先月、28年間連れ添った妻が癌で亡くなりました。4年に亘る闘病の末でした。
病気が見つかって以来、設備の揃った病院で、献身的なスタッフによる治療を受け続けましたが、力尽きました。
ペインクリニックのご協力で殆ど苦しむこともなく、眠るように逝きました。
亡くなった直後は、お通夜・告別式等々のセレモニーが続き、落ち込む暇すらありませんでしたが、
1ヶ月ほど経ってみて、自分の中に「苦しまずに逝って良かった」とか「もう妻が苦しまなくていいんだ」との
気持ちが芽生えてきたように感じ、愕然としました。
4年の間に覚悟は出来ていたとはいえ、妻を亡くす事の重さを予測できませんで、無理やり普段通りの生活をしていました。
一晩だけ子供達と一緒に涙を流しましたが、その後に感情の吐露もしていません。
そうこうするうちに、前述の気持ちが湧いてきたのです。
これはショックでして、思わず子供達に言った言葉がタイトルです。
子供達(27歳・25歳共に医者)が云うには、人間は悲し過ぎる経験をすると辛くて生きられないので、
その記憶を上手に脚色することがあるのだとのこと。
大脳が自分で自分を騙して偽るんだそうです。生存本能との由。
私の場合がそれに当たるのか知りませんが、そうならば私の脳は私にまだ生きることを求めているようです。
でもそれはそれとして、自分の感じる薄情さを妻に察しられたような後ろめたさを感じてしまうのは、
気が弱っている所為かも知れません。
少しずつでも肩の力を抜き、気の張りを緩めていかないと保たないかな。
拙文にお付き合い下さり感謝。
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