今年度から私は某大学の1年生となり、県外の遠く離れた地で寮生活を送っている者です。
そこで出会ったのは、気の合う同級生や先輩方でとても毎日を楽しく過ごしています。
ある日、先輩に寮のクリスマス会に私の気の合うメンバー(7人ほど)で出し物を是非やって欲しいと言われ、それを踏まえて7名全員一人一人に「どうする?やる?」と声をかけました。すると皆、「皆がやるならやりたい」「楽しそうだと思う!」「なにするー?」など乗り気な発言をしていました。そこで再度全員を集めやるかやらないかを尋ねやることに決まったため、お笑い風の劇をやることになり、素人ながらネタを考え練習をしました。やはり、一人一人のセリフや目立ち度には差が出てしまうのは致し方ないと言うのが全員の承諾の元始まったことでしたが、目立つメンバーが練習の後に泣いていて、訳を聞いてみると、「こんなに目立ちたくない」「やめたい」などと言っていて今抜けさせるべきか、役割を返えて思い出として皆で出ることを大切にするか考えていると、涙をだしながら語っていました。
ここからは私の個人の意見なのですが、この話を聞きながらやると言ったからには最後までやるのが普通なのではないかと疑問に感じました。例えば中心となり皆をまとめてくれてる子がいたなら、その子の努力を讃え最後まで協力したり感謝の気持ちを持つのは当たり前だと感じていたので、そんな恥ずかしいや、自分と思ってたのと違うからと言って、簡単にやめたいと言っていいのかと思いました。ですが、彼女は本当に恥ずかしいことが嫌で嫌で仕方なかったのかもしれません。
そこで、どれくらい嫌ならこの感情を他人に伝ようとおもうかの値に違いがありすぎる事がこの違和感を生み出したのかと考えました。少し嫌でも泣いちゃう人もいれば、我慢して我慢する人もいると思います。
皆さんはどれくらい嫌なら誰かに伝えますか?
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