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道は何処にありや

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(トピ主 1
🐧
tora
話題
明治から昭和期にかけての教育者新渡戸稲造博士は、「開拓者」の心構えとして「開拓の困難」と題した講演があります。

『奥山のおどろが下をふみわけて 道あるよぞと人に知らせん
 これは後鳥羽天皇の御製と記憶して居るが、結構なお歌だと思ふ。(中略)道なき所に道を切り開いて、処に道があるぞよと云って、道を示し、教へ導いてやる。』(新渡戸稲造全集第十巻「人生雑感」87頁、教文館)


「おどろ」とは棘(いばら)の意味です。この歌の中の「道」は「開拓者が開いた道」だと思います。


また、1914年に慶應義塾で「道は何処(いずこ)にありや」と題して講演している。そのなかで開拓者の精神として同じ和歌を挙げている。

『山深くおどろが下をふみわけて 道ある世ぞと人に知らせん
 という古歌がある。人は皆山奥のおどろの中には道がないと思っている、一つおれが踏み分けて行って、ここにも道があるという事を人々に知らせたいという意味である。(中略)日本の教育はこの「外に出来ている道」に重きを置き、山奥のおどろを踏み分けることを知らない。』(新渡戸稲造論集、鈴木範久編、92頁、岩波文庫)

ここで「外に出来ている道」というのは国や政府が定めた「既に成れる道」のことをさしている。そうすると和歌に中の「道ある世」というのは「既に定まった道のある世間」という別の意味になります。

この歌の中の「道」は、

(1)開拓者が切り開いた道
(2)外に出来ている道=既に成れる道

のどちらでしょうか。分かる方は教えてください。

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老婆心のまなざし

😍
無常の風
自分の足元にあるはずです。 足元に無ければ、 そこから一歩も踏み出すことが出来ないからです。

トピ内ID:4166515036

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道程

🙂
光太郎
無常の風様に高村光太郎の道程を捧げます。  僕の前に道はない  僕の後ろに道は出来る  ああ、自然よ  父よ  僕を一人立ちにさせた広大な父よ  僕から目を離さないで守る事をせよ  常に父の気魄を僕に充たせよ  この遠い道程のため  この遠い道程のため 道が無ければ作ればいいのです。

トピ内ID:4004118754

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道は脚下に非ず

🐧
tora トピ主
「新渡戸稲造論集」(岩波文庫)によれば 「道は脚下に非ずして自分の頭に在るのだ、目的を定めてそれに向かって行くその方法、その計画、これが道である」(92頁) 踏み出す前によく自分で考えなさいということのようです。この目的は人から与えられたものや既にあるものでなく、自分で見つけなさい。 そしてアメリカ的個人主義を推奨しております。 「アメリカ式の学問とは空理空論の徒(いたずら)に高遠なるものを研究せず、プラクチカルな、実際社会に役立つところの実用的な道、即ち新しい道を開拓して行く事である。」(95頁)

トピ内ID:5328962441

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