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50年前、食物アレルギーは認知されていましたか?

レス38
(トピ主 1
🙂
カモミール
話題
あと数年で還暦です。 ふと思いだしたのですが、食物アレルギーが深刻な事態につながったり、学校などでアレルギーの有無をチェックとかし始めたのって、この30年とか25年前からではないでしょうか? 私が子供の頃は、ピーナッツとかでアナフィラキシーショックなんて、聞いたこともなかったような気がします。 私自身は相当身体が弱い方で、喘息持ちでアレルギー体質だ、と病院で言われました。 小学生の頃、アレルギーのせいで給食で食べられない物がある、ということが周りから疑いの目で見られて、嫌な思いをしました。 担任の先生までが、あからさまに胡散臭い、という目で私を見ていました。 周りには、アレルギーで特定の何かが食べられない、という友達もいなかったと思います。 住んでいたのは全国的には田舎だけど、県庁所在地なので、 周囲には田畑などほとんどないような環境でした。つまり、全国どこにでもあるような環境だったと思います。 同世代の皆様、いかがでしたか?

トピ内ID:be0b93ab70f1d320

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私の周りにはなかったです

🙂
今も通院中
私50代ですが、生まれつきの重症アトピー患者です。 両親から、症状が少しでも楽になればとあちこち回った、と聞いてます。 とは言え、アトピーという言葉を知ったのは、成人してからだと思います。 それまでは湿疹と言ってました。 皮膚科専門の病院も近所にはなく、痒みの原因を検査する医師にも会いませんでした。 私自身に食アレルギーがあることを知ったのは、30歳くらいだと思います。 成人するまで、アトピー患者は私達姉妹以外に出会ったこともなかったです。 他人からは、ずっと奇異な目で見られていました。 半袖の制服は辛かったですね。 今と違って情報源が限られていましたよね。 食べ物にも原因があるなんて思いもしないから、給食は残さないように食べなさいと完食でしたね。 アナフィラキシーで倒れたとしても、原因不明で終わってたかも知れないですね。

トピ内ID:0452befcc1c5524a

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37歳息子の時には

🙂
べるる
既にアレルギーに関しては認知されていて、育児本にも書かれていたと思います。 幸いにも我が子にアレルギーはなかったですが 友人の子供が大変で、アレルギー専門店で高い食材を購入していました。 更に10歳年上の甥っ子は、ミルクアレルギーでアレルゲン除去ミルクを飲んでいましたから 50年くらい前にはすでに認知されていたと思います。

トピ内ID:725fcf228bb9c114

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同世代ではないけれど

🙂
ジューン
70代に入ったばかりのものです。 子供(今40代半ば)がアトピー、アレルギー体質でした。 ダメなのが、蕎麦類、エビとかカニとか、気をつけましたよ。 そこそこ大きくなって自分から「ぼく、これだめ」と食べなくなりました。 そういえば、戦後すぐの生まれの夫は、魚の卵がダメと姑から聞きました、 大正生まれの父は鶏肉を食べると痒くなると言ってましたし、母はサバを食べるとじんましんがでると。 食べ物でアレルギーを起こすと言うのはあり得ることだと、自分の身体で身をもって経験している人は知っていたのでないかしら。だからその時代でも経験者は他者に強要はしなかったと思います。 アナフィラキシーショックなどという言葉は知らなかったと思いますが。

トピ内ID:617ba4e3efa54888

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66歳、東京です

🙂
匿名水
小学校は世田谷区。 給食で、低学年の頃は脱脂粉乳、高学年になると、牛乳が毎食出されました。 クラス40人の内で一人、牛乳アレルギーの子がいて、飲んでいなかった。 もちろん、担任も承知していました。 でも、小麦粉やナッツなど、今ならよく耳にするアレルギーは、まだなかったですね。 食べられない子も、私のクラスにはいなかったのではないかな。 実は私自身は、刺身(生の魚)が、蕁麻疹が出るため、食べられなかったのですが、幸い給食に出されることはなかったので、学校で特に苦労した覚えはありません。 昔は花粉症もなかったけれど、春先に目が痒くなったり、クシャミが出たり、肌がカサカサすることに悩んでいた人は多いと聞きます。 いわゆる、木の芽時の不調・・で片付けられていましたね。 今、食物アレルギーが多いのは、何が原因なのでしょう。 孫(5歳)も、ナッツアレルギーがあり、知らずに食べたクルミでひどい蕁麻疹と発熱、大変な思いをしました。 この先、食べられるようになるのか・・・よく判りません。

トピ内ID:320018e224ba2af9

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52歳女性です

🙂
555
大きめの地方都市で育ち、現在も暮らしています。 中学生の同級生で蕎麦アレルギーの人がいました。 その中学校は給食だったので、その人は持参したおにぎりを食べてましたよ。 私は幼い頃からメロンとスイカを食べると喉がありえないくらい痒くなり、 せっかくのご馳走が食べられませんでした。 季節の変わり目にアレルギー症状(目と鼻)が出るのは、 大人になってから少なくなったかな?と思ったら、 50歳をすぎたあたりからまた発症する様になりました。 動物にもアレルギー反応があり、動物園に行ってもハンカチで鼻を押さえていました。 重度の猫アレルギー持ちです。 でも最初にアレルギー反応があった動物は、 当時、公園にお祭りで来ていた馬と牛です。 多分、昭和48年あたりです。

トピ内ID:24e9e532cf44007a

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同世代、アレルギー体質です。

🙂
美穂
昔は「アレルギーで食べられない」と「好き嫌いで食べない」が同列に扱われていた気がします。 気合が足りないからだとか、親が甘やかすからヤワなんだ、などと言われるのは日常茶飯事でやりにくかったです。 食べ物に関しては子供のころは食べられなかったけれど成長につれて食べられるようになった物、ずっとダメなままのものが混在しています。食べられないのは残念ですが、アレルギーで食べられないと口にしても納得してもらえるようになったので気楽です。 私は子供のころから花粉症です。今でこそありふれた国民病?ですが、当時は花粉症というものがほぼ知られておらず理解されませんでした。差別的な言葉を言われることが多く「言わないほうがいいんだな」と感じて周囲に隠すようになりました。そのせいでいつも風邪をひいている体の弱い子だと思われていました(笑) 実は十年位前から化学物質過敏症になってしまいました。食物や花粉同様に工夫してなんとか暮らしていますが、昔の花粉症同様、一般的にはあまり認知されていません。なので医療機関など伝えておく必要がある相手には話していますが、基本的には秘密にしています。 化学物質過敏症も患者数が増えたら差別的な扱いを受けることもなくなるのだろうなと想像しています。

トピ内ID:720216c5b168acb2

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保護者が先生に伝える

🙂
ひよこぴよ
私(65・男) が小学生時代、学校給食がたべられない生徒がいました。 毎日 給食をほとんど食べていなかった。クラスの誰もが心配した。 たぶん保護者が担任の先生に説明されて「給食たべないことの許可」を得ていたと思います。 多くの生徒は給食を完食されましたけれど私は肉類が食べられなかった。 給食の肉は「牛肉」でしたから、「肉じゃが」も食べられなかった。 食べられないことを「偏食」「食べず嫌い」と誤解された生徒も大勢いた。 生徒にとって給食は「拷問」だった。 「食べられないなら 目を閉じて 鼻をつまんで 丸飲みしなさい」 と言われたほどだった。私も通知表に、「偏食をしないようにしましょう」と記載されていました。 「偏食じゃないよ 本当に食べられないんだよ」本当につらかったです。 ただ「花粉症」の症状の生徒は非常に多かったですが、当時は「アレルギー性鼻炎」と診断された。

トピ内ID:6c3030afb196de96

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むかしは無頓着でしたね

🙂
ぱこちゃん
50代男性、南関東で育ちました。 私の歴史のなかで最初に「アレルギー」という言葉と出会ったのは、小1の秋。インフルエンザ予防接種の際事前配布された問診票に「たまごアレルギーの有無」という設問がありました。小学校時代に「アレルギー」といえば「たまごアレルギー」だけでしたね。 中学校に進学すると、林間学校などで持病や薬を事前届をする際に、アレルギー症状とアレルゲンを届出する決まりになっていました。同じ行動班のなかに「そばアレルギー」の生徒がおり、大きな自由記述欄に症状、原因物質、忌避する食物が詳細に記入されているのを本人から見せてもらいました。各クラスで届出があったことから、出発前の集団ブリーフィングで保健師と保健体育教諭がアレルギーに関する講義をおこない、健康に関するテレビ番組を視聴したのを覚えています。 私自身がアレルギーを自覚したのも中学生の頃で、祖父が好物のサバの押し寿司を食べるとき相伴したところ、かならず食後しばらく経って肘の内側や背中、腋の下が痒くなることに気づきました。中学校で保健師に訊ねると、サバのアレルギーという事案もあるとのこと。保健師からはサバの生食は止めるよう指示されましたが、私自身は山芋を食べたら口元が痒くなるのと同じようなものに過ぎないと侮り、好物のサバの生食は現在も食べています。そして、毎回痒くなります。 スギ花粉症は、初めて症状が出たのは30代になってから。スギよりも症状が深刻だったのは、4月下旬頃に近所の川沿いの道を歩くと瞼が腫れ、目が充血し、口元と鼻腔が痒くなる原因不明のアレルギーです。 私の母は「それはブタクサのせい」と訳知り顔に主張しますが、本当にブタクサ由来なのか、調べたことはありません。その時期には川沿いに近づかないようにしたら、症状があらわれなくなりました。

トピ内ID:0ab53c48768ddfbe

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トピ主さんより年上です

041
60代です
60代女性、都内在住です。 アレルギーの有無のチェックはなかったですね。 でも、小学校の同級生に「アレルギー体質」の子が一人いました。 なので、自己申告だったのでは?と思います。 私立だったので、給食ではなくお弁当持参でしたので、問題はなかったと記憶していますが。 その子が言うには「兄がいたけれど、食べ物のアレルギーで亡くなった」と。 そこで「食べ物のアレルギーで死ぬ人がいる」と知りました。 また、「アナフィラキシーショック」という言葉もその子から聞きました。 どういうものかは理解できていなかったと思いますが。 ちなみに、私は小学校入学時には既に「花粉症」でした。 当時は「アレルギー性鼻炎」と言っていましたが。 「花粉症」という言葉は、私が高校生の頃に広まったような気がします。

トピ内ID:f45bc97b0d1094c2

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回虫との関係

🙂
ももぞう
これ、はっきりしてるんです。 アレルギーは自己免疫の暴走。本来自分を守る為の免疫が自分に対して発動するのがアレルギー。免疫力が過剰状態なのが原因です。 それは何故か?衛生状態、栄養状態が良くなったからなんです。 50年ぐらい前だと、回虫検査ってしませんでした?ぐるぐるの小さいテープをお尻に貼ってはがして提出する。 昭和の中期まで汲み取りトイレが多かった。見た目は水洗トイレでもバキュームカーが来て汲み取っていく。 衛生状態があまり良くない環境では人の身体に回虫が住み着いていました。人糞を肥料にして野菜を育てて売っていた時代に、回虫の卵入の付いた野菜から人の口の中へ入り、トイレから卵がまき散らされ・・・を繰り返して。 回虫は人の腸の中に住み着き、人が食べて自分の為に吸収するはずの栄養を横取りします。回虫に住み着かれた人は栄養失調でどんどん弱っていきます。 それに立ち向かうために人の免疫力は強化されました。 回虫の卵を飲み込んでも免疫力が強ければ成虫になる前に体の中で殺す事が出来ます。 下水道が完備され、ピロリ菌も回虫も日本人の子どもに新たに悪さする事はなくなりました。と同時に強まった免疫力は余る事に。 そして余った免疫は暴走し、自分の身体の一部を敵とみなして排除しようと攻撃を始めました。 これがアレルギーのメカニズムです。 なので回虫がはびこっていた世の中では殆ど食物アレルギーというか小児ぜんそくやアトピー性皮膚炎も、症例を見る事は出来なかったんです。上流の子ども特有の病気でした。上流の家庭では衛生管理が一般家庭と違っていましたからね。 アレルギーは現代病と言われるのはそういう理由です。

トピ内ID:89a2b1ab5322d367

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ありました

🙂
専業主婦よ
50代半ばですが、幼稚園で牛乳飲んだらいけない子、卵食べたらいけない子って、普通にいました。 アレルギーといったのか、何と呼んだのかは覚えていませんが、ピーナッツは特に気をつけないといけない友達がいて、小学校の給食では先生が凄く献立チェックして気をつけていました。 蕁麻疹とか喘息とか、アレルギーで起こる症状主体の名前だったのは、その通りで、アナフィラキシーショックは90年代頃からでしょうか。 ウチは、身内に医師が多いから?か、アレルギーの事も、アレジーと呼んでいたくらいです。英語だと、アレジーに聞こえます。

トピ内ID:8e62d4afc4d5215c

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医療関係者ではないので

🐱
にゃんたろう
今月で還暦を迎える者です。 詳しくはないですが、あらゆる分野で研究と認知は進んでいますから、 50年前では把握できなかったものは多いのではないかと思います。 たとえば発達障害も研究が進んでいろいろな種類が認知されてきたので、 大人になってから自分がそうであることが初めて判明することもあるようです。 花粉症もある花粉が車の排気ガスの成分と結びつくと悪化させるものになると 聞いたことありますし、 老化や住んでいる場所、環境の変化で発症するものもあると聞いたことあります。 研究が進むともっと増えてゆくのではないですか。 昔は認知されていない症状から、辛い思いをされた方はたくさんいたでしょうね。

トピ内ID:a3b2608383c0f63b

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アレルギー体質履歴

🙂
はな
同世代、重度のアレルギー体質だそうです。 アナフィラキシーショックで救急搬送なんてなかったから、今ほど認知されてなかったのでしょう。 >相当身体が弱い方で と >喘息持ちでアレルギー体質だ 人によるけど、お医者様の診断説明でもこの2つは同列には語れないと思う。 私も稀に見る重度のアレルギー体質だそうですが、身体が弱いのとは全く関係なし。 (言われたくないし!) 食物では給食のやきそば(黄色着色料アレルギー)。風邪薬。 食後30分もすると全身ブクブクじん麻疹発疹するので、 胡散臭いもなにも「早くお家へ帰りなさい、親御さんに電話します」 生まれすぐ乳児の時、特に頭部がひどいアトピー症状。 ベビーバス(タライ)で湯あみの写真を見ると、頭全体皮膚はただれてグズグズ頭髪なし。 どの写真も包帯グルグルです。 痒みがひどく泣いてばかりの赤ちゃんで母は大変だったと思います。 まだ認知が低かったアトピー、母は漢方やら名医やら巡ったそうです。 アトピーは小学校位から小康状態、中学校位から皮膚科がちゃんと対応するようになりました。 40代、激務のストレスから全身アトピー発症、包帯グルグルミイラ状態で入院寸前! 見るから異様なので、なぐさめられることはありましたが…。 小学校~大学はひどい鼻炎。花粉症は今ほど認識されてなかったと思います。 春はスギ、ヨモギ、イネ科~秋はブタクサとたくさん反応します。 一番かわいそうなのがこの時期(泣。 恋するお年頃なのに、彼氏の前でグズグズヘクショイ鼻水タラーはつらかった。 せっかくつけたピアスも金属アレルギー(銀、コバルト、銅など)でお耳パンパン。 ここ10年はひどい喘息。現在、喘息と(アトピー+じん麻疹)で医者通いしています。 もう長いつきあいなので小康状態なら近所の内科で処方、症状悪化すれば専門へ行きます。 ただ身体はいたって元気です!

トピ内ID:2d55b60611780190

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ありました

🙂
なな
昭和50年前後の小学校では、あまりメジャーではありませんけど 卵や牛乳のアレルギーの人はいました 牛乳は飲まないし給食当番で牛乳は運ばない人がいました 周囲の理解がないので大変そうでした 昭和の終りから平成の始めころから急に理解が進みましたが アレルギーはたんぱく質によるものとおもわれ フルーツラテックスアレルギーについては認知が低く、平成20年頃かな?医師会でキャンペーンを張って、小児科・耳鼻科・皮膚科の目立つところに花粉症と食物アレルギーの相関図を張り出すところも増えて急激に認識されるようになった感じですね それでも、理解に苦しむ発言をされる方もいらして、時々ぎょっとさせられます 例えば 私もメロンアレルギーだよ~ でも大好きだからたべるよ 食べたあとの、あの喉のイガイガすら愛しい 気にしすぎると良くないんだよ アレルギーあったって愛と気合いで食べられるよ とか言われ、こどもにアレルゲン入りおやつを勧められると、クラっとしました 今は土いじりする機会も、土壌菌つきの食材を食べる機会も激減していますから、アレルギーも悪化する一方ですね

トピ内ID:2477170b53a74830

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同世代、アレルギーの認識ありましたね。

🙂
おばはん
私はアラカン女性です。 西の方のかなり辺鄙な田舎育ちです。 県庁所在地からは100キロ以上離れていて、一応徒歩圏内に小、中、高校とありましたが、デパートや映画館などは汽車に乗って街まで出掛けていく、そんな地方の一都市です。 私が生まれた、今から五十年以上前にはアレルギーの認識はありました。 なぜなら、私が赤ん坊の頃にミルクが合わなかったのか嘔吐と下痢で産婦人科医にかかった際に「アレルギーではない」と言われたそうです。 母が産後うつのようで母乳を与えることが出来ずミルクに切り替えたところ、「飲んで30秒きっかり数えたら噴水みたいに噴いたのよ、そして、そのあと下痢して大変なの」 私が子供の頃に叔母からしょっちゅう聞かされていた話なので良く覚えています。 小学校に上がる際には、牛乳が飲めない(アレルギーではなく恐らく好き嫌い)私に「アレルギーと同等扱い」のような申し送りで飲まなくても良くなりました。 赤ん坊の頃から飲めないという母の主張が認められたようでした。 我が家では私が幼い頃から頻繁に会話の中にアレルギーという言葉が出ていたと思います。 そういえば兄がやはり幼児の頃にひどい湿疹で病院通いをしていたので、その頃、六十年近い前から「アレルギー」という考え方があったのかもしれませんね。

トピ内ID:edaf9bb5d0b1da77

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同年代でなくて、ごめんなさい。

🙂
ゆい
私が子供の時に蕎麦アレルギーで、呼吸困難に陥ってしまい、救急で病院に運ばれたのは、今から32年前でした。 当時の医師の指示により、学校に蕎麦アレルギーですと伝えました。 呼吸困難で死にかけたのを知っていたので、否定する教師はいませんでしたが、 担任も「食物アレルギー?」 「そうなんか?」 みたいな反応で 少なくとも私の周りには、アレルギー持ちの人はいなかったですし、 学校に申告していく形でした。 何も知らなかった祖母をはじめ、 成人するまでの数年間は、 ただの好き嫌いと勘違いされ、 時には非難されることもありました。 主様の仰る通り、学校もですが、 社会全体として、そこまで周知されてなかったのが、私の実体験です。 今は、小学校でアレルギーの 対応がなされていますが、 それだけ患者さんが、増えてしまったということなので、複雑ですね。 因みに26歳で甲殻類で 再び呼吸困難に陥ってしまい、 一週間入院しましたが、担当医曰く、 あと、5分遅かったら 手遅れだったそうです。 食物アレルギーって、怖いですよね。

トピ内ID:725b5559caca1226

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私はサバがダメで

🙂
通りすがり
学校には両親が書面で伝えていましたね。 ほかの子も提出していたようなので 当時もアレルギーへの対応はあったと思います。 給食の内容もクラスで数人違いましたしね。

トピ内ID:1611de2453c10da5

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吉行淳之介、序に花粉アレルギー

🙂
北国生まれ
1974年に刊行された吉行淳之介のエッセイ集「贋食物誌」には、甲殻類のアレルギーの話が出てきます。 (食べるだけではなく、電車で同席なった人が蟹だったか海老だったかを「これが美味くて」と未だ生きていて中でごそごそしている箱を目の前で見せられて、気絶しそうになったというのも) アレルギーと言えば花粉アレルギーも毎年聞きますが、1970年代前半の何かの雑誌で「アメリカでは花粉でアレルギーになる人が多くて、TVでは花粉予報を放送している」という記事を読みました。 日本で花粉アレルギーが話題になる数年前ですね。

トピ内ID:20be498d72d6b752

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給食が食べられない子はいましたね

🙂
鯨のノルウェー風
50年以上前の首都圏での話。給食が食べられず、お弁当持参の子がいましたよ。 脱脂粉乳の時代で、それを嫌う児童が多く、でも残しちゃいけない決まりでした。給食の後の掃除の時間まで食べてた子もいたくらい厳しかった。 それで他の子供が「嫌いな物を飲まなくて良いなんて、〇〇ちゃんは狡い」と騒ぎ出したんです。そこで担任の先生が「〇〇ちゃんは食べられない物があるので、仕方なくお弁当なんです」と説明してました。 「食べちゃいけないものがあるなんて可哀想だな」と思いましたね。

トピ内ID:65e651010f308dc8

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サバはあった

🙂
木炭
アレルギーという言い方はしなかったかもしれませんが、 サバや青魚を食べるとじんましんが出る体質の人がいる というのは、50年以上前から常識だったはずです。

トピ内ID:b0e776db390a25ee

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ちょうど50年前

🙂
67歳、東京
高校の林間学校で長野県に行った時、昼食が名物の手打ち蕎麦でした。 蕎麦アレルギーの生徒がいて、別室でひとり菓子パンかなにか食べていました。 当時、蕎麦アレルギーの存在を知らなかったので、なんでこんなおいしいものをと思いましたが、先生からは蕎麦のアレルギーは命にかかわるという説明がありました。 まだ高校生で無知だっただけかもしれませんが、今の子なら小学生でも食物アレルギーという言葉を知っていますよね。 アレルギーに関する知識はあまり一般的ではなかった気がします。

トピ内ID:53ce5ed2d486d0bf

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ありましたよ

🙂
もももんが
 田舎ですけど、疑うことはしませんでしたよ。  ただ「神経質な親だから、そうなんでしょ」という声はありました。

トピ内ID:31c29bb9ac651938

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昔からあったのですね!

🙂
カモミール トピ主
皆様、レスをいただき、ありがとうございます。 大正生まれの方にもアレルギーがあった、というのは驚きました。 戦中育ちの両親にはアレルギーなど全くなく、父に口癖のように最近の若いもんはひ弱だ、と言われて育ちました。 昭和40年代、精神論が幅をきかせていましたね。 「気合いが足りんからだ。」と 同じ類の言葉を何度言われたことか。 3〜4年生の時の担任に至っては、喘息まで仮病では?と疑っていました。 化学物質にアレルギーが出るようになられた、とのレス、お見舞い申し上げます。 適切な対処法が早く見つかるといいですね。

トピ内ID:be0b93ab70f1d320

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約50年前にそばアレルギーは認知されていました。

041
Uhu
今年64歳になる者です。私と同い年の友人にはそばアレルギーがあります。彼は中学生の時に医師から「あなたにはそばアレルギーがあるので、そばを食べると命にかかわる恐れがあります」と言われたそうです。

トピ内ID:63c6378abe2ed695

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生きていけない

🙂
はな
書き切れなかったので追加。 ももぞう様のレスが結構的を射ているのかもしれませんね。 私は大阪の生まれ育ち、超街ド真ん中です。 アトピー、花粉症などに続いて最近きくのが太陽光/紫外線など また海外出張へ行ってわかったのが「水アレルギー」、日本の水ってきれいだけど当然塩素が含まれているんです。プラス水源の水質。某国某市でのみアトピー症状がマジックのように消えます。不思議! 日本各地の水、温泉水、海水すべて試しましたがどれも効果ありませんでした。 他には、太陽光/紫外線。これでニンニクそろえば、吸血鬼ですわ。トホホ

トピ内ID:2d55b60611780190

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米寿の母が

🙂
ラッキー
私の母は米寿ですが、アレルギー体質。 本人曰く子供の頃から紫外線アレルギーでサバアレルギーだそうです。 少なくとも80年前くらいからアレルギーは認知されていたのでは?

トピ内ID:ef64aa38f1aa5bee

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認知はされていたが

041
50代前半
当人や医療関係者以外は軽視していた、という感じでした。 1970年代、小学生の自分が生卵のアレルギーで、加熱した卵は食べられるのに、マカロニサラダやポテトサラダが駄目というのが分かってもらえず、看護師の母と保健室の養護教諭が説明しても「そうやって甘やかすからアレルギーが治らないんだ」と言う謎の理屈で給食を残すことが許されませんでした。 じんましん出まくりだったのにです。

トピ内ID:7abd26f6e8821ef4

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積極的に検査しなかった

🙂
くるみ
50代です。 私も、子どもの頃は青魚がダメでした。 食べるとすぐにじんましん。 しかし、市販の薬で済ませることがほとんどでしたね。 また現在も花粉アレルギーがあるのですが、子どもの頃は検査や治療などしませんでしたね。 春先になるとくしゃみ鼻水、時には熱まで出すので、親から「季節の変わり目には必ず風邪をひくね」なんて言われていました。 20歳過ぎてからですかね。 しっかりと検査をし、予防薬を飲むようになったのは。 それでも両親は、私にアレルギーがあることをなかなか認めようとせず。 実は両親にも花粉アレルギーがありますよ。 しかし、何度言っても「違う違う、ただの風邪」と言い張る。 60歳過ぎてからじゃないですか、耳鼻科で診てもらえば一発だということを知ったのは。 今は、幼稚園でも学校でも、アレルギーの有無を確認されますからね。 26歳の娘がいますが、幼稚園にはアレルギーがあることを報告し、入学後の宿泊を伴う校外学習には薬持参で参加していました。 娘に喘息はありませんでしたが、クラスの数名は、布団敷き当番からはずされていたようです。 今は怪しいなと思えば早くから検査を受けますし、必要とあれば治療も厭わない。 私たちの子どもの頃とはだいぶ違いますよ。

トピ内ID:7f9b3af6203ab8f5

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アレルギー体質が少なかったのは確か。

🙂
とくめい
同年代だと思いますが、学校に喘息の子と、蕎麦、エビ・カニ類がダメな子はいたと思います。 うちの学校じゃなかったんですけど、給食の蕎麦を担任が無理に食べさせてショックが起こり、救急車で運ばれた事件がありました。 あと修学旅行先の旅館の枕が蕎麦枕だったとか、そういうトラブルもありました。 当時は給食の好き嫌いを最後まで食べさせる風習があり、モラハラ教師も多かったと思います。 食が細い子はいつも教室の隅に残されて、泣きながら食べてましたね。 今はそういうの、どうなんでしょう。 食べ物じゃないんですけど、ペットのアナフィラキシーは小学校から有名でしたね。 亡くなった子がいたとかで、そこは認知度高かったです。 逆にアトピーを知っている子は少なかったです。 今は顔が湿疹だらけの赤ちゃんや幼児を頻繁に見かけるし、親も大変な時代ですよね。

トピ内ID:805a778ba20c502a

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酷い時代でした

🙂
ぽんた
70歳。三大都市の真ん中で生まれ育ちました。 50年以上前でも、鯖等の青魚など一般に該当者の多い食物に関しては「あたる」と言う言い方で、それなりの認識はあったと思いますが、食中毒とアレルギーの違いを認識している人はほとんどいなかったと思います。 私はアレルギーだけでなく複数の病気を持つ虚弱児童だったので、毎年医師の診断書を提出していました。 運動ができないのはちょっと走らせれば一目瞭然ですが、アレルギー=好き嫌い=甘やかせている=そんなだからまともに食べなくて丈夫になる筈がない=あの子が弱いのは親のせい、と先生同士で話しているのを聞きました。悲しかった。。 私の場合、食品だけでなく薬品アレルギーもあったのですが(新薬が出来たので飲んだら痣状の薬疹がいっぱい出て判った)これに関しては全く理解の外だったと思います。 三年生の時だったか、予防注射の時に「お母さんが絶対ダメだと言ってます。」と抵抗したのに無理やり打たれてしまったことがあって、恐怖でそのまま学校を飛び出して泣いて帰ったことを覚えています。 大騒ぎになった事、両親が激怒して抗議したことしか覚えていませんが、何もなくて良かったです。 何時かは忘れてしまいましたが風邪薬で亡くなられた方が何人も出て、やっと薬品アレルギーの存在が徐々にではありますが知られるようになり、説明がしやすくなったと母が言ってました。(亡くなられた方には申し訳ないですが) 信じられない時代ですよね。 おそらく、アナフィラキシーショックで亡くなった方もいたでしょうが、突然死で片付けられたのだと思います。

トピ内ID:98eec0243309c763

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