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皇帝と王の違い

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041
りんりん
話題
以前から不思議に思っていることがあります。 皇帝(emperor)と王(King)はどう違うのですか? 日本の天皇は皇帝ですよね。 あと、清も皇帝でしたね。 タイは王ですよね。 ヨーロッパは、イギリスは王だけど、 ナポレオンは皇帝で、プロイセンは皇帝。 うーむ。 一応、辞書は引いてみたのですが、 トートロジーになってしまい、 よくわかりませんでした。 どなたか教えて下さい。

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帝政

041
ピピン
帝政は皇帝を戴く政体で、王の中の王といった意味合いがあります。ローマ帝国・ビザンツ帝国・オスマン帝国から、始皇帝に始まる中国の帝国などあります。 ヨーロッパの皇帝は、西ローマ帝国と東ローマ帝国の後継者(神聖ローマ帝国・プロイセン=西ローマ帝国 ロシア=東ローマ帝国)か、キリスト教ヨーロッパを武力で制覇した覇者(カール大帝・ナポレオン)を差します。 中国の皇帝は中原を統一し、周辺国の諸王を朝貢国として支配する存在です。天と地上の仲介者で、神にも等しい敬意を受けます。 帝国は王国よりも、はるかに広大な領土を有します。 日本は帝政ではないので(王政復古といいますね?)、天皇は中国やヨーロッパの皇帝とは違います。 また日本は、中国とは海を挟んで隔たっているので、中国の朝貢国ではありません。 天皇は例えてみればローマ法王に近い存在となります。

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中国では

041
中国古代史好き
中華に於いて周王朝末期までは天下に王は一人でした。 しかし周後期-春秋時代において楚の君主が王号を称しました。 まあ、楚は中華ではなく南蛮と見られていましたから征伐は、されませんでした。 というより、周は既に衰えていて楚は強大な力を持ち始めていたので、どうにもならなかったんですが。 周後期のさらに後期、末期の戦国時代になると中華の諸侯が、みんな王号を称し始めます。 秦、斉、魏、韓、趙、燕などです。 それに楚を加えて戦国七雄と呼びます。 一応、周は存在していますが弱小国で存在感はありません。 その後、秦が他の諸国を滅ぼし統一国家を創り上げたわけですが、王号は上記のように安売りされた感が否めず、王の上位として皇帝という名称をつくりあげたんです。 つまり楚、斉、魏、韓、趙、燕などの王より尊いんだぞ!ということです。 ちなみに伝説では太古の昔には三皇五帝がいたというので、それらを合わせた名称ですね。 なお、周では王としか呼ばなかったようですが、その前の商(殷)王朝では帝という名称があったようです。 商王朝最後の王は俗に紂王と呼ばれますが帝辛という記述が残っているそうです。

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帝国と王国

041
tatata
どちらも君主制国家の元首ですが、その中に多民族、多人種、多国家を内包しているのが帝国で、その元首が皇帝。 それに対し、一国家を治めているのが王国で、その元首が国王。 また、帝国に冊封されてその一部地域を治めている者を王と呼び、その地域を王国と呼ぶこともあります。 ただし、それほど厳密なものではないので、実態が王国であっても、その国が帝国、皇帝と称していれば、わざわざ言い換えたりしません。 ちなみに、日本の天皇は、中華帝国の属国ではないと言う心意気で、向こうの皇帝/天子に対抗してつけられたもので、皇帝とイコールではありません。

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やや違う?

041
T
まず、東洋の「王」「皇帝(天皇)」と、西洋の「王」「皇帝」は異なるものです。お互い似ているものに、訳語を当てはめただけなので、単純に比較はできません。 ただ、どちらでも「皇帝」は「王」の上です。 中国では、当初は「王」が最上位君主の称号だったのですが、王が乱立したあとを統一した人が、その上の照合として、過去の伝説から「皇帝」というものを考えたのです。日本もそれを真似て、「天皇」という称号を使い、「王」は天皇の親族で親王宣下のない人に使っています。 西洋では、一般的には「王」は一国の君主で、「皇帝」はそれを統合した権力を持つ人が、教会から神授の形をとって、戴冠した君主です。 ただ、名目的に存在していただけの時期もあり、中国や日本では「皇帝」の下に「王」がいるのに対し、西洋では「王」もいるし、「皇帝」もいるという並立的な状態になります。

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いくつかの説がありますね。

041
ぷるぷる
いつだったか興味を持って書籍で調べたことが有ります。 簡単に言えば、 中国の始皇帝とローマのカエサルの二つが起源とする説がありますね。 日本の場合は中国ですかね。 周辺国の帝として皇帝に比する存在であると言う主張、 諸国の王を越える者と言う表現のようです。 真実は判りませんがね。

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私も知りたかった

041
むささび
まず、中国の呼び方からですが、『皇帝』の名の由来は、中国伝説時代の“三皇五帝”にあやかったものとか、“皇(おお)いなる帝”の意とか、いろいろ言われています。 中国は春秋戦国時代はたくさんの国が出来ましたよね?なので、とにかく国を支配していれば『王』と呼ばれたので、自分はその『王』を統べる『皇帝』であると主張することから始まったようです。秦の始皇帝が始まりです。 西欧の『皇帝』と『王』の違いは『ローマ帝国』に由来します。ローマ帝国の流れを汲むと、教皇から認められた国だけが『帝国』であり、『皇帝』なのです。 なので、ローマ帝国の力が強かった頃は「皇帝」という名前の方が強かったですが、だんだん差はなくなってきます。

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帝国の場合が皇帝です。

041
?
秦の始皇帝が皇帝の最初です。帝国の君主が皇帝です。帝国でなければ王です。

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去年似たようなトピがありました

041
歴史横好き
小町の中の検索で「皇帝 王」でやってみてください。色々詳しい説明をしてくださっています。 基本的には西洋の場合「複数の君主国より成る国家」「多民族国家」の君主が皇帝でそうでない国の君主が国王です。 ドイツの中の一国家だったプロイセンの君主は国王ですが、統一されたドイツ帝国の君主になると皇帝になるわけです。 ヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ねたように「国王でありながら皇帝でもある」場合もあります。 ナポレオンの場合はフランス一国なのに「皇帝」ですがこれは例外。彼の場合皇帝になった後帝国を築こうとして失敗した形になります。本末転倒と申しましょうか。 東アジアでは本来中国の君主のみが「皇帝」で周辺諸国は全てそれに臣属して王なり何なりに任命される建前でした。 天皇が「エンペラー」と訳されたのは「中国に臣属する立場にはなりたくない」「将軍が『日本国王』と名乗った前例があり、国王の上に立つものとして皇帝を名乗った」というような理由と思われます。

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お答えします

041
ロマーナ
皆さまのレス、わかるようでわからないですね(笑)。 まあ私の答えも教授(西洋史)の受け売りなので、偉そうなことはいえませんが。 まず、王と皇帝の根本的な違いは、継承に「血縁」があるかないか、なのだそうです。 王kingの語源はcyning=kin(一族)の長で、王位継承は基本的に血筋によります。 一方、皇帝emperorの語源は古代ローマのimperator=最高司令官で、もとは支配者の意味がなかったものが、帝政の成立以降、皇帝の称号となっていったのです。 ローマ帝国の帝位継承は父から子へ、というケースは稀です(皇帝に実子がいなかったり、いても早世したりで現実問題として息子に継承できなかったというやむをえない事情があったためでもありますが)。 ですから、とても乱暴な表現をすれば、皇帝は誰でもなれる(笑)ものだったわけです。 まあ時代や考え方によって、皇帝>王といったスケールの違いも出てくるのかもしれません。 日本の天皇は英語ではEmperorでしょうけど、別格と考えるべきではないでしょうか。

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ヨーロッパ皇帝について

041
とくめい
ヨーロッパの皇帝は 「インペラトール」や「エンペラー」などの言葉の訳として 「皇帝」を当てたものなので、厳密に言うと、中国の皇帝とは違う概念です。 ヨーロッパの皇帝を大雑把に分類すると以下のようになります 1.ローマ帝国の皇帝 2.神聖ローマ帝国の皇帝 3.ロシア帝国の皇帝 4.ナポレオン以降の皇帝 本家は当然1です。 西ローマ帝国滅亡後、ローマ教皇が自分(教会)を守らせるために、 大国の王に「おまえにローマ皇帝の位を授けてやるからありがたく思えよ」 というようなことをやるようになりました。 このような慣わしから発生したのが2です (本当はもっと話は複雑なですが、とても書ききれない)。 一方、西ローマ帝国滅亡後も東ローマ帝国は長く続きました。 なんと西暦1453年まで続きますが、 その頃にようやくモンゴルの支配から脱しつつあった モスクワ大公のイワン3世が、東ローマ帝国の姪と結婚して、 「俺が東ローマ帝国の後継者だ」と言いだしたのが3です。 ただし、長らく西欧諸国からは相手にされなかったようです。 4については続きで

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ヨーロッパの皇帝について(つづき)

041
とくめい
ナポレオン以前には、 ヨーロッパにおいて皇帝といえば、古代ローマ帝国の皇帝か、 その権威を引き継ぐ (ローマ教皇の後ろ盾によって、あるいは姻戚関係からこじつけで) 者以外には考えられませんでした。 日本において、いかに絶大な権力を握っても 天皇になれない(例:秀吉や家康)のと似てるかもしれません。 ところが、革命児ナポレオンは、 そんな古代ローマ帝国とのつながりを一切無視して、 「俺は皇帝だ」とばかりにフランス皇帝の位についてしまいます (いちおう国民投票で賛成を得ていますが)。 すると、じゃあ俺も、とローマ帝国と無関係に皇帝が乱立するようになります (当時ヨーロッパ諸国の植民地だった中南米にも)。 これが4.ナポレオン以降の皇帝です。プロイセン皇帝もこれに該当します。 イギリスと言えば王ですが、 形の上ではインド皇帝を兼任するという形式をとってインドを支配していました。 以上、かなり大雑把に書きましたが、 ヨーロッパの皇帝というのは実に奥の深い概念です。 より詳しく知りたければ、 古代ローマ帝国、神聖ローマ帝国とその帝位をほぼ独占したハプスブルク家、 ヨーロッパ近代史についての本を読み漁るのがよろしいかと思います。

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こんな感じかな

041
キリマンジャロ
王は血筋で決まるけど、皇帝は力による勝利者。 シーザーのいたローマは共和国だったから王は存在しなかった。 だから王と同じような権力を持ちえる皇帝になろうとして失敗、暗殺された。 王国の王は自分の土地を先祖代々受け継いできた大地主でもあるので、 当然子々孫々にしかその権利はないはず。 中東では今でも一つの国にたくさんの王様がいるけど、 江戸時代までの日本中の大名の殿様と同じようなものですね。 (日本語では王様だけど、首長という感覚かも)

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天皇はエンペラーじゃない

041
サイグウ
日本の天皇を安直にエンペラーと訳したために、欧米から「権力で民を支配する代わりすべての責任を持つ」王の意味でとられ、誤解を受けているのです。 司馬遼太郎氏も言われているように、天皇は大神官であって、支配者ではありません。(太古の頃は別として) 天皇を大神官(仏教の天皇もいたけど)として考えると歴史にツジツマがあいます。時の権力者が何故皇室を別格としていたのか。 こういうことを言うとスグに右翼とか言われるけど、戦後皇室がなかったら、今の日本はもっと中途半端な復興しかできなかったと思います。

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tatataさん

041
アホ草
>>どちらも君主制国家の元首ですが、その中に多民族、多人種、多国家を内包しているのが帝国で、その元首が皇帝。 >>それに対し、一国家を治めているのが王国で、その元首が国王。 また、帝国に冊封されてその一部地域を治めている者を王と呼び、その地域を王国と呼ぶこともあります。 これって、ウソですよね。United Kingdomは範疇に入りませんよ。 United Kingdomには、多民族、多人種が多く生活し、四国家を内包していますが、帝国ではありませんし、エリザベス女王は皇帝ではありません。王国なのに、一国家を治めているわけではありません。特に、外交や軍事王室関係は、英連邦という一国家として機能してもいますが、ウェールズ、北アイルランド、スコットランドは帝国に冊封されているわけでもありません。 世界でも有数な王室の一つと数えられる英王室を、まさか、範疇に入らない例外などと言い訳するのではないでしょうね。 あまり知識がないなら、こういうところへ出てこない方が人の迷惑にならずに済むというものです。

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こういうの、すきです

041
くいん
これって歴史小説を読んだりすると疑問に思うのに、いつのまにか頭から消え去っていたものだったのです。 トピ主さん、お答え下さったかたがた、ありがとうございました。ひとつ賢くなりました。 これですっきり。

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昔のイギリス王(女王)は皇帝でもあった

041
でか
歴史トリビア イギリスがインドを植民地支配していた頃、イギリス王(女王)がインド皇帝(Emperor/Empress)を称していました。つまりイギリス王とインド皇帝を兼ねていました。 インド各地の藩主(マハラジャ)はプリンス(prince)の称号を与えられ、イギリス王(女王)の名代であるインド総督には副王(vice king)の称号が与えられていました。

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分かりやすい!

041
歴史おんち
皆さんの説明が、そろいもそろって分かりやすい! 歴史に強い人は説明も上手なんですね。 感銘を受けました。 ためになる面白い授業を受けた気分です。

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ありがとうございました!

041
りんりん
レスくれた方々ありがとうございました! いや~勉強になります。 確かに、西洋の「皇帝/王」と東洋の「皇帝/王」は、 何か違う感じがするなと思っていましたが、 皆様の説明でよくわかりました。 東洋と西洋では、成り立ちが違うんですね。 天皇が中国の皇帝に対してつけられたものとは知りませんでした。 日出る処の天子ってやつですな。 そうそう、愛子様がもし天皇になったら、 現在では世界で唯一の女帝になるそうですね。 なんだかすごいなー。

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中国とローマ帝国

041
やれやれ
東洋では、中国で統一国家の元首が皇帝。それに朝貢している国の元首は王。 西洋では、古代ローマ帝国の元首が皇帝。古代ローマ帝国こそが、西洋各国の基。つまり正統ですから、その後の西洋ではわれこそが正統という国の元首が皇帝を主張したことになります。(中世では教会が、正統のお墨付きを与える権利をもっていた。それを横紙破りのナポレオンが勝手に皇帝を名乗ってから適当になりましたが。) 要するに、古代中国と古代ローマ帝国は、その他の国と一緒にできないほど権威も力もあったってことですね。格が違うのです。 日本は、自分も上の格の国なんだ~と主張したいという、背伸びをした国だったわけです。聖徳太子のころからずっと。

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ありがとうございました!

041
りんりん
皆様ありがとうございました。 ずっと疑問だったことが、これでやっと氷解しました。 日本の天皇は、他の国とはちょっと違うんですね。 東洋と西洋の差についてもわかりました。 血筋もからんでくるんですね。 それにしても、皆様本当に博学ですね(笑) 私も見習おうと思います。 ありがとうございました。

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