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源氏物語 素朴な疑問(やや駄)

レス42
(トピ主 5
041
しっぽな
話題
源氏物語が大好きです。 瀬戸内寂聴さん訳の本を読み、その後コミック「あさきゆめみし」を読みました。 小説の中の小さなシーンやエピソードが、コミックでもちゃんと描かれていて、 セットで読むととてもわかりやすかったです。 また、衣装や御殿内の様子など、ぼんやりしかイメージできなかった景色を 絵で見ることができて、「なるほど、こういうことね!」と理解できることも多かったです。 とはいえ、現代とはあまりにも違う別世界。 すごく単純に、不思議~と思うことが出てきます。 源氏物語の世界でのちょっとした疑問・・・教えていただけませんか? ・床を引いて布団をかけて寝ていたのは偉い人だけ?  女房とかお付きの人たちはごろ寝してたの?布団もなしで? ・女性のところへ出かけては夜が明けないうちに帰ってくるようだけど、  夏場は3時とか4時前の朝帰り?光源氏、寝不足になりませんか? ・何かにつけて歌を詠みますが、受け取った方はいつも正しく解釈できてるの?  それとも、歌の前後の普通のやりとりで理解してるのかな? 当時のことにお詳しい方、ぜひ教えてください。

トピ内ID:2142696202

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こんな感じではないかと

041
たこ焼き
まだ布団がなかった時代なので、皆着物を被って寝ていたと聞きました。今のような敷布団と掛け布団になる前は、分厚い綿が入った着物型布団を着ていたそうですが、源氏物語の頃は、それさえなかったみたいです。 寝不足の件。そうですよね、私も思ってました。ただ普段から管弦や月見などで夜更かしばかりしているようだし、仕事といっても数時間で終わるみたいだし、昼寝するんじゃないでしょうか。割と簡単に仕事をさぼって出仕しないみたいですし。 歌は、結構みなさんわかってたのではないかと想像しています。本歌取り(元ネタがある)が多いし、秋といったら飽きにかける、などの約束事が山ほどあるので。個人的には、関西のお笑い界にこの決まり文句や切返しの「パターン化」の伝統が残っているのでは、と思っています。

トピ内ID:6710266350

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詳しくはないですが

041
源氏物語大好き
平安時代の布団は、現在の布団とは違います。 まだ布団というものがなく、昼間きていた着物を上にかけて寝ていただけのはず。 敷き布団もまだなくて、寝るときに畳をひいて、その上に横になっていたようです。 女房クラスになると、同じように昼間の布団を上にかけて寝ていたでしょうが、平民は、なかったようですね。 寝不足にならないかという点ですが、夏場でも暗くなると、即寝るような時代なので、今とは寝る時間が違うんだと思います。 暗くなると即忍んで行き(夏でも7時くらいになると暗くなりますよね)、その後、寝ているんだと。 和歌の意味のとり違いですが、これはあったようです。 自分が送ったのと違う意味にとられてしまった場合とか、逆に相手がわかっているのに違う意味にわざととった場合とか。 これらも恋の駆け引きになっているようです。

トピ内ID:0572460786

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面白い(1)

041
歴女もどき
殺伐とした内容のトピが多い中、なごみを提供いただきありがとうございます。(笑) 平安時代が好きで過去にいろいろ調べたことはありますが、素人ですので、間違った部分があるかもしれません。 ・布団 おそらく当時綿が入った布団は高級品or存在しなかったのかと。敷布団はあったと思います。掛け布団替わりには十二単のような打掛を使用していた図を多く見かけます。 当時は医療体制も大したことないから、身分の高い人は防寒もあってそれなりのものは用意していると思います。女房の身の回り品は自分で持ち込むのが基本なので、そこがまた実家の財力がものをいう世界だったでしょうね。基本的に通い婚だったし、そんなに身分の高くない男性は高貴な人につかえてる女房たちの身に着けているものなどを見て、実家の財力を判断していた可能性もあるかと。

トピ内ID:7006372589

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面白い(2)

041
歴女もどき
・朝帰り 当時の照明器具は油とか炭を燃やす明かりだけです、これも高級品です。だから基本的に貴族だろうと農民と一緒で、日の出とともに活動し始め、日没には就寝します。当時の人にとって夜は鬼とか怨霊とか百鬼夜行の世界ですしね。だから夏場の朝3時4時帰るのは不思議じゃありません、それに女性のところに行くのも毎日じゃないです。3日連続顔を出したら、それだけで結婚の手続きが完了するようなシキタリですから。 ・和歌 歌をどういう風に作れるか解釈できるか、これが平安時代のステータスです。スタートは顔を知らない相手ですから、歌の内容はもちろん、使っている紙の種類、紙に炊き込んでるお香の種類、紙を結んである季節の花の種類、送ってくるタイミングなど、すべてが評価対象になります。相手もそういうのを承知して送ってきます。なので、相手の言わんとしていることをくみ取れない、または機転の利かせた切り替えしができないのであれば、次のステップに進めません。 確か、歌とかのセンスがすっごい良くて、これはかなりの美女だ!って期待していたら醜女だった!的なエピソードがあったような。 深読みしてなんぼの時代だったのです。

トピ内ID:7006372589

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平安時代ってちょっと憧れますよね

041
にわ
私も興味のある分野です。 読めば読むほど、当時の習慣って不思議だし疑問もわんさか出てきますよね(笑) 私が答えられるのは歌についてだけですが・・・ 当時の貴族階級のたしなみとして和歌は必須中の必須でした。 また、和歌には約束事もたくさんあります。 わかりやすいところでは掛け詞や枕詞、序詞などがそうですよね。 他にも、花が「散る」は桜、「香る」は梅のこと(例外あり)など、「〇〇はこういうこと」と暗黙の了解のようなものもあります。 また、貴族のたしなみとして、他の人の名歌を覚えるということもあったようです。 そして時にはそれを引用したり、故事を踏まえて歌を詠んだりします。 なので、お互いに知識がないと、ちんぷんかんぷんですよね(笑) それから、当時の男女は今みたいに自由に会えないので、まず歌のやりとりから始めます。 なのでお互いの第一印象は、噂か実際の歌のやりとりがほとんどだったと思います。 歌の知識がないということは、優雅でなく知識もない、恥ずかしいことだったそうですよ。 なので、よっぽどでない限り、お互いの歌の意味は理解できていたと思います。

トピ内ID:9507578336

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面白いトピですね

🐤
キューピー
古典の授業を思い出しました。 平安時代は布団というものがなかったらしいです。 敷き布団は薄い畳みたいなもので、その上に寝て、自分の着物をかけて寝るだけ。 天井もなかったそうですし、冬の京都はさぞ寒かったろうと思います。 相当な身分の人でもこんな寝姿なので、お仕えする人はもうごろ寝に近かったかも。 宮中は必ずしも毎日行かなくてもいいのでは。 物忌みだのなんだのと、縁起に振り回されている時代ですし。 だから、朝帰りの日はゆっくり家で寝てたんじゃないかと思います。 それとも若さゆえの体力でカバーしてたんでしょうか。 源氏物語にも歌の才能がない人がときどき出てきます。 ただ、身分の高い人には不得意分野を補ってくれる女房が仕えてますから 大きな誤解はなかったと思います。

トピ内ID:9698567477

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詳しいわけではないですが、

041
菜の花
平安時代の高貴な方々の敷布団は畳(のマットレス風の物)で、 掛布団は“かいまき”という、厚手の着物のような物だったと思います。 下々の皆さんは“むしろ”という藁などで編んだマットに、 昼間着ていた着物をそのまま掛けていたようですよ。 朝帰りは、平安時代ならまだ夜明けとともにご出勤の時代じゃなかったかなぁ? 夜明けとともに仕事開始だったっけ? まぁ今とは違ってそういう時代なので。 お歌は違うように読み取る人もいたでしょうね(笑) そもそも一つのお歌から 読み取り方次第で変わったりするものもあったようですよ。 ただ好きなだけで決して詳しく勉強している者ではありませんので、 間違えていたらごめんなさいね

トピ内ID:8353970041

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分かる範囲で。

041
ささ
・女性のところへ出かけては夜が明けないうちに帰ってくるようだけど、  夏場は3時とか4時前の朝帰り?光源氏、寝不足になりませんか? 当時の貴族は午前中しか朝廷(お仕事)がありませんから、 午後はお昼寝をしています。だから大丈夫です。 ・何かにつけて歌を詠みますが、受け取った方はいつも正しく解釈できてるの?  それとも、歌の前後の普通のやりとりで理解してるのかな? 歌が詠める(読める)ことが最低限の貴族の常識だったことから、 私たちの世界だと「現代文」読解みたいなものだと思います。 私たちと違って、勉強する科目が「古文」「漢文」「政治経済」 しかないようなものですから、どんな人でもある程度の歌は 詠める(読める)ようになるものと思われます。 歌が苦手なら、賢い女房もいますしね。

トピ内ID:6881004512

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きぬぎぬの別れ

041
Jin
たしか、掛布団が使用されたのは江戸時代中期以降だったと思います。平安時代は板の間にお互いの衣服を敷いて就寝していたはずですよ。

トピ内ID:7605962603

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久しぶりに読みたくなりました。

041
朋子
平安時代は日本らしい文化が花開いた時代でとても興味深いですよね。 お布団ですが位の高い人は寝台を組んで専用の畳の上で寝ていたようです。 敷布団、掛け布団は江戸時代位だったからだと何かで読んだことがあります。 掛布団は貴族や天皇でもかい巻って襟とかが付いた服のようなものを羽織って寝ていたそうですよ。 位の高くない人は普通に日中来ていた服だったそうです。 女性の所に行った、行かなかったは関係なく昔の人は朝日とともに起きて日が暮れるまでに寝付ける状態にしていたと思います。 歌は何か共有している者たちには通じるけれどそれ以外の人には通じないような内容だったりするのでは? でも関係のある二人でも邪推したり、勘違いしたりしていたかもしれませんね。 現代のメールでも別にアプローチしていないそっけないメールでも自分に好意があると勘違いする人もいますし。 今までラブラブなメールを送った事ない人がめずらしくラブラブなメールを送ったら何か後ろめたい事をしたんじゃ?と疑われたりなんて事もありますし。 昔も今も恋愛は難しいですね。

トピ内ID:7856278367

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レスします

041
tetu
今で言う「むしろ」は古くからありましたので、むしろをひいて麻衾を掛けていました。やがてむしろを重ねた畳の上にしとねと呼ばれる絹や毛皮で作った敷布を重ねる様になりました。その後平安末期鎌倉時代頃に掻巻が登場します。当時は未だ木綿が無かったので真綿・麻・絹等です。 女性の処へ行ったら徹夜しないといけないんですか?就寝って場合もあると思いますが。 それに当時の宮中での仕事は午前6時7時位に御所へ参内、仕事は午前中ですから。 和歌・漢詩等教養が無いと貴族失格です。有職故実に疎いと出世に響きます。 宴等がある場合は自分の才能をアピール出来るチャンスですから。 和歌を理解するのは教養として身に付くでしょうが、詠むのは感性の問題ですからね。藤原行成の様に書でアピールした例もありますから。

トピ内ID:9117519643

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趣味の範囲ですが

いとおかし
家屋敷があっても、まだまだアウトドアです。 キャンプに行ってテントを張って、夜は服のまま寝ませんか?良くて寝袋です。 畳みは『超』高価で、ソファーベッドのような感じでしょうか。 アウトドアにソファーベッドは高貴な方だけです。 仕事は、夜明けからお昼までが基本で、自宅にいても夜明けには出勤です。 和歌は、今で言うメールの絵文字やスタンプだと思えばどうでしょう。 少し前は、お正月に「あけおめ、ことよろ(あけましておめでとう、今年もよろしく)」と短縮していた物が、今では色々な絵文字やスタンプで交わされています。 和歌も絵文字も、ただ詠めて使えば良い訳でなく、「センス」が必要でもあったりなわけで・・・ 読むほうにも同じだけのセンスを持ち合わせないと、成りたたなかったでしょうね。

トピ内ID:9687715865

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トピ主です

041
しっぽな トピ主
早速のレスありがとうございます。 素朴な疑問が、次々解明されて嬉しいです。 今もある「かいまき布団」は、あの時代からのものなのかしら。 それにしても、冬は寒かったことでしょう。 湯たんぽくらいは使われていたのかな。 羽毛布団や電気毛布やフリースにくるまれて寝られる私たちって、 きっと当時の帝以上の生活してますねー。 宮中の仕事は午前中だけだし、夜のスタートが早いので朝早いのも大丈夫、とか、 和歌のお約束事なども「なるほど!」です。 歌だけでなくお香・紙・花等々、いろんなセンスが問われる当時の宮中の方々は 本当に大変ですね。 「当時のことに詳しい方・・・」と書いてしまいましたが、そうじゃない方のご参加も是非! また、「私もこんなことが疑問」「あれはどういうこと?」などありましたら、 ぜひ便乗して書き込んでみてください。 そしてご存知の方がいらっしゃれば、答えていただけたらと思います。 このトピが「源氏物語の楽しいQ&A」になれば嬉しいです。 私もまた新たな疑問が思いついたら書き込みます。

トピ内ID:2142696202

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昼には退庁してましたからなあ

041
くろ
摂政兼家の記録とか残ってますが、6:30に参内して、10時頃退庁ですとよ。 遅くても、正午には退庁。 だから午後は寝ようと思えば寝放題だし どうも文章読んでてもグダグダダラダラ状態が感じられますわな。 ま、兼家君なんかは随分精力的ですから、 午後も色々動き回ってた感じがしますが。 男性はまだいい、女性なんかズーッと脇息に寄りかかってグダグダダラダラ半睡状態ですしな。 で、夜になると爛々と目が冴えてきて、相手と会うときはいいですが、 相手が来ないときとか色々ウダウダグルグル考え回って自主徹夜。 「こんな生活してるから平安貴族はみんな半ノイローゼみたいな事になってたんですよ、 セロトニン不足の鬱状態とかね」 と古典の先生が言ってたことがあります。

トピ内ID:8178239058

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私も平安時代好きです

041
ぴぴ
私も平安時代と和歌好きなので嬉しいトピです。 私が色々と読んだ中で覚えている中書かせて頂きます。 1布団という記述は覚えてません。高貴な方でどなたかの女性の歌で、夜男性と身ごろを重ね合わせて寝たという歌を見た覚えがあります。あと着物に冬の夜用?の綿のようなものが入ったも着物について清少納言に書いてあります。女房は寝る時用の着物を着て寝ていたのでしょうね。 2光源氏は宮廷で働く人で、警備の仕事だと当直もあったようです。今のように9-5時で働いていた訳ではないのと、高貴な身分の方ばかり働いていて、遅刻などで誰も何も言わないのではないでしょうか。清少納言では女房達は、中宮様が寝るまで(夜中まで)一緒に部屋にいたようで、中宮様が寝室に行くと女房の部屋に引き上げたようです。なので、宮廷の仕事は現代のような時間制ではないようです。シフト?ですかね。 3歌の解釈は教養のある人でないときちんと出来ません。女性が若いと親が代わりに歌の解釈をしたり、返事をしたりしたそうです。後貴族から一般の人への歌もやはり解釈を間違えて返事は来たりしたそうです。

トピ内ID:3905667123

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お言葉に甘えて便乗していいでしょうか。

041
なるほど
こんにちは。いいトピですね! 私も、どうも平安時代は、イメージばかりが 先行して漠然としてしまいます(汗。 便乗で質問させて下さい~。 ズバリ 「お姫様って普段、具体的に何してたの?」 女房達は働いてますよね。おそらく 大抵の事はその人達がやりますよね。 お姫様本人って、歌を詠み、男性を待ちわび 家に来れば接待、それ以外のイメージが全くありません。 西洋の姫達なら、パーティーなど社交の お役目もあったでしょうが、基本、平安の姫達は 家から出ないし、人前にも出ない。 子供は産むけど、育てる実作業は別の人だろうし 旦那の衣服を揃えるのは妻の仕事と聞いた事がありますが 実際に縫うわけでなし、決まったしきたりにそって 注文するくらいでは? もちろん料理もしない。 勉強も、頑張って賢くなりすぎない方がいい。 風呂すらろくに入らない。 あの服じゃ歩くのも大変。 一生分の毎日、朝から夜まで どう過ごしていたのか想像がつきません。 気が遠くなるほど暇すぎるような…。 女性の自由が~とか、そういう問題はおいといて 実際、具体的に、何していたのか 意外にやる事あったりしないんでしょうか。

トピ内ID:0960564399

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平安時代

💍
リリア
まずは 和歌はすべての人が出来るわけがありませんから 読み書きが出来る事が 貴族もしくは それに順次する人。ちなみに 紫式部や清少納言は中流貴族で結構近い間柄。宮廷に上がった時は 少し時代がズレているため。面と向かってけんかは無い。この時代シモジモは 土間にゴザや藁をかけて寝る 少し裕福になると 板間に何かしらかけて寝る。ちなみに平安時代は通い婚で 男が女を訪ねた。光源氏が晩年館をつくり その中に女達を住まわせたのは、あの時代でも 超あり得ない事らしい。まぁ物語だから。

トピ内ID:6956514357

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わたしも便乗して疑問いいですか?

🐱
にゃんこ
わたしも源氏物語、大好きです。 長年疑問に思ってることを質問させて頂いてもいいでしょうか。 それは当時の人は時間をどうやって知っていたの? ということです。 鐘がなるとは聞いたことありますけど、 鐘だけで今何時?ってわかったんでしょうか。 源氏も暁までには帰らないといけない、というのはあると思いますが、その暁はどうやって判別するのかと・・・ 鐘の音色や回数が違うのでしょうか。 それとも、暗くなってまだ空が白みかけてないから暁? 長年の疑問です。 詳しい方がいらっしゃったら、教えてください!

トピ内ID:1264535513

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便乗質問!和歌を詠むとき、節まわしは?

041
ハラペコ
1、例えば源氏物語を読んでいると、何かにつけて会話の中で和歌を詠んでいますが、 紙に書いて相手に渡すという場面ではなく、つまり実際に口に出して詠むとき、 現代で読み上げるときみたいな節をつけていたんでしょうか? 2、長年、勉強して練習してきたことでしょうから、 現代人がやるよりはスラスラと和歌を作れたのではないかと推測しますが、 会話の中で和歌を詠まれて、それに歌で返すときなど、 そんな瞬時にうまいこと作れたんでしょうか。 それとも、現代に比べると会話のテンポが遅く、 返歌を組み立てるあいだお互いに無言になるのも当たり前ということだったんでしょうか。 3、例えば典侍など宮中で働く女官たちは、男性の前でも顔をさらして生きていたの? ある程度の役職につくには、それなりの家のお姫様でないといけなさそうな印象ですが、 宮中での実務にあたる間、同じ場所で働くその他多くの男性貴族とも 顔を合わせる機会があったのではないかと思います。 つねに扇で顔を隠していては片手しか使えませんし、どうしていたんでしょう。

トピ内ID:4210602321

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答えになってませんけど

ぽれぽれまる
同時代、紫式部のライバル清少納言の「枕草紙」には、「冬は早朝がすばらしい」って意味のことが書かれてるんじゃなかったでしたっけ。 京都の冬の早朝。絹って重ね着すると結構あったかいって言いますけど、アルミサッシもウールもダウンもヒート○ックも、ファンヒーターもボア付ブーツも使い捨てカイロも無い時代の京都の冬の早朝。が、すばらしい!! 冬に限りませんけどね。夏の夜を楽しむ。扇風機も冷えたビール(冷蔵庫)も無い時代の彼(女)たち。 ファンヒーターも冷蔵庫もダウンもアルミサッシも揃ってて、それでも暑いの寒いの文句言ってる私たち現代人とは、根性の質から違うのかもしれません。

トピ内ID:5972651607

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興味深い時代ですよね

041
ふゆこ
当時の貴族や宮仕えの女房には、和歌や漢詩、特に古今和歌集は必須教養でした。 あさきゆめみしなら、女三宮が「谷には春も」とボソッとつぶやき、それをうけた源氏が落ち込む場面がありますが、古今和歌集などの歌の一部分をさりげなく出して、たちどころにどの歌でどういう意味かを理解し、気の利いた受け答えで返せなければ頭が悪いということになったようです。 当時の貴族は古今和歌集始め有名な歌集ならほとんどそらんじていたのではないでしょうか。 もちろん、即興で自作の和歌を詠む素養も必須でしたけれど。 それと湯たんぽは知りませんが、石を焼いて熱くし、布でくるんでカイロのように使うものはあったようです。 トピ主様は氷室冴子のジャパネスクシリーズを読んだことはありますか? ごくくだけた一人称の文章で読みやすく、当時の風習なども分かりやすく出ています。 難しい古典は苦手という方におすすめです。

トピ内ID:6168060096

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お姫様の生活

041
歴女もどき
・お姫様の生活 いいところのお姫様はそれなりに勉強も必要だったようです。だから子供のころはそう言った教養(読み書き、和歌、楽器)を身に着けるお勉強が生活の主だったと思います。 そう言った勉強が一段落すると外出厳禁の生活ですから、当時の最高級品である砂糖菓子を楽しんだり、楽器(琴、琵琶)を奏でたり、漢文などの本を読んだり、絵本のような絵物語を見たり、神経衰弱の和歌版の貝合わせをしたりとそれなり娯楽はあったようです。でも一番の楽しみは、比較的に外界との接触がある女房との(男性に関する)噂話でしょうね。 あとイレギュラーですが、外出厳禁でもお寺にお参りすることは許されていたようなので、若くてイケメンなお坊さんがいるお寺は人気だったようですよ!みんなバッチリお化粧して、着飾っていくそうです。仏様から見ると動機はとことん不純ですが(笑)

トピ内ID:7006372589

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水時計

041
歴女もどき
平安時代の時間の把握は水時計と呼ばれる時計で管理されていたそうです。おそらく中国から伝来したのでしょう。 作り方は簡単で、壺に目盛をつけてウキを用意。あとはいくつかの壺を段差みたいに重ねてウキが入っている壺に流れ混む水の量が常に一定であるようにコントロールするだけです。たしか「漏刻」という名前だったような気がします。 この漏刻を管理、メンテナンスしつつ、時間を知らせる部署がちゃんと当時の宮中にあったようです。一定時刻になると弓の弦を鳴らして知らせるそうですから、それに合わせて鐘を鳴らす係もいたのでしょう。そして鐘が鳴るのも今で言う1時間ごとではなく、1日数回で(朝、昼、晩的な)、時間帯によって鳴る回数が違っていたのではないかと思います。 過去に中国に旅行した時に、旧市街の両端にそれぞれ鐘楼と鼓楼がありました。もしかしたら平安時代も時刻を知らせる時鐘と太鼓の回数を組み合わせていたかもしれませんね。

トピ内ID:7006372589

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歩けるの?

041
たこ焼き
・一日何をしていたのか。 まさしく有閑マダムだったのではないでしょうか。「あ、梅の香りが」と言ってはいくつも歌を詠んで1時間とか。貝合わせ、すごろく、物語の優劣を論じあい、挙句の果ては菖蒲の根っこ比べまでして遊んでますよね。それにきっと現代と比べて何もかもゆっくりだったんじゃないかと思ったりしてます。「今日はいいお天気」としゃべるだけで10秒かかるとか。 ・時刻 太陽や月の傾きなどでいたって大雑把に時間を計ってただけなのでは。会う時刻を約束している様子がないし、用事があれば使用人をお使いに出しているみたいです。午前、昼下がり、夕方くらいのゆるーい時間感覚だったんじゃないでしょうか。 私が疑問なのは、歩こうと思えばちゃんと歩けたのか?です。何でも部屋の中でも膝でズリズリと移動していたとか。そんな暮らし方していたら、足の筋肉が弱ってしまって歩きたくても歩けなくなりませんか。

トピ内ID:6710266350

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専門家ではありませんが

🐤
花子
警備ではなくとも、当直勤務はあります。 殿上人(いわゆる貴族。五位以下は下地人と呼ばれ、各省庁で働く下級官僚です。)は宿直(とのい)が義務でした。 もっと偉くなると免除です。 お姫様でも裁縫すると思いますよ。 流石に女御レベルまでいけばしないでしょうが、お姫様と言っても平安貴族なら「お嬢様」ですし。 また、運動不足のため満足に歩けなかったお姫様もいたらしいです。 出展は忘れましたが、女房達に支えられる姿に感動したと言う話があったと思います。 また宮中勤めは、憧れでもあるけど、男性に顔を見られる可能性が高いばかりか、直接口をきくのであまり誉められるものではなかったようです(普通は女房を介して会話する)。 ちなみに給与は男性の半分だったかな?退職金なし。年金なし。 結婚しないかぎり老後は悲惨らしいです。 あの小野小町でさえ、生活資金のために屋敷を売ったと言われています。

トピ内ID:3276645817

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風呂に入るのが、エステに行くより難しい時代

🐤
かなりー
平安時代には、まだ綿はありません。 絹や麻を草木染めしてました。 当然、手紡ぎ手織りです。 紙も貴重品で、公文書用紙は配給だったのが、有力貴族は自前生産でした。 これは、官服用生地も同じだったそうです。 有力貴族でも、なかなか風呂に入れませんでした。 近場で風呂の燃料になりそうなものが無くなり、焚き付けや薪の費用がかさんだためです。 女性の長い髪は、湯をかけて洗うのなんて年に2度ほど、ふだんは櫛で梳くだけでした。 公文書は漢文訓読です。 貴族男性は、文語は漢文、口語は和文でした。 和歌に呪力を期待したので、和歌の上手はモテ男認定され、歌会などの行事で重用されました。 女性は和文のみですが、紫式部は少し漢文も出来たので、語彙が多かったそうです。 当時、印刷の本はありません。 簡単なお経が印刷されるくらいで、本といえば写本です。 例えば、源氏物語なら、紫式部が原本を書いて家中で写しを作成、その写しを貸すか贈るかした先で、また写しが作成されて広まります。 貴族女性も内職をしてたようなものでした。 現代日本って、庶民が古代貴族より良い生活してて、すごいですよね。

トピ内ID:3618229740

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結婚後一緒に住めないの?

041
当時は通い婚って聞きますけど、具体的にどんな風だったんでしょうか? 光源氏の晩年のお屋敷が異例ってのは分かったんですが、他の人たちって寿命を迎えるまで男女それぞれの実家で別々に暮らしてたんでしょうか。 通い婚の時代なのに、たまに子どもが父親と暮らしてるっぽい記述があるのですが、あれって気のせいでしょうか? 女の子の「実家」の財力が物を言う時代ですが、その実家とはどこを指して、その家の主は誰になるのでしょうか?? 家督相続は当時も長男? では、家にいる妹や姉、その子供たち、さらに彼らの孫以下の面倒も、ずっーーーと面倒見続けるのでしょうか? ネズミ算式に扶養家族が増えそうですが。 独立した男性は屋敷を作ることもあるでしょうが、本家?以外の家は男性の一人住まいだったのでしょうか。 主(一人)以外は使用人のみの住まい? 現代人にはさみしすぎます。 誰か教えてください。

トピ内ID:8523148065

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再レスすみません

041
ぴぴ
楽しくてついまた出てきました。 >和歌に節をつけていたか。 和歌は基本お手紙で、読むのは宮廷サロンやの歌合などの時だと思います。元々和歌はよく吟味しないと一つの言葉に複数の意味がかかっていたり、有名な和歌集の歌を受けてのものだったり、早口で言われても良さを理解出来ないものもあるのです。だから、聞き逃しの内容にゆっくり歌を節をつけて読み聞かせるのは自然でしょうね。 >会話の中で和歌を詠まれて、それに歌で返すときなど、そんな瞬時にうまいこと作れたんでしょうか。 会話の中で歌を読んで返すのは実際あまりなく、普通は誰かが歌を持ってきて、返歌を返します。持ってきた使者が返歌を待っている時は、慌てて作ったようです。歌合などでは、和歌の天才と呼ばれる方達は即興で素晴らしい歌を作り皆を感動させました。普通の人はなんとか絞り出して体裁を保つのです。教養とセンスのある人同士の会話だと、素晴らしい歌、返歌もすぐ作れたのでしょうね。 >典侍など宮中で働く女官たちは、男性の前でも顔をさらして生きていたの? そのようです。清少納言も初めは恥ずかしかったと書かれています。

トピ内ID:3905667123

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二度目のレスを見て

041
りお
カイロ代わりに温石(おんじゃく)というのが 記述に出てきますね。 石を温めて布でくるんで暖を取っていた様子です。 あと末摘花の章で 兄の僧侶から「タヌキの皮衣」を譲り受け 暖を取っていた記述も出てきます。 源氏はそれをみて「見慣れない衣を着ている・・」と 引いていたので 高貴な人は使用しなかった様子ですが 野山を歩く身分の人は 普通に動物の衣も着用していたようですね。 あとお姫様は お寺の詣などを除き、普段は歩くこともご法度だった感じですね。 基本、室内では「いざり進み」膝をついていざり進んでの移動という感じ。 内大臣が見つけてきた身分の低い娘、近江の君が お姫様暮らしは辛いと漏らすところで 膝が痛くなった・・というような記述もあったと記憶してます。 日頃の暮らしの追加では 花散里などは「染物が得意」と言っていますので そういう趣味もあったようです。 あと誰かへ「あの方はお手(縫物)が早いから」と 縫物の上手さを現す記述もあったので 女房に指示だけじゃなく自らやる人もいたようですね。 それもたしなみの一つだったのかも。

トピ内ID:0593036198

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うーんと

🐤
花子
新婚のうちはお嫁さんの家に通い、子が出来たりしばらくすると自分の屋敷をもうけ、妻子を住まわせます。 が、お金持ちでないと親の対屋(母屋とは別棟の部屋)に住みっぱなしのこともあったかと。 夕霧はお祖母さんの家を譲り受けますよね。 源氏が異例なのは、「愛人」を住まわせているからだと思います。 平安時代は一夫多妻と言っても、2人くらいが普通だったようです。 ちゃんと儀式を経て世間に御披露目しないと、結婚したことにはなりません。 なので、確か妻にあたる人は葵上、紫上、女三宮だけだったかと。 明石君は子がいても、正式には妻ではないのです。

トピ内ID:3276645817

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