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ノスタルジ―、冬の思い出の品物

レス11
(トピ主 1
りんご飴
話題
冬になると思い出すのです。熱い湯たんぽ(カバーが外れて火傷した)ゴム臭い氷のう、(嫌だった)アルミ製の製氷器(舌がくっついた)縦長いストーブの上のヤカンと焼き蜜柑(美味しくなかった)…子どもの頃よく熱を出していた時に活躍していた物達です。あれから文明が発達して、もう使わなくなってしまったけれど。今は風邪を引いても一人、淋しい…の時に頭の中でそれらが、蘇ってしまいます。皆さん、今でも思い出す子どもの頃の、冬のマストアイテム、楽しみは何でしたか?

トピ内ID:6188226507

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熱があるかと額に当ててくれた母の手です。

😨
さみこ
母とはいろいろ確執があって、私自身は子供を持つことをためらっています。 でも、母が額に当ててくれた手の感触を思い出すと、あぁ私も愛されていたんだと認識できるような気がします。 冬は関係ありませんでしたか・・・。

トピ内ID:8956583723

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続3丁目当時生まれ

041
おばさん
白いタイツ(なぜか、白)の膝が破けると、それを繕ってもらって また履いた、子供ながらに恥ずかしいタイツを思い出します。 ああ、そうか!なぜ必ず白だけって、そうすれば穴あきタイツ一足を 「補修用」にとっておけば、数足(数十足?)補修ができた訳ですよね! 子だくさんの実家ならではの、母の知恵だったのでしょう。 そのほかは、発泡スチロールの容器に入ったクリスマスのアイスケーキ。 私は、アイスケーキそのものより、この時以外は入手困難な、大きな ドライアイスで遊ぶのが楽しかったです。

トピ内ID:8703215880

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小学校のだるまストーブ

041
今昔ものがたり
懐かしいのは、冬になると教室に登場するだるまストーブ。 毎朝、当番がコークスと薪を講堂に取りに行って、先生が燃しつけてくれました。 ストーブの扉をあけると、燃えさかる炎が見え、心までほっこりしました。 現代の空調とは違うので、ストーブの近くの席は暖かいけれど、遠くの席は寒い。席替えでどこの席になるかは、結構重要でしたね。 ストーブの上の金盥でお湯がわくので、掃除のぞうきんがけに使いました。 昭和40年台の横浜の小学校です。 私が在学中に、石油ストーブにかわりました。 今はどうなっているんだろう。 新校舎建設と一緒に、空調になったのでしょうね。 あと、懐かしいのは、母が編んでくれた毛糸の手袋。 なくさないように、左右一対が毛糸でつながっていましたっけ。 それから、甘酒。 我が家の甘酒は、酒粕を溶いてお砂糖で甘くするという簡便式でしたが、 冬の寒い時、ふうふうしながら飲むのは、幸せでした。

トピ内ID:8182757944

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マストアイテムではないですが

041
ちょこべー
冬の思い出と言えば‥小三くらいの頃の冬休み、初めてひとりで近所の理髪店へ髪を切りに行きました。 いつも母に付き添ってもらってたけど多分年末で忙しかったみたいで、歩いて7~8分の理髪店へ行きました。 切り終えた頃には夕方で少し時雨てきてて、ちょっと心細かったその時、母が自転車で迎えに来てくれました。 あとにも先にも母の自転車に二人乗りしたのはこの時だけです。 髪を切って首もとが寒々していたのか、母が自分の巻いていたスカーフを私に巻いてくれました。 古臭いスカーフでしたが、あったかくて母のお化粧の匂いがほんのりしていて何とも言えず幸せな気持ちになったのを覚えています。 冬休みの雪が降りそうな雲を見るといつもあの光景と母のスカーフを思い出します。

トピ内ID:9180686171

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ひも付きのミトン

🐶
フラニー
幼稚園の頃、ひもの付いたミトンを買ってもらい、はめていました。 当時は、親指以外の四本指がまとめて一緒になってるのがいやで、子ども心に、自分も姉のように五本指の手袋がしてみたいと憧れていたものです。それに、紐が付いてるなんてへんなの、って思ってました。 でも自分が親になってみると、ちっちゃなミトンがかわいくて、やっぱり娘にもひも付きのを買ってあげました。片方失くされては困りますからね。 小学生になってからは、5本指の手袋を買ってもらいましたが、『帰りの会』の時など、よくお人形を作って遊びました。 今でも、家族の手袋を買う時はなんだか温かい気持ちになります。 ストーブ、マフラー、手袋、湯たんぽ、こたつ・・・寒いのは嫌だけど、 結構冬が好きだったかも。

トピ内ID:7353215014

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クリスマスツリー

041
ぷあ
子供の頃は(今も)貧乏で貰い物のツリーでしたが、毎年飾りつけをするのが楽しみでした。 中でも好きだった、天使の人形。 いつの間にかツリーも人形も無くなりましたが、優しい天使の顔が今でも忘れられません。 ちなみに無宗教です。

トピ内ID:6332335011

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白金カイロ!

😀
まつおか
あまりよく覚えていないのですが、オイルが入ったステンレスの入れ物に火をつけてふたをして(火は消したのかも。ココのあたりが不明・・・。)ビロードの袋に入れたものを、小さい時に持たされていました。 使い捨てカイロが出回る前のお話ですが、なんだか急になつかしく思い出してしまいました。

トピ内ID:2166644924

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母が編んだニット

🐶
green
昔、母が編んだミトンの手袋をはめ、おそろいのマフラーを巻いて学校へ通ってたなぁ。 ついでにおそろいのニット帽も編んでくれました。 ベスト(昔はチョッキと呼んでいた?)やセーターなんかも、好きな色でお願いしてつくってもらってました。 一本の糸がフクザツな模様に編まれていくのが不思議で、そばでよく母の手元を見てたなぁ。(でも自分でやろうとは思わなかったですが) 小さくなって着れなくなったものをほどく係りは私で、ほどいてはぐるぐる丸い玉にしたものです。これで新しい手袋つくってもらお(嬉)、なんて思いながら。 寒い冬の午後の幸せな思い出、懐かしいです。

トピ内ID:6159274271

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ありがとうございます、トピ主です。

🙂
りんご飴 トピ主
一つ一つ読ませて頂いております。気持ちがホッコリして来ました。寒いのは嫌いですが、その分有った暖かかった事がよく思い起こされますよね…。引き続き、よろしくお願い致します。このトピで風邪を早く治して、元気になります!

トピ内ID:6188226507

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火鉢 品川あんか 雪道の下駄の跡。。 

🐱
nekomama
61歳なので、古いですよ。 木枯らしが吹き始める頃になると、やぐら炬燵と火鉢が、でーんと部屋の真ん中にお出ましになります。 火鉢には大抵アルミの薬缶が掛けられ、細く白い蒸気が立ち昇っていました。 お餅は今のように年中は無く、年末米屋さんから伸し餅が届くと、父が包丁で四角く切ります。そのお餅を火鉢で焼いて食べました。今のオーブントースターで焼くより美味しかった気がするのは、炭火焼だったからなのでしょうか。 そうそう、みかんを火鉢でちょっと焼くと、甘くなる気がしてよくやりました。 幼児の頃は湯たんぽでしたが、小学生の時分は【品川あんか】という、豆炭のあんかを使っていました。私は肌が弱くて、バスタオルを幾重にも巻いても、低温火傷を何度かし、今もうっすら跡が残っています。 この豆炭も火鉢で温めていました。 東京も昔は大雪が降りました。 それでも珍しいので嬉しくて、母の目を盗んで表に出るのです。 玄関から通りの道まで、いっとう最初に自分の足跡を付けたくて。 「二の字二の字の下駄の跡」の世界です。 かるた福笑い、凧揚げ羽根突きにおやつは乾燥芋。

トピ内ID:4810585696

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毛糸のパンツ

041
いいな
小学生の時、冬になると 母がセーターなどの毛糸をほどいて、編み直してくれた「毛糸のパンツ」あったかかったです。 母の温もりも一緒にはいてました。 後「毛糸のチャンチャンコ」。

トピ内ID:1947389893

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