この時期になると、私(26)の住む地域では夏祭りが開かれます。
私も小学1年生から10年間、父と一緒に祭りに参加し、ある時期まではとても楽しくすごせていました。
祭りを楽しめなくなったきっかけは、若連(わかれん)と呼ばれる高校生以上の若者のグループが発言力を増し、決定権を持つようになってきてからです。
お年寄りと小学生を中心に、という子供会や大人達の意見と、華やかで活気のある若手を中心に、という若連の意見がぶつかったのです。
結局、2日間ある祭りのうち、「1日目の午前中~17:00は小学生」「1日目の18:00~2日目はすべて若手」とプログラムが組まれ、それまで一体感のあった祭りの形は変わりました。
そしてそれ以来、小学生の神輿や、おさい銭集めなどの1日目の行事に若連は参加せず、保護者やお年寄りだけになりました。
当時、私の父は、二手に分かれた小学生組と若連組の間で板挟み状態にありました。両グループの仲介者を誰もやりたがらず、父が自然とおさまる形でその役に付いた為です。
父は物言いがハッキリしすぎる時があり、ただでさえ若連組からは嫌われていたのに、仲介者になってからはもっともっと嫌われるようになりました。小学生と若連の合同練習の場でも、その嫌われようは露骨で、娘の私(当時は中学生)にも飛び火した事が何度がありました。
父も私も祭りが好きな事だけが心の支え、という状態でした。
それからというもの、高校進学と同時に私は祭りを辞め、父も仲介者を辞めました。唯一の救いは、父が辞めた時に何人かの人から「父のおかげで小学生が祭りに参加しやすかった」「笛の名手だったのにもう聞けないのが残念」と言ってもらえた事です。
以来、地域の太鼓の音が聞こえると当時の記憶が蘇り憂鬱になります。それに山車を引きに行く父を見送るのも・・。
どのように過去と折り合いをつけるべきでしょうか。
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