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(駄)昔から気になっていた小説

レス45
(トピ主 1
🐴
tora
話題
芥川龍之介の短編小説に『蜘蛛の糸』がある。
青空文庫にもなっており、ネットでも読めるので、話の筋は省略します。

長いこと気になっていたのは、「お釈迦様が蜘蛛の糸を地獄にたらしたときに、最後の結末を予測できなかったのだろうか」、ということです。

それから、仮定の話ですが、カンダタ(悪党の名)が、何も言わずに極楽にたどり着いたとき、お釈迦様はあとから無数に上ってくる人たちをどうしたのでしょうか?

1.すぐに蜘蛛の糸を切って極楽に入れないようにする
2.糸を切らずに、すべての人を極楽に招きいれる

人間の書いた小説ですので作者もそこまでは考えていなかったと思いますが、
皆さんならどう考えますか?

トピ内ID:4399998967

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解釈はいろいろあれど…

041
大ママ
いや、考えていたからこその結末ですよ。 作者が何を言いたかったのかと言えば、所詮、悪人は悪人でしかないのだ、その中に僅かな救いを求めても、悪人が悪人である以上、結果は同じだ、ならば、善か悪か、どちらかの煩悩の中でもがくしか方法は無いのか…無念至極である、ってことなのだと私は解釈します。 平家物語の一説と同じですよ。人間は諸行無情なり…を仄めかした物語だと思いますね。

トピ内ID:1896987225

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おもしろい着眼ですね。

041
幸ひ住むと人のいふ
カンダタが慈悲心(愛情)を示したら、彼自身は、まず極楽に入れたでしょう。 当初のお釈迦様の構想通りです。 では、他の亡者たちは? 彼らも感謝の気持ちなどもてば、全員だって救われたかもしれません。 エゴを出したら地獄に逆戻りでしょう。 トピ文にオヤッと思ったのですが「蜘蛛の糸」のお話そのものは、芥川のオリジナルではありません。 他の多くの芥川作品同様、古い話に取材したものです。 その大もとをいえば、いうまでもなくインド産で、そのバリエーションとしてはドストエフスキーの長編小説の中の「湖に落ちたお婆さん」というエピソードが一番有名でしょう。(「カラマーゾフ」だったかな?)。

トピ内ID:1662557604

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補足です。

041
幸ひ住むと人のいふ
芥川が直接のテキストにしたのはポール・ケーラスの「カルマ」に入っている逸話でした。 なお「キリスト教伝説集」にも類似の話があるそうです。

トピ内ID:1662557604

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おもしろい

😭
ルシフェル
>予想できなかったのか 気まぐれ。上ってこれればいいし、ダメならしかたなし。 落ちていったカンダタを見て、あ~あ、せっかくチャンスあげたけど残念だったね、的な。 ただ、こう考えると予測はできなかったことになりますね。 神や仏が万能でも慈悲の存在でもないということなのかもしれません。 >無数の人をどうしたか 1だと思います。 別に悪人に神(仏)の鉄槌を下すことにためらいはないかと。 こちらも慈悲の存在でないことの証左なのかもしれません。 仏は3度まで許してくれるので、その分神よりは慈悲深いのかも。 と、芥川龍之介も考えていたかどうかは、知りません。(笑)

トピ内ID:6315702833

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試験だった気がする

🙂
あいこ
お釈迦様はお見通しという言葉は有名ですが、蜘蛛の糸は試験だったので、 ある程度は見通しながら、カンダタの良心にかけていた部分もあると思います。 二の質問に関しては、物語にも記述ある筈ですが、カンダタが他の人間たちを蹴落として上に上がろうとしたので、 お釈迦様はカンダタを地獄の人間たちもろとも糸をちょん切って地獄に突き落とした筈です。

トピ内ID:7298447992

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芥川の世界観なんだなと思いました

041
ルバーブ
読んだのは子供時代でしたが、 この作家が道徳的な「お説教」をする場合は、 こういうふうなエピソードを考案し、 モチーフになさるのかしらと、 そういうふうに思いました。 子供心にこのひとは、 こういうことをこういうふうに考える ということを子供心にも学んだ気がします。 大人になっても思いますね、 極限状態における人間の行動のあれこれと、 それを救うはずの宗教と。

トピ内ID:2825431977

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お釈迦様は全てお見通しだったと思う

041
念仏
罪人の末路も解っていた上で、それでも小さき蜘蛛の命に情けをかけた男なのだから、と思っていたのではないでしょうか? 裏切られても、もう一度信じてみようという、人間がよくやる行動をやってみただけだと思います。 そして、やはり人間はそうそう変わるものではないのだなと、改めて自覚と失望を味わったのではないでしょうか?

トピ内ID:1618994198

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お釈迦様の心の内

お釈迦様の召使い
カンダタは長いこと地獄で苦しみ、自分の行いも反省していたので、お釈迦様はチャンスを与えられたのですよ。最後の結末がどうなるかはお釈迦様が予想するものではなく、カンダタ本人の心の奥深くにあるものに任されたのです。 後に続く人たちも同様で、もしその中に本当の意味で改心していた人がいれば、蜘蛛の糸が途中で切れても、何らかの偶然に助けられて天国に行けたはず。 「作者もそこまで考えていなかった」のではなくて、もっともっと深いところまで考えていたと思いますよ。死を見つめていた人ですから。

トピ内ID:2955635873

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やっぱり糸は切れる

🙂
一等賞
そうですね~。私も改めて考えてみました。 カンタダが極楽にたどりついた後は、やっぱり糸は切れてしまうんではないですかね~。それは、カンタダの時に糸が切れてしまった時と同じ理由になると思います。

トピ内ID:6470687661

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欣求浄土

041
おやじ
>2.糸を切らずに、すべての人を極楽に招きいれる 極楽に居れば、悪人も善人になるでしょう。 そうすると善人もいなくなります。 善人悪人は人間の小さい倫理観が生み出したもので、極楽(浄土)の宿主である弥陀の大慈悲は、全てを掬い取るでしょう。

トピ内ID:6243870194

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駄レスします。

🙂
ごんべえ
未就学児童の頃、紙芝居で見ました。 蜘蛛の糸はカンダタの手の、すぐ上で切れていました。ほんの数センチ上、てかんじで・・・。 もう少し上を握っていれば良かったのに、と思いました。 何かをつかむときは、ちょっと上をつかもうと肝に銘じたものでした。 すみません、レスになっていませんね。失礼しました。

トピ内ID:8726435654

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蜘蛛でしょ?

🐧
おばはん
蜘蛛の糸など、せいぜいカンダタ一人分です。積載量一人でMAXです。 最初から分かっていることです。 ですから、(1)も(2)もありえません。 ちなみに、私はすごい「上から目線」(当たり前だけど)のお釈迦様だなあと思います。

トピ内ID:8977524327

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お釈迦様は神様ではありません

🙂
あらふぃふですの
仏教の因果律は神に相当する存在が運命を司るという考え方ではなく、各自の(前世も含めた)生き方が運命をおのずと招きよせるものだ、という考えです。だからお釈迦様には予測はできなかったと思います。 仮定の方ですが、私は2だと思います。お釈迦様がクモの糸を垂らしたのは、カンダタを試したと思うからです。さらには、カンタダならずとも地獄の罪人にも何か善行はあるはずです。それなら、クモの糸はカンダタだけのものではないでしょう。これは悪人正機説を基にした物語だと思うので、2ですね。 お釈迦様は、それで地獄の住人がゼロになったとしても良いとお考えになったのではないでしょうか。

トピ内ID:9996705131

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たぶん

🙂
まな
2だと思います。 助ける手助けを少しだけして、あとは何もしないのだろうと思います。また、カンダタ(こういう名前だったのですね)は絶対におとなしく上がるはずはなく、ほかにもそういう人が多いのであふれるほど登れるようなことは起こらないと思います。おそらく、お釈迦様は結果がわかっていてやったことなのではないでしょうか。

トピ内ID:0106332641

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蜘蛛がいなければ…

🎶
萩子
蜘蛛がいなければお釈迦様は糸を垂らすこともありませんでした… お釈迦様が地獄で苦しむ悪党を極楽に招く道具として使った蜘蛛の糸の強度は果たして足りていたのでしょうか? 初めから強度のことは考えていらっしゃらなかったと思います。 お釈迦様は日々の修行でお疲れでした。 一度も悪党を助け極楽に招き入れるお気持ちはなく、悪党どもが蜘蛛の糸を必死に登ってきても糸が途中で切れてしまうことは承知の上のことだったのだと思います。 蜘蛛がいなければ悪党を助ける為の糸は出来ない… だから、私は蜘蛛を見つけたらティッシュペーパーで包んで外に出します。 強度の補償はないけれど蜘蛛の出す糸をお釈迦様が必要とするされる時に備えて…

トピ内ID:1980669805

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小説として読むと

🙂
ソバス
「蜘蛛の糸」は仏教童話のような顔をしていますが,仏教的にはいろいろ問題があると聞いたことがあります.そもそも,極楽にお釈迦様がいらっしゃること自体が変(極楽は阿弥陀仏の国,お釈迦様の国は何か別の名前).教養豊かな作者が知らいわけはないので,仏教の話じゃないよ,と伝えるためにわざとそう書いたのではないかと疑っています. そこで,仏教にはこだわらずに,「人間の書いた小説」(トピ主さん)として読むと: お釈迦様は結末を予測していたか. できもしないことが分かっていてやらせてみた,というのはちょっと残酷すぎます.そうではなくて,あのカンダタでさえ,蜘蛛を助けたことがあった,同じように,あのカンダタでさえ,極楽に上がってくることがあるかもしれない,と糸を垂らしてみた,と受け取った方がいいのでは.それを自ら潰してしまう罪深さがこの小説の主題? 後から無数に上がってくる人たちをどうしたか. 当然,無制限に入国を認めると思っていましたが,言われてみれば,「自己責任」がもてはやされる昨今,蜘蛛を助けたこともない他の人がいっしょに助かるのはズルい,という意見もありそうですねぇ・・・.

トピ内ID:4916446457

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そうですね・・・

😉
癒しの風がほしい
私も考えた事あります。 カンダタが極楽に着いたら、きっとクモの糸はそこで切れた と 思います。他の罪人達とは結構距離あったハズですから・・・ 〔下の方にいる罪人達に大声で怒鳴った と書いてあるから、結構距離は あったと思われます。〕 元々カンダタが 生前クモの命を救った事があったから、 チャンスがあっただけで、他の罪人にそのような事があったとは 思えません。

トピ内ID:0057298120

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お釈迦様は全てお見通し

🙂
多胡天
お釈迦様はずっと先まで見通していらっしゃるので、全てはカンダタや他の人達の行動次第でしょう。 カンダタが「有難い、有難い」と、ただただ感謝しながら登れば辿り着けたでしょうし、後ろから来る人に「落ち着け、せっかくのお慈悲だ。慌てず感謝しながら登れ。」と励ましていたら糸は次第に太くてしっかりしたモノになり安心して登り切れたでしょうね。 もちろん彼の後ろには大勢の人達が続いています。 しかし、残念ながら大勢の人達の中には、小説のカンダタ同様に「自分まではなんとか助かりたい。」と欲を出し他人を蹴落とすような残念な行動に走る者がいつかは出るでしょう。 その時には欲を行動に移してしまった人のすぐ上で糸が切れてしまいます。 では、そこから上を登る人達までは助かるのでしょうか? 糸が切れるのを目にしたとき、恐怖でその人の本性が益々露になる事でしょう。 「やっぱり欲を出してはダメなんだ。残った皆で整然とお慈悲を受けようではないか。」と悟って登れば皆が助かるかもしれません。 「ほら見ろ。この糸は切れるんだ。」我先に登ろうとして醜い争いを始めてしまったら、全員が堕ちてしまいます。

トピ内ID:6954515602

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みんな助けられるはずだったという前提の教訓じゃないの?

🙂
ユウ
彼が後続の人を蹴落とさず寛容だったなら自分も含めみんなも救われ、自分だけ助かれば良いという自己中な身勝手さが自分と他者をも不幸にしたという話だと思ってました。

トピ内ID:3043572508

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考えるまでもない

🙂
Yume
到達した途端に、カンダタの後から上ってきた人の姿は消えてしまいます。 これは、お釈迦様が下を見ながら考えたこと、或いはカンダタにとっては予め結末が決まっていた夢だったのでしょう。

トピ内ID:3612946627

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訂正

🙂
Yume
随分前に読んだので、懐かしくて書き込みましたが、拙速で正確ではありませんでした。 結論自体、消えてしまうことに変わりはありません。 しかし、思い出して見ると、お話自体が全て夢の中の出来事だったような印象があります。 では、誰の夢か。 カンダタの夢かもしれません。 お釈迦様は夢を見るでしょうか? 見た瞬間に結末までわかってしまうでしょう。なぞってお話にする必要はありません。 なぞってお話にしているのは、作者です。ああ、これは作者がお釈迦様になった夢の中で、一瞬にお釈迦様の脳裏をよぎったシーンをなぞってお話にしたのでしょう。

トピ内ID:3612946627

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(駄)昔から気になっていた小説

🎶
amadeus
寓話ですから細かいことには目をつぶればよいのですが、暇つぶしに考えてみました。 お釈迦様でも自由意志にまでは介入なさらないのでしょうね(全能ですからできないわけはないのですが)。君臨すれども統治せずの方針かもしれません。二つ目の疑問ですが、お釈迦様がカンダタを試すために無数の人があとを追ってくる幻を見せたのだと思います。

トピ内ID:9850590825

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簡単では

🐶
わき腹ぷにぷに
御釈迦様が全て見通した上で蜘蛛の糸をたらした、が正解でしょ。 こうなることがわかっていてやったんですよ。 小学校か中学校かの教科書で初めて読んだ時から、 こう思ってました。 授業でも、みんなそう言ってたけど。

トピ内ID:4264134207

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この蜘蛛の糸、仏様が出題したクイズなので

🙂
ゆうこ
そもそも仏様はカンダタが改心したから蜘蛛の糸を垂らしてくれたわけではなく、 改心するチャンスとして、つまり『救いの糸』ではなく『試練の糸』として垂らしているわけです。 ということは。 この糸自体が正攻法で登りきっただけでは攻略できないようになっている(登りきる前に必ず切れるようになっている)、 とんちやなぞなぞと同種類のひっかけクイズ問題なわけです。 仏教に『因果応報』という言葉があって、 悪い行いをすれば悪い報いが、良い行いをすれば良い報いがあるという意味だそうです。 悪人が救われる為には、必ず善行を積まなければならないといことですね。 ということは、カンダタが救われる為には糸を登りきる前に何か良い行いをしなければいけません。 これが、仏様が出題したこの『蜘蛛の糸』というクイズの答えなんですね。 おそらく正解は カンダタが自分の後からくる悪人に先を譲る(良い行い) →後からくる悪人はカンダタを蹴り落とす  →カンダタが地獄に落ちる前に、仏様が自ら手を差し伸べてカンダタを救ってくれる(良い報い) ということだと思います。

トピ内ID:9125428733

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だってお釈迦様は神様じゃないから

🙂
匿名
未来は予知できませんよ。(そこが仏教とキリスト教と違うところ。キリストはユダに裏切られることを知っていた・・・) あとは・・・カンダタだけは極楽に入れてやって、あとは糸を切るんじゃないかな。 こういうことってありますよね、小説のなかでどうも腑に落ちないところって。 思いついたらまた書きます!

トピ内ID:8363379082

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登らせるつもりなんて無かった

041
はへー
最初からお釈迦様は登らせるつもりなんて無かったと思います。 1人ずつ順番に登れるように譲り合える心を全ての人が持ったなら極楽に招き入れた(皆が登り切れた)でしょうが、地獄へ落ちた人には譲り合う心が無いとお釈迦様は分かっていたでしょう。 その上で蜘蛛の糸を落としたのは、譲り合う心・皆の事を考えられる人にならなければ行けないと気付かせたかったのだと思います。 気付くことは極楽浄土への第一歩、それに気付ければ極楽への道も開けるでしょうね。

トピ内ID:5759351714

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文庫の解説にもそういうツッコミがありました

041
やつちゃん
ずっと議論され続けていますね。 ツッコミどころあり、後からいつまでも考え続けちゃう、 だから名作なのかもしれませんね。 私の解釈では… お釈迦様はただ暇だったから結果をわかった上でこんな遊びをしたのかと…。 天上人だからといって決して善い人というわけではないと思うのです。 釈迦を始めとする天上人たちは人間くさいエピソード満載ですしね。 絶対に地獄人を天上に上げるつもりはない。一人たりとも。 そこをカンダタ達には頑張って欲しかったですね。 釈迦の予想を裏切って勝ってほしかったなぁ。 しかし「重すぎて切れちゃった」とか何とか言ってやっぱり切られそうです。 釈迦にはかなわない。

トピ内ID:4176950126

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蜘蛛の糸は善行人のみ使える

041
欲張り
この話にはいつも心をうたれます。日本語もとてもきれいですよね。 私は、カンダタが上り詰めたのちに、糸が切れるから、問題ないと考えていたのでは?と思っています。蜘蛛の糸は善行できるものにのみに使える、他の罪人には、使えない、したがって、極楽にカンダタが着いた時点で、切れるようになっていた、と考えます。 お釈迦様が糸を切るのではなく、摂理として、切れるようになっていたと思います。

トピ内ID:6896227773

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菩薩を検索してみてください

🎁
あのー
あと地蔵菩薩も検索してみてください。 これで分かると思います。

トピ内ID:5990717750

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041
きょ
糸が「切れる」ことはあっても、お釈迦様が「切る」ことはないと思います。 カンダタの心根をお見通しではあったでしょう。 そのうえで尚、情けをかけようとしたのだと思います。

トピ内ID:9905297723

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