じじゃないと、分かりあえないと感じる、自分が否定されている感じてイライラするのかな、と。

    ただトピ文を読んでいると、トピ主さんは自分のことがよくわかっている頭のいい人なんだなと感じました。人への心配りもできる。根はまっすぐな人だから、よけい苦しむのかも。

    最近人と話すのが嫌いではなくなったということは、自分が変わり始めているのではないでしょうか。勇気を出して、今よりも人と話す機会を増やしてみてはいかがですか。まだ人生数十年あります!

    ユーザーID:7675696270

  • 身もふたもない回答だけど

    私の場合、夫が価値観が似ていて、助かってます。
    主さんは、愚痴を言うのがいやで、人には言わないとのことですが、
    わたしは、外で何か嫌なこと(価値観が違って困ったこと)があると、
    それを夫に話します。すると夫は共感してくれます。
    そうやって共感されていくうちに、「いやまあ、相手にも都合があったことだし」とか、「違う人間だしね」と思いなおし、自分の心が落ち着くことが
    よくあります。

    主さんにはそういったお相手、(夫でなくてもだれでも)はいませんか?
    愚痴を言わないって素敵ですけど、でも、愚痴というか、話を聞いて
    もらうだけですっきりすることもあると思うんですよ。

    もしいないなら、いったん思いっきり自分を肯定して、心の中で相手を
    非難しまくってみてはいかがですか。
    とにかくいったん、自分の心情を解放してみるのです。
    もちろん、それを相手がいない場所でですけど。

    こんなことを考えてはいけないとか、無かったことにするとかじゃなく
    いったん真剣に怒ってみる。

    そのうち心の中で消化できて、まあ、どうでもいいか、って思えるように
    なるかもしれませんよ。

    ユーザーID:7961371955

  • 生まれつき支配欲が強いのでは

    そういう性格の人っていますね。持って生まれた性格は変わらないでしょうから、できる対策は二つ。

    社会でも支配者になる。会社では管理職のトップになる、仕事内容でいえば教師であれば絶対的支配者でしょう。

    家族はいない方がお互いのためですが、結婚するなら何でもいいなりになるけど役に立たない男と結婚してぜんぶ自分が主導権を握る。子供は絶対もたないこと。ゆがんだ子に育ちます。友人は求めないこと。どうせ人のことを人とも思っていないのでしょうから。

    ユーザーID:6621971571

  • 距離をおくことに重点をおけば簡単

    トピ主さんは、もともと人と関わるのは大嫌いだったと仰っていますが、年齢を重ねていくうちにどこか、人と関わりたいという欲求が出てきたのではありませんか。
    友人を増やしたいとか・・・。

    人と関わる以上、すり合わせも必要になってきますよね。

    距離をおくことに重点をおけば、
    >「貴方はそうなのね、その上でどうしようか」
    と、思うこともないのです。

    「その上で」どうにもこうにもならないのだから。

    私は、これを義両親との完全同居で学びました。

    まるで文化のちがう他家へ嫁いできたのだから、立ち振る舞いや考えが違って当たり前なのに、余りにも違うことが許せなかった。
    ある意味、相手をコントロールしようとする気持ちがある間は、苦しみました。
    だけど、そんなの初めから、テコでも動かなくて当たり前なんですね。

    長い間かかって、「あなたはあなたでいいじゃん。」「その代わりといっちゃあなんだけど、私は私でいいじゃん。」に落ち着きました。
    ムリして向こうに合わせなくていいし、必要最低限するべきことをした上で、自分は人間として成長していけばいい・・・と。

    そして、考えが違う、合わない人と無理に仲良くしなくていいんじゃない・・・と。

    友達だって、自分に合う友達が生涯数人できたら上等だとも思っています。
    自分に合えば深い付き合いをすればいいし、合わなければ浅い付き合いでいいと思います。

    だって、自分の考えと全く同じ人が世界中にいるなんて考えられないではないですか。
    自分が一番偉くて、一番正しい考えを持っているとも限らないし。

    人は、生きてきた環境の中で考えや、性格が育まれていくものだと思います。
    人の数だけ、環境も違うし、考えも違って当たり前だと思いませんか。

    距離をおいて相手を認めたい・・・と仰っているけど、関わろうとする気持ちが強いから、認められないのではないでしょうか。

    ユーザーID:0231413964

  • 多分・・・

    こんにちは!
    多分、自分に自信がないんだと思います。
    無条件に幼少期に愛されればもっとどっしりとしています。

    ユーザーID:4523676557

レス求!トピ一覧