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難病を抱えて生きることについて

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(トピ主 0
🙂
bio914
ヘルス
20代女、現在社会人です。

大学1年生の頃、免疫系の難病を発症しました。外見上では分かりにくいですが、完治することはなく、再発と寛解を繰り返します。症状の程度は千差万別ですが、倦怠感や易疲労感、頭痛、関節痛を特徴とし、最初に発症して退院した後も、調子が良い時期と悪い時期があります。
また、治療薬の副作用が強いため、その副作用を抑制する薬も飲む必要があり、1日に飲む薬の量は多いです。

大学、大学院は偶然にもバイオ系に通っており、その縁で同系統の職場に採用して頂きました。人間の体内に関する学問、事業を行う学校、職場であるからか、今日に至るまで、多くの方々に多大なるご配慮をして頂きました。特に、学生時代の先生方や職場の方々は、私よりも私の身体のことが分かっていると感じています。
理系の学校だったため、出席が必須の科目や体力負担の多い実験も多かったですが、お力添えとご配慮により、何とか卒業でき、夢だった場所に就職出来ました。

ただ、私自身、この病気になるまでは、1カ年皆勤賞を度々頂くほど、体力と健康には自信があり、病気で度々休む同級生達に対し、無理解なことを言ってしまったことが多々ありました。にも関わらず、そんな自分は、多くの方々の優しい言葉がけ、お心遣いに救われたことは数え切れないほどあり、周りの方々への感謝の気持ちよりも先に罪悪感を抱いてしまいます。

さらに、素直に感謝の気持ちを感じられない自分にまた嫌気、罪悪感を抱くという負のループに陥っています。

過去の言動は確かに反省すべきですが、どのようにしたら、反省しつつもこの負のループから脱することが出来るでしょうか。

様々な立場からの経験談も、ご意見もお待ちしております。
よろしくお願いします。

トピ内ID:9db9bfbce32f4c62

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家の娘も免疫系の難病になりました。

🙂
ぎんねこ
昨年の今頃ですが、カンピロバクターの食中毒が原因で、一人娘が、ギランバレー症候群になりました。二階に上がれない、歩けないという症状が、食中毒から七日後に起こり、たまたま普段通っている総合病院が、東京の国立系大学病院の基幹病院だったため、すぐに紹介状を持って、東京の大学病院に行きました。 幸い、治すお医者さんがいたため、かなり早い段階から、立ち上がって歩けるようになり、リハビリ病院に行かなくても済み、クリスマスのころに帰宅でした。 それから娘は毎日歩くリハビリを自分に課して、一日二時間は歩いていました。そのおかげかほとんど、元通りぐらい神経系はもどってきています。 三か月の職業訓練校への通学もやり遂げ、現在は、就活しています。 自転車も、新年の左義長の日には、のって八幡神社に行っていたと思います。ときたま震えがあり、後遺症はありますが、歩けるし、握力も、平均的女性程度には戻ってきています。 生活全般がリハビリだという先生の言葉で、お正月はお節を手伝わせたり、年末には、庭掃除も手伝わせました。そのかいあって、かなりいろいろなことができます。 トピ主様、希望は捨てずに、いろいろなことに挑戦していきましょう。 娘はあれから職業訓練でパソコンのMOS検定も合格しました。少しでも前進しています。 まだ娘もあなたも若いのですから。先に光はあります。

トピ内ID:8511e720ef3552bb

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過去を反省して今後に活かして下さい

🙂
チュン夫
64歳男性です。高校1年で軽度の心臓弁膜症が見つかりマラソンと遠泳が禁止に。将来への不安は大きいですが、同じ運動をしても同級生について行けない原因はわかりました。 トピ主さんは自分が難病になり、過去の無理解を「悪かった」と思うのは素晴らしいです。私も誰でも、自分が理解してない事柄について、他人に自分の考えを押しつけてしまう事は良くあります。 それが自分で分かっても、謝りも反省もしない人も一部はいます。 トピ主さんはそうでなく、過去を恥じて反省しています。もし「無理解なこと」を言った人に会えば「あのときは悪かった」と素直に謝れば良い。それが新しい出発点です。 病気などで苦しんでいる人達は多かれ少なかれ「無理解なこと」を言われて傷ついています。みんな「一部の人は理解してくれない」と感じて生きています。私も他の病気については無理解です。 不幸な出来事が原因とはいえ「無理解の人」が「理解してくれる人」に変わったのですから「無理解の人が一人減った」と思います。中には「ざまあみろ」と思う時もありますが、そこまで思うと、こちらも罪悪感で苦しみます。 人間は健康な人も病気の人も障害のある人も、みんなで助け合わないと生きていけない存在です。 それを病気や障害の人は強制理解させられる。健康な人はなかなか理解できない。時には無知のため、ひどい言動もする。そういった人間の本質を学ぶことが重要です。 一旦「人間はみんなで助け合わないと生きられない」ことを知れば、あとはその考えを自分が接するみんなに広めていけば良いのです。 「悪いことをした」と過去を悔やんでも過去は変えられません。過去を反省し、今後に活かすのが素晴らしい人間です。そうなって下さい。 私の弁膜症は62歳時に、高校時代にはなかった新方式の手術で良くなりました。トピ主さんの難病も医学の進歩で良くなるように祈ります。

トピ内ID:8c719720f304fffe

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経験を活かす

🙂
有難いですね
主様がご病気になり、周囲の方々から沢山ご配慮頂いたんですよね、すごく救われ、嬉しいですよね! 私も病気ではないですが過去、大怪我がありまして大変ご迷惑ををおかけしているにも関わらず、沢山の人にこうまで優しく接して頂けたことを大変感謝しています。 主様も過去は色々おありになったでしょう(誰にもあります)でももう取り返しつきませんね それなら今後主様が優しさや労いの人側になればよいのでは。 同じような境遇にある方や困っておられる方の気持ちに寄り添うことがどんなに重要でその方の力になることを知っているのですから そうしたら過去の罪悪感を少しでも軽減出来ていけるのではないでしょうか ご病気は勿論大変ですがいいお勉強にもなりましたね

トピ内ID:9e2c32e05c859332

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どういうひとになりたいか

🙂
ひつじ
私は難病ではないのですが、長いこと持病が二つありました。 私も大学を卒業したあとに働いたあと、専門学校にいき資格をとって働いてきました。 数年前から改善してきてとうとう原因がわかり今はかなりよいです。 日々生活のなかで体を大切にしながら、仕事のノルマをこなすということは 大変なことですね。一番つらかったときのことは今でも思い出します。 私は西洋医学以外の療法の先生方に会うことで、いろいろなことを教えていただきました。 よい先生ほど難しい病気のかたをご存じです。そういうかたのなかでも明るく前向きな 患者さんがいるそうです。どうしてそうなれるのか、なかなかできることでは ないと思いますが、そういうひとに近づきたいと思っています。できるかたというのは 病気と心を上手に分けていますし、気持ちの切り替えが上手です。 自分がどういう人間になりたいかで毎日の気持ちの持ちようが変わってくると思います。

トピ内ID:57b95cf713f88be2

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証明である

🐱
通りすがりの猫
ありきたりのことをレスします きっとトピ主様に親切にした方々は神様がみていて天国に行けるでしょう 徳となって別の形でその方に幸運がおとずれるかもしれません >周りの方々への感謝の気持ちよりも先に罪悪感を抱いてしまいます それは「してもらって当たり前」と思っていない証明です なので悪いことではないと思います 日本語は難しくて 「すみません」と言ってしまうことがあると思います でも、その場面は「ありがとう」と言える場面も多々あります トピ主様の「罪悪感」は「感謝」に変換できる罪悪感のほうだと思います 今年の冬は、 ラニーニャ現象で寒いそうです ご自愛ください

トピ内ID:1e693afc0402ffb4

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いまは感謝できなくていい

🙂
満月の日には
難病を抱えて毎日頑張っておられるわけですから、他人への気遣いが、多少できなくても仕方ないですよ。聖人じゃないんですし。それでも精一杯生きておられるだけでいいのではないですか。 気持ちって、強制されて生まれてくるものではないから。今はそういう自分なんだ、って受け入れてあげることができれば、お気持ちが楽になるかな、と思いました。

トピ内ID:f953f3fd1ecdc7e9

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その立場になって分かること

🙂
ソナチネ
免疫系難病のアラフィフ、家族は夫、20代半ばの娘一人。 発症は20代になってすぐで、病歴は30年超えました。 病気になって人のやさしさに触れて、 逆に厳しい目に遭って、たくさん感情を動かされてきました。 トピ主さんの気持ち、よく分かります。 でも、時間は知らぬ間に進んでいて、後悔するくらいなら 前に進んだ方がいいと思いますよ。 受けたやさしさを、周りの人たちに限らず、誰でもいいので 返せばいいのです。 病気になったことは残念ではあるけれど、そういうことに気づけたことは 今後の人生の中でプラスに転じるはずです。 ウチは去年、夫が国の指定難病と診断され、今年春に手術を受けました。 (私とは別の病気) 家族にだけは難病持ちの気持ちなんて味わってほしくなったので 私もひっそりと落ち込みましたが(夫の前では落ち込んでいられないので) とにかく夫を支えよう、共に生きよう、と頑張ってます。 とはいえ、難病患者としては私の方が先輩でも、 難病になったパートナーを支えることは、夫の方が大先輩で。 娘だって生まれた頃から親が難病なわけで。 家族それぞれ、抱える思いがあって、すべき役割があったと、 今になって気づいたところです。 反省することも多々あり…それでも前に進む以外ないと思っています。 きっと、トピ主さんは良い人なんだと思いますよ。 だからこそ、周りにも良い人たちがたくさんいる。 季節の変わり目、年末が近くなりバタバタする季節ですが、 体調に気を付けて、無理ない程度にお仕事に励んでくださいね。

トピ内ID:a270d6e886e3a7be

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夫が腎臓病

🙂
海賊の妻
子供の頃の風邪から慢性腎炎になり40歳で透析になりました。その頃の透析は、もう10年生存している人が出ています、と言われるほどで生きるのは大変だと思いました。息子が6歳の時でした。透析の技術も上がり今年の7月で透析30年を迎えました。何度も命の危機がありました。合併症も何度も起こし、インフルエンザだと思ったら重症の感染症だったことも有ります。副甲状腺を手術で取り出し腕に埋め込んだりもしました。必要時のために体内に保存するそうです。退院の帰り道に出勤すると言うハードな仕事でした。なぜか顔に大きな腫物が出て手術した後血だらけのガーゼを顔に張り付けて仕事に行ったことも有ります。50代の後半に毎晩飲み会が続き心配したところ「誰にも言うなよ」と言われました。夫は職場のトップに立つことが決まりみんなが祝ってくれるのだ。と言いました。みんなに慕われて部下たちが引き上げてくれたのだそうです。そして義母が亡くなった時には職場のテントが並び課長以上の部下が受付から案内役や駐車場の整理をかって出てくれました。 退職すると二回脳梗塞を起こし、今は平らな所でも転びます。安心して暮らしたことはないです。最近は手の甲の動脈が破裂して入院しました。 週3回4時間の透析でお尻には真っ黒なあざのような物が痛々しいです。 さて何か参考になる事をと言うと、できるだけ良い入院保険に入った方がいいですよ。夫は退職時に勧められるまま今まで入っていた保険をそのまま預ける形で横滑りみたいに良い保険に入りました。一年以内に入院していない等の条件はありましたがパスしました。保険会社は若くて元気な時にかけてくれたお客様を対象に救済策として作った保険らしいです。この保険のおかげで入院する時には個室に入られるし退院時には美味しい物を食べて帰ります。おつりは貯金して今後のために取ってあります。本当に外交員の方には感謝です。

トピ内ID:dbb564e3acfef15a

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