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亡き母への懺悔

レス9
(トピ主 1
🙂
kiyo
ヘルス
私が65歳の時に97歳で母が亡くなりました。82歳で大腸がんを手術しその後認知症を発症し次第に直前の記憶が覚束なくなりました。 手術後に突然起き上がって独り言を言ったり、会話内容が唐突であったりしたので、病院に相談したところ「よくある症状で次第に落ち着きます」ということでした。ところが次第に認知力が落ち、手術の4~5年後にはテレビの前に座りじっと下を見ている毎日でした。会話や意思疎通も次第にとぎれとぎれになっていきました。 そのごろにインターネットで認知症を調べていると「せん妄」という主に麻酔を使用した手術後に高い確率で発症する認知症に近い症状がでることを知りました。 さらにそのせん妄は直ぐに治療を始めれば改善することができるということでした。 そのことを知ってからは、なぜ病院は適切な治療をしてくれなかったのか、私はもっと早く気付かなかったのかと何度も自分を責めました。あのせん妄がなければもっと母と意思疎通ができたり、もっと不安の少ない老後を送らせてあげることができたのにと思い出しては後悔しています。 最後は新たにガンが見つかり病院付きの介護施設に入りましたが、1か月もたたないうちにホスピスに入り3か月で亡くなりました。ホスピスでは意識も混濁していて会話はできないためベッドの横で皺だらけの顔をじっと見つめているだけでした。女性の権利も自由もない時代に、しかも大きな商家に嫁いだため舅姑小姑のハラスメントに耐える人生でした。「私は女学校まで行って勉強したけど、勉強が役立ったことは一度もなかった。単なる労働力として嫁いできた人生だった。学校卒業後に進学せず裁縫とかを習った姉妹の方がよっぽど賢い選択だった」といっていました。その人生を想像しながら人生を終えようとする母に心から「ありがとう」と言うばかりでした。 そんなことを思い出す今この頃です。

トピ内ID:1022553662

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トピ主さんは立派です

🐱
ごろー
私の母は59歳でこの世を去りました。農家に嫁いできて、農作業、鬱病の叔母の面倒、人工肛門の大姑の介護、下半身不随の祖父の介護、姑のパワハラ、最後は浮気浪費三昧の父の末期がん介護がやっと終わった翌年に急死しました。いつも、「60歳になったらお母さんは自由になるねん」と言っていましたが、誕生日の2か月前に亡くなりました。私は母に何もすることができませんでした。トピ主さんのお母様は娘に最後面倒を見てもらって幸せだったと思いますし、トピ主さんは立派にお母様を見送られたと思います。意思疎通がとれない、衰弱するお母様を傍で見守ることはどれだけおつらかったであろうと思うと、胸が張り裂ける思いです。私は母が急死してから仏教やスピリチュアル系の本を沢山読みましたが、細かな点が違っていても、故人を想えば気持ちは伝わると記してあります。私も母を亡くしてしばらく受け入れられませんでしたが、今ではそれが母のこの世でのお勤めの終わりであり、寿命だったと思います。トピ主さんの「ありがとう」は日々お母様に伝わっていることでしょう。私も母に「ありがとう」と想います。

トピ内ID:7070241042

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ご長寿で大往生

🙂
北風と太陽
私の母は73歳で死去しました。 97歳まで生きて大往生されたお母様ですよ。 晩年、認知症で過ごされたことがはたしてご本人にとって不幸だったかというとそうではないように思います。 私の母は最期まで涙を流し「死にたくない」と言いながら息を引き取りました。 悔しかったんだろうと思います。 でも、あなたのお母様の最期はおそらく安らかな表情だったのではないでしょうか。 顔も見ずに結婚した人も少なくなかったような時代です。 女学校で友人たちと学び、それなりに楽しい時期を過ごされたことと思います。 勉強したことが役に立たなかった、姉妹の選択は賢かった、というのは後になって思うことであり、誰しもまったく後悔の無い人生なんて無いのです。 私の母は、本人がとても子供たちに話せる人生ではなかったと思ったのか、一言も自分の生い立ちについて語ることなく墓場まで持っていきました。 親戚筋から聞いた話では、耐えがたい複雑な家庭環境と極貧生活から逃げるようにして着の身着のまま東北から上京したようです。 もちろん、学歴などなく住み込みで小さな製糸工場の女子従業員として働いていた時に父と見合いで結婚したようです。 そんな母が73歳というまだまだこれから余生を愉しめる年齢で人生を終わらせたことを、残された娘が後悔しても始まらないことです。 4年間、入退院を繰り返し、私は働きながら寝る間も惜しんで必死で介護しました。 大変だとは思いましたが、一度も嫌だとは思いませんでした。 お母様は97歳で天寿を全うされたわけです。 こうしたら良かったといろいろ悔やむ気持ちは分かりますが、それもお母様とあなたの人生。 そうなる運命だったのです。 あなたがこれから楽しい余生を歩むことをお母様もきっとあの世で願っていることと思います。 悲しんでばかりいたら、親孝行になりませんよ。 元気を出して!

トピ内ID:6537886584

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身も蓋もありませんが

🙂
そうですか
80代で手術してもらえるだけマシかもしれません。体力が保たないから、敢えてしない事もあると思います。 私の祖父母もそうでした。 認知症は残念でしたが、高齢になれば発症する方も多いですから。 お母様の人生を詳細に知る事は出来ませんが、幸せな時もあったと思ってあげてほしいです。それが本当の供養だと。 後からなら何とでも言えると思うんです。残された者が敢えて苦しむ必要はないし、学ぶ事もできるはず。

トピ内ID:4481300592

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高齢者にはあること

🐷
みー
5年前に父の心臓手術時に経験しました。 そして去年母親の心臓手術の時にその経験から主治医に相談しましたが、すぐに症状は治まるからと真剣には聞いてもらえませんでした。 ところが母親の手術後のせん妄はとんでもなく酷い状態で、ICUに居るときから主治医と看護師と私に暴言を吐き暴れました。 チューブや機械に繋がれた状態が良くないと四日目には個室に移され、夜も付き添わされました。 妄想、幻聴、暴言、怒り、まるで死者が地獄から怒鳴り散らし威している様な状態が一週間ほど続き、精神科の医師にも診察してもらいました。 そして十日後には嘘の様に元の母親に戻りました。 父の時より重症で長く続いたのでこのまま認知症になるのではと心配しましたが、高齢者の全身麻酔手術後には良くあることです。 医師の術前の説明が無いのは何故かわかりませんが、せん妄と認知症は別物らしいですよ。 ICU症候群とも言われ、貴方が悔やむ必要はないです。

トピ内ID:1545982641

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母を失えば後悔しかないですが。

041
晩年生活
>私が65歳の時に97歳で母が亡くなりました。 20代くらいの若い方のトピかなと思い開いてみましたが、お母さんのその年齢なら天寿を全うされたのだから幸せだった母と思いたいですよね。辛い時代を生き抜いてこられたお母さんだけど、愚痴をこぼされたにしても実子だから言えただけで、幸せな時もいっぱいあったと思います。 晩年病気だったのは辛いですが97歳まで生きられたこと自体素晴らしいです。 65歳で母を失う貴女も幸せ者ですよ。 私は35歳で母62歳を病気で亡くしました。 そして何歳で親を亡くしても後悔の念ばかり、夫を20代で病死で亡くした母の苦労人生は何だったのだろうかと・・・20代で夫を亡くして残された私と姉をどんな苦労して育て上げてくれたか、貧しい昭和時代だったから、それはそれは大変な苦労した母だったけど、私の子供(孫)たちと暮らせた10年間は人生最高な時だったと思っています。ただ唯一この10年間だけを与えてあげられたのが救いなのです。それ以外は母へ苦労させた後悔の念しかないです。 私も今は60代後半ですが、朝晩仏壇に「ありがとう」の手を合わせる事しか出来ません。 感謝の言葉を言うのみです。

トピ内ID:9879463902

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私も後悔してますよ

🙂
雨傘
親を心おきなく見送った人は素晴らしいし、羨ましい。自分には 出来なかったので、今現在、親をみてる人の親に最善の事をして あげたいなんていう記事からは目をそむけてしまいます。 私も母の幸せだった時期が人生の中で短かったなと子供目線ですが 可哀そうになるのです。早くに両親を亡くした。でも経済的には 恵まれていたのが救い。憧れの人と結婚出来た(本人は肯定しませんが、 周りの人たちはそう言ってました)、苦労があるのは当たり前で、でも 幸せな生活。40年は長いか、短いか?その後も気丈に1人で頑張って きた。頑張り過ぎておかしくなってきた。その後を思うと胸が痛み 続けでした。母の思う通りに動けなくなったらさっさとお父さんの 所に行くにも行けない。私は目下こんな両親のお陰で人並みに幸せだと 思います。母が逝ってしまっても、たらればの日々です。でも、すごく 夢に出て来るんです。いつも元気な母らしい姿で。私の願望?でも 嬉しくて嬉しくて。この貴重な幸せな何十年間があっただけいいのかも しれません。

トピ内ID:8475988214

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せん妄の治療はしません

🐧
ペンギン
お母様の当時の年齢からして、せん妄や認知症が出る可能性は高いです。 ですから、その症状に対して、 積極的に治療をしましょうという事にはなりません。 入院時、その説明はされませんでしたか? 手術をしなくても、高齢者だと認知症の症状が出ることは珍しくありません。 私の父は、結果、検査だけで手術などの治療はせず、 2泊3日の入院になりました。 きちんと、父には入院することになったからと説明しました。 入院中は、今まで通り普通でしたが、退院して家に戻ってきたら、 口を半開きで座っていました。 このまま、徐々に酷くなって行くのかなと思っていましたが、 数か月かかりましたが、入院前くらいに戻りました。 母(70)は癌でしたが、やはり末期にせん妄が出ました。 治療などはしません。 高齢になり、死が近づきますよね? せん妄や認知症って、考え方によっては、 死の恐怖を感じなくていいのかもしれないと、私は考えています。 身近な人を失うと、誰しもが、あの時もっとあ~すればよかった、 なんで、こ~しなかったのかと思います。 当時としては、他に選択肢がなかったり、考えられなかったのです。 今、振り返ったらそう思うけれどって、皆思いますよ。 癌を発症しても、97歳まで生きられて大往生だと思います。 後悔が少しでも少なくなるような生き方をしましょう。

トピ内ID:5259531622

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独り言

🙂
トピ主 トピ主
独り言のようなトピに返信くださりありがとうございます。 返信くださった皆さんもそれぞれの経験の中で何とか自分を納得させようとされている姿が印象的でした。 たかが900文字の中に自分の思いを凝縮させるような文才はありませんので、まだまだ言い足りないことはありますが、「独り言」を投稿することができて少しすっきりしています。

トピ内ID:1022553662

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母と子と

🙂
ハツハナ
お母さまを亡くされた皆さんの投稿を、しみじみと読ませていただきました。 kiyoさんは、最初に入院された病院からホスピスまで、せん妄の件も含めて、お母さまのためにできる限りのことをされてきたのが伝わりました。一生懸命されてきたからこそ、大事に思うからこその、今の複雑な感情なのかと想像しています。 私は、今まさに母が入院中です。だから、できる限りのことをしてあげたい、してあげたかったという気持ちが私にはとても良くわかります。現実は、母のために使える時間も費用も限界がありますから、充分なことはしてあげられないのですが、私にできることを頑張ろうと改めて思いました。 そして一方で、私は二十歳の息子の母でもあります。kiyoさんのように息子が私を看取ってくれたら、悪い人生ではなかったと思いながら私は旅立てるだろうと思いました。意識がなくとも、子供の心からのありがとうは母に伝わるはずと思いたいです。 また思うのは、子供の幸せを願わない親なんていないわけで、私のせいで息子が悩んだり悲しんだら、私は居たたまれない気持ちになるでしょう。 だから、勇気を出してここに吐き出したことをきっかけに、kiyoさんが、天国のお母さまが心配しないよう、落ち込んだりせずにお母さまのことを思い出せるようになれればいいなと願っています。 過去は変えられないけれど、過去の解釈は自分次第で変えられるとは、誰の言葉だったか、私が気持ちを切り替えたいときに自分に言い聞かせている言葉です。 私は心理的な視点からの投稿でしたが、せん妄の件、詳しい方から、kiyoさんの心のつかえがストンと落ちるようなお答えがつくと良いですね。 協力してくれる職場の皆さんに感謝しつつ、今日はこれからお見舞いに行ってきます!

トピ内ID:5912254740

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