例えば、男女・人間関係や仕事において、「自分の責任の範囲」であったり、「対等な立場」であるはずの関係で。
「大変そうだな」とか、「してあげようかな」と思い、相手の手助けをしたり、相手にとって得になることをしたり(これらは「的外れ」でないことを前提とします)、ということは「思いやり」であり、場合によっては、「愛情の発露」であることは確かだと思います。
が、最近、これが逆転して、「相手からそうしてもらえない」=「思いやりがない」「愛されていない」「優しくない」という「非難」に摩り替わることがあり、耳にするたび違和感を覚えます。
例えば、AとBが同じ立場で仕事をしているとします。
Aは要領がいい為、自分の仕事を五時間で終わらせ、Bが仕事をしている横で、先に休憩をとることができるとします。
こういうとき、Bを手伝うのは「優しさ」ではありましょうが、そうしなかったから「手伝わなかった!思いやりがない!」と批判するのは的外れではないかと思うのです。
「おごり」なんかもそうですよね。「おごってくれたらありがたい」であって、「おごらないなんてケチ!」というのは違う。
なのに、それが逆転して「◎◎してくれないのは優しくない人だ」「愛しているなら◎◎するハズ」という考え方をするは違うのではないかな、と最近よく思うのです。
勿論、結果として、その相手と交流を深めないのは個人の勝手ですが、自分の領域なのに、相手が手助け、優遇をしてくれることが「愛」や「思いやり」と言われているようで、何だかムズムズします。
本来は「お互いの思いやりや相互扶助が愛や友情を育てる」のだと思うのですが、昨今は「愛しているから(友達だから)無条件に受け入れる」という「前提」に変化してしまっている気がします。
こんなことが気になるのは私だけでしょうか。
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