人生を変えた出来事は?

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編集部からのトピ

編集部

発言小町ユーザーのみなさん、こんにちは。「読売中高生新聞」編集室です。

大人の本音を10代に伝える読売中高生新聞の連載「オトナの本音アワー」。中高生が抱える素朴な疑問や悩みについて、この掲示板で小町ユーザーのみなさんから意見を頂き、紙面で10代向けに紹介していきます。親や教師からはなかなか聞けない、オトナの本音を教えてください。

今回のテーマは「人生を変えた出来事は?」
学校への入学や就職、親友や恋人との出会いや別れ……。みなさんの人生にも様々なターニングポイントがあったと思います。そこで下した決断によって「人生が変わった」と実感することはありませんか? もしくは、自分では特に決断をしていなくても、結果的に人生を変えるような出来事にめぐり合った経験はないでしょうか? みなさんの意見と具体的なエピソードを教えてください。

※投稿の際は、ご意見とともに、お住まいの地方、年代、性別を記載してください。
※ご意見の一部は、読売中高生新聞で転載させていただくことがあります。
読売中高生新聞のHPはこちら。

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  • 大失恋

    学生時代から付き合っていた彼と別れたことです
    私は彼が好きで好きで仕方なかった

    別れは突然でした

    「自立しなきゃ」最後の彼の言葉が私を変えました
    彼に甘え過ぎていました
    頼りすぎていました、依存性でした

    辛かったけれど、以来自立しました

    ユーザーID:5179254048

  • 今の彼との出会い

    今まで数人とお付き合いの経験はありましたが、私は自分のネガティブな意見をうまく相手に伝えられずにいました
    例えばここは治してほしい、もっとこうしてほしい、これは止めてほしい、など
    多分嫌われるのが怖かったんです
    だから我慢して、我慢して、限界になって私から別れることが多かったです
    でも今の彼は私がうまく話せなくてどんなに時間がかかっても、泣きながらグズグズしていても、絶対に最後まで優しく聞いてくれます
    おかげで今の彼には思ったことは何でも言えるようになったし、やっと対等に付き合える人に出会えたなって思います
    そんな彼といると、毎日幸せでとても暖かい気持ちになります

    ユーザーID:9504504094

  • 中学受験専門の塾に入ったこと

    小学校低学年まで特に楽しいこともなく笑うこともなく生きていた私ですが、小3で塾に入って、いい点数を取ったり、先生が面白かったりで、自分に自信がついたし、積極的になり笑顔が増えました。
    私はたまたま塾でしたが、スポーツでも楽器でも夢中になれるもの、話が楽しい人と出会えるとかわれると思えます。

    ユーザーID:8236084094

  • それはまさしく離婚であった・・・

    結婚して3年目に子供が生まれ、結婚生活は子供中心になった。が、それを良しとしない夫と様々なことが起こり、そしてついには離婚。

    あんなに大好きで、一緒に過ごせるだけで幸せであったのに・・
    私の人生に離婚という道は無かったハズなのに・・・


    両親が帰って来いと言ってくれた。
    兄が父親代わりになると言ってくれた。
    親族の暖かい愛に包まれて、子供素晴らしい成人になった。


    あのとき、離婚して居なかったら殺伐とした空気の中で子供はどんな
    大人になっていたのだろう。
    想像のしようもないけれど、今はそれで良かったと思っている。


    離婚後は子供を抱えてフルタイムの仕事。
    怒涛のように毎日が過ぎていく。

    両親は私が帰ってくるのを待っていたかのように、難病を発症し
    そして6年の間に二人は逝ってしまった。


    人生何が起こるか分からない。
    戻って来たことで両親を看取ることが出来、子供は私を支える使命感を
    身に着けた。 
    それを充てにはしていないけれど、そんな気持ちがとてもうれしい。


    今は大病せず、明るく、楽しく毎日を過ごせたら それだけでいいと思っている。

    感謝の人生、それに尽きる。

    ユーザーID:5576704446

  • 歌舞伎を観たこと

    小5の時、母親の職場の観劇会で歌舞伎を観に連れて行かれました。

    当時の市川海老蔵さん(今の海老蔵さんのお父様)と、坂東玉三郎さんの「桜姫東文章」(作・鶴屋南北)という演目でした。
    生まれて初めて観た歌舞伎でしたが、母が時々耳元で小さな声で筋を教えてくれたので案外ストーリーは理解できました。

    玉三郎さん演ずるお姫様のあまりの美しさと、そのお姫様が転落して、ついにはボロ屋に住んで姫言葉と乱暴な言葉がちゃんぽんになって幽霊に向かって啖呵を切るおかしさ、海老蔵さんの幽霊のなんだか困った様子など、本当に楽しかったのです。今でも映像のように思い浮かべることができるほど印象深かったんですね。

    その経験があまりに良かったためか、学生時代にはすっかり歌舞伎見物にハマり、就職もエンタメ関係に。そこで出会ったのが今の夫ですから、うちの子供は玉三郎さんと先の海老蔵さんのおかげで生まれたようなものかもしれません。人生って面白いですね。

    コロナが落ち着いたら、うちの子供もぜひまた、いろんな芝居・音楽・絵画など心を豊かにするものに触れてほしいと思ってます。

    ユーザーID:6578680380

  • 編集部ランキング

    その他も見る
  • 大学入学

    学校推薦で就職も決まり、そこで旦那と出会いました。
    それと、在学中にある資格を取ったのも大きかったかもしれません。
    それがきっかけで、そこの会社に入ったようなものです。
    会社自体は結婚と同時に辞めてしまいましたが、スキルを身につけて、ブランク跳ね除け、今はそのスキルを活かして働けています。
    このコロナ禍ですが、派遣で契約更新されました。

    子供の頃からの夢、大学に出て結婚して子供を持つこと全て叶えられました!

    40代東京在住です。

    ユーザーID:7644390320

  • 結婚です

    五十代女性です。新卒二年目で、25歳で結婚しました。

    男性優位で、私の人権が尊重されない実家を出て、優しい夫と暮らすことになり、生活が変わりました。
    夫はバツいちで、一回り年上、前の奥さんが引き取ったお子さんもいたので、両親は大反対でしたが、何とか認めてもらい結婚にこぎつけました。

    頼りになる人で、仕事の大先輩に当たるため、仕事へのアドバイスももらえました。私の行動を制限しない人です。
    実家や弟妹にいい顔をするために私に我慢させることや、住んでる家や庭を好きにさせてくれなかったとうらみに思うこともありますが、耐えることの多い実家暮らしから脱出できて本当によかったと今でも思います。

    ユーザーID:2757312813

  • リストラ

    50代女性、海外在住です。

    大学卒業後に有名企業に就職したものの、バブル崩壊で大リストラがあって会社を辞め、子供の頃から憧れていた国にパックツアーで旅行したことで、人生が大きく変わりました。

    帰国後は全く畑違いの旅行業界に入り、27歳で遅ればせながら海外留学へ。今は別の国に住んでおり、このまま永住予定です。
    中学生の頃から英語が得意で大好きでしたが、ネットもない時代で情報が乏しく、当時の私はまさか留学どころか、海外に住むなんて考えもしませんでした。

    会社の同期の中にはリストラされずに残留した人達もおり、なぜ私が辞めさせられるのかと本当に悔しい思いをしましたが、それでもあのリストラがあったから私の人生は開けたのだと思います。

    ユーザーID:1872259649

  • クラスの人数です

    小学校、一クラス、20数人の2クラスで6年間。
    中学校→近隣の6小学校が集まり、一クラス40人の6クラス。
    更に、中学校が荒れてまして。
    中学校で、人生を学びました。
    本当に、酷い中学校生活でしたが、何故か、中学の友達と、今も(40年近く)繋がってます

    ユーザーID:7195365526

  • 受験の失敗

    所謂人生初の「挫折」というやつです。

    当然受かるつもりだった大学に落ちました。

    当時好きだった彼が誘ってくれた大学。
    憧れていた学部。
    描いていたキャンパスライフがガラガラと崩れていって。

    でも何より辛かったのは、両親の期待に応えられなかったことでした。
    夜な夜な両親の「こんなつもりじゃなかった」という声を聞いては泣きました。

    頑張ってきた19年は何だったんだろう。
    私って何なんだろう。
    毎日馬鹿みたいに考えていました。

    第二志望の大学へ入れてくれた両親には感謝しています。
    結果的に、私の大学生活はとても楽しいものになりました。

    たくさんバイトをして。
    そのお金で日本各地へ旅行へ行って。
    他大だけどサークルにも入って。
    最初は馴染めなかった大学でも友達ができて。

    最近よく考えるのは、もしも「あの時受かっていたら」ということ。
    もしもあの時受かっていたら。
    出会えなかった友達がいます。
    今以上に鼻持ちならない人間になっていたかもしれません。
    少なくとも今の自分はいません。

    この出来事の前後で全てが変わってしまうような、私の人生にとって必要な出来事だったのかもしれません。

    それはそれとして。
    「落ちてよかった」とは未だに素直に受け入れられない、そんな出来事でもあります。

    もう何年も前のことなんですけどね。
    (20代女性 東海在住)

    ユーザーID:7589797763

  • 留学です。

    40代関東在住女性。
    超氷河期2000年の大学卒業後、不本意な零細企業に就職。パワハラがきっかけで、興味のあった留学に踏み切り、現地の大学院を卒業。そのまま就職し、数年後に帰国後、現地経験と語学力が買われ、卒業後の企業とは比べ物にならない程の優良企業に就職。
    パワハラも辛かったし、海外生活もキツい事が沢山。あと何日で一週間が終わる、と毎朝指折り数えた時期も。それがあったから、今の自分とキャリアがあります。辛い時期は自分が成長するチャンスだったのだと、今なら分かります。

    ユーザーID:3844817109

  • お客さんからの一言

     社会人数年目。営業所としては重要顧客でありながら、前任者が「人間らしい暮らしをしたいから」と辞める程、理不尽な事ばかり言ってくるお客さんを担当しておりました。毎日毎日辞める事ばかり考えて、夢の中で仕事して朝起きてがっかり、なんてことが何度もあった頃、さすがにもう無理と思われる内容を依頼された事で心が折れた時に
    「いつも無理ばかり言ってすまん。でも、俺はお前と一つのチームのつもりでいる。俺を助けて欲しい」と言われた事です。

     初老の取締役が、入社数年目の若造に頭を下げて言われた事に、ここまで言われたらやるしかないな、と思いました。

     依頼20年以上そのお客様は絶対に浮気する事なく自分から買ってくれました。そうです、会社辞めてないです。今では一緒に怒られていた社員さん達がしかるべき地位に居ますので非常に仕事が楽です。

     人生にはどこかで踏ん張らなければならない時が必ずあります。

    ユーザーID:6405885833

  • 大学かなぁ

    大学に入学してからガラッと変わりました。

    これまで小中はいじめ・嫌がらせ、高校もパッとせずむしろ黒歴史で、嫌な人・苦手な人とも密接に関わらなければなりませんでした。

    でも大学入ってからは何も気にせず、髪を染めようが、一人の時間を過ごそうが、何の授業受けようが何も言われなくなり(必要単位さえ取れれば卒業できるし)、「あ、これ楽だわ。」と、ある程度の割り切りを覚えました。
    自分に合わない人はお互い近づかなくなりますしね。

    恋愛関係は見る目がなくてズタボロでしたけど…

    大学の先生なんかも変な人は多いですが、専門知識も人生についても多くのことを教えてもらいました。
    その知恵のおかげで今は仕事も人間関係も結構良好です。

    ユーザーID:0753511408

  • 結婚と移住かな?

    還暦過ぎました。何回か人生の岐路がありました。でも一番人生を変えたのは結婚と移住だと思います。

    私は東京生まれの東京育ち、生まれ育った東京以外の場所には住みたくない住めないと思っていました。結婚相手も東京の人ここに住む人と思ってました。

    しかし主人(英語圏)と出会い、あんなに東京に住むことにこだわり、英語の苦手だった私が英語を話す人と結婚。あれほど離れたくなかった東京を離れ、主人の母国でない英語圏に夫婦で移住し二人の娘にも恵まれました。

    結婚当初は東京が恋しかったですが、その頃は航空運賃の高額でなかなか里帰り帰国できませんでした。しかし今ではこの国が私の祖国になりました。

    私が子供のころよりさらに人が増え人間関係がギスギスしている東京の今の状況、男子上位が変わらない日本を鑑みると、働き者で優しく家事を手伝い、年に何回か海外出張に連れいってくれる主人と結婚、東京ほど便は良くないし、物も豊富ではありませんが素晴らしい自然とのんびりと人間的に暮らせるこの国に移住して本当に良かったと思います。

    日本人と結婚しあのまま東京に住んでいたら、英語は話せず海外もツアー旅行で一生に数回ぐらい”井の中の蛙大海を知らず”で終わる人生だったと思います。あれほどこだわったと東京在住ですが、人生の黄金期が終わり終末に向い始めた今、決断に間違えは無かったと思います。

    結婚と移住が人生を180度変えました。

    ユーザーID:4161406374

  • 私の場合は

    世田谷区、63歳、主婦

    人生を変えるような出来事は、これまでありません。

    臆病なまでに慎重で、考えて考えて、悩んで悩んで、それでも心配で、さらに考え抜いて、やっと結論を出してから行動するので、大失敗というものがなかったから、かもしれません。

    もちろん、長い人生、自分の力ではどうしようもなかったこと、不慮の出来事、病気もありました。

    でも、そんな時も、家族に相談したり、励ましてもらったりして、乗り越えました。

    幼いころからずっと家族仲がよかったからこそ、人生を変えるほどの最悪なことには至らなかったといえるでしょう。

    人生を変えるほどの悪いことはなかったけれど、素晴らしい事も残念ながらなかったかな。

    ずっと地味に平凡に生きてきました。

    でも、まじめな夫と、子供と、孫にも恵まれ、素敵な人生だと思っていますよ。

    ユーザーID:8434241410

  • 大病ですね。

    十年前の桜の散る頃に僕は職場で突然倒れました。

    すぐさま救急で搬送。

    そのまま集中治療室へ。

    そこで二ヶ月間意識不明の状態でした。

    それから暫くして一般病棟へ。

    原因は心筋梗塞でした。

    そして1ヶ月後退院が決まったとたんに次は突如右半身がきかなくなり診断された結果今度は脳梗塞でした。

    その後リハビリを続けた結果麻痺は少しずつ治まり二ヶ月後本格的に退院。

    あれから十年ですが、今では杖をつきながらも元気に過ごしてます。

    そんな僕ももう直ぐ五十代の仲間になります。

    ユーザーID:6402723101

  • 新天地での新生活と親の死

    大阪市在住、40代、女

    大学進学で都会に出てきた時の衝撃は
    凄かったです。
    マクドナルドもコンビニも
    当時の私が住む田舎にはありませんでした。
    貧乏なりに?毎日がパレードで素晴らしい音楽が鳴り響き、
    終わらない夢を見て触れていました。
    喜びも悩みも濃密で、激辛で激甘でした。
    田舎に戻るつもりの人生でも、
    一度は都会に出てみることをお勧めしたいです。
    若さが全てを飲み込んで消化してくれるはずです。
    何より、失敗しても若さのせいにできます。
    この特典を活かして下さい。
    (警察のお世話になるのはダメですが)

    結婚しなかったり、子どもを持たなくても
    子どものほぼ全てが経験することに
    親の死があります。
    知人や友人とのそれとはちょっと違います。
    親は最後まで必要なことを教えてくれ、
    今もなお影響があるのだと実感します。
    私は父を既に亡くしましたが、
    これを経験して、やっと色々見えたものがあるというか
    気がついたというか。
    既に長く働いていたのに。
    あー、これで一人前になったかなと初めて思いました。
    肉親といいますが、その言葉がよく理解できます。

    突然の思いがけないことや
    泣いてもすがってもどうにもならないことなどに
    どう立ち向かうか、対処できるかが、
    人の成長や変化を左右するのかなと思います。

    ユーザーID:0506737687

  • -30kgのダイエット。

    20代半ばで80kgから50kgまで痩せました。
    身長は162cmです。
    それまでは鬱病を患っており、かなり消極的な性格で、人からは馬鹿にされる毎日でした。

    痩せたら1ヶ月で10人に告白されるわ、トントン拍子で結婚出来たわ、体調不良が嘘のように無くなったわ、兎に角会う人会う人優しく接してくれるわ...
    本当に人生が変わりました。

    現在28歳ですが、夫と息子に囲まれて幸せですよ。

    ユーザーID:9150305154

  • 大学受験で滑り止めの留めしか受からなかったこと

    高校進学まで、順風満帆で、地域の一番進学校に進学できましたが、大学受験は、国立も私立もボロボロ落ちる、結局、滑り止めの女子短大しか受かりませんでした。ここは、先生が、あなたがここまで受けなくてもといわれた、滑り止めの留めと目していた先で、まさかこの私がいくことになるなんてという大学でした。
    納得できなくて、一浪したものの、病気になってしまい受験できず、結局元の短大に復学することになりました。
    しかし、いったん自分の実力を認めた形の進学が、思わぬ功を奏し、就職は、二社内定しましたが、入社試験が一位だった会社に引きがあり、その会社の中ではエリートコース、本社総合企画部の女子社員として入社しました。
    人生万事塞翁が馬、どうなっているかわからないのが世の中。いったんは自分の実力を認め、進むことが、栄進につながるということを身をもって知りました。
    鶏頭となるも牛後となるに勿れ、進学する前に言われたある大学の先生の言葉、どんな大学であれ、トップの学生は変わらない、それがよくわかりました。
    私のラッキーナンバーは、この短大の学籍番号になっています。あの短大から人生が拓かれたから。どんな大学でも、馬鹿にしないで、進学してみるものだと思います。

    埼玉県在住
    五十代、女性

    ユーザーID:7619598099

  • 就職を巡って、劇的ななりゆき

    実家から遠く離れた大学に進学した私は、願っても無い一流企業に内定が決まりました。社風も仕事の内容も自分に合っている、と胸踊る気持ちでした。

    しかし、何が何でも地元に帰れ、という母親の攻撃にかなり動揺していました。

    そして、とうとう母の制止を振り切るように企業に出かけた、まさにその日の夜、いわゆる「本家」の伯父が急な病に倒れました。命に関わる病気です。

    嵐のような成り行きの中で、私一人にわがままは許さない、という親戚からの圧力もあり、私は地元に帰ることになりました。

    その後、地元でついた仕事は心身ともにきつくて、心身症と鬱病になりました。
    50を過ぎた今でも病院と縁が切れません。

    考えても仕方のないことですが、あの時、よりによって私の人生の大きなターニングポイントに、伯父が倒れる、という偶然が重なるなんて…、と思ってしまいます。

    ユーザーID:7352130153

  • ドナーさんのおかげです

    娘が白血病になった事で人生観が変わりました。

    娘と家族の白血球の型が不適合だったので、家族間での移植を断念せざるをえず、絶望の日々を送っていたところ、幸いにも骨髄バンクを通して、ドナーになって下さる方が見つかりました。
     
    どこのどなた様ともわからないドナーさんから骨髄液の移植を受けられたおかげで、娘は命を繋いでいただきました。

    それ以来、母親の私の人生観と性格がガラリと変わりました。以前とは雲泥の差で、イライラする事、腹立たしいことがなくなりました。

    ドナーさんの善意を思う時、たいていの事は赦せてしまうのです。

    ドナーさんに直接ご恩返しができない歯痒さを、少しでも善い生き方をして、善い種を撒き、世の中に還元したいという思いに昇華させています。

    千葉県在住
    五十代
    女性

    ユーザーID:1912786510

  • 海外一人旅です。

    正社員として働いていましたが、仲の良かった上司から反感を買ったようで嫌がらせが始まり、ストレスから体調不良となって辞めました。最後は「あなたとは仕事がやりづらかった。」と言われ、自尊心もぼろぼろでした。

    話は変わりますが、私にはずっと見たいものがありました。とある絵なのですが、ヨーロッパにあって恐らく貸し出しはされない絵です。現地に行かないと見られません。正社員で働いている以上、中々長期の休みを取ってみることは難しいだろうな、と思っていました。

    辞める時に真っ先に浮かんだのはこの絵です。退職金が多少出たので、思い切って初めて海外一人旅をすることにしました。時間はたくさんあるので航空券の手配、宿の手配すべて自分で行いました。私は英語や現地の言葉が話せないので不安はありましたが、「今行かなければ一生行かないかもしれない」と思って勢いで進めました。

    行ってみると、意外となんとかなるものです。私の拙い英語でも意外と通じるし、困っていたら助けてくれる。ウェイターさんからお菓子をもらったり、日本語に興味を持ってもらったり。退職時のごたごたから人と関わりたくないと思っていたのですが、本当に楽しく過ごすことができました。

    帰国する前日にようやく絵を見に行きました。絵は本当に素晴らしく、本当に来てよかった。また、英語が話せない自分がここまで辿り着いたことに少し自信がつきました。

    旅に出る前は就活をして会社員をやろうと考えていました。ただ、帰国してからその考えは変わり、やりたいことをやってみようと思って自営業をしています。独立なんて今まで一度も考えたこともなかったのですが、海外で肌で感じた「動けばなんとなかなる」という思いが後押ししました。これからも色んな事があると思いますが、この思いを胸に進んでいこうと思います。

    ユーザーID:2821184264

  • 海外ボランティアです

    還暦女性、首都圏在住です。
    大学では生物学を学びたかったのですが、志望大学に行くことができず、教育学部で理科の教員免許取得ということになりました。とはいえ、教育実習に行っても生徒がかわいいと思えず、日本で教職に就く気になれませんでした。
    そんな時、友人が海外ボランティアの話をもってきました。アフリカで理科教師をする、というもの。子供のころからアフリカに行きたかった私は、これだ、と、そちらを受験(選考試験がある)。
    めでたくケニアで2年間、楽しく面白く、貴重な経験をさせてもらいました。
    どちらかというと人づきあいが苦手で、頭の固いタイプだった私ですが、あの2年間で世界が広がったと思います。なんでも楽しめて、何でも食べられて(笑)、頑丈な体と心を持つことができたと思います。
    ボランティア精神の方も、今は、海外志向から障害者支援に少し変わりましたが、できる範囲で頑張っています。

    ユーザーID:0554046471

  • 東京へ上京

    20代前半女性です。
    高校卒業して、九州から東京に上京しました。
    見る世界、考え方、価値観の違う人達、可能性すべて広がりました。
    東京に出てくるだけで世界がどれだけ広いのかを知ることができ
    自分が自分自身を見る目も変わりました。
    今は色んな仕事を経験し留学のためにお金をためています。

    少しでも地元を出たいと思うのなら行動するべきです。
    帰る場所があることも頑張れる理由になります。

    ユーザーID:8128333594

  • エキストラ参加です

    中部地方・40代男性です。

    20代の頃、治療に苦しんだ持病の闘病中に出会い、
    自身の状況を比較して感銘を受けた映画作品があります。
    その作品と同じ制作陣が作る映画が、その後地元近くで撮影されることを
    知り、合わせて募集していたその映画のエキストラに参加したことが、
    その後の人生を変えました。

    そのエキストラ参加を通じて、偶然にも同世代だった
    作品のスタッフさんと顔なじみになり、それから14年、
    今も機会があれば参加し、交流があります。
    またそのスタッフさんが参加する作品のファンとも交流する機会があり、
    人の輪が広がり、今でも全国に友達が出来ました。

    まあ、人生と言えば大げさかもしれませんが、
    持病持ちだったことからも元々社交的ではない、
    中心になって騒ぐタイプの人間ではありませんでしたが、
    エキストラ参加を通じて、顔なじみのスタッフさんや友達ができたことで、
    以前よりは格段に社交的になったのは間違いありません。

    ユーザーID:9192058542

  • 池に真っ逆さまに落ちて

    私の地方では珍しくないんですが、小さい頃、裏庭を流れている小川の水を台所に取り入れて、洗い場に池がありました。その池に鯉を飼って、残ったご飯粒などを食べさせるという、今じゃ考えられないクリエイティブな「台所」でした。

    木の床の洗い場は滑るので、危ないから子供は一人で行ってはいけない、と言われていたんですが、ある満月の晩、近所のお祭りでみんなで出かけることになり、赤い着物を着せられ、お月様と同じ色のへこ帯を占めた私は、外に出た途端のどがかわいて、家に入り、止められていた洗い場に一人で入ってしまいました。そして柄杓で水瓶から水をすくい、それを飲もうとした途端、見事に滑って頭から池に落下。

    今でも覚えているのは、冷たいとか苦しいとかではなく、身体が雲のように軽くなってふわふわと漂って、うわあ、すごい、なんて気持ちがいい、なにこれ、ずっとこのまま続いてほしいー。そう、あのなんとも言えない、夢を見ているような感覚です。

    その後大人になるに従って、時々あれは何だったろうと思い出していました。そこだけ記憶が切り取ったように頭と心に残っていました。

    現在69歳、引越しを多くして、今まで、あわやという経験を人よりずっと多くしてきましたが、いつも不思議とかすり傷一つ負わず。原点はあの落下事故だったのかも。神様が守ってくださってるのかも、と思うようになりました。

    そして、人の寿命って天が決めてくれるのかなとも。生きているってありがたいと運命に感謝です。他人に寛容になったし、親の介護やボランティアもやさしい気持ちで接するようになりました。

    現在の住まいはアメリカ西海岸、女性です。

    ユーザーID:3008157815

  • 人に恵まれた高校時代

    こんにちは!
    私は高校時代に恩人がいます。

    小学生の時に上下で腕を組んで足から降りる遊びをしていて下にいた子が滑ったのか?ふざけたのか?コンクリートのテニスコートに頭から落っこちてしまい、その後、授業中、眠る子になりました。

    高3の時に高1の時の担任が当時の学級委員だった女子生徒から、私が今のままでは受験に立ち向かえないので早く病院に行って病名を突き止めなければ行けないと言われてそれを伝えてくれました。

    同じ、親が国鉄勤務の子に聞いたら、県内の小さい方の病院なら話を聞いてもらえるということで行ってみたら、甲状腺機能低下症だと分かりました。
    それまでも、色々な病院に行っていましたが判明しませんでした。
    その時の二人の友人と元担任に感謝しています。
    浪人しましたが女子大に何とか進学できました。

    又、高校の1,3年の同級生の男子が学校の歌舞伎見学会に行ってから、道を決めました。
    歌舞伎は家がそういう家でなく難しいので文楽を勧められて文楽に進みました。
    今では沢山受賞しています。
    竹澤宗助さんです。

    ユーザーID:6225582771

  • 大学への進学です

    田舎で生まれ育ちました。ろくに仕事をせず、昼間から家で酒を飲んる父の下で育ちました。そんな家の子だったので、地元では軽んじられていました。中学校の頃、夜に学校から急な連絡がありました。まだ携帯が普及しておらず、一家に黒電話が一台という時代でした。連絡網の次の人に伝えるため電話をかけたら、お母様が出られたのですが、娘さんに代わりながら「〇〇さんとこの子と友達なの?」と怪訝そうな声で級友に聞いたのが、私にまで聞こえました。

    父は私が中学を卒業したら就職することを望んでいたのですが、中学の担任が県の奨学金を手配してくれ、地元の進学校に進むことができました。高校卒業後は働くつもりだったのですが、当時の担任が「旅費と受験料を出すから、東京見物がてら記念受験してこい」とおっしゃってくださり、最高峰と言われる大学を受験しました。無事、合格し、地元の企業の奨学金で大学に進学できました。

    大学に入学直後、授業のことでクラスメートの自宅に電話をしました。お父様が電話に出られたのですが、「〇〇大学の△と申します。お嬢様にお伝えしたいことがあり、代わっていただけますか」とお願いしたら、「〇〇大学の学生さんですね」から始まり、始終、敬語で丁寧に対応していただきました。

    大人からこんなに丁寧な扱いを受けるのがはじめてで、驚きました。これからは実家というフィルターを通さず、私個人を見てくれるんだとうれしくなりました。進学しなければ、ずっと地元で軽んじられたまま過ごしていたと思います。

    ユーザーID:8487170107

  • たった1週間だったけど

    千葉県、30代、女性

    小さい時から電子オルガンを習っていました。小学校3年生ごろだったと記憶していますが、曲のレベルが上がるにつれだんだん弾けなくなってきていました。

    それもそのはずで、それまで1週間に数回の練習のみでレッスンに臨んでたわけですから、弾けなくても当然でした。

    いつも通りろくな練習せずレッスンに臨み、そして相変わらず弾けず、あるレッスンでいつもニコニコしていた先生が表情を曇らせたのを見て「先生を悲しませてしまった」とショックを受けました。

    それから1週間毎日練習しました。

    翌週見違えるように曲をスラスラ弾けるわたしを先生は「すごい!よく頑張ったね!」と心の底から褒めてくれました。スラスラと弾けるようになったことが自分でもびっくりでした。

    1週間、毎日練習しただけなのですが、「毎日コツコツ積み重ねる」ことを知らなかった私にとって初めての成功体験でした。

    それから私は演奏することが楽しくなり、1日2〜3時間は毎日練習するようになりました。

    音楽系への道を志したこともありましたが、今は普通の会社員です。でも、あの時の成功体験がありその後力をつけてくれた過去の私のおかげで(笑)、現在も細く長く電子オルガンを弾き続けています。そしてあの時の先生に今も習い続けてお世話になっています。

    この経験がなかったら、絶対に今まで続けてなかったなと思います。1人でも楽しめる趣味を残してくれて、若かりし日の私ありがとう!

    ユーザーID:1478117613

  • 私も結婚と移住ですね。

    短大を卒業したのが80年代後半でしたから当時はまだ景気が良かった頃、それでも就職があわやという所でやっと自力で就職、今思うに非常に恵まれていました。しかし文通友達の外国人一人と結婚前提に文通から電話交際に発展し、いよいよ対面するべく彼の母国へ有休取って行くことに。初め2週間の予定で許可されていた有休が(私の職場は有休も取りやすく、当時海外へ2週間位行く人が多かったのですが)何故か休暇が近くなって反対されて、1週間に縮めるか、翌年にするかと選択を迫られ、短縮することに。当時は飛行機代も高く、彼の国へは直行便もなく、1日がかりで旅をして、正味5日間で対面、結婚を約束して日本へ戻ってから1年以内で色々準備をして会社をやめ、結婚して夫の国で暮らして30年が過ぎました。あの時、じゃあ来年にします、と言っていたら、ひょっとして状況が変わっていたかもしれないな、と思います。

    ユーザーID:1448046540

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