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卒論の思い出

レス13
(トピ主 0
🙂
ピンポー
話題
突然ですが、卒論の思い出ってありますか。 私は、バブル期から崩壊直後に学生でした。 就職も決まり、最後の修行みたいなもんでした。 ちなみに、PCでプリントアウトするのがはじまった世代です。 提出〆切前日、知人が、うまく原稿用紙に合わせて印刷することができず、 担当の指導教授から、「とりあえずだせ。教務課は枚数を数えるだけだから、そんなことまでは口は出さない。あとで直せばいい」 といって、ぎりぎり間に合ったとか。〆切時間になって、教務課がドアを閉めようとしたら片ほうの足を突っ込んで、閉めさせなかったとか。 まあ、〆切当日はお祭りでしたね。 みなさん、卒論の思い出ありますか。

トピ内ID:4120357576

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三日三晩

サラちゃん
理系です。卒論に使うデータをギリギリまで取っていたため、卒論を書く時間が70時間ほどしかありませんでした。 具体的に言うと、 日曜20時:卒論を書き始める。 月曜:終日書き続ける。 火曜:昼頃睡魔に襲われ、1時間爆睡してスッキリ。 水曜:たしか17時の締め切りに、ギリギリ間に合う。 つまり、70時間ほどの間の睡眠がたった1時間だったのです。日曜・月曜・火曜の夜は完全徹夜で書き続け。 もちろん提出後は速攻で寝ました。

トピ内ID:9370246256

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職員研修所

🐤
ひよこぴよ
私(60・男)は高卒で就職しましたから「卒業論文」の経験はありませんが、職員研修の時期 (期間は研修目的によって 1年~2年) は様々なるも、研修の後半は「研究・開発」に結びつくような論文の課題がありました。 企業内研修・企業内大学ですから大学とは異なりますけれど、全寮制でして1部屋4人 を一つのグループとして、それぞれのグループに課題が与えられました。 課題は様々で研修内容の結果から、商品開発、などグループによって異なり、お互い助け合いながら全グループが「論文完了」するよう努力したものです。 ところが、私のグループで発表したものが翌年、電気計測器メーカー、通信機器メーカーから商品として発売されて後年、同窓会などで、 「あれは 驚いたなぁ~ まさか あの発表が製品化されるなんて どんなルートでメーカーに資料が渡ったんだろう・・・」 また発表した当時、 「こんなもの 発表したって 部品がない どうやって製造するんだ しかも高くて誰も買わないよ 誰がこんなもの使うんか・・・」 なんて研修目的で発表した物が、今では大勢の国民の皆様に小学生から高齢者までご利用いただいており、発表した私達グループが「びっくり ポン」です。

トピ内ID:0496735390

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余裕ではあったのですが・・・

🐱
なつかしい
トピ主さん、懐かしいトピをありがとうございます。 私の卒論の思い出、それは・・・。 提出〆切に余裕を持って完成していたのですが、早く出すと、指導教員からだめ出しが出て、書き直しをさせられるという研究室の仲間の声。 なるほど、では、〆切日の前の日くらいまで完成したことを黙っていようと思い、実行していたところ・・・。 何と、昭和が終わり、平成になってしまいました。 余裕を持って出していれば、「昭和64年○月○日」の受付印が押されたはずなのに、「平成元年○月○日」の受付印になってしまいました。 あーあ、貴重な昭和64年の受付印になってたはずだったのに・・・。余計なことを考えてしまったがために、数少ない昭和64年の受付印を押してもらった卒論の仲間に入れそびれたのでした。 そんな思い出。 今も、屋根裏に、製本した手書きの卒論があります。 それにしても、製本代、高かったなあ・・・。

トピ内ID:4131628936

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いい加減な大学もあることがわかった

🙂
めんたい雄
私は理系大学しか知らないので、文系がどの程度卒論に傾注しているか、知るよしもありませんが、少なくともいい加減な大学があることだけは、色々と渡り歩いて知るに至りました。 理系だと、卒業研究自体が卒業論文の本体を作るための素地になるので、朝9時から夜9時まで研究室に詰めるのが常、とたたき込まれたものでした(大学A)。 同じ感覚で大学院で別の大学に進学したところ、今度は、実験に一度取り組んだら、朝や夜に制限そのものがある方が不思議、という、今から考えれば「スパルタ方式」な研究室に身を投じることになり、それがまた当たり前になっていきました(大学B) ところが、学位を取って別の大学に奉職すると、そこの大学はとにかく「(国家)試験に合格することだけが大事」で「卒業研究は二の次、三の次」。まさに主さんが仰るような「人の論文を写す」例もかなりあったように見聞しました(大学C) 私自身はそんな大学Cにあって、愚直にも実験や文献研究に取り組ませて学生の卒論執筆の手助けをしてきましたが、さらに別の大学の様子を知るに、あぁ、いい加減な大学もあるのだ、ということを学びました。 だから日本の大学が世界的にも評価が低いのかな、とは思います。

トピ内ID:3643816600

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30年前です

041
マリー
当時は珍しかった国際関係学科で、卒論の提出期限は確か年末だったと思います。 期限ぎりぎりに提出して学食に行きましたら、4年生がたくさん集まっていました。顔見知りの友人もちらほら。和やかな雰囲気でした。 卒論はアメリカの植民地時代をテーマにしました。ホント、お粗末な内容。200字詰めの原稿用紙に手書きで書きました。 私はこの大学時代は勉強やらなかったので、心機一転、卒業後数年してから海外留学しました。その大学の卒論もアメリカの植民地時代について。 ジェファーソンを中心に書きました。当時はまだPCは出回っていなくて、タイプライターで作成したと思います。 この論文も出来が良かったとは言えないですが、まあ、2つの大学で同じようなテーマを学んだわけで・・今はほとんど忘れてしまいましたが。 アメリカの大学を卒業した年の夏に、東海岸に一人旅をしました。アメリカの独立に関係のある史跡などを訪れました。ワシントンDCのアーカイブスで独立宣言を見たり、ボストンのヒストリックトレイルなどを巡ったり、一生の思い出になりました。 卒論にちなんだ思い出・・・長くなってごめんなさい。

トピ内ID:1204469638

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思い出ですね!

😍
ふー
懐かしいですね~!! 6年前に大学を卒業しました。 担当の教授と意見が合わずに戦った思い出があります笑 提出後に面接形式で二人の教授との口頭試験もありました。 卒論に参考として、ある有名な製品の名前を出したのですが、その後、その製品を開発した某有名企業に勤めている主人と結婚しました~! 卒論に書いた時は想像もしていませんでしたが、嬉しいですね。 提出1ヶ月前からは、ほとんど徹夜していましたね。 大変でしたが、大学生活の締めくくりとして思い出になっていますね。

トピ内ID:9490829644

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私は無い!

🙂
オッサン
 私は旧帝大の法学部卒ですが、タイトルの通り卒論の思い出はありません。  そもそも卒論なるものが無かったからです。  4年で所定の単位を取得すれば卒業できました。  ちなみに学園紛争のあおりで「卒業式」もありませんでした。

トピ内ID:2901390560

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理系だったけど

tora
なかなか満足するデータが取れなくて、そこそこに卒論をまとめた。卒論発表前後あたりから、いいデータが取れだした。卒業式が終わって就職するまでの間、指導教員に呼び出されて毎日学校に通っていた。 親からは、いい加減にして、引越しの準備をしろ、としかられた。 その後、教員が論文にまとめて学会誌に発表した。論文の端には私の名前も載っていた。 40年以上前の話しだけど。

トピ内ID:5624526977

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バブルの頃私もアメリカの大学にいました。マスメディア専攻。

🐱
スーザン
 今思い出しても胃がきゅーっとなります。『東洋と西洋の女性性』が卒業制作のテーマで。猛勉強しましたよ。最後の半年間は アパートメントの床が見えなくなるくらい紙やノートや参考図書類にうずもれて暮らしていました。マスメディア学は将来雑誌エディターになりたい人やテレビ局で働きたい学生さんが集まるところで「締め切りは守るのが当たり前。5分遅刻しても受け取りません。」という  当たり前だけれど厳しい教育を米国人教授たちから受けました。  日本に帰国してかなり有名な大学で教鞭を取る機会に恵まれたのですが、驚愕したことがひとつ、、、、。締め切りを守らず、三日遅れや一週間遅れでレポートを私に受け取らせようとする日本の学生さんたち、、、、。  思いっきりシメましたが。(笑)  海外は厳しいけれど良い教育を受けたと思います。卒業制作の評価もAです。

トピ内ID:6512346020

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JIS第二水準コード結構覚えた

041
ミスノン
1990年卒なのでバブル崩壊前ですが、 パソコンの一太郎で作成してプリンタで打ち出しました。 国語国文で「原稿用紙100枚以上」規定だったもので、 「原稿用紙に打ち出さないとダメですか」って聞いたら 「別にいいよ、一枚20文字×20行で打ち出せば」。 ということだったので余白がやたら多い文字組で打ち出しました。 当時、JIS第二水準の漢字はコード表見てコード入力するしかなくて、 別添の基本資料作成時にかなりの量入力してる間に(これは「ロータス123」でやっただよ、ソートの必要があって)、 コード覚えちゃって、調べなくてもコード入力できるようになったのがちょっと嬉しかった。 今はもう全くできないけど。

トピ内ID:4202281751

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音信不通

🙂
たなか
指導していただいていた先生が、 夏休み中に出産されたため、 一時音信不通になったことです。 ひたすら自力で作業しました。 その時産まれた子も、高校生のはず。 懐かしい思い出です。

トピ内ID:6073563514

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2日前の朝なのに卒論が白紙

🙂
カオル
データはちまちま取っていたのですが(図書館で大量文献を当たる)、書く気がおきないし、結論のまとめかたも見えないしで、 2日前まで1枚も書きませんでした。 それで、さすがにヤバイと思って、2晩徹夜して当時はワープロで100枚くらいかなあ、ごはんも食べず一気に書き上げました。 後にも先にも、あそこまで集中した48時間はありません。 結論は〆切1時間前にもうこれしかないや、これでいこう!と一発書き。 チャリを飛ばして奇跡的に間に合い、C評価でも卒業できればいいやと思って過ごしました。 そしたらなんと学科で2人しかいない最高評価のAでした。 教授に「お前にだけはAをやりたくなかった」と言われました。 卒論の作成過程からもわかるように、私はそうとうダメ人間で、講義はほとんどを寝坊でサボり、クラスの友人には「あんた退学したって噂されてんで」と叱られるほど学校に来ない、単位ギリギリの学生だったからです。 教授には、さらに「お前みたいな学生は大嫌い」と言われ、でも、最後に「お前はきっとどこでもやっていけると思うよ。残念ながら」と(すごい嫌そうに笑いながら)言われました。 あの経験を経て、私の脳細胞は、「ギリギリでもなんとかなる」どころか「ギリギリのほうがうまくいく」と勘違いしてしまい、ダメ人間に拍車がかかっていますが、なんとかプロとして独立し、やっていけてます。 大人になって思うのは、あの教授の寛容さですね。 卒論、自分にとっては、良くも悪くもその後の人生に影響を与えた、強烈な経験でした。でも、まったく自慢にならないので友人にも話してこなかった話、ここで書かせていただけてうれしいです(笑)

トピ内ID:1339982921

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7.8年ほど前ですが

🙂
のんのん
偏差値のあまり高くない大学でした。 一生懸命勉強して入学してきたという人はほとんどおらず、だいたいみんな推薦か親が大学に行かせてくれるというからとりあえず入れそうなところに、という感じの人たちばかりで教授もあまり生徒に期待を寄せていないような大学でしたので、求められるレベルは担当の教授によってかなりムラがありましたね。 私は幸か不幸か一番厳しい教授のもとでの卒論作業になってしまったため、データのとり方から何から細かく言われて(それでもほか大学の方に比べたら大した指導ではなかったのかもしれませんが)大苦戦しました。 他の子たちは、コピーアンドペーストですべて終わらせたところもたくさんあるみたいでした。 今はコピーアンドペーストについてけっこう厳しい指導が入るみたいですが、当時ギリギリ、教授がそこまでかんたんにそれを見破る方法もなく、コピーしてペーストして句読点など適当に変えて、である調揃えて、っていう感じでした。 それでもそもそも論文なんて長いもの書いたことない、真面目に一つのことに関するデータを集めたことなんて無いというような学生ばかりだったのでそれなりにみんな苦戦してましたよ笑 私は卒論の内容が武器になったのもあって趣味の世界の仕事に飛び込めたので、いい思い出です。 あ、ただまだ全員スマホの時代ではなかったので、調べものをするには学校のパソコンが必須で取り合いでしたね。 2時間だか3時間で自動的にシャットダウンするので保存前にシャットダウン…なんてこともよくあって締め切り前は一日一回は必ず何処かから悲痛な叫びが聞こえてました。笑

トピ内ID:4549678209

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