本文へ

幸せだったと思う方がいいか

レス13
(トピ主 0
🙂
青空
ひと
夏前、友人(40歳)が亡くなりました。癌でした。 5年前に癌がわかり、抗がん剤治療をしていましたが効果が無く、今年の初めに会ったのが最後となりました。 友人は癌を発症してから、辛い治療の合間に行きたかったところに旅行をしたり、会いたい人に全員会いに行ったりしていました。 「少しゆっくりしたら?」と思う事も多かったのですが、友人は「今のうちにやれることは全部したい。後悔したくない。」といい、本当にすべてやり遂げました。凄い精神力だと思います。 その話を同僚(こちらも40代女性)にしました。 すると同僚は「お友達は癌になってから5年も生きていられて、その間やりたかったこともやれたんだよね?幸せな人生だったね。」と言いました。 さらに同僚は「私なんてカツカツで旅行どころか友達と遊ぶ事もできないし。」と付け加えました。 同僚は友人が楽しい時間を過ごせたことを「幸せ」と言っているのかもしれませんが、それを今も生きている人と比べて「幸せ」と言ってしまうのはどうなんだろうと思ってしまいました。 しかしその時は「何てこと言うんだ」と思ってしまったのですが、ふと「友人は幸せだったと思う事も大事なのかも」と思う部分もあります。 友人にとって、私がどう思う事が嬉しいだろう。そう思う日々です。 まとまりのない文章で申し訳ありませんが、何か助言頂けたら嬉しいです。

トピ内ID:e072b085730cd300

これポチに投票しよう!

ランキング

レス

レス数13

このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました

幸せな人生

🙂
私も家族が・・・
幸せな人生だったと思ってあげたいと私なら思います。やりたいことをやり遂げたのだから。 癌になって5年、抗がん剤のみで生きていられたのはすごいことです。その間に旅行なのど楽しみながら。病気にならなかったのならそれが一番良かったと思います。誰でも病気になりますしいつかは・・・ 可哀想な人生だったと思われるより、充実した人生を送ったと思われたくはないでしょうか。

トピ内ID:af9915c2e5947689

...本文を表示

多面的に考える

🙂
おばはん
>夏前、友人(40歳)が亡くなりました。癌でした。 5年前に癌がわかり、辛い治療の合間に行きたかったところに旅行をしたり、会いたい人に全員会いに行ったりしていました。 ご友人様は、残念でしたね。 もっともっと生きたかっただろうし、治療も大変だったと思います。 ですが、最後まで自身のできる限りをつくして人生を楽しむ時間が持てたのは良かった事だと思います。 ご友人様のお気持ちは想像するしかないけれど、辛かったのは勿論、楽しい時間もあっただろうと色んな思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。 ひとくくりに幸せだった、と言い切るのではなく多面的にお考えになってみては? >今も生きている人と比べて「幸せ」と言ってしまうのはどうなんだろう 亡くなった事で完結してしまったので、幸せだったと定義付けたのではないでしょうか。 トピ主さんが同僚の方の言葉に考えてしまうのもわかりますが、「なんて辛い人生、可哀想」とされてはご友人様も浮かばれないような気がしませんか? みんなが納得するような言葉かけができるとは限りません。 その人の生き方考え方による言葉であることも。 何事も他人を否定するのは違うでしょう。 私は、ご友人様はトピ主さんがあれこれと思い出し考えていらっしゃる事は嬉しく感じるのではないかと思いますよ。 それでも、やはり「まだまだ亡くならないで欲しかった」と思いますよね。 友人の死はいつでも辛いものですから。

トピ内ID:09dd3ddbe8ddd182

...本文を表示

幸せとは

🙂
りゅん
他人にはその方が幸せだったのかどうかはわからないが あなたが書いていらっしゃる通り 「本当にすべてやり遂げた凄い精神力の自慢の友達」 これは事実です。 すばらしいお友達を持たれましたね。 あなたもやりたいと思ったことはすべてやり遂げて、残りの人生を楽しんでくださいね。 それが一番の友達孝行だと思います!

トピ内ID:e9995c292784dd83

...本文を表示

去る者は日々に疎し

041
デンファレ
誰かの話だけど、人は二度死ぬそうです。一度目は実際に死んだ時、二度目は全ての人の記憶から、その人が消えた時だと。。 >友人にとって、私がどう思う事が嬉しいだろう。そう思う日々です。 そうですねぇ…小さなフォトスタンドに在りし日の彼女の写真を入れて時々、お茶でも供えてあげるとか。 残された者に出来ることは限られているけどね。

トピ内ID:576ded3a2b3172f8

...本文を表示

そう思う方がいいと思う

🙂
大西
すごい精神力ですね。 若くしての病気で絶望することなく、「全てやりきる」と決め、実行した精神力には頭が下がるし、出来れば見習いたいと思います。 その前を向く姿勢、病気に飲まれるのではない生き方。素晴らしい。 そして同僚の方の言葉も、確かに冷静に彼女の言葉を分析すると「ん?」と思う部分もあるのですが、これはやっぱりその方への賛辞だと思います。 仮に「5年しか生きられなかったんだね。もっとやりたい事もあっただろうに。気の毒な人生だったね」であったとしても、むしろ友人を勝手に不幸にしないでくれと怒りが湧くかもしれません。 そして「カツカツで~」の部分も、「病気になっても頑張ってやりたい事をやりきって亡くなったお友達」と「カツカツだのなんだのと言って やりたい事もやらずに嘆いてる私」を比べたという意味であるとすれば、まだ人生は続くという前提で ただ無為に毎日を過ごす自分を嗤った言葉であるともとることが出来ます。 同僚の方の真意は分かりませんが、それは決して「やりたいことが出来る余裕があって羨ましい」という意味ではないでしょう。 人生の総決算の時に「あれもやりたかった、これも出来てない」と悔いを数えて最期を迎えるよりも、「やりたい事は一通りやったわ」と思いながら迎えられるのであれば、お友達はやっぱり幸せだったのではないかと思います。 そうあるために頑張ったお友達をどうぞ誇ってください。私の友人はすごい人だったんだよって。 若くして亡くなったお友達とは比べるべくもありませんが、私の父は75歳で亡くなりましたが、「やり残したことは一つもない。なんの心残りも無い」と言っていました。 幸せな人生だったなと思います。

トピ内ID:6e47c6064db8ea30

...本文を表示

もちろん

🙂
匿名
>友人にとって、私がどう思う事が嬉しいだろう。そう思う日々です。 もちろん「短かったけど幸せな人生だった」と思われたいと思いますが…。 生きてる間も、亡くなってからも、勝手に「可哀想に」なんて思われたくないと思いませんか。

トピ内ID:c55bbb7a8afc9be7

...本文を表示

その同僚は

🙂
りーず
癌の人が身近にいたり 親など亡くした経験があるのでは? 私の母も癌で亡くなりましたが あなたの友人を 5年も生き、やりたい事をやり、やり抜き なんて素晴らしい。 幸せな人生だったね。 そう思います。 看取りや介護を経験すると 死は良い意味で近くなり 若い頃の忌み嫌う恐いのとは 全く違ってくるもんです。 図書館で死生観や看取りなどなど たくさん本借りて読んでみると良いですよ。

トピ内ID:f659bde66655f8ae

...本文を表示

本人だけが決めること

041
詩音
何を持って幸せとするか、不幸と取るか。これは人それぞれの物差しで決めるので他人が「幸せな人生だった(はず)」と言うのは、私は違和感を覚えます。 「あなたに会えて、私は幸せだった。」ならば分かるけれど。 トピ主さんが折に触れて友人を思い出したら、それで十分なのでは? ついでに言うと、自分の大切なことは同僚程度の関係性の人には話さない方が良いと思う。 無駄に傷付く恐れがある。

トピ内ID:4e654d3a25f8a0ea

...本文を表示

5年生存率って知ってますか?

🙂
幸せになってね
ガンなどの病気になると、5年生きられたら治ったと見なされる、というのがあって。 一般に40代は若いので、進行が早く短くて数ヶ月なんてあるあるです。 5年生きていたなら、最初の数年は動けただろうし、自分の人生を見つめ直す時間もあったでしょう。病が判明した時点で末期で在れば何も出来ず、コロナ時期なら親族にも会えず、と言う人も多かった。 それと同僚の言う『幸せな人生だったね。』は早く亡くなったことを含めて言っているんじゃなくて、『不幸中の幸い』的な事を言っているんですよ。 同僚自身は同じ立場になっても、そういう終末期を送れるとは思えない環境なのでしょう。 そもそもご友人は家族や友人達に恵まれていたのかも知れません。 同僚が癌になったら、親族が相続の話ばかりしたり、家族が誰も介護してくれなかったり、会ってくれる友達も居なかったり。下手すれば離婚されたり、等不安なのかも知れませんね。 少なくともご友人は最後まで頑張った。生き抜いた。 と思ってあげるのが良いと思います。 その人生が幸せかどうかは、結局は本人の自己満足の世界なのですから。

トピ内ID:d73b4296e0a97a9f

...本文を表示

癌の専門医のお話

🙂
メルモ
ご愁傷様です。 昔、癌治療専門の有名なお医者さんから、「考えようによっては、癌は(痛みさえコントロールできるなら)幸せな病気かもしれない」とお聞きしました。 その真意は「自分で自分の死期が分かるので、最期の時間をどう使うかを自分で決めることができるし、それを実現する体力や判断力も残っている」とのことでした。 確かに、突然死が訪れるクモ膜下出血や、逆にジワジワと自分で自分が解らなくなってしまう認知症に比べれば、そういう見方もできるのかな、と思います。 癌で亡くなった私の友人は、生前に身辺整理を完璧に行い、自分の葬式の段取りも自分で決め、弔辞の依頼、会葬者への御礼まで、本人が予め用意していました。 大変なショックだったにもかかわらず、諦観を持ちつつ、冷静に最期の時を迎えた彼の生き様に、「最期まで彼らしかったな」と感じ入りました。 40歳という年齢は「早すぎる死」ですし、本人もきっと無念だったとは思いますが、その中で限られた時間を精一杯有効に使い切ることができたのは、ある意味幸せなことだと思います。 ご友人はトピ主さんが泣いて暮らすことも、ご友人のことを不幸だと決め付けることも望んではいないのではないでしょうか? 残された者の勝手な想いには過ぎませんが、ご友人の明るい笑顔、立派な最期を胸に刻んで、「自分も精一杯頑張ろう」と考えることが、ご友人への最大の供養だと思います。

トピ内ID:3ac5d5ddf2362391

...本文を表示

おこがましい

🙂
誰の幸せ?
他界した人が幸せだったと思うのは相手のためではなく、生きている人(トピ主)の気持ちの整理をつかせるためなんですよ。 幸せだと思って生きる方が人生は楽しいので幸せだったと感じる方が心が救われるもんです。 今生きている病気の人や他界したご家族へは寄り添うことは必要ですが、死んだ人がどう思うかなんて、友人としてたまに思い出してくれたらそれで充分だと思いますよ。 私がトビ主さんの立場なら、貴女(死んだ友人)と出逢えて友達になれて私は幸せだった。ありがとうって思うかな。逆に私が死んだら生きてる友人からそう思って貰った方が幸せだからです。

トピ内ID:f48924d8b2fd823b

...本文を表示

母が50代前半で亡くなりました。

🙂
私の母は50代前半で亡くなっています。亡くなる数年前から国内外旅行をしたり、卒業以来の飛行機の距離の母校の高校の同窓会に参加して、その後ささやかながら住まいの近い同窓生との交流が復活したり…当時大学生だった私は無知でしたが、今から思えば母がどういう思いで行動していたかよく分かります。 もうすぐ私は、母の亡くなった時の年齢に達しますが、母の一生は果たして幸せだったのかどうか…。何しろ人生が短過ぎましたから、兄や私の結婚式にも出られませんでしたし孫(私の子供)にも会えませんでした。母より数十年元気で長生きしている人達の方が老後を満喫している様子を伺うと複雑な気持ちになります。 同僚の方はどの程度考えて幸せだ発言をしたのか分かりませんが、意地悪な見方をすると、自分が早世するのでなかった、生きていて良かったという思いがあるのかも知れません。お友達だってそこまで潤っていなくても今しかできない、時間がないと思って行動を急いだのかもしれないのにね。同僚さんは大切な人との早いお別れの経験がないのかもしれませんね。 私が母を亡くしたのは秋でしたが、数か月後同期の1人に「年末に祖父が亡くなって喪中になった。今年は周りに喪中の人が多いと思っていたけどまさか自分もそうなると思わなかった。」と言われました。どういう意味なのだろう、そもそも同期のことはもともと思いやりのある人という印象はなく、お悔やみの言葉も頂いていなかったのでどこか他人事のような(あなたと違って、亡くなったのが親でなく祖父だったからまだまし。)というニュアンスに聞こえてモヤモヤしました。

トピ内ID:622d98a8ab943e82

...本文を表示

意思を持って生きる事

🙂
shibako74
惰性で長々と人生を生きるより、自分の死の期限が迫っていることを認識して、好きな事優先で生きる5年間が、同僚と比べて幸せだったかどうか。 比べることはできませんが、今後同僚がこの先の人生で「本当にやりたい事」を時間をかけてでも見つけてフォーカスして、全うできるかどうか、で、亡くなった友人と同じような幸せ、達成感を持てたと思えるのかもしれません。そして大抵の人間は、日々そこまで考えません。 私は3年前に父を亡くしました。彼は80過ぎで、一時期体調を崩してしまい、暇すぎてただ生きているだけ、のような気持にもなっていたと思います。持ち直してからは、楽器の講師をしながら趣味の習い事もしており、母いわく、明日は習い事に行くんだ、と言った次の朝に起きてこなかったそうです。 >友人にとって、私がどう思う事が嬉しいだろう。そう思う日々です。 あなたがご友人の立場で、思い悩むトピ主を空から見てたとしたら、どういうと思いますか? 私だったら 「もう死んだ私のことで思い悩む時間があったら、やりたかいと思ってることを、体が動くうちにやっといた方がいいんだよ」です。 私にとって父、あなたにとって友人が残してくれたことは、生きている私たちの時間は、余命という形で見えていないだけで、いずれ皆に訪れるものだという当たり前のことです。日常をこなすことに重きを置いてしまいがちですが、私は「これやりたい、でも」と思った時に、やりたい方を優先するようになりました。「まぁ、またでもいいか」のまたは来ない可能性もあるからです。

トピ内ID:1d643c229742e0c6

...本文を表示
[PR]
気に入ったトピを保存するといつでも読み返せる
気に入ったトピを保存するといつでも読み返せる
使用イメージ
使用イメージ

マイページ利用でもっと便利に!

お気に入り機能を使う ログイン
レス求!トピ一覧