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    「白眼子」山岸凉子=人生の幸不幸の量は皆同じ

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    ノンナ
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    読んだ方はいらっしゃいますか。 山岸さん得意のバレエマンガのように華やかでもないし、怪奇マンがのように怖くもない、けれども、しみじみと良い作品でしたね。 この作品を読んだとき、私の人生はとても辛いときでした。だから、白眼子のセリフの「人生の幸不幸の量は皆同じ」と言う部分が印象的でした。幸福が多すぎる人は後でそのつけを払うし、不幸な人は幸せが来てとんとんになるー私も今を耐えればいつか幸せになる日も来るかも、とこのマンガに癒されました。 でも、主人公のセリフではありませんが、明かに多くの幸せに恵まれた人生もあれば、誰が見ても不幸な人生を背負っている人もいますよね。現実はやっぱり、幸不幸の量は同じではない、のだろうと思ってしまうことが多いです。 小町の皆さんは、人生の幸不幸の量は皆同じ、は本当だと思いますか?

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    同じでなくてもいいです

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    むー
    私は生まれてから25歳まで、いじめに遭ったり、父の家庭内暴力におびえて暮らしたり、いいことはありませんでした。 人生が辛かったので、「不幸だった」と言えると思います。 結婚した今、私が得ている穏やかな家庭など、幸福な家庭で育った人にとっては「当たり前のこと」かもしれません。 でも私にとっては「この上ない幸せ」です。 不幸を味わったからこそ、気付く幸せがあります。 逆に、一生不自由なく暮らす人は、ちょっとしたことでも辛く感じて「なんて不幸なんだ」と思うかもしれません。

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    同じじゃない

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    ロン
    絶対同じじゃないと思います。 幸せを見つけるのが上手な人はどんな状況でも幸せを感じられるし、ヘタな人はどんなに周囲が見て恵まれている状況でも、本人は幸せを感じられないでしょうから。 それに自分の身近にいる身内を見ても、そう思います。

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    違うと思います。

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    はろ
    幸・不幸は、その人の感じ方ですから、その人が物事をどう捉えるか、その能力によると思います。 些細なことであっても、「ああ幸せ」と感じることが出来る能力を持った人には多くの幸せが訪れ、人生は幸福に満ちたものになるでしょう。 一方、脳の中で快感物質が出にくく、不満を感じやすい体質の人には、幸せは訪れにくいものになると思います。 水が半分入ったコップの例のようなものです。 あるいは、一つの不幸でも別の角度から見方を変えることが出来るのか、その不幸にいつまでも浸かり続けるかでも違ってくると思います。 ですから、「人生の幸不幸の量は皆同じ」ということはないと思います。

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    根本的に・・・

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    上賀茂
    >明かに多くの幸せに恵まれた人生もあれば、誰が見ても不幸な人生を背負っている人もいますよね。 これは根本的に間違っていると思いますよ。誰が見ても不幸な人生って何ですか? 幸不幸は、主観であって、客観ではありません。 例えば、生まれてきた子供に障害があった時、死なずに生まれてくれてよかったと幸せを感じる人もいれば、この先の苦労を思って不幸だと感じる人もいる。 幸、不幸は、外から与えられるものではありません。また、その分量を量って比較できるものでもありません。まして、それを本人以外が量って比べられるものではありません。

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    人生色々ってだけです

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    グリーン
    思わないです。 しかし、嫌な事もあればいい事もあるさって思って頑張るのはいいことですね。  まあ人生は不公平に決まっています。だから、あの人は嫌な奴だからそのうち天罰が下るとかそういう因果応報的な考えも嫌いですね。 幸不幸の量は違います。まあ別次元の考え方をすれば成立するのかもしれませんが、僕にはありえない感覚です。

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    同じとは思いません

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    nekomama
    その作品は未見ですが、 >人生幸不幸の量は皆同じ、は本当だと思いますか? との問に対してレスさせていただきます。 幸不幸に対する感覚は人それぞれです。 同じ境遇でも幸せを見つける人、不幸を嘆く人、淡々と生きる人。。。 例えばお金に関しても、百万円も有ると喜ぶ人、百万円しか無いとぼやく人。。。 然るに幸不幸は、そもそも量の以前に中身そのものの定義自体が非常に困難だと言えるのではないでしょうか。 私の結論は、他人の人生は他人には計れない。ましてやその量の多寡などなおのこと判らない、ということになります。

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    読みました。

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    みつことかよ
    しみじみとした、いいお話ですよね。 わたしはこのセリフが好きです。 「災難は来るときには来るんだよ。(略)必要以上に幸運を望めば、すみに追いやられた小さな災難は大きな形で戻ってくる」 昨今の気分の悪い事件やニュースのことのようです。 トピ主さんの質問にお答えすると、 「禍福は糾える縄の如し(この世の幸不幸は,よりあわせた縄のようにつねに入れ替わりながら、変転する)」 結果、人生の幸不幸の量は皆同じなのではないのだろうか。と考えています。もう何回も読んでいるのに毎回泣いてしまうんです。私。

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    思いません。

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    miyu
    不幸をどう幸福に変えていくか、その人次第だと思うので。

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    私はたぶん同じだろうと思います。

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    haruko
     端から見て「幸せだな~この人」と思っていても、ご本人は不満たらたらだったり、超お金持ちで幸せそうに見えても、実は相続争いでいつも神経ぴりぴりだったり、ボロアパートに住んでいても、案外本人はそれが楽で幸せだったりする。  もちろん客観的な不幸はあるけれども、災い転じて福となすのは自分だと思う。  でも、これでもか、これでもかっていうくらいに悪いことが重なると、不幸の星のもとに…なんて考えてしまうのもまた人間で。  私は、今日大好きなチョコレートを食べられたのも、幸せの1つに数えていますので、私の幸せは、数としては多いのですが、量としては少ないかも。

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    山岸涼子さん好きです!

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    うまやど
    でも、その作品はまだ読んでいませんでした。 機会があれば読んでみたいです。 私も死にたいと思うほど辛い時期が長くありましたが、現在はとても幸せなので、やはり幸不幸の量はとんとんになるものなのかなと思うこともあります。 けれど、特に波風が起きることなく一生穏やかな人生の人って、実際にいますよね。 精神世界の話になってしまって恐縮なのですが、私は生まれ変わりや魂の存在を信じています。 そういった関係の本を読むと、不幸のない人生っていうのは「おまけ」みたいなものなのだそうです。 幸せに過ごせるけれど、魂が磨かれることはないのです。 辛いことを経験してそれを乗り越える人生を送れたなら、魂が磨かれてレベルが上がります。 真偽のほどは判りませんが、私はそう思うことで辛い時期を乗り越えられました。 その考え方でいくと、不幸な人生が実は自分のレベルを上げるチャンスのある幸せな人生なのかも。 今生だけでなく、前世や後世も含めた「魂」を基準として考えると、幸不幸の量は皆平等にあるのかもしれませんね。

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    感じ方かなと

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    匿名
    恵まれて育った方は、ちょっとした不幸にも慣れてないので大変だと思います。 (先日のトピでも、おっとりタイプのお嬢さんがコネ入社して苦労されてましたよね。) 逆に私のような普通に苦労して育った人間は、多少の事ではへこたれません。 人間関係で多少苦労しても「こんなささいな事で悩めるなんてある意味幸せだわ」と思えます。 不妊治療中だけど、「ああ幸せだなあ」と毎日思っています。 100円アイスを食べただけで幸せになれるので、お手軽です(笑) 人生の中には、良い時も悪い時もあるから、気の持ちようでは「幸、不幸は同じ量」とも思えるでしょう。 全く同じ人生を歩んでも、「ずっと幸せだった」と思える人と、「ずっと不幸だった。金持ちに生まれたかった」と思う人がいると思います。 私は「平凡な人生」を歩めるのはとても幸せな事だと思います。 他人と比べて不幸な人生でも、幸せだなと思っていたいです。 飢えに苦しむ方達に比べれば、あまりに恵まれすぎているので、不満を言うのは恥ずかしいなと。

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    同じだろうと思います。

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    ai
    人間が未熟な生き物である以上、いつも喜んではいられないし、いつも泣いてはいないものです。 人から見て幸せそうに見える事も、その影ではどれだけの苦しみがあるかわからないものです。また、人は自分にないものを羨ましがりますが、なんでも完璧にそろっている人はまた、いないものです。 人からみてささやかでもとても幸せに感じたり、人が羨むほどのものを持っていても、悩みがないという事はありません。ようするに人間である以上幸せな部分と不幸を感じることは結局みんなもって生きていると思います。若いときに不幸だったとしても、自分の力で人生を作れるようになったら、自分の手で幸せを勝ち取れます。不幸を感じた分だけ、人生に貪欲になれるので、その分幸せも強く感じることと思います。 子供のときに恵まれた人は、大人になっても貪欲さがなければ、普通以上に大変な目にあいそうです。要するに天が勝手に半分と決めるのではなく、自分がそういう風な人生を作ってしまいという事だと思います。

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    量か質か?

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    ハマハマ
    「白眼子」いいですよね。私もこの作品大好きです。 こちらもマンガですが、「エースをねらえ!」の中で 「人生で起こる出来事そのものに幸不幸の区別はない、その人がどう受け止めるかによって違ってくるのだ」…というシーンがありました。 だとすれば、幸不幸は自分次第ということになりますね。 幸不幸は他人と比較もできないし、他人が幸せと感じることが自分も幸せと感じるかどうかも分からない(不幸の場合も同じ)ので、やはり同じ量なのかもしれませんね。なかなかそこまで達観できませんが…。

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    聞いたことあります。

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    長男同居嫁
    「幸せを喜んじゃいけないの?」って思ってしまいますが、 「恵まれて、幸せな時ほど感謝をして謙虚に、そして辛くて不幸な時は意地でも前を見て進むようにする生き方」がいいそうです。 これは聞いた話なのですが私も実行できていません。 恵まれた、幸せな子がいるとつい、観察してしまいます。 この人はどういう心構えだから幸せなのかな? 何が良いから恵まれてるのかな?とかです。 それが判明した時、すごく嬉しいです。

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    同じなんて思えません

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    インコ
    人生たそがれ時に入ってますが幸福の形は同じでも不幸はさまざまな形をしています。私の人生他人様からも辛い人生だねって言われるくらい不幸続き。心のもちよう云々以前に前世でよほど悪いことしたのだろうと思う今日この頃。 虐待を受けて何の為にこの世に生まれてきたのだろうと思うような子供もいます。 貧しい国の子供は親に売られたり。結局幸不幸が同じだと思える人はそうだったのでは。 私は幸福だと思ったのは不幸の10分の一くらいです。

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    チャンスの量、数は皆同じだと思う。

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    漫画大好き
    はじめまして、私も山岸涼子さんの漫画の大ファンで、長編から短編集までだいたい目を通していると思います。白眼子も読みました。私の意見ですが、(漫画の内容とはずれるのですが)幸不幸の量が同じと言うよりもチャンスの量は同じでは?と感じています。チャンスを生かせる人もいるし生かせない人もいるでしょ?チャンスを生かせる人って言うのは自分にも自信や肯定的なイメージを持っている感じがします。白眼子に出てくる女の子は、自分への自信、肯定的なイメージが足り無さすぎる。でも夫の海難事故、結婚してから疎遠になった白眼子とその妹と再会したり、夫が亡くなってから子供と自分を食べさせるために仕事に就いたり、漫画の後半の方では、大人の女性になった彼女を見られます。後、白眼子と言う人は人間が本来持っている良心、賢明さを表している人だな~と感じます。主人公の女性は超能力者ではないのですが、一番白眼子の考えを理解し受け継いだ人じゃないかな、と思います。だからあれだけ白眼子に可愛がられたんだろうと思います。

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    全く同じとは思わないけど

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    ふむ
    同じ、と思いたいところですが、そううまくはいきませんよね。 ただ、幸と不幸の線引きって、その人によって、また見る人によって違ってきたりするので、幸不幸の量を比べること自体不可能じゃないでしょうか。 幸不幸はきわめて主観的なもので、人と自分を比べることも、人と人とを比べることもできないと思います。

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    タイムリー!!

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    ゆき
    数年前に読みましたが、なぜか今朝通勤時に白眼子を思い出しました。 周辺の人はわからない。どこをとっても幸せそうに見える人もいれば、条件的には割りと満ち足りてるのに私は運が悪いのよという人もいるし。 芸能人はとてもわかりやすいですよ。 売れっ子で、結婚・子供・成績・多額のお金・家を手に入れると、親がなくなる・離婚・事故、病気になってます。 例でいうと、明石家さんま・北野武・安室奈美恵・渡辺謙・和田アキ子、など売れっ子程わかりやすいのでは。 なんとなく難に逃れてそうな人って、妻は売れっ子だが夫が売れなくなった・人気女優が結婚したら専業主婦に、夫は順調・ほどほどの売れっ子の位置から動いてない、離婚や事故とは無縁だったり。

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    思いません。思いたいけど。

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    アリア
    本当に同じなら、自殺する人とかいないと思う。 それに、幸福や不幸の感じ方は人によって違うので、傍から見ると大したことないようでも、本人にとってはとても幸福だったり、不幸だったりすると思う。 ものさしが一つではない、と思ってます。 だから、違うと思います。

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    幸福は平等に増えるものと信じます

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    のり
    表現は月並みですけど、幸福は「量」を他人と「比較」するものではなく、個人の「心」「考え方」の問題ではないかと思うんです。他人と量を比較する思考をすると、自分が不幸な時に幸せな他人を見て、つい意地悪な考えになりませんか?「私はいずれ幸せになり、あの人はいずれその幸せが崩れる」と。 他人から羨ましがられるような生活をしている人でも、強欲な人は「もっと、もっと」と不満が募り、今ある幸せを感じられません。一方、苦しい生活環境にあっても、日々の小さな幸せに敏感で、人生は全体として幸福だと感じている人もいるはず。 幸せって自分の今ある環境に集中することだと思うんです。私は家庭の都合で就職できません。バリバリ仕事をしている女性が正直羨ましいです。でも、今自分に与えられた生活環境の中で「より」幸福になることに神経を集中するようにしています。だからこそ、他人の幸せも素直に喜ぶことができるのだと思います。仕事が出来ない焦りもありますけど、この方法で、幸福は着実に増えてます。お互いに、明るく爽やかな幸福を味わいたいですね。

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    同じというより、とりようで変わるのでは?

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    ぽち
    タイトル通りです。結局、幸せか不幸せなんて、心のとりようでどうとでも変わると思います。究極、「でも生きているから幸せだ」と思えば思った者勝ちといいますか・・・。 ただ、「よりどころ」にはなりますね。「この世に正義なんてあるのか!」って思っても、「因果応報ってこともあるか」と思えば楽になる。 宮部みゆきさんの作品「ぼんくら」で、主人公(同心)が子供(商人の子供)に「神を信じるか」と質問した時、その子供がなかなか興味深い言葉を言っていました。この子のほうが私よりもうまく説明できていると思います。興味があれば、ご一読をおすすめします。

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    とても同じとは思えない

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    なんな
    やっぱり同じとは、とてもとても思えませんね~! 生まれた時から環境によって、随分と差があるのは誰もが承知の事・・・。 なに不自由なく親にも物質的にも恵まれていて、それでいてたとえ心の中が満たされなくてとても辛い・・・なんていうのなら、生まれた時から親もいなく、苦労して働いて、物質的にも恵まれず辛い・・・ の方が、私なら嫌です。 幸不幸の量というのは、要は精神的な意味ではないでしょうか?それなら皆同じ様な気もしますが・・!? 恵まれて両親に愛されて育った人は亡くした時、きっと死ぬほど辛い事となりますし。 ・・・というわけで、物質的には幸不幸の量は確実に違いますが、精神的には皆同じ(?)・・だと私は思います。

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    そうですね・・

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    もも
    一概にはそうは言えないと思います。 私はスピリチュアリズム的な物の考え方を取り入れている者なのですが、自分のあり方が幸せを招く事もあれば不幸を招く事もあると思っています。 「不幸」の種類として、1 「避けて通れない、この世に生まれる前から自分で計画してきた試練」と、2 「善くない行いや考え方、不注意が招く災い」があります。一見1 は不幸に見えますが、厳密にはこれは不幸とは言えません。 「幸せ」に関しても、あまり恵まれる事に固執しすぎると「災い」を招きます。 この世の中に起こることは全て必然で、偶然はないのだそうです。なので一般的な意味で「幸せと不幸の量は誰でも同じ」とは言えないと思います。

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    昔読みました。

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    sakana
    また実家に帰って読みたくなりました。 あの人は幸せそう、いいなと思うことはよくあります。難病になってからは特に。 何で自分ばっかりこんなことになって。と。 でも・・・たまには思うんです。人と比べて幸せだとか不幸だとか思うのは、もうどうでもいいと。 同じ状態でも、幸せと思う人と不幸だと思う人がいる。で、自分がいかに楽しく幸せになるかを考えたほうがいいと。 他人から見て私は不幸に見えるかもしれないけどそんなことはどうでもいいです。 他人と比べて身体を小さく縮こまらせているより、楽しいことをやって毎日を生きていければそれでいいと思ってます。 人の幸せの量が同じかどうか、私には断言できないしどうでもよくなりました。

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    こんな考え方もある

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    ラン
    昔、雑誌に載っていたエッセイなのですが、 「神様は人を公平に扱うようにしている。だから人の幸せと不幸せの数はみんな同じである。ただ、神様は大変忙しいので、その質までは考えていられない。 将棋に負けることも不幸の一つだし、事故にあうことも不幸の一つである」 というものがありました。 同時はまだ小学生だったのですが、「なるほど」と思いました。

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    良い話ですよね

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    ネコムライス
    山岸凉子の漫画、面白いですよね。その中でも「白眼子」は、何回読んでも泣けます。 田辺聖子がエッセイの中で「幸運」と「幸福」の違いを述べられていました。その受け売りですが、、 幸運な人というのは、客観的な目でも判断できます。お金持ちだったり、良い会社にお勤めしていたり、社会的に地位のある人と結婚できて子供にも恵まれて・・とかとか。 幸福というのは、上記の幸運な要素がまったくなくても、感じている人は感じていると思います。 幸福は平等か不平等か・・というより、本人の感じ方次第だと思います。

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    トピ主です

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    ノンナ
    たくさんレスをいただきありがとうございます。2月9日午前の分まで読ませていただきました。いろいろなお考えがあって参考になりましたし考えさせられました。 幸不幸は考え方次第、チャンスは平等でどう生かすか、その通りなのですが、不幸なことが起きた時幸せに転換するのは難しいときもありますよね。そこをどうするかが人生の分かれ道なのかな、と思います。 「白眼子」の中で、北海道の事業の成功者が刺殺されるエピソードがあって、白眼子が「彼は多くを望みすぎたからああなった。どうしてこれでもう十分だと思えなかったのだろう」と言うところが、現実の世の中の事件と重なるところがあり、ふとこの作品を思い出しました。 山岸さんの作品の、人生への鋭い見識や人間像には、いつも感心してしまいます。

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    同じかも。

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    スピリチュアル
     多分、同じなんだと思います。ただ、私は生まれ変わりを信じているので、それが、一生のうちに、同じにならないだけだと思っています。  一人の人間が何度生まれ変わってくるのかは全く分からないのですが、その繰り返しの中では帳尻があってるんじゃないでしょうか。  だから、すごく悪いことをした人が、家族に看取られて幸せに大往生をしたりとか、何にも悪いことをしてない人がずっと辛く苦しいまま亡くなったりということもあり得るかな、って。  ちょっと、皆さんとは違った意見だとは思いますが、書いてみました。  あと、幸不幸は人の受け取り方だと言う意見にも賛成です。常に幸せを感じられるような生き方をしたいといつも思ってます。

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    違います

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    もも
    なぜなら幸せや不幸と思うのは人によって受け止め方が違うからです。 同じ額を持っているお金持でも「これだけしかお金がない、もっともっとほしい。今のままじゃ不幸だ」と感じる人もいれば「こんなにお金があって有難い。幸せだ」と感じる人もいます。 また、同じ病気をしても「何で私だけ?何で歩けないの?私は世界一の不幸者だ」と思う人もいれば、「病気をしたおかげで健康の有り難味がわかった。歩けないけどご飯が食べられる、本当に幸せだ」と思う人もいるわけです。 だから心の持ちようでどちらにもなれるわけです。 それを「量」で表すのはあまりにも物質的なこの世の考えです。

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    長谷川町子さんのマンガで・・・

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    ろくぶんのいち
    こんにちは。 私は「白眼子」は未読なのですが、長谷川町子さんのマンガを思い出しました。 確か「いじわるばあさん」の、どの巻かに収録されていたものです。 最後に読んだのが既に20年以上(?)昔なので、細部は忘れましたが… 良い神様と意地悪な神様がいて、ある赤ちゃん(男の子)の人生をそれぞれ思うように誘導しようとします。 良い神様は、順風満帆、いい学校を出て立派な会社に勤め、家族に恵まれる人生。 意地悪な神様は、それが面白くなくて、事故に遭わせようとしたり、無人島へ漂着させようとします。 結果的に良い神様の思うとおりの人生をその子は歩み寿命を全うするのですが、死ぬ間際に 「自分の夢は絶海の孤島で、サルを友にのんびりと生活することだった」と言い残して世を去ります。 その夢こそは、意地悪な神様が彼にたどらせようとした人生でした。 「人間はよくわからん」と神様2人が共感して退場するところで物語は終わります。 小品(とはいえ、4コマ中心の長谷川さんのお仕事中では長い部類かも)ながら、含蓄深く、今でも時折思い出します。 人の幸不幸について考える時に。

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