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阪神淡路大震災から20年

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041
KY
ヘルス
20年前の大震災を目の当たりにした方、この20年の思いを教えて頂きたいです。

私は東日本大震災で実家と祖父母と母を失いました。
当時19歳でした。

あれから4年が経とうとしています。
4年も経つのに未だに当時を思い出すと胸が苦しくなります。

もう一度家に帰りたい気持ちや祖父母・母に会いたい気持ちは年々増し、
寂しさと悔しさでいっぱいです。

気持ちがこんな状態ですが、
月日は止まること無く過ぎて行きます。

だからこそ10年後、20年後、私はどういう気持ちでいるのか不安で仕方が無いです。

10年も経てば寂しさと悔しさは減るのか
20年も経てば「そんなこともあった」と懐かしさになるのか

それとも10年後も20年後も
溢れる寂しさと悔しさを耐え続けるのか…


気持ちの変化は人それぞれかとは思いますが
10年20年後の自分がどういう気持ちでいても良いと思えるよう
いろんな気持ちの経過を聞きたいです。

阪神淡路大震災から20年。
この20年を被災された方はどのような気持ちで過ごし
今、どんな気持ちで過ごしているのか、よければ教えて下さい。

最後に20年前、犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

トピ内ID:8409943911

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伊豆半島南部居住者です。

041
不倶戴天
伊豆半島沖地震、伊豆大島近海地震、三宅島噴火、伊豆大島三原山噴火、伊東沖海底火山噴火…様々な自然災害に直面しました。 東海地震説に、震撼しました。 台風、集中豪雨災害も数知れず経験しました。 富士山噴火、南海トラフ巨大地震の危険性が叫ばれております。 私の住居は最新の被害想定によると、南海トラフ巨大地震の最悪想定で地震直後5~10分で最大5~10メートルの津波に襲われるとのこと。 80過ぎの我が父は、運命に従いたいと言います。母は病没しました。 未婚子供ナシ50代の私は、多少の悪あがきを演じるつもりです。 徒歩3分の津波避難ビルに、父の手を取り何とか避難しようと考えております。

トピ内ID:9003361553

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阪神淡路大震災は経験していませんが

041
あめ
東日本大震災の被災地で暮らしております。 私も近しい人を無くし、物的被害も多々ありました。 とても悲しい事でしたが天災ですから 私は容易に受け入れる事が出来ました。 震災前に大震災より酷い人災を受けています。 その時は悔しさ、悲しさ、憎さ、寂しさ 色々な負の感情が入り乱れていました。 また、その事実を受け入れる事が出来ずに そこで人生が止まったままでした。 自分が前を向けるようになるには どんなに辛い事実でも、どんなに不幸な事実でも それを心の底から受け入れる事です。 そしてその事実を前向きに捉え、 自分の人生がどうなれば幸せになれるかを考え それに向かって脇目も振れずに猪突猛進する。 そして本当に幸せと思える自分を手に入れた時、 その辛く悲しい体験も「そんなこともあった」 と思える日が来ます。 もし、辛かった事実に執着し、 自分が前を向けないで人生を歩んで行ったなら それに一生囚われた人生になるでしょう。 幸せの第一歩はどんなに辛い事実でも 心から受け入れる事から始まると思います。。。

トピ内ID:5263971856

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やっぱり怖い

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素肌のももさん
今の私は、少しの揺れも怖いです。 一言で怖いと書けますが、正直、尋常じゃない程怖いです。 あの頃嗅いだ外気の臭いがするような気がするのです。 後から15秒の揺れだったと聞きましたが、もっと長かった気がしてなりません。 ゴーゴーという音と数々のガラスの割れる禍々しい大きな音。 そんなことなどが20年経過今でも心身にこびりついて抜けない。 風化させないのではなく、どうしても1月17日は立ち止まって振り返ってしまう。 10年目も20年目もこれです。 物事は儚いんだと思い知らされました。

トピ内ID:4844761594

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あまり思い出したくないです

041
あら
神戸って人が織りなした歴史ある建造物が多く存在する美しい街でした。 ・・・あ・・・ここまで書いて、もうつらいです。 でも生きていかねばなりません。 失くしたものを数えても亡くなった方は喜びません。 だから、気持ちを抑えないようにしてます。 誰もいないところで今でも悲しんだりわめいたりしてます。 で、再び前を向いてます。この繰り返しです。 失くしたものに想いを馳せながらも生きていきましょう。

トピ内ID:3693339265

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被災者です

041
生きてる
今でも、あの地震の前に聞こえた音を思い出します。 電車が足元を走る様な、地鳴りのゴオーっと言う音。 私はしばらく、通勤に地下鉄を使えなくなりました。 その音が怖くて仕方無かった。 父母が大声で私の名前を呼び、幸い家族は皆無事でした。 当時消防署長だった父は何週間も自宅へ帰宅できず、 帰って来た日も、無口で顔色が悪かったのを覚えています。 あの時、救命に出て行った消防士の多くがPTSDを抱えました。 水の出ないホースを抱えて、呆然としていました。 倒壊した建物、粉々に砕けたかつて生活していた物品。 報道で旋回するヘリが喧しくて、瓦礫の下の人の声が聞こえなかったんです。 ヘリには聞こえないけど「飛ぶな!」と怒鳴る人達。 今でも、思い出すと苦しい。 でも、私は生きていました。恋人も生きていました。 私達は私の両親に結婚を反対されていたんです。 お互い死んだかと思いましたが、3日後に電話で安否が確認できました。 両親は、この震災がきっかけで結婚を許してくれました。 生きている事が全てだと。 あれから20年経ちましたね。 今でも夫と当時の写真を見て、肝に銘じます。 生きている事が全て!

トピ内ID:9676134788

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ちょっとはずれますが

子供だった
東日本大震災、日本海中部地震の体験者ですが、建物被害だけで済みました。 ただ40年近く前、火事で家族3人を失いました。5歳の時です。 私は幼いということで最期のお別れはさせてもらえませんでした。 あの時の絶望と家が焼けた光景は何年たっても思い出すと苦しく、今だ語りたくもないですが、月日が経つにつれ思い返す回数は少なくなりました。 でも思い出せばやはり苦しいです。いまだ火がこわく、それにとらわれていることも否めません。 時が癒してくれたのかと問われればわかりません。 いくら思っても失ったものは大きく戻ってこないのですから。 今は諦め、の境地でしょうか。

トピ内ID:2411904586

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友達のこと

🍴
moimoi
当時大学生でした。地震の前の年にドイツに短期留学に行った時に神戸から来た同い年の女子大生と仲良くなり、目標も似ていたためすぐにとても仲良くなりました。私は帰国し、彼女は1年ドイツ留学をして、地震の直前に神戸に帰りました。何回か電話で話し、春になったらどこかで再会しようと約束しました。そして地震。彼女の住所の地区は被害が大きく、火事も大規模で、テレビに映るその光景に呆然としました。その後電話、手紙(当時携帯やメールがなかったのが残念)、ドイツで知り合った他の日本人の友人たちなどを通して彼女の安否をつかもうとしましたが、あの日から彼女の情報は一切手に入りませんでした。時が経ち、それでも被害者名簿を確認する勇気が出ません。20歳だったYちゃん、どこかで生きていてくれないかなあ。40歳になっても天然パーマの可愛いYちゃんのことは見かければ分かるような気がします。どこかで偶然すれ違わないかなあなんて今でも思います。死んじゃったと思ってたよ~って笑い合って、お互い夢の職業に就けた姿を見せ合いたいです。東日本大震災の時は茨城にいましたが、激しい揺れの中、机の下でとっさにYちゃんを思い出していました。

トピ内ID:4486239738

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地震の前のアルバムのない人生

🎶
北口
「生きてる」さんが書かれていたことですが ヘリコプターの音 = 地震なんです。 ほぼ反射的に思い浮かびます。これがPTSDっていうんでしょうね。 土地区画整理事業でそれはそれはきれいな街になりました。住みたい街ランキング1位になりました。 しかし、自分が育った原風景はどこにもない。 帰るところがない、という感じです。 人が入れ代わってしまい震災の前の街を知る人は少なくなりました。 たまにそれを知っている人にお会いすると初対面の方でも昔から知っていた間柄のように話し込んでしまいます。

トピ内ID:0149249837

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城を作るようなもの

041
ぶらんか
私は阪神のあの朝のことを20年経ってもさっきのことのように思い出します。 時間が忘れさせるのではなく、時間が記憶を磨くのです。 大きな石を磨いて石垣を造るように、記憶の塊を磨いて、ほかの記憶も積み重ねて自分の城をだんだんを築いていくようなものだと思います。 忘れられないし、取り返せません。じっと持ち続けていつか全部自分と思えるように生きていくしかありません。 そう思っています。

トピ内ID:6105408604

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辛かったですね

041
八重咲きチューリップ
関西にいたので東日本大震災は経験していません。 ただ、報道から阪神淡路大震災の恐怖を思い出し、PTSDのような状態になる 人は周囲に複数いました。 阪神淡路大震災では幸い大した被害はなく、周囲で亡くなった人もいませんでしたが、あの悲惨な光景は忘れられません。 私は子どもの頃事故で家族を亡くしました。 トピ主の、「時が癒してくれるのか。忘れるものなのか」という問には、 残念ですが「忘れない。癒されることもない」と言わざるを得ません。 だから、地震のみならず第二次世界大戦の大空襲や原爆を体験した方、 生還した兵士の方々も地獄を忘れずその後の人生を生きた(生きている)ことになります。 それでも彼らはたくましく生きたし、友人や家族と笑いあうこともある。 私も子供の頃身近に体験した「死」の生々しさは消えない一方で幸せな日々がある。 人生はモザイク状。希望と絶望はコインの裏表のように一体。 生きている限り、どちらかだけを望むことはできません。 その苛烈さを真正面から引き受けること。 それが生き残った者の課題ではないでしょうか。

トピ内ID:5115986939

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