明治から昭和期にかけての教育者新渡戸稲造博士は、「開拓者」の心構えとして「開拓の困難」と題した講演があります。
『奥山のおどろが下をふみわけて 道あるよぞと人に知らせん
これは後鳥羽天皇の御製と記憶して居るが、結構なお歌だと思ふ。(中略)道なき所に道を切り開いて、処に道があるぞよと云って、道を示し、教へ導いてやる。』(新渡戸稲造全集第十巻「人生雑感」87頁、教文館)
「おどろ」とは棘(いばら)の意味です。この歌の中の「道」は「開拓者が開いた道」だと思います。
また、1914年に慶應義塾で「道は何処(いずこ)にありや」と題して講演している。そのなかで開拓者の精神として同じ和歌を挙げている。
『山深くおどろが下をふみわけて 道ある世ぞと人に知らせん
という古歌がある。人は皆山奥のおどろの中には道がないと思っている、一つおれが踏み分けて行って、ここにも道があるという事を人々に知らせたいという意味である。(中略)日本の教育はこの「外に出来ている道」に重きを置き、山奥のおどろを踏み分けることを知らない。』(新渡戸稲造論集、鈴木範久編、92頁、岩波文庫)
ここで「外に出来ている道」というのは国や政府が定めた「既に成れる道」のことをさしている。そうすると和歌に中の「道ある世」というのは「既に定まった道のある世間」という別の意味になります。
この歌の中の「道」は、
(1)開拓者が切り開いた道
(2)外に出来ている道=既に成れる道
のどちらでしょうか。分かる方は教えてください。
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