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戦国時代のお金の価値(駄)

レス4
(トピ主 1
041
越後屋
話題
早起きは3文の得(徳)と申します。

よく水戸黄門などで千両箱が出てきますので、一両と文の関係をネットで調べてみました。一貫文が1000文で一両は4貫文であることを知りました。

即ち、早起きで得する金額を30円程度と見積もると一両は4万円、即ち千両箱は4千万円くらいということになります。
何しろ早起きで得する金額から換算していますのでかなりの幅はあると思います。

一方、慶長小判は18グラムとありましたので、今の価値にしても4万円くらいで妙に納得しています。

皆さん一両は何円くらいと思われていましたか。

トピ内ID:5887932137

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二八そば

🐷
zero
そば粉が8割、つなぎが2割というのもありますが、値段が2x8=16文だったというのもあります。 そば一杯が16文ですね。今かけそばっていくらくらいかな? 240円だとすると、1文=15円。320円なら1文=20円です。 1両=4000文ですから、1両=6~8万円ってところでしょうか?

トピ内ID:6033136157

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戦国時代のお金?

🐧
minmin
と思ったら「江戸時代」のお金ですか? 10万円ぐらいとなにかの番組で説明されてましたよ。

トピ内ID:7864909732

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金と銭は別もの

🐧
じんべえ
何かの本で読んだ知識では、江戸時代のはじめのころは、一両小判の価値は現在の価値でおよそ30万円以上あったらしいです。その後、小判の金の含有量が低下したことやインフレなどの影響で次第に価値が下がり、幕末のころには6~8万円程度にまで価値が下がっていたとか。 なお、金が流通していたのは江戸とその周辺だけで、大坂の影響を受けていた地域は主に銀を中心にした経済だったそうです。当時の日本では、銀のほうが価値が安定していたのでしょう。1両=4分=16朱。長屋住まいの庶民は分とか朱を使うことはほとんどなく、もっぱら文、つまり銭だけで暮らしていました。 一般に金(かね)という場合は朱、分、両のことで、金と銭(ぜに)は別のものだったようです。「宵越しの銭は持たねえ」というのは、「どうせ俺たちは金には縁がない」ということの裏返しだったのかもしれません。

トピ内ID:1297751188

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ありがとうございました

041
越後屋 トピ主
ふと思いついたつまらない疑問ですし、難しいのでレスがつかないのではないかと思いましたが、いっしょに考えてくれる方が居て安心しました。 今でも一文無しというように使いますが、zero様の言われるように、そばの値段からもやはり一文は10円単位くらいのようですね。 minmin様の言われるように江戸時代でした。いいかげんさのご指摘、その通りと反省しています。 じんべえ様、当時もやはりインフレがあったこと。お金と銭が違うというのも知りませんでした。銭は江戸幕府の信用度により価値が変化するのに対し、金は今でいう兌換紙幣のようなもので、銀の価値による裏打ちがあったということですね。ただ両を中心に大阪と江戸で2種類の貨幣システムがあると少し難しい問題も起きそうに思いますがいかがでしょうか。

トピ内ID:5887932137

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