何者かにならないとダメ?

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編集部からのトピ

編集部

発言小町ユーザーのみなさん、こんにちは。「読売中高生新聞」編集室です。

大人の本音を10代に伝える読売中高生新聞の連載「オトナの本音アワー」。中高生が抱える素朴な疑問や悩みについて、この掲示板で小町ユーザーのみなさんから意見をいただき、紙面で10代向けに紹介していきます。親や教師からはなかなか聞けない、オトナの本音を教えてください。

今回のテーマは「何者かにならないとダメ?」

10代のとき、漠然と「いつかビッグになるぞ」「歴史に名を刻むぞ」と夢を抱いた人も多いのではないでしょうか。そう思っていたからこそ頑張れたという人もいると思います。一方で、高望みして苦しんだり、何になりたいかわからず自分を見失ったりした経験を持つ人も少なくないはず。何者かになろうとなんかしなくても、日常の小さなことで幸せを感じられればそれでいいんじゃないか、とも思います。皆さんは、何者かにならないとダメだと思いますか? オトナのみなさんの意見とその理由、具体的なエピソードを教えてください。

※投稿の際は、ご意見とともに、お住まいの地方、年代、性別を記載してください。
※ご意見の一部は、読売中高生新聞や読売新聞のニュース配信などで転載させていただくことがあります。
読売中高生新聞のHPはこちら。

ユーザーID:3892487185

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  • なる必要はない

    近畿圏の田舎住まいアラフォー女性です。
    私の世代は就職氷河期でした。
    中学を卒業するころには不況だから、就職が厳しいから
    といった話はすでに出ていましたので
    「ビッグになりたい」という感覚よりは
    「無事に生きるには」といった感覚が強かったです。
    その結果、私は資格を取得しそれで食べており
    その選択は正しかったとあらゆる方に言われますが
    実際はどうだったかは分かりません。

    私は何者かにとかビッグにとかいった感覚を持ったことがありません。
    10代なら大人に馬鹿にされるくらい無茶な野望を持って構わないと思うので
    大言壮語を吐こうが応援したいです。
    でも、現実にはなれない人のが方が多く実際に何者かになった人が目立つのはごく少数派だからです。
    私が高校生の頃は大学進学率は3割程度でしたので目立つ方ですが5割を超える今は目立たないのと同じかと思います。

    私はビッグになりたいではなく自分という人間を確立したいと考えていたような気がします。
    10代の頃はそこまで明確に考えておらず、今思えばという程度ですが。
    周囲の目とか大人の期待とかに惑わされず
    自分のやりたい事をやって自分は自分人は人って自然体で思いたかったです。
    周囲の大人から「しっかりもので真面目な人」というレッテルを貼られ
    そうじゃない自分とそうありたい自分とそうありたくな自分を整理できなかったときもありましたからそういう自分になりたかった気がします。

    ユーザーID:4532777855

  • テレビの見過ぎ?

    マスコミに現れてくる人はたいてい有名人だから、つい世の中「何者か」ばかりで構成されているような気がしてきちゃいますが、そんなわけない。私も若い頃は立派な人物でないと生きていかれないのかなと感じていました。テレビの見過ぎだったかなーと思ってます。

    ユーザーID:5058241619

  • 何者かになるために

    なりたい自分になるために、自分探し
    流行りましたよね。
    理想の自分がどっかに転がってるんでしょうかね?

    日々を積み重ねて自分は出来上がっていくと思います。
    一つ一つを試して、好きなもの嫌いなものが
    判って来るんだと思います。
    できる事できない事の予測が付くようになるのだと思います。
    自分に合った努力の仕方だって見つかります。
    そんなことを繰り返すうちに、大人になって
    名前を聞けば「ああ、あの〇〇さんね」と
    言ってもらえるようになるのだと思います。
    何者かになるのではなくて、他者から認められる
    自分になるのだと思います。

    ユーザーID:1982717424

  • 何者かじゃない方が大半

    何者かを目指すのもいいですが、そうじゃない人の方が過半数。私の感覚では、何者かになれるのは同じ学校の同じ学年で1人くらいかなと。

    いろんな人と関わり、いろんな経験の中から、自分の感性に合う合わないを理解していくことで自分というものが確立されていくと考えています。
    好き嫌いではなく、合う合わないという経験の繰り返しで自分の好むもの、落ち着くものがわかってきます。ですから、食わず嫌いでなく何でもやってみる!のは大事。
    そのたくさんの経験の繰り返しで、他者からの基準で生きていくでなく、自分で自分の基準をもとに生きていける強い大人になれるのではないかと思います。

    もし、その強い大人になれたときには、何者かになろうなんていう気持ちがなくなっていることに気がつくはず。その時に、自分で望んでなく、でも周囲からも認められる何者かになれたら、それはあなたの人望と努力と運の結果。

    コツコツ努力し、中身のある大人になってほしいです。薄っぺらい大人にはならないで!!

    ユーザーID:0123761004

  • 既に何者か ですからご心配なく

    生まれた瞬間に既に何者かですから心配はいらない。

    親からすればそれぞれの子供達がオンリーワンですからね。
    お友達からすればあなた以外はまた別の人な訳ですから、これまたオンリーな存在なんですよ。

    それ以外の何者かにならないとダメなんて言う人はいないから心配しないで。
    もしそんな人がいたらさ。
    そういうあなた様は何者?って聞いてあげて。
    困ると思うし、言ったことを気恥ずかしく思うことでしょう。

    目標を持ちましょうということくらいは言われるけどさ。
    それは何者かになって大成しましょうなんて中身じゃないから心配しないで。
    夢や希望はね。
    何も何者かになるため持つんじゃないよ。
    自分がしたい事。
    どんな仕事をしたいか。
    そんな事を考える過程で夢や希望が出てくるだけでさ。
    いつだって変更すりゃいんです。

    ユーザーID:4728786494

  • 編集部からのトピランキング

    一覧
  • 普通にしていれば何者かにはなれちゃいますよ。

     自分の興味があること、好きなことをしていれば、何者かにはなっちゃいます、いやでも。好きなことは10年経てば人を指導できる、何者かになれます。
     なお、昔から言われていますが、仕事は3日我慢すれば3週間我慢できる、3週間我慢できれば3年我慢できる、3年我慢できればそのあとは逆に指導をする立場になっちゃいます。
     保証します。

    ユーザーID:9627875313

  • 何者かになろうとしたが

    夢見ていた何者かになれたかは微妙です。
    一方、若い日々をずっと何者かになろうとしてあがいていたため、平凡な幸せというやつから遠のいてしまったのかなとも思います。
    いっそ、夢など見ないひとの方が地に足のついた幸せをつかんでいるようにも見えます。賢いな、と思います。
    年齢を重ねて気づいたのは、自分の平凡さ。
    平凡な人間は、夢など見ない方が良かったかもしれない。
    でも夢って見ようとして見るものじゃなく、どうしようもなく見てしまうものですよね。だから仕方ないかな、と今は思うようにしています。

    ユーザーID:1227118406

  • あえて言えば

    「働く大人」にならないとダメ、でしょうか?

    さらに足せば、1人暮らしができる大人、ですかね。
    これは収入的に、という意味よりも、
    家事や身の回りのことができる、という意味で。

    都市部で働き始めは家賃が高くて
    1人暮らしする収入は難しいこともあるでしょうが、
    結婚すれば家賃は半額に、光熱費などもほぼ半額になります。
    友人とのシェアでも。

    もちろん生涯独身1人暮らしでもかまいません。

    ユーザーID:1074510281

  • タイプによる

    首都圏在住40代女性会社員です。
    「何者かになりたい」と子供の頃から思っていました。難関資格も取得しました。今も最新の知識を学ぶために努力を続けています。
    「何者か」が輝くためには、サポーター、フォロワーも必要です。サポーターとして類い稀な能力を発揮している人達もいます。
    目標をもって頑張りながら、適性をみつけてください。

    ユーザーID:2961173231

  • 首都圏在住、40代、普通のおばさんです

    「何者か」を目指すのは素晴らしいことです。
    目指す過程で色々なものを学び、困難を乗り越えて
    それはその人の大きな糧となるはずだから。

    でも、本当に脚光を浴びることが出来るのは一握り。
    大半は諦めて「普通」の人生に落ち着くことが多いといいます。

    ここからが言いたいことなのですが、
    「何者か」になろうとしてなれなくて…
    結局「普通」の人生に収まってしまったとしても
    決して恥じないで欲しい、ということ。

    多くのスターと呼ばれる人たちも、彼らだけでは活躍は出来ない。
    実は多くの「普通」の人たちの支えがあって輝いているのです。
    そして普通の人たちは彼らの輝きに希望をもらって日々の生活を頑張ることが出来る。
    実は持ちつ持たれつの関係なわけです。

    だから「何者か」になれたとしても、普通の人たちへの感謝を忘れないで欲しい。
    「普通」に落ち着いてしまったとしても、惨めだなんて思わないで。
    そう言いたいです。

    ユーザーID:6685108287

  • 手に職又は資格は必要かなぁ

    何者という立派な人になる必要はないんですが、私の母は手に職を持ちなさい!と、言われて育ち勉強の苦手な私は、ピアノだけはクラスでも上手だったので、音大に入りました。

    うるさい母で洋裁、生け花、茶道といろんな資格を持っていました。今は母に感謝しています。離婚歴があるので、1人で生活しなくてはいけないので、アラフィフの私は再婚しないで、音楽教室を経営しました。

    人生何があるかわからないので、資格とか特技は持っていた方がいいと思います。

    ユーザーID:4712307801

  • 自分が何者かは状況によって変わる

    自分が確固たる何者かには正直なり得ないと思う。それは日々世の中の状況が常に変わるから。
    その時その時で何が出来るか、自分の中の正義を持ってベストを尽くすことを繰り返すのみだと思う。人生を走り抜けた時に、ようやく自分が何者だったのか分かるのかもしれない。

    ユーザーID:2034412232

  • 「何者かになる」なんて考えたことない

    首都圏在住、東京勤めのアラフォーおばさんです。

    子どもの頃から「何者かになる」なんて考えたことありませんでしたが、どんな仕事であっても自分の食い扶持だけは稼げるようになりたい、とは思ってました。
    実際、資格もなく、つぶしが効くような職業でもなく、やりがいも感じてはいませんが、今どき古いほぼ終身雇用の職場で働き続けてます(公務員ではありません)。自分ひとりでも十分食べていけるようになったので、いつでも離婚できると思って結婚しました。もちろん共働きです。

    自分の生活に満足していれば「何者かになる」必要なんてあります?
    私は好きなだけ本が読めて、好きな音楽が聴けて、好きな映画を見に行ければ、充分満足です。
    (自分が作らない)美味しいものを毎日食べることができて、部屋が勝手に綺麗になったりすれば、さらに満足です。

    ユーザーID:7110633054

  • 実は大人になっても何者になるか考え続けています

    ただ重大な決断を下していくうちに、「何者になるか」の範囲が狭まっていくというか。そして、範囲が狭まっていくうちに「何者になるか」について興味関心が薄れていきます。いつそうなるのかは、人それぞれです。50歳の時かもしれないし、80歳の時かもしれない。また、人に評価されることより、自分に評価されることの方が難しいものですが、若いときと比べ日増しに自分に甘くなっていくということもあります。

    自分を振り返ると、小学校卒業〜子供が生まれるまでは自分のことで精一杯でした。しかし、30代になって子供が生まれると、つまり何より大切な存在ができるとずいぶん楽になりましたね。自分のことより子供が優先になるので。

    蛇足ながら、世間には無根拠に自信を持っている人が俺様面していることがありますが、そういう人に関わって良いことはありませんので気を付けてください。

    首都圏在住 既婚妻子有 50代 男性 

    ユーザーID:6923594284

  • どうせなら楽しい方がいい

    私は学生時代から絵を描くのが好きで、絵でやっていきたいという夢がありました。僅かですが収入があります。
    なので「創作」をベースに書きます。

    その前に、テーマの「何者かにならないとダメか」ですが、「ナンバーワン」も「オンリーワン」も、等しく「ワン」ですが、日本語の「何者か」という言葉は、その定義が曖昧です。
    私個人の結論からいうと「オンリーワン的な『何者か』であった方が、楽しい」です。

    そうなると、次に自分の求める「何者か」が具体的にどこなのか、自分自身で定義する必要が生じます。「少数でも作品を認めてくれる人がいる」「フォロワー数が沢山」「副業で少し原稿料が入る」「商業で生計を立てられるレベル」「人気があり且つランキングで上位に入る」か、等です。

    ネットを見てると、全体的な絵のレベルは昔に比べて各段に上がりました。SNSで表現する場も増えました。また、ネットで知識を得られ独学しやすくなり、デジタル導入で描き方も便利になり。
    絵の環境に関していうと、絶っ対によくなりました。
    でも、二次創作で万単位でイイネRTブクマフォロワーが付いてる人もいれば、神がかった一次創作作品の評価が一桁なんていうのもザラです。 
    また、昔は編集部の数人に認められたらデビューが、今はネット評価がきっかけでデビューもなんですよね。出版社自体「人気のある人」を求める方向にシフトしています。「何者か」の門戸は増えました。
    反面、昔以上にレベルが上がった上、SNS評価が偏差値化し、他人にも見られてしまう時代です。

    が、前述のとおり「何者かの定義」は数字だけではありません。数字で心がブレたら、原点の「作りたい気持ち」「完成させた達成感」に帰り、数字以外の次元で自己を肯定してあげてほしいのです。自分の理想や目標の「何者か」に近づく作業は、それの繰り返し。実はこれがなかなか、楽しいのです。(大阪府40代女性)

    ユーザーID:5010983032

  • 「何になるか」ではなく「何をやるか」

    30過ぎ頃までは、「何者かになりたい」と強烈に思っていました。そのために自己研鑽に励み、申し分ない学歴や職歴を手に入れました。
    今も世間からはエリートと呼ばれる職につき、一流と呼ばれる組織に属してはいます。が、その中では平凡な位置に甘んじており、「業界に名の知れた何者か」ではありません。

    かつて、より大きな挑戦をしようと別の道に踏み出したこともありましたが、それは自分に向いておらず、いくつか他の道も模索した挙句に、今の職に戻ってきてしまいました。
    今の仕事は、向いているし待遇もよいので続けていますが、興味がどうしても湧きません。奮い立たせようとしても、無理でした。やがて、寝食を忘れて没頭し続けられるような人には、勝てなくなりました。

    そんな私の経験から言えることは、「本当に好きで、そこそこ得意な何か」を10年から20年継続すれば、多くの人は何者かにはなれます。
    全く不得意な分野では無理ですが、「そこそこ」向いていれば十分です。没頭し続ければ、十年後には雲泥の差が付きます。

    しかしその両方を満たす「何か」を見つけることが難しい。
    自分がそれに気づいた時には、歳を取り過ぎ、守るべき家族がいました。

    それでも今の自分が、田舎の中学時代には想像もできなかったくらい遠くまで来ることができたのは、若い頃に強い向上心を持って努力したからです。その意味では「何者かになりたい」と願うことには、大きな意義がありました。

    しかし一方で、「何者かになりたい」という野心は、複数の選択肢が現れた時に迷いを生みました。「何者かになるには、どの分野が近そうか?」という邪念が入り、目移りするからです。

    逆説的ですが、何者かになるための近道は実は、「何者かになりたい」という野心や見栄を捨てて、好きで得意なものに純粋に打ち込むことだったのだと思います。そうすれば、自ずと結果は付いてきます。

    ユーザーID:0624650827

  • ならなくていい

    今まさに、15歳の子供と、そのことについて考えています。

    将来何をしたい?と聞いたら、したくないことはたくさん思いつくけれど、何になりたいという希望はないと。しいて言うなら、田舎でギターをひいたり絵をかいたりして暮らしたい、太陽光だけで暮らせる家に住みたい、と。

    それもありかなって思います。

    私たちの世代では、勉強して、上の学校に行って、就職して、進学しないのなら手に職をつけて、…というのが当たり前でした。稼ぐお金の額で社会的成功が計られて、「何者かになったかどうか」は、経済力や名声で判断されました。

    みんながみんな、そういう考え方だったから、経済優先で、間も無く人類はおしまいってくらい環境破壊も進んだんだよね…と今時の15歳。

    そうだね、君が大人になるころは、ベーシックインカムが普通になって、ブラックな働き方がなくなって、つつましく幸せな暮らし、が保証されるのかもしれない。

    海外旅行、興味なくはないけど、バーチャルリアリティで十分。クルマもいらない。ブランド品もいらない、大量生産のものは消費したくない、そんな若者が、地球にやさしい幸せのあり方を見つけていくのかもね。

    私たちの世代は、何者かになりたくても、勉強ができなくて何の取り柄もなければ、幸福度が低い「社会的に下の層」にむかっていくしかないと思い込んでいた。その思い込みを、正そうとしている君はすごい。何者でもないひとたちの幸福感を、君たち平凡な若者に、ぜひとも見つけてほしい。何者でもない=経済力が低い=幸せではない、という公式を、ひっくり返してやれ。

    でも自宅用の太陽光発電にも、きっと数学は必要になるよ。だから二次関数の宿題、あきらめないで(笑

    ユーザーID:1974288939

  • 平々凡々

    平々凡々として10代を過ごしたら?
    部活や友達と色々楽しんだ。達成感も少しあった。でも、勉強していない。

    多分、就職は厳しいでしょう。
    年収も40歳代のピーク時で、中小企業だと年収300万少しかな?中堅企業で500万?上場企業で700万。大手上場企業で1000万くらいです。

    オール3で普通にやっていると、年収の良い会社員にはなれない。

    公務員試験も難しいんだよね。
    国立公立大学や有名私立出身が合格者の大半です。つまり、10代でしっかり勉強しないと、お父さんやお母さんみたいな生活もできない。


    今、10代の有名スポーツ選手たちは 小さい頃から英才教育を受けている。とても恵まれているね。普通の人には真似ができない。

    唯一できるのが勉強だよ。
    幸い学校の先生は、聞けば色々教えてくれる。

    なんの取り柄がない人が大半です。
    だったら、勉強くらいやろう。

    何も、東大に行かなくても良い。近くの国立公立大学を目指してほしい。

    そこまでも無理なら、やれることをやろう。

    好きなことを見つけようというが、好きなことを仕事にできる人は実はほとんどいない。

    僕の場合地球の成り立ちや地震のメカニズムを学びたいと思ったが浪人した。結局、就職が心配で難関私立大学進学した。数学が苦手だったからだ。やれることを選んだ。
    就職も第一志望ではなかった。第三希望くらいだった。それでも、思いのほか待遇は良かった。
    大手上場企業は待遇が良い。仕事は大変だけど。

    やりたいことでなく、これならやれること!
    できること!をしっかりやろう。

    友人もそうだった。二浪して教員資格をとって、
    さらに2年かけて採用試験を合格していた。
    僕の出身高校の社会の先生だ。


    入学して、大学の勉強は面白かった。

    ユーザーID:8015390124

  • 好きなこと、得意なことがあれば、強くなれる。

    働いて、ご飯食べて、人付き合いして、、、と毎日繰り返されると、飽きるし、疲れるし、何のために生きているのかと悩むし、何もかもが嫌になってきます。
    そんな人生に、好きなことや得意なことが何もなかったら、辛いことがあると立ち直れません。
    しかし、好きなこと、得意なことがあれば、好きなことをしてストレス発散出来るし、得意なことがあれば、私はあれが得意なんだから胸を張ってもいい自信持とうと思えます。
    例えば、私の場合、ワンピースが作れるようになったから、次はズボンにチャレンジだ、その次は何をチャレンジしようかなと進歩していきたいのが、生きる動機になっています。
    それに加えて、きちんと働いて、きちんと税金納めて、それなりにきちんと生きていけたら私は十分だと思います。

    ユーザーID:5781276396

  • 夢を持とう

    出来れば夢を持って欲しいな。
    それは何者かになる夢でも良いし、なりたい職業でも良い。でも、どうしても見つからなければ、それはそれで良いとも思う。
    人はそれぞれだからね。
    きっと何かの一人前になるまでは、自分に自信が持てず、悔し涙を流したり失敗したりの連続じゃないかな?

    私は前に『もっと強い人になりたい』と昔の手帳に書いてあったのを見付けて、その頃の自分を抱きしめてあげたくなった事がある。
    相当強い人になってたので、人はなりたい自分に成れるのだなぁと思ったのです。

    何者かになる...それも大事なことだけど、どんな事でも自分を客観的に見れること、
    自分より弱い人に手を差し伸べられる優しさのある人になって欲しいなと思います。

    北海道 50代 女性

    ユーザーID:4964523687

  • 「何者か」って何?

    世間的に有名になったり、お金をたくさん稼いだりすれば「ビッグ」な「何者か」なのでしょうか。
    そして、その「何者か」の反対は、「日常の小さなことで幸せを感じられればそれでいい」程度の生き方しかしていない存在という定義なのですか?
    なんだかものすごく極端というか、それはちょっと違うんじゃないの?と思ってしまうのですが……。

    私は、結果としての有名無名や成果はあまり重要ではないと思っています。そういうことよりも、自分が「生きている」という自覚を持てる道、情熱を傾けられる道を歩むことが大事ではないかと思います。

    有名でなくても、特に大きくお金を稼いでいなくても、自分の好きなことや目指すものや問題意識に従って活動していたら、そしてその人が「私はこの道で生きている」と自覚していたら、その人は確実に「何者か」です(何らかの社会貢献活動に打ち込んでいる方にはそういう方が多いと思いますし、尊敬しています)。
    逆に、たとえたまたま有名になったり何かしらの重要ポストにおさまったりしても、特に情熱もないのに何となくその立場にいるだけだったりするのなら、その人はその道に生きているとはいえませんし、「何者か」でもありません。

    ということで、私は誰もが「何者か」になることを目指すべきだとは思います。だけど、その「何者か」とは「自分が生きていると感じられる道を歩む人」という意味です。有名とか歴史に名を刻むとかはそうした道を歩んだ結果論としてたまたまそこに至ることもあるというものであって、最初からそれを目指すものようなものではないと思います。

    ユーザーID:5711234492

  • なりたい自由がある幸せ

    私は幼い頃から家業を継ぐように強制されていました。
    幼い頃から私には「保育士になりたい」夢がありました。その事を親に言っても家族全員に否定されました。
    保育短大に入りたかったのですが、家族に言われた専門学校に進学して家業を継ぎました。
    家業を継いでから10年で廃業になりました。
    その後、結婚して子育てが終わって48歳の時に「保育士の夢が忘れられない。今なら誰も邪魔しない。」と保育士資格を取りました。
    やりたい事が出きるのは本当に幸せです。
    お金の為に働くのは辛いこと。
    好きな仕事をして、役に立って、感謝されて。
    後からお金が付いてくる。最高です。
    何者かにならないとダメではありませんが、
    どうせ働くなら好きな仕事をしましょう。

    ユーザーID:6408500063

  • 結果と過程を混同しないこと

    極々一部の人は、ある具体的な目標をもち、その努力を積み重ねて
    最終的になりたい何かになることが出来る。

    でもね、『何者かになる』というのは途中か最終かは分からないが結果だ。
    結果というのは良くも悪くも自分自身で受け入れるものだ。

    途中の結果ならば、別の道に進めばよい話でもある。
    だからこそ、何か目標を定めてそこに向けて努力するプロセスこそ大事だ。

    そうやって1段ずつステップアップしていくと、次の問題が見えてくる一方で
    そのステップになったからこそ見える風景があるわけです。
    物事の見え方が少しずつ変わってくるし、ステップをあがるごとに
    同じステップに存在する仲間は減り、その代わりに別の階段を上っている
    人たちに気づき色々と学べるようになる。

    そうやって自分自身を見つめ直して前を今一度向きなおせるものでもある。
    例えばさ、選手として一流になれなかった人でも一流の選手になるために
    学んだことから名コーチ、名監督になる人もいるわけです。

    『何者かになる』というのはさ、結果であって、
    その結果というものは自己評価ではないんだよね。
    他人のどれだけから認められて、必要とされるかってことだから。

    そうやって自分が活きる場所、輝く場所というのはさ、
    何かしら目標をもって努力した過程で得たものじゃないかな?
    それが元々目標とした何かで評価されるか、別の形で評価されるかは
    自分だけで決められるものではなく、必要とされる誰かによって決まるだけ。

    ユーザーID:3737056563

  • はい、何者かにならないダメです

    自分の裁量で生きる何者かになって下さい。
    ご両親から独立し、自分の意志で生き方を決める。
    そういう何者かになって下さい。

    花屋さんだっていい。
    ケーキ屋さんだっていい。

    花屋さんならただ漫然とお客さんのいいなりに売るだけの人じゃない。
    老紳士が病気の妻のために花を求めに来て、何を買ったらいいのか分からない。
    そんな時、奥様自身のイメージやお好みを聞き出してあげて、これならきっと妻に喜んでもらえるに違いないって老紳士が自信を持てるくらい納得してもらって花を売る。
    そんな花屋さんは老紳士にとっての何者かなんですよ。

    高望みをしなきゃいけないって事はない。
    でも、ちょっとだけ高い理想や夢を持つ方が楽しいよ?
    趣味や遊びと大差ありません。
    遊びだって下手なままじゃ楽しくないでしょ?
    趣味だって少しずつ進歩するから楽しい。
    どうせなら楽しく生きた方がお徳ですよ。

    ユーザーID:5897459244

  • それらも含めて

    それらも含めて何者かだと思います。

    普通、その他大勢って括りの人達が楽してるわけではないので。

    息子であり娘であったり。
    兄や弟、姉や妹である人もいます。
    父や母になった人もいます。

    また、社会で、名もない会社は給料が安く、その分楽かと言えば必ずしもそうではないわけで。
    その会社のなかでも平からトップまでピンきりな肩書きで踏ん張ってる。

    病気にかかることもあれば、身近に不幸があることもあるし。
    今のコロナもそう、何があるか分からない。

    人生ドロップアウトしないで生き抜いてる限り、何者かにはなっていくのだと思いますけどね。
    端から見て平凡に見えても、それは本質とは限らないし。

    なりたかった何者かになれるかは分かりませんが、何者かにはなれますよ。
    それを自分が低く見れば低くなるし、他人が低く評価したところで、詳細を知らん人が何をって話なので評価に値しないかな。

    ユーザーID:9984294367

  • 何者にもなれなかったけど

    わりと成績が良く運動神経もよくて芸術面でも賞などいただいてそこそこ恵まれた環境で育ってきました。

    若い頃は自分自身も「何者」かになって有名になる淡い夢を持ち、周りの期待もあったと思います。大学を卒業して希望の職種にも付きました。

    そして今、アラフォーですがやっていることと言えば専業主婦で子育て。有名にも何にもなれませんでしたね。友人にも母親にも「結局、あなたは何者にもなれなかったね」と嫌味を言われました。

    でも私自身は負け惜しみでも何でもなくすごく幸せで心は満たされているんですよね。本当にやりたいことは趣味としてやっていますし家庭も円満。理想の場所に住んで友人たちと楽しく暮らしています。未来への不安もない。

    今のところ欲しかったものはすべて手に入ったかな。手に入らなかったものといえば社会的権威とかなんでしょうけど、それは夫に任して家族のチームとして理想がもし達成できたらいいなと。

    自分の周りは優秀な人も多いですが「何者かにならなくては」の呪縛に苦しんでいる大人も多いです。若い頃に大志を抱くことはとても大切ですが、呪縛に縛られることなく力強くしなやかに自分の人生を歩んでほしいなと思います。

    ユーザーID:5695721335

  • 意味

    面白いので。

    トピ文を読むとこの「何者か」というのは
    >「いつかビッグになるぞ」「歴史に名を刻むぞ」と夢を抱いた
    という、世間、世界、からみて「オンリーワン」の方になるという意味ですね。
    そういう話なら不可能です。世間、世界には取替が可能な存在しかありませんからね。
    アメリカの大統領を見ても分かるようにそのような方は存在しません。
    基本的に四年毎に新しい人に変わりますからね、どう見ても取替可能でしょ。

    なので「何者かになるのは不可能です」で回答は「無理」。

    ただ、ある子供さんの親、ある親の子供はその人しかいませんからね。
    世間、世界からではなく、特定の個人からなら「オンリーワン」の方になるというのは普通でしょ。

    そういう話です。

    >夢を抱いた人も多いのではないでしょうか。
    夢は夢だからね、それも人生の楽しみね。

    ユーザーID:1380401939

  • 「何者か」という意味を深く考えよう

    中高生の皆さんにとって大切なことは、自分が「何者なのか」を知ることであり、大人社会が耳に吹き込んでくる「何者かになれ」ということは大事なことではありません。中年になった経験から言わせていただくと、自分が何者なのかということ、正確な自分の形、求めるものに真摯に向き合っている大人は非常に少ないです。そもそも自分とは何か、何者なのかということを10代で内省しながら向き合った人間が「何者かになりたい」「何者かになりたかった」「何者にもなれない」などとは言い出しません。自己とは何か、自分とは何者なのか、何を望む人間なのか、10代はそういったことに真剣に向き合う時間です。自分の輪郭をはっきりとさせた人間には「何者かになる」という言葉は一切必要のない言葉です。

    なるのではなく、この世に生を受けた自分が「何者なのか」をどこまでも深く考える必要があります。そのためには自分を決して偽らないこと、誤魔化さないこと、周りの意見に流されないこと。そして自分の望み通りの結果が得られなかった時も、決して逃げずに向き合うことです。自分がどのようなことに傷つくのかを知ることも自分の輪郭をはっきりさせる手助けとなります。逃げない、嘘をつかない、傷つくことを恐れない人間は必ず自分とは何者かを知ることができ、何者かになることなどに悩むことはありません。
    どうかこの世に生を受けた自分自身が「何者なのか」考えて生きてあげてください。

    ユーザーID:0760229252

  • 自分のテンポが大事です

    50代女性、中国地方在住です。40代まで東京で自営業をしていました。
    男女雇用均等法が施行され、「翔んでる女」などの言葉がはやったのが20代でした。
    当時、編集者で正社員でしたが、バリバリのキャリアウーマンタイプではなかったせいか、団塊の世代(今は70代後半の方々)の女性のみなさんに、「あなたは今のままではダメだ」などと、よくダメ出しをされていました。
    タイトルにある「何者かにならないとダメだ」と言われているような感じがありました。
    私は、人に反論するような性格ではなかったので、ダメ出しをされるたびに心の中で、「何も相談したことがないのに、なぜこの人は私に絡むのか」とか「進歩せよと言いたいのかもしれないが、停滞も後退も私にとっては大事な歩みだったりするんだけどな」と思っていました。
    今、振り返っても自分の感じたことは間違っていなかったと思います。
    「何者かになれ」と若い世代にハッパをかけるタイプの人は、そういう言動することで若い人にかかわりたいだけなのだろうと感じます。

    結局は自分の人生なので、自分で考えて、自分で感じたことを、自分で信じて進むしかないです。その経験が失敗も含めてその後の自分を支えます。
    自分のテンポを大事にすることが、幸せへのいちばんの近道で、自分のテンポの中に「何者かになりたい」というものがあればそうすればよいし、そうでないのであれば自分の生き方を尊重することが大事と、自分の歩みを振り返って感じます。

    ユーザーID:2189526935

  • 皆それぞれ何者

    こんにちは。世の中というか、人生というかはフルオーケストラ。誰もが指揮者、ソロバイオリニスト、ソロピアニスト、コンサートマスターになれるわけではないんですね。でもすべての楽器が揃わないと、ピアノ協奏曲、バイオリン協奏曲は成り立たない。凄く出番の少ない楽器、ティンパニーなんて、それこそダダダダダンを二回か三回ぐらいやっておしまい、でもいないと協奏曲にならない。だからこれを読んでいるあなたも、指揮者になると頑張っていて、でもヴィオラを弾くことになったとしてもあなたがいないと美しい音楽が成り立たないのです。大統領、首相、会社の最高責任者もいると同時に、ゴミ収集してくれる人たちもいないと大変困るのです。世の中まわらなくなっちゃう。それから、大きな夢を追いかけるのは良いのですが、もしうまくいかなかった場合の人生落下防止ネットを考えとくのも大事。挫折して世捨て人みたいになってはだめですよ。

    ユーザーID:4918332576

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