ちびまる子ちゃんの時代の日本

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生活・身近な話題

ぎんねこ

昭和から平成に変わるころ、ちびまる子ちゃんと云うアニメが、世の中で流行り、BBクイーンズが歌った主題歌が、一世を風靡しました。
ちびまる子ちゃんの時代というのは昭和四十年代の公立小学校が舞台で、お母さんたちがほとんど専業主婦の家庭が舞台であり、貧困格差のあまりない時代だったと思います。
その中の公立小学校の小学生の子供の世界をよく描いていて秀逸な漫画作品であると感じます。
昭和四十年代の子供の常識に頷いたり、思わず笑顔になったり、アニメを見ているうちに、遠い子供時代に戻った自分を発見します。
いつだって、忘れない、エジソンはえらいひと♪ そんなの常識、そう思い込んでいる自分にクスリ。ちびまる子ちゃんの世界を小学生時代に戻って語り合いませんか。

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  • 「貧困格差がない」

    そうですか?ちゃんと描いてあると思いますけど。

    私の目には「古き良き時代を懐かしむ」ものではなく「まる子はいつの時代にもいる」と映ってるいますよ。

    ユーザーID:1641112353

  • その世代です

    昭和40年代。
    どんぴしゃ私の小学生時代です。
    まだ戦後の貧しさが残っていて景気は常に右肩上がりで物価が毎年上がっていきました。

    ただお母さんがほとんど専業主婦という説にはちょっと違和感があります。
    それって当時どんどん開発されてた団地での話ですよね。

    私は都市の中心部の商業区域で育ち、友人宅も自宅自営業が多かったんです。
    そういう家では自宅併設の店舗で夫婦で働いてました。
    サラリーマン家庭もあったから専業主婦もいたけど、内職やってる主婦も多かったです。
    下町でしたからね。

    工業区域では零細企業は家族総出で働いてたし、郊外の農業は言わずもがなでした。
    昭和40年代の主婦の有職率は4割くらい。
    当時の主婦は勤めに出ることが少なかっただけで、自宅で働いていたのです。

    ユーザーID:7093749148

  • 古き良き時代でしたね

    トピ主さん、楽しそうなトピを
    ありがとうございます。

    私はまるちゃんより少し上ですが
    昭和40年代は、子供時代の
    いい思い出がいっぱい詰まっています。

    我が家は共働きでしたが、
    幼なじみや友達のお母さんの
    多くが専業主婦で、いつも家をきれいにしていて
    帰りを待ってくれていて、羨ましいと思いましたよ。
    家にお邪魔すると手作りのおやつで歓迎してくれて
    本当、羨ましかったですね。

    なぜ、うちのお母さんは家にいないのか
    正直、淋しかったです。
    今では当たり前の共働きですから
    今の子供さんにはそれ位の事で
    寂しがっていたなんて、笑われてしまいますね。

    四季が今よりはっきりしていた様に思います。
    春には遠足があり、200円以内で駄菓子を買うのも
    楽しみで、友達と分け合いながら食べたっけ。

    秋の運動会、棒倒しに騎馬戦、組体操も
    張り切っていました。
    今は、もう見られない競技ばかりになりましたが
    熱闘!という感じで盛り上がっていました。

    八幡神社は、私の地域では秋祭りでした。
    屋台も出て、花馬を見るのも楽しみでした。

    駄菓子屋さんも大好きで、
    今では売っていない(売れない)様な物が
    店先に並んで、お小遣いをもらうと走って
    買っていましたよ。
    口紅型のお菓子は、唇に塗ると真っ赤になり、それを食べると
    甘すぎるほど砂糖の塊で、舌も真っ赤っかになりました。
    妹と舌を出し合い、真っ赤を競ったりしていました。

    他には、巻物状になっているグラニュー糖で塗された和紙を
    舐めながら拡げると、唾液で富士山などの絵が
    浮かび上がる様な(一種のあぶり出しみたいな?)
    今では考えられない様な駄菓子も売っていました。

    ・・・食べることばかりで恐縮ですが
    本当に楽しい日々でした。ああ、懐かしい・・・。

    ユーザーID:1260854995

  • 私もちびまる子ちゃんだった

    さくらももこさん(まる子ちゃん)よりちょっと年下ですが、ほぼ同年代なので、よく分かります!
    アニメを見てると「あぁ…そういえば私も同じ事があったなぁ〜」なんて共感する事もしばしば。
    それと単行本も読みましたが当てはまる事の多い事!
    昭和40年代から50年代ですね。
    当時の生活の様子や学校の様子。
    単行本を読んだ方ならお分かりかと思いますが
    汲み取り式トイレ、駄菓子屋、祖父母の名言、プール開きの時のエピソード、お鍋の具材、災害時のエピソード…どれも納得のいくものばかり。
    あぁ私もちびまる子ちゃんだったんだなぁ〜としみじみ実感してしまいました。

    ユーザーID:6038833249

  • 専業主婦が多くても母も子も貧しかった

    当時、教育テレビで「はたらくおじさん」という番組を学校で視聴していた時代で、増えてきたサラリーマン家庭に対してお店屋さんの仕事はどうなのか、工場の仕事はどうなのか、テレビで勉強していました。確かに会社勤めのお宅なら、お母さんは家で専業主婦だったけれど、店屋さんをやっていたお友達のお宅は、お母さんはお店の戦力でしたね。
    でもどの家庭もお金が余っているわけでなく、子供の目から見ても、お絵かきは、裏紙を使う、お小遣い制度で、余分なお金を子供に与えているわけではなく、節約することによって、お母さんを家にいさせたように思います。
    もちろん、私立の学校に通っている小学生は周囲を見ても皆無に近く、皆一律に、公立小へと流れ込み、またちびまる子学級のように、優秀な子もそうでない子もにぎやかでした。今だと、お受験だ、中高一貫校だと、東京も教育にお金をかけるようになりました。
    花輪君のようなお金持ちの子が、公立小に通っていたのは、本当に家庭の方針とか皆無に近かったと思います。そこでまる子たちとの貧富の差が、出ているのが、漫画の面白いところでしょう。
    一律、同じ服ばかり着て、冬も着た切り雀の子がいたり、子供にはお金を掛けないのが、よく表れていたように今になると思い返します。

    友達と、区民プールに行ったり、待ち合わせて、手芸屋さんの講習会に通って、鍵編針を習ったり、御不動様の縁日に友達のお母さんと友達で行ったり、そうそう、東京でしたが、紙芝居屋が公園に来ていて、数字を切り取る飴を食べたりしていました。
    高学年になると、商店街の映画館で、日本沈没を友達と見たのも思い出です。
    ちびまる子ちゃんのように、あの時の小学校の友達がいたから、今が豊かなんだと、思える自分があります。

    小学校教育が庶民の教育から離れてしまったらおしまいだと思います。ちびまる子が健在な小学校が、どんなに親しく感じられることか。

    ユーザーID:1196495114

  • トピ主のコメント(4件)全て見る
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  • 専業主婦多かったかなあ?

    私はちびまる子ちゃんより数歳年下でして、関東のマンモス団地(公団住宅)に住んでましたが、周囲は鍵っ子ばっかりでした。(死語?)
    なのでちびまる子ちゃんの話は、私の世代より一回り昔の昔の話?みたいな感覚です。
    専業主婦のお母さんがいる友達はいなかったですね。そしてお父さんは朝早く出勤して夜遅く帰って来るという感じで、父親の存在は遠かったです。しかし父親の家庭における権威は強かったです。
    まあ同じような境遇の子がつるんでいたのかもしれませんが。
    日中は親がいないので子供だけで遊んでました。親がいない家にお邪魔する、または来てもらっていました。
    数十円のお小遣いを握りしめて駄菓子屋にも行きました。同じ学年の子に限らず、年下の子、自分や友達の妹や弟など様々な年代の子とも遊んでました。
    外遊びに親が付き添っているのはせいぜい幼児くらいで、小学生になったら親の監督はありませんでした。小一で平気で夜20時とかまで留守番させられていました。
    子供の遊びの約束に親が出てくることなかったし、今なら考えられないですね。
    貧困格差は今より格段にあったように思います。というか貧しい人はその状況がはっきり外部に見えてました。
    今はみんな小綺麗にしていて、外から判断つきません。
    現在は良くも悪くも平等です。

    ユーザーID:4914424408

  • レス

    昭和40年代前半の生まれです。
    ちびまるこちゃん世代で「りぼん」に連載されてた時に読んでいました。
    で、さくらももこさんは、そのちびまるこちゃんの前に「うちはびんぼう」っていう、エッセイ風の短編漫画を書いてらっしゃいましたよ。
    うちも、似たような感じの家庭だったから、鮮明に覚えています。
    子供が感じた格差を、うまくコメディタッチで描いておられた、その走りだと思いますよ。

    >貧困格差のあまりない時代だったと思います。

    いやいや、そんな事ないですよ(笑)

    ユーザーID:4749677427

  • 子供の頃から観てるけど

    花輪くん家はお金持ち、城ヶ崎さんもお金持ちかな?
    はまじんちは貧乏。
    永沢くんちは家事になって大変。

    観てると結構みんなそれぞれの家庭が描かれてますよね。
    貧困格差はかなりあると思いますよ。
    平和なアニメだし、お金持ちが貧乏を苛めることはないけど。

    ユーザーID:3084507119

  • 白くて 真っ赤で 真っ黒な思い出

    まるちゃん世代ドンピシャ。
    東京23区内ですが 昭和46,7年位ごろまではだるまストーブでした。
    教卓の脇の辺りに置かれ 前の席の子は暑くて顔真っ赤  
    後ろの子はちと寒かったのです。
    先生が板書を書き終え 皆がノートに書き写してる静寂の時間。
    コークスがぱちぱちと燃える音、
    先生が手をストーブに向けて温めながら 皆の方を見守る・・・
    静かな午後の授業風景。
     
    だるまストーブの上には 湿度を保つため お湯を張った金盥が載せられ ゆらゆら湯気が出ていたな。

    どこぞにまる子みたいな子がいて (まる子ならぬ わる子?
    ある冬の日 給食の余った三角パック牛乳(未開封)をその金盥にポチャリと入れ 湯煎しようと画策。 
    「ウシシ 図工から帰ってきたら温かい牛乳が飲める〜」と 図工室へ。
    図工の授業から戻ってきたら 無残にも三角パックは熱で膨らんではじけ 
    金盥は牛乳で真っ白にブクブク泡立ち 
    その横に真っ赤っかに怒った先生がいて・・。

    達磨ストーブ燃料は コークスで日直の二人がバケツを持って 
    用務員室となりのコークス小屋に行って補給するのが日課でしたね。
    コークス小屋には 子供の背丈ほどのコークスが積んであって 
    てっぺんに上って スコップでザクザクすくうのが楽しかった。
    帰りは手から服まで真っ黒けになって 母に良く怒られたなあ・・・。
    (一応 女子です)

    ユーザーID:7836547932

  • 懐かしの達磨ストーブ

    私も東京でしたが、達磨ストーブと、メガネの担任の女先生が、冬になると思いだされます。
    小学校三年生の時に、あまりにも給食の食パンを残す率が高いということで、網を持ってきて、達磨ストーブの上で、パンを先生がかわるがわる焼いてくれました。達磨ストーブトーストを食べて、給食のパンは完食。冬の小学校の思い出でした。
    確かコークス当番というのがあり、休み時間に、学校裏に行き、コークスの山から、コークスをシャベルで入れて、教室に持っていく当番がありました。コークスとは何ぞや、と考えていましたが、石炭の燃えカスの燃料だったようです。
    雪の日には、手袋を達磨ストーブの周囲に設置した柵にかけて乾かしました。寒いからと言って、ずっとストーブに当たっていることはNG。子供は風の子と言われて外で押しくらまんじゅうをやるように言われました。

    懐かしいわあ。達磨ストーブ。中学に上がるころには、新校舎には空調が付くようになりましたが、古い校舎では、まだ達磨ストーブだった思い出があります。

    ユーザーID:1196495114

  • トピ主のコメント(4件)全て見る
  • その世代です

    地方都市とは言えないけれど、田舎ではない地方住まいでした。
    そのせいか、同級生のお母さんは専業主婦が多かったです。
    働いているお母さんは家が店をやっているから、
    というパターンが主でした。

    クラス名簿で電話番号がない人や、呼び出しがありましたし、
    職員室はタバコの煙で遠くがもやっていたり。

    貧困格差ですが、お金持ちはいましたが、
    一億総中流という言葉があったように、
    みんながほどほど貧乏で、でも生活に困るほどではない、
    という時代だったのでは?

    終身雇用・年功序列だったので、真面目に働いていれば、
    とりあえず暮らしていけました。

    まだ風呂無しの賃貸住まいの人もたくさんいて、
    そーゆー意味では一戸建てのまるちゃんはお金持ち?(笑)

    駄菓子屋では5円10円で買えるものがあり、
    50円あったら豪遊できました。
    学校の門の近くに怪しい出店もよく出ていましたね。

    ユーザーID:0172339241

  • 子供の世界のお金の動き

    貧困格差は、当時の日本の小学生家庭でもあったという皆さんのご意見、ありがたく拝読しました。
    確かに、お互いのお小遣いの行方、気になる存在で、子供ながらにお友達との家庭と見比べていたのですが、私の周囲では、家とおんなじ〜と思える金銭感覚の子供が多かっただけだと思います。
    ちびまる子ちゃんの漫画の世界では、お店屋さんの稼業を漫画で描くのをわざと避けていたのか、親の仕事には言及しているところがまずあまりないですが、現実の小学校では、タイちゃんちは魚屋、しーちゃんちも魚屋、美恵ちゃんちはクリーニング屋、果ては、釜めし屋さんのお宅もあり、遊びに行くと、ご馳走になったり、そんな小学生時代でした。
    魚屋さんの友達のお宅に行くと、当時はやりのアイリッシュ珈琲をご馳走になったり、紅茶キノコがあったり、でした。
    子供のお小遣いで、おしゃれ文房具が山ほど買えるほど貰っているわけでなく、千円以上のぬいぐるみや貯金箱など、簡単に買えなかったと思います。

    子供は世の中の動きにも、家庭の中のお金の動きも、敏感に感じ取っていたと思い、それがちびまる子ちゃんの漫画の世界にもなんとなく表れています。それが面白いのです。
    今だと教育費にかけるのが当たり前、子供同士の放課後の交流はあまりなく、塾に直行でしょうか。
    世の中変わったと思います。

    ちびまる子ちゃん経済学というものがあるとしたら、ちびまる子ちゃんたちには、自分の家の家計の動きがわかっている、また、グラスのみんなとの比較も瞬時にできている、まる子ちゃんはそれを達観して、納得しているということだと思います。
    恐るべし、日本の小学生でしょう。

    ユーザーID:1196495114

  • トピ主のコメント(4件)全て見る
  • 案外、多様性があったように思います

    原作者のさくらももこさんと同い年です。

    あの漫画の良い点は子供目線の貧困格差をちゃんと書いていることだと思います。私は田舎の公立育ちですが、文房具などの持ち物や服装、遠足の時のお弁当など、子供なりにその子のお家の事情は分かっていたと思います。

    私の出身校は自営業や農家の子弟が多かったので、専業主婦のお母さんはそんなに多くなかったです。私は中の下くらいの育ちですが、同じクラスに豪農の子弟がいて、遊びに行ったお家がザ・お屋敷(和風)だったのでたまげた記憶があります。育った場所にもよるのでしょうが、今のほうが住む場所(学区)と住民の収入が直結していて、格差が見えやすくなっただけかもしれません。

    ユーザーID:2061249897

  • 住んでた場所次第?

    さくらももこさんとほぼ同年代です。確か2歳違いだったかな。

    私が4年生まで通っていた小学校の学区には商店街がなかったので、お店をやっている人もなく、ほとんどが専業主婦のお母さんでした。
    達磨ストーブはよく覚えていませんが、そうだったかもしれません。

    5年生の時に新しい学校ができてそちらに通うようになり、そこは商店街が学校区に含まれていたので、お店やさんちの子もいましたね。
    その学校には色々最新式のものが揃っていました。プールも屋上にあって、虫とか来なくて綺麗でした。

    平和な時代でしたよね。

    ユーザーID:6237818851

  • なるほど

    「私の周囲では、家とおんなじ〜と思える金銭感覚の子供が多かっただけだと思います。」

    そんな女の子の大きなつぶやきを聞いたら、あなたのクラスのまるこはきっと
    「え…」
    と、一粒汗をかいて、物陰まで引いていったと思います。

    ユーザーID:1559140763

  • 教育産業が今ほど発展していなかった

    地方都市の公立小学校でした。

    ストーブはコークスから灯油へ移行する時期で、校庭の隅っこにあった使われなくなったコークス置き場は遊び場でした。

    私の記憶では、極端に貧しい子はさすがに服装で分かりましたが、それ以外はあまり格差を感じませんでしたね。
    中流・上流があんまり贅沢感出してなかった気がします。

    塾や習い事が今ほど盛んではなかったからでしょう。
    今みたいに英語だのスイミングだのありませんでした。
    私は珠算とピアノだけです。

    同級生もそんなもんかと思っていたら、
    お転婆美少女:「バレエ習ってる」(お嬢だったんかい!)
    アホ男子:「家庭教師をつけている」(お坊ちゃまだったんかい!)
    なんてビックリもありました。
    田舎なのに、バレエ教室なんてどこにあったんだろう?

    子供服ブランドも今ほど充実してなかったし、普段着はみんな地味。
    発表会などのハレの日だけでしたね、エナメルの靴履いて、ふわっとしたワンピース着せてもらえるのは。

    由緒正しい名家の子も、ちっぽけなパーマ屋さんの子も、衣服は地味、持ち物は流行りのキャラ物で、さほど違いがなかったです。
    ちびまる子ちゃんの吊りスカートや毛糸のカーディガン、懐かしいです。

    ユーザーID:1762964211

  • 見た目ではわからない貧困格差

    確かに地味な同じようなお洋服での登校は貧困格差がわからない小学校生活だったように思います。
    私の地域は、衣料品中心の商店街と食料品中心の商店街の隣接地域で、お洋服が安く問屋価格で子供服が買えました。そのため衣服がカラフルでいろいろ揃っているけれど、似合う服を着た切りという子供もちらほら。本当は凄く貧しかったのかもしれません。
    でも公立魂は物凄く持っていて、貧しさを感じさせない元気に溢れていました。また学業もみんなそれなりに頑張っていましたね。
    塾は私は行かなかったけれど、通っているからといって学力が買えるわけでないというのは実感でありました。
    給食も野菜や魚だとごっそり残り、結構口が肥えた子供が多かったような。
    本当は私自身貧しかったのかもしれませんが、給食の余った魚をおかわりして成長期凌いでいました。
    ピアノはクラスに2人から3人習っている人がいて、伴奏していたでしょうか。

    私は卒業式は母の手作りのベルベットのワンピースでした。お母さんの手作りのお洋服を通知表を貰う日には必ず着て登校していました。

    ユーザーID:1196495114

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