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おかあさんの手芸(駄)

レス45
(トピ主 1
🙂
シナコ
話題
昭和47年うまれのトピ主です。昭和を懐古するトピです。 私の母は私が11歳になるまでは専業主婦で、暇だったのかなんか色々作っていました。 記憶にあるのは・・・ 粘土で作って色やニスを塗った壁にかける人形。洋服のヒダとかに凝ってた。 チラシを細く巻いて?編んだカゴ。チラシを切るのを手伝わされた覚えが。 紙製の箱に和紙を貼るキット。自分の机上に置く用のは自分で柄を選べたので嬉しかった。 石鹸をサテンやレースで包んで玄関に置くもの。これは母よりも祖母がやっていた記憶が。白鳥みたいな形にしていたような気がするも曖昧。 アートフラワー。布で花びらや葉のパーツを作って組み立てていくもの。コサージュもいっぱい作っていたけど今はひとつも残っていないそう。残念。 これらは近所のママ友や親戚の叔母もやっていて、夏休み等で親戚が集まると誰かが新しい手芸の情報をみんなに教えて、そこから作るものが変わっていった覚えがあります。 他に冬は編み物をしたり、私が低学年くらいまでは洋服も作っていたし。 なぜかマドレーヌやバターロール作りにハマってた時期もありましたね。 そんな母から生まれたのに、私は不器用で手芸にはまったく興味なしです。 母が作っていたものは全国的に流行っていたのだろうか?とふと思ってこのトピをあげました。母は北海道在住です。 みなさんのおかあさんはどんなものを作っていましたか? お話聞かせてください。

トピ内ID:7957037076

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おかんアート

041
更紗
「おかんアート」で検索すればその手のもんは山ほど出てきますよ。 まあ地域的な流行り廃りがありましたよね、昔は。

トピ内ID:6310521766

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まさにおかんアート

041
S37
主さんより10歳年上のものです。 私の母は最後まで専業主婦でしたが、うちもあれこれ作るのが好きでした。 主さんが挙げた中では粘土に色づけしてニスをかけた人形、チラシを巻いたかごはありました。 ガス火のオーブンを大奮発して買ってマドレーヌやパン、ピザ(当時はソースも手作り)も焼いてました。 石鹸はソープバスケットという針を刺してりぼんを巻いて装飾するものをやっていました。これは当時大流行で石鹸が店頭からなくなって大変だったという話も聞きました。 花はアメリカンフラワーという針金を輪状にしたところに合成樹脂液をシャボン玉のように貼って花びらを作って形にまとめていくものを作っていました。 あとは七宝焼きや木彫りなどでしょうか。 編み物(機械編みも手編みも)、洋裁、刺繍もやりましたが、まだ既製服の少ない1960年代の母親として趣味ではなく実用だったようです。 食べ物の方では、当時無水鍋が流行り何を作ったかは覚えていないのですが、これがないと料理が作れないと当時単身赴任していた父のところに子どもの長期休みで行くとき必ず鍋を持って行ったのも覚えています。 私は母があれこれ作って家の中に不要な飾り物が増えるのにちょっとうんざりして自分で何か作ろうとは思わなかったのですが、子どもが幼稚園に入る時親が作る布小物リストを見て突然燃えてしまい、子どもの好きなキャラクターのレアな布をネットで探してあれこれ作りました。 子どもが滅多に見ない柄のトーマスのリュックを背負っていたらどこで売っているのか聞かれたのはちょっと嬉しい思い出です。

トピ内ID:5698993473

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何個かうちの母もやっていた

🙂
通りすがり
>チラシを細く巻いて?編んだカゴ。 これはうち母も作っていました。その出来た紙カゴにニスを塗ったりしていましたよ。 あとはうちの母はパッチワークが好きでしたね。これは流行りとかではないですね。 >石鹸をサテンやレースで包んで玄関に置くもの。 これは友達のお母さんがやってました。白鳥でした。 他は実際には作ってないけど知っています。あと小さい紙を三角?っぽく折ってたくさん重ねて、白鳥とかキティちゃんとか作っている人もいました。ブロック折り紙でしたっけ?今も時々どこかで飾られているのを見かけますけど。 ちなみに49年生まれ、北東北です。

トピ内ID:3733936337

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私も47年生まれです

🙂
デイジー
粘土の壁掛け人形は、友達のお母さんから頂いた記憶があります。スカート部分がフリル(段々?)の形にしてあったりするんですよね。 その方からは、女の子の形のぬいぐるみまで。たしか、髪が毛糸でみつあみになっていました。 私の母は、大高輝美さん考案のフェルト細工をやっていました。野菜モチーフなんかをコマゴマと作っていて、お菓子の空き箱に入れてあるのを、時々眺めていましたね。私は本当に眺めるだけ。妹は確か、フェルトで財布やしおりなどを作っていたような気がします。 それから約30年後、母はまたフェルトで絵本を作り始めました。海外のお友達にあげたり、その方と手芸仲間のバザーで売れたりしたそうです。 昔からミシンも直線縫いのものなら、だいたい作ってくれ、巾着やレッスンバッグ等は何でもお手製でした。今もエコバッグやクッションカバーなど作っては、私にくれます。

トピ内ID:6099792524

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母ではなく自分ですが

ボンジュール
私は昭和46年生まれです。大人になるまで千葉県にいました。 シナコさんが考えてらっしゃることも思っていましたので、お邪魔させていただきました~ うちは母がものすごく不器用だったので手芸なぞ縁がなかったのですが、私は逆で器用だったのでいろいろ作りました。 とはいっても小中学生ですからおこづかいで材料を買うので、大作はできませんでしたが。 ・フェルト人形つくり 当時はたくさんの本が出ていました。たしか大高輝美さんの本をよく参考にしました。 ・キルティング布で巾着袋いろいろ 大きいのは体操服、小さいのはお弁当を入れました。 ・石鹸アート(と呼ぶのかわかりませんが) やはり当時の奥様はこれですかね。 私の周りでは奥様はもちろん、なぜかその娘たちにも流行りました。 私も友達とそのママに教わった覚えがあります。 番外では、ポプリ。 当時の少女マンガで主人公が作っていて憧れてやってみましたが、なんせ材料費が高すぎて続きませんでした。 けっこうな量の生花が必要ですし、専用の液体だかを使ったような。 のちに100均でも売られているのをみて、妙に複雑になったものです。 現在の私は娘のマフラーなども編みますし、針仕事は今も好きです。 でも24になる娘は不器用で何にもできません。 私の祖母は洋裁が好きだったそうで、こういうのって隔世遺伝なんでしょうかねぇ。

トピ内ID:1347248994

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レスします

😀
もっちらすた
懐かしいですね。 中国地方、昭和40年代生まれですが、うちの親も色々作っていました。 タバコの空き箱を開いて折っていくつもパーツを作って集めて傘を作っていました。 私が小学生のころから専業主婦なので、家事をしてない時はいつも作っていました。あとはちぎり絵とかですね。 トピ主さんの言っていた石鹸の細工は「ソープバスケット」で全国的に流行った記憶があります。 よその家ですが毛糸でフリフリドレスを作ってキューピーに着せたもの、ウィスキーの瓶を重ねて三つ編みの女の子にした黒い人形などが記憶にあります。

トピ内ID:2725961272

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やってた~!

🙂
さくらんぼ
トピ主よりもちょこっと年上です。愛知です。 うちの母も専業主婦だったころやってましたね。 確か町内の婦人会なのか市の交流会だったか、そのような女性だけの集まりみたいなのがあってその時に料理だったり手芸だったり作ってました。 うちの母は器用でも不器用でもなく、ただセンスがなくて見本通りにしかできない人なので手芸ものは習った時のものだけでそれ以降自分で作ることはなかったです。 でも習ってきた料理やお菓子はよく作ってくれましたね。人参ケーキとか。 それまで我が家には電子レンジなんてなくて、あるのはポップアップ式のトースターだけ。習ってきた人参ケーキを当時人参嫌いだった弟のために前開きのトースターを購入してよく作ってましたね。 うちは父が器用でセンスがあってハマる人です。 当時タバコのパッケージと爪楊枝を使って和傘を作ってました。 ハイライトは水色、セブンスターは白黒、わかばは若葉色などパッケージごとにいろんな色の和傘をたくさん作ってましたね。少しずつずらして模様を作ったり…。たくさん作って近所や親戚に配ってたな~。未だに実家に飾ってありますよ。 私は母に似て器用でもなく不器用でもなくそしてセンスもなく基本通りしか作れません。 母の時代と違って女性も社会に進出し結婚や出産後も仕事を続けているので時間もなく、さらになんでも安く買える時代になってしまったからでしょうか?と言い訳してます。

トピ内ID:9677386153

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手芸にははやりすたりがある

🙂
50代
私はトピ主母子の中間世代です。 トピに挙がってる手芸、「昔流行ったな~」と懐かしいものばかりです。 今なくなったわけではないけど下火かな。 トピ主さんが生まれたころの昭和40年代。 手芸というより家事としての洋服作りが流行りました。 当時洋裁学校は大盛況。 編み物は手編みはもちろん機械編みが普及しました(手編みより圧倒的に早い)。 トピ主さんが挙げた手芸より後の時代。 牛乳パッククラフト 毛糸で編むたわし トールペイント 折り紙手芸 ビーズ 最後の方は平成になってからかな。

トピ内ID:2858883333

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PTA文化部

🙂
PTAで日帰り見学旅行に行ったり 手芸教室を開催したり そうすると、お母さんたちに一斉に流行りはじめて作ってましたね。 石鹸スワン 新聞紙のあれは、アンデルセン 押し絵 リボンフラワー 懐かしいです 私の母も手芸大好きでしたが 私はからっきし駄目です

トピ内ID:4772094403

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懐かしい

🐱
aiko
>粘土で作って色やニスを塗った壁にかける人形。 懐かしいです。 母は看護師だったのでこういう手芸はしていませんでしたが、ご近所のおばさんが好きでやっていました。そして、子供の私にも一緒にやろうと声をかけてくれて、ドキドキしながらこの粘土人形を作って色を塗ってニスを塗った覚えがあります。 私の場合は、写真立てのような土台に人形をくっつけて、全体的に緑の中に人形が立っているイメージでした。完成してから、壁掛けにしていました。 思い出させてくれてありがとう。 昭和の大事な思い出です。

トピ内ID:3457397092

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5円玉手芸

🙂
ぴっぷぽっぷ
>紙製の箱に和紙を貼るキット 『さく○ほり○り』のキットでしょうか。 私は現在もメイクボックスを使用しています。 タイトルの物を母が町内会の婦人会(笑)で作ってました。 打ち出の小槌や亀、兜が床の間に飾ってありました。 母が亡くなった後、兄嫁が無断で持ち出して自分たちの家計に入れたので実物はありませんが(怒)

トピ内ID:2557096983

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玉虫アート

🙂
食いしん坊
私も同い年です。 私の母もやってました! 和紙を張った箱などいろいろ作ってました。 一番印象に残ってるのは、昆虫の玉虫で作るブローチですね。 玉虫は綺麗だとは思いましたが、加工してアクセサリーを作るっていうのは子供心に全く理解出来ませんでした。 東京23区それもかなりの都会に住んでましたが、どこで玉虫を調達してたのか謎でしたね~ 子供の時から今まで玉虫がいるところ見たこと無いです…

トピ内ID:9147644781

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やってました!

🐤
かなこ
同い年です。 うちの母も同じようなことをやってました! 福岡在住ですが、全国的な流行だったんでしょうか。 驚きです。 紙粘土のお人形は私自身が小学生から中学生頃ハマってました。 なつかしいですね。

トピ内ID:5509325821

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参加させてください

🙂
レイコ
昭和43年生まれです。 私の母もワンピースをフリルつきで何パターンも作ってくれました。本を見ながらの独学だと言ってました。 あのフリルは当時流行ってたのかもしれません。 胸元と裾に必ず入っていました。 そのため、いらなくなった服からボタンやファスナーをとりはずしてお菓子の缶にたくさんストックしてあって 、色とりどりのボタンで遊ぶのが楽しかった思い出があります。 私は不器用ですがやっぱりもったいない精神の母の思い出が忘れられなくて同じ事を娘にしています。何着か服を作りました。 娘は「えー買ったのがいいなー」と言いながらもうれしそうにしてくれます。 懐かしいです。

トピ内ID:7057278337

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もう少し上の年代

🐤
ふるふる
トピ主さんよりひとまわり年上です。トピ主さんのお母様がなさっていた手芸は、私が高校生の頃に若いお母さん達がやっていた手芸ですね。 私の母もずっと色々手芸をしていましたが、もうママ友も付き合いがなくなった年頃だったので、新しい手芸には今ひとつ手が出せなかったようです。チラシのカゴとか話題には出してましたが、作ったことはないはずです。 母の年代は機械編みが大ブームでしたね~。編み機を買って、家でシャーッ!シャーッ!と色々なものを作ってました。あと、今もありますがダルマの細い白レース糸で、やたらとドイリーを編んでました。私と姉の夏のワンピースもお手製でした。 私はそれを見て横で真似しながら育ったので、今もあれこれ作ってます。

トピ内ID:3355906405

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四国・昭和17年生まれの母の手作り

hachiko
母が作っていたのは、キューピーの毛糸のドレスと帽子です。 かぎ針編みで スカートの部分はフレアーになっていて、色とりどりのドレスを着たキューピーさんが10体くらい棚に並んでいました。 1体お尻丸出し(スカートの部分が無い)のキューピーさんも並んでいたので母に聞くと、「疲れた、ダウンです…」と言っていました。 それを私に「部屋に飾りなさい」と言うので、有り難く頂戴しました。 母は洋裁学校出身なので、私達子供のスカートやブラウス等も作ってくれていて、未だにデザインや色もはっきり覚えています。 懐かしいです♪

トピ内ID:8440081145

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やってました、やってました

🐱
たま
私の母もやってました。 トピに書かれていないものだと、革細工と角砂糖アイシング、一口ゼリーのカップに紐を巻いて帽子にして中にポプリをいれた飾り物、もやってました。 粘土の人形は、ヘアスタイルがトゲトゲしていて(多分、ふわふわした感じをだしてた?)、それを弟がポキポキ折ってました。 革細工も角砂糖も一緒にやらせてもらった記憶があります。 母の作るアイシングの花はとても上手でした。 紅茶にいれたら花だけ浮いてくるのが大好きでした。 ちなみ昭和50年うまれ、神奈川出身です。

トピ内ID:0090476861

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レスします

🐱
豆子
昭和44年生まれですが、子どもの頃は全国的にいろいろな手芸が次々と流行り、手づくり好きなお母さんたちの間で作られていました。 ウチの母親も手芸にハマり、家の中に色々ありましたよ。下駄箱の上やリビングに登場し、一気にインテリアをもっさりしてくれました… 現在みたいにネット状況が無い中、彼女らはどうやって情報を共有してたんでしょうね? 母親の場合は町の手芸屋さんで、材料と共に情報を得てご近所の奥さまグループで一緒に作ったり教え合ったりしていたような… 私の覚えているのは ・黒いウイスキーの瓶を上下に2つくっ付けておさげ髪や顔、チロリアンテープを付けたアメリカ先住民(?)人形 ・粘土に着色した壁飾り(かないともこさんの作品が人気だった) ・ソープバスケット(スワンかバスケットが主で、Laxのオーバル型の石鹸を使うので一時この商品がすごく人気だった覚えが…) ・太いロープをほぐして作るマルチーズ ・プラスチック人形(小さいキューピーなど)に毛糸で編んだドレスを着せる ・フェルトで作った帽子にリボンや花を付ける壁飾り ・毛糸で編んだティッシュケース(丸く編んで中にトイレットペーパーを入れる) ・軍手人形(指部分に豚や猫などの顔を作る) ・チラシで編んだバスケットと鍋敷き(折り紙を重ねたバスケットもあり) ・白い軍手を顔にした女の子やピエロ(洋服部分が物が袋になってる) ・黒電話に被せるレースをふんだんに付けたカバー(ピアノカバー 、ドアノブカバーのバージョンも) 割と新しいところで ・アクリル毛糸を編んだ食器洗いスポンジや鍋つかみ ・ハンドタオルを折って作る動物 ・アメリカンフラワー ちなみにタバコの空き箱やマッチ、爪楊枝で傘やお城を作ったりするおとん・おじいアートも多かったですね 母親も80近くになり、もうこんな手芸も出来なくなりました。 古き良き昭和の思い出。

トピ内ID:9865892930

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懐かしい~

041
ステッチ
昭和52年生まれです。 うちの母は不器用で手芸も苦手。その分、私がいろいろ作ってました。 紙粘土で作って色やニスを塗った人形、ありましたね。私が見たのは、そばかすがあって丸顔の平ぺったい人形。私は食いしん坊なので、人形でなく本物のクッキーそっくりなものを作って楽しんでました。 他に当時ハマったのは、 ・クロスステッチ 一目間違えるとイライラ ・フエルトの手芸キット ・パッチワークの手提げや壁掛け 当時、小学生の私には難しすぎてできず... ・ビーズステッチ(2~3mmの極小ビーズをテグスでつなげて編む)の指輪、小さい人形など

トピ内ID:0380331280

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スエーデン刺繍と編み物

🙂
あり
1969年生まれです。 うちの母は専業主婦ではありませんでしたが、手芸は好きだったようです。 スエーデン刺繍という、専用の布に刺繍糸を通して幾何学的な模様を作る刺繍が好きで、鏡台カバーなど、家の中のカバーいろいろがスエーデン刺繍でした。私の通学用手提げ袋もスエーデン刺繍でした。他の子よりもかなり大人っぽい(というか、渋すぎの)手提げでした。 内心、お友達のクマさんやウサギさん、お花などの手提げを羨ましく思っていましたが、年配の女性の先生が「あら、スエーデン刺繍!素敵ねえ。」と褒めてくださって、お気に入りになりました。 それから編み物も好きでした。棒針もできましたが、鉤針の方が好きだったようです。家にはパイナップルレースのドイリーなどがありました。膝掛けやこたつカバーも作っていました。あと、その頃、お通夜の会葬御礼に白いガーゼのハンカチをもらうことが多かったようで、そのままだといかにもお通夜でもらったようだから、と、細い色レース糸で縁取りを編んでつけていました。 セーターなどの身につけるものはあまり作っていなかったですね。 晩年、脳梗塞で半身不随になりましたが、利かない手に鉤針を握らせて、利く手を駆使してアクリルたわしを編み続けていました。 今、寝たきりの母を老人ホームに見舞うたびに、ベッドサイドで私がアクリルたわしを一つ編んでいます。

トピ内ID:7462004853

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いいな~

🐶
あし子
私もS47年生まれです。トピ主さんのお母様が手芸で作られていた物、お友達のおばあさんやお母さんの作ったものをいただいたことがあるので懐かしく思い出します。 私の母といえば、私をはじめ3人の子供を産んでくれましたが、医師としてずっと働いていたので、当然家にいて手芸をする時間があるわけもなく、我が家では手芸の思い出がありません。 幼い頃は、家にいておやつやお洋服を作ってくれるお母さんが羨ましかったなあ。今思えば、超多忙ながら週4回ぐらいは夕食を作ってくれて、私たちの世話をしてくれただけで本当にありがたいことなんですけれど。 私たち子供は結局母と同様多忙な仕事と家庭を持ち、手芸は全然していません。定年まで元気で働いて、定年後編み物とかしてみたいなあと夢みています。

トピ内ID:3466353386

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色々ありましたね

🛳
おばさん
じぶんは昭和42年うまれてすが 母の手芸、工芸を思い出してみると 一番古い記憶は、ジャージャーと音がする機械編み レース編み ヘビースモーカーの父がいたので たばこの包み紙を使った工作(一番小さいものはまず、傘) ワイアーで形を作って、カラフルなストッキングと同じ素材の布を張った花 プラスチックのメッシュ板に刺繍をしていくもの 文化刺繍(リリアンをほどいて、それを専用の針りで、布に刺していく) などもありました この二つは、自分も母と一緒に楽しみました 大橋輝美さんのフェルトはマスコットは自分が作っていましたね 15年ぐらい前に子供のために、いろいろまた作りました

トピ内ID:9916447538

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思い出すもの

🙂
ターメイヤ
1984年頃 石鹸に小さいピンをたくさん刺して それに5ミリ幅の細いリボンを巻きつけ カゴとか 白鳥のように仕上げるソープ手芸が大ブームでした。 もう一つ 柄付き紙ナフキンの柄を切り取り 薄めた糊だか接着剤か何かで貼り付けるデコパージュも流行っていました。 そのちょっと後 1990年頃 リサイクルブーム チラシのかご作り 金具が壊れた傘の布部分を外してエコバッグ作り アクリルたわし作りが盛んでしたね。 小さい編みぐるみのキューピーさん うちにまだあります。可愛いです。

トピ内ID:6966407113

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また思い出した

🙂
ターメイヤ
1970年代後半 これはおじいちゃん手芸とでも言うのでしょうか。 ユニット折り紙みたいなもので チラシの大きさを揃えて三角をたくさんつくり 糸でまとめて手のひら位の小さい傘を作るのも盛んでした。二つ三つ組み合わせて モビールみたいにしたり。 煙草屋さんとか理髪店などの街の商店の店先に 必ずと言っていいほど飾ってあったような気がします。 あと 五円玉をタコ糸か何かでつなげて亀とか五重塔とかのした作品も飾ってあったりしましたね。 あと リボンフラワーは定番でしたね。子供の頃 PTAでお母さんたちが集まって講習会を楽しそうにしていたのを覚えています。  針金の枠を樹脂につけて色付きの膜を張ったのを 花びらにしていろいろな花に仕立てた手芸も流行っていました。

トピ内ID:6966407113

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全国的に流行ってたんですね

🙂
サンショウ
昭和50年生まれです。 叔母がまったく同じことしてました! >粘土で作って色やニスを塗った壁にかける人形。 >チラシを細く巻いて?編んだカゴ。 >紙製の箱に和紙を貼るキット。 >石鹸をサテンやレースで包んで玄関に置くもの。 >アートフラワー。 これら全部!あと刺繍。 関西です。

トピ内ID:8763946876

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またまた思い出した

🙂
ターメイヤ
プラスティックの網の土台に 色とりどりの幅広い糸(新聞を束ねるビニール紐にも似た)アンダリア糸を刺して作るバッグやポーチや帽子。夏向きの涼しい感じが当時とてもおしゃれに見えた。 毛糸のモチーフ編み。最もシンプルな長編みと鎖編みの四角いモチーフを組み合わせたもの。残り毛糸を使うので カラフルすぎて垢抜けない感じだったけど こたつ掛けや さぶとんカバー ひざ掛けなど どこの家庭にもそんな感じの作品がひとつふたつあった。  1972年頃 そのモチーフの編みを大きくした三角ストールが大流行りした。商店街に行くと「エプロンに手編みストール 買い物かご」のお母さんたちに溢れ カラフルだった。(東京23区南部)

トピ内ID:6966407113

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レスします

041
映画好き
あと、レース編みとか。パンで作るお花とか。 カーテン自作するとか。 今は、作らなくても100均に行けばほぼなんでもありますよね。 今の奥様たちは、自分も働いていますから、何かを作る暇がないでしょうね。 のどかな時代でした。

トピ内ID:3588207024

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ありました~

🙂
marumo
母の出身地が茨城で、母の姉たちがいろんな手芸作っていたようで、母もたまに作っていましたよ。 キューピーさんの毛糸のお洋服 煙草のパッケージで作った傘 タオルでできたお人形 5円玉つないで作った亀 石鹸にリボン巻いて作ったかごのような形の飾り物 あれってどこかでお教室とかあったんでしょうかね?

トピ内ID:5089086108

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懐かしい気持ちになりました

🙂
耐え子
昭和51年生まれです。 母は去年亡くなりました。私の母も私が中学生までは専業主婦で、料理、手芸、洋裁、習字にお花、お茶どれも先生級の腕前でした。 私の服をぬったり、冬はセーターを編んだり、着物のリメイクで掛け布団を作ったりしてくれました。レースの手芸も多かったな。電話にかけたり、よくお土産の焼き物の下に敷いていた気がします。 お菓子は主さんと同じようにマドレーヌをよく作ってくれましたよ。中にはレーズンやオレンジや、サクランボの砂糖漬けのようなものが入っていて、上にはアーモンドのスライスがのっていて、焼きたてを何個も食べた記憶があります。 圧力鍋を使った料理も多かった。どれも美味しかったけれどもうレシピを聞けないのが残念です。 主さんとは年が近いけれど、あの頃は専業のお母さんが多かったし、手芸をするお母さんも多かったですね。私は残念ですがお母さんに任せっきりで、自分の子供に自分で何も作ってあげれていないです。

トピ内ID:4489155628

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またまた思い出した

🙂
ターメイヤ
これも手芸っていうのかな? いらないストッキングを細く切って 揃えて竹の棒にくくりつけてはたき作り  テープ状のストッキングをかぎ針でくるくる円に編んでマット。 タコ糸を縦糸にし いらなくなった色とりどりのメリヤス素材を細く切ったのを 横糸にして手織りしたマット。    おばあちゃんがよくやっていたのは  ハマグリの貝殻を合わせて 綺麗なちりめんの端布にくるんでかがった根付のようなもの。 不織布を使った パネロンフラワー。 クレープペーパーを使った人形作り。(東欧だったか、とうもろこしの皮で作ったそっくりな人形があったのにはビックリ。) 軍手を使った人形 手芸というより工作かもしれないけど マッチ箱をたくさん組み合わせ 千代紙を貼った人形用の引き出しタンス。

トピ内ID:6966407113

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