1例ですが、普段読書量も少なく、傾向も偏りがちなのに、本を読むと、とにかくその本が良かった、と周囲に進めずにおられず、熱心にその本のことを誰彼に語り、結果、「読書家」と評価される人がいたりします。そんな人に限り、こちらが「面白いよ」と勧める本には目もくれなかったりします。
読書家として脚光を浴びたいわけではないし、またそうなりたければそういう人のように振る舞えばいいだけのことかも知れませんが、どうも自分の身の丈にあっていません。
ですから、地道に自分なりの努力をするしかないのですが、どうもすっきりしないことがたくさんあります。特に最近、そう感じることが増えました。
小学生や中学生の頃だと、普段は地味でも、教科別に試験の結果などの数字という「成績」が残ったことを思うと、ある程度までは正当な評価がされていたように思います。
社会に出ると、机の上の勉強だけできても、社会適応能力がなければダメだ、といわれます。
しかしそれには、本当の能力より、能力があることを人に知らせる、それも実際の能力以上に見せることができるほうが得なのかなぁ、という一面もあるように思います。
会話中、相手の話の腰を折ってしまうことって誰でもあると思うのですが「話の腰をおらないでよ」と言われ、気遣いなさを指摘される気分になったりします。相手も結構やっているのに。
だから何でも先に大きく声を上げるほうがいいんだろうな、と思うのですが、自分の性格とはかなり離れているし、実際、少なくとも自分の行動としてはあまり好ましく思えません。
だから、納得して、こつこつ地味にやっていくしかないと思いますが、すっきりしない思いがいつもより溢れてくる時期もあります。
愚痴で駄トピですが、同じような思いの方、いらっしゃいませんか?
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