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今から思えば一番貧乏だった頃は?

レス42
(トピ主 2
😉
牛歩
話題
皆さま、今から思えば一番貧乏だったな~ と思うのはいつ頃ですか? ちなみに私は海外小町なのですが、私費留学生として来た頃が一番貧乏でした。 日本円で100円くらいの出費にも、考えてしまったなあ。 明日食べる物がない・・・とまでは行きませんでしたが、身なりも食事も質素そのものでした。 あの頃を思えば、なんでも買おうと思えば買える今は天国です。

トピ内ID:1873328445

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レス数42

このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました

学生時代

041
神無月
専門学校に通っていた時が一番貧乏でした。 食べるのに困るとか貧困なんてラインにはほど遠いのですが 学費はともかく、授業の都合上学校の寮に入れてもらっていて その寮費が高かったのです。 そのうえ、仕送りをしてもらっていたので その仕送りを少しでも使わないようにと思い 髪もロクに切らなかったので、たまに町中に出ると 絶対ヘアモデルを頼まれる。 学校で食べるお昼ご飯は日曜日に1週間分として作ったおにぎりを解凍したもの。 洋服も最低限で化粧も当然していないので 20歳前後でしたが、奥さんって声かけられるくらい老けていました。 それに比べれば本当に欲しい物を躊躇わずに買えるのは有難い。

トピ内ID:3931705060

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うーん

🙂
るーるる
小学生の頃かな。 とりあえずお小遣いがあれば使ってました。 お金がないから、親に泣きついて2回ほど店に置いていかれたのはいい思い出。 それから高校生でバイトをするようになり、口座残高が増えるのが楽しくなって、学生終わる頃には200万超え。 そんなこんなで、社会人15年目の今は物欲すらありません。 物欲が湧き上がっていた、小学生時代が懐かしいです。 逆に私はあの頃が一番幸せだったのかもしれません。

トピ内ID:6613432234

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10年前

🐤
自分を大切に
家庭の事情で地元に帰り独り暮らしをしていた時、職場でセクハラで辞めることになり収入が途切れた時が一番大変でした。 転居後で貯金もなく……。 生活保護までは行きませんでしたがハローワークで相談したら行政から家賃援助を受ける事ができ生き延びました。 退職理由もハローワークで理由を話、勤め先に確認をとってくれたため自己都合ではなくなり、失業手当てがすぐに支給開始に。 助けはもとめるべきだなと痛感しました。 そんな時期があったお陰で、今は節約にも慣れ専業主婦ながらも貯金もしっかり。 平和な毎日です。

トピ内ID:2250814965

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浪人時代かな

ぎんねこ
短大を休学して、予備校に通っていたころが、一番みじめなどん底でした。 両親から反対されていながら、浪人していたので、服装はスーパーの千円か二千円の衣料品、上着も母親がスーパーで買った五千円程度のコート、成績がうなぎ上りに上がるのに対して、服装はみじめ一筋。親が、何も報いてはくれていなかったと思う。 それに対して、周囲は、冬になり、成績が上がるにつれて、高級ブティックやデパートで買った高級なお洋服を着ていて、周囲の男子学生は、何万もするセーターを着て予備校に通う、世の中を恨みました。 また親は、私大の雄が確実視されてくると、今度は、そこでなければ、国立大学にと、過大な要求を突き付けてきて、周囲の女子学生からは、貧乏人と陰口をたたかれていました。 問屋街で安く買ったトレーナーやセーターを着ながら、親の経済力を恨みました。 生まれる家は、選べないのだと、とうとう病気になってしまいました。この時ほど、世の中を恨んだことはなかったと思います。 病気で入院して、受験は受けられませんでした。短大に復学した時、大学側には、この大学の授業は、頭の良い学生から見たら、だるいような授業をしていますとは言われました。 あの時の貧乏人という言葉、どん底だったと思います。世の中は平等じゃない、能力に対しても平等ではないと、思い知ったどん底の冬でした。運も根もつきた冬でした。

トピ内ID:1595391401

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入社3年目でした。

😝
懐かしい
彼女と付き合って2年、同棲して丸1年の時です。 もともとは社内恋愛だったけど、同棲してすぐに彼女が会社を辞めてしまい、家賃と生活費をすべて出すことに。 はじめは同棲できた事が嬉しくて頑張っていたけど、入社3年目で年収も300万程度。家賃だけで9万円だったので貯金はどんどん無くなっていきました。 そして1年で底をつき、仕方なく彼女に「貯金がなくなった」「このままだと生活できないから働いてください」とお願い。 1週間後、彼女は出ていきました。 お金が無いので引っ越すこともできず、かといって家賃の負担が大きすぎてなかなかお金を貯めることもできず、本当に貧乏生活を余儀なくされました。 朝食は抜き、昼食は社食(本当に助かりました)、夕飯は3つで80円の焼きそば麺に30円のもやしを入れて食べていました。 人生で一番の貧乏生活。もうあんな思いはしたくないですね。。。

トピ内ID:9216467796

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レスありがとうございます

😉
牛歩 トピ主
レスありがとうございます。 皆さん、それぞれ壮絶ですね。 でも「ああいう時があったから、今は多少のことには動じない」になれたのかも・・・とも思います。 あの頃の服、中古衣料専門店で買ってたなあ。ジーンズ、Tシャツ、ブラウス、シャツ、スカートからジャンパーに至るまで、ほぼすべて150円でした。今ではあんなファッション、絶対にダメです。心の傷が深かったせいか(?)、ブランド物のアウトレットでしか買わないです。しかも、買っても全然着なかったりして、無駄っちゃ無駄です。まあ、綺麗な服を買うだけで、なんか満足してしまうんですよね。 引き続き、リアルなレスをお待ちしております。

トピ内ID:1873328445

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昭和42年、私が4歳くらいの時…

田舎から親戚を頼って東京に出てきた両親は貧乏でした。年子の私と妹を抱え、小さな工場を営んでしましたが収入はわずかだっだと記憶しています。 母親と銭湯に行った帰り…おもちゃ屋の前で道路に大の字になり、泣きながら玩具をねだった私に、母親は困り果てた顔をしていたのを憶えています。お金が無かった我が家、母の心中を察すると今でも胸がつまります。。 貧しい我が家でしたが、週末の夜は夕食が終わると、家族四人布団を並べて白黒テレビを笑いながら観た幸せな記憶があります。貧しいけれど令和の今よりも、幸せな明日を漠然と夢見た懐かしい昭和。 そんな両親も他界し、私も歳をとりました。中島みゆきさんの「時代」の歌詞が心に沁みます。

トピ内ID:7197697915

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同じく―

💤
トピ主さんと同じ海外小町で 30年前の留学中が一番貧乏でした バブルのころだったので日本円はそれなりに高かったのですが バイトもできないので、仕送りをどれだけ引き延ばすかを心掛けて生活していたのでちょっとした出費もひとまず考える癖がついていましたね でもまぁ、高校卒業したら自立するのが当たり前のところもあるので、周りの学生も奨学金と、学生ローンで生活している人も多く タウンハウスをシェアしてわいわい貧乏暮しはそれなりに楽しかったです 友達に教えてもらってチャリティー系の セカンドハンドショップで物を買うのが楽しみでした チャリティー系のお店は 寄付されたものを売り物に回しているのでなのでとにかく安い 結構新品同様のものも見つかるので いまだに、まずひつようなものがあったらセカンドハンドショップ巡りをします そんな面倒なことをしなくてもと、夫は笑いますが 見て回るのが趣味になってます

トピ内ID:9194100322

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バブル期の頃、自分が貧乏に感じました

🙂
サト
当時、地方から出て都会の大学に通っていて、周囲とのいわゆる格差に唖然としました。国立大学だから、堅実、質素な人も大勢いましたが、ブランドづくめ、外車で通学する学生もいたり、目立ってキラキラしていて眩しかったですね。同級生で、気さくに話しかけられても、私は心を開けずモジモジしていました。つまりはコンプレックス、劣等感です。私は、親からの仕送りもあり、生活費、学費に不自由することはなかったです。でも、遊びに行く店やファッション等、特別に恵まれた同級生たちと比較して、卑屈になっていました。アルバイトもしていて、そこにも他大学の素敵な女子大生がいましたが、別世界の人のように感じていました。お金のことよりも、心が貧しかったのかもしれません。まあ、今となっては、良い思い出です。地方出身の学生には、よくある話かもしれませんね。

トピ内ID:6673291248

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自分が恥ずかしい

041
ワーママ
日経平均が1万円うろちょろしていたころです 前の前の就職氷河期に何とか会社に就職して 手取りで15万くらい(これでも専門職) ボーナスは寸志 年収ベースで200万台 一人暮らし家賃は5万くらい 10万あれば余裕って思っていた自分がすごい とたまたま整理していて出た昔の給与明細見て思いました あのころはファストファッションは高級品だし、 美容室行くお金が惜しくて、黒髪ロングのストレート 1万もしないスーツに千円のパンプスはいて仕事していてたあの頃 全然壮絶でもなんでもないけど 若いからできたなぁって 子供のころも母は節約家で 穴の開いた服を繕ってきていたし 食べるのに困らないことが幸せだと心から思っていました 今入ってくる若い子は 髪を巻いて、きれいにネイルして 毎年海外旅行に行くんです 私海外に行ったことないよーって思ってます たった20年でここまで変わったのもびっくり いや、当時はそれでもいいほうだと思ってましたけどね 私は38歳です

トピ内ID:3731813025

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小学生2~3年生の頃かなあ

🐱
やつがれ
昭和50年代かしら。 家がとにかく貧乏で 定番のおかずはゆでたキャベツにおかかとお醤油 余裕があったら納豆。 でも2パックを3人で分ける。ネギなんかなし。 おせちはあったけど 煮ものとナマスだけだった。 頂きもののカルピスは最上級の飲み物だったけど 集中しないと味がわからないくらい薄く作ってた。 月に一回(今にして思えば給料日だったのか?) 近所のラーメン屋でラーメン食べることができた。 でもチャーシュー麺はだめ。ワンタンメンはぎりOK。 餃子、つけたかったなあ・・・ スーパーで売ってる3玉100円のゆでうどんがごちそうだった。 お誕生日にはサイコロステーキ食べることができて 感動したけど、今ならわかる。ステーキじゃなくて成型肉だった。 うちはサンタの巡回コースには入っていなかった。 友だちのお誕生日会にプレゼントを持っていくことが できなくて、理由をつけては断り続けた。 子供心に「入院したらメロンやパイナップルが食べられる」と 勝手に思っていたけど、貧乏な割に健康だったので 中学生になるまで食べたことがなかった。 幸せはお金で買えないっていうけど お金で買える幸せ、山ほどあるんだな。

トピ内ID:6945750188

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レスありがとうございます

🐶
牛歩 トピ主
トピ主・牛歩です。 レスありがとうございます。 ドン底を経験した人って強いですよね。 そういう体験はお金では買えないので、却って貴重だったかな、と今では懐かしさすら覚えます。 今はお金に困っていませんが、こうなると逆に、欲しい物がほとんどありません。コロナで日本との往復は当分無理だしなあ。 昔は日系デパートまではるばる行かないと買えなかったし、ものすごく高いので手が出なかった油揚げや納豆が、自宅近くのスーパーに転がっているので、それを買って食べるだけでも、幸福感があります。我ながら安上がり・・・(汗)。

トピ内ID:1873328445

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幼稚園小学生の頃かなあ

🐤
ピヨ
地方在住のおばさんです。 両親ともに家庭には恵まれてなかったため、私からすると祖父母の援助はなく、両親は本当に苦労したと思います。 小学校いっぱいはもちろん賃貸住まい。住んでいた所が自営業が多く、当時は栄えていたので裕福な家庭が多く、同級生から「貧乏な家の子」「借家の子」とバカにされていました。 さらに、伯母の娘たちにも見下されていて、露骨に意地悪をされていました。 そういったことは、この年齢なってもたまーにフラッシュバックします。 何よりイヤだったのは、銭湯で同じクラスの男の子と女湯で遭遇したことです。 そのことを知った父は、「絶対に家を建てる!二度と娘をそんな目には遭わせない!」と決意したそうです。 両親の頑張りにより、中学からは戸建てに住めましたが、僻み根性はかなりの期間残っていたと思います。 その後、授業料の安い大学を卒業して安定した職業に就き、優しくて思いやりのある夫と結婚。 それからはお金の苦労はないです。

トピ内ID:6183092018

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私も留学生時代

🙂
なす
・・・が一番貧しかったです。インスタントラーメンとかしか食べられず、外食なんてほとんどできませんでした。 25才で留学先で結婚したので、学生結婚。夫婦共にお金がなかったので、夫は3つ仕事を掛け持ちし、私も奨学金がもらえるボランティアなどをして学費を稼いだりしていました。 子供が欲しかったけど当時はお金がなかったから、それも無理で。。。 アメリカ留学でしたからリーマンショックと911のときは仕事を失ったりきつかったです。 その後子供も授かり、今は タワマン暮らしなので、かなり自分の中では裕福です。お金は確かに心を安定させます。 広い家と下がらない給与があるからこそ、コロナ禍でも さほど影響がない生活が送れるのですから。 私も無駄遣いはしているつもりはないのですが、アイフォンがあり、エアポッズも最近買ってもらったり、コンピュータもあるし、欲しい物は我慢せずに買ってくれています。洋服や宝石には興味ないのですが、子供たちの教育にはお金がかけられます。 ですから 一生あの生活でいたいとは思いません。

トピ内ID:6700833290

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貧乏な時に共に支え合える友人

🙂
ぽん太
大学卒業後、都市銀行に勤めていましたが、本社への転勤が家庭の事情でできず退職。 今後の生き方や職を考え、全く異なる建築業界へ飛び込むことにしました。当時貯金は勤続5年で300万円くらいあったと思います。 300万円原資にバイトしながら食いつないで学校へ通い、やっと希望業界のド底辺の業者に潜り込みました。 給料手取り6万円位。保険料も自腹。今までの生涯で一番貧乏な時期でした。 はずかしい話、パンツに穴空いてもはいていましたし、1日2食、若さだけで突っ切りました。 そんな時、某国から留学していた友人と出会いました。彼女も先立って来日して住まいを探す費用もない位の貧乏留学。住まいがみつかるまで教室で寝起きしてました。 すごく気があって、やっと見つけた彼女の住まいで、2人でおしゃべり笑い転げながら餃子作りするのが何よりも楽しかったです。 少しづつ仲間も集まって…国はちがえどお年頃女子の話はおしゃれと恋バナ! 粉から作る本格水餃子がおいしかったです。野菜はスーパーの破棄葉モノと見切りミンチ。日本では破棄しがちな(超安価な)鶏の足の料理、彼女の国ではおいしいお料理に仕上げます。 その後、私は資格も得て設計からコンサルタントへ、彼女も事業家として日本国籍取得。 貧乏な時に共に支え合える友人たちは本当に一生のつきあいです。

トピ内ID:0742120486

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高校の頃

🙂
みいな
アラフォー女性てす。 父親の病気と、両親が不仲で、幼い頃はずっと貧乏でお風呂もない家に住んでいました。 借金が元で、ちょうど両親の離婚話が持ち上がり、大学進学を諦めました。 一番貧乏だったのは18歳までずっとで、その後は自分で稼ぎ始めたのでそれ以下になることはなかったです。 人の貧乏話を聞いて、何になさるのかなあ、と思います。 宜しければ、目的を教えて下さいませんか?

トピ内ID:1728403270

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バブル期

🙂
50代
ちょうど子育て期で仕事ができず、地方公務員の夫はバブルの恩恵受けられず、毎月カツカツでした。 お金のない義両親と同居、義姉妹まで同居。 でも夫以外生活費を入れてくれず、9人家族10万円でやりくりしてました。 あのころ、マックに行くのがあこがれでした。 時は流れて今は令和。 バブル当時、海外旅行だブランドだと華やかな生活していた友人たちも今は堅実な生活ぶり。 貧乏根性が身についてしまった私たち夫婦は年金も貯金も余裕あり、でもやはりたまにファミレス程度です。

トピ内ID:1323234375

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20代は辛かった

🙂
ハム
父親は、貧乏なのに大口を扣く、見得をはる人だった。うちほど金持ちはないといばりちらしていた。小中学校の頃は、信じてました。私立の大学行って初めてうちは、せいぜい普通の暮らしと、気がつきました。そして、母が病気になると学費でさえ払えなくなり、バイトバイトで、なんとか卒業しました。丁度バブル弾けて数年の氷河期。威張りちらしていた父親ですが、実は自営業は母一人の力でもっていて、病気になってからは、お金が、入ってこなくなりました。薄給の私にたかる父親。金づるに逃げられまいと結婚も邪魔され、破断にされました。 親に教養もお金もないのは子どもを不幸にしますね。

トピ内ID:8882920418

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今かな

041
匿名
大抵のものは手軽に手に入る時代 スーパーにはあふれるように品物が並ぶ ネットも発達して、通販でも買えるようになった そして、ネットを通じて誹謗中傷が蔓延して エールもあることは分かっているけど 今が一番どこかおかしくなっている感が否めないのは きっと私だけかな…  

トピ内ID:2119486718

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私も貧乏だったよ

🐧
ミヤコダレモン
やつがれさんのレスには共感しました! 私は高校を卒業してから実家を出て、夜学に5年通いました。もちろん授業料も生活費も自分の稼ぎから出してました。 洋服もまともなものはなく、外出するときは同じような境遇の友人からスカートなどを借りてました。 食器が好きなのですが、1個300円の湯呑みを5個買うのに数カ月店の前をウロウロしてました。 40年以上前のことですが、今も食器棚にあります。 苦学の末に国家資格を取得し、子供3人大学を卒業させましたが、子供への送金中は自分の服は古着屋で買ってました。 そして今、定年退職し、アルバイトをして途中で喉が乾いても、飲み物は持参したお茶か水で我慢し、飲み物は買いません。 つくづくしみったれ人生です。 けれど、不幸ではないです。 昔も今も懸命に生きていたなと思います。

トピ内ID:1095605220

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2100円しか無かった。

🐤
さら山
毎年、今の季節になると思い出します。もう15年以上前、訳あって手持ちのお金がほとんど無い状態で家出をしました。 乗っていた車を売り、安い中古車に買い替えて作った差額でアパートの契約をして最低限の家財を買いました。借りたお部屋は外向きの窓が無く、香港映画チックだった。(実際、外国人もたくさん住んでいた) ボーナスが出るタイミングを見つつ、クレカと現金払いを案配して生活をつなぎました。かなりギリギリだったなー。 忘年会の景品でハーブティとハチミツのセットが当たり、これで明日からお茶が飲めると嬉しく思いました。それまでは白湯を飲んでいた。 ボーナス前夜には成人してからの瞬間最低値でお財布に1900円、口座残高が200円、合わせて2100円しか無かった。 この後に、家出の原因となった事件が決着するまでの2年間ぐらいは節約生活を余儀なくされる訳ですが、その経験を通じて自分には安く暮らす才能があることを知りました。

トピ内ID:7477227842

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子供時代

🙂
おまめ
父親の初任給の給与が、月給六万だったそうです。専業主婦の母と子供2人で、お風呂なしの小さな家で、幼稚園時代は思い出しても貧しい暮らしをしていました。 バブルと共に父の経営する会社が成長し、小学校高学年の時には年収三千万。バブルが弾けたらライバル会社がなくなって、さらに裕福に。 私は結婚したら、ふりだしに戻りました。でも幸せです。 両親も私も貧乏性で、もったいなくて自動販売機が使えない。京都の料亭や海外のレストランでも、どこにでも飲食しに行くのに、100円200円を考えて考えて考えぬいてからでないと、使えない。 だから結婚後の生活も、堅実です。今は海外ですが、募金の機会が多いので、貧乏性で貯まったお金を募金しています。コロナで洒落にならないくらいに困っている人たちが多いので、節約して募金に回します。

トピ内ID:7366624400

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コンタクトの洗浄液が買えなくて

🙂
ひまわり
今から30年前。 あれは、主人と出会って、 金銭的にどん底で無職の主人を助けている結婚前の事。 私の給料なんて知れていますが、主人の為のアパートを借りて、 生活費・食費で、お金が残らず・・ コンタクトレンズの洗浄液すら買えませんでした。 しかたなく、キッチンハイターを薄めて、洗浄に使っていました。 どん底でも助け合えたからこその夫婦だったかもしれませんが。 あの頃の苦労を思えば、以降の人生は楽勝でした。 今では、何も欲しい物がありません。 下手に買うと、ゴミになりそうで、物を増やしたくないです。

トピ内ID:2449384251

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結婚したばかりのころ

🙂
寝づこ(娘のあだ名
8年も前になりますか。 お金なかったなぁ。借金なんて、それまでの人生で考えたこともなかったけど、 初めてCMをやっていた消費者金融に電話してしまいそうになった。 なんとか踏みとどまったけども。 追い打ちをかけるように、夫の独身時代の借金発覚。 3年は本当に辛かった。 それでも結婚したばかりで、幸せだったな。 真冬の北海道で灯油代をけちって二人で毛布にくるまってたり。笑 今は今で余裕はないけど、暖かい部屋で好きなだけ暖房焚いて。 子供の教育費、老後資金等々、「先」のことを考えて。 改めてあの頃を考えると、金銭的にはかなり落ち着いたな。 今晩は夫に優しくしてあげよう。笑

トピ内ID:1133585533

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100円ショップのラーメンでしのいだ

🙂
新宿猫
30年前ですが、何とか家賃を払った後の残りのお金で、次ぎの給料日まで、100円ショップの1袋3束のラーメンで、1日3食、1週間ほどしのいだのが、夫婦二人の思い出です。そんな時があったねぇ~、と、幸い今では、それも笑い話しになりました。

トピ内ID:5255959384

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皆さん、いろいろ

💰
はなこ
私は、食費一日300円で凌いでた十代の頃かな~ 2000円の服しか買ってもらえなくて貧乏だ~? 親に失礼だろーと思ってしまいましたよ。

トピ内ID:2573798203

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アラフォーです

041
ゆう
子供の頃は、よくガス電気が止められてました。 母子家庭で大変でした。 給食費も、タダじゃないんですよ、よく母子家庭はタダだろって言われたけど違います。 それがどん底かなあ。 貧乏って、私の中では、学費が払えるなら貧乏とは言わないと思う。 高校からバイトして、自分の中では裕福になりました。

トピ内ID:5175791864

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自分は留学「後」

🙂
まみ
自分も留学中の3年間は節約に努めておりました。当時、滞在国通貨に対してかなりの円安で(現在はその通貨は円に対して半値近く下がっています)、何もかもが日本の倍くらいの値段に感じました。家をいろんな国の留学生4人でシェアして、一番あとに入居した自分は3畳くらいの物置部屋に住んだりしました。今となってはいい思い出。強い人間になれました。 とはいえ本当の貧乏はその後でしたね。留学中は所詮親のお金。なんだかんだ行って時にはご褒美とか言って高級チョコ買ったり今のうちと近隣国を旅行したり自由に使ってたんです。帰国後、30近くになって初めて自分の稼いだお金で生活しようと思ったら毎月きっちりやらないと全然足りなくて。結局、自分は念願の研究者になれて今は生活に困ってないですが、帰国後2年は非常勤だったので本当に貧乏でした。出費は千円単位で計画しないといけなかった。いい年して初めて、お金を稼ぐ大変さを身にしみて知りました。同時に、少なくても自分で稼いだお金がある嬉しさも。学生(無職)生活が長かったからこそ、働ける嬉しさは人一倍感じました。あの気持ちをずっと忘れないでいたいです。

トピ内ID:5826108978

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私の場合

🙂
まりえ
親元にいた頃、父は普通の収入でしたが、専業主婦だった母が次から次へと出産、6人兄弟となりました。育ててもらって文句は言うなでしたが、もうその頃は子供2人で習い事をさせゆったりと暮らす家庭が多かったので、格差を感じて辛かったです。しかも、喧嘩や諍いの多い家族でした。 地元国立大をバイトと奨学金で卒業し、大企業に就職しやっと経済的に自分も人並みになり、とても嬉しかったです。その後、結婚、共働きで欲しいものはなんでも買える、そんな喜びにも浸りました。 しかし、また問題で夫が仕事で拗らせる様になり、独立を目指しましたが、失敗、子供を抱えて貧乏のどん底でした。専業主婦の姑の浪費も問題でした。借金を抱えて夫は病死しました。 自分が大黒柱になって働きだすと、仕事は上手く行って昇給も重ね、若い時に細々と始めた投資が実を結び、今50代前半で生活は楽になりました。 母、姑、夫とお金よりも大切なものがある、人生はしたいことをするべきとの考えで言動はフワフワしていました。時代だったのか、父、舅、一応私と真面目で大人しい稼ぎ手に乗っかっていた人達だったのか。 今思うに、自立して生きている方が上手く行っています。

トピ内ID:8125143065

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家買った時

🙂
いつか笑える
マイホームを買った後は、本当にお金なかったなぁー。食費も切り詰めてたし、お金の事で、夫婦でよく揉めてました。 貯金もマイホーム買ったら、全部なくなっちゃって、子供の幼稚園の制服新調しなくちゃいけないのに、お金なくて。 偶然、お下がりの制服を貰えた時は、本当に嬉しかったです。 なもんで、ものすごく子供の制服に執着あります。文化祭にリサイクルが出ると聞けば、先頭に並びます!そして、我が子が着たものは綺麗にしてリサイクルに出します。 貧乏な時代に、喉から手が出るほど欲しかったものって、執着しませんか? 私は、暖か素材の下着、安売りじゃない生理用品、ベーカリーで売ってる惣菜パン‥。 これらを買う時に、なんとなく複雑で、今は躊躇なく買える事の幸せを感じます(笑)

トピ内ID:8121503465

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