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    祖父の期待に応えられなかったなぁ…(駄)

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    (トピ主1
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    🙂
    話題
    7年前に亡くなった祖父のことを、近頃よく思い出します。 遊びに行くたび「腹は減っちょらんか?」と気にかけ、夏の暑いさなかに昔ながらの竈に火をくべ、ガンで思うようにならないのに、魚好きの私のために漁港まで駆けずり回り、包丁をふるってくれました。 5歳で好きだと言ったものは、6歳の食卓にも並び、6歳で好きだと言ったものは、7歳の食卓にも並び。私が28歳の時に亡くなるまで続いたので、その層々たることや…。 それぞれちょっとずつしか手をつけられないので、「全然喰わん」と、後年はいつも怒っていたような気がします。 そんな祖父のことを思い出すのは、私が(遅ればせながら)実家を離れたことが理由です。 たまに母がお惣菜をくれるのですが、量としてはわずかなものの、いかんせん一人ですし、私自身が買い置き・作り置きしているので、食べきれません…。 このお正月もお節をパックしてくれたので、買っておいた豚肉を冷凍庫に入れ、炒め物にするはずだった野菜を(保存するために)湯がきながら、祖父のことを思い出しました。

    トピ内ID:3223184744

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    おとうさん

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    🙂
    生後3か月で別れその後会うこともなく亡くなった父が今朝初めて夢に出てきてくれました。 亡くなるまで毎月養育費を送ってくれたそうです。 父はにこにことして何も言わず笑顔で私を見つめていました。 父方の親戚が話してくれた通りの優しそうな人でした。 うれしくて「おとうさん、おとうさん」と何度も呼びました。 若くして亡くなった父は若いままでした。 亡くなって50年以上たちます。 おとうさん、あなたの娘はまだ生きています。 今度夢に出てきてくれたら話をしてくださいね。

    トピ内ID:5643568355

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    故人を思い出すのも供養ですよ。

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    🙂
    ぼのぼ
    トピ主さんに便乗して、私も祖父母の供養をさせていただきました。 ありがとうございます。 いくら固辞しても、「おかわりは大丈夫か?」「もっと食べろ」 と…。 今の時代、誰もそんなことは言いませんよね。 食糧難の時代に若き日を過ごした時代の人だから、 お腹一杯食べさせるのが最高のおもてなしだったのかなぁ~。 なんだか今年も頑張れそうです。 ありがとうございました。

    トピ内ID:4927692796

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    同じ思いです。No.1

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    😢
    ハムハム
    私はトピ主様よりずっと年上で、私が23歳の時に73歳で祖父が亡くなりました。内孫だったので、幼少から日常祖父のお世話になり、それも当然だと思ってました。普段は甘い祖父も、節目節目の行事で、私の態度が悪いとスゴく叱られました。私が中学生になり運動部だったので帰宅すると、いつも果物をむいた物やら、薩摩芋をゆでたものを沢山用意してくれてました。私は、祖父に感謝もせず、当然のように皿をたいらげました。ある時、祖父が用意してくれた苺を大量に食べましたが、体調が悪く全部吐いてしまいました。祖父は、私に対し叱りもせず、後始末までしてくれました。 私が大学生になってからも、帰省する度に数万のお小遣いをくれました。祖父に対して私は何の恩返しもできず、結局、私が就職して一年後のお正月に病気で亡くなりました。恐らく以前から自分の体調の悪さを自覚していた筈なのに、帰省していた私にも何にも言ってくれませんでした。病気の為に粗相した自分の服を、真冬でも自分で手洗いするような祖父でした。タイムマシーンがあれば、その時に戻り、孝行したいです。祖父の体調の悪さも見抜けなかった私自身も情けないです。

    トピ内ID:8353409823

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    同じ思いです。No.2

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    😢
    ハムハム
    字数制限があるので、続きです。 祖父は亡くなった時に遺書を残しており、それによると、終戦後、戦地から過酷なシベリアに一年近く抑留されたようです。「捕虜=生きて辱めを受けること」の思想があったようで、後に妻となった祖母にも、親戚の人達にも、何も言ってませんでした。その祖父の胸中を思うと、悲しくなります。そのシベリア抑留のせいで、年中 神経痛があり、夏でも手は冷たく苦しんでました。 今回のトピ主様のお陰様で、私の祖父に対する後悔の念を吐き出すことができて、少し気持ちが楽になりました。ありがとうございました。今後、このようなことが無いように、家族を含め、巡り合う人たちに対し、悔いのないような接し方をしたいと思います。

    トピ内ID:8353409823

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    素敵な思い出ですね。

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    🙂
    おごじょ
    トピ主さんはどちらのご出身かわかりませんが、つい私の故郷鹿児島のイントネーションで読んでしまいました。 私は両祖父ともあまり交流がなかったので、色々な思い出があるトピ主さんがうらやましいです。

    トピ内ID:3212766819

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    懐かしい思い出

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    😀
    セピア色
    無償の愛の思い出があることは主さんにとっては一生の大切な宝物です。 肉親から愛を貰って育った人ばかりではありませんからね。 おじいさまの事を時々懐かしく思い出してあげてください。それが供養にもなります。 おじいさまが見守ってくれていますよ。 お幸せに年を重ねて下さい。

    トピ内ID:6972310128

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    一番の供養やね

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    🙂
    happy
    いつまでも思い出してもらえて、本当に幸せなおじいちゃんだと思うな。 いまでも天国で見ていてくださるよ、きっと。

    トピ内ID:7808898884

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    おじいちゃん

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    😢
    あのこ
    涙。優しかったのですね。他者にはない気遣い。ご高齢になり、考えることは、あなた様のことでしたのでしょう。今あるあなた様自身を大切にされ、生きることがご供養でしょう。

    トピ内ID:8936345314

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    ずっと目をそらしていました

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    🙂
    こめこ
    トピタイトルをみて自覚しました。 私にも同じ気持ちがあって、それにずっとふたをしていたことを。 祖父は私がCAになることを楽しみにしていました。 でも、結局はあきらめたんです。自分の決断で。 色々な理由をつけて、CAになれなかったことを正当化していました。 留学費用も多く援助してくれたのに。 期待にこたえられずに本当にごめんなさい。 いつもわたしのことを、 宝だ、優秀だ、自慢の孫だって言ってくれていたね。 今は夫となった当時の彼を、 もう少し早く私が動いていれば夫として紹介できたのに。 ずっと楽しみにしてくれていた結婚式の、 せめて写真でも見てもらえたのに。 ごめんなさい、しかないです。 すごく感謝しているのに、何も返せなかったこと、 本当にごめんなさい。 この気持ち、どうすればいいんでしょうね!

    トピ内ID:5643185071

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    もしかして

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    blank
    海の子
    地元は宮崎ですか? お祖父様の言葉に懐かしさを感じました。 間違っていたらすみません。 私も地元宮崎を離れています。 私の亡くなった祖父も、食べなさい食べなさいとあれこれ準備してくれる人でした。 トピ主さんに自分を重ねて祖父を思い出し、暖かい気持ちになりました。

    トピ内ID:2103860153

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    トピ主です。

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    🙂
    ありがとうございます もういないんだなぁという寂しさ半分、"食べろ" "食べられない"の攻防を思いだすと可笑しくなるのが半分で、駄)とさせていただいたので、なんだか申し訳ないです。ちなみに四国ですが、九州や山陽にも似ていると思います。 ハムハムさんやこめこさんが書いてくださった後悔は、私ももちろん抱えています。でも、それより強く思っていることがあります。 とても勉強ができた祖父は、当時の子供らしく、船乗りになりたかったそうです。しかし戦争が始まり、学問すべき学校が、訓練や奉仕の場所になりました。それがバカバカしかったと、吐き捨てるように語っていました。また、貧しい農村では外に職を求めざるを得ず、長く出稼ぎをしていました。その分教育熱心で、我が家の本棚に並ぶ本は、すべて祖父が買ってくれたものでした。 祖父が亡くなった時、後悔よりも感謝よりも、もし生まれ変わることがあるならば、好きなだけ勉強して、夢を叶えて欲しいなぁと思いました。 私の祖父も、レスに書いてくださった方のお祖父様お祖母様も、大変な時代を生きてきましたものね。次は平和な時代に生まれて欲しいですね。

    トピ内ID:3223184744

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