父は年賀状をたくさん書く人だった。
茶色い紙で梱包された年賀状は何枚入りだったのだろう、200枚くらい?それが三包みくらいあった。
街の印刷屋さんに年賀状を持ち込んで急ぎ印刷してもらう。毎朝4時くらいに起きては、宛名とその人への一言を書いていた。
師走の20日位には投函し、遠くの人にも元日に届くようにしていた。
ある年の暮れ、年賀状を投函する前に父は倒れた。
父が危篤の間、私はぼんやり、父が書き上げた年賀状を投函しないとという思いと、この良くない状況ではそうしない方が良いのではという思いを巡らせていた。
数日後父は帰らぬ人となった。 葬儀の準備で忙しい中、「父の年賀状が届かなくて疑問に思う人がいるだろうな、今からでは母の名での欠礼はがきは無理だな」と頭のどこかで思っていた。
葬儀は御用納めの翌日だった。
父が出した年賀状の枚数と同じくらいの方々が来てくださった。お焼香の列を増やして対応しても、出棺の時間に終わらないくらいだった。
メールやLINEの無い時代だった当時、知人のみなさんは方々に電話をし父の急逝を知らせあってくださったらしい。
ああそうだ、父はどなたかの訃報を聞くと、電話の前に正座して住所録を開き、心当たりのある所へ連絡する人だった。葬儀に参列するのはもちろん、例年の初盆まわりでお盆休みはつぶれたものだ。
欠礼はがきを出さなくても父の死はみなさんの元へ届いたのだ。
私のところにも、年賀状じまいのご挨拶がちらほら来た。
「私も」という思いがチラと浮かぶが、私は父似の娘だ、年賀状も出すしお葬式にも初盆にも行く。
私がそういう「お付き合い」しているかぎり、父は私の中で生き続けている気がする。
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