本文へ

指摘について

レス51
(トピ主 21
😀
考える人
話題
こんにちは。 私は、問題解決をする際、問題点を特定し、それを改めるのが重要だと考えています。 だから、人間関係のあり様などの問題を取り扱う時、その問題は誰かのものという事になります。 Bさんの思慮と相手への誠意が足りない。 Cさんの寛容が足りない。 故に両者間の関係は良くない。とAさんが言うみたいな感じです。 例えばこれを聞いた第三者であるDさんは、冷静にその両者各々の至らない点が招いているギクシャクだと言う事が理解でき(からと言ってAさんに賛成するとは限りません。そうとは認めつつもそれには触れず、別の方法によって関係を良くする方向に導く事もあります)ますが、自分たちの指摘をされたBさんとCさんはAさんに反感を抱く場合もあります。 また、全くの第三者であるCさんでも、「他人の落ち度や至らない点を指摘する行為」が嫌いなため、心内でAさんを批判する場合もあるでしょう。 この、「何の指摘もせずに事を進めようとする方法」は確かに一理あります。 しかし、それだけで果たしてOKなのかなと疑問が残ります。 というのは、人間自分の至らない点などを認める事ができない内はたいした環境を作る事はできないと思っています。 批判ではなく、指摘。 この区別がついておらず、両者をしない人が多いと思うのです。 もちろん、それが悪いと言う事ではありません。 ただ、そういう生き方をしている人の大部分はただのなーなー主義。 そしてそれを繰り返す社会は指摘と批判の区別がつかない人を増やす様に思います。 よく人を指摘しないで良い事ばかり言って事を進める人に対して賢いとかレベルが高いと評価がつく事がありますが、それはOKとして、この評価を下す人達のその評価基準を知りたいと思っています。 纏まりがありませんが、この周辺の事に関して色々とお話しをしたく投稿させて頂きました。

トピ内ID:9605564132

これポチに投票しよう!

ランキング

レス

レス数51

このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました

つまり

🙂
minami
問題解決には「指摘」が必要だ。 しかし最近は「批判」と「指摘」を混同してそれを避ける人が多い。 なのにその人の評価が高いことがある。 ということですね。 私が思うのは、「人間関係における問題点を指摘する」「批判」なのではないかということです。 例に挙がっている「Bさんの思慮と相手への誠意が足りない」ということを Bさんに直接「指摘」すれば誰もが「批判」と捉えるのではないでしょうか。 「本棚が傾いているのは、ここのネジが緩いからだ」と指摘するのは 問題点の改善に多いに役立ちますが、人間関係においてそれが通用するかと言われれば違うと思います。

トピ内ID:5424429673

...本文を表示

ロボットじゃないんだから

041
はて
人間関係のあり様に「これが正解」「これが間違い」って 100%正しい判断なんかできますか? トピ主さんの話は具体例が無いからわかりにくいですけど、 要は、人の欠点や至らない点を指摘するのが正しい、 それに目をつぶってるのは、ただの事なかれ主義だって事ですよね。 評価の高い人というのは、もし指摘したらどうなるか、 その結果を考えた上での行動じゃないですか? 時と場合によって行動する。 それで良い結果が出て、評価が上がる。 「物事をよく分かってる人」だと思います。 トピ主さん、もっと柔軟に。

トピ内ID:5234837170

...本文を表示

指摘は難しーい!

💤
しおさい
うーん。指摘する難しさ、トピ主さんは承知のように思いますが >自分たちの指摘をされたBさんとCさんはAさんに反感を抱く場合もあります。 これです。指摘する側はこれを恐れます。また、指摘する際に 自分の事を棚に上げて指摘出来ないとも思う… 指摘する資格を持ち合わせてないなと思えば指摘も出来ないです。 それとかなり横にそれますが、 Cさんの寛容が足りないという指摘?も 指摘としてはどうだろう…これってどういう風に指摘するんでしょうか? ちなみに、全ての人が全てに完璧なまでに寛容だったら この世の中の一切の軋轢がなくなる…と私は考えます。 もうちょっとだけ寛容に、くらいなら何とかなるかも知れませんが (これは私の持論なので今は関係ないですが。すみません) 仕事等での問題点なら指摘もしやすいし、指摘するべき点が はっきりしてる事が多いです。 でも、人間関係における指摘ってとっても難しいと思います。

トピ内ID:5148324098

...本文を表示

前提条件に疑問です。

悩める管理職
人間関係で業務に支障が生じている場合、その内容が明確になっていれば、大抵は対立する二者だけではなく関係者全員になんらかの責任があると私は考えます。その場合全員の責任の有無と内容を言語化してさらけ出す必要はなく、「全員に多かれ少なかれ責任がある」ということを自覚してもらえば、それで充分としています。 ただし関係者全員「場の被害者」で、全員がなんとなく不具合を感じているがその内容が明確になりきれていないことがあります。この場合は各自が不具合について向き合うようにするために言語化します。 ただし、トピの前提条件には疑問です。なぜなら、人間関係に基づく問題は、主観が無い第三者じゃないと「指摘」できないと考えるからです。でも無関係な第三者が人間関係の問題をきちんと把握するということ自体にそもそも無理があると思います。 したがってトピの例では、トピ主がこれは指摘だと考えること自体がある種の驕りで、自身の主観に基づく批判の要素は排除しきれないのだ、と考えなくてはいけないのだと私は考えます。それを自覚した上でどう伝えるかが必要なことなのではないかと考えます。

トピ内ID:8170458421

...本文を表示

そこに愛があるなら

😀
考え込む人
>Cさんの寛容が足りない。 まずこれはAさんなりトピ主さんの主観でしょう。主観がいつも正しい訳でもないです。 そしてそう言われたらCさんが自分は寛容な人間だと思っていたらムカつくでしょう。自分で怒りっぽいと自覚していたら納得もできるでしょう。同じ「指摘」にしても相手を見て言わなければいけません。相手は千差万別です。 注意などをする時に一番重要なのはそこに「(言う人の)愛」があるかです。自分のことを思って言ってくれると思えば良い指摘になります。感謝もできます。そうでないとただの批判です。反感を覚えるだけです。 ただ、最近はこの反感を恐れて何も言わない人が多くなったようです。そして言われないとそれで正しいと思ってしまう人も多くなったようです。 トピ主さんの書き方は下手で読む人への配慮がないですね。読みづらいです。もっと上手い文章を書くようにしてください。 ・・・と、これは指摘ですか?批判ですか?

トピ内ID:7692365626

...本文を表示

本当の意味での

041
若々
問題解決に必要なのは、『気づき』だと思います。指摘は多分きっかけじゃないかと。気づいてもらえれば相手にとっては『有り難いご指摘』になるし、そうじゃない場合は『批判』と捉えられてるのかな…。その受け取る時の温度差はボールを投げた人の心の温度なのでは。難しいことはわかりませんが…

トピ内ID:6620253306

...本文を表示

もしかしたら

041
huru
 欠点を指摘するときに、肯定ではなく否定から入ったり、両者を同時に呼んで互いのいる前や、第三者のいる前で行ってませんか?  人には大なり小なり、面子というものがあります。  世の中、真実を真っ正面から受けとめられる者ばかりではありません。  多くの場合、自分の論理や、感情に都合の良いものだけを無意識に見ているものです。  また、人と問題を分けて考えることが出来る人間も、実際には少数です。  人の考えの否定を、人そのものの否定と混同する者も、意外に多いです。  賢明なトピ主さんなら解りますよね?

トピ内ID:4209971810

...本文を表示

考え込む人様まで拝見しました。

😀
考える人 トピ主
皆さんにご回答を頂いたお礼をしたいのですが、お一人お一人へのお返事では文字数制限もあり、止むなくお礼を入れられない事もあります。 したがいまして、誠に恐縮ではございますが、このレスでお礼を言わせて頂きたいと思います。 ありがとうございます。 以下、お一人お一人へのレスに続きます。

トピ内ID:9605564132

...本文を表示

minamiさんへ

😀
考える人 トピ主
実際の現場で、正しいか否かは別にして「指摘が役に立たない」という事は十分知っているつもりです。 しかし、それで良いのでしょうか? 私がこのトピを書いたのは、自分がその状況で困っているからではありません。 何故なら、よっぽど親しい仲でないと私は指摘そのものをしません。 そうでないあまり親しくない間柄では問題点に気づくという事自体があまりありません。 皆良い人達です。 このトピを書いた理由は、自分たちが好き勝手に放縦した生き方をするために「指摘=非難」というレッテルをはる人達が居る事が色濃く背景にあります。 正直考え直して欲しいと思っている位です。 そして、このトピ上で問題にしたい事の主なものの一つは、 「指摘されて改善されないのは何故?」 をよく見たいからです。 というのは、私には上記の様に放縦な生活をしたい人が「指摘=非難」つまり、改善する為に一所懸命頑張っている人を面白くないと考え、その人を悪者に仕立て上げようとする風潮が背後に見え隠れするからです。 ですから、「通用しない」というのは十分解った上でこのトピを書いています。 これを踏まえて更なるお答えをお待ちしております。

トピ内ID:9605564132

...本文を表示

はてさんへ

😀
考える人 トピ主
100%正しい事なんて無いと思います。 でもベターな事はあると思っています。 私がこのトピを書いた理由の一つに、「人々が物事を判断する基準」を知りたいと思ったのも含まれています。 例えば、家族を守りたいという愛情から敵を倒さなければ行けない戦争に出かけて行く。しかし相手にも守りたい家族は居る。 この場合、「家族を守りたい」というその人の思いのみを見れば立派な愛情ですが、では敵国の兵の家族はどうなるのか?という視点まで広げた場合、この判断は難しくなります。 ですが、日常の生活では各々好きずきに「枠」を決めて、それに従って自ずと決まる善悪観によって生活していると思うのです。 その基準はどの辺りに設けられているのかが知りたいというのもこのトピを書いた理由の一つです。 minamiさんへのレスに書きました様に、私はこの件で困っている訳ではありません。 現時点では「研究段階」です。 この事を踏まえて再度お答えをお待ちしております。 レスを頂、ありがとうございました。

トピ内ID:9605564132

...本文を表示

しおさいさんへ

😀
考える人 トピ主
指摘は難しい。 あまりの難しさに私を含め多くの人が手を出しません。 それが当たり前になり、誰も指摘をしないのが普通になり、指摘をする事が異常なのだと考える人が増えて来ているように思うのです。 そうかな? と思ったのです。 ただ、ここでいう「指摘」は、糾弾のような口調とかではなく、「~では?」などのこれから会話してチェックしつつ正していこうよという姿勢を十分に示しながらの発言程度と解釈して下さい。 指摘する側の間違いによって出された指摘は指摘ではなく、ただの見当違いです。 でも、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥と言う様に、それを表に表現しなければ自分が間違っている事も解らず、問題点を浮き彫りにする為の会話自体が生じないため、問題に向き合う事がありません。 これが様々な精神的な二次災害の温床になっている様に思うのです。 そんな中、「指摘=非難」と受取る人はただ単に自分が放縦な生活をしたいだけ? という疑問が拭えないのです。 その辺りをはっきりさせたいというのもこのトピを書いた主な理由です。 これを踏まえて再度お答えを頂きたく存じます。 レスありがとうございました。

トピ内ID:9605564132

...本文を表示

悩める管理職さんへ

😀
考える人 トピ主
一つ目の節は私も同意見です。 二つ目の節も良いと思います。 三つ目の節の節については、「指摘」という言葉への認識の違いがある様に思いました。 ここで言う「指摘」は、糾弾するような自分が正しいという姿勢からのものではなく、「~では?これからみんなで話してチェックして行きつつ正して行かない?」の様な姿勢での発言と解釈して頂ければ幸いです。 この点以外は私も同意見です。 四つ目の節は三つ目と少し被ります。 「完璧な人は一人も居ない」これが前提なのは当たり前の事だと思うのです。 つまり、指摘をする側の人間も間違えている可能性がある。 これは暗黙の前提です。 ところが、指摘をした時点で反感を抱く人がいます。 この手の人の存在がこのトピを書いた背景に色濃くあるのですが、これには指摘する側の言い方なども深く関わってきますね。 そこは勿論反省する点で、仰る様に「どう伝えるか」が肝心な点です。 前の方々へのレスも読んで頂ければ幸いです。 ぜひ、それらを踏まえた上でまたご回答を頂ければ嬉しいです。 ありがとうございます。

トピ内ID:9605564132

...本文を表示

考え込む人さんへ

😀
考える人 トピ主
考え込む人さんも「指摘」を糾弾のような仕方で発言されていると捉えているように思いましたが正しいでしょうか。 そうではなく、「~では?」とこれからみんなで会話してチェックして行きつつ正して行こうよという姿勢での指摘だと解釈して頂けますでしょうか。 「相手を見て」というのはごもっともです。 ただ、このトピは、前の方のレスにも書きましたが、私が現状で困っているから書いているのではなく、そうした社会の風潮に疑問があるから、その周辺についてはっきりさせたいと思ったから書いたのです。 「愛」についてもまた難しいところで、「ちやほや=愛」と認識する人も居ます。もちろん愛にはちやほやが全く含まれないというつもりはありませんが、それだけではないと思うのです。 ですから、指摘された側が相手に愛が無いと判断する基準もはっきりさせないと果たして指摘した側に愛が無かったかどうかは定かでないと考えます。 文章が下手という点につきましては、申し訳ありません。 話したい事の焦点が絞りきれず、自分でもまとまりが無いなと思っています。 「指摘」だと思いますよ(笑) ありがとうございます。

トピ内ID:9605564132

...本文を表示

レス1

041
ほいて
まず、非常に読みにくい文章ですね。この話にDさんは不要ではないでしょうか? また、Cさんは第三者ではなく当事者でしょう? さて、本題。仕事でもなんでも、現状よりもよい状態にしようとするなら、1・現状の問題点・欠点を洗い出し(トピ主さんの用語だと「指摘」がこの段階に相当すると思います)、2・改善法を見つけ、3・実行する、この三つの段階を踏まねばなりません。 もっとも、常に1→2→3ではなく、1→(2)→3、2→(1)→3という場合もあります。「君の書類のここ、誤字があるよ」という「指摘」だけで正しく直せる場合(1→(2)→3)と、「正しい字はこうだよ」と教え(「改善提案」とでも呼びましょうか)なければ修正できない場合(1→2→3)。(私のレスの第一段落の第一文が「指摘」、第二・三文が「改善提案」になると思います)。 誤字や文章の書き方なら、「指摘」だけでその後の段階へスムーズに進めることも多いでしょうが、トピ主さんの例のBさんCさんの場合は、「指摘」だけでは、まずうまくいかないでしょう。「思慮と誠意」「寛容さ」、これは人間の性格とでも呼ぶべき分野に属する事柄でしょう。

トピ内ID:7592068862

...本文を表示

レス2

041
ほいて
まず、正確な性格の「指摘」そのものが難しい。トピ主さんは、周囲の人間からどんな性格だと思われていますか? 上司・同僚・取引先等、社交辞令を差し引けば、かなり異なった答えが並ぶでしょう。 次に、性格を変えるのは非常に難しいことです。自分自身の悪い性格を自覚していて、それを直したいと考えている人ですら悩んでいるくらいです。まして、自覚すらない人に「指摘」だけしても自発的な改善は望めないでしょう。せめて、「指摘」とともに「改善提案」をしなければ無責任でしょう。「改善提案」のない「指摘」は、「批判」ならぬ「悪口」と変わりないでしょう。「君が誠意ある人間になるためには、○○すればいいよ」こんな「改善提案」が出来ないなら、性格面への「指摘」はしない方がいいと思います。 最後に、評価の問題です。仕事は結果で評価します。結果に至るプロセスで「指摘」があろうがなかろうが、関係ありません。「指摘」は仕事を上手く進めるための手段の一つではありますが、目的ではないし必須項目でもありません。

トピ内ID:7592068862

...本文を表示

若々さんへ 1

😀
考える人 トピ主
指摘は気づきを起こすために用いられるものと考えています。 「気づき」は発し手よりも受け手の力量に大きく依存します。 仏教なんかでは、「高層がどんなに高尚な説教をしても解らない弟子が、四六時中その説教について考え続ける。すると、境内の掃除をしている時に自分の帚が飛ばした石が竹に当たった音を聞いて悟りを得る」みたいな話しもあると記憶しています。 すみません。 反論ではないのですが、私は上記の様に「気づき」は話者よりもむしろ聞き手の力量が大切と考えていますので、話者の心の温度が全く無関係だとは言いませんが、話者の温度を感知する能力に欠けている受け手の言い訳にも聞こえる事しばしばです。 ※若々さんのがそれだという意味では決してございません。どうかお気を害されない様お願い申し上げます。 先進国になった日本人は、他の国よりも社会的な立場などを重要視する傾向が高いと思うのです。 しかし、この社会的な立場というのは真理に関わる問題を扱う時においてあまり意味がありません。 しかし、真理を語られている時、この立場を気にする性質が邪魔をし、話者の真理や愛を認識できない人も増えている様に思えます。

トピ内ID:9605564132

...本文を表示

若々さんへ 2

😀
考える人 トピ主
この時、受け手が気にしているのは、「今後自分の身はどうなるのか?」であり、話者が話している真理とは違う方向を向いているので理解できないのです。 こうした傾向の中、話者はまず聞き手を安心させる話術を学ぶ事が多くなりました。 しかし、「何をもってして聞き手が安心するのか」を理解する時、その安心感こそ一種の麻薬のようなもので、その安心感という術を使いつつ誤りに導く事も可能な場合もある事を思います。 この「安心感」を「温度」だと言うのであればそれはどうか思います。 勿論否定ではありません。ただ色々な側面の話しです。 最近は、相手の中の誠や愛を認識する力も持っていないのに相手に愛がないと簡単に評価→聞く必要なしと考える人が増えて来ている気もします。 この事を踏まえて再度ご意見をお聞かせ頂けると幸いです。 ありがとうございます。

トピ内ID:9605564132

...本文を表示

huruさんへ

😀
考える人 トピ主
前の方のレスにも書きましたが、私は自分の日常生活の中で指摘をしていません。 そして、私も「指摘をする時は一対一で行なうべし」というのは理解しているつもりです。 しかし、一対一になる機会の無い人達に対する指摘事はどうしましょう? 人間、人夫々、自由なのだと言ったって、「他者への影響」というものがあります。 個人の自由という権利だけを主張し、他者への影響への配慮という義務を無視する人も居ますよね。 そういう人達とは関わりを持っていないので一対一になる機会などはありません。 しかし、そういう人達の行為はこちらにも影響を及ぼすのです。 こういう場合はどうしましょうか。 一人単体で悪い人というのはそれほどいません。 しかし、集団になると一人一人の小さな小さな悪が相乗効果で単純な足し算よりも更に大きなものになる事等珍しくも何ともないのです。 その集団の規模が大きくなればなるほど、一人一人の悪は小さく、認識すら難しい程小さいものでも全体の和として莫大な悪になります。 しかし、一人一人は殆ど何もしていない。 こういうものに対してはどうしましょう。

トピ内ID:9605564132

...本文を表示

ほいてさんへ

😀
考える人 トピ主
そうですね。 しかし、指摘された問題が解ってはいるけど現状で変えていない(自分もそれを良くないと思っているが様々な理由によりそれを改めていない)ものだった場合はどうでしょう。 改善点を示す必要はあるでしょうか。 世にある要指摘事項の多くはこういう改善点はしている本人も知っているものが多い様に思います。 また、改善点を示さなければならない本人の自覚の無い物に関しては、それを証明する為に膨大なエネルギーが必要です。 それをする前に一度一人一人が内省してみればそれを照明するための膨大なエネルギー消費を節約できる場合もまた多いです。 「人が変わるのは難しい」も承知しています。 ただ、変わる事が出来る時期に近づいている人も居ます。 このトピは、そういう柔軟さをもっている人と進めて行きたいと考えています。 性格面などの指摘があまり効果を現さないばかりか余計事を悪化させる理由はhuruさんがよく言い表して下さっていると思います。 これを踏まえた上で再度ご意見をお聞かせ願えますでしょうか。 ありがとうございます。

トピ内ID:9605564132

...本文を表示

うきゃー難しいですね。頓珍漢なレスかも

🐱
Cheshire
>また、全くの第三者であるCさんでも は、Cさん→Dさんですか? Aさんは、BさんCさんの問題点を「指摘」、その「指摘」によりDさんはBC両者の関係を理解、でも「指摘する行為」を快く思わない、かもしれない。BさんCさんは「指摘=非難」とうけとめ、Aさんを快く思わない。「指摘」をしたAさんは結果的に悪者になってしまう、それはどうなのか。自分の至らない点を認める事ができないのは問題ではないのか。 と、いいたいのかな、思ったんですが、うー、理解できてないのかも。 「批判」は「『指摘』したことを正すべきと論じること」、つまり指摘して発生するのが批判だと私は思ってるので、「指摘」と「非難」を混同するな、でいいですか? 「指摘」は「問題点・欠点をとりあげて示すこと」だから、その問題点が正しい限り、そして指摘の方法も非難と異なるものであれば、指摘した人が責められるというのはおかしいと思います。指摘をすぐに中傷ととらえる人のがおかしいです。 指摘することで人間関係が悪くなる、のが前提になってしまえば、和を乱すを良しとしない社会での「指摘」は確かに難しい行為ですね。

トピ内ID:7648712083

...本文を表示

ちょっと見方が違うかも

041
若々
トピ主さんが仰っていることは事実として解ります。仕事柄、毎日のように『指摘』しまくってますので…(笑)だいたいキョトンとするか、固まるか、反抗的になるか…。でもそのへんは予測してやってます。私の本業は指導育成なので指摘は不可欠ですが、ただのツールです。『この高さでこのくらいのテンションで投げたらどう受け止めるかな』…って感じで。それで成長具合や理解度を図ってます。長くてすみません、続かせて下さい。

トピ内ID:6620253306

...本文を表示

Cheshireさんへ

😀
考える人 トピ主
すみません 実はトピ文のたとえ話のDさんは後から付け足し、その関係でA~Cの関係も後から変更を加えたのです。 今読み返してみたら人間関係の描写がおかしくなっていますね。 申し訳ありませんでした。 Cheshireさんの解釈で合っています。 また、「批判」については私は今までこの単語に対する理解が間違えていました。 私の中で「批判」という単語はイコールで「非難」でした。 勉強になりました。 ありがとうございます。 誤字脱字程度の誤りの指摘であれば事も無くできるでしょうが、事が指摘される側の人間性に関わって来たり、生活スタイルの見直しに関わる様な内容、或は本人が自覚している本人像から悪い方向に異なる事を指摘する時などは難しいです。 言い方によっては、ではおまえはどうなのだ? と挑みかかってくる様な仕方で、何かしらの指摘をされ返される事もありますが、これは初めからケンカ売り行為なのであって指摘とは全く異質なものです。 和を乱すを嫌うのが非常に表面的で、「触ってくれるな」と言われている気にさえなる事があります。 しかしその相手の行為の影響はこちらにもあるのです。

トピ内ID:9605564132

...本文を表示

基本的に

041
若々
私が指摘するときは、部下や同僚が問題解決できるように補助するのが目的なので、暑苦しいかもしれませんが気持ち的に温度は高めです(笑) 一方最近は低体温な子が増えましたね。認めて肯定してあげないと前すら向かない人もいます。これにおもねると弊害があるのは、トピ主さんと同意見です。 でも、公の場で指摘なり注意なりする方も、伝わるまで言い続ける覚悟や信念が必要です。受け止める力には個人差があるし、一緒に何かをする以上『能力が低い』の一言で済ませられないと思うので…。すみません、個人的意見でしょうが。

トピ内ID:6620253306

...本文を表示

レス3

041
ほいて
トピ主さんの私へのレスの中で「改善点を示す」という言葉がありますが、これはどういう意味なのでしょう? 私は「改善提案」という言葉を使いましたが、トピ主さんの言う「改善点を示す」はそれとは違うように思います。むしろ、トピ主さんの言う「指摘」と「改善点を示す」がイコールのように感じるのですが。でも、それだとトピ主さん、自己矛盾に陥っちゃいますよね。 私の説明不足かもしれないと思うので再度説明しますと、「改善提案」は、「君のこういうところが悪いから、こうすれば良くなるよ」とアドバイスするということです。 トピ主さんのレスの三段落目(誤字があります。「指摘」だけにして、「改善提案」はいたしません。)、誤字のせいではなく、トピ主さんの主張に混乱が見られるように思えます。そもそも自分の欠点を自覚していない人間に対して、欠点を「指摘」するのと、「改善提案」までセットするのとでは、どちらが内省する確率が高いでしょうか? ってかさ。職場に「コイツ、使えネー」という奴がいてさ、そいつに悪態吐いて凹ませたいだけなのか、そいつを使える奴にしたいのか、どっちなのさ?

トピ内ID:7592068862

...本文を表示

答えになっていれば良いですが

041
huru
 確かに個々では問題が無かったり、或いは小さくとも、全体としては問題が出てくるケースはあります。  全体の問題を理解するには、全体を俯瞰することの出来る位置にいなければなりません。  人間は個々を理解できても全体を理解しにくい生き物です。  そしてそれは、人間の思考様式が帰納法(■直感)に比重の置かれていることが原因です。  つまり、実感、体験が必要ということです。  彼らを全体の俯瞰できる位置に一時的にでも、つけることは出来ませんか?  そうすれば相手がどんな人間でも、関係なくなると思います。

トピ内ID:4209971810

...本文を表示

社会学系なのかも

041
usi
詳しい専門分野はわかりませんが、社会学系の話になるのでは。 私はちょうど構造主義の本を読みはじめたところなのでますが、 なーなー主義でも別によろしいのではないかと思えてきました(笑)。 釈迦に説法かもしれませんが、けっこうおもしろいです。 弁証法の本も私には難解なのですが、ちびりちびり読んでます。 第三のスーパーな解決案が登場という話です。 「問題の解決は、新たな問題を生む」の繰り返しっぽくも なりそうですが。 なーなー風潮は、なーなー嫌いな人には居心地悪い社会ではありますね。 私は後者だと思ってますが、人によっては前者と見られてしまうのかも。 そこがまた難しかったりおもしろかったり。 なーなー嫌いが評価や世の中をひっぱっていく側に 立てばいいのではないか、と軽く書いてみます。 そうすると、「なーなー」で十分な人には無理を強いることになる、 居心地の悪い社会になるかもしれません。 主義と主義、社会と社会のぶつかり合いって感じがします。 トピ主さんと興味のある点が似ていそうです。 ご縁を感じました。トピの展開を楽しみにしています!

トピ内ID:4547558646

...本文を表示

2度目です

💡
minami
考える人さんの意見のなかに、矛盾はありませんか? 『何故なら、よっぽど親しい仲でないと私は指摘そのものをしません。 そうでないあまり親しくない間柄では問題点に気づくという事自体があまりありません。』 と書かれ、「一般社会では悪意を持って指摘を批判と捉える人が多すぎる」と仰られていますが…? 親しくない間柄の人から「あなたは●●だ」と指摘を受ければ、それは不愉快に違いありません。また多くの人が、それを避けようとするでしょう。同じことだと思いませんか? また、突然 『そして、このトピ上で問題にしたい事の主なものの一つは、 「指摘されて改善されないのは何故?」をよく見たいからです。』 となっていますが、それは人それぞれではないでしょうか? 指摘をスルーする人、努力するけどやっぱりだめな人、色々事情もあるでしょう。 考える人さんも、指摘されれば改善しようと努めるでしょうし、 私もそのようにありたいと思っています。 それにしてもこのトピの論点(争点)は一体どこにあるのでしょう?

トピ内ID:5424429673

...本文を表示

根本を間違えているから

041
むー太郎
まず。 > Bさんの思慮と相手への誠意が足りない。 > Cさんの寛容が足りない。 これは「主観」です。客観ではありません。 主観なのですから、時に他者の主観とは反発します。 > 一人単体で悪い人というのはそれほどいません。 > (中略)全体の和として莫大な悪になります。 ただの思い上がりですね。 「悪」ですか。あなた「善」ですか?「正」ですか? その根拠は? 客観ならば正の逆は「誤」ですよ。「悪」だなんてとんでもない。 『アイツラより自分の方が正しい』 そう言っているだけでしょう。 その考えの下での指摘は既に非難でしょう。 前を向いて、上を目指していること。 個人的にはそうありたいと思っているが、それが「正しい」事だとは思いません 私は(潜在)能力的に劣っていますので、世の中の全員が前向き・上昇志向になられたら、底辺を這いつくばるしかありませんもの。(笑

トピ内ID:4951653467

...本文を表示

若々さんへ

😀
考える人 トピ主
もしかしたら私は相手側に予備知識というかベーシックな理解力みたいなものを要求し過ぎているのかもしれませんね。 問題点が指摘されれば自ずと改善点が解ると考えているのです。 (※もちろん全てではなく、多くの場合という事です。 それ以外と私が判断した場合は勿論改善案もセットで言います。) これがそもそも間違えなのかもしれません。 いかが思われますか? 二つ目のレス中の「公の場で指摘なり注意なり~」という部分につきましては私も全く同じ意見です。 ただ、私は特に相手の指導者的立場にある人間ではなく、ただの同列(authorityとして)の人間です。 なので、指摘した時に生じる相手の中のわずかな感情が表面化しやすい状況にあると言えます。 あまりにも「指摘=良くない事」的な発言が目立っていて、私はかなりの少数派なのかと若干気に病んでいた(疲れが溜まってるのかも知れませんね)ので、若々さんのようなご意見をお伺いできて少しほっとしています。 ありがとうございます。

トピ内ID:9605564132

...本文を表示

ほいてさんへ

😀
考える人 トピ主
書かなかったかも知れませんが、相手が明らかに改善点が解っていない場合は勿論改善案もセットで言います。 また、前の方へのレスにも書きましたが、私は指摘(改善点)を指し示した時点で多くの場合は改善案も自ずと解ると考えている/たのです。 でもそうでも無いのかも知れません。 自分が積極的に物事に取り組んでいれば、大抵の答えは自分で導き出せるものですが、そうではない受け身姿勢の強い人だと改善案も解らなければ改善点を指摘された理由すら解らないかも知れませんね。

トピ内ID:9605564132

...本文を表示
[PR]
気に入ったトピを保存するといつでも読み返せる
気に入ったトピを保存するといつでも読み返せる
使用イメージ
使用イメージ

マイページ利用でもっと便利に!

お気に入り機能を使う ログイン
レス求!トピ一覧