森鴎外の「大塩平八郎」について確認したいことがあります。
「六、坂本鉉之助」 の中に「坂本の使者脇は京橋口へ往つて、同心支配広瀬治左衛門、馬場佐十郎に遠藤の命令を伝達した。これは京橋口定番米津丹後守昌寿が、去年十一月に任命せられて、まだ到着せぬので、京橋口も遠藤が預りになつてゐるからである。」という記述があります。
この中の「京橋口定番米津丹後守昌寿」は、正しくは「米倉丹後守昌寿」ではないのかと思うのですが、どうでしょうか?
米倉昌寿は横浜市にあった、六浦藩の10代藩主で、1836年大阪京橋口定番に任命されたとなっています。大塩平八郎の乱が起こったのが1837年です。
大変気になりますので、鴎外の作品に詳しい方、是非お教え願います。よろしくお願いします。
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