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デカい携帯、使っていた人おられますか?(駄)

レス12
(トピ主 2
🙂
クリームティー
話題
平成3年が舞台の朝ドラの再放送をこの頃見ています。 そこで、肩からカバンのような充電器?を提げて、大きな携帯を使う男性が出て来ます。 話には聞いたことはありますが、当時20代で地方住まいだった私は実物を見た覚えがありません。 実際使っていたよ、という方いらっしゃいますか? 平成6年時点でも、まだ周りに小さな携帯(ガラケー)は普及しておらず、 私が毎週家庭教師をしていた 男の子は、頻繁に遅刻して、そのたびにポケベルで呼び出していました。 皆様はいつ頃から今のような大きさの携帯を持つようになられましたか?

トピ内ID:b7456c10a101d8b2

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レスします

😷
>実際使っていたよ、という方いらっしゃいますか? 仕事先で一緒になる40代の色男が所有していました。モテ男です。 時々、皆さんがいる前で(10人弱)、電話をかけるのですが、ほとんど繋がらなくて、うまく繋がっても途中で通話不能になる事が多かったですね。 それを見て私は不要の長物じゃんと、内心ほくそ笑んでいました(笑) あれはですね、、一種のステイタスです。ベンツと同じです。

トピ内ID:dbc2e4528f58deca

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使っていた

🙂
ひよこぴよ
私(65・男)は元・日本電信電話公社職員でしたから仕事上、業務通信としてショルダー型の携帯無線電話機も使っていました。当時は各種の大きさがあり、まだポケットベルも全盛期でした。 使っていたといいましても屋外電気通信設備の保守でオペレーションセンターと作業連絡するのに通常は陸上移動無線 (無線従事者免許証が必要です) を使いますけれど、場合によっては山上無線中継所からの連絡、マンホールの通信ケーブル保守など、連絡のたびに工事用車両無線 (陸上移動局 150MHz帯 空中線電力 10ワット) を使うのが不便な場合にショルダー型の携帯電話 (1990年代当時は携帯無線電話機が発売され始めた時期でもある) を現場に持参し、それで業務連絡として使ったものです。 ただ当時はまだ私達社員でも個人で携帯電話を契約する人は皆無に近かった (社員でも買えない高額な携帯電話) なんて言ったものでした。 さらにそれ以前、私が入社した当時 (1975年) には都市部 (主として三大都市圏) では「災害対策用無線電話機」というものがありまして、これは一般向けではなく官公庁に災害対策用として貸与する無線電話機です。 その大きさは「スーツケース」並みの大きさで、装置にキャスターが付いているんですよ。無線装置に回転ダイヤル型の電話機 (黒電話も取付け可能) を接続して使うものでして、現在は「歴史的遺産」として博物館に展示されています。 その分野の歴史書・技術史書などに写真入りで掲載れていますから公共図書館などでも閲覧できます。 「日本のものづくり遺産」独立行政法人国立科学博物館 産業技術史資料情報センター監修

トピ内ID:c222575280ef11e2

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使ってました

🙂
おーじん
 もうすぐ75歳になりますが、ショルダーフォンは1980年代末、営業で外回りのときに使っていました。でも使い物になりませんでした。大きいだけで重たいし電池の持ちも悪かったしそのうえ殆どのところが圏外でした。  ピッチと呼ばれたPHSは90年代後半に一時使いましたが、すぐいわゆるガラ携に乗り換えて今に至っています。最初に持ったガラ携はサッカーの中山ゴン選手がCMをやっていた「ジュワッキー」というやつでしたが、あれからどんどん小型軽量化していきましたね。  ちなみにスマホに切り替えたのは2010年ソニーの初代XperiaSO-01(Docomo)でした。今見てもおしゃれなデザインですね。

トピ内ID:b74ff410a10b144f

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ボス出張のお供

🙂
らんらん
80年代後半から始まったショルダーフォンですね。 当時私が勤めていたデザイン会社の社長が いち早く導入して使っていましたっけ。 四角くてデカくて、運べるというだけのメリットながら、 それでも出張が続く多忙な社長にはお助けでした。 ただ、重すぎるのがネックでじき飽きたみたいでしたよ。 自動車電話も同時期だったような? 平社員の私は、当時まだ珍しかった 専有面積畳1枚分のどでかいワープロを駆使して プレゼン資料を作成していました。 図形の描画には関数を入れていたと記憶しています。 もちろん、ウインドウズなんて影も形もない時代でした。 ポケベルは広告代理店社員の定番でピーピーうるさくて。 私は何だか安っぽくて嫌いでしたが、 ホイチョイ・プロダクションの「見栄講座」で これで呼び出されるのがステータスのように書かれていて (もちろん皮肉です)友達と笑いましたっけ。 いずれも昭和のバブル前の華やかなりし頃。 プロジェクト1案件がごく普通に億単位だった頃。 たった0.5ミリをどうするか、を真剣に考えながら デザインできた、とても贅沢な時代でした。 現代のWeb中心ゆえの雑なデザインとは雲泥の差でしたね。 私が個人のモバイルフォンを持つようになったのは、 ピッチと呼ばれた廉価なPHSからでした。 たぶん95年以降くらい? その後ガラケーなど何台も経由し、現在は2代目iPhoneです。 今や何でもできちゃう魔法の小箱ですね。 まだ捨てていない(いいかげん捨てろって!) 大枚はたいた古デジカメよりも、 こちらの方がずっと性能が良いなんて。

トピ内ID:077641aebe4ae1ed

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懐かしいです

🙂
くくる
1990年頃だと思いますが、父が仕事で使うと言っていました。 現物を見たのは友達のお父さんが肩からデカ携帯さげて小学校の授業参観に来ていた時。 休み時間に並んで順番に見せてもらいました。 自動車電話は祖父の車についていました。 1992年に亡くなっているので見たのはそれよりも前です。 昔のデカ携帯&自動車電話は通話料も高く、試しにかけてみたいって言ってもダメと言われ触っただけで実際に使ったことはありません。 1998年に海外に住む叔父の所へ遊びに行ったとき、海外でも携帯電話普及済みでしたが自動車電話もまだ使っていました。 日本だともう自動車電話は見かける事も無くなっていたので、祖父の車を思い出しすごく懐かしかった覚えがあります。 2000年頃は、海外に行くときは空港で海外でも使える携帯電話をレンタルして借りて行ったような…。 PHSの発売後(1995年)しばらくしてから買ってもらい、その後すぐに携帯電話に。 スマホにした時期はハッキリ覚えていませんが、東日本大震災の時はスマホでした。 あの時携帯何を持っていたかと思い出が連携しててとても懐かしいです。 トピ主さんのおかげで忘れて埋もれてた記憶がよみがえりました!

トピ内ID:4e322f8f20a276ca

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懐かしい!

🙂
クリームティー トピ主
興味深いお話を色々と寄せていただき、ありがとうございます。 本当に、あのデカい携帯をお使いの方おられたのですね! 私は平成10年頃に、まだ携帯を持っておらず、引越しに伴ってあれこれと家具やら家電を買い物するたび、連絡先として携帯かphsの番号を求められて、 「まだ持ってないんですか?」 という対応でした。 それからしばらくして、ガラケーを使い始めました。 同い年の友人は、ちゃんとメールが届くか、信じられないから夫婦で、同じマンションの中で送り合ってる、と言って笑ったものでした。 初めて海外の友人宛にメールした時にも、ホントのホントに届くの?と半信半疑でした。(笑)

トピ内ID:b7456c10a101d8b2

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いたいた!

🙂
ぱんだ
平成5年くらいだったと思いますが、当時勤務していた会社の社長が使っていました。 社長は新しい物好きで、何でも取り入れる人。ワンマンだったので煙たがる社員も少なからずいました。 ショルダーフォンを肩からさげて出かける姿に、アンチ社長の社員は、あんなものすぐに廃れるよと批判的でした。 その後、あっという間にサイズが小さくなり一般に普及しました。 当時は、電話が一家に一台の時代でした。 友達や彼氏に電話するときは子機を持って部屋にこもったり、どうしても内緒の話をしたい時は近所の電話ボックスに行って公衆電話で話をしたり。 懐かしいな… かわいかった頃のこと、久々に思い出しました。

トピ内ID:385660265a190640

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そう言えば

🙂
クリームティー トピ主
よく考えたら、平成4〜5年頃は時間にゆとりがあり、関西の友達のところによく会いに行きました。 成田から海外にも行きましたが、そんな折にもショルダー携帯を見かけた覚えはなく。 当時としても貴重なものだったのかもしれませんね。 平成22年に、息子を連れて久々に関西のある街に行くと、街並みも変わっていて、迷いました。 誰かに道を聞こうとしたところ、誰も彼も下を向いてスマホをかまっていて、声をかけられませんでした。

トピ内ID:b7456c10a101d8b2

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弁当箱みたいな携帯電話…父が。

🙂
男女平等職に就く
 マスメディア勤務の父が、お弁当箱みたいな大きさの携帯電話を持っていました。 ショルダーフォン。 >いつ頃から… わが家、親族間で携帯電話が普及したのは、1995年夏(大学生)。 実家が神戸で、阪神大震災時、地震後の朝7時台、神戸在住の祖母から、東京在住の私たちに電話がかかってきて、地震を知りました。 前日は休日で、夜遅くまで休日出勤だった両親(共働き・メディアと航空会社)は、まだ寝ていて… 祖母「こっちは全員、大丈夫だからね」「?????(寝起きの私)音声イマイチだね??」で、TVをスイッチオン。 驚きの光景が~。両親を叩き起こし、再度、神戸の親戚中に電話をかけまくりましたが、全く繋がらず。 父の携帯電話が唯一、繋がり、親戚中の無事がわかりました。 地震直後、家電は不通になり、公衆電話は長蛇の列。 諦め自宅に戻る途中の 祖母や叔母に、見知らぬ男性が、自動車電話から引っこ抜いて(?)きたという 携帯電話を貸してくれて我が家に電話してきたんですって。 おおお~あの地震の最中に繫がった 携帯電話。 地震後、家族、親族に携帯電話の普及率が飛躍的に伸びましたね。 メディア関係者の父は、昭和時代からパソコンも。(父は京大文学部出身ですが、工学部出身の友人が パソコン見学に来て、配線がゴチャゴチャなのをみて、パソコンのコンセントを抜いてしまい、200頁分の翻訳を パーにしたこともある昭和時代)。 日本や米国で購入は高額だったので、香港(国際携帯電話はモトローラかノキア仕様で、メンテナンスは香港まで)まで、2台目、3台目のパソコンを購入して持ち帰った時代。 私たち子供が弄らない様に、全部、英文か中文だった。 懐かしいなあ。父の携帯電話「お弁当箱みたい」と申していました。

トピ内ID:bc907f2b8d0291f5

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ショルダー型の携帯電話、懐かしいです。

🙂
古希の黒猫
仕事で使ってました。 野外調査が必須の仕事でしたので。 90年代の始めだったと思います。 偶々、私が担当していた場所は、簡易電柱を引けるメインの電柱から遠すぎて、プレハブ事務所に電気を引く事が出来ず、ショルダー型の携帯を持たされていました。 ただ、使用可能な時間が8時間未満で、毎日自宅で充電して、職場に持参していましたが、肝心な時に充電が切れてしまい、最寄りの電話ボックスに走ったのも懐かしい思い出です。

トピ内ID:4e819e82b87fc8bc

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よく見ました。

🙂
50代半ばです。 18歳で関西に出てきた頃、普通の?社長さんは車に電話がありました。 肩からのデカイ電話は、主に夜の街で見かけました。 金融や不動産関係の人達です。 バブル期の華やかし頃で… 店員さんを通さずに自分で寿司屋さんに出前を頼み、見知らぬ私達にまで振る舞ってくれました。 関西には喫茶店文化?がありましたが、昼間からコーヒーを飲み飲み携帯電話で仕事していた社長さん?も大勢居ました。 何の仕事をしてるんだろ…という感じの社長さん?達はゴルフの練習場にもたくさん居まして… 大きな声で取引?してました。たぶん、株の売り買いです。 23歳の時、友人の結婚式の二次会に出席し、ゲームで携帯電話を当てました。(若村麻由美さんのCM) 当時、確か保証金が10万円くらいで、月々の基本料金が12000円。 周りの友人達もチラホラ持ち出してました。 勤務地は県境が多くて上手く繋がらない事があるため、ポケベルも持ってましたが… 若者達の間で流行っていた数字のやり取りは解りません。 49(至急)、0906(遅れる?)くらいの短いのしか使ってませんでした。

トピ内ID:242600ec36f87c7a

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仕事で何度か

🙂
ちゃくろ
はるか昔、バブル前夜とも言われた時代 まだ20代だったころ 異業種勉強会を開催したとき、スタッフで使いました。 地方で泊りがけでイベントをするのですが 緊急連絡用でしたね。 かさばるし、重いし、なかなかな雑音だし、ぶつぶつ切れるし。 料金がかさむので、ほんとに緊急のときの保険みたいなもんで 社との普通連絡には当時まだあちこちにあった公衆電話を使ってました。 はじめは珍しいのでみんな触りたがりましたが、上記の理由により 途中から「これいらないよね」みたいな位置づけな扱いだった憶えがあります。 

トピ内ID:05322eeaf5d9a13d

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