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歴史に詳しい方へ!昔住んでいた家は、武家屋敷だった

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(トピ主 1
🐴
ラッコ
話題
普段、新聞を見ない私ですがその日だけは、なにげに新聞を見ていたら記事の写真に目が行きました。
「昔、すんでいた家に似てるな~懐かしい」 と思っていたら、過去に借家で住んでいた家でした。
私の住まいは愛知県豊田市で以前、借家で住んでいた家がなんと 武家屋敷だったらしく、最近、豊田市では市文化財に指定されたそうです。当初は何も知らずただ住んでいましたが、庭は広く部屋数も半端なく沢山ありました。
トトロに出てきそうな大きな大きな家でした。
古かったが、なんとなく味のある自然豊かな住みやすい住居でした。
霊感が少々あり、たまに おばけ?らしきものを住んでいる頃は時々、見ました。

記事によると、尾張藩家老渡辺家の重臣。長屋門は江戸時代に建築された そうです。
自分達はそんな凄い家に住んでいたんだ と驚きです。歴史に興味が出てきました。その近くに 城跡もあるので久しぶりに行ってみようと思います。

歴史に詳しい方、どんな情報でも良いので教えていただけませんか?興味津々です☆
宜しくおねがいします。私も魅力にはまり、歴女になりそうです☆ 

トピ内ID:7335511412

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渡辺半蔵守綱

🐱
元名古屋人A
調べてきました: 渡辺家はもともと徳川家康の家来で「槍の半蔵」の異名を取った渡辺半蔵守綱の末裔。 慶長13年(1613年)、家康の直命によって尾張藩の藩主に封ぜられた家康の9男徳川義直の付家老となり、 武蔵国の4000石に加えて 尾張国岩作で尾張藩より5000石、 三河国寺部で幕府より5000石を与えられ、 あわせて1万4000石を領して寺部城に居城。 大坂冬の陣、大坂夏の陣に出陣して藩主義直の初陣を後見、 家康死後、領国尾張に入った義直を直に補佐し、 元和6年(1620年)に名古屋で死去 享年:79。戒名:守綱院殿釈道喜居士。墓所:名古屋市の興善寺。 その功績から家康配下の徳川十六神将の一人として顕彰された。 その子孫は寺部に1万石を領して尾張藩家老として続き、 分家は和泉国伯太藩(大阪府和泉市)で1万3000石の大名となった。 ですって。

トピ内ID:6170266034

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詳しい情報ありがとうございます

🐴
ラッコ トピ主
詳しくて凄いですね。 渡辺・・私の住んでいた場所は 渡辺さんと言う苗字が多かったのは昔の名残でしょうか? 徳川家康が なんとか・・・ってチラっと聞いたことがあったのですが、納得です。 寺部の城跡は今、公園になっているようで、しかも マムシが出るようなので気をつけないとですね。

トピ内ID:7335511412

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青松葉事件

🐱
元名古屋人A
慶応4年正月明け、幕末の尾張藩で佐幕派の重臣3名が突然「朝命である」として斬首されました。 2500石の渡辺新左衛門在綱、1500石の榊原勘解由正帰、1000石の石川内蔵允照英の3名です。二の丸の屋敷跡だったかに碑があるそうです。 その後さらに尾張藩では11名が斬首されました。 理由は明らかではありません。 この事件は尾張藩の悲劇として城山三郎の「冬の派閥」に書かれています。 この事件は「青松葉事件」と呼ばれていますが、尾張藩には渡辺姓が多く、それで渡辺家はそれぞれ屋号で呼ばれていて、東片端に屋敷のあった渡辺在綱の家が「青松葉」と呼ばれていたのです。 この事件には怨霊話もあります。直接斬首した人々に不幸が襲ったというものです。 渡辺在綱の妻みつは見事な屋敷の引渡しをし、役人が奏上して、動産はみつに、ということでみつの実家に運ばれたそうです。 1番涙を誘ったのは榊原家で、90歳を超えた父上と、妻と、息子2人が自害しました。妻は挙母藩主内藤家の娘で、父上は彦根の井伊家から内藤家に養子に入った人で、井伊直弼は叔父になるそうです。

トピ内ID:6170266034

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