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母の裁縫箱

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🙂
しっとりバーム
話題
子供の体操服のゼッケンが取れかけてたので、縫い付けながらふと思い出しました。 小学生の頃、母の裁縫箱が好きで押入れから時々取り出して見てたなと。 ボタンが沢山入った引き出しや、可愛い柄のハギレを見るのが好きでした。 母は着なくなった洋服のボタンを取っておいてたので、沢山かわいいボタンがあり、私の服のボタンが取れた時、私がお気に入りのボタンを選んで付けてもらってた記憶がよみがえり、何とも言えない懐かしい気持ちになりました。 そんな母は最近認知症になり、昔の懐かしい話もできなくなってしまいました。 子供達がだんだん大きくなり手もかからなくなったので、一緒に日帰り旅行や食事に行こうと思ってたのに出来なくなってしまいました。 今までは自分の生活で精一杯でそんな余裕がなかったけど、もっと母と子育ての話や思い出話をしておけばよかったと後悔しています。 最近は実家に母のお世話を手伝いに出来るだけ行くようにしています。 みなさんは、小さい頃を思い出して、家族と結びつくお気に入りだった物何かありますか?

トピ内ID:314c013c570e7af6

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三面鏡。

🙂
nene
母の三面鏡にむかって遊びました。 合わせ鏡にして、どこまでも続く不思議な鏡の道を飽きずにながめていたものです。 おしろいの香りと共によみがえる思い出です。

トピ内ID:828b363c705d5b1e

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物というか

🙂
縫い物苦手
縫い針に針を通す度に、祖母に頼まれて何本もの針に糸を通したことを思い出します。 針を針山に戻す度に、小1の頃に母が作ってくれたフリルのついたピンクの針山を思い出します。 アイロンを掛ける度に、祖母のアイロンに触ってしまって火傷したこと、叔父が針を真っ赤に焼いて水脹れを潰してくれたこと(今はしませんよね)、その後しばらく祖母がアイロンではなく火鉢で温めたコテを使っていたことを思い出します。 綴じ針に太い毛糸や飾り糸を通そうと四苦八苦しながら、一番最初に祖母にブランケットステッチを教わって毛布を縫ったこと、それがコタツの私の特等席(と呼ばれていました)の座椅子カバーになっていたことを思い出します。 布団を綴じる度に、祖父の丹前がいつの間にか掛け布団になっていたことや、日当たりの良い2階で母が綿を広げていたことを思い出します。 あの祖母と母がいての今の私なのだなあと、縫製のパートをするようになって最近ますます思うようになりました。

トピ内ID:63c72a684e7b32da

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裁縫繋がりで思い出したこと

🙂
ドール
幼い頃に遊んでいた人形がありました。 10~15㎝ほどの大きさだったと思います。 ある日、今は亡き父がその人形の服を作ってくれました。 細かい作業が好きだった父なので、急に思いついたのでしょうか。 出来上がった人形は可愛かったのですが、人形に着せたまま生地を縫い付けたようで着脱が出来ない服でした。 当時の私と妹がそれを見て父に何を言ったかは記憶に残っていませんが、苦情の1つは言ったかもしれません。 ただ、その服を着た人形の姿だけがボヤ~っと思い出されます。 人形の行く末も覚えていませんが、最後までその服を着ていた気がします。

トピ内ID:fef407756efa3f5c

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良いトピですね

🙂
スルー継続するけど
最近、あるトラブルから実母の電話を完全スルーしてます。 こうなるには認知症+我が儘+侮蔑発言+見栄っ張り+夫への侮蔑+姉妹孫差別+上から目線、、嫁いびりならぬ娘いびり。色々ありました。 24で結婚したとき、色々実家であった時期なので「おめでとう」や夫への「宜しく」というごく普通の言葉もないあたりから変だなぁ、と思ってましたりから、おかしいとは思いましたが。 最近、それが確信になる出来事がありました。 でも、トピ文を見ると、私にも思い出があります。 やはり裁縫は得意で、作ってくれたカバンや刺繍のこと。 要らない、使わないと言ったのに、押し付けられた新品のミシン。 出来上がった服を見せると「あんたにしてはできた」と言うことばにモヤモヤしました。 でも、おかげさまでほんの数回の服作りや刺繍で娘は「お母さんは裁縫ができる」と子供は信じてます。 思えば娘にそう言わせてくれたのは、母ですね

トピ内ID:101875200f2e8e1c

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母も祖母も裁縫が得意でした

🙂
うちのたま
母と祖母だけじゃなく、姉も裁縫が得意でした。 よく手作りの服や小物を作ってもらっていたので、それが私の自慢でした。 父がよく写真を撮ってくれたので、その服や小物が写真に残っているのでそれが家族との記念の思い出です。 それと女性の家族はみんな裁縫が得意なのに、私はどちらかというと苦手でした。 そんな苦手な私がミシンで縫って作ったワンピースを、姉が外で着てくれたのが不思議です。 裏返して見たら、縫い目もガタガタだったと思うのに、生地がよかったからなのか、どうして気に入ってくれたのか今だに謎です。本当に不思議です。 でもそのワンピースが、私と姉との心温まる思い出ですね。

トピ内ID:fbf2c2c6a9ece762

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実家住まいなので

🙂
とまと
私は独り身でずっと親と暮らしていたから今も身の回りに彼等の使った物が溢れています。 私は意固地で可愛げが無かったから父は気に入りませんでしたが、母には可愛がって貰いました。 母は手が器用だったので手作りの物が家に一杯ありますが、編み方の複雑なセーターは何枚も未だ現役です。 父も年賀状はいつも干支判に筆ペンで新年の挨拶しか書かない愛想ないものでしたが、パソコンとデジカメ、プリンタで夫婦で旅行に行ったスナップを使ったカラフルな年賀状を私と一緒に作りました。 父は私が教えたことを大学ノートにまとめていましたが、年末恒例で私が父と合作で宛名も印字して体裁を整えたので、余りそのノートの出番はなかったのですが、律儀な字で丁寧にメモしてありました。 父母は病も認知症もありましたが、終末は彼等と穏やかな日常が送れて私は幸せ者でした。

トピ内ID:eef2a509595fdbcb

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作ってくれた巾着袋

041
瑞樹
私の母は洋裁を仕事にしていたので、私にもあれこれ作ってくれました。なのに今手元にあるのは、ミニ巾着袋とミニバッグだけなんです。その巾着袋に今は家の鍵を入れて、持ち歩いています。 母は私が30代の頃に認知症になり(脳梗塞が原因)、既に私のことも分からない状態です。そんな母を心から労わることができず、私は過去母にされたことの不満で怒りがいっぱいでした。でも、最近になって見方が変り、あんなに気にかけていろいろしてくれるのは、母しかいないと気づきました。私も母といろんなことを話せば良かったです。特にありがとうって伝えたかったです。言う相手はいるのに、伝わらないのは苦しいですね。私も自分のことでいっぱいだったので、もっと母に優しくできれば良かったです…。

トピ内ID:bdaaf6d15e428574

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生きて居ればこそ

🙂
とまと
瑞樹さん、話が伝わらない件、お辛いことと思います。 うちは母の認知症は薬で進行が抑えられ、父の脳腫瘍はガンマナイフで改善されたので意思疎通が難しい親の介護はせずに済みました。 ありがとうの言葉はまだまだ言えば良いと思うのですよ? 私は母の鼓動がある間、いっぱいいっぱい耳元でありがとうと感謝しました。 看取りの前後は色んな情報が入ってきますが、人の感覚器官で一番最後まで残るのは聴覚らしいです。 だから死んだと思っても耳元で相続争いなんてしてちゃ駄目なんだとか。 まだ命があるならばいっぱいいっぱいありがとうを言って差し上げてください。 もう親が居ないから、まだ介護されてる方を見ると羨ましくて仕方ない。 もう少し私が何かすれば母はまだ元気で側に居たかも知れぬのにと、未だに後悔することがあります。 喪失感は5年経っても拭えない。 生きてるうちに親孝行はするものです。

トピ内ID:eef2a509595fdbcb

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裁縫繋がりで

🙂
TSUMUGI
私が幼少期の頃… 4つ上の姉はリカちゃん人形みたいな人形に自分で作った服を着せ替えて遊んでいました。布を縫い合わせたり、毛糸でかぎ針を使ったりしながら、上下セットやワンピースを作って、お菓子か何かの箱をセロハンテープで組み立てて、引き出しまで作ってその手作りタンスも4つか5つくらいあって、そこに人形の服を仕舞っていたのを思い出しました。 姉は大人になってから裁縫どころかアイロンすらかけなくなりましたが、小学校の頃はズボラな私が子供ながらに尊敬するほど何でもこなす人でした。私は人形に興味なかったので欲しいとも思いませんでしたが小学生の頃の姉は本当に上手でした。 もう一つ母は色々あるんですが、母の作品で思い出したこと… 小学校の修学旅行で原爆ドームへ行くのに、6人ほどのグループで移動するから平和か何かの旗を作るように言われて、何故か私が担当になったので母に作ってもらいました。 他のグループは折りヅルをデザインにして自分で作る真面目な子が多い中、私の母が考えて作ったのはハトでした。 見た瞬間、何かに似ているけど何だろう‥ まぁいいかっと思いながら、美味しいおやつに手を伸ばしたその瞬間、あっ!! そう鳩サブレーの鳩です。世界平和ではなく私の胃袋を幸せしてくれる鳩サブレをパッチワークにして、周りをブランケットステッチでふっくらするように刺繍して羽根をチェーンステッチで3本ほどアレンジしていました。 母は本家を超えるほどのセンスの持ち主でしたが、生まれた頃から見慣れていた12歳の私は喜ぶことも感謝する気持ちもなく、ハトサブレの旗を修学旅行に連れて行きました。 あれから40年、うちの母もあんなに何でもできていたのに今は布巾すら絞れません。

トピ内ID:09a148eaaadaf922

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レスします

🙂
おちび
父はDIYがとても得意で、おもちゃを買ってくれたことは一度もなかったけれどよく作ってくれました。 例えばオセロ。 そして、私の大好きだった梯子。背の高い木に引っ掛けて、よく昇り降りしました。 また、寒い地域に住んでいた時は、家の周りにぐるーっとスケートリンクを作ってくれました。 意外と子煩悩だったんだなー、と思い出しました。

トピ内ID:d958cd41aa253d88

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お気に入り

😣
パッチワーク
私の母も裁縫が好きで、着れなくなった洋服を、人形の洋服にリサイクルしたり、着物をドレスに作り直していました。暫くお人形も洋服とセットでとっておきましたが、いつの間にか、処分したのでしょうね。たまたま、娘の部屋を掃除していたら、人形が出で来て、母の事を思いだしました。今は、ケープって珍しく無いですが、要らなくなった布でケープを作ってくれたりしました。5年前に母が他界しましたが、私も、色々出かけて居たら良かったと思いました。なので、例え、認知症であっても、色々、子供の頃の話、子供の話、色々話してあげると良いですよ。うちも、最後母は、口も聞けませんでしたが、何故か、私の話を聞いてくれている感じがありました。

トピ内ID:6d77dab0e55af247

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沢山の反物、布、毛糸、糸、ほか処分しました

🙂
なな
認知症になっても、昔のことは覚えていることはありませんか? 自分が産まれる前の昔の写真を見ながら昔の話をしてみるのも楽しいかもです 沢山のものを処分しました もう着ることはないであろう、母が縫ってくれたスーツや着物の一部は記念に取ってあります 小学校卒業のときにお揃いで作ったスーツの、母のベストだけ保管してあります 写真も捨てがたく、保存しています 次の代のことをおもえば処分しておくべきとわかってはいるのですが……

トピ内ID:78298ad5cfeb0387

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