私の義母はとてもいい人なのですが、相手を思いやった上で「やらない」ということができない人です。
相手を思う気持ちが大きいほど足し算で何かをしてあげたくなる人。「あえてやらない」という引き算ができないのです。
誰かが入院したと聞くと心配だからお見舞いに行く。相手を気遣って「行かない」ということができない。
日頃のお礼に地元の果物を送る。相手が二人暮らしだから「少しだけ」にすることができない。
息子夫婦が帰省し歓迎したいから大量にご飯を作り大量によそう。あまり食べない子だから「少な目」によそうことができない。
などなど。
やってあげたい、心配だ、感謝しているという気持ちの大きさと、行動や金額や量が比例する感じです。
自己満足というよりは、義母を見ているとその根っこは「人から悪く思われたらどうしよう」という臆病さがあるのかなと思いました。
少ない量を送ったら感謝の気持ちが無いと思われたらどうしよう。
お見舞いに行かなかったら心配してないと思われたらどうしよう。
という感じです。
ただ振り返って自分の行動を考えたとき、私はむしろ「相手を思って引き算している」という名目で面倒くさがっているだけじゃないかという気がしてきました。
相手の負担にならないようにあえてお見舞いに行かない、相手に気を遣わせるから葬儀に行かない、あえて連絡しない、あえて踏み込んだ会話をしない、少額のお土産にする…。
これは実は相手を気遣っているふりをして、自分が面倒くさいから、重い場が気まずいから、ケチだからやってないだけじゃないだろうか。
ドライな関係の方が現代的でいいという顔をしているけど、相手が本当は「やってほしい」タイプかどうかも考えずに勝手に決めているだけじゃないか。
もしそうなら私は義母に比べて冷たい人間だなと思いました。
そんな事を考えた、というとりとめのない話でした。
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