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    古文・漢文を学ぶ意味ってある?

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    編集部
    話題
    発言小町ユーザーのみなさん、こんにちは。「読売中高生新聞」編集室です。

    大人の本音を10代に伝える読売中高生新聞の連載「オトナの本音アワー」。中高生が抱える素朴な疑問や悩みについて、この掲示板で小町ユーザーのみなさんから意見をいただき、紙面で10代向けに紹介していきます。親や教師からはなかなか聞けない、オトナの本音を教えてください。

    今回のテーマは「古文・漢文を学ぶ意味ってある?

    みなさんも中高生時代に古文と漢文を学んだと思います。ただ、「学校を出たらほとんど使わない」「英語やITのスキルを学んだ方が社会に出てから役立つ」と、古文・漢文不要論を唱える人もいます。受験に必要だから勉強したけど、いまは触れる機会がない・・・というオトナも少なくないのでは。

    一方で、古典文学に触れるのが素直に面白い、先人の知恵や考え方に触れられる、言葉の変遷への理解も深まると、良いところもたくさんあります。学校は社会で直接、役に立つ力だけを学ぶ場所ではないという考えもあると思います。

    皆さんは、学校で古文・漢文を学ぶ意味ってあると思いますか? 

    オトナのみなさんの意見とその理由、具体的なエピソードを教えてください。

    ※投稿の際は、ご意見とともに、お住まいの地方、年代、性別を記載してください。
    ※ご意見の一部は、読売中高生新聞や読売新聞のニュース配信などで転載させていただくことがあります。
    読売中高生新聞のHPはこちら。

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    古文漢文は我々日本人の文化の軌跡

    しおりをつける
    🙂
    ぎんねこ
    現代文が、いかに変遷して発達していったかというと、それは我々の古典文学に元があります。
    太古は万葉集から古典最高峰の紫式部の「源氏物語」までのかな文学、あるいは中国の古典、長恨歌に代表されるような、漢詩の教養、孔子の論語、これはもう昔から日本人が学問として学んできた大陸からのルーツになるので、ぜひ読み解く必要はあります。
    学があるかないかは、古典を読み解けるかどうかにあり、有職故実の日本文学を知るうえで、必要不可欠です。
    また現代文を学ぶのに、古典の思想や仮名遣いなどは必須です。
    古典なんか、受験に関係ないよという学生もいるかもしれませんが、日本人として教養、実力、常識と考えると、ない学生のほうが欠けます。
    余分な勉強と考えないで、古典のすばらしさも学ぶべきだと思います。

    トピ内ID:377ee8dbedb26f98

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    私も苦手でした

    しおりをつける
    🙂
    ぷりん
    私も中高の時はとっても苦手で、好きな教科は体育でした。
    古文も漢文も意味不明すぎ。読むルールを覚えるだけで必死で、内容は覚えていません。

    しかし大人になって、「季節の言い回しにいろんな言葉があったんだ!」「論語って江戸時代に武士が読んでたんだ!」と知る場面が増えて、もっと真面目に勉強しておけば良かったなと思うようになりました。

    とくに、渋沢栄一も論語を学ばれていたとドラマでやっていました。大人になって読み返してみると、とっても素晴らしい事がたくさん書いてあります。どちらかといえば、道徳で勉強したほうが良いのでは?と感じましたね。

    実用的かどうかは別として、道徳や日本史の一種だと思って、視点を変えて学んでみるのも良いと思います。

    トピ内ID:a983f782058bd096

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    教養としてとらえる

    しおりをつける
    🙂
    ひよこぴよ
    「古文・漢文」に限らず、数学の「因数分解」「図形の証明」・・・など将来 役に立つのか、
    それは将来就いた職業によりますから学生時代はまず教養と考えて ひととおり学んでおくことがいいでしょう。

    私(64・男)が高校生時代、古文・漢文に興味をもって後年「高校国語教師」になった者もいます。

    私は工業高校・電子工学科でしたから、その後「日本電信電話公社」に電気通信技術者として就職。
    職場では、物理学・化学・数学 など知っていてあたりまえ できて当たり前の職業でしたから学生時代の授業は非常に役立ちました。

    退職した現在でも 数学・物理学・科学全般は私の趣味になりました。

    トピ内ID:1d53576c56c10317

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    学問は役に立つかどうかではない

    しおりをつける
    😒
    好き嫌いなしで
    子供の時は、実際に使われるかどうか、役に立つかどうかで、学問を選択しない方が良いと思う。

    色んなものを満遍なく学んで、学習姿勢を身につけて、根気の良さ、思考パターンの多様化など、間接的に養わないといけないことが多いと思う。

    今の私に数学は必要ないが、頭は悪くないので、それは脳みそが柔軟な時に、しっかり学習したからだと思う。

    直接役に立つかどうかで選別するのは大学レベルでよい。

    できない教科があるのも良い思い出になるし。

    必要なものだけ学ぶのは味気ないし、思考に偏りが出そうで、自分の弱点や長所を認識する機会も狭くなる。

    トピ内ID:7a36ade1da2a44e2

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    面白いから学ぶ

    しおりをつける
    🙂
    レモネード
     何の役に立つかと言えば、あまり役には立たないでしょう。当方、35年間、古文を教えていますが、正直、その手の質問が一番困ります。
     社会に出てから何に役に立つのかと言えば、一部の人を除いては役に立ちません。でも、だからこそ高校段階では学んで欲しいのです。実生活に直接役立つ 事は中学校の段階で終わっていると私は思っています。だから中学校までは義務教育なのです。
     高校で学ぶ事は、敢えて言えば応用編です。奈良時代の人も平安時代の人も、我が国にかつて生きていた人なのです。だから現代に生きている私達と共通する感性というものがあります。
    例えは枕草子に出てくる「舅が気にいる婿は滅多にいない」とか「遠くて近いのは男女の仲」とか、徒然草に出てくる「健康自慢の奴は友達にしない方がいい」とか「友達にするべきは物をくれる人」だとか、知らないより知っていた方が楽しく無いですか?無駄に思える事でも、学んで損は無いと思います。
     もともと文化って、ある意味、無駄なものです。

    トピ内ID:c85c12f2b69fc249

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    古文漢文があるからファンタジーゲームや映画がある

    しおりをつける
    🙂
    とおりすがり
    欧米の世界を題材にしたファンタジーゲームや映画がたくさんありますよね。
    あれは古代ギリシャ語などを解き明かして古代文学の調査研究ができたからこそギリシャ神話をはじめとした古い物語が明らかになり、それが一般人までひろがってゲーム制作につかったりファンタジー小説や映画になってわたしたちが楽しめているのです。

    日本の古文漢文も、昔の物語を知るための基礎。
    陰陽師の映画や大河ドラマにはじまり、占いを楽しんだりできるのも、昔と現代をつなぐ古文漢文があってこそです。

    高度な難しい話もあるけれど、娯楽にも学校で学ぶことがつながってるんですよ。

    トピ内ID:aac578258b7bca44

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    縮小する必要性はある

    しおりをつける
    🙂
    社会の澱
    現代社会において、子供達が社会に放りだされる前に学ぶべき事が大量にあります。
    今は教えるべきを教えず放り出している状態。

    ITの恐ろしさを知らないまま放置し、便利さだけを享受した結果が今です。
    社会に出る前に選挙権を得て投票。
    様々な社会福祉制度があるのにアクセス方法を知らないまま。
    裸で荒野に放り出すようなもの。
    古文や漢文は守ってはくれません。

    国語の授業の一項目として習えばいい。
    古文漢文として独立して毎週毎週学習する必要はないと思いますよ。
    子供達は学ぶべきことが多いのです。
    負担もそれだけ大きくなる。
    古文漢文の優先順位は決して高くはないでしょう。
    かと言ってゼロで良いとは思わないので内容を半分以下にして、ITや社会科学の授業を増やす方が子供達のためになるでしょう。
    もしくは大学の一般教養として充実させてもいい。

    教養だから必要というのは思考停止だと思う。
    明治維新を成功させたと言われる武士の教養。
    「四書」「五経」がその根幹にあると思うのですが、じゃあ現代社会における必要不可欠な教養かといえば、もうその立場を失って久しいですよね。
    時代にそぐわない教育を「教養だから」という錦の御旗のごとく掲げるのは陳腐ですらある。
    時代によって必要な教養は変遷するものです。

    古文や漢文は一部の専門家や趣味人に任せておけば良い内容です。
    子供はさわりの部分だけ知っておけば十分でしょう。

    まあ、大半の教師は小中高大と学び舎で過ごし、そのまんま学び舎に就職してしまうので、見聞きして知ってはいても実体験としての社会の縮図を実感できていないから、変える必要を感じていないのでしょうけどね。
    知っていればアレもコレも教えておかなきゃ子供達が危ないって気づくはずなんだけどなぁ~

    トピ内ID:7a960330bd9c3bea

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    必要ないのは古文漢文だけ?

    しおりをつける
    🙂
    匿名
    全員にとって役に立つ勉強だけが必要なら、それこそ家庭科と体育だけやっていればいいのでは?体育だって、筋トレとストレッチと、ジョギング、水泳くらい教えれば、たとえば球技を何種目も教えなくてもいいでしょ。

    数学も物理も、歴史も、音楽など芸術科目も、直接的なところで「役に立つか?実際仕事に使っているか?収入に直結しているか?」と問われれば、そうじゃないという人も多くいるはずです。私はただの主婦ですが、高校で習った数学や物理なんてきれいさっぱり忘れても一応生活できています。音楽だって、楽譜を読んだりすることはまずありません。

    ただ、それら忘れてしまった勉強が本当に何の役にも立っていないとは思いません。例えばものの考え方や物をとらえる視点を増やしたり、例えばエンタメを楽しむための下地だったり、意識的にしろ無意識的にしろ、形を変えて何かしらの影響はあると思います。何がどんなふうに役に立つのかが分からない以上、入り口は広くして置いた方がいいのではないでしょうか。

    トピ内ID:9b675262380db623

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    まあ最低限は必要なんだろう

    しおりをつける
    🙂
    お匿さん
    その最低限というものがどれほどかを凡人の我々が判断できないのも確かだ。

    更には言語の話だからあくまで文化を学んでいることでもある。
    そうなると古文はさておき、漢文をどこまで学ぶ必要があるかはもっと分からない。

    特にアジアの国々の話をちょっと調べると分かる部分もあるのだが、
    いくつかの国で昔の文語表現を捨ててしまっているところがある。
    (まあ多くは漢字を使っていた国がそれ以外の文字を使うことに決めたんだが)

    そういった国々では自分の国の古い歴史を知る術や研修する術を
    失ってしまいかねないものになっているのも事実なんだろう。

    そのためには一部の人だけが理解できれば良いのではなくて
    教育をうけた皆が一定水準までは学ぶことが国全体の土台になると思う。

    歴史とかで自分の国を学ぶことだって、様々な意見があるのは確かだ。
    古代~中世を細かく学ぶよりも近代史に力を入れて現在への変遷を理解することが
    重要だという意見もあるわけです。
    それを国語で例えると、古代~中世の文学を学ぶよりも近代の文章をある程度は
    読める力は必要とも言えます。実際に日本はたった100年前まで文語と口語が
    区別されていたわけです。江戸・明治・大正・昭和初期の記録を読むにも
    古典文法の延長になる文語文法は必須なんだよね。
    そういった意味では古い日本語を学ぶことそのものは必要だと思う。
    けれども何をどの程度は私には判断できない。

    ちなみに高校数学なんてひどいもので、指導要領が変わるたびに
    教科書から行列や複素数平面などが消えたり復活したりなんてことがあってね…
    世代によって学ぶものが違って『見たことも聞いたことも無い』なんて単元が
    実際にあるんだよね…

    トピ内ID:f200866c3e361fcb

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    否定はしないですが

    しおりをつける
    🐶
    まろこ
    古文も漢文もやったほうがいいには決まっていますが
    私はその時間は身近な税金や年金、など大人になってからついてまわるお金について
    教えたほうがいいと思います
    知らないで楽しく生きることだけを選んでしまったらあとがこわいですよ
    長くなるのでここまでにします

    トピ内ID:64555ff47029f687

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    要らない

    しおりをつける
    🙂
    とむ
    そんな無駄な知識より、マネーリテラシーを教えるべき。

    いまだに投資もせずに貯金ばかりしてるのはヤバい。

    トピ内ID:b30edb49ea5f8544

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    書道を学んで

    しおりをつける
    🙂
    海賊の妻
    もっと学校の時に古典と漢文を真面目に学べばよかったと思いました。
    例えば私の専門は漢字書道ですが、基本は中国の古典にあります。たまには空海みたいに日本人の手本を使う事がありますが、それも漢文なのですよ。私は元になる手本の一部を学ぶ時にも必ず全文に目を通します。もう、めちゃくちゃな読み方ですが、ガイド本も買って自分なりに読んでみるとその内容には今の自分たちと変わりない人間の心を感じます。例えば息子を亡くしたお母さんの書いた物なんて、涙が出るのです。そして先生に「この息子はなんで死んだのですか」と聞いて「あんまり古くて分かりません」などとあきれられ、「戦の流れ矢に当たったのか、青梅を食べて当たったのか、落馬して死んだのか、毒殺されたのか」と一人で想像してもやもやします。
    私の書道会では師範試験にには仮名が必修です。そこでまた、このくねくねした読めないような古典に苦労します。仮名辞典を小脇に置き一字一字読めるようになると初めて筆を執ります。これも意味が分からないともやもやするので、古語辞典を調べます。そしてあまりにも現代人と変わりない思いに触れる事になるのです。
    学校でさぼった分だけ苦労が多く、なんでもっとやらなかったのかしらと思います。
    要領の良い人はその部分だけ書けばいいと思うでしょう。実際そういう人ばかりです。しかし、社中展の当番に当たった時に他の社中の人に質問されたりすれば答えられず「お待ちください」と言って先生を呼びに行くことになります。かっこ悪いですよね。
    しかも自分が師範試験に取れている場合、何も知らないでは済まないのです。私のように全文読んでいれば、逆に偉い先生に質問もできます。古典も、漢文も頑張ってやればよかったと思うこの頃です。

    トピ内ID:1f9606c41f8acd89

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    レスします

    しおりをつける
    🙂
    ごご
    古文、漢文で点数を稼いで、志望大学に合格しました。
    あんな簡単で面白い昔話を読んでるだけで、点数がいただけるなんて、話がうますぎると思っていました。

    古文漢文は、子供の代になっても内容が全く変わらない数少ない教科ということで、高校生の娘にみっちり教えて、同じように受験しました。娘ができたというよりは、私の中高時代より、ますます全体のレベルが下がっているというのが事実でしょう。

    ・・ですが、こういうのは「役に立ったエピソード」とは言えないかもしれないので。

    10年前ぐらいだったか、渋沢栄一の「論語と算盤」を文庫本で読んだのですが、とても心に響きました。
    原文の旧仮名遣いを現代仮名遣いにしただけのもので、古文がちょっとできたレベルの人なら、ほとんど現代語と変わらない感覚で楽しく読めます。多分ですが、氏が著述した当時の一般人でも読めるように、相当にレベルを落として話をしていたのではないかと想像します。

    ところが、ネットのレビューには「こんな難しい文、読めません」という意見がズラリ。
    えっ!マジか!!とびっくりしました。
    「自分は読めたもんね、へへん」とかでは、ないんです。
    そうか・・そうか・・渋沢栄一と現代人には、こんなに早くも言葉の壁ができてしまったのか・・みたいな・・とても寂しさと悲しさを感じました。

    今は、私が読んだ出版社のものは、現代語訳に変更してしまったようです。
    他に原文の文庫が出版されているのかは分かりませんが、渋沢栄一自身が選んだ言葉でできた文章を読めて、渋沢栄一の生き方やお金に対する考え方などに触れたことは、生き方の面でも、それこそお金についての考え方でも、人生に色々と良い影響を受けることができました。
    現代語訳やドラマだけでは伝わらない、氏の言葉に触れることができたことは、私にとってとても良い人生の糧になりました。

    トピ内ID:d638762a44ca4e3a

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    1#方向性の違い

    しおりをつける
    🙂
    職業としての知識なのか、生活としての知識なのかだと思います。
    例えば、医師になるのに漢文は必要なのか?と言われたら、それよりは生物や化学の知識が欲しいですね。これだけパソコンが普及して入るなら、ITの知識が必要となります。人昔ならキーボードを触る授業なんてありませんでしたから。大人になって大切だったなと思うのは家庭科と保険(性教育)です。今まで教科書通り妊娠出産出来ると信じてました。

    専門の教科や仕事ばかりすると、壊れてきます。心が空洞になります。

    そこで香りが好きなので香道を習いました。

    香りを味わって当てれば、終わりでも充分です。
    毎回テーマがあり、其が歴史を知っているか、古典の作品を知っているかいないかで奥行きが違います。世界が広がる感じです。
    茶道も少しかじりましたが、簡素だけど、お客様をもてなす為に趣向を凝らしてますし、受け止める側も知識を求められます。

    トピ内ID:abce3f842df3b3a8

    ...本文を表示

    2方向性の違い

    しおりをつける
    🙂
    職業柄、高齢者の対応をします。高齢者施設でも、裕福層の方がほど、文化を大切にされますし、この間は百人一首を楽しんでました。豊かな方々ほど、教養があるような気がします。顔つきも品がある人が多いです。
    香道も思えば、悪く言えば道楽だけど、本当に豊かな時間を過ごせたなと思いました。

    万葉集の歌でも、昔の人でも感性が一緒だな、より深いなとか新しい見方が出てきます。

    古文、漢文が無くなってもそれは時代の流れですし、どんなことも変化していきます。

    ただ、文化を知る事はより考え方の世界が広まりますし、こないだの開会式も「文化」を知ればもっと違ったものになっていたでしょうね。今の日本を良く表してました。

    トピ内ID:abce3f842df3b3a8

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    漢語は…

    しおりをつける
    🙂
    豆太郎
    古典は日本の季節や文化・思想が今に至るまでの移り変わりを知るためにあって良いと思いますが、授業として多くの時間を割く必要があるのかは不明です。
    ただ、私自身は古典が好きで、現代語訳も読んでいたので、古典の授業は自分では理解しきれなかった背景など知る楽しい時間でした。
    今、大人になって古典に触れることは少なくなりましたが、小学生の娘に『ママの子供の頃はねー〇〇で、でも紫式部のいた時代はもっと…』なんて話せることが楽しいですわ。

    トピ内ID:a43b0c6c12370d45

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    文学や哲学としては意味がある。

    しおりをつける
    🙂
    鼻黒猫
    歴史、文化、思想を学ぶという点においては意味あると思います。
    古文は日本の歴史や文化を学ぶのに良い資料だと思いますし、漢文は中国の思想を知るために必要でしょう。
    それぞれ、国語、歴史、倫理社会などの教科内で取り上げられる程度で十分だと思います。書かれた内容がテーマになるのならいいけど、古語や漢文の読み書き文法を必修にする意味はあまりないのではと思います。

    とはいえ私は高校時代、古文は好きで得意な方でした。昔の日本人の考え方や表現のしかたは現代の真新しいものにも引き継がれていて、その源流を知っていることで味わい深いと感じることも多いです。
    古文なんて習わなくても生活になんの不自由もないですが、習えば頭の中に古文レイヤーが一枚増えて世界を見る目が少し豊かになります。

    私は徒然草の「花は盛りを、月はくまなきを見るものかは」という一節が好きなのですが、アメリカ人の知り合いに説明してもなかなか理解されませんでした。
    花見をしたくて行ってるのに、散ってたり咲いてなかったらがっかりする方が自然だと、自由な感情を否定しているだけだと言われました。面白いです。

    トピ内ID:c22d7f6bc13daf4b

    ...本文を表示

    昔のことから今をひもとくには必要

    しおりをつける
    🙂
    しま
    色々学ぶことが増えたので、ある程度、各方面から少しずつ削らざるを得ないかもしれません。そしてその各方面には古文や漢文も入るかもしれません。
    でも、せめて、それを学んだ人が「意味のないことを勉強した役立たず」ではなく、「昔の人の言葉が分かるスゴイ人」と珍重されるような世の中であってほしいなあ、と思います。

    トピ内ID:f2b492dbc6e0d210

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    いらないと思う派です

    しおりをつける
    blank
    もここ
    私は「学校の授業では古文も漢文もいらない派」です。

    昔の日本のことを学ぶ、中国の文化を学ぶ、これはいいと思います。
    でも学校の授業で教わる古文や漢文の文法事項はいらないと思っています。文法事項を使うとしたら、古文や漢文を自力で現代語訳しなければならない時でしょう。そんな時来ないですよ。

    でも古文漢文の試験ではその文法事項が大きなウエイトを占めています。これはナンセンスですよ。
    古文の動詞や形容詞の活用形を知っていて何のプラスになるのか知りたいくらいです。

    昔の日本の文化、中国の文化を現代語で普通に学ぶだけでいいと思います。
    古文や漢文を現代語で対比させて表記する、単語をある程度知るだけで十分では?
    文法事項を細かく無理やり覚えさせるから、古典文学が嫌われるので逆効果ですよ。

    トピ内ID:dd3dd85155f52593

    ...本文を表示

    高校で習う古文は、ほんのたしなみ程度

    しおりをつける
    🙂
    里のたぬき
    義務教育を終えさらに高等学校を卒業したなら、自分の出身国の古語くらいはたしなみ程度に知っておいた方が良いと思います。それこそ、国際社会で活躍する人が自分のルーツである文化について教養程度には知っていないと恥ずかしいのではないでしょうか。
    正直言って、高校生が習う古語などはほんのたしなみ程度ですから。
    また漢文については、確かに漢文は中国の文化ですが、日本でも文章は主に漢文で書かれていた時代もあります。読み方がわかる、漢文の表現について知るくらいはしておいた方が良いと思います。
    古文も漢文も、日常生活で馴染みがないから何やら難しいことを勉強させられているように感じますが、一度でもちょっと真面目に取り組めば、じつは大して難しいことは扱われていない(高校の教科書程度では)と気がつくと思います。

    トピ内ID:9040f09e8a770ab3

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    海外でも、古典や古語の学習はあります。

    しおりをつける
    🙂
    里のたぬき
    ちなみに、海外でもそれぞれの国の古典やルーツになっている言語を学ぶのが必修になっている国は多いです。
    イギリスでは、シェイクスピアなど古典(現代の英語とはかなり違う)が必修になっていたり、ヨーロッパではルーツとなるラテン語や古ギリシャ語を学んだり、それらで書かれた古典の学習が必修の国もあります。

    トピ内ID:9040f09e8a770ab3

    ...本文を表示

    美しい

    しおりをつける
    🙂
    さきち
    漢文・古文では、美しい歴史と情緒を学ぶことができました。

    少ない言葉のなかにどれだけ情感のこもった、しかもそれを的確にあらわせる言葉を選び使うか。
    その美しさ、何百年も前のひとたちの言葉から浮かび上がる情景・情感の愛おしさと人の想いの共通点。
    現代文ではなかなか学ぶことができないものもあると思います。


    とはいえ、向き不向きがあります。
    そこから情緒を受け取れる人とそうでない人。だから賛否もあるでしょう。
    ただ、扱いをやめることで「賛」になるはずの人がそれを得ずに終えてしまうのは切ないですね。

    トピ内ID:f2eb8e68b2459911

    ...本文を表示

    一般教養として価値がある

    しおりをつける
    🙂
    元ドイツ駐在技術者
    私は学生のころ、学問の価値に分野の優劣があるという
    偏見を強く抱いておりました。

    「価値ある学問とは、
    数学、物理、化学、天文学、情報、工業技術等、
    これらの第一線の理数科学こそが世の産業の発展に大切だ。

    価値の劣る学問とは、
    言語学、昔の歴史、社会科、文学、音楽、美術等、
    それらは、工業立国日本に貢献度の劣る文系分野の学問だ。

    英語は英語が好きな人や必要な人だけが学び、話せればよい。
    理系の人にはほとんど必要ない。
    日本で生活する上において、全く必要性が無い。

    そもそも、文系の人は、理系の人よりも劣る、
    日本の科学技術発展に貢献度が低い人たちだ。」

    そのように私は、誤った偏見を強く思いこんでいました。

    大学では、私は必須科目の第2外国語のドイツ語を
    仕方なしに選択し、ほとんど理解せずに過ごしました。
    しかし、授業を毎回しぶしぶ出席して単位だけを取得しました。
    一般教養の社会科目も同様です。

    専門分野だけを一生懸命勉強しました。
    数学、物理だけは常に満点でした。

    しかし、私は社会人になって、ある会社に入社して、
    取引先のドイツのメーカに数年間駐在し、赴任しました。

    英語もドイツ語もぜんぜん話せなかった私は大変なことになりました。
    ドイツでドイツ語を一生懸命勉強しながら、働きながら、
    1年間は本当に苦しかったです。

    そして、言葉の理解だけではダメなことが分かりました。
    文化の相違の壁が大きく立ちはだかりました。
    ドイツやヨーロッパのことを何も知らなかった私は
    ドイツの文化や歴史、世界史、地理をも同時に勉強しました。

    高校や大学で、英語・世界史・日本史・地理・ドイツ語を
    もっとまじめに勉強しておくべきだったと
    痛烈に後悔しました。

    世の中に無駄な学問はありません。
    一般教養は心を豊かにします。
    教養の高い人が多い国は、経済も文化も豊かな国になります。

    トピ内ID:59325efed8c9511f

    ...本文を表示

    あるに決まってる

    しおりをつける
    🙂
    フィヨルド
    子供の頃はわからないけど、大人になると漢文や古文由来の言葉がたくさんあることを知ります。
    若い頃ならそれを知らなくても「知りませんでした〜」で済むけど、段々物を知らない恥ずかしい人認定されます。
    そして、そういう人しか相手をしてもらえなくなります。
    古文漢文だけじゃなく、物理だって数学だって社会に出てから使うかと言われれば使いません(力学や微分積分を使うことなんて理系のエンジニアでもなければないでしょう)。
    でも、古文漢文も物理も微積も教養なんです。
    教養がない人はどんなに頭が良くて口が上手くても底が浅くて軽いです。
    若い頃はいいんです。
    年齢を重ねても底が浅いのは哀れです。

    トピ内ID:734e92dc0f57640a

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    『千と千尋の神隠し』が楽しくなる

    しおりをつける
    🙂
    ここあ
    知識や教養、文化の源として必用。

    例えば『千と千尋の神隠し』は、古事記の知識があったら
    もっと楽しめます。
    というか、もっと深い意味がわかると思います。
    (宮崎駿監督が意図しているかはわかりませんが)


    トピ内ID:0ed62e9196c7cba0

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    嫌いにならなければ良い

    しおりをつける
    🙂
    もももんが
     私は習ってよかったですよ。

     でも、果たして全ての人が一斉に授業を受ける必要はあるでしょうか?これは音楽、数学皆が同じ。
     同じ年齢の者が同じ内容を一斉に学ぶのはナンセンスです。
     皆が完全に習い、テストを受ける必要はない。

     機械を奪わない為に、寧ろ幼稚園、小学校から漫画でも構わないから、触れた方がいい。
     その代表は「竹取」です。

     高学年から原文に触れたら良い。なんとなくでも原文に触れる。

     中、高は選択式で良い。 そこから先は学問、趣味レベルです。
     教育は万人に大切です。でも学問レベルは人により違います。

     「自国の文化を無駄と思わない」事が大事。
     嫌いにならない程度に触れておく事です。それは全ての教科に言える事です。

     「古典を知る」事は原文にあるわけではありません。
     余所の国の人も古典原文そのままで習っている訳ではありません。

     幸い日本には学習漫画、一般漫画、ゲーム、ドラマと、沢山のツールがあります。
     原文を知るのはその後でもいい。
     ただし、ゲームや漫画で「学びたい」と思ったら。年齢を問わず公費で学部、機会を与えて欲しいです。

     全ての教科に言える事ですが。

     ある程度昔の本が読めないと、渋沢栄一畫読めないのは確かです。

     でも万人に渋沢栄一や古典、学問論が必要な訳ではありません。 

    トピ内ID:512c40c6d620eb21

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    できたら学んでほしいなぁ(現代語訳だけでも)

    しおりをつける
    🙂
    なな
    漢文は中国の書物ですが、必要に迫られて読み下しを発明し、『漢文』になりました。日本には文字がなかったので、和語に漢字を当てて記録し、のちに『かな』が生まれました。学ぶと言えば漢文だった時代が千年以上続いたから、御維新のとき、英語onlyでなく、日本語を統一し、時代時代の中国の言葉を日本語に変換(読み下し)したように外国の言葉を咀嚼して熟語を作り、私たちは日本語を喪うこともなく学ぶことができました。
    言葉はすべての基礎です。
    現代の言葉・概念も古文・漢文の延長から来ています。
    現代は日本語の幅がどんどん細り、それぞれの言葉の幅というか共有できる部分がとても小さくなっている気がします
    だから、昭和60年前後の作品ですらものによっては全く理解できない。
    逆に平安時代など昔すぎるものなら、わからなくて当たり前、外国の物語を読むように楽しめますし、文法も学べます

    多少学んでいれば古文書まではいかなくても昭和40年以前の文書を読めます
    共通する思想書や詩歌や物語があるほど、会話も楽です
    そういう意味では原書でなくてもかまわないとも言えます
    十代は意味がわからなくても乱読する時代です
    自分の中にアプリをダウンロードするように物語などを取り込み
    言葉も人間の型もどんどんストックする
    で、細かく表現しわけられるようにし、読み取れるようにする

    たぶん、生きるのが楽になります

    トピ内ID:ede6b6553c41ecef

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    全くない

    しおりをつける
    🙂
    たんぽこ
    日常生活において何の役にも立たないよ

    そうねぇ、役立つっていえば算数と漢字(しかも小学生で習う程度で十分)、少しの理科と知識としての社会と、何が一番役立つかってのは家庭科なのよ

    まぁ、漢文とかは昔の偉い事を言った人の言葉だしね

    知ってて損はないけど知らなくても別に何の問題もない事で


    じゃあ何故習うのかだけど、文科省が決めた事だから仕方ないのよね

    けどね、財産は人に盗まれてしまうけど知識という財産は誰にも盗られないからね


    東京  40代  女

    トピ内ID:6469c6f63deb445c

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    純粋に能力として必要

    しおりをつける
    🙂
    不自由な言語こそ円滑
    確かに学問として入らないけど、教養だからとか文化だからって主張が多いですが、私は純粋に古文漢文は学問として必要だと思います。理由は、修辞法や敬語、省略等の文章の基本が身に付く学問だからです。

    古文で厄介なのは主語の省略とか敬意の対象とかですよね。でもこれを習得しないと、普通の会話でそういったことができなくなります。現代文は評論と物語の二つにわかれます。主に勉強されるのは評論です。評論文では論理的文章の構成を学び、物語では会話や修辞法を学びます。しかしながら近代作家が書いた物語は、残念ながらかなり文法ルールから外れていることもあります。一方で古文漢文は、それ自体が千年単位の歴史で洗練されているので文章の質が高いのです。そして古文の題材を見ればわかりますが、日記のようなものが大半ですよね。つまり会話や修辞を学ぶのに適しているのです。

    修辞や省略などなくしてしまえという人もいます。しかしそれは、漢字を勉強するのは負担だから全部ひらがなで書けと言っているのと同じです。言語というのは一見わかりにくい部分があるからこそそこを共有することでより円滑になります。ハングルは漢字を廃止したせいで読みづらくなり、結局漢字を使う場面が多々あるそうです。やはり言語には省略や修辞が不可欠です。それを習得できる一番簡単な方法は、古典の授業だと思います

    トピ内ID:34d38eab26c09aa4

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    意味はある、私にとっては

    しおりをつける
    🙂
    唱遊
    「仕事をする上で役に立つか、社会に出て使うかどうか」を尺度に学ぶ意味を判断するなら、高校で習った数列だって、体育でやったハードルだって意味がありません。
    古文・漢文に限ったことではありません。
    ですが、そのような考え方をつきつめると、学校の普通科自体が不要になるのではないですか。
    小学校から将来の職業選択を考え、遅くとも中学校では希望を固め、高校からは各専門コースに分かれて、その職業に必要な事だけを効率的に学べば良いのですから。
    将来の道を選択できない人の猶予の場としてしか、普通科の存在意義はないことになります。
    当然、そういう人にとっては「あれも必要かも、これも必要かも」となり、学習科目は増えるでしょう。

    しかし、私は、そのような教育課程が日本で行われることになっても、古文・漢文には学ぶ意味があると考えています(数列も…)。
    他人に学べと強要しませんし、必修科目であるよう要望もしませんが、私は学んで本当に良かったし、自分の子どもにも学んでほしいと思っています。
    かつて古文・漢文を教えてくれた先生の素晴らしさに影響されたこと、古文・漢文に精通した人がそれに留まらずに世の中を広く深く洞察していた姿に感銘を受けたこと、漢文の話題で中国人と盛り上がって話し込んだこと…、いろんな経験があって、そのように考えるに至っています。

    どれも個人的な経験で一般化できないのですが、少なくとも私は古文・漢文を学べて幸せでした。
    年収を上げてはくれませんが、確実に私の世界を豊かにしてくれました。
    私は自分の大切な子どもにも、同じ喜びを味わってほしいと思っています。

    中高生が、文法など目先の煩わしさから「古文・漢文は不要」と言っているのであれば、どうぞご自由にと思います。
    しかし、将来のことを真剣に考えるあまりそう言っているのならば、「大人になったら、いつか楽しんでみて」と伝えたいです。

    トピ内ID:8f032749cec866fc

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    道徳的科目でもいいのでは

    しおりをつける
    🙂
    ねこ博士
    細かな文法や古語の暗記に終始してしまうので、全く面白くない。
    教養として嗜みとしてなら、点数をつけない科目にしてしまうことを勧めたい。
    大学受験以降は、古典漢文にはさっぱり出会うことはありませんでした。
    いいとこ故事成語くらいですね。

    なくていいかも。

    トピ内ID:cbba1092eaf444be

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    学校でやらなければどこで知り学ぶのだろう

    しおりをつける
    🙂
    おばはん
    学校の役割として、大切なことの一つに万人に公平に教育を授けるということがありますよね。
    万葉集の中の句をサラリと言える親に教養のある家庭が少なくない日本ではありますが、中には本など読んだことのないという親に育てられている子供たちも多数いるのも事実。
    自分の考えが全てではない事を知るのも学校の良さでもあります。
    古文、漢文、学校以外では趣味の本でしか触れない職種についていますが、今流行りの韓流ドラマ、中国ドラマを観るときにあぁと感慨深いこともあります。
    ドラマの中にある掛け軸の文字や論語も、何となくとっかかりがあるように感じ親しみやすい。
    漢字自体がね、クールでカッコいいとさえ思います。
    実は私の生まれ育った地方のことば、方言の言い回しや単語を古文の教科書で見つけた時の驚きとワクワク感は今も覚えています。
    標準語では使っていない表現なので単純に方言だと思っていたら、昔々のみやこことばだったのでしょう。
    京の都には遠いくにだったのに、言葉は同じだった?
    こんな事を考えていた学生のころ。
    貧しく、時代もあり高校を卒業してすぐに就職してしまいましたが、勉強出来たら楽しかったでしょうね。
    全国にどのくらいいるかわからないけれど、公平に色んな事を学習する事は絶対に必要です。
    あなたに、ささっていないというだけで、誰かに強く響いている事がたくさんあるでしょうね。

    首都圏在住、五十代女性。

    トピ内ID:441ed22ac1c94886

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    教育方法の問題

    しおりをつける
    🙂
    けだし
    ここで「社会の役に立つ・立たない」から「意味がない」という短絡的な
    論調が出てくるのは、古典を壮大な文化的価値とした教育内容になっていないから
    なんでしょうね。

    欧米(のキリスト教圏)の学校では古典といえばラテン語学習があります。
    ギリシア・ローマ時代の大昔のお話を学ぶわけです。

    日本もまったく同じで、日本文化を形成・熟成していった礎が古文や漢文にあるのです。
    当時の人達が社会や日常をどう考え、どう生きていたか?それらの重要な
    記録なわけですね。そんなこと社会の(仕事に)役に立つなんてことはありません。
    役に立つとか立たないとか、そこを論じてしまうとどんな科目だって不要な人には
    不要になりますよ。

    つまり何を意味しているかというと特に欧米では「それが自分達の礎となっている文化」
    =「自分達の精神的支柱」という背景がある以上、科目に入れる必要があるし
    先生だけでなく学生も学ぶことに意欲的です(もちろん中には退屈な学生もいるし、
    同様に学んだところで社会の役に立たないと言う人もいますが)。

    過去を知る、過去を学ぶというのは一見不要なことに見えますが、
    その時の考え方や行動様式などは今に通じるものもあると思います。

    古文・漢文という科目を退屈にさせている要因の一つにはその教育方法に問題点が
    あるんだろうし、過去先人達が記していたことが今の時代につながっているという
    そういう教育をしない限りこの問題は解決しません。
    いつまで経っても「社会に出て役に立たない」なんているズレた論調ばかりに
    なってくるのです。

    トピ内ID:03f23c87b24d8ca1

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    古典文法も、元素記号を覚えるのと同じ。

    しおりをつける
    🙂
    里のたぬき
    IT教育やお金にまつわる知識などは、今は義務教育でかなり基本は教えていますよ。小学生から簡単なプログラムはやりますし、消費者問題、金融の仕組みの基礎、公的年金の知識など、どれも小中学校でそれぞれ扱います。
    一方、古典や漢文は扱われるのは中学生になってからで、義務教育で勉強することは古典や漢文に親しむ程度の内容で、文法はほんの僅かです。
    古典や漢文の文法を活用形も含めて体系的に学ぶのは高校生からです。それは、化学で元素記号を覚えるようなものだと思います。中学でも元素記号は覚えるけれど、中学理科で使う基本のものだけで、それらは実生活でもよく出てきます。しかし高校になるとほぼ全ての元素記号を覚えることになります。実生活ではほとんど聞かないような元素もありますが、高校程度の学習をするのに前提となる基礎知識として必要です。古典文法も、それと同じです。
    仮にも高校生として勉強するなら、その程度の暗記くらいちょっと頑張ればできると思います。何のために、高校以上の勉強をするのか考えれば。ちなみに、IT(情報処理)や経済についても高校でもさらに学びますよ、今の高校生は。
    また、高校生の勉強が実生活で役立つかどうかを議論することは、意味がない気がします。実生活で必須になる勉強は、義務教育でしているのですから。高校からは、義務教育よりも高度な教養を身につけたり、大学で専門的に学ぶ場合に必要になる土台作りのための勉強だと思います。
    高校生が何のために小難しい勉強するのか?といえば、そもそも小難しい勉強をするための教育機関に行っているのだからと思います。それよりも実生活や仕事で即戦力になることを学びたいなら、商業や工業系の高校や専門コースのある高校または専門学校に行けば良いと思います。そういう需要が高まれば、普通科の高校が減って実践系の高校が増えるでしょう。

    トピ内ID:9040f09e8a770ab3

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    言葉を尽くしても現代語では足りない

    しおりをつける
    🙂
    ゆうこ
    古文や漢文には現代語では言葉を尽くしても伝わらないニュアンスを的確に伝える単語や文章が幾つもありますよ。

    例えば、私は以前すごく尊敬している同業の先輩の前では緊張して上手く喋れず落ち込んでしまう事がよくあったのですが、源氏物語を読んでいて『はずかしげなるここち』という言葉を知り、ハッとなった体験があります。
    『はずかしげなるここち』とは、「相手があまりに高貴で尊いので、対面しているとこちらが恥ずかしくなって消え入りたくなってしまうような状態」を表す古文です。
    本来は天皇相手などに使う言葉ですが、私が先輩に対面する時の緊張状態を『はずかしげなるここち』だと認識して以来、「なぁんだ、緊張するのは当然なんだ」と妙に納得してしまって、むしろ気が楽になりました。

    人間は、自分の気持ちや状態を表す的確な言葉を知ると安心できる生き物です。
    具合が悪い時に医者から「風邪ですね」と言われたら楽になるのと同じように。
    的確な言葉を知れば、頭の中が整理され、感情に乱されず次の行動に移れるメリットがあるんです。
    その点で、古文や漢文には、現代人が言葉を尽くして説明しても中々伝わらない感情や状況を的確に表現した単語や文章がたくさん出てきて大変有用ですよ。
    特に、現代にも残る和歌や漢詩などの中には、短い文の中に的確に、豊かに、深く、多くの感情や状況が説明されています。
    現代を生きる私たちは凄まじい速さと量の言葉に触れていますが、古文や漢文の中にあるただの『一言(ひとこと)』に救われる瞬間も実は多いのです。

    トピ内ID:9aae5ad1edd7da22

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    泥棒にすら盗まれない財産

    しおりをつける
    🙂
    四槓子
    お金とか不動産とか、そんな財産は他人に騙されたり奪われたりするけど、唯一誰にも奪われず、自分で増やし続けられる財産が「教養」だと教わった世代です。

    芸は身を助く、教養は身を助くと昔から言われたもので。

    「教養」=「品格」=「戦闘装備」でしょうか。

    社会で働くようになると、それが身に染みてわかるようになりました。
    私の場合、おバカな学生時代を過ごし、趣味と娯楽に遊び呆け、何も身につけず社会に出て散々な目に合いました。

    希望の就職先に入れたのに、配置されたのは全くの分野違い、古い法律文書を理解しなければならない仕事で、独自の文体に四苦八苦。
    それに回りは年配者ばかりで、会話のレベルも違うわけで、この時ほど古典や漢文をしっかりやっておけば良かったと思いました。
    あまりにも偶然、こんな人事があるのかと、もう連日吐き気と目眩が。

    本当に人生何が起こるかわからないもの。
    そのためにも、学生のうちに教養という装備は何重も用意し、社会に出るようにした方がいいと思いますし、歳を経てもそれら知識を増やす作業が格段に早くなります。

    古典漢文に限らず、教養は自分の身を助け豊かにする財産だと思っています。

    トピ内ID:b985d0177ea74b73

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    逆風を承知で言います

    しおりをつける
    🙂
    ネギータ
    古文漢文に取り組むと、考え方の幅が広がります。情緒が安定します。語学とはそういうものだと思います。
    当然のことながら、読書のジャンルも興味も広がります。
    あと、取り組まなかった人よりは取り組んだぶんだけ頭が良くなる気がします。取り組んだらわかります。

    トピ内ID:f946dc40fd4fa010

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    うーむ

    しおりをつける
    🙂
    役に立つかどうか・・・などと言い出したらキリがないと思います。
    数学の微分積分が役に立つのか?
    世界の有名な作曲家や芸術家の名前を憶えて何の意味がある?
    小学生がリコーダーを演奏しなければならないのは何故に?

    と、役に立つかどうかが疑問に思えることはごまんとあります。
    実際、政府の一部では大学の文学部は意味がないから縮小すべきなどと唱える人もいたそうですから。

    結局「勉学」というのは色々な分野のことに少し触れてみて、頭を柔軟にして、自分の興味のあることを見つけ出していくプロセスなのかな?と考えます。
    私は海外なのですが、こちらの学校では日本みたいに「教養」に関するようなことは学校では習わないです。ベートーヴェンがモーツアルトがなんてこと知らない人が大半だし、モネがマネが・・と言っても話が通じません。シェークスピアも高校生になって選択科目でとらなければ全く触れないままです。
    算数や数学にしても、日本で習ったような広範囲なことは全くしていません。え?これを中学・高校でやるの?日本では小学・中学でやるよ・・・って感じです。私は日本では文系だったのですが、こちらの大学院(経営)で出て来た数学のレベルが高校の文系レベルで驚きました。

    芸術の知識がなくても古典の知識がなくても、優秀なお医者さんはこの国にもたくさんいるし、エンジニアやその他の専門分野の人もたくさんいます。
    なので、日本人だって古文や漢文を習う「必要」はないと言えると思います。
    でも、どんなことでも知らないよりは知っているほうが会話の厚みが全く違うだろうし、その人の人生の経験値が違ってくると思います。
    哲学的なのかもしれませんが、その人の思想や思考に大きな違いがあると思います。

    学校で人生の中における興味への取り掛かりを教えてくれるのはラッキーなんだと思えば古文や漢文も楽しいかな?私自身は好きでしたけど。

    トピ内ID:38be7af625151a39

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    専門を出ました

    しおりをつける
    🙂
    りりん

    漢文の権威がいらっしゃる大学の、中国文学専攻でした。
    ぶっちゃけ私自身は、行きたかった名門大学を受験したら、たまたまそこに受かっただけなのですが(笑)

    みんな、憧れの教授がいるととこだ!!という事で、キラキラしてましたね〜。

    生きていく上で必要か不必要かというと、必要ないでしょうね。
    教養、下手すると趣味の分野に入るかもしれません。
    でも、奥深くて良いものですよ。
    日本の文化のルーツだと思います。
    その時習ったホロりと染みる漢詩は、今でも私の根底にありますね。

    トピ内ID:fa0343dbcaa20dd3

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    古文漢文を学校で教えない社会とはつまり、、、

    しおりをつける
    🙂
    コトコト
    関東地方40代女性です。

    もし学校で古文も漢文も習わなかったらどうなるか。
    古文、漢文の存在さえも知らない人が出てきます。

    死んだおばあちゃんの家を整理していたら、古い帳面のようなものが出てきました。何が書いてあるのかさっぱりわからないので捨ててしまいました。
    でも実はそれ、江戸時代の地域の記録が書かれた重要な古文書でした。

    などということも考えられます。

    確かに、学校を出て古文漢文の知識を使うチャンスは少ないかもしれません。
    でももしその少ないチャンスに、古文漢文の知識ゼロの人が当たってしまったら悲劇です。
    おばあちゃんちの古い帳面を捨てていいと思うかどうか、それが学校で古文漢文を学ぶ意味そのものだと思います。

    古文・漢文を学校で教えない社会というのは、自国の歴史を重要視しない社会です。
    私たちは何者なのか。どこから来て、どこへ行くのか。
    科学技術ともお金儲けとも関係はないかもしれないけど、人間として生きてく以上、無意味な問いではないはずです。

    トピ内ID:348c8fc9c790bd9c

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    基本教養として意味はある、かな。

    しおりをつける
    🙂
    ひよひよ
    社会で役に立つかどうか、は別として、古文漢文は、日常生活の中でちょいちょい触れる機会があるものなので、日本人の基本教養として、学校のカリキュラムに含まれる意味はあると思う。

    百人一首とかで触れる和歌や、松尾芭蕉の俳句とかは割とどこでも聞くし、また源氏物語や、雨月物語等は今でも漫画になったり小説になったりしてますし。 個人的には、徒然草とか枕草子とかの随筆も面白いなとおもうし
    また 漢文自体も、論語や孫氏とかは、今でも読まれている本なので、その一端に触れられるのは、大事だと思う。漢詩は、今はかなり日本ではすたれているけど、それでも有名なものはたくさんあるの(国破れて山河あり、とか)で、そういうのが漢文なんだよ、というのを知る機会が用意されているって大事かなぁ。。。 

    ITや英語の授業は学校外でもお金払っていく人もいるだろうけれども、古文や漢文をわざわざ学びに行く人はすくないから、やっぱり学校の授業という枠の中にはいっていてほしいなぁと思います。

    興味ない人には苦痛かもしれないが、光源氏って誰くらいは知ってていいとおもうし
    春はあけぼの、が何かわからない人ばっかりになるのも日本人としてはさみしいなぁと思うので。




    トピ内ID:1bb1945bb5b34c5a

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    古文と漢文は別のもの

    しおりをつける
    🙂
    のき
    まず断っておきますが、私は古文、漢文は高校までの知識しかありません。そういった意見なので、未熟なものですが、気になってしまったので書かせていただきます。
    私は漢文は好きでしたが、古文は苦手ですし好きにもなれませんでした。
    理由は、古文で習った文章が、内容がチープというか、今だと漫画みたいな話ばかりで、正直日本の文化がこれだ!とか言われるとなんだか悲しくなるようなものが多かったためです。良い作品もあるのかもしれませんが、私の人生には顕れなかったのです。
    ただ、俳句や短歌などでは私でも知っているような作品でも、素晴らしい作品もあるので、一概に否定はしませんが、ある程度長い作品では、もうちょっと良い作品はなかったのか、と思ってしまったのが正直なところです。
    漢文は、とても有名なものでも雄大さを感じさせる作品、若くても年をとっても読める作品が多く紹介されていますし、別の国の文化を学ぶという意味もあるのでそれは必要だと思います。
    感覚でしかありませんが、私にとって古文は過去の遺物、漢文は世界との繋がり、なのでひとまとめにするのは違うのではないかと思います。

    トピ内ID:927a1a9a008d2eb5

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    学校だからこそ

    しおりをつける
    🙂
    スマイル
    古文や漢文の知識は、間接的に人生を豊かにしてくれるものだと思います。

    古文や漢文を自分で選んで学ぶことって、仕事に必要でもなければほぼ
    ないでしょう。

    直接的に暮らしに役立つものではないからこそ、
    中学校や高校で強制的に学ばされる、というと聞こえは悪いですが、
    学ぶ機会を与えられることはとても価値があると思います。

    音楽、道徳、書道、体育の授業も然り。
    必要ないもの(=遊び、余裕、つまり無駄)が多いほど、人生が豊かになる、
    生きるのが楽しくなるような気がします。

    トピ内ID:f7ebe880fd2227dc

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    古典をチープに感じてしまう理由

    しおりをつける
    🙂
    里のたぬき
    古典はチープなものばかりだとの意見がありますが、そう感じる理由は次の3つだと思います。
    1、高校時代の古典の授業の質や、授業で扱かわれた作品による
    2、各国の上代・古代にあたる時代に書かれたもの(日本なら平安中期頃まで)は、どの国でも神話や説話、宗教色の強い物語など多い
    3、漢文と古文を単純に比較しても、それぞれの書かれた各国の時代背景や当時の文化の成熟度が違う

    特に3についてですが、例えば論語で知られる孔子が活躍したのは紀元前の時代です。それに続く儒学の思想家が多くの優れた思想書を書き記すのも紀元前です。その頃の日本は文字どころかまだ縄文時代です。聖徳太子が書いたと伝わる日本最古の書跡は、孔子の時代から約1000年後のもの。
    その後、日本でも独自の和歌が詠まれたり、数百年後には国家の一大事業として記紀が書かれたり、万葉集が編纂されたりします。さらに平安時代には日本独自の文学が花開いていきますが、まだまだ文学の黎明期。1000年以上先をいっていた漢文学と比較しても…。
    しかし、黎明期だからこその生き生きとした表現、同一人物が書いた作品が書きながら洗練されていく様も見られ、深く学べば興味深いです。
    また高校の授業は、学校にもよりますが、古典のわかりやすい部分や典型的な部分を抜粋して扱われる事が多いように感じます。源氏物語も、わかりやすい典型的な物語の部分ばかりが取り上げていたりします。登場人物の心情や背景などを丁寧に描いた部分は、あまり扱われません。または、その部分をきちんと教えられる教師かどうかにもよります。
    そもそも、古語や文法が身に付いていない学生が平易に現代語訳されたもので理解しようとしても、原文の味わいは伝わりません。ある程度は古語や文法を身につけて原文から読み取れるようになると、理解が深まります。多少面倒な文法も学ぶ意味はあるでしょう。

    トピ内ID:9040f09e8a770ab3

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    古文はともかく漢文は学んだ方が良い

    しおりをつける
    🙂
    かぜのたみ
    日本語の成り立ちを考えるにあたって古文も漢文も必要だと思います。

    ただ、古文は仮名文字を使った文学がメインですので、優先順位とすると漢文の方が優先的になります。
    昔の公文書は漢文でしたし。

    もし、ビジネスの世界で生きていくなら孫氏の兵法なども知っていると、戦略を立てるのに役立ちます。

    中国地方、40代、女性

    トピ内ID:50b9eadbfbc6501d

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    いつか分かれば

    しおりをつける
    blank
    昭和の少女
    高校生の頃、数学の先生が難しい問題に関して「どうしても分からなければ仕方がない。しかし何十年後かに分かる可能性もないとは言えない」とおっしゃったことがありますが、中高生の年代に古文や漢文で記されている内容を実感できなくても、後から学び直す手がかりとなるようその存在を知ること自体は必要だと思います。また、あらゆる分野が機械化され合理性、効率性が求められる時代であるからこそ、あえて過去や人の心を見つめ直すことによりバランスを取る意味でも古文や漢文の授業は残してほしいものです(「道徳」を点数化することよりは意味があるように思えます)。
    工学部を卒業後、大企業の海外拠点で活躍する人が「外国の人々に日本の古典や歴史、文化について聞かれることも多く、専門外と考えずにもっと詳しく勉強しておけば良かったと思う」と述べていたことがありますが、自国の文化を学ぶことなくして国際教育が成り立つとは考えられません(文系学部では逆に外国文化を学んでから日本文化を見直すことが必要だと言われましたが)。
    ただ、中学や高校の授業では音読と文法の解説が同時並行されるため、生徒が独特の情趣を味わい思索を深めるせっかくの機会を奪っているように思えます(文章を少し読み進むたびに品詞分解や読み下し記号で中断され、落ち着いて鑑賞できない)。訳本を読んでから原文に入る、文法や古語に関しては逆に最新技術を駆使して理解しやすい教材を作るなど、他教科との連携も含めて指導の流れを柔軟に変える必要があるのではないかと思います(理想としては純粋に鑑賞や作品の一部を演じて疑似体験できるような時間が設けられていればよいのですが)。

    トピ内ID:762296f64811b452

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    「意味がある」「ない」のレベルではない

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    blank
    教育関係者
    50代、海外在住です。

    「学校を出たらほとんど使わない」「英語やITのスキルを学んだ方が社会に出てから役立つ」こういう言説が行われること自体に愕然としています。

    学校教育は、「社会に出てから役に立つ」「学校を出たら使わない」という観点で判断できるものではないのです。また「役に立たない」「使わない」というのも誤りです。表層的な部分で言えば、確かに微分積分や漢文を日常で使っている人はごく一部でしょう。しかし、それらは知識の「土台」をなすものなのです。
    そういったもの無くして、ITなどの現今の技術的な知識のみを偏重するのは大きな誤りです。

    学校教育の目的は、知識の涵養、人格の陶冶です。アインシュタインの有名な言葉に「学校で学んだものを全て忘れてしまってなお残るものが、教育である」というのがあります。これはまさに学校教育の目的をうまく言い表しています。学校で学んだことを忘れても、社会人として真っ当に生きていける人間を育てることが、教育のそもそもの目的なのではありませんか。ITの知識も結構ですが、それはすぐ変化していくものでもあります。そう言ったものだけの教育を受けてきた人が、どんな大人になるでしょうか?英語も必要でしょうが、
    自分の言葉で考え、表現することを学ばなかった人間が、英語で上手にコミニュケーションできるとは思えません。

    古文漢文は、現在の日本の文化の根幹にあるものです。そして知識とは、結局、そういう過去の集積です。知識の積み重ね無くして、新しいものは何も生まれません。ITだって、過去の知識の集積がなければ生まれてこなかったものです。過去の多くの人間が刻苦勉励して学んできたものだからこそ、今誰もが学べるような状態になっていることも忘れてはいけないと思います。そうした「過去」の知識を切り捨てるのは、大変愚かなことだと思います。

    トピ内ID:526c8a9dab13c126

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    ギリシァ・ローマ古典ほどではないが、学ぶ意味はあります

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    🙂
    まいまい
    漢文・古文は、日本の思想・情感の基礎に当たります。

    日本の倫理が儒学を基礎としていることは明らかですし、漢詩も日本の情感の何割かの基礎です。 また漢語の造語力は大切で、それが失われたからこそカタカナ言葉があふれているのです。 また、日本の古代以来の法律や公的記録は多く漢文乃至漢文まじりで記されているので、漢文の知識なしに日本史を資料から理解することはできません。

    また、古文は一方で物語や和歌を通して日本人の情緒の大半の理解に必要です。 和歌や俳句を読むことは現代人にも重要な教養です。 また神道の資料も大半が古文で書かれています。

    日本史や日本文化という自国の文化を原典から理解できなくて、国際性など浮ついたものでしかありません。

    ただ、古文教育に近世文語文が殆ど入ってこないことは好ましくないものではあります。

    このようにして、古文・漢文の学習は有意義なものです。

    ただし、同じ古典でもギリシァ・ローマ古典に比べると必要度は落ちます。 ギリシア哲学は論理的思考の訓練に(格変化や動詞屈折など厳密な解釈が可能なことから)大いに役立ちます。 ラテン語も中近世の哲学や法学において同じように思考訓練の基礎となります。 しかし、漢文・古文はそのような厳密さがなく、思考訓練の役にはあまり立ちません。これは、残念なところです。

    トピ内ID:fc580c1f9346acfc

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    相対化のために必要

    しおりをつける
    🙂
    かき
    今の価値観・言葉の使い方しか知らないというのは、考え方の発展を妨げると思います。枠があること自体に、気付くことができないからです。

    最初から作家になろうとか文学者になろうとして古文・漢文を学ぶ人はおらず、科学者についても然り。学んでみてその世界の豊かさや楽しさに感銘を受け、その先に進むというものだろうと思います。
    高校生までの数年間、現代国語とは異なる文法や作品(=考え方)に触れることは、専門の文学者にならずとも刺激的かつ知的な体験というものであろうと思います。

    私は大学は理系でしたし、古文・漢文は高校までですが、それが無駄などと思ったことはありません。AIが「必要なこと」をこなすようになっていく世の中で、人だけが加えられる感動とか発想があるのかを考える時、一見「無駄」な知識の方が価値をもつ可能性が高いのではないかと思っています。

    トピ内ID:b4288deda4c41b3d

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    チップス先生さようなら

    しおりをつける
    🐤
    東奔西走
    今ではあまり読まれないかもしれませんが、珠玉の短編として私が愛する小説に
    英国のジェームス・ヒルトン著『チップス先生さようなら』というものがあります。
    イギリスのパブリックスクールの物静かなラテン語、古典の教師です。
    記憶の中から引っ張り出すので意訳になりますが、生徒との問答です:
    >>>こんな死者の言葉に時間を努力を費やして、何になるんですか?
    >>>役に立つとか、立たないとか…。人生が豊かになるだろう?
    >>>例えば、日曜日の午後、お茶を飲みながらクロスワードパズルをする。ヒントや答えにラテン語の単語出てきたら、やったぁ!と嬉しくなるだろう。それで十分じゃないか。それだけではいけないかね?

    この会話は私の中でずっと生きています。
    万葉集から古典、漢詩、に至るまで、日々の生活で追体験すること、あぁ、これだったんだ、この情景、この情感があの言葉で、この文言で端的にすっきり、美しく清められ述べられていたんだ、と感動すること、多々あります。
    また、実際中国の人と会話はできなくても筆談で「漢詩」について語り合ったこともあります。
    今、海外在住で日本語「も」教えていますが、自国の、そしてその源になった文化をしっかり身につけていることは自分のアイデンティティの保護と、誇りに繋がります。
    生まれた環境に誇りを持てない人間は、尊敬もされません。そういうものです。知っていて決して損はない。人生が生活が豊かに、視野に奥行きがでる、それだけで十二分です。
    無駄???人生の無駄はそういうものではありません。自分の内面、教養を深め高めることを無駄とは言いません。
    誰にも奪えない宝物です。

    居住地:中央欧州
    年代:60代
    性別:女性

    トピ内ID:f9fc3edbca9be6a6

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    変えても良いかも

    しおりをつける
    🙂
    三色アイス
    これら原典の歴史的、文学的価値は言うまでもありません。
    こういう作品に触れることは物事の見方、考え方を広める重要なことです。

    にもかかわらず取っ付きにくいのは原典をそのまま読むこと、
    独特の文法や表現、表記方法などが難しくハードルとなっているのでしょう。
    だからと言って口語訳で済ませられるかというと、その訳者の主観が交じって
    真意が伝わらないこともあります。
    例えば日本でも人気の三國志は中国の「三國志演義」が原典ながら
    吉川英治氏の小説が広く親しまれています。
    ここで良く描かれているのが劉備で人気を博していますが、
    中国の人たちには冷酷無比の曹操が理想のようです。
    これも作者の描き方のバイアスによるものでしょう。

    原典に当たるのは必要で是非とも作品に触れる機会を持ってもらいたい。
    ただし、それを大学入試試験問題に取り上げるかどうかになると私は否定的です。
    試験を気にせずもっと多くの作品を楽しんでもらいたいと思います。

    トピ内ID:47ee2bdbf6c0f780

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    故事成語

    しおりをつける
    🐱
    白猫
    漢文を学ばないということは、故事成語とその成り立ちとなる原文に全く触れないということですね。
    すると、故事成語の意味を把握していない大人たちが増えるということになります。

    燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや 
    呉越同舟
    漁夫の利
    覆水盆に返らず
    孟母三遷の教え
    李下に冠を正さず

    このような故事成語が書いてある文章があったとして、意味がわからずぽかーんとしている
    いい大人がいたら、呆れてしまい、知的レベルを疑うかとおもいます。

    漢文は、ちょうど、西洋人にとってのラテン語のようなものとおもいます。
    今は消滅した言語であるラテン語は、現代の英語・フランス語・イタリア語・スペイン語などに多くの影響を与えていますから。

    西洋人のうち一部の知識人は、我々日本人が数千年前の古代中国語の文献が読め、
    かつ、アルファベットで記載された欧米の言語も読めることを羨ましく思っているそうですよ。

    トピ内ID:984936edce76ff24

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    あらゆる方言は文語体の前に皆平等

    しおりをつける
    🐱
    猫股旅
    古文を習ううちに文語体に関心を持ちました。
    平安期の人は、そのままそれで日常会話をしていたそうなので。
    例として、「それは私も見たよ」を本当に「そは我も見たり」と言っていた
    そうなので。
    表題は、ある古文研究者の至言です。

    トピ内ID:e9266891f5257a9c

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    心の豊かさ

    しおりをつける
    🙂
    吞龍
    お題;  『古文・漢文を学ぶ意味ってある?』

    私の答;
    実用的価値は 殆ど無いが、教養として意味がある

    では 教養とは 何か?
    私の 愛用する辞書では、概ねこんな記載がある
    >文化に関する広い知識を身につけることによって養われる心の豊かさ

    そう、キーワードは、、心の豊かさなのですよ。

    中高生にとって 『心の豊かさ』なんて抽象的なものには
    何の価値も無い  と思うかもしれませんが、
    そんなことはない。大人になれば 気付きますよ。

    トピ内ID:5c9193edace6a878

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    1000年以上前に書かれた文学

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    🙂
    ぽち
    意味があるかどうかは、個人個人の考え方だけど、古文や漢詩を読むと、ものすごく前から、人間って同じように感じていたんだなあって、思います。

    古文なら、平家物語の
    「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。~奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし」
    漢詩なら、杜甫の
    「國破れて 山河在り 城春にして 草木深し」

    どちらも、今を生きる私たちにとって、自分の生き方を考える一つの指標になる。ことないですか?
    だから、今なお文学として残っている。

    後、私が覚えていて好きな漢詩は、司馬遷の史記の、戦争をしていて「四面楚歌」になった項羽が呼んだと言われている(?)
    「虞や虞や汝を如何せん」
    虞美人草の花の名前になった愛人の虞美人さんへの言葉。
    時代は離れていても、人の気持ちはあまり変わらないんだな。何となく項羽に、親しみを感じたり…。

    音楽も文学も、長く残っているものは、共感したり愛されたりするものだからなのだと思います。
    それをどう読むか?は、教える方もとても難しいとも思いますが…。

    トピ内ID:7d9d56f64bf8447d

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    受験科目にする必要はない

    しおりをつける
    🐤
    マルガリータ
    最近の受験事情はまったくわからない文系大卒アラフィフ女性です。

    古文・漢文も含めて国語は得意でしたが、確かに「必要か?」と言われると、高校を卒業した後、教養以上の役に立つことはなかったですね。

    教養としての意味、また現代の日本語が成り立つ過程を知る意味はあると思いますが、受験科目に含める必要があるかと言われると、ないように思います。

    現代文や英語(外国語)、数学等は、大学以降の学問や社会に出て生きていく上での基礎力という意味で必須だと思いますが、古文・漢文はそうではありませんから。

    進学後は使わない、しかも長年日本で勉強していないとわからない科目なので、外国から移住や帰国してきた生徒さんにとっては、ハンデになりますしね(個人的には日本史もそうだと思います)。

    勉強することに意味がない、とは思いませんが(むしろあると思いますが)、音楽、美術、体育などと同様の位置づけで十分ではないかと思います。教養として楽しめばよく、成績を気にする必要はない、ということです。

    あと、漢文についていえば、中国の方は中国語で親しんでいる文学作品なのですから、日本語で書き下したものを読むだけではなく、中国語で読んだらいいのに、と、思います。40代になってから、趣味で中国語を習っているのですが、日本の学校には、中国の古い漢詩を日本語で読むという授業がある、というのは、なかなか説明が難しいですね。

    トピ内ID:c8ea43e77d1bf165

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    幾つもあるのでは

    しおりをつける
    🙂
    睦緒子
    良識や教養の入り口となります。
    すべての大学には一般教養という単位科目があります。工学部の学生でも国文学とか心理学とかを卒業要件の単位とすることが出来る場合があります。教養は様々な学問の基礎として重要なものだと考えられています。

    明治時代になるまでは数学とか外国語の勉強は存在しませんでした。その時代の勉強とはその時代の昔の書物を読むことでした。昔の時代の昔の書物と言えば主に漢文です。暗記したりもしました。科挙もそうですね。私にはよく分かりませんが、そもそもが優れた文章なのでしょうね。

    また古文は今の現代文の言い回しにおける直系のルーツです。今普通に使っている文字や言葉の元となるものに触れることは日常生活の基礎として大切なことです。ほんの少し前の作品ですら旧仮名遣いです。

    芸術性もあります。情操教育とか言ったりします。文学作品の鑑賞などがそうです。古文が採用されるのは、実はこれが一番大きな理由ではないかと私は考えています。

    義務教育では芸術系の授業が存在しますよね。日常に直接役に立つものではありません。それでも貴重な授業時間を費やして芸術というものを体験します。それは、この機会でなければ皆さんが古典的な芸術に触れる機会がとても少ない、ということを危惧している人がいるからです。

    あかねさす紫草野行き標野行き……という歌を教科書で目にしたときの衝撃は今でも忘れません。言葉の美しさ、リズム感、そして単に情景を表しているのに、そこに深い意味があるのだろうなあと思わせる技巧。そんなことを考えると、自分がその時代のその場所にトリップして、自分のこれまでの経験で作り上げた風景が目の前に広がってきます。ほんの31音でです。芸術とは、そのようなものを言うのだろうなあと思わされます。室生犀星や川端康成も良いですが、古文には独特の良さがあります。

    トピ内ID:6507deff5778975e

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    ある

    しおりをつける
    🙂
    ss
    >古文・漢文を学ぶ意味ってある?
    あるでしょ。歴史を学ぶのと同じだからね、日本語(言葉)の歴史でしょ。
    古文はもとより漢文だって日本語でしょ。外国語を学ぶ以上に意味があるでしょ。
    まあ、学校の古文漢文は平安期の中古日本語が主みたいだからそういう所でちょっとだけどね。
    まあ、江戸時代の物もあるけど。

    まあ、歴史は日常生活には直接関係ないってのはそうだけどね。寝て食べる、だけが人生じゃないからね。

    トピ内ID:53dfb7b5d8bb784f

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    限られた授業数、現代文の学びの方が重要

    しおりをつける
    🙂
    玄米米子
    正しい日本語、伝わる文章、どれだけ学校で教えられているのだろうと疑問です。
    現代文が充分とは言えないのに、古文漢文を中学高校でやる必要があるとは思えない。

    学びが無駄だとは思いません。
    でも本当に必要な学力が身に付いてのプラスアルファの学問ですよね。

    大学以降、
    趣味、
    もしくは選択科目でいいと思いますよ。

    トピ内ID:47e43fdbf6b8c4f7

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    古文に関係するのかな?

    しおりをつける
    🙂
    りゅうせい
    古文に関係することなのか微妙な話ですが。

    有名な某翻訳ミュージカルの歌詞なのでご存じの方も多いかと思いますが、
    主人公が最後に「我が愛は終わりぬ〜」と歌い上げます。

    ネットをつらつら見ていて最近知ったのですが、この歌詞を「私の愛は終わらない」と解釈している人が
    結構いるようで、とても驚きました。意味全く逆じゃん。

    この例は純粋な古文ではないですが、現代文の知識だけでは確かに間違って解釈するよなぁと納得しました。

    トピ内ID:4b1db72b9dd0029a

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    ない

    しおりをつける
    🙂
    ごごてい
    あまり必要性を感じません。選択科目で良いと思っています。

    学生時代は国語が得意で嫌いではありませんでしたが、必須で習わなくても全く問題ない科目だと思います。

    それよりもプログラミングや経済、論理的思考など、現代で大事な新科目があるかなと。そちらを取り入れて、昔ながらの科目を少しは圧縮しないと、勉強すべき科目ばかり増えるので、一旦整理するのが良いかなと思っています。

    トピ内ID:c356a9b4c49d35d3

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    試験は必要ないかなー、とも

    しおりをつける
    🙂
    はるな
    ちょっと知っていると何かの機会に少し楽しいことはあります。
    でもそれは「春はあけぼの~」や「田園まさにあれんとす」であって「こきくくる~」ではないんですよね。

    文法とか試験はなくてもいいんじゃないか、
    日本人として百人一首を全部でなくても半分くらい覚えておけば、
    と思います。

    もちろん好きな人は極めたらいいと思うのですが。

    トピ内ID:c5000557ecdbacaa

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    勉強は何でも意味がある

    しおりをつける
    🙂
    50代大学生
    50代の通信制大学生、女性です。
    勉強の内容が実際役に立つか立たないかは皆様にお任せします。

    この年齢になって勉強に悪戦苦闘してる身からすると、若くて吸収力抜群の子供の脳に不要な勉強なんかないです。
    数学や物理は理論的思考が鍛えられる。
    文学や古典は読み解く力が鍛えられる。
    芸術は感性が磨かれる。
    体育は身体が鍛えられる。
    まあこれらはほんの一部ですが、脳や体はあらゆる刺激を与えられて発達するのです。

    勉強はその内容が役立つというより、勉強して脳を鍛えたという経験に意味があると思ってます。
    だから勉強の内容そのものを忘れてしまっても鍛えられた脳は子供時代の遺産として残るのです。
    鍛えられた脳は一生の財産です。

    トピ内ID:e79a0c847596b895

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    言語は思考

    しおりをつける
    🙂
    よつと
    言葉がなければ思考は生まれません。

    多くの言葉を知ることは多くの思考を知ることになります。

    現代日本語では表現できないことが、古文や漢文には含まれます。

    学んでなければ、その思考を理解することすらできないので、学ぶ前にその価値を真に理解することはできません。
    学んでないのに学ぶ価値がないと断じることは因果関係が破綻しています。

    言語学を題材にした映画に「メッセージ」があります。
    フィクションなので言語を学ぶことで運命まで変わってしまうのですが、言語学の大切さを上手に表現していると思います。

    言語学は大切なのですが、中高生に必要かは難しい問題ですね。
    存在は知っていても良いと思いますが、詳細については大学以降だけでも十分かもしれません。

    関西、40代、男性

    トピ内ID:dfcda46c33a83503

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    すっと頭に入ってくる人は学べば良い。私には不要です。

    しおりをつける
    🙂
    夕凪
    高校時代、現代文、古文、漢文の授業があった。
    古文はやろうとしても、全然頭に入ってこなかった。
    面白くないし。

    素養、教養として好きな人は、学ぶ意味はあると思います。
    人は一部の人を除いて、まんべんなくジャンルを学べないので、好みの勉強をしたら良い。

    私は理系だったかな。ヘボい理系だった。

    ちなみに、古文と漢文は、あるときやらないと決めたので、一切勉強しませんでした。
    国語試験は、現代文+古文+漢文なので、現代文だけの60~70点満点の試験でした。
    古文、漢文は、記述は白紙、◯×は適当にした。
    現代文も良くなかったので、赤点を取ってました。
    先生に呼び出されて、どうして古典、漢文を勉強しないんだ。と言われた。
    おまえ学年で下から1位2位だぞ。 でも先生は最低評価で進級させてくれた。

    現代文は、高校の勉強としては嫌いだったけれど、駄文ばかりの評論文、だったからと今思ってます。

    文学には美文があふれていると感じています。短い歌の歌詞には、感動していますね。
    車で聞いているので。言葉をこれほど美しく操れる人たちが、世にはいるんだと曲を聴きながら感心してます。

    トピ内ID:62c43bdc0631f26e

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    教養があるように見える

    しおりをつける
    🙂
    毒子
    社会に出て役に立つのは理系の学問とか
    文系なら福祉とか経済法学なんでしょうけど、
    古文に強い子は教養あるよう見られるから羨ましい。

    理系の私は理屈っぽいと言われますが教養があるとはまず言われないし
    文系で古典文学に強い義妹や義母の方が知的で上品で賢そうでしかも育ちも良く見られてる。

    知的で上品に見える子の得意科目や専攻は国語とか古典や日本史だったりする気がします・・

    トピ内ID:2341461b2e6c1d00

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    学ぶことに何一つ無駄は無い

    しおりをつける
    🙂
    ひとみ
    社会人になってから、仕事に活かせる知識以外は学んでも無駄、
    みたいな発想が違うと思います。

    人生において学ぶことは様々だし、学ぶ機会もまた、様々。
    でも何かを学ぶことにおいて、無駄ってことあるかな?って思います。

    個人的には古文・漢文は好きでした。商業高校卒なので高校では
    古文・漢文の授業は無く、中3の後半、数時間しか学ぶ機会は
    ありませんでしたが「面白い!」と思い、
    そうかこういう「もっと知りたい」ことを専攻して突き詰めて
    学んでいく場所が「大学」なんだと知り、経済的な理由で
    行くことができない「大学」という場に思いを馳せたりしました。
    今でも漢文は人生の友です。

    必要なこと、必要?と思うこと、面白いこと、苦痛なこと、
    すべて「学ぶ」という「術」を身につけるための
    訓練の場ともいえると思います。
    受験に必要?就活に必要?と思うなら、最低限の時間で覚えきってしまう
    コツを身につけて、浮いた時間をもっと大事に思う教科に
    使ったらどうでしょう?

    それから、かつて学んだことが、思いもかけない時に
    役に立ったりすることもあるし・・・
    学んで損なことってないんじゃないかな?

    トピ内ID:634c00ccd73f4001

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    日本人としての心に触れる

    しおりをつける
    🙂
    ちん
    大変興味深いトピックスです。

    私は、ベタですが古文だと清少納言の枕草子が好きだなぁと思います。
    春夏秋冬の美しさを歌った句は、ふとした時に思い出されますよね。今はコロナでなかなか外に出ることができませんが、春の朝焼けや夏の熱帯夜、秋の夕暮れ、冬の早朝、何気なく過ぎていく日常なのに特別なものに感じられます。
    漢文も中々面白いもので、古文よりもぶっ飛んだ話でも、最後には教訓のようなオチがあるところが好きです。1番好きだったのは、鴻門の会です。主君の顔を立てるために屈強な男が敵陣に乗り込み、そこで出された豚肉を、生のまま目を血走らせながら食べ尽くすという部分がありますが、「なんじゃそら」と思いながら聞いていました。主君への忠誠心の強さを示すような文でしたが、もっと他の表現があっただろと突っ込みたくなりました。
    現代文学や小説は読みやすいですが、漢文や古文は現代とは違った表現や描写がたくさんあります。
    私も漢文や古文が得意だったわけではありませんが、漢文や古文を得た事で身につく教養や感覚、感情、イメージが学ぶ人の心を豊かにするのではないかなと思いました。
    学生の頃は「マジ〜」とか「ヤバイ〜」とか、使いやすい言葉で溢れていましたが、大人になって綺麗な言葉や表現が使える人は、「おお〜!」と感嘆します。

    もしかしたら、「マジ」「ヤバイ」「それな」などの所謂若者言葉がこの先1000年後とかに古語として紹介されていたら面白いかもしれませんね。
    時代背景によって使う言葉が全く違うというのはとても興味深い事ですよ。

    トピ内ID:4f8553731aa0c5c9

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    漢文は不要です

    しおりをつける
    🙂
    青銅の魔人
    漢詩は素晴らしい人類の財産。
    これを読める事は人生に大きな価値を与えます。

    だから、普通に中文読みすれば良い。
    無理やり訓読みするための特殊技法を学ぶ必要は無い。
    Pinyinで直接読む。中国語の入門ですね。

    漢文の授業が、日中の文化交流を妨げている。

    トピ内ID:41d4b0f62a597585

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    先人の感性に思いをはせる

    しおりをつける
    🙂
    うかじ
    古文や漢文のようなむずかしい文学をそんなにガッツリ学ぶ必要はありませんが、
    今中高で習ってるぐらいは知っておいて損はないと思います。
    風流で優雅なやまと言葉の和歌、自然環境を荒々しく表現した漢字だけの詩歌。
    それぞれの書かれた年代や環境に遥か思いを寄せながら、当時の言葉の持つリズムや
    それとなく踏んでいる韻などに「ことば」というものの奥深さや面白さを感じるのが
    現代とは違う時代の文章のだいご味だと思います。
    古代の人も当然人間ですから、今の私たちと相通ずる感性を持っていました。しかしまた、自然の過酷な環境に耐えて暮らし、平均年齢も30歳そこそこの短い生を生きていた人々の
    独特な思いで書かれた文章を読むことは、彼らをより身近なものに感じ、私たちの内面の豊かさを
    いっそう磨くことの大きな助けになることでしょう。

    トピ内ID:228815057e8e5c9c

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    将来のお医者さんを選定する手段には必要ない

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    blank
    共通試験
    学ぶ意味は、大いにあることでしょう。
    しかし国立大入試の選考材料として、医学を目指す人とかにもっと違う方法で選考してもと思います。
    音楽や芸術で選ばれる人は、実技のウエイトが大きいです。
    医学生も、大学入ってからせーので専門の勉強をするのではなく
    小さい時から専門知識の勉強は必要と思います。
    入学選考を古文漢文ではなく、医学にしてあげた方がいいと思うのですが。

    トピ内ID:c3de7ea1df4e95e8

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    歌舞伎がよく分かりますよ

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    のーみん
    社会人になってから、縁あって歌舞伎を毎月観るようになりました。するとどうですかね、周囲の人の半数弱は現代語訳のイヤホンガイドを耳に着けているのですが、私には不要でした。語りなんかもある程度正確にわかるので、楽しめるんです。江戸時代の人々が楽しんだであろう演目を、当時と変わらぬセリフや語りで楽しめるのは、素晴らしい体験です。古文、漢文を含め、日本史などの歴史も勉強してよかったな、と改めて思いました。

    演目によってはかなり難解なものもありますが、人物やストーリーなどの予備知識を仕入れておけば、セリフや語りが分かるので、全身で歌舞伎の世界に没入できます。能狂言、文楽なども同様です。

    授業でやる必要がないという意見があるのですね。

    私自身、古文、漢文は、中学校や高校の授業に加えて大学受験用に勉強した程度ですが、歌舞伎鑑賞以外にも役立っています。

    大学入学後は、古い本などに多い歴史的仮名遣いの文章を読むのに、かなり重宝しました。戦前や明治期からそれ以前の古い文献などを読む場合、古文、漢文の基本的な知識は必須です。

    興味を持てない人が多くいる科目かもしれませんが、授業からなくしてしまったら、ほとんどの人が過去の文献を読めなくなるように思います。現代に生きる上でも、歴史から学ぶことは多い。その入り口が、古文、漢文だと思います。

    トピ内ID:0baa754e0151cddf

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    学んで無駄ではなかった

    しおりをつける
    🙂
    はるか
    古文、漢文、嫌いでしたが真面目だったのでしっかり学びました。

    大人になってある気持ち良い休日の朝、自然と
    「春眠暁を覚えず・・」
    と言う自分がいました(笑)
    「あーー気持ちいい朝やなぁ」
    ではなく、たまには風流な言い回し、なおかつその時の感情により寄せた表現ができることは、
    人生を豊かにするのではないでしょうか。

    どんな勉強もいつどこで生きるかわかりません。 と思います。

    トピ内ID:fda538f25aba6b18

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    教養としては素晴らしいけれど、、

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    🙂
    たらばかに
    明治期から昭和のエリートは和漢洋にわたる素晴らしい知識と教養を持っていたときくので、近現代までの日本の歴史や文化を築く上で土台になってきた学問を学ぶことには意味があると思います。
    ただ、ほとんどの人にとって古文漢文は学生時代にしか役に立たない教養ではあるので、若くて吸収力がある時代にもう少し覚えておいた方が生きやすくなる知識や技術もあるのではないかなと。
    学術的な意義があるのは理解できるのですが、その時間があるならもう少し今の時代を生きる上で必要な知識を教えて欲しかったなと言う気持ちはありますね

    トピ内ID:ffc0d71340698229

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    昔の人はラブレターをその時代の言葉で書いた

    しおりをつける
    🐶
    走る犬
    古文・漢文は外国語の感じで難しい。
    でも、日本に暮らしていた昔の人が使っていたから、れっきとした日本語ですね。

    昔の人はラブレターをその時代の言葉で書いた。
    万葉集や古今和歌集はラブレター集、つまり沢山のラブレターを集めたものです。

    昔の人も当然ですが今と同じで恋をした。
    小説もある「源氏物語」だ、歴史ものは「平家物語」か?「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり」

    これらを読み解くのが、古文だったり漢文です。
    昔のラブレターを思い、古文に漢文に親しみを持ってください。

    トピ内ID:c9da2317879f26d3

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    最低限の教養として

    しおりをつける
    😉
    吉良吉田行き準急
     40年前に導入された共通一次試験の、第二回目と第三回目を受けた還暦近いおじさんです。1000点満点で古文漢文の配点は各30点でしたから、理系の私は高校の授業だけ真面目に聞いてそれ以外に勉強時間をとる余裕はありませんでした。浪人中は一切勉強しませんでしたが古典は5割、漢文はまぐれもあり満点。
     子供も理系でしたがセンター試験は900点満点で配点各50点と比率上がっていましたから、流石に出たとこ勝負とはいかず問題集やってましたね。
     さて人生で役に立ったかと問われると(高校授業中しか勉強してないからあまり偉そうな事はいえませんが)身につけておくべき最低限の教養として役に立ったと言うのが答えです。
     仕事で中国赴任中に酒席で手帳にいくつか漢詩を書いて見せて(高校教科書で音読繰り返したものは結構覚えているものです)中国人にいたく感心され、会話(こちらは英語)が弾んだのはいい思い出です。

    トピ内ID:c5f822bde38fa2e2

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    古文は学ぶ意味があると思います

    しおりをつける
    blank
    電気技術者
     古文は学ぶべきだけど、漢文はあまり意味がない派です。

     学校で学ぶ古文はほんの触りで、古文を学ぶとっかかりを生徒に与えてくれるだけです。しかし、そのとっかかりがあるおかげで、私は最近古い和歌などを楽しむことができています。

     君や来し我や行きけむおもほえず夢かうつつか寝てかさめてか

    この歌を知り、在原業平はなんてすごいプレイボーイだったんだ!と驚嘆できる人生。古文のとっかかりを学校で得たことは、私の人生をより楽しいものにしてくれています。

     漢文は、単に漢字で書かれた文章を読む技術で、昔の日本人との対話の意味はありません。昔の日本人が漢字で書かれた文章を理解するのに、こんな苦労をしたんだということの理解はできますが。

     そもそも学校で学ぶのは、自己の可能性を広げるためです。必ず役に立つ知識が教えられているわけではありません。今学校で教えている内容が、子供たちの可能性を広げるために最善かどうかは、議論の余地大いにありとは思いますが。

    トピ内ID:8eba39387539f9d2

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    優先順位は低い

    しおりをつける
    🙂
    匿名
    義務教育でもITや英語が追加されたり、子供が学ばなければならない内容は時代によって変化している。
    子どもの持ち時間や教育予算など、リソースは限られている。ならば優先順位をつけて、減らせるところは減らすしかない。
    例として、家庭科の被服・調理は、既に自分で作るというより選ぶものというスタンスだし、歴史も、世界史・日本史が統合され、暗記内容が減る予定。古文・漢文も例外ではない。
    私としては、義務教育中にもっと世の中の仕組みについて教えるべきだと思う。最低限資本主義社会で搾取されないだけの知識を身に着けさせるべき。
    また、高校で学ぶ内容は大学受験科目に依存している。いくら高校で教えたところで大学受験で古文・漢文がなければ、(真剣に)学ぶ人は激減すると思う。逆に教養として学びたいならばそれで十分。ゴリゴリ暗記させる必要はない。

    トピ内ID:c24df49aeabed33d

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    役には立たないが

    しおりをつける
    🙂
    たこたこたこ
    残念ながら学んだ内容が社会人になってから仕事で役に立つことは一切ない。
    ただ、教養として知っておくと何かの場面で共通の話題として使える場面もあるかもしれない。
    自分は無かったが…。

    あり、をり、はべり、いまそかり
    のフレーズだけ今でも覚えている。これも一種の教養なのかもしれない。

    トピ内ID:e830d93541baeca8

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    文化の原点ですから

    しおりをつける
    🙂
    いなちゃん
    漢文・古文を直接使うことが無くても、現在の日本文化の源流です。日本文化を形作ってきた基礎となるものです。日本語自体の基にもなっています。
    直接役に立つとか立たないとかではなく、学問文化の基礎。

    人間の思考能力を伸ばすには、様々なことを学ぶ必要があります。「後々役に立つ」ことだけを学んでいたのでは、思考能力は伸びません。
    基礎が無いところで、「実際に役立つ知識」だけを身に着けようとしても、身に着く筈がないです。
    基礎は大事です。

    学ぶ意味は、あります。

    トピ内ID:38cbfef6252084e1

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    役に立つかどうかはさておき

    しおりをつける
    🙂
    さつき
    例えば春先、スーパーでタケノコが売られている。
    POPには「春はたけのこ」の文字。
    ああ、これは「春はあけぼの」が元ネタだなとわかる。
    古典を習っていなければなんのことだかわかりませんよね。
    それがなんの役に立つのかと問われれば、役には立っていないかもしれません。
    ただ、そう言う小さな知識をたくさん持っていることが、教養というものだと思います。

    トピ内ID:62175b4251c24992

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    意味はある。生かすも殺すも自分次第

    しおりをつける
    🙂
    ひこすけ
    学問というのは、単なる道具です。
    ドライバー一本よりもドライバーセットの方ができる作業の幅は広がるし、もっと豊富な工具セットがあるならば出来ることもそれだけ増えるというものです。

    学んだことをどれだけ活用できるかは個人の資質次第なわけですから、選択肢を増やすことに大いに意味はあるでしょう。

    大学にいっておけば……と仰る方が多いのと同じだと思います。

    トピ内ID:60e3da7c01f55479

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    それがね、あとからやりたくなるものよ。

    しおりをつける
    🙂
    いそじ
    学生時代は、やる意味がよくわからなかった古文漢文。

    私は卒業して大人になってから、ハマりました。今なら全部100点取れそう。(苦笑)
    古文も漢文も歴史同様に、知ることで考えが深まったり、いろんな表現を知ったり、なにより昔の人の考えを知ることができるので、パズルのように面白いな!と感じています。

    ほんとこの熱烈な興味、なぜ学生時代に少しでももてなかったのか後悔然りです。

    トピ内ID:d3ff2a008fd71091

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    誰かを理解する時に、手助けになる知識

    しおりをつける
    blank
    白ホスタ
    古文、漢文を学ぶ意味は、辞書に例えられると思います。
    どんな辞書があるのかを知っていれば、自分が分からなかった時に調べられます。
    知らなければ、そもそも調べようとすら思わない。
    だからこそ、義務教育で「世の中には色々な学問(ものの見方)がある」と教える必要があるのでは?
    各人の興味や、その時代の社会で役に立つかどうかで判断したら、偏りが出ますし。

    しかも、古文や漢文は役に立たないとは限りませんよ。
    先の震災の後、須佐之男尊をお祭りしていた神社には、津波が届かなかった、という記事を読んだことがあります。
    明治時代の津波到達を伝える石碑が、土地開発のために移動されていた、という話も。
    もし多くの方が古文を読めていたら、その価値に気づき、昔の人が残したメッセージを活用できたでしょうに。

    文系の私は、若い頃、理系科目が苦手でした。
    でも、コロナ禍の今、生物の知識がもっとあれば、ワクチンの仕組みも理解でき、その価値を実感できただろうと思います。
    素数の研究もセキュリティに関係しているので、興味があります。
    全部分からなくても、ドキュメント番組は面白く見れますよ。

    誰かの残した石碑や成し遂げた業績を正しく理解するためにも、様々な学問を広く学んでおくことをお勧めします。

    トピ内ID:eda97c8db154bc08

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    FP3級

    しおりをつける
    🙂
    ココ母
    古文漢文が全く必要ないと言うわけではないけど、時間は有限なので、生活により直結するFP3級程度の内容を高校で教えてほしかった。

    古文漢文は大学の選択科目でいい。

    トピ内ID:15ffbdc459c03746

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    あるようで無いようで

    しおりをつける
    🙂
    あいうえお
    一定以上の学歴保持者としては、教養としてあったほうがいいです。付き合う人たちが、皆知っていますので。
    もちろん、そのような会話が一切ない生活をする人たちには、必要ないです。

    そろそろ、高校も全部単位制にして、「普通科」なんて一律な授業はやめた方がいいのかも。

    トピ内ID:36daa3ee5418cdd7

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    むしろ今こそ大事

    しおりをつける
    🙂
    いち
    戦前の新聞を見ればわかるように、日本語の骨格は漢文である。
    日本語の骨格に触れる機会はごく一部の人を除き漢文の授業内だけだろう。
    それでもいいから漢文に触れる機会を残しておくべき。

    古文は時代を超えて、昔の日本人の考え方や感性に触れることができる
    貴重な教材。これも触れる機会はごく一部の人を除き古文の授業内だけだろう。

    古文は理解できなくても、1400年前の人間の書いた歌が詠めるのは素晴らしいこと。
    言葉の響きの美しさに触れるだけでも十分に意味がある。絶対に無くしてはいけない。

    トピ内ID:bb9ee6ff3a8684cf

    ...本文を表示

    必要ないと思います

    しおりをつける
    🙂
    ぽこん
    古文 漢文 大嫌いでした
    こんなモノ学んで何になるのかと思ってました

    社会人になって何の役にもたっていません

    文化だとか伝統だとか だったら学びたい人が学べばいいと思います

    トピ内ID:39a7c3121f7381bb

    ...本文を表示

    北海道 30代 女

    しおりをつける
    🙂
    Xuko
    習うのはいいと思いますが、試験はいらないのでは。
    美術や音楽もですが、教養として嗜むのは素晴らしいことだと思いますし、子供の貴重な時間を割いて点数を取るために努力させるようなことではないと思います。

    トピ内ID:d872a3c436a09b7f

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    脳の未知の部分に必要では・・

    しおりをつける
    🙂
    福岡の海
    基本ゆうこさんに同意します。

    ふと思ったのですが、脳の機能は、まだまだ一部しか使われてないと言われていますね。

    生きていくために必要なことしか学ばないのは、普段使わなくていい脳の部分を

    結局死ぬまで使わないってことでは。

    他に、絵を描かない、楽器を演奏しない、数式を毛嫌いする、そんなレベルで成長すると

    脳は偏って成長するような気がします。

    やっぱり自分の脳はできるだけ使ってみたいじゃないですか。笑


    あと、教養ある人は、一言で相手を見定めます。

    教養ある人っていうのは・・深く物事を考えられる人?
    あ〜教養がないのでわかりませんが・・・
    一緒にいて楽しい人かな。

    そういう人から、ちょっとした会話で却下されたくないなあ。

    こっちが「a,b,・・」と呟くと
    相手がニヤッとする、この「瞬間分かり合える感」は
    広く学んでいる人間同士の醍醐味ですかね。
    やや嫌味か・・もしれませんが。

    広く浅く学びすぎた結果、取り留めないレスをしてしまいました。

    トピ内ID:e1ff940cb3e7984d

    ...本文を表示

    読めないって不便

    しおりをつける
    🤔
    ひとやすみ
    仕事や生活の中で何処で、古文漢文に巡り会うかわからない。その時、多少なりともこれ見たことあるよ、何だっけと思い巡らせる事が出来るっていいよね。
    華道や茶道など軸があるし、店舗の装飾に使われたりしています。なかなか解釈は難しいけど多少なりとも知っている事柄があるよと思える。
    一から卒業してから必要に迫られて勉強するなら何倍もの努力がね。
    まあ父が言ってましたけど、本一冊買って、中の一行覚えてもその本の価格を充分満たしているし、例え表紙の一文字だって覚えればそれで役を果たすとね。
    父や夫やも新聞や雑誌等、隅から隅まで楽しんで読んでますね。

    トピ内ID:01aca950a091b9e1

    ...本文を表示

    レスします

    しおりをつける
    🙂
    みか
    わたしは、学ぶ意味はあると思います。もちろん、人生でいちども意味を感じなかったという人もいるでしょう。でも、別の誰かは意味を感じているかもしれません。その可能性が大切なのだと思います。

    わたし自身は、漢文の授業で「垓下の歌」を習ったことです。それだけで大きな意味があったと言えます。「虞や虞や 汝を奈何せん」、なんど思い出してもそのたびに切なくなります。本当に感動しました。

    きっと、なんらかの意味を感じた人はほかにもいるはずです。誰かが意味を感じられないからといって、ほかの人も同じだとはかぎりません。スキルは大人になってからでも充分に間に合います。多くの人にとっての可能性を無視するべきではないと思います。

    トピ内ID:d0f188ff05397121

    ...本文を表示

    読めないって不便 2

    しおりをつける
    🤔
    ひとやすみ
    新聞や本やネットを読める力があるのは学ぶ機会があっての事、全て無駄はないと思います。
    御朱印帳を持ち寺社巡りの皆様も多いかと存じます。コロナの中自粛では中々行けないかとは思いますが、ここでも古文漢文は役に立っていますね。
    古文漢文を含めて学科は全て必要ですね。例え頭の片隅にあってもそれが観劇であったり、思わぬ仕事に繋がって役に立つ事柄がありますよ。

    トピ内ID:01aca950a091b9e1

    ...本文を表示

    過去から学ぶために

    しおりをつける
    🙂
    さとみ
    私たちは、過去から学び、未来を思い描く、そのためには自分の国の歴史をたどる必要があります。
    ただし、歴史的書物は、古文・漢文で書かれているので、それを読める必要があります。

    日本人が、古文・漢文を読めないということは、自国のたどった経緯・受け継がれてきた文化を、たどれなくなるということなのです。

    日本という国はいつからどのように発展してきたのか。
    天皇制が今のようになる前はどうだったのか。
    平安時代は、戦国時代は、江戸時代は…それぞれの時代の人はどのような生き方をしてきたのか。

    学者がやればいいと思われるかもしれませんが、そうなると私たちはすべて受け売りでしか理解できず、歴史に対して、自分なりの意見を持つことはできなくなります。

    もちろん、私は歴史も伝統もすべて守ればいいというものではないと思っています。
    変えるべきところは変えて、自分たちがより良い世の中を築いていく必要があります。
    しかし、過去にどのような出来事があって、今のような伝統があるのか、知らなければ、私たちは同じ失敗を繰り返すことになるでしょう。

    トピ内ID:5da5415bbf1fc622

    ...本文を表示

    意味は無いけどあってもいいと思います

    しおりをつける
    🙂
    ゆかり
    意味はないと思います。
    現代社会で、古文、漢文の知識を必要とするときなんてないからです。
    しかし、個人的には古文や漢文の授業が今後もあり続けても良いと思います。
    勉強は意味があるか、と言うより楽しめるか、一知識として身に付けられたかどうかだと思います。
    確かに、古文や漢文の動詞や昔特有の文の読み方、意味などを暗記しなければいけないのはすきではありませんでした。
    しかし、純粋に時代がかわるだけで、同じ日本人でも現代とは考え方などが全然違うことが面白かったり、有名な竹取物語、枕草子なども深い内容まで知ると、ドロドロ系の人間ドラマを見ているような感覚にもなります。
    本を読むと、人の感情が汲み取りやすくなったり、見える世界が広がるように、勉強も生きていく上で意味があるかどうかで分けずに学ぶ事で、教養の高いおもしろい人間になるんじゃないかと思います。
    ゲームなど、小説、作曲にも、学校で習う、一見意味のなさそうな知識がネタになったりしています。創造的な仕事だけでなく、考え方にも幅ができるのではないのかなと思うので、意味はないけど、今後も授業として、あってもいいと思います。

    トピ内ID:ba2e0b16e023a763

    ...本文を表示

    あると思います

    しおりをつける
    🙂
    さっち
    歴史や、伝統芸能とかもそうなんですけれど、文化ってすべて次の世代に伝えることをやめてしまったらもうおしまいだからです。子どもが面倒くさがって「勉強したくない」という気持ちはわかりますが、それを受けて大人が教えることをやめてしまったら、それは日本の文化の由来を知らない子どもが育って、次の時代の文化も今後発展しなくなりますよ。

    トピ内ID:1353c07aa7619c2c

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